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女よりも悪いもの


『女より悪いものはなにか?』(あるおとぎ話の悪魔のなぞなぞより)

 机の上で携帯電話が雑魚敵出現のテーマを奏でる。PCの画面から一瞬たりとも視線を外さずに、トランキ学園序列24位【イノセントカルバニア(純白髑髏)】篭森珠月は携帯電話のストラップをつかんで引き寄せる。そしてなり続けるそれに表示された名前にかすかに眉をしかめた。

 From 不死原夏羽

 『殺人鬼』と恐れられる知り合いの名前に珠月は顔をしかめる。顧客にはあまりお見せしたくない名前だ。そして真昼間から着信を鳴らすような相手でもない。一応は友人に限りなく近い知人のカテゴリに入るのだろうが、彼から連絡が入る自体というのは極端に限られている。
 無視しよう。珠月は決めた。そっと携帯電話を手で押して遠ざける。まもなく電話は自動的に留守番サービスセンターに切り替わり、着信音の嵐は止まった。
 と思った直後、再びけたたましい音を立てて電話がわめきだした。表示された名前は確認するまでもない。そのまま耳を塞いで無視を決め込むと再び留守番サービスセンター行きになり、電話は止む。そして数秒後、また鳴りだす。
 しつこい。
 鳴っては切れるの一連の動作が五回目に入ったところで、珠月はやっと電話の通話ボタンを押した。同時に怒り狂った知人のわめき声が聞こえて、思わず携帯電話を耳から離す。
「――――ハロハロ。こんな真昼間から殺人鬼と楽しく会話をする予定はないよ。一体全体どうしたっていうのかな?」
 げんなりした気持ちを完全に隠して、努めて無邪気な声で珠月は話しかけた。その間も電話のむこうからは怒りの叫び声と破壊音のようなものが聞こえる。最新式の携帯電話の感度の良さは知りたくない音まで運んでくるから困ったものだ。
「たいした用事じゃないなら切るね。私、仕事中だから」
『っ、切るな!!』
 焦ったような声に珠月は首を傾げた。てっきりいつも通りなにかトラブルに巻き込まれたのでどうにかしてほしいとかいう類の話だと思っていたのだが、違ったようだ。
「どうしたの?」
『助けてくれ。俺』
 明確に助けてくれと言われて、珠月は首を傾げたまま動きを止めた。一瞬、幻聴かとも思うがそんな幻聴を聞くほど疲れてはいない。ゆっくりと瞬きをして、珠月は姿勢を正す。もしも本当に電話のむこうの相手が助けを求めているなら、それはかなり重大な事態だ。
「夏羽」
 覚悟を決めて珠月は問う。
「私になにをしてほしいの?」
 単刀直入に、何の裏もなく探り合いもなく尋ねる。荒い息のむこうで彼は答えた。
『助けてくれ。結婚させられる!』
 珠月はためらうことなく電話を切った。



 学園都市トランキライザー。
精神安定剤の名をもつこの都市にすまう学生は常に変動するもののおよそ630万前後とされている。さらに教職員や学園設備を維持するための各種業者、学生目当てのビジネスに従事するもの、様々な理由で学園都市に席を置くものを加えるとその人口は膨大なものになる。
さらにこの学園が出来る前――――第一次非核戦争以前にこの場所にあった日本国東京都の住人の子孫たちや、違法に滞在している人間も入れればどれほどの人が暮らしているのかは誰も把握していない。
 だが、この都市が世界にその名をとどろかせているのは単に巨大な学園都市であるからというだけではない。国家という社会体制が崩壊し、企業が人々の暮らしの基盤組織となった黄道歴以降の世界で、ライバル企業やスパイすら容認しただひたすらに『次世代の世界を動かすもの』の育成を掲げて建設されたこの都市は稼働より16年、いまだひとりの卒業生も出さないながらも学生の身分で様々な企業としのぎを削り、暦年の学者と知を争い、卓越した戦争屋と命を取り合うまさに実践的な意味でのエリートを輩出し続けている。とりわけ、トップランカーと呼ばれる成績上位300名の能力は凄まじく、すでに大会社の取締役や組織の幹部の座にあるものも少なくない。近い将来、ここより旅立ったものたちが世界をまわすことは間違いない。
