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・女心は男心よりも清らかなものである。ただ男よりもよく変化するだけだ。
byハーフォード



 風が強く吹いている。
 景観だとか防災だとか建築基準だとかそういうものを一切合財無視したような建物が立ち並ぶ。絶妙なバランスで積み上げられたブロックのようなそれらの建物のせいで、細い道は暗く、入り組んでいる。だがそこにカオス的な美を感じる人間もまた少なくない。
 西区はトランキ学園の中でも比較的低所得層の多い区域の一つだ。かつての世界大戦後、アジアからの移民が大量に入ってきた影響で戦後五十年がたった今でも西区はアジア色が強い。
 日も暮れかけたまちの中を家路を急ぐ人々が早足で行きかっている。逆に飲み屋街近辺では夜にむけて出勤してきた人々が気だるげに準備をしている。そこにふわりと影が差した。建物から、建物へ。数メートルある路地を飛び越えて、人影が飛び移る。西区においては階段の使用を面倒くさがってこういうショートカットを行う人間は珍しいものではない。一瞬空を見上げた人々もすぐに自分の日常に戻る。だが、今跳んだ人物が誰であるのか気づいていればその反応もまた違っていたはずだ。
 傾いた建物の屋根、古びた看板、無計画に張り巡らされた電線。その間をまるで飛び石を渡るような気安さで渡る青年がいる。色とりどりの提灯がついた綱を踏みつけて古びた屋上の上に着地したところで、彼――序列270位【ヴァイスワーシプ(悪徳礼賛)】は足を止めた。そのビルからは西区のメインに当たる通りが見下ろせる。西区に拠点を置くランカーの多くがこの近辺に店を構えている。だが、足を止めたのは薄闇に沈み始めた西区を見下ろすためではない。
「…………」
「……やあ、不死川君。妙なところで会うね。何をしているんだい?」
「貴方こそなにをしているんですか?」
 給水タンクと空調設備の間に隠れている朧寺守希生を見つけて、陽狩は蔑みの視線をむけた。
彼はトップランカーである狙撃手の朧寺緋葬架の兄で学園の動物学と生態学を教える教師だが、この学園の教師の中では比較的癖が少なく押しの弱い――いうなれば生徒になめられがちな教師の筆頭候補である。陽狩とて、押しに弱く仕事を押しつけられたり、実の妹に銃で撃たれて逃げ回っているような男に教師だからという理由で敬意を払うつもりなど毛頭ない。
 だが、なぜだか自分でも分からないが妙に気になるところのある人物でもある。陽狩は顔をしかめた。
「そこに野生動物はいないと思いますよ?」
 皮肉をこめて言うと、守希生は唇に人差し指をつけて『静かにしてくれ』と懇願した。
「多分もういないと思うけど、油断できないんだ。あの子は」
「また妹と兄妹喧嘩ですか? 逃げ回るしか能がないとは情けない」
「お兄ちゃんだからこそ、妹に手を上げるわけにはいかないんだよ」
 守希生は肩をすくめてみせた。癖のある髪がひょこひょこと跳ねる。どことなく愛きょうのある仕草はいい歳した男とは思えない。といってもここの教師陣は若いか見た目が若いのでほとんど年は変わらないように見えるが。
「じゃあ、私は忙しいのでこれで」
 陽狩は踵を返した。チャンスさえあれば殺人行為を行う夏羽と違い、陽狩は楽しいと思える相手しか殺さない。学者である守希生は好みの範囲外だ。だが、背を向けた瞬間、思いがけない言葉が返ってきた。
「オイタはほどほどにね。僕は教師だから生徒や学園関係者殺し以外はとやかく言う気は微塵もないけれど、エンゼルフィッシュの御令嬢はなかなか強力なキャラだよ。あと、死体はちゃんと片付けてくれると助かる」
