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絡み合う音楽家たち ――第九管弦楽団・澪漂鍵重

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   Ⅱ.絡み合う音楽家たち ――第九管弦楽団・澪漂鍵重

 【澪漂交響楽団】の本拠地は、ユーラシア大陸の極東部、上海シティにある。
 本部の建物は、豪州のオペラハウスのような荘厳な外観を持つ建造物であり、しかしどこか暗い雰囲気を纏っていることから、「ファントムハウス(オペラ座の怪人館)」と呼ばれている。
 そしてそのファントムハウスの周囲には、【澪漂交響楽団】に列席する団員たちの住居も点在しており、独特の雰囲気を持った区域となっていた。
 「背徳の蜂蜜亭」は、そんな中の一つ――澪漂屈指の【異端者】の異名を取る、第九管弦楽団が詰める建物である。

                    ♪

 「相変わらず甘ったるい匂いのするところだな」
 オレンジの長髪を風に靡かせ、黒のレザージャケットに身を包んだ男が、その「背徳の蜂蜜亭」の前に立っていた。まだ幾分の冷たさを孕む春先の風に乗って、蜂蜜のような甘い香りが鼻腔に届く。
 男の名は、【ストーキングヘッド(付き纏う者の首領)】澪漂纏重(まとえ)。管弦楽団に席を持たず、大団長たる千重の直属の団員であり、澪漂の四天王に列せられる人物である。
 蜂蜜の香りは確かに甘いが、しかしその甘さはどこか、淫靡な色を纏って、周囲の空気を色づけていた。
 「何でまた俺が、あいつらのところに来なくちゃならねえんだよ――まあ、引き篭もりの檻重(おりえ)や初重(はつえ)に任せるには無理があるってのは、俺も同意見だけどな」
 纏重はそう呟くと、赤いサングラスを外して、それをポケットに仕舞った。艶やかな光を纏うオレンジの長髪を、乱暴にガシガシと掻く。
 纏重はしばらくそうして、「背徳の蜂蜜亭」を見上げていたが、やがて決心したように入り口に掛かった暖簾を潜って、その亜細亜風の建物へと入っていった。

                    ♪

 「背徳の蜂蜜亭」――その中でも最も奥まった部屋は、窓に掛けられたサテンの布によって薄暗さを演出されており、また室内にいくつもある香炉からは、蜂蜜の匂いがする煙が細々と立ち昇っていた。
 部屋の中央にはやはりサテンで囲まれた寝台――そしてその上に、二人の人物の姿があった。
 一人は炎のように赤い髪を持つ女性。同性でもハッとするような美しい容貌を持っているが、結うでもなく纏めるでもなく、適当に流された長髪と、肩まで露出するほどにはだけた和服がその美貌を台無しにしている。
 そしてもう一人は、服とは到底呼べそうにもない白い布を全身に巻きつけ、さらにその上から太い鉄鎖で拘束された女性。鎖は手足の自由だけでなく、猿轡のように口に噛まされており、言葉さえも奪っている。
 和服の女性――【インモラルコンダクター(背徳の指揮者)】澪漂鍵重(かぎえ)は、首から提げていた輪に通された鍵を一つつまんで、薄暗い部屋に差し込む陽光に透かすように、それを見つめる。
 そんな鍵重の姿を、鉄鎖の女性――【カースドチェイン(呪詛の鉄鎖)】澪漂縛重(しばりえ)は、何かを期待するような瞳で見つめていた。口に咥えた鎖の隙間から口腔に溜まった唾液が滴り落ち、胸元の布を濡らす。
 しばらくそうして手元の鍵を眺めていた鍵重は、不意に「うふふ」と笑って、視線を縛重に移した。
 「……何を、期待しているの? 縛重」
 「…………」
 縛重は答えない。最も、鎖を咥えた状態では言葉を喋ることなどできないのだから当然である。ただ、その眉が何かを求めるように、ハの字型に寄った。
 そんな縛重の反応に満足したかのように、鍵重はもう一度小さく笑うと、首に掛けていた鍵の輪を外して、それらの鍵で縛重の体に巻かれた鎖を留めている南京錠を外し始める。
 一つ外す度に、「カチリ」という乾いた音が、煙った部屋に響き渡った。
 やがて全ての錠を外し終え、身体を拘束していた鎖が取り除かれると、鍵重は縛重の身体を包んだ白い布に手を掛けた。支えを失った布は、鍵重が軽く手を動かすだけで、彼女の腰の辺りまで落ちる。隠すものを取り除いたことで、縛重の色白の肢体が露わになった。
 「うふふ……」
 そして鍵重も、半ば脱げた状態だった和服の袖から腕を抜く。縛重と同じように和服が落ちたことで、縛重のそれよりも幾分凹凸のある身体が姿を現した。
 「縛重?」
 鍵重が両の腕を伸ばすと、縛重はゆっくりと彼女の身体に自分の身を寄せ、そして二人は柔らかく抱き合った。
 「…………」
 「何をして欲しいのかしら? 黙ってたら分からないわよ?」
 拘束するものが無くなってなお無口な縛重に、鍵重は濡れた瞳を向けてその顔を覗きこむ。そして、縛重が何かを言う前に、その唇に自身の唇を重ねてその言葉を封じた。
 長い口付けの末、二人の唇が唾液の糸を引いて離れたのを皮切りに。

