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住みたい区画


「まずは一献」
「あ、ありがとうございます」
 かすかな音を立てて上質の陶器できた杯が打ちあわされる。
 メインヤード中華料理店《花花(ファンファン)》。ブラックシープ商会傘下の高級中華料理店の本店である。花花の支店はすべてそれぞれの町並みに合わせた華麗な外観と、食器の一つまで手を抜かない豪華な調度品を誇っている。中でも本店の華麗さは類を見ないほどだ。広い敷地内には色とりどりの季節の花が咲き乱れ、人工的な小川が流れている。近未来的なメインヤードの中にあって、ここはまるで神仙が遊ぶ桃源郷のようだ。そこにいくつもの二階から三階建ての建物がいくつの立ち、それぞれが飛橋で繋がれている。そこを楚々としたしぐさ出歩くのは、宋代の衣装を身にまとった店員たちだ。耳を澄ますと庭先で奏でる楽の音が聞こえてくる。時間帯によっては庭や飛橋の上で歌劇が行われることもある。
「いつ来ても、まるで異世界に来たような気分になるねぇ」
「これで高層ビルが見えなかったら完璧なのですが。仕方がありませんね。いくら見苦しくともなくてはならないもの。それに普段はああいう場所にいる私たちが言うことでも御座いません」
「棘があるなぁ」
 花花内部の個室に分かれた部屋の一室に、四十物谷事務所の面々が集まっていた。仕事ではない。年に数回行う事務所仲間での飲み会だ。ただし、今回は揺蘭李とジョフがいない。揺蘭李は先日ちょっとした怪我をしてしまったため飲酒はできないからと辞退したのだ。ジョフのほうは遺伝的にアルコールに弱く、飲み会には滅多に参加しない。
「この包子美味しいですわよ」
「肉ばっかり食べるな」
 内輪の飲み会、しかも盗聴防止がしっかりなされた部屋での飲み会ということで自然と口は軽くなる。盗聴防止に確実はないが、それでもその辺の飲み屋とは比較にならない。
「用事がない限りはあまり来ない店だけど、たまにくるといいね」
 清酒を一息に飲み干して、序列62位【ホーンテッドアックス(怪奇斧男)】四十物谷宗谷(あいものや そうや)はにこりと笑った。すでに結構な量を飲み干しているというのに酔った様子もない。
「何言ってるんですか。所長の収入ならいつだって来られるでしょう? 本店は難しくても支店ならそれなりに」
 花花本店はいつも予約で込み合っており、お金があるから食べられるとは限らない。しかし、宗谷は花花の本体であるブラックシープ商会に顔が利く。その気になればいつでもこられるはずだ。
 序列265位【サンクタム(聖域)】正月聖(まさつき ひじり)は茶目っけをこめて言う。そういう彼もここに飲みに来ることが可能なくらいの収入は得ている。
「いや。流石にこんな場所に一人で来ても仕方ないだろう。記念日とか接待ならともかくとして、日常的にここを利用してるのなんて、それこそエドワードさんとかだろう」
 ブラックシープ商会社長エドワード・ブラックシープは、よく接待のためにこの店を利用している。
「あ、おねえさまがたまに連れてきてくださいますわ。おねえさまもほとんど社交に使ってらっしゃるようですけれど」
 蒸した羊の肉と格闘しながら、序列96位【ナハトイェーガ―(夜の狩人)】朧寺緋葬架(おほろでら ひそか)がぼそりという。ちなみにおねえさまとは緋葬架がしたう序列24位【イノセントカルバニア(純白髑髏)】篭森珠月のことである。
「あー……あの人にとって会食とかお茶会っていうのは、人脈固める手段の一つだからねぇ。僕も仲良くさせてもらってるし、事務所作るときはお世話になったけど……いまだによく分からないよ、あの人は」
「そうなのか? もっとクリアな関係かと思ってたぜ」
 宗谷の独り言に聖が口をはさむ。宗谷は首をすくめた。