 ゆっくりと陽狩はふりかえった。守希生は先ほどと変わらない体勢で、給水タンクの裏からそっと通りをうかがっている。その仕草は滑稽といってもいい。だが、聞こえた言葉は笑い飛ばさせるようなものではない。
 陽狩の殺人も、今日の行動も、その理由も、今後しようとしている行動すら見透かすような言葉。無意識のうちに手が動いて服の上から暗器を確認する。
「――――物知りですね」
「先生だからね」
 陽狩のまとう空気が変わったのに気づいているのかいないのか、守希生の視線はせわしなく眼下の通りやビルの影にむけられている。
 あまりにも言動がちぐはぐだ。陽狩は目を細めた。裏にあるものをのぞきこもうとするかのように見つめ――――そしてすぐに飽きる。代わりにそっと引き抜いた片手剣が沈む夕日に赤く染まる。波のような刃はフランベルクという剣全般の特徴だ。それは美しいが、治りにくい傷をつけて相手を滅ぼす。
 予備動作もほとんどなく一気に間合いを詰める。慣れた戦闘者には十メートル程度の距離など距離ではない。だが、刃は獲物に達することなく空を薙いだ。間一髪、本当に髪の毛が切れるほどのギリギリの位置で身体を大きく沈みこませて守希生は一撃をかわす。返す刃での斬撃を逆ののけぞるようにしてかわし、せまい空間で身をひねって後ろに跳ぶ。屋上に無理やり置かれた貯水タンクが邪魔をしてそれ以上の追撃は出来ない。舌打ちをして陽狩は空調の屋外器を踏み台にせまくなっている場所を飛び越えて、やや広い空間に飛び出す。だが、その時にはすでに守希生は背中に背負っていた鞄から細長い包みをひきだしていた。中身がなにかは想像がつく。出させる前に勝負をつける。そう決めて加速に入った瞬間、袋に入ったままのそれを守希生は平然と構えた。咄嗟に飛びのいた瞬間、つい先ほどまでいた場所の床に銃弾のめり込む。守希生はよりにもよって布製の袋に仕舞ったライフル銃を袋から出さずに発砲したのだ。袋は先端部分に穴があき煙が上がっている。守希生は失敗したと言わんばかりの顔をして袋を捨て去った。その下からはどこかレトロな雰囲気の狩猟用のライフルが現れる。
「不死川君。殺人免許保持者以外の殺人行為および仕事や正当防衛以外での学内での暴力行為は禁止されているよ。そういうことは教師の目を盗んでやりなさい」
 めっ、と子どもに言い聞かせるように守希生は言った。だがその手にはライフルがある。やはり行動と言葉がそぐわない。陽狩は眉を寄せた。
「前々から思っていたんですけどね、先生」
「ん? 質問は授業中に頼むよ」
 授業外だと時給発生しないからね、とおどけたように守希生は言う。それを無視して陽狩は尋ねた。
「貴方、本当はそんなに弱くないんじゃないんですか?」
 はじめの一撃も続く攻撃も首を刈り取るつもりでやった。だが、刈り取るところか髪にすら当たっていない。そして床にめり込んだ銃弾は袋に入ったまま撃ったとは思えないほどに正確な軌道だった。正規のフォルダーに武器を納めていないのは腑に落ちないが、いざという時にそのまますぐに撃つことを想定しているならばありないことではない。
「なにを企んでいるんですか?」
「企む?」
 心底嫌そうに守希生は首を傾げた。
「企みごとなら妹が企んでいる分だけで十分に間に合っているんだ」
 守希生は片手で顔を覆って嘆いた。
「それから次に攻撃してきたら、君、退学審査委員会に書類提出するからね」
「卑怯な真似を」
「教師として至極まっとうな判断かつ、君は素行不良での退学有力候補だってことをそろそろ思い出したほうがいいと思うよ」
 嘆きのポーズのまま守希生は答えた。陽狩は舌打ちした。ここで口封じしておくという手もあるが、背景の見えないものには手を出さないほうが無難だ。幸い、守希生のほうにはあえて厄介事を承知で陽狩に対するなんらかのアクションを起こす意志は感じられない。
