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コウノトリシンドローム 中編

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kagomori

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『はあい、みんな今日も元亀にやってるかな? みんな大好きぶるぶるラジオはじめるよっ!!』
 校内の至るところに設置されたスピーカーから耳が痛くなるようなハイテンションな叫び声が響き渡る。トランキ学園の生徒なら慣れた光景だ。
『このコーナーでは、学園のみんなのお便りを紹介しちゃうぞ。愛の告白からタレこみまで、あの人に伝えたい言葉をどんどん送ってね☆ じゃあ、本日最初のお便りはパン職人さんから、えー「うちの家の縁の下で猫が子どもを産みました。里親を募集しています。孤猫をもらってくださる方はブラックシープ商会極意堂まで」☆ ほのぼのしてるねぇ』
 いつもよりかなり平和な話題から始まったラジオに、生徒たちは片手間に耳を傾ける。穏やかな昼下がりだ。だが、次のお便りに話題がうつった瞬間、にわかに空気が変わる。
『次はなんとトップランカーの篭森さんから! えーと、
「昨夜から今朝にかけて、うちの部下の戦原緋月と星谷遠の家の前の路上にダンボールに入れた赤ん坊が遺棄される事件が発生した。犯人は速やかに名乗り出るように。今ならまだ許してやる。犯人でなくともなにか目撃したひとは、出来るだけ連絡してほしい。誰がやったか知らないが、逃げ切れると思うな」
です☆ うわー、ひどいね。そんなひどいこと、良い子はしちゃだめだぞ☆ それから犯人さんははやめに自首したほうがいいと思うよ。自首が自殺になる前にね』
 少しも笑えなかった。
 そのまま何事もなかったかのように話題は次の便りへと流れていく。だが、聞いているひとの話題までも流れていくとは限らない。
「……赤ん坊、遺棄。ですか」
「よりによってあの狂犬の家の前とは、勇気のある馬鹿がいたもんだな」
「馬鹿に勇気は必要ありませんよ。馬鹿は危険にすら気づかないから馬鹿なんです」
 清々しい日光の差し込むオープンカフェで、昔ながらの洋食といった趣のシチューをすすっていた不死川陽狩と不死原夏羽は、ラジオから漏れ聞こえる爆弾発言にそう感想を漏らした。
「……まあ、普通に考えるなら、あの狂犬のガキじゃねえのか?」
「クリムゾンはそういう始末でしくじるタイプには思えませんけどね。スカイブルーのほうならともかく」
「そうか? 俺は遠のほうが可能性低いと思うぜ? だってアレだぞ?」
「意外とああいうののほうがあっさりと子ども作って結婚したりするものですよ」
「経験則か?」
「統計的な問題です」
 陽狩はくるりとスプーンを回した。
「貴方も情人を作る時は迂闊に孕ませないように気をつけたほうがいいですよ」
「大きなお世話だ。お前こそ、愛人とっかえひっかえしてしくじるなよ」
「ご心配なく」
 肉と野菜がどろりと煮込まれたシチューをスプーンでかきまわして、陽狩は微笑んだ。よく煮込まれたそれはすでに食材の一部は原形をとどめていない。
「可能性があるものはすべて、きちんとばらして中身を確認していますから」
「趣味悪ぃ」
 吐き捨てるように夏羽は言った。陽狩は楽しげに笑う。
「心配性なんですよ。中になにかあるかもしれないと思ったら、確認しないと不安になるじゃないですか」
「知らねえよ」
 不機嫌に夏羽は答えた。陽狩と話すときはだいたい夏羽は不機嫌だ。だが、陽狩がそれを気にしたことは一度もない。むしろ不機嫌にさせようとしている傾向さえある。
「まあ、どちらにしてもクリムゾンに赤ん坊を押し付けた相手は間抜けですよ」
「そうか? この学園で赤ん坊を預ける個人として、戦原はそんなに悪い相手でもねえと思うぞ。過去はどうだか知らねえが、今は安定して仕事と収入があって、面倒見がよくて、人間としても最低限まともだ。教養もあれば技術もある。変な趣味も問題になるほどのしがらみもねえ。よく考えてるじゃねえか」
