この甘さに思いを込めて(2)

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 服を着替えて愛用のエプロンを身に着けた私は、少々不安な気持ちを抱えながら台所に
向かうことにした。
 台所には、エプロンを身につけたお母さんと食卓に座っているどこか心配そうな表情の
お父さんが居るだけだった。
 どうしてだろう、かなたさんの姿が見えない。何か準備でもしているのだろうか? 
「準備はできたかしら? それでは早速はじめましょう」
「ちょっと待ってよ、お母さん。かなたさんがまだ……」
 そこまで口にして私は違和感に気づいた。お母さんの喋り方やトーンがいつもと違って
いることに。
「……えっと、その、もしかして……かなたさんですか?」
 普通ならそんなことあるわけないと思う私だけど、死んでしまったはずの人に料理を教
わるという事自体がまともじゃないのだから、ふと思ったとおりのことを尋ねてみた。
「ええ、正解です。さすがに親子ですね。すぐに分かってしまいましたね」
 苦笑交じりにいうお母……じゃなくてかなたさんは、「ちょっと待っていてください」と
目を閉じた。すると、
「……あっさり見破られちゃったわね。でも、すぐに私じゃないって気づいてくれたのは
嬉しかったわ、かがみ」
 あっという間にいつものお母さんに戻った。
「えっと、その、どういうことなの?」
 かなたさんがお母さんの体を借りて動かしていたとは思うけれど、何故そんなことをす
る必要があるのだろう?
「かなたさんは生身の体を持っていないから、包丁を握ったりできないらしいの。だけど、
家庭料理って実際に作らないで口だけで説明するのは難しいのよ。だから少しの間私の体
を使ってもらっているのよ。ほら、さっきのゴマ団子もこうやって私の体をかなたさんが
動かして作ったのよ」
 こともなげに凄いことをさらっと言うお母さんに、私はなんと言っていいのか分からな
かった。でも、食卓に座っているお父さんがどうしてあんなに心配そうな顔をしているの
かは分かった。
「だけど、本当にさすがは私の娘ね。すぐに分かってくれてお母さんは嬉しいわ」
 言葉とは裏腹に、お母さんは意味ありげな視線をお父さんに向ける。
「……そっか、全然気づかなかったんだ、お父さんは……」
 きっとゴマ団子を作っていた時に、お父さんは、しばらくの間お母さんの体をかなたさ
んが動かしていることに気づかなかったのだろう。
「いや、おかしいなとは思っていたんだよ、もちろん……」
 なんともばつが悪そうなお父さんに少し同情してしまう。妻の変化にすぐに気づいて欲
しかった気持ちはわかるけれど、他の人が体を動かしているなんて状態は普通の人の思考
の範疇にはないと思う。
「さてと、無駄話をしていると時間がなくなっちゃうわね。……かなたさん、お願いしま
す」
 お母さんは静かに目を閉じた。
「……それでは、始めましょうか」
 そう言って目を開けたお母さんは、かなたさんの口調に戻っていた。


 まずはかなたさんがお手本として一人で料理を作ってくれた。
 メニューはサバの味噌煮込みをメインに、ほうれん草のおひたし、肉じゃが、鶏肉の竜
田揚げ、魚のつみれ汁。それらをかなたさんはあっという間に作ってしまった。
「そして最後に……」
 かなたさんは慣れた手つきで卵焼きを適当な大きさに切り分けて皿に盛り付けた。
「はい、これでできあがりです。かがみちゃん、ただおさん、よろしければ味を見ていた
だけませんか?」
「あっ、はい……」
 私とお父さんはかなたさんの料理を順番に食べてみた。
「美味しい……」
「うん、確かに美味しいね」
 私とお父さんは素直な感想を口にした。どれもこれもすごく美味しくて、そしてほっと
する味だった。
「特に、この卵焼き……」
 ほかの品との組み合わせとしては少しミスマッチな気がしたけど、かなたさんの卵焼き
の味は絶品だった。
「この献立からすると少しあわないかもしれませんが、私の得意料理なので入れてみまし
た。それに、しょっぱい料理が多いですから、甘い味もあった方がいいと思いまして」
 少し恥ずかしそうな仕草でかなたさんは言う。……でも、いかんせん外見がお母さんだ
からなんとも違和感がぬぐえない。
「それに、そうくん――あっ、その、私の夫もその卵焼きが大好きで、私はほとんど毎日
作っていたんです。だからこれだけは私が自信を持って作れる料理なんです」
 かなたさんはそう謙遜するれど、卵焼き以外もどれもこれも洗練された素晴らしい味だ。
正直、こなたより上手だと思う。それでも少しこなたの味に似ている気がするのは、かな
たさんがそうじろうさんに料理を教えたからだろう。そしてその味をこなたが受け継いだ
んだ、きっと。
 うん。かなたさんの料理を作れるようになれば、私の料理の腕は確実に上がるはずだ。
何よりこなたにかなたさんの料理を食べさせるためにも必ずマスターしないと!