 武器を退こうとした瞬間、視界のすみになにかがうつった。それがなにか認識するよりも先に飛び退く。ほぼ同時に守希生の方も大きく後ろに飛びのいた。そしてちらりと遠くを見やり、次の瞬間ためらいなく体重を後ろに倒す。そのままその姿はビルの上から消えた。やや遅れて下のほうから物音がする。人が落ちたにしては軽い音だ。おそらく途中の配線か突き出た窓枠などを利用して勢いを殺しながら着地したのだろう。
 冷静に考えると学園で五指にある狙撃手から、泣きながら逃げ続ける芸当のできる人間が普通であるわけがない。次に遭ったらまた襲撃してみよう。心のスケジュール帳に未来図を書きこむと、陽狩は視線を改めて前に見えた。
 コンクリートの床に二つの弾痕がある。一つは守希生が威嚇射撃で撃ったもの、もう一つはつい先ほど守希生と陽狩の丁度中間地点に着弾したもの。
 角度から位置を頭の中で計算し、視線をむける。優れた視力は離れた場所でじっとこちらを見ている人物を捕らえた。その唇が動く。声は聞こえないが、なにを言っているかは分かる。
「ふうん……『じゃまをしないで』ですか。邪魔はどちらだか」
 燃えるような赤い髪が見える。その姿は次の瞬間には消えていた。追いかけることはできたが、陽狩はしない。代わりに唇をつり上げた。
「…………面白くない」


**


 どこからかふわりと煎茶の香りがした。
 アナログに紙に印刷された弁護人リストとにらめっこをしていた夏羽は顔を上げる。キッチンのほうから、いい香りがしてくる。今時、わざわざ家で料理をする人間など少数派だが、珠月はその少数派に属する人間だ。食べることに興味があるとか作ることに興味があるとかいうこともあるだろうが、それ以上に篭森珠月は料理が得意という事実が彼女にとっては重要なのではないかと夏羽は思う。
 篭森珠月はかなり欠落の多い人間だ。だが、同時に『篭森』珠月は完璧でなくてはならない。
 家柄というものは大変だなと夏羽はぼんやりと思った。同時にがらにもなく自分の家族のことを考える。入学と同時にきれいさっぱり縁が切れていて、今では生きているのか死んでいるのかも分からない。そして生きていても死んでいても欠片も興味がない。向こうだってきっと同じような感じだろう。家族だの家だのは人間の持ち物だ。人でなしには、無用だ。
「夏羽、まだ決めてないの? さっさと決めないと期を逃すよ? それとも実は結婚したいわけ?」
「仕方ないのですよ。芋虫の脳みそが判断できることなど、高が知れているのです」
 ひょっこりと珠月と契が顔を覗かせた。有華は仕事があるから帰らないと古屋敷に埋められると、夕食を食べられないことを残念がりつつ一足先に帰宅した。家のどこかにいるはずのミヒャエルは、夏羽を警戒して出てこない。
「もうすぐご飯の時間だよ。さっさと決めてくれないかな」
 ふわりとスカートをなびかせて、珠月は夏羽の向かいに座った。笑ってはいるが目が笑ってない。かなり機嫌が悪いと夏羽は判断する。
「分かってはいる」
「まったく夏羽は後先考えないんだから。言っておくけど、これ以上面倒になりそうなら私は手を退くよ。貴方は私の友達だけど、私は貴方よりも四十物谷や深紅を優先させないといけない。貴方にばかりかまけているわけにはいかないんだ」
「堂々と贔屓を宣言されるとは思わなかった」
「贔屓?」
 クスリと珠月は笑った。
「なにを勘違いしているか知らないけれど、貴方、自分が私になにをしたか都合の悪いことは忘れてしまったのかな?」
 放置されたままだったティセットの間から細いフォークをつまみあげて珠月は言った。次の瞬間、フォークを持った手がすばやく動き、夏羽の喉元で止まる。