 学園都市トランキライザー。
 それは真の意味で才能をもつ天才にして天災のみが通う世界最大級の教育機関である。



 トランキライザーはおよそ東西南北中央地下の六つの地区に別れ、学年は予科の六年と本科の十年からなる。入学に年齢制限はあるが、進級に年齢による制限はない。よって学園の生徒は一ケタから二十代まで年齢はばらばら。同じクラスにいても年齢が違うことのほうが多い。加えて本科生は先行によりいくつかのクラスに別れ、さらにその中で習熟度によって細分化される。また独自のシステムにより授業に一度も出なくても卒業が可能であるため、学生だからといっていつでも学園にいるわけではなく、ましてや教室で授業をうけているわけでもない。
 というわけで、平日昼間のこの時間帯もトランキライザーの街中はまるで休日のように人であふれている。
 イーストヤードの電気街を歩いていたトランキ学園序列225位【ラヴレス(愛を注ぐもの)】空多川契は、ひとの多さに思わずため息をついた。オフィス街の多いイーストヤードでこの状態では、商業地区のサウスヤードはどれだけこんでいるのだろう。しかしよく考えるとイーストヤードは観光地的な側面もあるのだから、この人ゴミも仕方ないと考え直す。現在のイーストヤードを支配するリンク――学園生徒が作るサークルのようなもの。結社や企業の形態を取ることが多い――はダイナソアオーガンだ。支配は安定しているし、まちは順調に発展している。人が多くなるのは悪いことではない。
「うう、でもひとがゴミのようなのですぅ」
 自分もその人ごみ構成員のひとりであることはまるっきり棚にあげて契は呟いた。そんな彼女の姿に気づいた通行人がちらちらと視線を投げかける。学園の成績上位者――いわゆるトップランカーは、学園内において芸能人のようなものだ。歩いていれば当然気になる。だが気になられるほうは落ち着かない。
「なんか楽しいことでも落ちてきてほしいのですよ」
 直後なにかが破裂するような音とともに凄まじい悲鳴が上がった。飛び降りかとか事故とか叫ぶ声が耳に入る。だがそこは学園の生徒。冷静に東区の管理組織に連絡を入れ、落ちてきたというものに駈け寄り、特にやることのないものは通行の妨げとなることを避けるべくさっさと自分たちの活動に戻る。だが契はそれらのどの行動も起こさず、代わりにすぐに上を見た。立ち並ぶビルの間に一瞬だけ影が見える。
「……ふうん」
 契の唇が笑みのかたちにゆがんだ。ふりかえって落下したらしい人影を見る。きちんと着られた黒いスーツが見えた。年齢は二十代後半から三十代だろうか。それだけで生徒ではないと判断できる。加えてここの学園は学園関係者であってもあそこまできっちりとスーツを着る人間は少数派だ。ほとんどが礼儀がどこかにいくほど着崩している。
「これは篭森のおねえちゃんに知らせてあげないと」
 契は自分の勘を信じている。他のランカーの多くがそうであるように。少しでもおかしいと思ったら、それはやはりなにかがおかしいのだ。それが自分にふってくるとは限らないが――――
「備えあれば憂いなし、です」
 同時に胸元に押し込んだ携帯電話が着信を告げる。引っ張り出すと、つい先ほど口に出した人物の名前がディスプレイに表示されていた。タッチパネルを叩いて、契は電話に出る。
「はいはい、おねえちゃんなのですよ。ラブです」