 「――乳繰り合ってるところ悪いけどよ」

 いつの間にか部屋の戸口に立っていた纏重が、二人に声を掛けた。
 途端、部屋に満ちていた淫靡な空気が霧散し、鍵重は怒ったような瞳を纏重に向けた。
 「……何の用かしら? それとも覗きが趣味?」
 「男子禁制」
 露わになった身体を隠そうともせずに挑発的な言葉を口にする鍵重と、白い布を掻き抱くようにして、まるで「終日禁煙」とでも言うような乾いた口調で短くそう言う縛重。纏重はそんな二人にうんざりしたような顔をして、手短に用件を伝えた。
 「千重から連絡だ。二人とも、すぐに支度して、千重の部屋に来てくれ」
 「あら? 遂に団長も、私達の仲間になりたいのかしら?」
 「宗旨変更?」
 「阿呆、仕事だ仕事。第九管弦楽団団長・鍵重と、副団長・縛重――お前ら向きの仕事が来たらしいぞ」

                      ♪

 ファントムハウスの一室。最もその部屋は、部屋と呼ぶには広すぎる、言ってみれば講堂とでも言うような場所だった。
 【コンダクターオリジン】澪漂千重は、その部屋の奥で、巨大なパイプオルガンを背にして座っていた。
 「やほやほ、鍵重チャンに縛重チャン。よく来てくれたね、キャハハハ!」
 そして千重の前には鍵重と縛重が並んで立っている。二人とも、先ほどの衣装を身に纏い、背筋を伸ばして立っていた。背後のドアには、纏重が寄りかかるようにして立っている。
 「早速だけど、お願いがあるんだ。――香港シティの近くにある、『金毛街』っていう非合法の歓楽街は知ってるかな?」
 「『金毛街』……確か、協会法を無視した営業をしている、娼館街だと聞いたことがありますね」
 「…………」
 鍵重の言葉に、縛重も小さく頷いた。
 「そうそう。で、この度その地区に梃入れをすることになったらしくてね。本当ならそういうのは、ウチじゃなくて【ユグドラシルユニット】の仕事なんだけど……」
 【ユグドラシルユニット】とは、世界の表側を支配する企業集団【ゾディアックソサエティ(黄道十二宮協会)】の一翼であり、公平中立の立場から世界の警察機構を自称する組織である。同じく協会の一翼を担う【九龍公司】と関わりの深い澪漂にとって、この仕事は本来関係のないことであるが。
 「でもさ、元々そこって、九龍が暗黙の了解で放置してた区域だから、【ユグドラシル】に潰されちゃうと都合が悪いわけさ。で、やられる前にやっちゃえってことで、ウチにその殲滅依頼が来たって訳」
「つまり、不都合な証拠品が出てくるのを避けるために、先にその全てを始末する、と?」
「まあそんなところ。で、ウチの仕事だってバレても拙いから、あんまり表立って活動してない君達にお願いしたいんだ。君達ならそういう仕事、得意でしょ?」
 鍵重と縛重はそろって頷いた。その反応に千重は満足したように笑って、
 「じゃあ、お願いね。あんまり目立つのもダメだから、今回は君達二人で行ってきてね。じゃ、よろしく」

