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「……よし、欠片も無い」
 延々と続く生徒や教師陣の名前の中に、目的の人物が存在していなかったのを確認すると、空多川は小さくガッツポーズをした。
 第壱回トランキライザー学園人気投票。その途中経過が、目前の電光掲示板に示されている。昼間は、ランカーやそうでない生徒も興味深そうに集まり騒いでいたが、深夜ともなれば人の影は見あたらない。各区画の中心部に位置する大型掲示板ならともかく、空多川が眺めているのは若干アンダーヤードの入り口に近い小型掲示板である。普通の生徒ならば、夜の帳も下りたこの一角にはまず近寄ろうとしない。
「鴨肉鴨肉……後はアイスワインと……〈ブルーローズ〉に、新作のケーキ出てたっけ。シナモンとブラウンシュガーのチーズケーキ、美味しそうだったな。あれも追加しよう、うん」
 ぼそぼそと食品名を呟きながら、空多川は一人で納得する。彼女は今、上司であるオルセンと一つの賭けをしていた。この人気ランキングに、彼の名が載るかどうか。一片の迷いもなく空多川は載らない方に賭けている。
『そんなコト、あるワケないですよ。そうですねぇ、もし、もしもですよ。万が一億が一兆が一、ミーに一票でも入らなかったら。その時はミス・アクタガワ、ユーの欲しいもの何でも奢ってあげますよ。…え? 家? 一軒家? トモダチが広い店を欲しがってた…? 手前ぇ常識の範囲内で考えろ! あー…あー…ミス・アクタガワ? せめて洋服とか食べ物とか、そのあたりにしてください!』
「票貰える自信があるなら、家一軒ぐらいくれてやるって豪語してもいいのにね。負け戦だって自分で認めてるも同然なのですよ」
 オルセンの狼狽ぶりを思い出しながら、空多川は脳内で欲しい物のリストを作っていく。彼女が負けた場合は、ピンクがかった赤地に白水玉柄のリボンがついた黒丸ネズミ耳に、同じく赤地に白水玉のふりふりワンピース、黒タイツに黄色のヒール、白のカボチャパンツ、おまけに冗談のようにデフォルメされた白手袋というまさに夢の国の住人風衣装で一ヶ月過ごすことになっている。けれども、この流れでは用意された服も箪笥の肥やしになるだろう。
 リストが30品目を数えたところで、一陣の強い風が吹き、空多川を現実に引き戻した。塵芥が掲示板にぶつかり跳ね返る。じじり、と屋外灯が鈍い音を立てた。人の姿は見えないが、周囲が心なしかざわついてきた気がする。彼女は空想を断ち切るようにぶるりと身を震わせ、最後の確認のためにもう一度ランキングを上から見直した。

 個性的なトップ陣に眉を顰め、相方と同票に並んだかと思えば必ず一歩先へ行く不死コンビの陽狩をカミキリムシらしいと納得し、個人的に大好きな篭森に一票入れつつ、順を追って指でなぞっていく。その赤い爪が、末尾近くで驚いたようにぴたりと止まった。
「………………なんで?」
 そこには、紛う事なき彼女自身の名前が記されていた。
 8票入っている。蠍座は牡羊座から数えて8番目の星座だ。運命的だけれども、それがどうしたというのだろう。何の理由があって、自分の名がここに記されているのか。投票した人間がいる。身内にしては人数が合わない。そもそも身内と認識している人々に、実のところは好かれているのかどうかすら曖昧だというのに。何故―――?