『はいはい、私も愛してるよ。今、大丈夫?』
 軽口をたたき合って二人は笑う。
「今はイーストヤードの電気街にいるのです。弓納持のおねえさんとお茶でもしようかと思って」
『それはいいタイミングだった。そのお茶の場所、うちにしない?』
 珠月の誘いに契はすばやく頭を働かせた。本来ならまだ珠月は業務時間のはずだ。それなのにこのいい方ということは午後から休む気なのだろう。
「……いいのですよ。おねえちゃんも篭森のおねえさんに話したいことがあるのです」
『分かった。家で待ってる。もし私の帰宅より先に付いたとしてもミヒャエルがいるはずだから、彼に上げてもらって。ちょっと……私の脳では処理しがたい事案が発生してね。どうしたものかとちょっと外部の意見を聞きたいの』
 ほとほと困り果てた声で珠月は言った。珍しい友の様子に契は思わず目を瞬かせた。
「おねえちゃんは篭森のおねえちゃんの憂いを晴らすためなら、ゴミ虫の百匹二百匹踏みつぶす覚悟なのですよ?」
『あ、そっち方面の困ったじゃないから平気』
 とにかくうちに来て。そういって電話は切れた。



イーストヤード・虞骸館。
 東区屈指の高級住宅街にして著名人の自宅が軒を連ねるこの通りは、ある種の観光地ともなっている。ただしセキュリティが高すぎて迂闊に近くの家の塀に近付こうものなら警報機が鳴るいささかスリリングな観光地である。
 その一角に篭森珠月の自宅、通称虞骸館はある。日本家屋が多い東区の住宅街の中でひときわ異彩を放つそのレトロな洋館は、ある人にとっては聖地として崇められあるひとにとっては悪魔の館として恐れられている。その理由の半分くらいは高名な彼女の両親のせいで、残り半分は彼女の目立ちすぎる言動のせいだ。
 といっても、契にとってはその場所は友人の家以上の意味はない。インターフォンを押せば友人の疲れ切った声がお出迎えしてくれたので、合流した弓納持有華とともに家の中に入る。ヴィクトリア形式を主体とする屋敷はいつも通り片付いていて、絶妙に配置された家具や絵画が訪れる客を出迎えている。しかし妙に静かだ。
「篭森のおねえちゃんは?」
「こちらです」
 玄関まで出迎えたミヒャエル・バッハの案内で南向きの談話室に入ると、ティセットの乗ったテーブルをはさんで二人の人物が席に付いていた。どちらも手元のカップを弄っているばかりで口を聞くどころかお茶にすら手をつけていない。
「遅くなりましたのです」
「……お邪魔します。篭森さん」
 異様な空気に有華は契の後ろに隠れる。契は特に気にした風もなく中へと足を進める。そして空いていた珠月の右隣りに座る。有華は相手を警戒しつつ左隣りに座った。その二人の顔を見て、珠月と向かい合う人物は眉をはね上げた。
「おい、なんでそいつらが来るんだよ」
「そいつらとはご挨拶なのですよ。お前こそ、なんでいつもいつも篭森ちゃんのおうちに上がり込んでいるんですかこのウジ虫が」
「二人とも、そのティカップの値段教えようか?」
 殺気すら放ちかねない態度に珠月はため息をついた。途端に全員が無言になる。珠月の家にはまれに値段すらつけられないものがあるのは、よく知られた事実だ。いくら金持ちのトップランカーといっても笑ってすまされる賠償ではない。
 場が鎮まったのを見て、珠月はもう一度口を開いた。
「夏羽。じゃあ悪いんだけど、もう一回話を整理しようか」
「お前の脳みそなら一回言ったことは全部理解できんだろ?」
 対面の客――序列269位【クルワルティワーシプ(残酷礼賛)】不死原夏羽は嫌そうな顔をした。ふるふると珠月は悲しげに首を横にふる。
「残念ながら、私の脳が理解を拒否しているんだよ」
「そうかそうか。お前、四回電話を無視して、三回電話切ったもんな」