 ただ、ひとつ大きな問題がある。
それはかなたさんの手際が良すぎて、私には何をどうやって作ったのか全然覚えられてい
ないということで……。不安だ。私は本当にかなたさんの料理を作れるようになるのだろ
うか?
「それじゃあ、次はかがみちゃんの番よ」
 そんな私の不安をよそに、お母さん…じゃなくて、かなたさんは微笑んだ。

★ ☆ ★ ☆ ★ 

 いくら料理下手とはいえ、最近は一生懸命料理を勉強してきた。そんな私の努力の成果
は見事に……実を結ばなかった。
 かなたさんの提案で、まずは肉じゃがを作ることになったんだけど……。私は一番最初
のジャガイモの皮むきですでに散々な有様だった。
 かなたさんは瞬く間に皮を剥いていくのに対して、私がやるとプッツン、プッツンと何
度も皮が切れてしまいやたらと時間が掛かる。その上表面がでこぼこになってしまって、
剥いたはずの皮にはジャガイモがたっぷりとその存在をアピールしていた。
「ううっ、上手くいかない……」
「かがみちゃん、少し私の包丁を持った方の手を見ていてください」
 そんな私を見かねたのか、かなたさんの指導が入る。
「包丁を使って皮を剥くときに、一番重要なのは親指なんです。この指で刃を上から押さ
える力加減が重要なんですよ。かがみちゃんは少し力が入りすぎているみたいですから、
もう少し力を抜いて見てください」
 かなたさんはそう言ってもう一個のジャガイモの皮を少し剥いて見せてくれた。
 私はかなたさんに言われたとおりに少し肩の力を抜いてみた。
「それと、親指は皮を挟んでもう少し刃の上に乗せてください。刃の前に指を置かなけれ
ば指を切ることはありませんから。そして包丁ではなくジャガイモの方を動かしていくん
です。少し一緒にやってみましょう」
 かなたさんは私の後ろに回り、包丁を持った私の手に自分の手を重ねて直接指導してく
れた。すると今までが嘘のようにするするっと皮が剥けていった。もちろん前みたいに皮
にジャガイモがついていたりはしない。
「さぁ、やってみてください」
 かなたさんが手を離し、私は一人で今の動きを思い出して包丁を動かす。
「そうそう、上手ですよ」
 何度か皮が切れてしまって、やはり少しいびつだけれど、先ほどよりずっと上手く皮を
剥くことができた。
「……できた、私でもできた!」
 今までで一番上手にできたと喜ぶ私に、かなたさんも嬉しそうに笑う。
「さて、次はにんじんの皮も剥かなければいけません。でも大丈夫です。少し皮が硬いで
すが、今と同じようにやればすぐにできます」
「はい、かなたさん!」
 私は嬉しくて元気よく答える。
「はい、とてもいいお返事です。それではまずこのにんじんを……」
「ええっと、親指を刃の上に……」
 私はかなたさんの指示通りに料理を作っていった。
「お肉もいいですけど、やはりお魚もしっかり食べないといけませんよ。お店の方にお願
いするとおろしてくださるとは思いますが、いい機会ですから魚をさばく方法も練習して
おきましょう」
「はっ、はい……」
 魚の頭を落として骨に沿っておろすのはことのほか大変だった。サバの味噌煮込みも簡
単ではなかったけれど、魚の身を叩いてつみれにするのはもっと難しかった。けれど面白
かった。なんというかいかにも料理を作っているという感覚が楽しかった。
「野菜はついつい不足しがちになってしまいますから、しっかり意識してとらないと。で
も野菜炒めにしてしまうとどうしても塩分の取りすぎになってしまいます。おひたしにし
てポン酢で野菜を食べるのはとてもいい方法ですから、しっかり覚えてね」
「はい」
 ほうれん草のおひたしは比較的簡単だったけれど、かなたさんが美味しく作るコツをい