「あなた……本当に馬鹿ですねぇ」
 心底呆れたという声で陽狩は呟いた。夏羽は陽狩をにらむ。
「なにがだよ?」
「貴女はカルバニアともクリムゾンとも比較的仲良しでしょう? なら彼らの気性もよくよく知っているはずです」
 スプーンが陽狩の手を離れ、シチューの海に沈む。
「一つ、カルバニアは己の領域に踏み込むものを許さない。クリムゾンは彼女の使い魔です。必ずカルバニアが出張ってきますよ。そしてもう一つ」
 陽狩は薄く笑った。
「人殺しを生業にする人間が、普通の人間を育てるなんて不可能なんですよ。少し考えれば分かることです。アレにまともな人間なんか育てられません」
 クスクスと楽しげに陽狩は笑う。夏羽は理解できないと言いたげに頭をかいた。
「そうか? 親なんてある程度成熟した特に身体に不調のない男と女であれば誰だってなれるだろうが」
「子どもを作ることと育てることは似ているようで非なるものですよ、夏羽。さては貴方、意外と健全な家庭で育ちましたか? もしくは完全に両親とは没交渉かどちらかでしょう?」
 簡単な問題に首をひねる子どもを見るような顔で、陽狩は笑う。
「人は自分の経験を基軸にしか物事を判断できません。健康でない環境で育った時点で、それ以外の家庭環境の作り方なんて知らないんですよ。たとえマニュアルに頼ったとしても、マニュアルは日々の細かいことまでは教えてくださいませんし、それが完全に合っているという保証すらない。健全でない人間が健全な人間を育てるなんて不可能です」
「へえ……なら」
 珈琲にミルクを垂らしながら、夏羽は続ける。
「なら、不健全な人間を育てればいいだけじゃねえの? 人間はすべて健全でなきゃいけないって決まりなんかねえわけだし。なんか、問題?」
 間が空いた。次の瞬間、陽狩は彼にしては珍しく爆笑してテーブルに伏した。何事かと周辺の客がふりかえる。
「あ、あははははは! 確かにそうですね。これだから、馬鹿は……たまに予想の斜め下をいってくれます」
「誰が馬鹿だ。誰が。普通に考えたらそうだろうが」
 夏羽は珈琲を一気に飲み干した。陽狩はすでに食べる気のなくなったシチュー皿をテーブルの端に追いやる。
「それを普通と思うのが、普通じゃないんですけどねぇ」


**


「みーづーきーさーまっ! 何か俺たちにしてほしいことないの?」
「ほらほら、緋月んとこの赤ん坊の親捜すとか追い詰めるとか狩り出すとか」
 談話室のソファでゴロゴロとしながら口ぐちにやかましく喋る部下たちに、珠月はこめかみを押さえた。独自の情報網を展開する彼ら非公式な私兵の一部は、緋月にふりかかった一件を聞きつけるや呼んでもいないのに珠月の自宅に押し掛けて、そして犬のように命令を待っている。
 どうしてこうも好戦的なんだろう。
自分の事は完全に棚に上げて、珠月はぼんやりと思う。
「四十物谷が鑑定結果を持ってくるから、それによって対応を決めるよ」
「えー、えー、でも緋月がそういうとこしくじるような男には思えないよ。絶対女が押し付けてきただけだって」
「というかそもそも、あいつ女に興味あるの?」
「ホモってるという噂は聞かないけどねぇ」
「変な動詞作んな。ねえ、実際のところどうなんですか? 珠月様」
「部下の性的嗜好なんぞ知るか黙れ馬鹿」
 ぴたりと全員が口を閉ざした。それも一瞬のこと、十秒後にはまた口が開かれる。
「いや、でも気になるじゃないですか」
「退屈なんです。楽しそうです。噛ませてくださいよ」
 能力的には十分だが、人格的に難があり特定の人間や物体への依存率が高い。要するに間違った方向に人格が完成されてしまっている。珠月の私兵にはそういう傾向が強い。望んでそういうなんありの人間を集めている自覚はあるが、こういうときそういうあまり言うことを聞いてくれない私兵は頭の痛い問題だ。珠月はため息をつく。
「家族の問題っていうのは壊れものだからね。繊細な問題を大雑把に扱ってはいけないよ」
