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8、力の重さ

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tranquilizer

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8、力の重さ


「あーあ、すっかり遠回りしちゃった」
 篭森珠月は地下を歩いていた。もうだいぶ地上に近いのか、割れた天井からかすかな光が差し込んでいる。
 勇太郎との会見を無事終えた珠月だったが、そのあと帰り道を一本間違え、結果的に盛大な遠回りをすることになってしまっていた。
「私もまだまだ、修行が足りないな」
アンダーヤードで道に迷ってなお地上に戻るには大変なスキルを要するのだが、珠月に自覚はない。ひたすらうっかり道を見逃した自分に腹を立てている。だが、その足がふと止まった。

「――――何か用なの?」

 動揺するように暗闇が動く。やや間があって、男の声が返ってきた。
「ふん、わざと行きと違う道を歩いたり、動きやすい場所に移動したり、相変わらず用心深いな、篭森珠月」
「……………………」
 どちらも完全な言いがかりだった。
 だが、ここで自分の失敗を披露する気など、さらさらない。珠月は顔色ひとつ変えずに大嘘を吐いた。
「誰かさんがこそこそ周囲をうろついているからね。気をつけないと」
「余裕だな」
 周囲を人が取り囲む気配がする。二十人はいるだろうか。
 珠月はそっとトランクを足もとにおいた。日傘もその横の地面に突き刺す。
「で、誰なのかな? 狙われる心当たりが多すぎて、貴方達がどこのものなのか分からないんだ」
「ならば、分からないままでいればいい」
 珠月は目を細めた。暗闇を見透かすかのように、目を凝らす。
「例のドーピングさんかな?」
「…………ナイトメアから情報を得たか」
「さて、どこからの情報だろうね」
 珠月を取り囲んでいるのは、学園の生徒たちだ。それだけで、肉親や知人絡みで送られてきた刺客や商売敵の線は薄くなる。前者なら学外のプロが来るだろうし、後者ならもっとスマートな方法をとるからだ。となると、現在関わっているトラブルからして、答えは一つだ。
 もちろんそんなことは教えてやる気はないが。
「私を殺しに来たの?」
 珠月は笑った。
「―――身の程知らずにもほどがある」
 凄まじい笑みと声に、周囲の温度が一気に下がったような錯覚を覚える。だが、相手は退こうとはしない。
「ミスティックの弱点を知っているか?」
「? 能力を使うために条件やリスクを伴うこと、でしょ?」
 誰でも知っていることだ。当たり前すぎることを聞かれ、首をかしげながらも珠月は返す。その間に、さりげなく足もとの鞄を蹴って倒した。衝撃でふたが少し空いた。
「違うな。能力に頼り過ぎている点だ」
 珠月は眉をひそめた。そして、気づく。
 能力を発動したはずなのに、足元の鞄――正確にはそこに入っている白い人骨――に変化がない。
  珠月の能力【アンパラレルドアドベンチャー(無類の冒険)】は、完結にいえば自分の意識の一部を人間以外の物体に移送して、自在に操る能力である。分子レベル以上の形を持つものならば人間以外は自在に操れ、対象と感覚を共有することもできる。しかし今、普段ならたやすくできるはずのそれができない。
「…………ミスティックキャンセラー?」
 ミスティックはいわば現代の『魔術師』であり、エーテル(マナ)と呼ばれる魔力を使って様々な異能を発揮する。それを抑えこむには、周囲か本人のマナを根こそぎ奪うか、能力の発動そのものを抑えるしかない。そのためには、周囲のエーテルを奪い去る機材や能力、あるいはミスティックを打ち消すミスティック能力が必要だ。
 だが、周囲を見ても誰がこれをしているのかは分からない。
「いや、あんなに高価な機材、用意できるわけがない。じゃあ、ミスティックを打ち消すミスティック? そんなものが校内に、【ガストロノームライフ(美食家人生)】と【フラグブレイカー(伏線破壊)】以外にいたのか」
