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Gabbia

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tranquilizer

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【Gabbia】

 ――かごめ かごめ

 少年はその美しい旋律が奏でられている方へと誘われるようにして歩いていた。
 こんな事をしている暇などないというのに。
 余計なことをして捕まったらどうすると言うのだ。
 それでも好奇心からか歩を止める事は出来ず、大きな扉の前まで辿り着いてしまった。
 妙な物を感じるのだ。その声に。
 特別な何か。

 ――籠の中の鳥は

 まさに籠。
 頑強な扉を容易く蹴破った先には、ただ鳥篭のような物とその中で歌う少女しか存在しなかった。
 暗闇に包まれた室内で、ただ鳥篭と少女だけが白く浮かび上がっていた。

 ――いついつ出やる

 近寄ると少女はこちらへ視線を向けて至極微かに微笑んだ。
 白い和装。今ではお目にかかるのも難しいほど貴重な物だ。
 それを見事に着こなしている姿は、この空間に奇妙なほど合っていた。
 まるで、鳥篭に閉じ込められた小さな小さな小鳥のようで、少年は自分でも気付かぬほど微かに息を呑んでいた。

 ――夜明けの晩に

 何もかもが異質な空間だった。
 天井がないはずなのに、空に浮かぶ星も月も一切見当たらない完全な闇。
 明かりなどないはずなのに、はっきりと見える鳥篭。
 そんな中で一人、聞いた事もない奇妙な歌を歌い続ける幼い少女。

 ――つるつるつっぱいた

 少女は緩慢な動きで少年へと手を伸ばす。
 傲岸不遜で傍若無人なはずの少年は我知らず後退りし、小さく舌打ちをした。
 自分が尻込みするなどありえないのだ。
 歌声を除けばは異様に静か過ぎる空間に響いた靴の擦る音は、屈辱以外の何者でもなかった。
 少女はそんな少年の様子に薄く笑みを浮かべ、手を引く。
 その白く美しかったはずの手は、鮮やかな緋色の文様で彩られていた。

 ――後ろの正面だーれ

「何やってんの?」
 歌が終わったと同時に、少年は問い掛けた。
 慣れ切っていたはずの血の臭い。
 流しているものが自分であろうが、他人であろうが、何も感じないはずだった。
 しかし、この少女から発せられているモノだけは何故か苛立つ。
 その白い肌が、その白い和装が、――否、その少女自身が血で染まるのを見たくない。
「お客様だなんて珍しい。何かご用なのかしら?」
 少女は血が滴る手など気にも留めずに少年へと騙る。
「私に? 篭に? それとも、ただの迷子?」
「聞いてんのはこっちなんだけど……」
 不機嫌さを全身で表して少女の胸倉を掴みかかる。が、その手は堪え難いほどの激痛で阻まれて望みを叶える事が出来なかった。
「なっ……」
 多分、限界ギリギリの痛み。
 この鳥篭に触れた者それぞれにとっての痛みが襲うのだ。
 少女からでも少年からでも。
 少女は小さく首を傾げ、再び口を開いた。
「かごめ、かごめ。篭の中の鳥は……」
「だーっ! それはもう良いっつの!」
 少年が苛立たしげに鳥篭を蹴り、少女は口を閉ざす。
「何なんだよ、これは……」
「お客様だなんて珍しい。何かご用なのかしら?」
 同じ動作、同じトーン、同じ表情……
「狂ってんのか?」
 少女は面白がるようにクツクツと笑った。
「バカにしないで? バカにされるのって一番嫌いなの」
 人形のようだった顔つきや動きが、一気に柔らかいものへと変化する。
「……普通に喋れんじゃねぇか」
「毎日は同じ事の繰り返し。こちらも繰り返さなければ、退屈で死んでしまうわ」
 少女はようやく傷ついた手を持ち上げて眉根を寄せる。
「痛い」
 泣きそうに歪められた顔は、先程までと違って年相応に見える。
「さっきまで平然としてただろうが」
「ほら、怪我って気付くと痛いでしょ? そんな感じ」
「それが気付かないほど小さい怪我かよ」
 手当てしようと手を差し出しかけるが、篭はそんな事を許さない。
 微かに入れるだけでも指先に電気が走る。
「まぁ、その内止まるでしょ」
 それまでの涙はどこへ消えたのか、あっけらかんと少女が笑う。その笑みを見て、少年の顔はより一層険しくなった。
「どうしてこんな所に? 出れないのか?」
「本当に何も分からない?」
 少女は全てを諦めたように微苦笑を浮かべる。
 立入禁止区域の奥深くで厳重に閉じ込められている少女。
「何で……あぁ、歌声か?」
 少女は小さく頷いた。
「貴方はとても強いのね。ここでちゃんと会話が出来た人は初めてだわ」
 誰も彼もがこの篭を壊そうとその手を血で染めた。少女が制止する声も聞かず、延々と無言で。そして、ただの塊へと姿を変える。
「良かった。貴方は大丈夫なのね」
 嬉しそうに微笑む少女の目から涙が零れ落ちる。
 幾度も見てきたのだ。
 自分のせいで狂い、死んでいく者たちを。
「ねぇ、お願い」
 少女は再び少年へと手を伸ばす。
「ちょっ……お前……」
 戻そうと伸ばした少年の手を、逆に少女はしっかりと握り締めた。
「お願いだから、私を好きにならないで……私のために狂ってしまわないで……」
 あぁ、何故こんなに苦しんでいるのに、この少女は他人の痛みまで引き受けているのか。
 見捨ててしまえば良いのに。
 最大限利用して、使えなくなれば破棄し、また新たな道具を作れば良い。
 それが許されるほどの能力を持っているのだから。
 それでも少女は願うのだ。たった一つだけを延々と……
 少年は少女の手を解き、少女自身へと手を伸ばした。
 確かにこんな痛みなど、気付かなければ痛くない。
「……約束する」
 少女の頬に血塗れた手を添えて、少年は優しく囁くように嘘を吐く。
「ありがと……」
 少女も同じように少年の頬に手を添えて、安心したように微笑んだ。

 ――かごめかごめ

 ――籠の中の鳥は

 ――いついつ出やる

 鳥篭を壊す事など容易いが、少年は「いつか」の約束をしただけでその場を離れた。
 少女自身が壊す事を望んでいないから。
 少女はきっと、誰が鳥篭を壊そうと決して外へは出ないだろう。今はまだ――
 ゆえに少年は巨大で頑強な扉の前に腰を下ろした。
 もしも本当に「いつか」が来るのなら、その時こそは少女が血に濡れる事のないよう守り抜こう、と。
 少女の歌声を子守唄に、少年は長い眠りに身を投じる。
 「いつか」のために。
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