「えー」
「えー、じゃないの。遊ばない」
 言いながら、お茶と昨日作った菓子をテーブルに並べる。ぱっと顔が輝く部下たちをみて、どうしようこいつら動物レベルだと珠月は心の中で思う。どうもこうもどこか壊れているのが珠月の私兵のデフォルトだ。
多分、こいつらは死ぬときすらも高笑いして楽しげに死んでいくんだろうな、と珠月はぼんやりと思う。良いことだ。なんにせよ、人生は楽しいほうがいいに決まっている。
「ねえ、あんたたちってどういう子どもだったの?」
 マカロンを手でつまみあげて、珠月は尋ねた。きょとんとした顔が返ってくる。
「どういう……あんま子どもっぽくなかったんじゃないですかね。よく覚えてませんけど」
「今とあんまり変わんないですよ」
「えーと、勉強嫌いでした。趣味は家庭教師の撃退だった記憶が」
「一番古い記憶でも戦ってるんでよく分からないっす」
「…………そ」
 聞く相手を間違えた。珠月はため息をつく。そこに、カップとシルバーの足りない分をもってミヒャエル・バッハが現れる。珠月は首だけを彼のほうこうに向けた。
「ねえ、ミヒャエル」
「はい、何でしょうか?」
「あなたのご両親は元気なの?」
 珠月の質問にミヒャエルは小首を傾げた。
「さあ? 死んだという話は聞きませんね」
「あら? 家出してきちゃったんだっけ?」
 珍しいことではない。親子の縁は、この世界においてそこまでは重要視されない。だが、予想に反してミヒャエルは首を横にふる。
「嫁姑問題で家庭が荒れまして……ある日、連絡がつかなくなったので実家に帰ったら、実家が瓦礫になっておりました。それっきりです。色々とアレな家族でしたので特に未練はありませんが、結局、母と祖母のどちらが勝ったのかだけ興味ありますね」
「淡々と凄まじい話をどうも」
 個人の所持する火力が大きいと、こうして家庭事情で文字通り家庭が吹っ飛ぶ羽目になる。珠月もかつて両親が繰り広げた仁義なき夫婦喧嘩の風景を脳裏に思い描いた。
「…………まあ、色々あるよね。家族の問題って奴は」
「ええ……いろいろなのです」
 重々しく、ミヒャエルは頷いた。家族というのは個の人格の基礎になりやすい――ゆえに時に非常に重い。
 沈黙が落ちた瞬間、涼やかなベルの音が鳴り響いた。来客を知らせるインターフォンの音だ。
「四十物谷だと思う。ミヒャエル、出て」
「はい」
 この場で唯一の公的な使用人であるミヒャエルは持っていたものをテーブルに置くと玄関へと向かった。ややあって、予想通りの人をともなって戻ってくる。
「やあ、珠月。あいかわらず賑やかなことだね。ごきげんよう、使い魔諸君」
 にたりと四十物谷宗谷は笑った。使い魔とは珠月の非公式な私兵集団の俗称だ。誰が呼び始めたかは分からないが、言えて妙だということで最近では内外問わず使われている。
「やめてよ、そのいい方。私兵なんて存在しない、ってことに一応なってるんだから」
「大人は空気を吸うように嘘をつく。ま、いいけどね。それより、遺伝子検査の結果出たよ。遅くなってすまないね。念のため、精密検査に回してたんだ」
 宗谷が近付くと、さっさと珠月の部下たちは彼のためにソファを開ける。そして自分たちは彼が出すであろう書類が見えるように、ソファを取り囲む位置に移動した。珠月は上座に座る。宗谷はその向かいに腰を下ろすとびっしりと文字が書き込まれた書類をテーブルの上に置いた。もちろん、お茶会セットは避けて置く。
「結論から言うと、あの赤ん坊は緋月君の血縁者ではない。遠ももちろん違う」
「でしょうねぇ。緋月に関してはちょっと疑っていたんだけど」
「まあ、それはそうではあるんだけど」
 宗谷は苦笑した。
「あら、貴方が緋月のなにを知ってるのかしら?」
 多分に茶目っけをこめて、珠月は笑った。宗谷は苦笑を深くする。
「知らない。知らないよ。でもよくは知らないけど、緋月君は色々と複雑な出自なんだろ? 本人の知らない身内がいても不思議じゃないっていうのは、真理のはずだろう?」