「貴方がエドワードを殺そうとしたこと、私も深紅も戒も決して忘れはしないよ。それでも私が貴方を庇うのは、縁を維持しておくだけの価値を貴方が産む可能性を考慮してのことだ。私はそれほど慈悲深くない。命に関わる厄を次に運んできたときは、それが意図的でもそうでなくとも私は貴方を強制排除する義務がある」
 デザート用のフォークとはいえ、完全に頸動脈の真上で止められては身動きができない。あくまでもかるい口調で語る珠月を、夏羽はにらんだ。珠月は無視する。
「ひとでなしに逃げ場があると思うな、夏羽。必要なものはこちらで揃えてやると言っている。たまには殺す以外の選択肢をしてみせろ。それができないなら、貴方に期待することはもうないんだよ」
「なっ」
「違うとでも?」
 珠月は鼻で笑った。
「貴方にある選択肢は、殺すかどうにか説得するか――あとは自殺くらいのもんでしょ? 仮に結婚したところでそれは三日持たずに破綻すると思うね。あのお嬢さんは強いけど、それでも貴方に勝てるとは思えない。殺人鬼なんかと一緒にいて平気なのは、それを凌駕できる実力者かおなじ殺人鬼くらいのものだ」
 思わず目を見開いた夏羽に、珠月は言い捨てる。
「貴方が頭脳労働が苦手なことは知っている。それでも、学園の生徒なら少しはそれらしい能と根性を見せてみなさいな。どうせ貴方が失うものなんて最悪でも自分の命くらいでしょ? 何をためらうことがあるの、ディアフレンド?」
「…………誰がお前のお友達だ。魔女め」
 夏羽は口の端をつり上げた。
「俺はお前なんか友達と思ってねえよ」
 夏羽に友人はいない。そう呼べるようなものは軒並み殺してきた。だから、一般的に親しいとされる四十物谷も珠月も友人ではない。ただのまだ死んでいない知人だ。夏羽が殺せるほど弱くないから生き残っていて、夏羽との交流に一定の価値を見出しているからこそ付き合いが続いているにすぎない。それでもついうっかりそこに逃げ込んだのは、どこかに残っている心の弱さが原因だろうか。
「俺に友達なんていねえよ。これから先も、必要ない。群れるなんぞごめんだね」
「うふ。それは寂しいこと」
 珠月との会話で再確認する。殺人鬼に人間のお友達や家族などいるわけがない。深呼吸すると頭が少しクリアになった。予想外の出来事に思った以上に自分が動転していたのだと思い知る。
 落ち着いて考える。夏羽はひとでなしの殺人鬼だ。どんな面倒な理由があるとしても、鬼が人を恐れる理由などない。相手の人脈や立場は恐ろしいが、それでも本当にいざという時は首を落せばそれまでだ。無理やり相手のステージに立とうとするから、どう動けばいいのか分からなくなる。ならば、自分は自分のステージで戦うまでのことだ。そんな単純なことすら忘れていた自分に思わず呆れてしまう。
「…………篭森」
「なあに?」
「やっぱりいい。代理人なんぞ、俺の趣味に合わねえわ」
「そ」
 珠月は突き返されたリストをあっさりと受け取ってフォークを引いた。ソファの肘かけ部分に座って様子を見守っていた契は、なんだか面白くなさそうな顔をする。
「じゃ、直接行くのですか?」
「ん」
 夏羽は考えた。そして、聞く。
「篭森、あのクソアマが送り込んできた俺を捕獲するための一味とやらは、殺しても構わない連中か」
「かまうか構わないかでいうなら後者だね。でも手遅れだよ」
 いつの間に手にしていたのか、珠月はそれを投げてよこした。タッチパネル式の端末にびっしりとなにかの報告書のようなものが書かれている。
「残念ながら全員死体だ。貴方の行き先を邪魔するものはいないと思うよ。この件に関してはだけど。まあ、明日になれば追加要員が来るかもしれないけど」
「お前がやった……んじゃないよな」