                      ♪

 澪漂第九管弦楽団。
澪漂の各管弦楽団の団長と副団長は、互いを至上とする友愛、敬愛、恋愛の関係で繋がっている、というのは有名な話である。
 しかし、団長と副団長が両名とも女性である管弦楽団は、無数の管弦楽団を持つ澪漂において、第九管弦楽団ただ一つ。第九管弦楽団は、澪漂で唯一、同性愛を認めている集団として有名なのである。
 当然、その筆頭である団長と鍵重と副団長の縛重も例外ではない。むしろ、他の管弦楽団に引けを取らないほど互いを愛していると豪語していることもあり、他の団員からは嫌われがちである。
 しかし、他の団員から嫌われているということ、またそれを自覚してあまり表立った活動をしていないことから、こういった局面ではむしろ他の管弦楽団よりも動きやすいという利点がある。
 そして何より、第三や第六、第七管弦楽団と比べれば幾分見劣りする第九管弦楽団とはいえ、世界的な殲滅組織に身を置いている以上、その実力は保証されているのである。

 鍵重と縛重は娼館地区『金毛街』のメインストリートに立っていた。まだ夕方にも満たない時刻、夜の街であるこの『金毛街』の人通りは少ない。
 「さてさて、どうしたものかしらね? とりあえずは人目の少ない内に事を運んでおきたいっていうのはあるけど……」
 鍵重はそう言って、通りの向こうにある五階建ての建物を、小手を翳して眺めた。他の建物よりも豪奢な作りのその建物は、この地区を統括する裏組織の事務所でもあるらしい。もちろん表向きには他の建物と同様の、風俗施設を装ってはいるが。
 「ただ、アレは別格よねえ……。あそこの人間はできれば一人残らず殲滅しておきたいし……そう考えると、あんまり早く行動に移るのは避けたいかしら?」
 「…………」
 縛重も、鍵重の言葉に首を捻る。鍵重はしばらく、手にしたウォード鍵を模した斧の柄でとんとんと肩を叩いていたが、「よし」と小さく頷いて踵を返した。
 「一時間後」
 「…………?」
 歩き出した鍵重の後ろを同じように付いてきた縛重に、彼女はそう言った。
 「一時間後に活動開始ね。私は南から、縛重は北から。順番に全ての家屋にいる人を殲滅して、最後にあの親玉を叩く。分かってるとは思うけど、あの建物に侵入するまでは殺戮の気配を出しちゃ駄目よ?」
 「…………」
 鍵重が出した指示に、縛重は小さく頷いて。
 次の瞬間には、二人の姿は通りのどこにもいなくなっていた。

                  ♪

 それから一時間と二十七分後。二人はほぼ同時に、例の五階建ての建物の前にやってきていた。二人が行動を開始してから僅か二十七分。その短い時間の間に、この『金毛街』にある全ての建物から、生きた人間はいなくなっていた。残るは、この建物だけ。
 「よし、なかなかいいペースね。それじゃあさっさと片付けて帰ろうか」
 「…………」
 縛重が頷いたのを契機に、二人は入り口のドアを開けて中に入っていった。
 進入と同時に、鍵重は手にした斧を振るい、そして縛重は体に巻きついた鎖の端をふるって、側にいた数名を薙ぎ倒す。フロアに鮮血が散り、一瞬の後に悲鳴が響き渡った。
 「うふふ、可愛い子発見……分かってるわよ、縛重。真面目にやるったら」
 突然の襲撃に驚いてへたり込んだ少女の姿を見止め、思わずにやけた鍵重に、縛重が冷たい視線で抗議する。鍵重はやれやれと肩をすくめ、そして次の瞬間には、少女の首から上が無くなって、切り口から鮮血を噴出していた。
 澪漂屈指の【異端者】――澪漂唯一の同性愛者集団とはいえ、容赦がないのは他の管弦楽団と相違のないところである。
 自身の存在を誇示するように、身の丈ほどもある鍵状の斧をクルクルと回して、鍵重は周囲の人間を一掃する。首が、腕が、上半身が、その刃に両断されて宙を舞った。
 傍らでは縛重が、その長い鎖を振り回し、あるいは器用にも足を使って相手の首に巻きつけて、鍵重と同じくらいの人数を殲滅する。
 ようやく鍵重が斧の切っ先を「ゴトン」という音と共にフロアに突き立て、まるで生き物のように宙を舞っていた縛重の鎖が金属質の音を立てて床に落ちたときには、一階のエントランスは凄惨な有様になっていた。従業員と見られる中年の男の死体もいくつか見られるが、そのほとんどはまだ二十代にも満たない少女のものである。
 そんな状況には関心すら抱かず、鍵重は「うーん」と唸った。
 「…………?」
 「妙だと思わない? 曲がりなりにもこの地区を統括してる奴らの事務所よ? どうして一階に警備員や護衛団がいないのかしら?」
 確かに、周囲の死体を見回してみても、銃器や武器の類を持った人間はいない。いかにあっという間の攻撃だったとはいえ、武器を構える隙すら与えないほどではなかったはずだ。
 「まあいいか。襲撃がバレてたとしても、いまさら退く訳にはいかないし」
 「…………」
 しかし、鍵重はあくまで能天気にそう判断した。それは妥当な判断でもあったが、それによって事態は、少しばかり面倒な方向へと進展する。

