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 戦原緋月の朝は早い。
 出社時間の何時間も前に起きてまずは身支度を整える。次に朝食の支度と弁当の準備をし、日によっては配達を頼んでいる牛乳やその他食品等を家の前の配達ボックスから取り出す。そして、同居人を起こして朝食にする。時間があれば家の前の掃き掃除もする。それから出社。それが彼の主な朝の過ごし方だ。
緋月の住居付近は学園都市の東区、観光推進の一環として古い日本家屋を再現した家々が並ぶ通りにある。高級住宅地、とまではいかないがそこそこの収入があって日本文化に興味がある生徒が数多く住んでいる。雰囲気を存分に楽しむため電線などの各種回線は地中に埋められ、街灯や信号機も雰囲気を崩さないようにレトロなデザインをしている。当然、その空気を読んで――というか読まないとバッシングがひどい――緋月の借りている家も宅配ボックスひとつにいたるまで徹底して和を追及している。
 玄関を開けて、葛篭のような形をしたボックスから牛乳を取り出そうとしたところで、緋月はそれに気付いた。ボックスのよこにダンボールの箱がある。宅配がボックスに入れなかった、あるいは入りきらなかった――ということはありえない。このボックスは宅配業者が持ち込んだもので、かなり大きい。セキュリティのため鍵つきで、その鍵は契約した住人と宅配業者だけが持っている。異物混入を防ぐためだ。宅配業者がいれ忘れるなんて初歩的なミスをするわけがないし、入りきらなかったとすれば必ずその旨を連絡してくるはずだ。
 つまり、これはれっきとした不審物である。そしてその中身を楽観視できるような人生を緋月はおくってきていない。
 爆発物か、化学兵器か。
 真っ先にテロの可能性が頭をよぎる。まずは周囲を見渡す。誰かが監視していて、緋月が近付いた瞬間に爆発させようとしている可能性を考えたのだ。しかし、それなら出てきた瞬間にしているはずだと考え直す。次に衝撃を与えないように気をつけながらゆっくりと箱に歩み寄る。
 段ボールの側面には世界的に流通している食品メーカーのロゴが入っている。学園内外の店で見かけるもので、商品を箱買いするなり、不要になった段ボールを譲ってもらうなりすれば誰でも入手可能だ。すこしよれているのは昨夜あたりから放置されているからだろうか。そして少し隙間を開けるようにうまく折りたたまれたふたの間から、薄ピンクのタオルのようなものが見えている。ガムテープなどで密閉してはいない。それに気づいて緋月は首を傾げた。爆弾にしろ化学薬品にしろ、相手を害する目的ならしっかり蓋をして、そしてそれを開けた瞬間に中身が破裂するのが定番だ。だが、これは蓋をしめる気がまったく感じられない。
 もしや捨て猫か捨て犬だろうか。
 考えて別の意味で嫌な気分になる。春とはいえ、生き物を放置するにはまだまだつらい季節だ。
 その時、ごそりと段ボールが音を立てた。やはり生き物か。ほっとすると同時に嫌な気持ちになる。そして、それでもまだテロの可能性を捨てずに用心深く箱を開けた緋月は――一分後、家に駈け戻って同居人を叩き起こした。
 
 
**
 
 
 篭森珠月の朝は遅い。
 出社にぎりぎり間に合う時間にこの世の終わりのような機嫌で起きてきて、身支度をし朝食をとる。次にだいたい昨晩に作ってある弁当のおかずを詰めて、それから同居人兼し使用人に今日の予定を使える。同居人が留守にするときは、大概他の部下が一時的に泊りにきて、色々と世話を焼く。別に家事ができないわけではないが、それ以上に忙しいのだ。さらに付け加えるなら、寝起きが非常に悪い。