 緋月はもともと暗殺組織の人間だ。出自など分かるはずがない。そしてそのことを知っているのは珠月と数人のダイナソアオーガン幹部のみ。宗谷も、遠すらそれは知らない。
 珠月は手を伸ばすと、自分の分だけお茶をカップに注いだ。宗谷の質問には答えない。
「それは置いておくとして、他は?」
「すでに医者が調べたように、後天的な肉体改造の痕跡はなし。年頃はおそらく1歳くらいだろう。発達は人並みだね。やや筋力の発達が早いかな。持病等健康問題はなし。犯罪者のDNAとも照合したけど一致は見つからず。失踪者のリストもそれらしいのはなかった。そっちは」
「名乗り出てきたひとはいないよ。宗谷、貴方のことだから、すでに調べ始めてくれているんでしょう? どう?」
 無邪気な笑顔で珠月は尋ねる。だが、その声や仕草とは裏腹に空気は徐々に緊張していく。
「一応ね。あそこに捨てた人間に関しては、それらしい人物の絞り込みも進めている。明日くらいには結果も出るだろう。見つけるだけ見つけたら、あとはそこに控えている君の猟犬にお願いすることにするよ。荒事はできないこともないけど専門じゃないからね」
 こちらをうかがう珠月の部下を一瞥して、宗谷は言った。
「それで、君はどうするんだい?」
「さあ? とりあえず、相手に会ってみて考えるよ」
 珠月は小首を傾げて見せた。それを見て、宗谷は首を横にふる。
「違うちがう。そっちじゃなくて、さ」
 珠月はますます首を傾げた。愛らしい仕草に宗谷は小さく笑う。
「緋月君のほう。彼はあれだろう? トラウマ持ち」
「…………」
 珠月は返事をせずに顔をしかめた。深い憂いの影が落ちる。それが何よりも雄弁な答えだ。宗谷は顔色ひとつ変えない。そういう人間は今時珍しくもない。むしろ一つも思いだしたくない過去のない人間のほうがまずいない。こうして向き合っている宗谷と珠月すら、掘り起こされれば冷静でいられない過去のひとつふたつ確実に抱えている。
「僕が見るに、彼の悪癖は自分がいなければ生きていけないものを拾った場合、自分からは絶対に手を離せないことだね。いつか自滅するよ」
「…………」
「そうさせないために君がいるんだろうけどねぇ。難儀なことだ。せめて遠君がもうちょっと人間的におとなだったらよかったんだけど」
「んー、私は喧嘩売られてるのかな?」
 かすかな微笑をうかべたまま、珠月はことんと首をかしげて見せた。宗谷は笑って首を横にふる。
「とんでもない。僕は君が好きだよ。根本的にいいひとだよね。君は」
「さて、どうだろうね。いい人っていうのは毒にも薬にもならないって意味もあるからね」
「機嫌を損ねたなら謝るよ。ただ、実際問題としてどうするんだい?」
 珠月はため息をついてソファに身を沈めた。宗谷は肩をすくめる。
「緋月君は真面目で融通きかないから、親元に返せなければ無理にでも引きとりたがるだろうね。けれど、彼の仕事は子どもを育てながらすることは難しいし、仕事が思うようにできない自分を甘やかせるほど緋月君は大らかじゃない。その状態で遠君と同居というのはいささか負担がすぎるんじゃないかい?」
「でしょうね」
 あっさりと珠月は首を縦に振った。
「あの二人の仕事はかなり特殊かつ二人一組を基本としている。しかも、奴らはプライベートでも互いに依存し合ってるからいろいろとややこしいんだよね。そこに紛れ込んだ異物。はて、どうしたものか」
「困っているようにはみえないねぇ」
 勝手に余っていたカップにお茶を注ぎながら宗谷は答えた。珠月も咎めない。
「正直な話、困っているというよりは戸惑っている。これを機にあの二人の異常な関係を改善したほうがいいのか、それともさっさと赤ん坊をつまみだして彼らにとってのみ安定した状態に戻すべきか」
 憂いの混ざった笑みで、珠月は宗谷を見る。宗谷は笑みの浮かべたまま答える。
「君は緋月の庇護者だ。赤ん坊の保護者じゃない。君がすべきはさっさとあの子を信頼できるよそへ預けることだね。異物はつまんで捨てるものだ。不安要素があるならなおのこと」