「悪戯電話だと思ったんだもん。そして悪戯電話じゃないとしたら、なおのこと関わり合いになりたくなかった」
 見えない会話に契と有華は顔を見合わせて首を傾げた。そもそも人脈も知略も戦闘能力も権力も並み以上にある珠月が困り果ててたまたま連絡してきた友人を呼びよせるなど、年に何度もあるようなことではない。しかも呼ばれたのが契だけならともかく、戦闘能力など一切ない一介の編集者である有華も一緒というのは解せない。加えて有華は夏羽に心の底から嫌われているのだ。
「なにがあったのです?」
 契が口を開くと夏羽は苦い顔で黙り、珠月は引きつったうす笑いを浮かべる。
「夏羽がね、ちょっとトラブルに巻き込まれちゃって。初めは四十物谷のところにいたみたいなんだけど、むこうじゃ押さえられなくなったからうちに避難してきたの。私は『篭森』だからね」
 篭森に連なるものの敷地内となれば、大企業であっても証明から手を出すことはまずできない。それこそ黄道十二企業クラスの権力が必要だ。よって色々と微妙な立場の亡命者をお茶会名目で一時保護することはこれまでにもあった。
 しかし今回、それが学園でも指折りの殺人鬼かつ学園最高峰の戦闘能力を持つ人間となれば意味合いが変わってくる。そのレベルの人間が逃げないといけない事態とは、いったいどういうことだろう。
「なんとなく大変なのはわかりましたですよ。おい、そこの虫けら。篭森ちゃんに迷惑かける前にさっさとここを出ていくのです」
「そうよそうよ。なんで珠月さんのところにいるのよ。あなたが帰る愛の巣は相棒のひか」「ちょっと黙っていてくれないかな。有華」
 珠月は手の甲で有華の顔面を殴って黙らせた。らしくない行動に契は目を丸くする。
 弓納持有華は腐女子である。おそらく学園の生徒はみんな知っているくらいに有名かつ命がけな腐女子である。その理由は彼女の萌え対象がリアルな男性陣でしかもそれらは皆、権力や戦闘能力に溢れた強者だからである。過去訴えられたことは数知れず、殺されかけたことも数知れない。だがなぜかそれ以上の支持者に支えられ、彼女は今日も生きている。そしてそんな彼女の最大の萌え対象はなにを隠そうここにいる夏羽と彼とコンビを組む不死川陽狩なのである。
「今は夏羽と陽狩の愛像関係については置いておくことにするよ」
「愛はねえよ」
 夏羽と陽狩は初対面で殺し合い、決着がつかなかったのでコンビを組んで今も相手の殺害機会を狙っている嫌なパートナーである。
「置いておくとするよ」
「……篭森ちゃんが疲れているのです。おねえさんが慰めてあげましょうか。はぐぅ」
「はいはい、はぐ」
「呑気に抱きあってるんじゃねえ!」
「ハグ一回で一日のストレスの何分の一かが消えるらしいよ」
「それは遠まわしに俺がストレスだということか」「あのっ」
 不毛な会話にはやくも復活した有華が口をはさむ。話をそらしすぎたかと珠月は肩をすくめて本題に入ろうとした。その瞬間、

「百合もノマカプも興味ないんで、ホモじゃないなら帰ってもいいですか?」

 空気が凍った。
「……清々しいくらいの変態発言だね、有華」
「篭森。こいつを撃ち殺してもいいか?」「駄目」
 ため息とともに珠月は頭を抱える。入室してきたミヒャエルは無言で空になったティポットを下げ、契と有華にお茶を出すと無言のまま退室した。重苦しい空気が立ちこめる。
「…………篭森ちゃん」
「うん、分かってる。あのね、ちょっと私の守備範囲外っていうか色々頭の痛いことがあってね、意見を仰ぎたい、というか苦痛を分かち合ってほしい」
 いいよね?と珠月は視線を夏羽にむけた。夏羽は憮然とした表情のまま、しぶしぶ頷く。もう一度ため息をついて珠月はやっと本題に入った。
「エンゼルフィッシュっていう食品会社知ってる?」