                  ♪

 その後も順調に各階の人間を殲滅し、鍵重と縛重の二人は五階のフロアへと到達した。
 と、階段を上り終えてフロアに踏み出した途端。

 左右から銃口を突きつけられた。

 並んで立っている鍵重と縛重を両側から挟み込むような形で、二人の男が銃を向けている。既に撃鉄が起こされ、いつでも発砲できる状態だ。
 「武器を置け。黙って手を挙げろ」
 鍵重の側にいた男が無愛想にそう言った。一瞬の内にあらゆる手を考えてみたが、リスクを考えると素直に従った方がよさそうだ。鍵重は手にしていた斧を床に放ると、ゆっくりと手を上に挙げた。
 「ククク、何者か知らんが、随分派手にやってくれたものよ」
 いつの間にか側のドアから現れていた恰幅のいい中年男が、憎らしげな目を二人に向けていた。資料にあった、取締役の男の顔と一致する。その両隣にもさらに二人のボディガードが付き従っていた。
 「…………」
 縛重が黙ったまま、鼻から息を抜いた音が聞こえた。鍵重はそんな男を挑発するように、わざと高飛車な声音で言う。
 「私達は澪漂第九管弦楽団の団長と副団長よ。それだけ言えば、私達の目的も分かるんじゃなくて?」
 「フン、どうせそんなことだろうと思ったわい」
 男は鍵重の言葉にも揺らがない。二人の命を握っているという状況が、彼に自信を与えているのだろう。
 「だったら分かるでしょ? ここで私達を殺しても、どうせ九龍に追われることになるわ。むしろ、澪漂まで敵に回すことになるから、状況はより悪くなる」
 「それで? 黙ってここで殺されろと言うのか? 自分の置かれた立場をよく考えてからものを言え。クハハハハ」
 男は哀れむような目で二人を見てあざ笑った。
 「そうだな、冥途の土産に教えてやろう。なぜ私がお前たちの襲撃を察知できたかだが……簡単なことよ。この街で売り物にしている娘たちの中にはな、サイボーグ手術で眼球に監視システムを搭載した奴が何人もいる。まあ流石にここまで早くやってくるとは思ってもいなかったがな。ハハハハ」
 男の調子に合わせて、周囲のボディガードたちも小さく笑った。と、
 「はん、なるほどねえ……」
 鍵重は隣の男が一瞬気を抜いた隙に、簪代わりに髪に挿していた鍵を一本抜き取って、その男の口に突き込んだ。同時に縛重も、足を軽く動かして隣の男の足に触れる。
 次の瞬間、二人の男は銃を取り落とし、フロアに崩れ落ちた。
 「なっ!?」
 取締役の男が驚くのもつかの間、一足飛びでその間合いに入った縛重が足で撫でるように三人の男に触れると、彼らも同じように床に崩れ落ちた。
 「…………!」
 男は何事かを叫ぼうとしているが、言葉にならない。鍵重はゆっくりとした歩調で彼に近づきながら、拾い上げた斧で床に転がったボディガード達の首を切り落としていく。