くつか教えてくれたので、私はしっかりとそれを覚えた。
「あまり頻繁ではカロリーが気になるけど、揚げ物はやはり美味しいから、たまには食べ
たくなりますよね?」
「はい。ものすごく食べたくなる時があります」
 私の同意にかなたさんは嬉しそうに微笑んだ。
「油の温度の加減もそうですし、中までしっかり火を通すのは少し難しいです。加えて後
始末が大変ですけど、それに見合うだけの美味しい作り方を教えますからしっかり覚えて
ください。まずは鶏肉を薄く……」
 どんどん料理を作るのが楽しくなってきて、それと同時にだんだんかなたさんとの距離
が縮まっていく気がするのが嬉しくて、私は料理作りに没頭した。そして気がつくと、そ
ろそろ夕飯の時間になっていた。
「さて、これで最後です。卵焼きは簡単に作ることはできますが、美味しく作るとなると
大変です。おダシを入れてダシ巻き卵にする方法もありますが、私の場合は基本的に卵と
お砂糖とお塩だけで作ります。あと少しですから頑張ってください」
「はい。頑張ります!」
「本当に、かがみちゃんはいい子ね……」
 かなたさんは優しく私の頭を撫でた。
 恥ずかしいけど、なんだか嬉しかった。だから私は一層気合を入れて卵焼きにチャレン
ジした。


「へぇ~。さすがにお母さんが隣に付いていただけあるよね。ちゃんと食べられるじゃな
い」
「こらっ、まつり。かがみが一生懸命作ったんだから、そういう事言わないの。こんなに
美味しいじゃない」
「ははっ、ごめん、ごめん。かがみ、すごく美味しいよ。ずいぶん頑張ったね」
 いの一番に私の料理に箸を伸ばしたまつり姉さんといのり姉さんが美味しいと言ってく
れた。
 考えてみるとずいぶん久しぶりの大人数での食事だ。これでつかさがいれば柊家全員が
そろうんだけど……。
「美味しいよ、かがみ」
「うん、上出来よ、かがみ」
 お父さんとお母さんもそう言って喜んでくれたので、私はほっと胸をなでおろした。
 とは言うものの、味付けはほとんどかなたさんがやってくれたのだから美味しくないわ
けはないのだけれど。
 生憎とかなたさんは今この場にはいない。「あまり私の存在は知られないほうが良いと
思いますので」と言って、私の料理がひと段落すると姿を消してしまった。
 お父さんもお母さんも話していないのだろう。まつり姉さんといのり姉さんはかなたさ
んの存在を知らないようだ。まぁ、知ったらパニックになるのは目に見えているからこの
まま黙っていたほうがいいと思う。
「それじゃあ私も、いただきます」
 私もみんなに倣って料理を口に運ぶ。味見は何度もしたからどんな味かは知っているの
だけれど、改めて美味しいと思った。ところどころに私が切ったいびつな切り口の野菜や
魚が気にならないといえば嘘になるけど……。
「でもやっぱり、卵焼きがなんだかいまいちなのよね……」
 もちろん他の料理も私が作ったものとかなたさんのものでは全然違う。けれど卵焼きの
味と見た目の差はあまりにも顕著だった。
「卵焼きはシンプルだからどうしても腕の差がでてしまうのよ。でも、かがみの作った卵
焼きだけなら十分美味しいと思うわよ。比較する味が際立って素晴らしいから、そんなふ
うに思ってしまうだけ。後は練習あるのみよ」
「あっ、お母さん、自画自賛してる!」
 何も知らないまつり姉さんの言葉に、お母さんは「あら、そうかしら?」ととぼける。
 結局私の料理もわりと好評で、ひとつ残らずみんなの胃の中に納まった。美味しいとい
って食べてくれたのは嬉しかったけど、やはりまだまだ修行が足りない。まぁ、今日一日
で急に料理上手になるわけはないんだけどね。
 そして夕食は終わり、みんなは部屋に戻ったり居間でテレビを見たりしていたけど、私