 有名なアンチミスティック能力者を挙げて、珠月は舌打ちした。
ミスティックやサイキッカーの能力を打ち消す能力者というのは、力の強弱以前に存在自体が珍しい。珠月レベルの能力者を抑えられる能力なら、必ずアンテナに掛かってくるはずだ。だが、心当たりがない。
少し考えて、珠月はすぐに結論に達した。
「……ああ、そうか。そういえば、あの薬は肉体の枷を全部取っ払うんだったね。生命そのものを削っているなら、ありえるか」
 命の危険を考えずに異能を使っているとすれば、普段ならアンテナに引っかかってこないレベルの異能者でもランカーに対抗する能力を発揮する可能性はある。
「そんなことしてただですむわけないのに。馬鹿すぎる」
 珠月はため息をついた。それを侮りと見たのか、相手の態度が変わる。
「―――お前たちはいつもそうだ」
 押し殺したような声がした。押し殺しすぎて、それが男のものなのか女のものなのか分からない。
「お前たちランカーはいつも、俺達を見下している」
「ちょっと才能があるから、家柄がいいから、金があるから、そう言ってバカにする」
「たまたま才能に恵まれていただけのくせに!」」
「親兄弟の名声で仕事を取っているくせに!!」
 珠月は返事をしない。
 あながちそれは完全な間違いではない。強者は弱者を見下ろすものだし、黄道十二協会や九つの組織の関係者は、それだけで知名度が上がりやすい。両親が九つの組織の一つ、十干蒐の出身である珠月も例外ではない。
 人間は平等ではない。生徒の間であっても平等はない。企業が支配するこの世界ではなおのこと。それを妬むのは、時間と労力の無駄だ。
「――――批難というのは、相手より一つでも優位な何かがあるいはそれを正当化する根拠があってはじめて意味がある。そうでないただの嫉妬は醜いよ」
 激高した数人が殴りかかってきた。能力を封じられた珠月にそれを避けるすべはない――ように思われた。しかし、
「がっ!?」
 珠月は上体をかがめてこぶしを避けた。そして相手の腕とクロスするように突き出した手で、強烈なアッパーを食らわせる。そのまま、振り向きざまに次のナイフを持った男の手首をつかみ、そのまま背負い投げではじめの男に向かって放り投げた。
 その間、数秒。
 二人の男が地に沈む。
「はい、次の方どうぞ」
 空気が凍りつく。
「なに遠慮してるの? さあ、どうぞ」
「き、貴様! ミスティックのくせに!!」
「ミスティッククラス単独履修者だからって、素手での戦闘が苦手とは限らないでしょ?」
 やれやれと珠月は首を振った。
「私たちにとって、負けることは即死ぬことだ。ただの一度の敗北も、失敗も許されない。だからこそ、死ぬ気で努力する」
 返事はない。それでも珠月は続ける。
「私が恵まれた環境で育ったのは認めるよ。姫宮の双子みたいに、あからさまに優遇されてはいなくても、上位者の中にはある種の後ろだてを持つ人が多いのも認める。でも、私たちはそれに対する有名税を常に払っている。さっちゃんや二重や夜の立場になってみるといい。あなたたち程度では、ほんの数時間だって生き残れないよ」
「それは生まれや育ちが違うからだ!」
「そんなことはない。親が偉大でも子もそうとは限らないもの。それに『不運にも』親兄弟譲りの非凡な才能を受け継いでしまった場合、それを発揮できるようになるまで敵から徹底的に命を狙われることになる。その中で生き残れるのは、それなりの才覚があり、かつ努力を怠らなかったものだ。まれに例外はいるけど、そういう奴はどうせろくにな死に方をしないよ」
 非凡な血族のいる家庭が平凡であるはずはない。
 誰もが口にこそ出さないが、上位ランカーの中には家を追い出されてこの学校に流れ着いた者や、現在進行形で親兄弟と殺し合いをしているものが何人もいる。おそらく、珠月が卒業を迎えるまでに、現在のランカーの何パーセントかはこの世を去るだろう。
 なぜ分からないのか。