「そうでもないよ。個人的には仲良しで融通し合うけど、僕は彼女がどういう所属でなにを目的にしていてなにをしようとしているのかなんて全然知らないし、怖いから知りたくない」
「君子危うきに近付かず。知らないほうが安全なこともありますわ。あら、これ美味しい」
 それまで黙っていた序列210位【シャハラザート(物語を紡ぐ姫君)】ファヒマ・エルサムニーがゆっくりと口を開いた。
「魚の煮つけだね」
「それにしても何で宋代で統一してるんだろ?」
 ちなみに花花支店はそれぞれバラバラの時代の中国をイメージして作られている。ちなみに中華料理は四川、北京など地方によって違うが、花花ではすべての地域の料理を楽しむことができる。メニューも地方ごとに分けて記載してある。
「宋代は民衆が元気な時代だ。政治的には不安定な時期だけど、民衆の間では文化が栄えた。鉄の生成技術が上がって中華料理の源流が出来始めたのもこの時期なんだよ」
「へえ、こういう絵とか壺とかもその時代のやつ?」
 調度品の壺や掛け軸を指差して、聖は尋ねた。
「レプリカですが、文人画ですね」
「ぶんじんが?」
 ファヒマの返事に聖はさらに首をかしげる。
「士大夫が余暇に書いた絵画のことだよ。自然とか風景とかを墨で書いたやつ」
「すみません。学が足りません」
「つまり宮仕えの人が趣味で書いた流行絵。この時代は院体画とか青磁とか白磁とか、すごい芸術品がいっぱいできたんだよ」
 なぜ宗谷がそんなことに詳しいのかは謎だが、調査会社所長として様々な階層や職業の人間と交流のある宗谷だ。知っていてもおかしくはない。
「実物見たいなら、学園所有の美術館とか資料館とかにそういうのあるんじゃないかな?」
「メインヤードは文化と学問の区画ですから、そういう文化的な施設なら山のようにありますわ。夜中まで出歩いても比較的安全ですし」
「確かに。物価とか地価とか考えなけりゃいい場所だよな」
 聖はうなづいた。
 メインヤードは学園おひざ元だけあって、他の区画とは比べ物にならないほど清潔で安全な街だ。だが当然、そこに住めるのはそれなりの金やコネのある人間だけだ。
「でも俺は東のがいいな。メインヤードは清潔すぎて息が詰まる」
「そこまでいうほどのものかな?」
「確かに東は住宅地としてもそこそこ人気は御座いますね」
 東は旧時代の東京の面影をもっとも残した区画である。イメージ的には京都と東京を足して二で割った感じだろうか。中央部には高層ビルが立ち並び清潔なオフィス街が広がっている。そこから外へといくにつれて、ショッピングモールや電気街が現れ、その外は住宅地だ。純和風の建築や明治期の和洋折衷な館が並ぶ姿はちょっとした観光名所にもなっている。現在のところ治安はよく、大きな火種もない。非常に住みやすい区画である。
「でも、有事の際には一番やばそうな区画でも御座いますわ」
 酒をあおって緋葬架は非常に危ういことを言い出した。ぎょっとした顔をする聖をしり目に、のんびりと宗谷もうなづく。
「今のところ、『いざ』って感じのことが起きてないから平気だけど、東区の上層部って団結力ないからねぇ。仲は良いけど幹部がほぼ全員違う組織の所属だから、親元の組織が敵対した場合、同じ組織内で殺し合う羽目になる」
 きわどいことを言って、宗谷はさらに杯をあおった。聖の顔から血の気が引く。
「マジっすか?」
「表向きは所属不明とか無所属に見える人が多いけど、裏ではほぼ全員どこかのバックアップ受けてたり、すでにどこかの企業や組織に売却済だと思うよ。九つの組織がらみとかゾアックソサエティがらみとか色々――ダイナソアオーガンなんて、きっとあの人たちにとっちゃ暇つぶしだよ」
 暇つぶしで世界に名をはせる企業作られちゃたまらない、と調査会社のボスである宗谷はぼやいた。その顔にはかなりやばい情報を開示している緊張感はない。