 珠月の住居は学園都市の東区、いわゆる高級住宅街の一角だ。周囲には趣向を凝らした美しい家々が並ぶ。数寄屋作りや書院作りなど日本家屋が多いが、珠月の家のような明治期の洋館風の作りも人気が高い。石畳の道やガス灯を模した街灯なども相まって、立派に一つの観光地となっている。
 よってその朝、電話がかかってきたとき彼女はまだ夢の中だった。しかも間が悪いことにその日、珠月は有給を取って熟睡していた。そのため、その朝の彼女の機嫌はいつもの何倍も悪かった。
 だが、とにかく会社に来いという上司の呼出に嫌がらせのような手の込んだドレスで会社に現れた珠月は目の前の惨状を見て、久しぶりに言葉を失った。
「うーん、やっぱあんたたちのどっちかの子なんじゃねえのか? 本当に心当たりないの?」
「ねえよ……」
「一応、届は調べてるけど該当はないねぇ」
 学園都市トランキライザー――――世界最高峰の教育機関にして、現在進行形で次世代を担う恐るべき子供たちを生み出し続けている魔窟。その中でも中央区に次ぐ高い治安を誇る東区を統括する校内唯一の合法的な殺人組織――警備保障会社ダイナソアオーガン。その最上部にある会議室で、世界に名を轟かせる学園でも最上位の生徒たちが赤ん坊をあやしていた。
「…………」
 珠月は扉を閉じた。そしてまた開いた。幻覚でもなんでもなく、あいかわらず扉の向こうにはカオスとしかいいようのない風景が広がっている。
 唯一興味なさそうに振る舞っているのが、会長の狗刀宿彌。珠月を呼びだした上司である。戦闘能力なら学園随一と言われるが、強すぎて本気を出したところはまず見られない。そして感情が麻痺しているためいろいろとずれている。
 赤ん坊を抱き上げてはしゃいでいるのは部下の大豆生田桜夜楽。その隣で興味深そうに赤ん坊を見守っているのは副社長の万里小路翔。その隣で困った顔をしているのが珠月直属の部下の戦原緋月と星谷遠だ。
「…………なにこれ。その子、護衛対象?」
 思いがけないアットホームな空気に若干押されつつ、そろそろと珠月は室内に足を踏み入れた。一斉に全員が首を横にふる。
「朝ね、緋月と遠ん家の前においてあったんだって。ダンボールに毛布とタオルとカイロいっぱいいれて。あと『この子をお願いします』って手紙ついていたって」
 珠月は二人の部下に視線をむけた。その状況下からまず考えられることは――――
「で、どっちの子ども?」
「「身に覚えがない」」
 見事に二人同時に返答が返ってくる。
「そもそも、子供を玄関先に放置するような性格の女性と交友関係を持った記憶がない」
「ガキ作った記憶なんてねえよ」
 うろんな視線が返される。
「男はみんなそういうよね……」
「ないものはない」「俺ってそんな信用ないのか?」
「遠は変なおねえさんについて行ったりとかしてない?」
「珠月様、それはさすがに失礼だ」
 犬猫か子どものようないい方に、緋月はやんわりと釘をさす。冗談よ、と珠月は肩をすくめてみせた。
「直接作った記憶なくても、遺伝子情報提供とかした記憶は?」
 さらりと聞きづらいことを聞く。遠は速攻で首を横にふった。緋月は考え込む。
「……少なくとも、記憶にはない」
「そうねぇ。以前の組織所属時代もそういうのはないはずだって緋月を引き抜くときに確認済のはずだしね」
 緋月は、元暗殺者だ。珠月の暗殺に失敗した後、彼女の気まぐれで寝がえりを許されて、その時金銭的な取引にてもとの所属から合法的に引きとられている。だがそれを知っている人間は少ない。そのため、珠月はわざと婉曲ないい方をした。ちなみにその元所属していた組織は別件で壊滅している。
「本人が知らないうちの遺伝情報採取はできないこともないけど……ねぇ?」
「そこまでしてこいつらの子どもなんて欲しいですかね?」
 さらりと桜夜楽がひどいことを言う。だが、珠月もそれには苦笑するしかなかった。