 空多川は、彼女の性質が他人に好かれる類のものではないと自覚している。蠍について考えている時は常に外からの刺激をシャットアウトしているし、逆に慣れない人間と会話しないで済むよう、態と自分の世界に浸っていることもある。気に入らない人間やどうでもいい人間は総じて虫扱いだ。では好きな人間には優しいのかと聞かれると、そうでもない。相手の記憶に自分を残すため意図的に傷つけ、愛する者が浮かべる苦悶の表情に心を痛めつつ全力の報復を待つ。マゾヒスティックヤンデレここに極まり、である。
 にわかには信じられずぐっと全身を近づけてみるも、彼女の名前はそこに鎮座しており消えようとしない。更に鼻が触れるまで顔を寄せると、視界は白と黒で埋め尽くされた。
 子供のような行動が馬鹿らしくなり、空多川は半歩程身を退いて溜息を吐く。どうして。内からの疑問の声は尽きない。
「誰が、私に―――」
「あ、俺お前と同数なのか」
 唐突に横から掛けられた声に、彼女は大げさなまでにびくりと全身で振り返った。極端な反応に、話しかけた側も驚く。専門でないとはいえ、下位ランカーなら軽く蹴散らせる位の戦闘力を有した空多川が、近付いただけでなく隣に並んだことにすら気付かなかったのだ。尋常ではない様子に、青年は慌てて取り繕った。
「いや、変な意味じゃない! 俺は勝ち負けとか拘ってないし、名前があるだけ幸せだと思ってただけだ!」
「神、城」
 纏、と言いかけて、彼女はうっと口を噤む。代わりに先程までの醜態を隠すかのごとく、改めて挑発的な言動を装った。
「ああ、誰かと思ったら。ロリコンで変態マゾで性善説至上主義者の纏兄や?」
「だから俺はロリコンでも変態マゾでも無い! つーか、さっき普通に俺の名前呼びかけただろ。なんで一旦区切ってまで嫌な方向に言い直すんだよ! 纏と呼べ纏と!」
「性善説は否定しないんだ。じゃあ纏兄や」
「にいやは余計だ! 大体お前の方が年上じゃないのか?」
「……おねえちゃんの年齢知ってるんだ、なんか気持ち悪い」
「あくまで予想だ予想! じゃあ俺は17だけどお前いくつだよ」
「47」
「嘘吐け! そんな47歳がいる……かもしれないが、生徒にはなれないだろ!」
「はいはい、19歳、おにいちゃんよりふたつ上ですよ。でもおねえちゃんの『おねえちゃん』や『おにいちゃん』呼びは、みの●んたが女性全般に対して『お嬢さん』って言ってるのと同じようなものだから、そういう萌え要素的な意味は無いよ」
「どういう意味合いだろうが、言われるこっちの身にもなってみろ。女が女に『おねえちゃん』はまだしも、女が男に『おにいちゃん』は際どいだろうが」
「それ、七尾のお嬢さんにも言えば?」
「あいつはもういいんだよ、なんか似合ってるし。とにかく、お前がそういうこと言うと、色々誤解を招くんだよ!」
「あー……援交とかセクハラとか新たなプレイとか? 良かったね兄や、これからはロリコンで変態マゾのフラグクラッシャー改め、妹萌えで変態サドのフラグ乱立纏兄やって呼ばれること間違いなしなのですよ」
「今度は人をサド呼ばわり……っ。お前はマゾかっ!」
「マゾで何が悪いっ!」
 下らない罵倒の連続に疲れたのか、神城はそれ以上は返さず頭を掻いて掲示板に向き直った。急に落ちた沈黙に居心地の悪さを感じ、空多川はヒールの爪先で円を描きながら、適当なことを問いかけた。
「もう夜の3時過ぎだよ。おねえちゃんは仕事帰りだから仕方ないとしても、なんで兄やはこんな所にこんな時間通りかかってるの」
 彼女から疑問を投げかけられ、彼は僅かに驚いた。空多川とのまともな会話はこれで二度目だが、それでも一度目のインパクトの強さから、大体の性格は察している。恐らく普段の彼女ならば、神城の気配を感じた時点で去っているか、言いたいことだけ言ってさっさと地下に戻っているだろう。
「俺も仕事が終わったところなんだよ。思ったより早く片付いたのはいいが、どこかで泊まるにも微妙な時間だろ。することもなくて、ぶらついてた」
 先程といい、どこか調子が狂っているのかと、神城は返事をしながら彼女の横顔を眺める。人工的な光に照らされた瞳は、心なしか焦点が合っているように見えた。むず痒い感覚に襲われ、彼は意味なくしゃがみ込み、掲示板に記された自分の名前を小突く。
「8票か。誰が入れたんだか。まあ殆どがネタで入った票だろうな」
 神城の自虐的な言葉に、空多川もふっと笑みを漏らしながら、前屈みになり指で自分の名前を弾いた。白い光が胸元を照らし、刺青の蠍が赤黒く蠢く。