はお母さんと一緒に食器を洗っていた。
「良かったわね、かがみ。好評だったじゃない」
「うん。でも、もっと上手になりたい。特にあの卵焼きは絶対に作れるようになりたい。
明日もかなたさんに教えてもらって、何とかものにして見せるわ!」
 こなたにもあの卵焼きを食べてもらうために、しっかり覚えないと。
「ところでお母さん、かなたさんは今どこにいるの? 少し話したいことがあるんだけど」
 今は私とお母さんだけしかいないのに、何故かかなたさんは姿を現さない。
「……さぁ、どこにいるのかしらね。もしかしたら、あんまりにもかがみが不器用だから、
どう教えたらいいのか頭を悩ませているのかもしれないわね」
 意地悪なことを言うお母さんをむっとした顔で見ると、
「ごめんなさい、冗談よ。かがみがあんまりにもかなたさん、かなたさんて言うから、お
母さんやきもちを焼いてしまったのよ」
 そんな冗談を言って笑った。
「もう……。はい、これで最後ね」
 私は最後の皿を洗い終えた。
「……大丈夫よ。また明日の朝になれば、かなたさんは来てくれるわよ。きっとね。さて、
お茶にしましょうか? お母さん、かがみの大学の事やこなたちゃんとの生活の話を聞き
たいわ」
「そんな話、聞いても面白くないと思うけど……」
「あら、面白くないかどうかは話を聞いてからお母さんが決めるわよ。あっ、お父さんに
も声をかけないとね」
 お母さんは嬉しそうにお茶の用意をする。何がそんなに嬉しいのだろう? でも、本当
のことを言うと私も聞いてほしい話はいっぱいある。何から話そうかと考えているうちに、
自然と自分が笑顔になっていることに気づいた。
「そっか、やっぱり私も嬉しいんだ。お母さんとお父さんに話を聞いてもらえるのが……」
 明日も料理の勉強をするから夜更かしはしないほうがいいのは分かっているけど、私の
話が長くなることは間違いなかった。

★ ☆ ★ ☆ ★ 

 お母さんの言っていたとおりだった。朝食が終わり、まつり姉さんといのり姉さんが出
かけたころを見計らって、かなたさんは我が家に来てくれた。
 そして、私は朝からずっと料理を続けていた。
「うん、上手、上手。だいぶ包丁の扱い方が良くなってきましたね。素晴らしい進歩です」
「かなたさんがしっかり教えてくれるからです。あっ、かなたさん、肉じゃがの味付けは
これくらいでいいですか?」
「はい、いいお味です。もしもどうしても味が分からないときは薄味で作っておくといい
ですよ。味を濃くするのは後でもわりと簡単にできますが、薄めるのは難しいんです」
 かなたさんが教えてくれることをしっかりと覚えながら、私は料理を作っていく。
 そして、かなたさんが見てくれていたおかげではあるけれど、何とか私一人でも昨日教
えてもらった料理はほとんど作れるようになった。でも、どうしてもあの卵焼きだけは上
手にできなかった。
かなたさんがやっているのと同じようにやっているつもりなんだけど、どうしても同じ
ようには作れない。かなたさんの卵焼きは柔らかくて優しい甘さが口の中に広がるのに対
して、私の卵焼きは堅くて卵と砂糖の味が上手く合わさっていない気がする。
「やっぱり上手くいかない……」
 それまでの料理が順調だった分、一番しっかり覚えたいと思っていた卵焼きで躓いたシ
ョックは大きかった。
「ええと、かがみちゃん。かがみちゃんは私の作るとおりにしっかりやらないといけない
と思っているんじゃないかしら?」
「……はい。でも、どうしても上手にできなくて」
 そう言ってうな垂れる私の頭を、かなたさんは優しく撫でてくれた。
「私は料理を作る時に心がけていることがあるの。それはね、料理を食べてくれる人が喜