ザクン
 ザクン
 ザクン
 ザクン

まるで白菜でも刻んでいるかのような気軽さで四人の男の首を切り落とした鍵重は、そこでようやく床に這いつくばった男を見下ろした。
 「格好悪い台詞だけど、冥途の土産に教えてあげる。私のミスティック能力【ネガポジキー(躁鬱支配する鍵)】は、相手の精神状況を逆転させる能力なの。そしてそっちの縛重の能力、【バインドトゥゲザー(貴女も一緒に束縛を)】は、彼女が束縛されている行動を相手にも適用する能力……。詰めが甘かったわね?」
 男にその言葉は届いているのか――涙目で震えている男からは、先ほどの勝ち誇った気配は微塵も感じられない。しかし、鍵重は続ける。
 「そうそう、ここに来るに当たって、少し貴方のことを調べさせてもらったわよ? 何でも、紛争とかで親を失った子どもを買ってきて、働かせているらしいじゃない。全く……汚らわしい。だから男は嫌いなのよ」
 その瞳にはこれといった感情は浮かんでいない。しかしそれは逆に男を恐怖させた。
 不意に鍵重は斧を振るい、男の両足を傷つけた。切断するでもなく、しかし腱や筋肉を狙って断ち切り、残された行動である歩行をも不可能にした。声にならない悲鳴が上がる。
 「悪いけど、私は貴方なんか殺してやらない。この手で殺すのも忌々しい」
 もちろんそれは、だから見逃してやるとかそういう類の言葉でないことは、男にも分かっている。
 「さあ、縛重。もう行くよ?」
 「…………」
 縛重は最後に、汚いものを見るような目で男を一瞥すると、すでに歩き出した鍵重に続いてフロアから姿を消した。
 後に残されたのは、動くことも助けを呼ぶこともできずに、ただ転がっているだけの男。

                      ♪

鍵重と縛重が玄関を出てしばらく歩いていくと、背後の建物から炎が噴出した。もちろん鍵重が火を放ったのである。
 窓を突き破って立ち昇る炎を見上げて、鍵重は小さく笑った。
 「薄汚いゴミは、焼却処分しなくちゃね」
 「…………」
 縛重の瞳が、「そういう黒い冗談は好きではない」と物語っているが、鍵重はその建物が音を立てて崩れ落ちるまで、そうして炎を眺めていた。

                    ♪

 「また派手にやらかしたらしいな」
 千重の執務室で、纏重は新聞を片手にそんな呟きを漏らした。
 当の千重はというと、ソファに座った彼女のパートナー【ファーストケントゥリア(一線級の百群集)】澪漂百重の膝に頭を乗せて、耳かきをしてもらっている。
 「んー? 彼女達らしくていいんじゃないかな? ねえ、百重?」
 「少なくとも証拠は隠滅してくれましたからね……しかし放火とは、確かに派手といえば派手ですが」
 和んだ雰囲気の二人に、纏重は「フン」と鼻から息を抜いて、
 「けどよ、あいつらに言わなくて良かったのか?」
 「何が?」
 悪戯っぽく笑う千重。何か思うところがあるのか、それとも耳かきがくすぐったかったのか。
 「あいつらが元々あそこの娼婦が産んだ子どもだったってことだよ。どうせそれが目的だったんだろ?」
 「さあ? どうだろうねー」
 「はい、終わりましたよ。反対向いてください」
 いそいそとソファの反対側に回る千重に、纏重は食い下がる。
 「檻重の時にしてもそうだったが……千重、お前何を考えてる?」
 「纏重」
 そこで百重が、纏重の名を呼んだ。
 「いいのですよ、これで。依頼は依頼、こちらの事情は事情です。余計な感情を、仕事に持ち込むべきではないでしょう?」
 「だったら、何も当事者にやらせなくても……」
 「だって、もし自分の出自を知ったときに、全てが終わってたら嫌でしょ? だったら知らない内に自分でケリを付けてたっていう方がよくない?」
 千重はそれだけ言うと、目を閉じてしまった。百重もそれ以上は何も言うことはなく、千重の耳かきに専念する。
 「はぁ……分かったよ。この件については黙ってることにする」
 纏重は最後に大きなため息を吐いて、千重の部屋を後にした。閉じかけたドアの向こうで、
 「纏重、ありがとうね」
と千重が言ったのが耳に入って、纏重はやや乱暴にドアを閉め、ファントムハウスから出て行ったのだった。
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