「知ってますよ。主に家庭向けのレトルト食品や非常食、軍用のレーションを作ってる食品会社です。日系の一族経営の会社だったかと記憶しているのですよ。食品会社といっても非常食がメインなので、軍需関係とも縁深いですね」
「あー、うちも前はちょっと取り扱ってたわ。学園内の需要なくてやめたけど」
 有華は、興味なさそうに答えた。
有華の努めるブラックシープ商会は、学内最大の総合製造小売業である。前身が商社であるため、いまでもあらゆる商品とそれを作る会社に通じている。
「まあね。うちの学園内なら、無名でもいいものを安く作るリンクがいくらでもあるし、そっちが人気あるもんね」
「リアルな意味で生産者の顔が見えるからねぇ」
 街中でその会社の幹部とすれ違えるという意味で、とても身近ではある。そして変なものを売りつければすぐさま報復が待っていることを知っている生産者はけっして手を抜かない。そのため、学園内における生徒が関係する会社のシェアは分野問わずかなり高い。
「で、この虫けらはそこの誰を殺したんです?」
「いや、殺していない」
 珠月は深いふかいため息をついた。そして机の端につんであった紙束を引き寄せる。履歴書のようなものに、銃を構えた高慢そうな少女の写真がクリップで止められている。
「そこの代表取締役社長の娘に珠希っていうのがいてね。まあ、この子なんだけど、現在は飛び級大学出たところで親の会社で修行中。趣味は旅行と狩猟で、特技は狙撃。それが先日、こう大陸のほうを走る横断列車あるじゃん。そこで列車強盗に遭ったと」
 契と有華の視線が夏羽にむいた。夏羽は睨み返す。
「俺じゃねえよ」
「夏羽じゃないよ。夏羽は別口で乗っていた」
 珠月が答えた。客という単語に契は疑わしそうな視線をむける。夏羽は顔をしかめた。
「フツーの仕事のほうだよ。用心棒」
「最近は個人が自分とこのドームシティの外に出るなんて、仕事が一部のセレブの趣味以外ではないんだけど、このお嬢さんは活動的だったみたいだね。この鉄道は観光関係の企業が所有してるもので、たまにこうして人を乗せて走るんだよ。まあそれはいい。それでだね、当然電車には用心棒も乗ってるし、そうやってくる強盗を追い払うのも一部ショウ化してるところもあるんだよ」
 珠月が解説を入れる。ああ、と契は頷いた。
「ところがその時は相手が悪かったらしくて何人かが客のいるところにまで入り込んだらしいんだ。そんでまあ、そこに夏羽が飛び込んで強盗を皆殺しにした、と」
「同じバイトのやつと誰が一番多く殺せるかで賭けしてたんだよ」
 晩飯おごらせた、と夏羽は胸を張った。そして大きくため息をつく。
「賭けなんぞするんじゃなかった」
「話が見えてこないんですけど」
 有華が肩手を上げる。珠月と夏羽は顔を見合わせ、重いため息をついた。
「まあ、それでなんというか用心棒にピンチを救われたお嬢様がね、つり橋効果ってよりにもよってな相手に恋を致しましてね。娘に甘い親もなにを考えているのやらそれを承諾しちゃったんだよ」
「過去のことは金で生産するから娘と付き合えと雇い主に言われて、給料もぎ取って逃げてきたんだよ」
 有華は口からお茶を噴き出した。契は茶うけの菓子をつまんだまま動きを止める。珠月は引きつった笑みを浮かべた。
「でもあきらめなくてね、お嬢様。学園内にひとを送り込んできてるんだよ。拉致してでも自分の領域に連れ去る気だよ。なんという命知らず」
 珠月は心の底からため息を吐いた。
「私はもう『俺、男しか駄目だから』とか言って断っちゃえばいいと思うんだけど」「そんな永遠に消えなくなりそうな嘘を吐けるかっ!!」「ってこいつが言うんだよ」
 珠月は顔を両手で覆った。