緋月も遠もそれなりに優れた人間だ。だが、良い血統の出身ではない。しかも優れているのは主に後天的に身につけた身体能力や判断力。かならずしも遺伝するような能力ではない。それなら優れた頭脳をもつ優れた家の人間のほうがよほど良い子どもが生まれる確率は高いだろう。そして、そういう人間なら学園には他にごろごろいる。思慕によって子を欲したならその限りではないが、だとすると子供だけ置き去りにする意味が分からない。
「兄弟とか従兄弟とか親せきが預けに来た可能性は?」
 本人の血縁者ではないとなると、近しい血縁者の遺児で何らかの理由で育てられなくなって押し付けられたという可能性もある。
「緋月は天涯孤独だからないとして、遠。あんたの家族は?」
「んー、確か兄貴と親父が生きてるはず」
 あいまいな返答が返ってきた。この学園の生徒としては珍しい反応ではないが、それでは困る。
「連絡取れないの?」
「最後にあったの入学前だぜ? 無理言うなって」
「連絡取ろうと思わないの?」
「二人とも『未知の大地が俺を呼んでいるぜ』とかいう言葉を最後に行方不明だし、なんか世界のどっかで冒険でもしてるんじゃねえの?」
「大雑把ねぇ……その二人の職業は?」
「旅人」
 旅人は決して職業ではない。だが、珠月はそのあたりでつっこむのをやめることにした。代わりに宿彌の方を向く。
「調査はしてるの?」
「今、DNA鑑定を四十物谷にお願いしてるよ。検査キットが丁度なかったらしいから、結果は午後に届く。一応、東区の防犯カメラの解析も急がせてはいるよ。後は学園内で昨日今日に失踪届けの出ている乳幼児がいないことは確認した。一応、最近学園都市に出入りした外部の人間もリストアップさせている。その子が学園都市の住人なのか外から連れてこられたのかもはっきりしないからね」
 さらさらと宿彌は答える。さすがに現在の東区の支配者であるだけはあって、必要なところはすでに押さえられている。珠月の出る幕はない。
「そ」
 端的に返事をすると、珠月は赤ん坊に視線をむけた。経験上、自分が子どもに好かれる存在でないことは分かっているので手は出さずに眺める。
「一歳くらいかな? 言葉は話すの?」
「あーとかだーとは意味のない音は出すが、ちゃんとした言葉は喋らないな。ハイハイはする。はやいぞ」
 緋月が答えた。そこで珠月は根本的な問題に気づく。
「ん、ちょっと待て。それで結局のところ、なんで会社に赤ん坊がいて業務中なのにみんなは子供の面倒を見ていて、それでもって私が呼び出されたの?」
 すでに最低限の手は打たれている。珠月のすべきことなど思いつかない。
「これは東区の行政の仕事とみなすよ」
 宿彌が視線は手に持ったタブレットにむけたまま答えた。珠月は顔をしかめる。
「でも、行政的には迷子あるいは拾得物扱いになるでしょ? 学園に届け出して、しかるべき回収をしてもらば二時間もあれば片がつく」
「届け出は出したよ。身柄は拾い主預かりで」
 淡々と宿彌は返事をする。珠月は勢いよく緋月と遠をふりかえった。
「…………」
「可哀想じゃないか」
「社長、赤ん坊捨ててこいっていうのか?」
「……いや、だってすぐに親見つかると思うよ。十中八九、学園の生徒だから」
 言い切った珠月に部屋中の視線が集まる。珠月は咳払いすると説明を始めた。
「まずこれだよね? 入れられてた奴は」
 食品メーカーのダンボールを指差して珠月は言った。