「兄やのは本気票も含まれてるでしょ。全部ネタで入ってるのはおねえちゃんの方ですよ」
「いや、なんでそうなるんだ! 逆だろ逆、言い方が悪かった」
 空多川の己を卑しめる相槌に、神城は慌てて手を振り先程の台詞を訂正した。だが彼女は諦めたように首を横に振り、蕩々と自分の意見を述べる。
「貴方には本当の意味で好きになってくれる人もいるでしょう。まっすぐで歪み無くって、眩い。触れれば焼け落ちそうなほど素敵。顔だけじゃなくて中身も十分魅力的だよ。……おねえちゃんの好みとは180度通り越してミカヅキモとレッサーパンダレベルで違うけど。兄やの信条が癪に障りすぎてヘブン状態! って悦っちゃう程だわ、無論嗜虐的な意味で」
 巫山戯た余談を付け加えながらも、言外に、自分にはそんな人を惹きつける魅力がないのだと含めながら、彼女は真摯だが物騒な感情を続ける。
「少なくとも、私が『ただ快楽のためだけの行為と公言しながら貴方の周囲の人間を殺め続けて孤立させ怒りに狂って私の咽を締め上げる姿を見詰めながら貴方の正義はここで潰えてしまうのねこの行為は制裁の名を借りた単なるエゴよ可哀想に取り返しのつかない過ちで生涯の汚点だわと耳元で囁いて殺され』たくなるくらいには魅力的。……まあ、やらないけど。面倒だし七尾のお嬢さん可愛いし」
 空多川の異様に生々しく病的な例えをどう受け止めるべきか悩み、とりあえず賞賛されたのだと解釈して神城は礼を言う。
「俺、一応褒められてるんだよな? なら、まあ、ありがとう?」
 どういたしましてと心にもない返答をし、彼女は曲げていた腰を伸ばした。そうして、体を反転させ掲示板にもたれかかる。彼も同様に、立ち上がり掲示板を背に夜空を見上げた。掲示板の光に目が慣れてしまったせいか、星は出ているのかどうか判別がつかない。
 なんでそう物騒な例えをするんだか、と神城は思う。始めて会った時もそうだったが、空多川の口から出る愛情表現や好意の言葉は、彼が普段抱くその手の感情とは一線を画している。微妙な表情から察したのか、彼女は目線を上げずに、地面に広がる影を眺めたままぼやいた。
「空高く輝いてる綺麗なものは、届かないと解っていても、暗い昏い底に引き摺り落としたくなるでしょ。ずうっと見上げてるとそうなるのですよ」
 神城は、己の腕を空へと伸ばし掌を広げる。幾度開いては握っても何も掴めず、手は空を切るしかない。
「自分が上っていこうとは思わないのか」
 純粋で真っ当な意見を、空多川ははっと鼻で笑った。そんなことが出来るのは限られたごく一部の人間、それも元から空に近い位置に居た者だけだ。どれだけ想っても、叶わない願いがある。人はどう足掻いても、それこそ一生と来世を掛けたって、夏宵南天の大火には辿り着けない。
「貴方なら出来るんじゃないの、精々頑張ってね」
 これでお喋りも仕舞いだと言わんばかりに、空多川は掲示板に預けていた体を起こし、地下へと歩き出そうとした。
 その腕を、神城が慌てて捉え、引き留める。
「ちょ、ちょ、ちょっと待てって! はぐらかすな!」
 言葉の意味が解らず、空多川は鬱陶しげに足を止めて振り返った。彼女は何かを誤魔化したつもりはない。それどころか、滅多に現さない異性に対しての好意的な感情を述べたのだから、大いに満足し堪能して欲しいとすら思っている。何をと厭そうに吐き捨てると、神城は空多川のもう片方の腕もしっかりと掴み、向き合うように体を動かした。
 俺が未だ言いたいことを言い切れてないんだと、彼は深呼吸して徐に彼女の顔を覗き込んだ。常日頃は何を映しているのか悟れないぼやけた瞳が、仄かに光を灯している。
 避難訓練での時も、今も、空多川は他人を愛することには魂を削っているが、自身が愛されることには酷く猜疑的だ。寧ろ自ら愛される価値のない人間だと宣言していた。生涯を注がれるだけの魅力がないから、代わりに憎悪と執着を欲しがる。永遠に続く双方向の愛なんて無い。己の愛は不変だが、他人の愛は儚く消え去ると確信している。神城が、人の心は強いのだと信じ疑わないのと同じほど、頑なに。揺るぎなく。
 悲しい考えだと、彼は思う。だからといって、その思考が彼女にとっての真実である以上、どう取り繕っても軌道修正することは出来ない。それならばせめて、自分は自分の信念を貫こう。神城は頭一つ分低い位置にある空多川の双眸から視線を外さず言い放つ。
「誰かに愛される資格のない人間なんて、絶対にいない。お前はまだ自分の価値が解ってないだけだ。だからもっと自信を持て。お前の話は大半が賛同できないけど、それだけ深い直向きな想いが、綺麗じゃないはずないだろ。綺麗とか汚いとか、そういう考え自体を嫌ってるのかもしれないけど、俺は、お前を綺麗だと思うから」