「四十物谷のところにかくれていたらなんか不審者がうろつくようになったっていうから、四十物谷を守るために二時間ほど前に私の家にかくまったんだけど」「俺を守る気はねえんだな」「私は四十物谷の保証人なんだ。彼が死ぬと色々痛い。頼むから私の身内を巻き込んでくれるな」
 言外にそれさえなければ容赦なく見捨てたのに、というニュアンスをにじませて珠月は呟いた。黒い。
「それにしても……私、どうすればいいんだろう……」
 本音がこぼれた。
「強制排除できないなら、外堀をどうにかできないのです? その人の親とか祖父母とかに止めてもらうとかそちらに影響力のあるひとに抑えてもらうとか」
 もっとも無難な意見を契は口にする。珠月は静かに首を横にふった。
「やってみたよ。一応やってみたよ。この二時間で」
「……だめでしたか」
「完全に……やつら面白がっていやがる。しかも私が介入したとして、なんか賭けが始まってるし、こん畜生。親すら……娘の命が惜しくないのかこの馬鹿どもは。駄目だ。理論で説得しようとしても情で流そうとしても、エンタメとして消化された」
 珠月の地獄の呻きのような呟きから、契は瞬時に状況を把握した。
 個人の力量というものが大きな力をもつ今の時代、各界の著名人というものは総じて地位と金と権力を持つ人間で自分の縄張り範囲なら大概の事が叶う立場にある。そういう人間がプライベートで次に欲しくなるのは退屈しのぎだ。なんといってもなんでも手に入るし、だいたいのことは先が読めてしまうのだ。手に入らないもの、先の読めないものが愛おしいと思うのは無理がない。
 もちろん仕事に差し支えがある場合はその限りではないだろうが、それでも他人の色恋沙汰などこれ以上の娯楽はない。
「上から脅しつけることもできるんだけど、プライベートでこの手の手札切ると後々思わぬところに影響が出てくるんだよね。娯楽を奪うと恨みが怖いし」
「おねえちゃんは意外と人がいいから、心配なのですよ」
「自覚あるよ」
 珠月は頭を抱えた。こういう瞬間、根の育ちの良さと甘さがにじみ出る。
「ねえ、夏羽。いっそのこと、この機会に悪い縁はすっぱり立ち切って結婚したら? 学生結婚してるひともうちの学校多いよ」
「駄目です!」
 有華が叫んだ。その場の視線が彼女に集まる。
「彼にはもう陽狩という大切な伴侶が」「はいはい、ちょっと黙ってね。ややこしい問題が増えるからね」
 珠月はパウンドケーキを鷲掴みにすると有華の口に押し込んで物理的に声を封じた。そして落ち着かない様子で携帯電話を弄る。ひっきりなしにメールが来ているのが横から見ていても分かるが、それを見る度に珠月の顔は曇って行く。
「………………………………もう嫌だ」
「ちょ、どういうこと!?」
 ケーキを飲みこんで有華は尋ねた。珠月は首を横にふる。
「お嬢がタイラントホテルにいるって。西区の」
「学園都市まできやがったのかあのアバズレっ!!」
 夏羽は絶叫した。珠月は遠い目をする。
「東区では身元不明の死体が電気街で多数発見か。嫌な感じ」
「あ、それおねえちゃん見たかもです」
 契は電話がかかってくる直前に見たもののことを話した。珠月は嫌そうな顔をする。
「陽狩の所在を突き止める必要があるな。こんなに手際よく死体を作れる人間は限られている。あいつ、朝から行方不明らしいんだよ。死体と関係してるなら早めに手はうたないと、私には東区の治安維持に関する責任もある」
 放り投げたい、と珠月は呟いた。
「珠月のおねえちゃんでもあのカミキリムシの所在が分からないのです?」
「あいつ、防犯カメラ避けて行動する癖があるし、一応あらゆる知人に見かけたら教えてって言ってるんだけど移動し続けてるみたいで何とも。死体が陽狩と関係あるかだけでも知りたいんだけどな。ライフワークならいいけど、お嬢殺す気なら厄介だ」