「このダンボール自体は学園外でも学園内でも手に入るけど、学園内は学園オリジナルブランドのシェアが大きいから、まあ外に比べると見慣れないよね。けれど、こっち。赤ん坊を包んであった毛布。これは学園内ではどこでも売ってる商品だよね。でも実は、学園の研究機関が発明した合成繊維で、学園外での発売は来月からなの。でもこの毛布は大分使いこまれてるよね? それからこの哺乳瓶とかの一式。これも外の大手メーカーの商品だけど、ほとんど使われた形跡がないでしょ? ここのは安くて手軽なことで定評があるけど、学園内ならもっと安価で安全なものが手に入るから普通ならそちらを使うはず。多分、捨てる時に身元を特定されないようにわざわざ学園外でも手に入るものに買い替えたんだ。つまり、犯人は学園外から持ち込まれたように見せかけたい学園内の人間だね」
 静まり返った室内に、珠月は小首を傾げた。
「どうしたの?」
「なんか……怖いです」
 全員の心中を代表して、桜夜楽がぼそりと呟いた。口調が完全に犯罪プロファイリングだ。親を捕獲する気満々である。
「失礼だな」
「いや……いいですけど、続けてください」
「次になぜ緋月なのかっていう問題がある。可能性が高いのが初めに上げた、『この子と緋月もしくは遠に血縁関係がある』っていうのだけど……こればかりは検査結果まちだね。そして逆に血縁関係がなかった場合、なぜ二人の家の前に捨てたのかというのが問題になる。もちろん、偶然という可能性は除外して考えるよ」
 静かになった室内に赤ん坊の声だけが響く。宿彌は聞いているのかいないのか、タブレットから視線を外さない。
「緋月の家はね、学園内でもっとも養育場所として適切な環境の一つなんだよ。おそらく、犯人はそれを知ることができる程度には学園事情に精通している人間、つまりは生徒でそれもかなり学園在住歴が長いと言うことになる。年齢を考慮しても本科生と考えるのが妥当だろうね。学生結婚は珍しくないし」
「ちょっと待ってくれ」
 黙っていた緋月が口を開いた。何?と可愛らしく珠月は小首を傾げる。
「俺の家庭環境が子育てに適しているとは思えない」
「なぜ?」
 人の悪い笑みを浮かべて、珠月は無邪気に尋ねる。緋月は渋い顔をした。
「まず一つ。緋月と遠ともに流されやすく、基本的に人がいい。赤ん坊が放置されているのを発見した場合、そのまま放置したり施設におくったりすることはまずない。親が見つからなければ自分で育てるか、最悪人に預ける可能性が高い。二つ、二人とも成績上位者で素行も少なくとも表向きは悪くない。経済状態は安定していて、子どもに虐待を加える可能性は低い。幼女趣味とも考えにくい。三つ、どちらも組織に所属しているが完全に身動きが取れないような要職ではなく、また出自も名家や旧家の家ではないため、引き取られたとしても後継や財産問題に巻き込まれる可能性が低い。四つ、高等教育を受けている人間だから、引きとった子供にも十分な教育を施すことが期待できる。五つ、緋月の後見は私だ。子どもの成人前に万一のことが緋月にあった場合でも、バックアップが期待できる。ざっと考えるだけでこれだけのメリットがあるんだよ」
「それなら、多くのトップランカーは同じでは?」
 緋月の言葉に珠月は首を横にふる。
「見捨てるか商品にする可能性が高いアンダーグランド関係者は論外として、良い血統や複雑な組織関係のある人間をのぞき、さらに本人がまともでも冷泉みたいに周囲に危険人物がうろついていて子育てには適さない人もいる。学園に滅多に戻らない人物も駄目だし、大物すぎても妙な確執に巻き込まれやすい。孤児を支援している組織もあるけど、そういう場所で育つとどうしても所属がそこになるから将来の進路が限定される。捨てる子供に最高の環境をあげたいと思うなら、選択肢はかなり限られるよ。緋月たち以外だと、似たような条件満たせるのはあと三人四人ってとこかな」
「確かに実際、こうして何の変哲もない赤ん坊に世界レベルの人間が雁首つき合わせているものねぇ」
 ぼそりと翔が呟く。確かに写真に抑えめれば高値がつきそうな一場面だ。
「しかし、篭の予測が当たっていたとしたらしたたかな親だね」
 興味なさそうに宿彌は口を開いた。珠月は鼻を鳴らして近くの机に腰掛ける。