「まあ、卒業前にそういうことになる可能性は低いと思うけど、万一そうなったら――――東区崩壊かもね。スナッチは利益に敏感だから進んで事態の収拾なんかしないだろうし、ブラックシープ商会は商人グループだから政治能力には欠ける。神風は強力だが差別リンクだから他のリンクからの受けが悪い。受け皿になるものがない」
「……今のうちに引っ越しておこうかな」
 現在のところメインヤードをのぞいてもっとも治安のよい区画が、有事の際にはもっとも危険な区画になる可能性が高いと今気づいたらしい。聖は唸った。
「まったく可能性の話で逃げだす算段を始めるなんて、本当に性根の卑しいゴミ虫ですね」
「うるせえよ。ファヒマ。俺は危機管理を大事にしてるんだ」
 馬鹿にしたようなファヒマの声に、聖は言い返す。
「でも北区は北区であれですわ。トップの夜厳さんの思惑と№2の異牙さんの御実家の意向が相反していない間は良いですが、万一食い違った場合、トップと片腕が分かれることになります。異牙さんは人望のある方ですから、そうなると勢力図がどう変化するか」
「北王は――――北王に全身全霊で使えてる奴らが少なくない量いるから平気だろう」
 適当なことを言って、聖はあぶった餅を口に入れた。
「逆に言うと、北王に何かがあれば本当にどうしようもない場所になるともいえますわ。死ぬ危険性だけじゃなくて、北王の立場に変化があった場合、それがもろに区画の民の生活に反映されてしまいます」
「北王はなにするか分からない人だしねぇ」
 宗谷は苦笑する。彼は仕事の関係で何度か北王と顔を合わせたことがある。
「それに北は色々な勢力がうごめいているから常に油断がなりませんわ。場所にもよりますが、私ならあまり住みたくないですわね。治安は悪いし、かといって繁華街や金融街は騒がしいし」
 ノースヤードは全区画中もっとも治安が悪い。メインストリートならば有名な会社の本社やさまざまな娯楽施設が立ち並び、他の区画と比べても遜色ない。しかし一歩そこを離れれば広がっているのは広大なスラム街とならず者の集まりである。殺人事件も頻繁に起きている。
「西は? デスマーチ戦争で澪漂が勝った以後は落ち着いてるだろ? あっちのトップは全部澪漂関係者だから内部分裂の心配もないし、政治的には安定してるんじゃねえ?」
 話題はさらに西の澪漂に及ぶ。
「問題は治安と空気の悪さか。工場地帯があるから多少の空気の悪さは仕方ないが……」
「無法地帯とそこそこ治安のよい場所とを把握できれば、住みにくいってほどでもないんじゃないの? 違法建築地帯の耐震性は不安だけど。それに道が日ごとに変化するから、方向音痴にはつらいよ」
「後は良くも悪くも澪漂の力が強いですから――――外の澪漂管弦楽団本体の厄介事が転がり込んでくる可能性が考えられるわ。実際、過去にそういう騒ぎあったでしょう? まああなたのような馬鹿は知らないが、知っていても忘れているでしょうが」
「覚えてるよ。いちいちうるせえなファヒマ」
 澪漂は世界に裏から影響を与える九つの組織の一つである。そして西区にいる澪漂管弦楽団はその支部のような存在に当たる。澪漂が区画のトップである以上、自然と区画そのものも澪漂の影響を受けやすくなる。
 街並み自体も他の区画とは毛色が違う。もともと西は、戦後に大陸から沢山の住人が入ってきた地域で、現在でもさながら小香港とでもいうような街並みが広がっている。その中心にあるのは違法建築が重なり合って出来た九龍砦。周辺部には工場地帯が広がっている。
「治安もそれほどよくないしねぇ」
「……この学園に安全な場所はねえってことか」
 がっくりと聖は机に倒れ込んだ。すばやく宗谷と緋葬架が近くの料理と食器を移動させる。倒れ込んだのは精神的疲労もさることながら、酒が回ってきたという事情もあるようだ。
「じゃあ、南はどうだ!」
 だがすぐに復活して、まだ話題に上がっていない最後の区画をあげる。