「なんであいつが介入してくるんだ?」
 ぼりぼりとクッキーを食べながら夏羽は尋ねた。
 空気が凍った。
「………………」
「なんだよ、その目」
「………………」
「言いたいことがあるなら言えよ!!」
「陽狩はね、夏羽が他人に長いことかまけてるのが気に食わないんだよ。自分と殺し合いをしてくれないのがね、面白くないんだよ」
 どこか棒読みに珠月は答えた。はあ?と夏羽は聞き返す。
「そんなことしてる場合じゃねえってことも分からねえのか? あいつ」
「もう、鈍いわね」
 キラキラした目で有華が立ちあがった。本人以外の全員が五センチほど距離を取る。
「愛よ。愛。もうお前ときたら俺というものがありながら他の女に目をうつしてるんじゃねえよ。お前は俺のものだぜというこの溢れんばかりの」「駄目だ。陽狩見つかんないわ」
 妄想スイッチが入ったのが怒涛のように喋り続ける有華を無視して、珠月は携帯を置いた。すでにあきらめモードに入っている。
「珠月さん、あきらめたの?」
「これ以上捜査の精度を上げるとお金かかるんだよね。あきらかに儲けのない事案で、これ以上色々動かすのはあれだからなぁ」
 珠月は呟いた。
 学園最高峰とはいっても金は無尽蔵ではない。人を動かせばそれだけ金がかかり、ものを消費すればそれだけ金がかかる。
「ポケットマネーでできることは限界があるよ。公私は分ける主義なんだ」
「公私混合の権化がしらっと嘘ついてるんじゃねえよ。言えよ。俺の色恋いに使う金と時間はねえんだって」
「分かってるんじゃん」
「否定するのが礼儀だろうがっ!!」
 珠月と夏羽は互いの襟をつかみ合った。それを見ながら、あと有華が間抜けな声を上げる。
「あるわ。不死コンビ限定で使える探索方法。無料で」
 その言葉に珠月が不審そうな視線をむけた。珠月の人脈と動員できる数は学園でも最高峰に位置する。それで特定できない人物の動きをローランカーである有華が特定するとは妙な話だ。
 視線をうけた有華はふふんと笑った。
「蛇の道は蛇。女子ネットワークはすごいんですよ」
 そう言って携帯電話を取り出すと学園の公式掲示板につなぐ。何をするのかと珠月は首を伸ばし、契も立ちあがって画面の見える位置に回り込む。

『【殺し合い】不死コンビの萌え行動を見たら報告するスレ801【殺し愛】
1 以下ななしがおおくりいたします
 夏羽観察中。場所は東区とだけいっておく。
 夏羽と陽狩が喧嘩したそうです。なんか夏羽に近付く女がいるとかいう理由で。
 嫉妬ですね。分かります。そして嫉妬している自分が許せない陽狩と、嫉妬されていることに気づかなでなにを怒ってるんだって逆に怒ってる夏羽萌え。この天然お馬鹿受けめ。
萌え過ぎて毛根が死滅した。
そのころ陽狩は……

「おい、ふざけるな。私は真剣に困ってるんだ! あとスレ立てすぎ!!」
 珠月が怒った。がしっと有華の後頭部をつかむ。女子の小さな手だが、それでも十分に怖い。だが、有華は首を横にふった。
「ふざけてません」
「これでどうやってやつの居場所が分かるっていうんだよ」
「まあまあ、見ててください。こうやって燃料を投下すると」
 自動更新がオンになっているページが見る間に更新されていく。珠月は目を見開いた。
「えーと、『昼ごろに電気街で見た。一人でビルの屋上で風に吹かれていたのは遠い片割れを思っていたのね。きゃ』『素直になりたいけど素直になれない陽狩さん萌え。あ、私も今日東区のカフェで見ました』『情報屋のお姉さんと歩いていました。もうひかりんってば、やきもち焼かせたいのが透けて見えてるわ』『いじっぱり陽狩萌えきゃああああああ。今、西区の路上にいます。タイラントホテル東に二キロ。ローストチキンの店があるとこの前。背中の憂いが溜まらない。やば、気づかれた』あ、分かりました。今、西にいるそうです」