「まあ、一応子供の生存と幸福な一生をあきらかに望んでいる点だけは評価してやってもいいね。見つかってもすぐには始末せず、言い訳くらいは聞いてやる」
「やめなよ、かごも」
 不吉な言葉にすかさず宿彌が釘をさす。殺人免許を所持しているとはいえ、プライベートでの殺人は問題行為だ。
「あら、冗談よ」
「ならいいけど」
「会長、騙されてはいけません。社長は六割がた本気です」
 ぼそりと桜夜楽がツッコミをいれる。珠月は笑顔のまま、彼女の足を軽く蹴った。そして赤ん坊のほうに身を乗り出す。
「で、この子医者には見せたの?」
「健康状態は問題ないようです。遺伝子状態の検査は別途依頼中です、社長」
「ふうん。あ、女の子か。名前は?」
「書いてはあったんですが」
 どこにでもある印刷用紙に黒いインクでプリントされた文字は『寿』。複数の読み方のある漢字だ。
「日系か」
「この学校、日系多いですからね。大本のライザ―インダストリーは日系企業ですし」
 桜夜楽は肩をすくめた。
「とりあえず、『ことぶき』ではないかという結論に達したところなんですが」
「いや、この場合『かず』『とし』『すず』あたりじゃない?」
「『じゅ』でないことは確実なんですけど」
「もし『じゅ』だったら、私は親をぶん殴るよ。そして改名させるよ」
 今の時代、改名も改姓も簡単な手続きで可能だ。今ここにいる面子とて、生まれた時にもらった名前でないものもいる。
「そもそもこれは本当にこの子の名前なのかすら分かんないじゃん」
「でもあえての人名、そして女の子の名前だとするならことぶきですよ」
 ぎゃあぎゃあと騒ぐ上司たちを緋月は少し離れて見つめた。隣でタブレットを弄っていた宿彌が顔をあげる。
「緋月、怖い顔してるよ」
「いえ、ちょっと考え事を。さきほど珠月様が言ったことについてですが、犯人がそこまで考えていたと仮定して……その犯人は学園内の事情には詳しくともおそらく直接ランカーとかかわる機会が皆無のローランカーなんじゃないかと思って」
「へえ、どうして?」
「見てください」
 ちらりと緋月は赤ん坊を囲んで騒ぐ上司たちに視線をむけた。
「いやぁ、やっぱ小さい子っていうのは天使ですね。社長」
「どうせすぐに大きくなるよ。私は可愛いふりをした可愛げのない幼女時代を過ごしたからね。すぐにでかくなって、ませた口調でおとなを馬鹿にするようになるのが子どもだ」
「なんてひねくれた考え方……でも確かに今時の子供はサンタも妖精さんも信じてくれませんもんね。なんだかつまらないです」
「いや、社長の権力と財力を駆使して本気で騙せばあるいはサンタくらいなら……」
「サイキッカーとミスティックを動員すれば、トナカイの引くソリで空を飛ぶくらい短時間なら演出可能かもしれませんね」
「ああ、そうやって幼年期に騙しておくのは楽しそうだね。煙突からの登場が一苦労だけど」
 嫌な会話が聞こえる。
「………………あれを見てください。この都市最高峰の権力と財力を使って子供を騙す方法を悪意なく真剣に考えるような、どんな子供よりも子供じみた人間ばかりがいる場所に俺だったら自分の子供を預けたくありません。だからきっと実態をしらないのだろうと」
「そのうちのひとりは、君のマスターだけどね」
 ぼそりと宿彌は答えた。緋月は首を横にふる。
「見下しているのではなく、冷静な感想を述べているだ。それにどんな人格だろうと珠月様は珠月様。俺が仕えるべき唯一だ」
「君の思考回路もちょっと一般的じゃないよねぇ」
 表情を変えないまま、宿彌は肩をすくめてみせた。そして微笑ましいものでも見るようなどこか遠巻きな視線を投げかける。
「ま、いいか。悪意があるわけではないと思うよ。彼女たちも」
「悪意がないから手に負えないという考え方もあると思いますが」
