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3、愛情と憎悪の差異は何か


 空から灰が降ってくる。
 生き物が業火で焼かれると、有機物は気体となって散逸し無機物だけが残る。それが灰だ。故に灰は地上に縛られるものの象徴でもある。また崩れ落ちる脆さから儚さを示し、同時に着火の媒体に適しており、一定条件で再び燃え上がることから再生や復活の象徴ともされる。触れれば汚れるのに、化学物質といしてみると洗浄力に優れることから古くより洗剤としても使われ、穢れを払うものともされる。矛盾した存在だ。
 そのせいか、白でも黒でもない灰色は境界線に立つものの暗喩である。
 一度は終わっていて、蘇るもの。元をなくしたなにかの残骸。
 手を伸ばす。触れても触れた先から崩れ落ちて壊れてしまう。それでも伸ばす。伸ばして触れれば壊してしまう。
 耐えきれなくなって珠月は叫んだ。叫びは灰の空に飲みまれ、消えた。
「―――――ごめんなさい」
「大丈夫。カゴは何にも悪くないよ」
 声がした。
 篭森珠月はゆっくりと目を開く。そして、知人の顔が自分の顔から数センチの至近距離にあるのに気付いて、すべての思考を一時停止した。
「……………………………………何をしているのかな? 宿彌」
 見ようによっては意識のない相手に接吻をしようとしているようにも見える――というか、それ以外に見えないが、知人――――宿彌がそういうことをするタイプでないのを珠月は知っている。
「泣いているから」
 手を伸ばして、宿彌は珠月の頬を撫でた。
「以前、夜が『女性が涙ヲ流していタラ、それクライ食べて差し上げルのが男ってモノですヨ』と言っていたからその意味を考えていた。どうすればいいのかと」
「全身全霊騙されているよ!!」
 学園でも有数の成績優秀者であり、学園の東区を統率する東王であるにも関わらず、妙なところで宿彌は騙されやすい。人間的な感情や一般的な家庭や人間関係に対する経験がほとんどないため、これが常識だと言われると高確率で嘘を信じてしまうのだ。
「だから、夜厳の言うことは話半分に聞けって言ってるじゃん! 痛っ」
 叫んだ衝撃で傷が傷んで、珠月は胸を押さえた。心配そうに宿彌が覗き込んでくる。
「君、自分がどうなったか覚えてる? 君が発見されてから半日経っているんだけど」
 直属上司でもある男は肩をすくめて顔を離した。珠月は無言で上半身を起こす。どうやらここは病院のようだ。起きあがると首から胸にかけて激痛が走った。しかも顔に手をやると頬が濡れている。宿彌の指摘の通り、寝ながら泣いていたらしい。
「…………一応確認するけど、どうなったの?」
 習慣で、急速に頭が冴えていく。鋭い声で珠月は尋ねた。宿彌は肩をすくめる。
「詐欺集団の残党狩りで裏路地に散開して狩りをしてたら、君がいなくなった。詐欺師の数が一人足りなかったからそれを追っていったんだろうってことは予想できたけど、いつまでたっても戻ってこない。迷っているかトラブルに巻き込まれた可能性もあるということで、一部の部下が探索に出たら、血だまりに沈んでいる君を発見した。以上。ちなみに君が追ってた詐欺師はすぐ近くで喉をかき切られて死んでるし、君は気絶したまま起きない上に『ごめんなさい』と謝りながら泣き続けているしで、部下はパニック状態だ」
「騒ぎになってる……?」
 珠月は苦い顔をした。良くも悪くも、在住する学園都市内では有名人の珠月の行動は目立つ。怪我をして返ってきたなどという話が広まれば、何が起こるかは想像できる。宿彌は首を横に振った。
「かん口令を敷いてある。発見者の部下たち――せいぜい5人くらいしか現場は見ていないよ。君が怪我をしたことくらいは広まっているだろうけど、珍しいことではないからほとんどの人は気にしてはいないと思うよ。実際現場を見ていない連中は、ね」