 神城の、ともすれば盛大な口説き文句ともとれかねない発言を、空多川は数秒の間を置いて理解した。途端、血の気が無く白い頬に熱が広がっていく。そもそもが自己卑下の塊であり、褒められ煽てられることに慣れていない身である。相手が悪かった。社交辞令ではなく、本心からの言葉だと解ってしまう。
 彼女は目に見えてたじろぎ、彼の腕を勢いよく引き剥がした。そのまま必死に己の体をかき抱き声にならない声をあげる。ぎゅっと目を瞑り盛大にデレ出す空多川に、神城の方が驚き動揺した。あーだのうーだのと食いしばった歯の間から妙な声を漏らし、彼女は所在なさげに二の腕をこすっていた手で顔を覆う。照れと恥ずかしさからまともに相手の顔を見ることが出来ないのだ。
 御免なさい違うんですと、一頻り何に対してか謝り続けた空多川が落ち着きを取り戻したのは、きっかり十二分後だった。掲示板に貼り付かせていた額を剥がし、残る羞恥を押さえるため、両手を合わせて口元を隠す。視線は依然としてあちらこちらを彷徨っていた。
「……纏兄や、おねえちゃんは兄やのこれからが心配になってきたのですよ。これは確かにフラグクラッシャーだ、うん」
 だからクラッシャーじゃなくてブレイカーだと言いたくなるのをぐっと押さえて、神城は、自分は何か変なことを言っただろうかと思い巡らせる。納得していなさそうな彼の態度に、空多川は未だ火照る頬を押さえて忠告した。
「あのね兄や、そういう台詞はさあ、この身と心と一生と来世を捧げても良いって思えるぐらいの相手にだけ言うべきなのですよ。こんなところで無駄遣いするものじゃないってば」
「無駄じゃない。俺はお前を心配して―――」
「だーかーら! そういう相手に勘違いさせる物の言い方が駄目なの! おねえちゃん蠍に純潔捧げてるんです、解ってください!」
 察しは良いが妙なところでどこまでも鈍感な神城に、空多川は涙目で訴える。この言動に泣かされてきた幾多の女性のことを考えると、今ここできっちり締め落としておいた方が良いのではと、非人道な事すら浮かんではぜた。何時も彼の傍にいるという七尾は、件の態度を苦々しく思ってはないのだろうか。神城の愛らしい恋人候補の姿が脳裏を過ぎり、空多川は急激に冷めていった。
 フェミニストとして、可愛い少女が悲しむ姿は見たくない。幽かに嘆息し、彼女は彼の鼻先に人差し指を突きつける。
「纏兄やにとっては、七尾のお嬢さんが幸運の女神でしょう。おねえちゃんは纏兄やの運命の女にはなれないのですよ。幸運と運命を両方手にしようなんて、人の身では烏滸がましいと悟りなさいな」
 そこで七尾の名前が出てくる理由に思い至れず、ありありと疑問符を前面に押し出す神城の鼻を、空多川は、とん、と指で突いた。目前の衝撃に、彼は反射的に大きく瞬きをする。その隙を突いて、彼女はくるりと踊るように身を翻して廻り、彼の腕が届かない位置まで下がった。
「今度こそさようならね、偽善者さん」
 ゆっくりと、空多川の姿が夜に溶け込んでいく。彼女の瞳が映している景色を伺い知ることは、もう出来なかった。どこか傷ついた表情の神城に、仕方ないなと半身を闇から出し、彼女は提案する。
「最後に一つ、賭けをしましょうか。負けた方が夕飯を奢るって事で」
 デスインランドの奴と賭博か、と彼は困りつつも嬉しそうに内容を尋ねる。そうねえと空多川は少し悩んだ後、淡く辺りを照らしている掲示板を指さした。
「これから最終日までのあいだに、この人気投票でどっちが上に行けるか。……おねえちゃんは、貴方が上に行く方に賭けるわ」
「じゃあ、俺はお前が上になる方に賭ける。で、このまま同じ順位だったらどうするんだ?」
「その時は、おねえちゃんの駄目駄目上司に二人分奢らせますよ。ネズミの財産を食い潰してやりましょう」
 どちらからともなく、忍び笑いが漏れる。胸元の蠍を一撫でして、空多川は地を蹴りアンダーヤードへと身を投げた。
「貴方が神を纏った依代になれる日を楽しみにしてるのですよ。おやすみなさい、纏」
「おやすみ、契」
 白い指先が赤い爪だけになり、それも闇に紛れる。余韻を楽しむかのように、神城はぼんやりと掲示板の前で空を見上げていたが、やがて彼女とは反対の方向へ歩き出した。
 無機質に経過を表示している掲示板が見えなくなった頃、彼の澄んだ瞳はやっと星空を捉える。小さな瞬きは、変わらず人気のない道に注がれていた。