 情の欠片もなく宗谷は言い捨てた。珠月は咎めない。少なくとも宗谷にとって、赤ん坊はまぎれもなく自分の知り合いのところにふってわいた異物だ。保護の対象でも情けをかける対象でもないのだろう。それを理解している珠月は咎めない。
「知ってるよ」
 そして宗谷の言葉を肯定する。
 面倒事を避けるなら、たとえ悲しまれたとしてもそうそうに赤ん坊をしかるべき機関に預けるのが筋であり、道理だ。そもそもその当たり前を無視しているのは緋月のほうで、必要のない情けと未練をかけているのも緋月のほうだ。それは優しさと呼ばれるものだが、同時に弱さでもある。
 この時代で生き残り続けるには、あまりむかない。
「緋月のところに置いておく理由は彼の責任感以外に存在しないし、メリットもない。私に恩を売りたい連中はごまんといるから、里親の募集でも出せばそれこそ犬猫をもらうように人が殺到するだろうね。押し付ける相手ならいくらでもいる」
 珠月は小さく舌打ちした。
「人気者だね」
「区画王やさっちゃんたちには足元にも及ばないよ。ああ、さっちゃんたちのところに預けてもいいのか。あそこは子どもだらけだし。緋月には悲しまれるだろうけど」
「それでも君の決定には背かないさ」
「いやな言い方」
 珠月は小さくため息をついた。
「家族の問題は面倒だよね。場合によっては、掘り返したくないものまで掘り返すはめになる」
 珠月はため息をついた。宗谷は返事をしなかった。かわりに静かに笑みを浮かべる。珠月は重ねてため息をついた。
「まあ、いいよ。ともかく、置いた奴を捕まえて素性をはっきりさせないことには決定も下せない」
「うんうん。いいと思うよ。頑張ってね」
 宗谷は手を伸ばして、気安く珠月の頭を撫でた。その瞬間、背後で武器を構える独特の音が鳴り響く。宗谷は動きを止めた。
「珠月、君の猟犬たちに武装を解くよう命令してくれ」
「いや……その子たち、あんまり私のいうこと聞かないんだよね」
「なんのための使い魔なんだ……?」
 心底不思議そうに宗谷は首を傾げた。この状況下でもその表情には一片の怯えもない。珠月もそれが当たり前とでもいうような顔で、肩をすくめる。
「大丈夫。聞いてくれることもあるから。下がりなさい。宗谷は私の古いお友達なのよ」
 一瞬の間をおいて、敵意が霧散する。宗谷は息を吐きだした。
「僕、なにか悪いことした?」
「いいえ。ただ、おしゃべりは早死にするという言葉もあるよね」
「珠月は緋月にばかり過保護だ。ずるいなぁ。僕にももうちょっと優しくしてくれよ」
「思ってもいないことを口に出すものじゃないよ。宗谷」
 くすりと珠月は笑った。
「博愛主義っていうのは、誰も愛していないのと同じことだって、そろそろ気づいても罰は当たらないと思うよ」
「嫌だなぁ、珠月」
 にこにこと朗らかに宗谷は笑う。
「いくら僕だって、愛してくれないひとは愛せないよ。博愛主義なんて無理むり」
「逆に言うなら、愛してくれるひとはみんな好きな癖に」
「それはそうだよ」
 内緒の話をするように、顔を近づける。
「珠月は僕のこと好きだろ?」
「もちろん。大好きよ」
 いっそうすら寒いくらいに薄っぺらい言葉を交わして、二人はクスクスと笑った。
「本当にねぇ」
 珠月は目を細めた。
「緋月があなたくらい頭がおかしかったなら、もっと彼も生きやすいだろうに」


**


 翌日、上がってきた結果報告をにらみながら、珠月は横目で緋月を見た。赤ん坊は楽しげに笑っているが、緋月と遠は自席でぐったりしている。さもありなん。いくら本職の武闘派といっても、赤ん坊の世話は別次元の苦労だろう。ぐったりしているだけならともかく、今日は内勤なのに弁当も作ってきていないようだし、どことなく髪にも服にも艶がない。平たく言うと死んでいる。いろいろなものが。
「緋月、やっぱりその子預けたほうが良かったんじゃないの? 貴方が思ってるほどそういう保護施設は怖いところじゃないよ。企業イメージというものがあるから、むしろそういうボランティア的な事業はかなりしっかりしているもの」
「………………大丈夫だ。昨夜はちょっと慣れていなかった上に、面白がってやってきた不死コンビを締め出すのに体力を使っただけだ」