別に彼らは、才能がないわけでも弱すぎるわけでも運が悪いわけでも努力が足りないわけでも日頃の行いがわるいわけでもない。ただ、世界がそういう形をしていただけだ。
 珠月はため息をつく。
「私だって昔は弱かった。今って、両親に比べればあまりにも無力。でも、両親のようにはなれないと分かっていても、私は彼らと同じあるいはいずれ追いつくほどのレベルであるふりをしないといけない」
 荒げているわけでもないのに通る声。
見えないなにかに押されたように、数歩敵は後退した。そしてすぐ、そのことを恥じるように下がる前よりも前に出る。だが、珠月はろくにそれを見ていない。
「私が私である限り、私が弱かろうと体調が悪かろうと武装していなかろうと足手まといがいようと気分が乗らなかろうと、敵は決して容赦をしてくれない。なぜなら、私は篭森珠月だからだ」
 珠月は片手をあげた。
 白い肌の下に流れる血脈がかすかに見える。
「この重みは血の重み。加えて、他の上位ランカーたちは、組織の次代を担うものとしての重みや様々な組織のトップとしての重み、仲間の命や財産、ほかにもたくさんのものを背負って立っている」
 もう一度珠月は笑った。今度は挑むように。
「あなたはこの重みに耐えられるの?」
「お前こそ……」
 吐き捨てるように目の前の男が言った。
「お前こそ、弱者とされたものの苦しみが分かるか! 誰にも顧みられず、いないものとして扱われるこの屈辱!」
「天才だ秀才だともてはやして、いざ必要なくなったら切り捨てられる」
「誰にも存在を見てもらえない」
「私を必要としてもらえない!!」
「誰も信じられず、信じて貰えず、食いつぶされるだけの存在!」
「分からないのか?! この悔しさが!!」
「――――何を言ってるの?」
 珠月はことんと首をかしげた。
「そんなの、当たり前のことじゃない。企業も世界も、個人を守るためにあるわけじゃない。使い潰すためにある。それにどこまで耐えられるかが、個人の力量でしょう?」
珠月は足元の日傘を手に取った。お気に入りのそれは、しっくりと手になじむ。
「弱者には弱者の強さがあり、幸福があり、生き方がある。弱者で満足すればよかったんだ。あるいはそれが嫌なら、正当な方法で死ぬ物狂いで這い上がればよかったんだ。あなた方のしていることは、死に花なんかじゃない。ただ単に、自分のわがままのために周囲の土壌を腐らせて、それを見て慌てる人をせせら笑っているだけ」
「弱者は弱者らしく踏みつけられろと? はっ、まるで大昔の封建主義だな」
「違うよ。自分に相応しい立ち位置を知りなさいってこと」
 馬鹿にしてるわけじゃないんだけどなぁ、と珠月はぼやく。
「次元は違ってもみんな、戦っている。恨むのは筋違いだよ。それに私は、上位ランカーだからあなた方の行為を咎めているわけじゃない。薬に頼って廃人が増えれば、まともに頑張っている生徒――たとえば私――に迷惑がかかる。だから、貴方たちの邪魔をする」
「っ、偉そうに!」
「死ね!!」
 振り下ろされた日本刀による斬撃を、珠月は紙一重でかわす。
 刃物の側面を傘ではじき、空いた胴に蹴りを入れる。そのまま相手の肩を踏み台にして、別の相手の首を傘の先で薙ぎ払う。黒いドレスが羽のように広がった。
「くそっ! 怯むな!! 相手は素手の、能力も使えないミスティックだ!!」
「素手? 誰が?」
 ずるりとすその長い服の間から、軍用ナイフが顔をのぞかす。どこに隠し持っていたのか。そのナイフの鍔には細いワイヤーが付いている。ワイヤーの先は珠月の左手にある楕円形の持ち手につながっている。
「がっ!?」
 宙返りをしながら、ワイヤーで作った輪の男の首に引っかける。着地と同時に輪が閉まり、血が噴き出す。
「隠し武器!?」
「相手がゆったりした服を着ていたら、何かを隠していると思うのが定石。やだなぁ、びと先生の白兵戦習ってないの?」
 珠月を取り巻くように、放射線状に敵が展開する。それを見ながら、珠月は微笑んだ。
「さあ、誰から死にたい?」
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