 珠月は大げさにおののいて見せた。
「そんな罪もないひとを殺戮するような恐ろしいこと、私がすると思う?」
「どちらかというとお前こそがすると思う」
 頭のすぐそばを空気を切り裂くようになにかが通過した。ふりかえらなくともなにかは分かる。先ほどまで契がさりげなく弄っていたケーキ用のナイフが今は見当たらない。
「契ちゃん、壁紙お気に入りだからやめて」
「ああ、これはうっかりしたのです。ごめんなさい」
「お前らは俺の頭の心配をしてくれ」
「いつだって心の中でしてるよ」「そうですよ。こいつの頭はおかしいと心配しているのです」「誰が頭の中身を心配しろと言った。俺はもっと物理的な意味で言っている」
 言いながらゆっくりと立ち上がり、そのまま勢いをつけてテーブルと飛び越える。跳ぶと同時にフォルダーから拳銃を抜きだし、狙いを定める。だが、そんなことを予想していたとばかりに珠月は優雅にソファに座ったまま、テーブルを蹴りあげた。ありえない動きで重たいはずのテーブルが跳ね上がる。
 ミスティック能力。不可能を可能にする現代の『魔法』。珠月の能力はあらゆる物体を自在に操ること。
 飛んできたテーブルを咄嗟に踏み台にして軌道を変える。このまま前に跳べば間違いなく撃たれる。後ろに跳んで距離を取っても同じだ。ならばとテーブルの上に乗っていたものとテーブルクロスを前に向かって蹴りとばす。一瞬だけ相手がそちらに気を取られてくれることを期待して、斜め後ろに跳び降りる。着地と同時に大きく身体をひねって銃弾をかわした。珠月はまだ泰然とソファに座っている。その手には小ぶりの拳銃。そして、もう一人の姿を探すよりも前にわき腹に衝撃が走った。身体が大きく吹き飛ばされる。だが、そのまま後ろの窓に叩きつけられるよりも前に、夏羽は無理やり着地した。銃を構えようとするが、その前に赤いヒールが横からそれを弾き飛ばす。床を転がり、予備の銃を構えたところでほぼ同時に目の前に銃口が突きつけられる。そこでやっと、部屋にいる全員が動きを止めた。
「…………とうとう気が狂ったの?」
 ゆっくりと部屋の中を見渡して、珠月は立ち上がった。
「契ちゃん、怪我してない?」
「うに。おねえちゃんがこんなカマキリに傷なんかつけられるはずないのです」
「そ。よかったね、夏羽。さすがに私が契ちゃんに傷をつけたらただではすませなかったよ。でもテーブルと食器とテーブルクロスは弁償ね。六十八万」
「高っ!!」
「安い方だよ。うちにあるものでは」
 浮世離れした発言をして、やれやれと珠月は首を振った。殺されかけた危機感など微塵もない。
「おねえちゃんとしてはこんな恩知らずは早めに駆逐するのが世のため人のためだと思うのですよ」
「うん、否定はしない」「しろよ」
 契と銃を突きつけ合いながら夏羽は言った。珠月は視線だけで銃を下せとうながす。数秒間にらみ合ったところで、夏羽は銃を下ろした。契も慎重に武器を下ろす。
「で、何の真似? 返答次第では」「ただでおかないっていうんだろ。その脅しもそろそろ飽きてきたぜ。意外とワンパターンな思考しかできねえんだな」
 珠月は顔をしかめた。そして少し考えた後、続ける。
「よし。返答次第では弓納持の不死コンビ成人指定同人誌を商業ルートに乗せて全世界に売り出す。そしてゲーム化、アニメ化とメディアミックスを展開する」
「殺すぞ」
「できるものならやってみろ」
 うっすらと珠月は笑った。レースとリボンに彩られた少女に似合わない――もしくは必要以上に似合っている――上から見下ろすような笑みは、普通の人間なら恐怖で直視することすらためらうほどの迫力がある。しかし、見慣れている夏羽はああ篭森だなというくらいの印象しか受けない。