「いいじゃないか。自分と何の関係もない他人の赤ん坊が珍しいんだよ。身内だと後継問題が絡んでくるからそう気軽には可愛がれないしね」
「はあ……」
 赤ん坊を囲んでああでもないこうでもないと話し合っている上司たちの姿は確かに微笑ましいといえなくもない。
「しかし、そろそろ仕事に戻っていただかなくては」
「だね。緋月ん。子どもは責任とって君がきちんと面倒見るように。こっちも一応、目撃証言とか探してみるから。篭が」
「珠月様がですか?」
「みつきちはそういうの強いよ。炙り出すの」
 なぜだろう。少しもほめられているような気がしない。
 そのとき、また会議室の扉が開いて、事務員のひとりがひょっこりと顔をのぞかせた。
「すみません。あの、ブラックシープ商会が来てるんですけど」
「あ、俺だ」
 緋月が手をあげると、ほっとした顔で事務員は引っ込んだ。代わりに大きなダンボールを抱えた青年が入ってくる。慎重にそれを床において、彼は顔を上げた。意外な顔に全員が目を瞬かせた。
「どうも。ご注文のベイビー用品一式届けに上がりました」
「なんでお前が来るんだ? 迷」
「戒かハールーンがくると思った」
「あいにくと、戒が手を離せなかったので、私が様子を見てくるよう仰せ使いましたよ」
 慇懃無礼に頭を下げて、ブラックシープ商会小売担当の古屋敷迷は頭を下げた。
「あと、弓納持対策です。変な噂流さないように」
「ああ、お前はアレの天敵だからな」
 腐女子のブラックシープ商会広報担当の顔が全員の脳裏をよぎった。
「あれ、緋月。でも諸々の赤ちゃん用品は捨ててあった時に一緒に入ってたんでしょ?」
「出所が分からないものを身近においておくのはちょっと」
 緋月は肩をすくめた。それもそうだねと珠月は同意する。
「危機管理できてますねぇ。流石は戦闘要員。お支払いは?」
「カードの一括で。で、お前んとこではどういう噂になってるんだ?」
 迷は肩をすくめた。ブラックシープ商会は校内最大の総合製造小売業だ。戦闘力は低く、稼ぎも荒稼ぎをしているようなリンクには遠く及ばない。しかし、その人数と生活に密着した企業であるという点で大きな影響力を持っている。
「いや、別に。緋月に隠し子がいたということで定着してますけど」
「大いに間違ってるじゃないか」
「知りませんよ。緋月、プロフィールほとんど後悔しないからみんな想像が膨らむんです。それで、本当はどこの子なんですか?」
 桜夜楽に抱きかかえられている赤ん坊に目をむけて、迷は小首を傾げてみせた。緋月は首を横にふる。
「分からん。捨て子だ」
「親捜し難航しそうなら、うちのオンラインニュースに載せる準備はできていると社長が言っていました。ダイナソアオーガンにはいつも贔屓にしていただいていますから、なにかありましたら何なりと御用命を」
 さりげなく東区最大の権力組織に自社を売り込むことは忘れない。抜け目なさに緋月は苦笑する。
「ああ、頼む。この子も親が分からないでは不幸だろう」
「そうですかね? 親がいずとも十分な経済状態で最低限の世話がなされていれば子どもなんて育ちますよ。平気へいき」
 さらりと迷は言い捨てた。緋月は嫌そうな顔をする。
「未来ある子どもには真っ直ぐに育ってほしいものだが」
「歪みが個性を形作るんですよ。できちゃいけない歪みもあることはありますけどね。では、毎度あり。とりあえずこっちにはすぐに必要そうな消耗品の一部とだっこ紐だけもってきました。ベビーベッドとかは家の方に帰宅時間頃に配送しますね」
「ああ、気が利くな。助かる」
「貴方の暮らしに日々小さな幸せを。ブラックシープ商会を今後もご贔屓に」
 にっこりと迷は笑った。つられて何人かが笑う。
「あざといな」
 そういいながらも珠月は苦笑いに近い笑みを浮かべている。宿彌は相変わらずだ。