「――――すぐに現場の血痕を洗い流して、痕跡を消して。それから私のことはこう説明して。『個人的な恨みで送りこまれた刺客によって怪我をした。怪我自体は大事ないが、神経性の毒が仕込まれていたらしく、意識が少し錯乱しているため様子見の入院』と。一連の不安定な言動は毒のせいにしなさい」
 上が揺らげば、下は動揺する。色々と考えたいことはあるが、感傷に浸ってはいられない。宿彌は軽く肩をすくめた。
「まあ、そんなところだよね。似たような感じで手は打ってる。医師の診断書もあるよ」
「あっさり偽装してくれたね」
「いや、血液サンプルをすり替えた。医者たちは本気で毒を盛られたと思ってるよ」
 罪悪感の欠片もなく宿彌は答えた。珠月はほっと息を吐く。色々と抜けているところも多い上司だが、最低限の偽装知識くらいは持ち合わせていたらしい。
「ところで……私が発見された時、周囲に誰かいた?」
「誰も。あたり一面水浸しで物がいろいろ壊れたけど、あれは君のせいだろ? あとは君の血液と詐欺師の血液だけ。他の物証は何も出なかったよ。君、何とどう戦ったんだい?」
 珠月は答えなかった。乱暴に頬に残っていた涙を入院着の袖で拭う。宿彌は肩をすくめた。
「出血は派手だけど、綺麗に斬られてるから数週間もすれば跡も残らずに治るよ。全身の打撲や痣も同じ。痛みを与えるようにしておきながら、殺意がまったく感じられない怪我の跡だ。ついでに、君が抵抗した傷もまったく感じられないんだけど」
 含みを持たせた言葉にも珠月は返事をしない。静かに目を伏せる。
「篭、何があったんだい?」
「……これは私の問題だから、心配しなくても宿彌や会社に矛先が向くことはないよ」
 わざとずれた返事を珠月は返した。宿彌は顔をしかめる。
「君が死ぬと会社の損失だ。君が死んだら、どれだけの仕事が回らなくなると思っているんだい?」
 言葉だけ聞くと酷い言い草だが、その裏にいたわりを読みとって珠月は苦笑した。鈍感さの化身ともいえる宿彌に気を使わせるくらいには、怪我はひどいものだったらしい。あるいは寝ている間の寝言がひどかったのか。少し憂鬱になる。
「…………大切な人に会ったの」
「へえ、どんな人だい?」
「綺麗で強くて可哀想な人。私はあの人に会えてすごくつらくて、でも本当は嬉しかったんだと思う。けれど、私のせいでその人はとても酷い目にあってしまっていて……憎まれることにはなれていたつもりなんだけど、ちょっと凹んだ」
 怪我と発見時の狂乱ぶりを見れば、珠月の言葉が嘘ではないにしろすべてでもないと分かるだろう。しかし、宿彌は黙って頷いた。
「…………あのね、宿彌」
「なんだい?」
「私の事心配してくれるなら、このことはなかったことにしてくれないかな? 怪我はいつもの刺客のせい、寝言はただの寝言。それだけで特になにもなかった。そういうことにしてくれない?」
 宿彌はかすかに顔をしかめた。
「卑怯な台詞だ」
「ごめんね」
 珠月は微笑んだ。宿彌は渋い顔をする。
「分かった。何があったかは聞かない。けれど、これだけは言っておく。君が相手に対してどんなに酷くて間違ったことをしたんだとしても、それは君が斬りつけられていいということにはならないんだよ」
「そうかもね」
「珠月」
 珠月はあいまいに微笑んだ。それを見て、宿彌は諦めた顔をする。
「ごめんね。あの人のことは秘密にしたいの。私が――私だけで答えを出さないといけない、大事な大事なことだから。だから、ごめんね」





「――――上機嫌だな」
 ユグラシルユニット特別監獄最深部。月の光も届かないこの場所に、面白くなさそうな男の声が響く。
「そう?」
 格子の向こうでオズは答えた。声のトーンが若干高いのが自分でも分かる。柄にもなく興奮しているらしい。
「私の機嫌が良いと何が問題でも?」
「気持ちが悪い」
「それは大問題ですね。御気の毒に」