んでくれる姿を想像しながら作るようにしているってこと」
「喜んでくれる姿を想像しながら……ですか?」
 かなたさんは、ええ、と頷いた。
「料理って不思議なものでね、作った人の気持ちがこもるの。だから、この料理を食べて
喜んでくれる大切な人の姿を想像しながら作ると、その思いがこもって美味しくなるのよ」
「……本当ですか?」
「ええ、本当よ。たとえその時は失敗してしまっても、その気持ちを持ちながら料理を作
っていれば必ず美味しくなるの。経験者が言っているのだから、間違いないわ」
 かなたさんはそこまで言うと恥ずかしそうに口元に手をあてて、
「私も最初は失敗してばかりで……。そうくんに喜んでもらおうと新しい料理に挑戦する
たびに失敗してしまって……。でも、そうくんはまた今度頑張ればいいと言ってくれたの
で、私は頑張って……。そうくんに喜んでもらいたい、美味しいって笑って欲しいって思
いながら料理を作り続けて……。そうしたらね、いつの間にか上手になっていたの」
 そう話してくれた。
「失敗してもいいの。何度でもやり直せるのだから。しっかり作らないといけないって肩
に力を入れなくていいのよ。ただ喜んで欲しいって思いを込めて作って。ねっ、かがみち
ゃん」
 かなたさんは私の手を握って優しく諭すように教えてくれた。
「その、やってみます……」
 なんとなく恥ずかしくて、私は顔を真っ赤にしながら卵焼き作りを再開した。
 かなたさんに教えてもらったように、私の料理を食べて喜んでくれる大切な人のことを
思いながら。そう、こなたの笑顔を思い浮かべながら。
 何度も何度も繰り返して、少し上手くできたと思ったらまた失敗を繰り返して、私は卵
焼きを作り続けた。そして、お昼を過ぎて空が赤く染まり始めたころだった。
「……うん。私より美味しくできたわね、かがみちゃん」
 私の卵焼きにかなたさんが太鼓判を押してくれたのは。
「ほっ、本当ですか?」
「ええ、本当よ。よく頑張ったわね」
 かなたさんはそう言うと、不意に私を抱きしめた。
「あっ、あの、かなたさん……」
「ごめんなさい、少しだけこのままでいさせて……」
 かなたさんの声は震えていた。
「ありがとう、かがみちゃん。私ね、夢だったの。娘と一緒に料理を作るのが。……こな
たが赤ん坊のうちに私は死んでしまったから……叶うはずのない夢だったのに……かがみ
ちゃんが叶えてくれた……。ありがとう……本当に……」
「かなたさん……」
 かなたさんは泣いていた。……でも何故だろう? お母さんの顔にダブってかなたさん
の姿が見えるのは……。
「……ありがとう、かがみちゃん。それと、ごめんなさい。そろそろ限界みたい……」
「えっ、限界って……待って、かなたさん!」
 かなたさんの言っている意味を理解して、私は叫んだ。
 どうしてかは知らないけれど、かなたさんは消えてしまいそうになっている。
「待って、待ってください、かなたさん! 私、私、かなたさんに言っておかなくちゃい
けないことがあるんです! ごめんなさい、私はこなたを……」
 私はこなたを愛してしまっている。同性愛というタブーを犯している。そのことを私は
かなたさんに話しておきたかった。かなたさんの大切な娘を異端な道に進ませてしまった
ことを謝りたかった。けれどかなたさんは私の唇に手を当てた。
「かがみちゃんと一緒にいるこなたは、毎日とても幸せそうね。私はそれがとても嬉しい
の。かがみちゃん、これからもこなたのことをお願いね……」
 ……かなたさんは知っていたんだ。私とこなたの関係を。その上で許してくれた。私と
こなたがこれからも一緒にあることを。
「かがみちゃん……本当に…ありがとう……」
「かなたさん……。嫌だ! 待って、待って!」