 南は商業施設が多く、若者とワーカーが中心の商業都市である。治安も東区について良い。何より活気があり、道端のストリートミュージシャンや大道芸人が無機質なコンクリートの街に彩りを添えてくれる。静かに暮らすには向かないかもしれないが、にぎやかな暮らしがしたい人間には人気だ。そのにぎわいはかつてのロサンゼルスを彷彿とさせる。
「南はある種、逆襄の肩にかかってる部分があるよね」
「確かに彼を中心に人間関係が形成されている部分はあるね。まあ、南区は一致団結とは少し違うけど、仲間意識が強いし利害関係が一致してるからそれなりに安定してるんじゃないかな。好戦的な連中も少ないし」
「逆襄さんの周辺は色恋沙汰でいろいろ泥沼ですが、それは個人的な問題ですから無視してかまわないと思いますわ」
「あら、私へのあてつけ?」
「ただの事実ですわ。ファヒマ」
 ファヒマは逆襄に惚れている。現在のところやや諦めモードに入ってはいるが、それでも隙を見れば彼を取り巻く女関係に参戦する気満々である。
「あの辺りはいつか流血の惨事になりそうだよね。ま、僕らには関係のない話だ。全体的に見れば経済都市の活気があるし、若者文化が盛んだし、まあ住みやすいところなんじゃないかな?」
 勿論、南区もすべてのエリアで治安が良いというわけではない。それでも他に比べればはるかにましだ。
 聖はまた考え込んだ。今度は通勤時間のことを考えているのだろう。
「所長、事務所移動させません?」
「僕は東が好きなんだけどなぁ」
 笑って宗谷は手酌で酒を注いだ。薄い陶器の杯に透明な酒が満たされていく。
「それに、どこにいようと死ぬ時は死ぬよ」
「笑顔でエグイこと言わないでください」
「地下以外なら、どこにいても一長一短だよ。地下だけは勘弁だけどね」
 学園のアンダーヤードと呼ばれる地域は、旧東京時代の地下施設や地下鉄などの跡地である。その深さは数十キロメートルから場所によっては百キロメートルにも達するとすらいわれる。学園を管理するライザーインダストリーすらそこに巣食う悪鬼のごときつわものたちを駆除することはできず、現在ではほとんど打ち捨てられた状態にある。学園のトップランカーであっても、そこに不用意に足を踏み入れれば生きて帰ることは難しい。
 一部生徒はそこの中でももっとも地表に近く、比較的ましな部分に住みついたり、その一部を統治したりしているが、最深部まで足を踏み入れたものの話は聞いたことがない。
「……あれは例外」
「だよねぇ。僕でも用事がなければ近づきたくないよ。地下十階まででもかなり怖かった」
「潜ったんですか? 所長」
 全員が驚愕の視線を宗谷に向ける。宗谷はあっさりとうなづいた。
「怖いもの見たさだったんだけど……久しぶりに『死』を実感として感じたよ。なんかもう、階層が二桁になると住人が人間の気配してない感じになってくるんだよね」
「…………」
 酒の席とは思えない静けさがテーブルを襲った。全員が食べ物の皿や飲みものを持ったまま動きを停止する。色々想像してしまったのか、顔色は悪い。
「――――まあ、そういうのに比べれば東はとても安全だろ?」
「……はい、引っ越さなくていいっす」
 聖はうつろな目で激しく頷いた。
「安全って……大変ですね」
「そりゃあそうだよ。安全、安心はいつの時代も人間の憧れさ。さ、杯が空だよ。もっと飲もう」「どうも」
 杯に注がれた清酒に、綺麗な模様の描かれた天井と生気のない聖の姿が写る。
「……なあ、どこに住んだから一番生存率上がると思う?」
 ほとんど結論は出ているのにそれでも一応聞いてみる。宗谷はにこりと笑って答えた。
「地下以外なら、住む場所を考えるよりトラブル避けの方法を考えた方が生存率は上がると思うね」
「…………そうっすか」
 帰ったら家のセキュリティを強化しよう。聖は決めた。


おわり