 くすくすとオズは笑った。手足の縛めが金属音を立てる。男は不快そうに眉をひそめた。
「例のガキを殺さなかったそうじゃないか」
「もう耳に入っているのですね」
「壬無月のガキが裏路地で血まみれで発見された、とな。表向きは暗殺者に襲われたことになっているらしいが」
「お姉さまを暗殺者なんて……なんて酷い子なんでしょう」
 拗ねたような口ぶりで言って、楽しそうにオズは笑う。久方ぶりにみる感情を全面に出したオズの姿に、男は呆れたような顔をする。
「………………てっきり、『妹』の生首でも持って返ってくるかと思ってたよ。俺は」
「そう思いながら送りだすなんて、貴方も酷い人ですね」
「結果的にはそうならなかった」
「ふふ」
 童女のようにあどけなくオズは微笑む。何がそんなに嬉しいのか男には理解できない。
「何故、殺さなかった?」
「まだいいかと思ったんです。なんとなく」
 またも理解しがたい返事が返ってきて、男は眉間のしわを深くした。オズとの会話で身のあることが得られる可能性は五分五分くらいだが、今日はいつもにもまして変な返事の返ってくる確率が高い。
「収穫するにはまだ早いかなって、そう思ったんです。よく考えたら、私が自分の道を決意したのはあの子くらいの歳でした。当時としては遅すぎますね」
「……義理とはいえ、妹を収穫物扱いか」
「相変わらず、御兄弟にはお優しいですね」
 ニコニコ笑いながら、オズは彼を見上げる。
「あの子にはもっともっと篭森壬無月の娘に相応しく成長してもらわないと。そして時期が来たら――――私が刈り取ってあげます。それまでの間くらいは猶予期間ですよ。一度でもぎ取ったらつまらないですしね」
 最後の一言はこじつけのように聞こえた。男はかすかに表情を揺らす。
「ガキ――義妹が憎いか?」
「はい」
 躊躇いもなくオズは首を縦に振った。あまりにも躊躇いなく言い切られて、男は面食らう。首を縦にふることは予想していたが、ここまで言い切るとは思っていなかった。
「………………本当に? 実は殺したくないんじゃないのか?」
「はい。殺したくありません」
 今度も首を縦に振られた。会話自体が不毛な気がしてきて、男は虚無感に囚われる。
「お前との会話は頭痛がする」
「まあ、酷い言い草。私は嘘をいいませんよ? あの子のことは大嫌いです。だけど、愛しているのも本当なんですよ」
「…………理解しかねる」
 好きと嫌いは相反しない。愛も憎しみも、対極は無関心だからだ。だが、理屈で分かっても感情では理解しがたい。
「貴方だって、御兄弟には複雑な感情をお持ちでしょう? 十三夜騎士会補欠位、【サクセサーオブミッドナイト(真夜中に代わる者)】ヴァイス・ミッドナイト」
 男――ヴァイスの纏う空気が変わった。部屋を満たす空気が張り詰めたものに変わる。オズは悠然とほほ笑んだ。
「貴方の役職、“Imperial Replacement”とはそのまま『皇帝の代用品』の意味。真夜中たる人を目指して作られたシリーズの中でもっとも真夜中に近く、『真夜中の代わりくらいにはなる』と判断された優秀なる子。貴方達は兄弟愛に溢れた子が多いけれど――貴方は御兄弟が好きだけど嫌いでしょう? 貴方よりも真夜中の代用品に相応しい兄弟が出てきてしまえば、貴方は用済みになってしまうもの」
「殺せないということは、必ずしも傷つけられないということと同じではないぞ」
 地の底から響くような低い声で、ヴァイスは警告する。
「首を胴体につけたままでいたいなら、口は慎むことだ」
「補欠位のくせに、階位を持つものになんて酷い口のききよう」
「番外位の罪人が偉そうに」
 同じようなセリフを言って、ヴァイスは嫌そうな顔をし、オズは嬉しそうに笑った。
「私たち立場が似てるから仲よしでしょう? なら、私の気持ちも分かるというもの」
「仲良くないし、分かりたくもねえ」