「どうなってるのよ、この学園の腐女子包囲網は!?」
 ものの数分で探し人が特定された。訳が分からない。
プライドが傷ついたのか珠月は頭を抱えて座り込んだ。何が起こっているのか分からない夏羽は分からないなりに不穏なものを感じたのか、顔を引きつらせた。
「おい、ちょっとそのケータイよこせ」
「だが断る」
「夏羽、見ない方が自分のためだ」
 きっぱりと珠月は言った。そして有華の手から携帯を取り上げ、視線でログを追う。そして舌打ちした。
「やっぱり陽狩のやつ、殺して回ってるよ。勘弁してくれないかな。私、知らないからね」
「え? あのクソ女の関係者か?」
「死体の出現箇所と陽狩の目撃箇所がほぼ一致してる。本当……怖いよ、腐女子」
 後半だけは小声で珠月は呟いた。そして椅子の上で膝を抱えて座り込む。自前のネットワークが訳の分からないネットワークに負けたことがかなりの衝撃だったらしい。
「珠月さん、携帯返してください」
 無言で珠月は携帯電話を放り投げる。仕草が投げやりだった。契はよしよしと珠月の頭をなでる。
「珠月のおねえちゃん、落ち込んでいる場合ではないのです。これから先をどうにか収められる権力があるのはおねえちゃんしかいないのですよ」
「もういいよ。夏羽とかその銃器女と結婚すれば」
「言っておくが、本当にどうしようもなくなったら指名手配覚悟で殺して逃げるからな」
 地獄の底から響くような低い声で夏羽は答えた。きゃあと有華は楽しげな悲鳴を上げる。
「真実の愛を貫き通しての逃避行ですね。分かります。女なんかいやだ。俺にはお前しかいないんだと、間に他人が入ってきたことで初めて気づいた真実の愛……」
「…………篭森」「ここでは殺すな」
 膝を抱えたまま、珠月は先回りで答える。そしてまたため息をついた。
「契ちゃん、助けて……」
「んんん、助けたいのは山々なのですが、おねえちゃんがやるとなるとこのトノサマバッタか頭の可哀想なおじょうさまをころころしちゃうしかないのですよ。もしくは、上のほうでのんびり見物中の天上人を死なない程度に脅しつけるか」
「それくらい私だって出来るもん……後先考えなければ」
 契に抱きついて珠月はぶちぶちと文句を言い始めた。本格的にあきらめモードに入った証拠だ。その背中を撫でながら、にこりと契は微笑んだ。そして夏羽に顔をむける。
「今すぐ出て行け、このフナムシ」
「笑顔でいう台詞がそれか」
「ついでに暴走する相方も止めてこい。珠月のおねえちゃんの心の安定のために」
「はあ? 出て行けはともかく陽狩のことは俺には関係ねえだろうが!」
「その台詞を是非とも相方の前で言ってやってほしいのですよ」
 珠月と契は抱き合ったまま、ため息をついた。
「で、どうするのです?」
 珠月はこの世の終わりのようなため息をついた。
「陽狩をとっ捕まえて、それからお嬢さんとは間に人はさんで交渉。私の交渉人と弁護人の中から好きなの貸してあげるよ、夏羽。友人の好でそこまでしてやるんだ。感謝しろ」
「篭森、どうしてお前の顧問弁護人と交渉人はリストにできるほどの人数いるんだ!? お前、普段からなにしてんだよ!? 訴訟が日常なのか!?」
「馬鹿だね。そんな訳ないじゃない」
 珠月は椅子に座り直すと、冷めた紅茶を一息に飲み干した。
「訴訟になる前に叩きつぶすために必要なんじゃない」
「どんだけもめてるんだよ!? っていうかその金をこっちに回せよ!!」
「ほら、私人気者だからさ、有名税みたいな」
「俺の目を見て話せ!!」
 珠月は夏羽を真逆の方向をむいて立ちあがった。
「今日の晩御飯なにがいい?」
「おねえちゃん、和食で」「私、肉がいいです」
「………………お前ら、バラすぞ」

2へつづく