 悲しくなるくらい優しい笑顔のまま、かなたさんは消えてしまった。
 ……分かってしまった。もうかなたさんはどこにもいないんだって……。
「……んっ……、あれ、かがみ……。かなたさんは?……」
 お母さんが目を覚ました。……この喋り方はやっぱりお母さんだ。かなたさんじゃない。
「……お母さん……かなたさんが……かなたさんが……」
「……そう。帰ってしまったのね……」
 お母さんの言葉に我慢ができなくなった私は、大声で泣き叫んだ。
「こっ、こんな……こん…な……別れ方……酷…いよ……。かなた…さ…ん、かな……た
さ……ん……わぁぁぁっ!」
「……うん。酷いわよね……。……ごめんね、かがみ……」
 泣き続ける私を抱きしめたまま、何故かお母さんは私に謝った。

★ ☆ ★ ☆ ★ 

 夕食を食べる気にもなれなくて、私は自分の部屋のベッドで横になっていた。
「……かなたさん……」
 かなたさんが消えてしまったあの後、お母さんは私にすべてを話してくれた。
 名前は教えてくれなかったらしいけど、かなたさんはうちの神社に祀られている神様の
一人が力を貸してくれたおかげで私たちの前に姿を現すことができたのらしい。お母さん
の体を動かして料理を作ったりできたのもそのおかげだったみたいだ。……けれど神様が
与えてくれた力は二日と持たないものだった。
 もちろんかなたさんはそのことを知っていた。そして、うちのお母さんとお父さんにも
そのことを告げていた。「2日にも満たない時間ですが、どうか娘さんに私の料理を教えさ
せてください」と頼んだそうだ。
 けれどかなたさんは、私にはそのことを決して話さないで欲しいと二人に口止めしてい
たらしい。
 ……私は何度も同じところで失敗をして、その度にかなたさんに尋ねた。何度も何度も
お手本を見せてくれるようにせがんだりもした。
 貴重な時間が失われていくのに、かなたさんは嫌な顔ひとつせずに優しい笑顔で教えて
くれた。何度も分かりやすくお手本を見せてくれた。さぞ焦っていただろうに、そんなそ
ぶりはまったく見せずに優しく笑っていてくれた。
 そういえば、昨日の夕食前からかなたさんの姿が見えなかった。きっとあれは、少しで
も長くここにいられるようにと力を温存していたのだろう……。
『失敗してもいいの。何度でもやり直せるのだから。しっかり作らないとって肩に力を入
れなくていいのよ。ただ喜んで欲しいって思いを込めて作って』
 不意にかなたさんの言葉が思い出された。
 そして私は、その言葉こそがかなたさんが私に伝えたかったことなのだと今更ながらに
気づかされた。
 だからこそかなたさんは、わずかな時しか一緒にいられないことを私には教えたくなか
ったんだ。私を焦らせたくなかったんだ。
 ただ相手のことを思って、喜んでほしいって思って、何度も何度も失敗をして少しずつ
上手くなっていけばいい。私は生きているのだから。これからもこなたと一緒に生きてい
くのだから。何度でもやり直しはきくのだから……。
 かなたさんはそう教えてくれていたんだ。最初で最後の機会と言っていた貴重な時間の
全てを使って……。
『かがみちゃんが私の料理を覚えても、それが私の料理だということをこなたには教えな
いで下さい』
 かなたさんはそうも言っていた。あんなに私のために、そしてこなたのために頑張って
くれたのに、そのことはこなたには言わないでほしいって……。
「……おかしいよ。……そんなのおかしいよ……」
 どれだけの思いをかなたさんはあの料理に込めていたのだろう。自分では伝えられない
こなたへの思いを込めていたのだろう。そんなかなたさんの思いをこなたに伝えてはいけ
ないなんておかしい。絶対に間違っている!