 珠月をちらりと見て、契は楽しげに笑った。
「金のかかった嫌がらせなのです」
 問題は本当に実行できる財産とコネがあるところだ。しかも確実に相手が嫌がるポイントを押さえている。
「まったく。ここまでされても殺さないし拷問もしない私の寛大さに、貴方は海より深く空より高く感謝すべきだよ。本当、なにがしたいの?」
 珠月は笑みを引っ込めると、ことんと首を傾けた。おっとりした声に、張りつめた空気が霧散する。夏羽はゆっくりと立ち上がった。契は面白くなさそうな顔で珠月の隣に並ぶ。
「…………やっぱ殺せないか」
「うに。その言い方では」
 契は瞬きひとつして、不審そうに夏羽を見やった。
「殺せなくてよかったと言っているようなものなのです」
「うふ。さてどっちかな。殺せなくてよかったのか、殺そうとできてよかったのか」
 意味深に二人の少女は笑った。その声は黙殺して、夏羽は自分の武器を確認する。
「篭森」
「弾は二ダースくらいでいいよね? 予備のナイフは必要?」
 けろりとした顔で珠月は答えた。そして無造作にジャケットの隠しポケットから取り出した包みを投げ渡す。
「中身だけ取って包み返して」
 あくまでも指紋は残さない。中身を抜いて袋を投げ返すと、珠月は片手でそれをキャッチした。
「あとで紛失したことにして届だしておくから」
「あくまでも無関係でいる気だな」
「いる気じゃなくて無関係なの。調子戻ったなら、いってらっしゃいな」
 まるで保護者のような口調で言われて、調子を狂わされていることを見抜かれていたことに苛立ちのような感情が湧き起こる。しかし、それを相手にむけるのは筋違いと思い直して、夏羽は無理やりそれを飲みこんだ。代わりに嫌味を吐く。
「あいかわらず、ババくさいな」
「違うよ。聖母のように懐が深いんだよ」
「自分で言うな」
「うん。嘘だよ」
「そんなことないのです。珠月のおねえさんの愛は女神も降伏する深さなのです。でもそれをあのゴミ虫に向けるとはぱるぱるぱるぱる」
 射殺しそうな目を契にむけられ、夏羽は思わず視線をそらした。
「……もう行く。世話になった」
「どういたしまして。請求書はどこに送ればいい?」
「…………後で取りに来る」
 クスクスと笑う珠月としげしげと観察してくる契の横を通りぬけ、無駄に豪奢な扉を開ける。そこでふと思いついてふりかえった。
「あいつはどこに行ったか把握してるのか?」
「どなたのこと?」
 ころころと珠月は笑って見せた。嫌がらせのような態度に、夏羽は顔をしかめる。
「あれだよ」
「どれ?」
「代名詞では伝わらないのですよ」
 契もけろりとした顔で乗る。夏羽は殴りたくなるのを拳を握って堪えた。
「陽狩の野郎がどこにいったか知らないのか?」
「最終情報は三時間弱前に西区で銃撃戦」
「それを俺に教えろよっ!!」
 慌てて夏羽は走りさる。それを見送って、契は珠月に視線を向けた。
「はあ、篭森のおねえちゃんは優しすぎるのです。あんな産業廃棄物にまで情けをかけて」
「……色々都合があるんだよ」
 散らばった食器の残骸を一つ拾い上げて、珠月はため息をついた。
「あれがいなくなると、四十物谷や遠が残念がるし……それに陽狩より先に夏羽にどうにかなられると本気で困るんだ。その後の陽狩の行動が予測できないから」
「たしかにそれはあるのです」
「それに私は、顔も知らない誰かの命や幸福より、顔を知っている誰かの楽しみが大切だしねぇ」
 ぐちゃぐちゃになった部屋を見渡して、珠月はため息とともにソファに座った。契もその隣に座る。
「で、おねえちゃんの今後の筋書きは?」
「なるようになるよ」
「……」
「経歴見た感じ、相手もそう易々とどうにかされるお人でもないようだしね。残りは傍観者に徹しさせてもらうよ」