「じゃ、全員そろそろ仕事戻って。その子は……桜夜楽あたりが見とけばいいんじゃないかな」
「非番の珠月様では駄目なのか?」「お断りだよ」
 宿彌が答えるより先に珠月が返事をした。
「子どもなんて、理論が通用しないし、叫ぶし、うるさいし、泣けばいいと思ってさ」
「……社長って子ども嫌いだっけ?」
 小声で遠は桜夜楽に話しかけた。桜夜楽は首を傾げる。
「嫌い……ではないと思うけど、以前、三歳時相手に理詰めで喋ってるのは見たことある。子どもに対して子どもらしい対応をしてるのは見たことがない」
「ああ、社長ってそうは見えないけど理論で考えるタイプだもんな。そりゃあ、子ども苦手だ」
「遠、何が言いたい?」
 その時、おとなしく眠っていた赤ん坊が目を開けた。そして、目の前の桜夜楽の顔を見て大きく目を見開き――――泣き出した。桜夜楽はうろたえる。
「えーと、どうしよう泣きやまない」
「まったく……これだからガキは泣けばいいと思って」
 手を伸ばすと、珠月は桜夜楽から赤ん坊を取り上げた。
「その通りだよ。まったく」
 そして緋月に押し付ける。赤ん坊はぴたりと泣きやんだ。
「…………」
「えーと…………」
 微妙な空気が漂う。珠月はびしっと緋月を指差した。
「こいつは大概のことはできる。昔は目下の世話もしてたんだから、子どもは慣れてるでしょ? 面倒見なさい」
「一応は。子どもの精神衛生上いいかはともかくとして」
「私が面倒みるよりよっぽどいいよ」
 珠月は投げやり気味に答えた。緋月はあからさまに困った顔をする。
「参ったな。託児所もすぐには手続きできないし……珠月様、拾い癖のある貴方なら子どもの一人二人拾ったことがあるのでは?」
「六歳以上の自我がそれなりに確立してる相手しか拾ったことないから、赤ん坊なんて分からないよ! 拾いものは基本的に金だけ出してお友達任せだし」
「社長、最低だな」
「黙れ。私に育てられるほうが最低だろうがっ! 主に命の危機的な意味で」
「社長が結婚した時が心配だよ、俺」
「遠。余計なことを言うな。そういうのはそうなった時に考えればいい話だ」
 微妙にずれたフォローを緋月は入れる。そこで、あっと迷が変な声を出した。
「そうだ。法華堂から預かりものです。緋月さん」
 そういってバーコードのようなものが印刷されたカードを取り出す。
「ケータイとかPCに読みとらせてください。ネット上から書籍をダウンロードできます。育児雑誌だそうです。『他人の事言えた立場じゃねえが、あの中にまともな家庭環境で育った人間がいるとは思えない。どうせ気づいた銃持って戦ってたとか、気づいたら死ぬほど英才教育受けてて親は不在とかばっかだろう。経験が役立たずなんだから、マニュアルに頼ったほうが吉だ』と」
「気遣いのできる殺人鬼だねぇ」
 さりげなく失礼なことを言われているにも関わらず、珠月はうんうんと頷いた。一応、家庭環境が一般的でない自覚はあるらしい。遠は小首を傾げる。
「あれ? でもこの学校で平凡で幸せな家庭環境の人間ってどれだけいるんだ?」
「あ、弓納持さんとかそうだよ」
 嫌な沈黙が落ちた。桜夜楽の発言に、全員が微妙な顔で黙り込む。
「…………本人の素質って大事だよね」
「ああ、そうだな」
 まともな環境がまともな人間を育てるとは限らない。逆もまた然りである。
「とはいえ、赤ん坊の場合最低限の知識がある人間じゃないと危険なのもまた事実」
「それはそうだ」
「だから、頑張れ、緋月。私には無理だ」
「関わりたくないんだな」
 断りもなく届いたばかりの箱をあけて、珠月はだっこ紐を取り出す。
「本日はディスクワークだから、そのまま仕事。OK?」
「拒否権のない質問は質問じゃない」
 赤ん坊を胸の前に下げた状態で、緋月は呟いた。
 
 

つづく