 私は心を決めて体を起こした。そしてそのまま台所に向かう。
 台所にいたのは、食器を洗っているお母さん一人だった。
「かがみ……」
 お母さんは心配そうに私の名前を呼んだ。
「お母さん、お願い、力を貸して!」
「なっ、何、突然? 力を貸して欲しいって、どういうこと?」
 私の突然の言葉にお母さんは慌てる。けれど私はかまうことなく言葉を続けた。
「お願い、どうしてもお母さんの力が必要なの!」
 私は気持ちばかりが急いて何をして欲しいのか言うことも忘れてしまっていた。
 けれどお母さんは困ったような笑顔で、
「分かったわ、かがみ。私は何をすればいいのかしら?」
 そう言ってくれた。

★ ☆ ★ ☆ ★ 

「もう少しゆっくりしていってもいいんじゃないかい? 料理を作ってばかりで、全然休
めなかったようだし」
 夫は心底娘が帰ってしまうことを寂しがる。もちろん、私だって寂しくないわけはない。
けれど、かがみにはやらなければいけないことがある。そのために昨日もあんなに頑張っ
たんだから。
「ごめんなさい、お父さん。でもまたすぐに帰ってくるから」
 かがみはそう言って笑った。
「それじゃあ、そろそろお願い、お父さん。どうしてもお昼過ぎまでには帰りたいから」
「うん。わかったよ……」
 夫は観念したように車に乗り込んでエンジンをかけた。
「ごめんね、かがみ。お母さんは少し用事があるから、ここでお別れするわ」
「うん。ありがとう、お母さん。無理をさせてごめんね。ゆっくり休んで」
 私は申し訳なさそうな顔の娘の額をコツンと突いた。
「人を年寄り扱いしないの。休むも何も、あんなに散らかった台所の掃除をするのは私し
かいないでしょう? 人の心配より自分の心配をしなさい。……頑張ってね、かがみ」
 私の言葉に、かがみは「うん」と力強く頷いた。その顔が少しだけ大人びて見えたのは
私の目の錯覚ではないと思う。
「それじゃあ、またね、お母さん。夏休みには帰ってくるから」
「ええ。楽しみにしているわ」
 かがみは車に乗り込んだ。そして小さく手を振った。私もそれに合わせて手を振る。
「それじゃあ、送ってくるよ」
「ええ、お願いします。気をつけてくださいね」
 夫にそう声をかけて、私は二人を見送った。そして二人を乗せた車が完全に見えなくな
ったのを確認してから、
「見送りに来てくれたんですね。ありがとうございます、かなたさん」
 そう声をかけた。
「……みきさん、私の姿が見えるんですか?」
 返事はすぐに返ってきた。
「いいえ、生憎と姿は見えません。ですが、なんとなくここにいることは分かるんです。
もしかすると、かなたさんに体を貸していたことが原因かもしれませんね」
 神様の力が切れてしまったためだろう。私にももうかなたさんの姿を見ることはできな
い。けれどそこにいてくれることははっきりと分かる。こうして話をすることもできる。
「……すみません、かなたさん。私たちはお節介でしたよね?」
 少しの沈黙の後、私はかなたさんにそう尋ねた。姿が見えなくなった後も、かなたさん
が私たち親子のことを見守ってくれていたことは分かっていたから。
「……いいえ。いくら感謝しても、感謝を仕切れません。みきさん、本当にありがとうご
ざいます……」
 かなたさんの声は震えていた。
「私はたいしたことはしていませんよ。私は娘の手伝いをしただけですから」
 本当に私はかがみの手伝いをしただけ。全てはかがみが考えたことだ。
「とても優しい子ですね、かがみちゃんは……」
「ええ。私の自慢の娘です」
 私の言葉に「そうですね」とかなたさんは同意する。きっと微笑んでいたと思う。
「さて、私はそろそろ帰ります。……ご迷惑をおかけしました」
「いいえ、楽しかったですよ。……お盆にはまたこっちに来るんですよね? その時には
必ず我が家にも寄ってください。そして、今度は私にも料理を教えてください。かなたさ
んの料理の味をなくしてしまうのはもったいないですから。
 大丈夫、私はかがみよりずっと料理は上手ですよ。今回みたいに誰かの体を動かさなく
ても、覚えてみせますから」
笑顔で言う私とは対照的に、かなたさんの声のトーンは下がる。
「ですが、またご迷惑を……」
「もう! どうしていまさら遠慮なんてするんですか。こなたちゃんの他にもう一人、かな
たさんが料理を食べてもらいたい人がいるでしょう? その人には私が作って届けます。
かなたさんの思いを」
「……みきさん……みきさんたちに…出会えて……私は幸せです……。ありがとう…ござ
い……ます……。」
 そう言葉を残して、かなたさんは今度こそ本当に帰ってしまった。
「こちらこそ、素敵な友人ができて嬉しいですよ。また会いましょうね、かなたさん」
 心からそう思う。かなたさんに出会えてよかったと。
「さあ、かがみ。後はあなた次第よ。頑張ってね……」
 私はそう愛しい娘にエールを送った。





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