「大変じゃん」
 珠月は息を吐きだした。そして遠に視線をむける。
「遠もぐったりしてるみたいだけど、体力が取り柄のくせに情けない」
「だってっ!」
 がばっと遠は起きあがった。
「緋月なんか機嫌悪いし、腹減るし、俺が赤ん坊あやすの変わろうとすると怒るし!!」
「意味が分からない」
 珠月はきっぱりと答えた。そしてそのまま視線を緋月にスライドさせる。赤ん坊をあやしながら、緋月はきまりの悪そうな顔をした。
「遠に赤ん坊を持たせると脊椎に致命的な怪我を負わせそうな気がして……」
「遠、天井まで届く高さでたかいたかいとかして遊んでないよね?」
 珠月は遠を見た。遠は目をそらした。珠月はため息をつく。
「で?」
「緋月機嫌悪いんだよ!」
「この状況下で上機嫌を保つことは、それは難しいでしょうとも」
「そうじゃなくて、なんかむっつり黙ってるっていうか、いつもにもまして口数少ないっていうか、それに今朝とか朝食の味がおかしいのに俺が指摘するまで気づかなかったんだぜ!?」
「…………少し、考え事をしておりまして」
「遠、なにをした?」
 珠月は迷いなく遠のほうを見た。遠は不服そうな顔をする。
「なんで迷いなく俺を加害者認定するんだよ!?」
「なんとなく」
「なんとなくかよ!?」
「緋月はいい子だもの」
 珠月は面倒くさそうに頬杖をついた。
「なんもしてねえよ!」
「なんかウザいこと言ったんじゃないの?」
「珠月様」
 やんわりと緋月が口をはさんだ。
「遠は悪くない。責めないでやってくれ」
「……………………そ」
 ふらりと珠月は立ち上がった。緋月は首を傾げる。
「珠月様、どこへ?」
「早退します」「ちょ、社長まだ午前中」
 遠の叫びを無視して、珠月は部屋の外へと出た。報告を聞いた宿彌は珠月の奇行と気まぐれに慣れ切っていてなにも言わなかった。


**


 道を歩いていたらやけに速度の低い高級車が後ろから走ってきて、それと並んだ瞬間に扉が開いて中に引きずり込まれるという、今時映画でもレアな拉致を経験した時、彼は人生終わったと確信をもって思った。引きずり込まれたリムジンの中に、両脇にあきらかに戦闘慣れした男女をはべらせた漆黒のドレスの少女が座っていたからなおさらだ。ついでに彼を引きずりこんだ別の男は、今は彼の背後に静かに控えている。
「初めまして。私は篭森珠月。多分知ってると思うけど」
 つまらなさそうな顔で少女は自己紹介をした。
「貴方は大條泉さんで間違いないね? 本科1年目、予科は6年で終了。日系アメリカ人。16歳。元バイヤーで、現在は就職活動中。少し前までの職業は武器のバイヤー。いわゆる死の商人。仕事で激戦区に派遣された後、一身上の都合を理由に退社。実際に戦場に出て死ぬのが怖くなったという新人の武器商人にはありがちな経歴。成績はまあ中くらい。周囲の評価は臆病で慎重。結婚歴なし」
 つらつらとプロフィールを読みあげられて、彼――泉は凍りついた。だが、次の瞬間持てる気力を動員して、車の床に額ずいた。
「申し訳ありませんっ!!」
「謝るなら初めからするな、といいたいところだけど、どうもこうも納得がいかないんだよね。防犯カメラと目撃証言、商品の購買履歴からすると緋月のところに子どもを置いたのは貴方で間違いない。貴方自身もたった今、認めた。けれど、それでも分からないんだ」
 恐る恐る泉は顔をあげる。珠月は小首を傾げた。
「貴方に子どもはいない。あの子、誰の子なの?」
 今度は泉のほうがきょとんとした顔をした。それを見て、珠月は顔をしかめる。これは互いの認識に大いなる祖語がある証拠だ。
「発言を許す。言いたいことがあるならいいなさい」
「え、いや、その…………」
 狼狽して、泉は珠月を見上げた。
「あの子は……戦原緋月さんの御子ではないんですか?」
「は?」
 今度は珠月のほうが絶句した。

<つづく>
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