 ばっさりとヴァイスは切り捨てる。だが、オズは聞いていない。
「代用できてしまう、必要なくなってしまう、それはとても怖くて不安定なことです。分かると思ったんですけれどね。貴方なら」
「殺したところでどうなる。不安が増えるだけだ」
 淡々とした悪意のないオズの仕草に、ヴァイスは抜きかけた武器をしまった。オズはため息をつく。
「貴方達はいっぱい兄弟がいるからそうかもしれないけれど、私たちは二人きりだから根が深いんですよ。それでも同じ地獄にいることに変わりはない。自分が偽物かどうかっていうのはどうでもいい。そんなことより、自分が無価値になるほうが重大な問題です。偽物の宝石だってそれなりに美しければ価値はある。けれど、満足できるレベルの代用品がすでに存在しているなら本物の宝石だって不用品になることはあるんですよ」
 オズはうめいた。
「だからといって、相手を壊しても意味がない。壊れることで永遠にしてしまうだけです。だから私は――――補い合えればいいと思ったんですけどね」
「…………お前の補い合いがどれだけ凄まじいものだったかは、想像がついた」
 頭のおかしい台詞に、うんざりした顔でヴァイスは天井を仰いだ。それでもその場を去ろうとはしない。
「……あまり勝手なことばかりしていると、今度こそ外へ出してもらえなくなるぞ」
「あはは、ご心配なく。誰も私の『妹』なんて眼中にありませんから、多少悪戯したところで厳重注意が関の山ですよ」
 ヴァイスの警告などどこ吹く風と言わんばかりの調子で、オズは答えた。敬意の欠片も感じられない言い草に、ヴァイスはため息をつく。
「壬無月が黙っていない。水天宮も――――他にも色々」
「あの人たちが黙っていたことなんて、今までありました?」
 オズは笑い飛ばした。
「ああ、また会いに行きたい。頭を撫でて手をつないで抱きしめてあげ拘束して這い蹲らせて切り刻んで切り刻んで切り刻んで愛でて愛でて愛でて愛でて愛でて愛でて愛でて愛でて愛でて愛でて愛でて愛でて――――食べてしまいたい」
「…………本当に気持ちが悪い存在だな、お前は」
 嫌そうにヴァイスはオズから距離を取った。
「好きならば素直に可愛がれ、嫌いなら殺せ。どちらか分からないなら関わらなければいい。知らないことにしていれば、その間は平和だ。あのガキは自力でここまで這い上がってこれるほどの器じゃない。お前がむやみやたらと関わらなければ、百年もたてばお前に無関係なところで生きて勝手にこの世を去るだろう」
「嫌です」
 満面の笑みでオズは答えた。予想通りの返事に、ヴァイスは心の底からのため息を吐く。
「だって、そんなの悔しいじゃありませんか。私だけが思い悩むなんて不公平です。私がこれだけ苦しいんですから、せいぜい向こうも同じくらい苦しんで思い悩んで血を吐くように傷んで私の事しか考えられないようになって――――最後は私の欲求を満たしてくれればいい」
「お前はそれは――――――」
 それは愛しているのと何が違うんだ。言いかけてヴァイスは止めた。オズは妹を愛している。それは間違いない。ただ、愛するのと同じだけ憎んでいるから分かりにくいだけで。
「可哀想な奴」
「お互い様でしょう」
 オズは笑った。そのままばたりと大きな寝台に寝転がる。
「少し眠いです。貴方も、あまりここにいると他の人に睨まれてしまいますよ? 罪人と慣れ合うとは何事か、ってね」
「…………そうだな。戻るとしよう」
 ゆっくりと重たい足音が遠ざかる。鉄の扉が閉まる音がする。遠ざかっていく足音が聞こえなくなかったのを確認して、オズは目を閉じた。
 オズ・クローチェはほとんどの時間をまどろんで過ごす。ゆっくりとその口元が笑みの形を作った。
「珠月ちゃん……………………また、会いに行くから、次は――――」
 時計の音が聞こえる。
 ただ流れるだけのはずだったそれを、妙に心地よく感じた。


おわり