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Sister & brother

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Sister & brother


 連続して響いた銃声に、通行人たちは音源を探して周囲を見渡した。しかし、ウエストヤードのごちゃごちゃした街並みが邪魔をして、音源となるような物はみえない。
 さらに音がした。銃声は反響し正確な位置を掴むことはまたしてもできない。しかし、確実に銃声が近付いてきていることに気づいて通行人は顔をこわばらせた。中には身構えるものも多い。戦闘態勢に入っている通行人やすみやかに移動を始める通行人の多くは、この学園の生徒だ。服に着いた校章や仕草もさることながら、服装と年齢ですぐにそうだと分かる。予科生は十七歳以下。本科生は十代前半から二十代前半というのが、この学園の常識だ。
 学園都市トランキライザー。かつて企業ではなく国家というシステムが世界を支配していた時代には東京都と呼ばれたこの土地に、世界最高峰企業の一つであるライザーインダストリーが学園を建てたのはたかが十一年前のことである。その後、学園は世界中から生徒を受け入れ、多くの傑物を生み出し続けている。
 すぐ近くで銃声が聞こえたと思った瞬間、狭い路地に影が差した。細身の青年の身体が中を舞う。そのまま彼は地上十メートル近い高さで建物から建物へ跳び移った。だが、その先は大きな道。跳び移ることはできない。通行人から感嘆とも悲鳴ともつかない声が上がった。だが、青年は電線の上を綱渡りのように駆けわたるという荒技でそれを乗り切った。直後、
「ああもう! 何で私の言うことが聞けませんの? お兄様!」
 頭の上で動くツインテールとかなりきわどい位置まで足が見える衣装が特徴の眼帯の少女が、青年を追うように建物から飛び出してきた。その手には拳銃がある。すでに電線を渡り切っていた青年は振り向きもせずにそれに答える。
「いくら愛しい妹の言葉でも聞けることと聞けないことがある!」
「なっ、まるで私が無理難題を押し付けたような言い方はやめてくださる? お兄様にとっても悪いお話ではないでしょう!?」
「僕にとっては人生の終わりじゃないか!」
 叫びながら、常人離れした動きで青年はエアコンの室外機を踏み台に跳び上がった。行く手を阻む看板の間を潜り抜け、見事に非常階段に着地する。そして階段を降りるのかと思いきや、らせんになっているそれの間の空間に向かって飛び降りた。そして地面に激突する寸前で手すりを掴んで一度止まり、悠々と着地する。その側頭部を銃弾がかすった。青年は加速して走りだす。それを追って地面に点々と穴が開く。慌てて通行人たちは道を開けた。その花道を青年は走る。よく見ると、生徒にしては年齢が若干上に見える。その顔を見て幾人かの生徒が苦笑を浮かべた。
「妹よ、妹よ、なんでそんなに執拗に銃撃してくるんだ!?」
「お兄様が私の思う通りに動けないのがいけないんですわ」
「兄の権利とか意見とか尊厳とかそういうものは無視なのかい!? 可愛い妹よ」
「そんなものあっても、世の中のためになりませんわ」
「せめて誤魔化すくらいはしたらどうなんだ!?」
 その時、銃弾が靴底にぶち当たって青年は盛大に転んだ。その鼻先に、三階から飛び降りた少女が着地する。そして青年が起きあがる前に襟首を掴んで持ち上げる。
「まったくこんな場所まで逃げてきて……タンスの下の埃以下の存在で人間に迷惑をかけないでくださいませ」
「ぎゃああああああ!! 妹に殺されるぅううう!!」
 通行人は恐怖心からいっせいに目をそらした。魂の叫びは誰にも届かず、少女と引きずられた青年はそのまま通行人の視界から消えていった。凍りついていたストリートの時がやっと動き出す。
「…………何、今の?」
「女のほうは序列93位【ナハトイェーガ―(夜の狩人)】朧寺緋葬架(おぼろでら ひそか)ですね」
 一人の生徒がぼそりとつぶやいた。序列93位とは、学園64万人の生徒の中で総合力93位ということだ。空気が暗くなる。
「……マンハントか。可哀想に。あのにいちゃん何したんだろうな」
「でも当てる気はなかったみたいだぜ。朧寺って言ったら、校内で五指には入らずとも十指には確実にはいる狙撃の名手だろう? 弾丸の通る場所があればどんな隙間からでも当てるって明言してるくらいだから、本気で殺すなら相手がどんだけ逃げようと死ぬはず」
「っていうか、兄とか妹とか言ってなかった?」
「でも、血がつながらなくてもお兄様とか御姉様って呼ぶくせがあるひとっていますよね」
 生徒たちは顔を見合わせて小首を傾げた。そこにため息ととともに声がかかる。
「あの人は、緋葬架ちゃんのお兄さんだよ」
 振り向くと長い髪に眼鏡の少女が、気の毒そうに二人が消えた方向を見つめていた。
 序列249位【アルヴィース(賢きもの)】冷泉神無(れいぜい かんな)。ウエストヤードのバザール近くに骨董屋《水葉庵》を構える世界的に有名な鑑定士である。しかし、その容姿は意外と知られていない。話しかけられた生徒のほうも、相手が学園を代表する有名人の一角とは気づかない。
「兄?」
「本科生なら知ってるんだろうけど、動物生態学とか教えてる教師で朧寺守希生(おぼろでら しのぶ)さん。かなり有名な動物学者なんだけど。【レッドライン(限界領域)】っていうエイリアスで、野性動物関係の権威」
「あー、それ知ってる。へえ、ああいう顔だったんだ」
 もう見えるわけがないのに、生徒たちは二人が立ち去った方角を見やる。
「えー……でも実の兄ならもっと反撃するとか何とかやりようあるんじゃねえの?」
「それに【レッドライン(限界領域)】って言ったら、スカラーにしては珍しい現場主義の行動派で、体力知力ともに生徒に遅れを取るようなタイプだとは聞いていない」
「私、有毒生物対策の授業受けてたわ。でも、授業中はもっと格好よく見えた」
「先生のくせに生徒に狙撃されてちゃダメだろ。ちょっと憧れてたのにショック……」
「ま、そうなんだけさぁ」
 神無は肩をすくめて見せた。
「緋葬架ちゃんがスペシャルすぎるのと……守希生さん、妹に甘いから」
「狙撃されてるのに!?」



 一時間後。イーストヤード住宅街、レストラン《ル・クルーゼ》本店二階の個室にて、三人の人物が顔を突き合わせていた。
「――――緋葬架」
「はい、おねえさま」
「緋葬架……緋葬架……」「はい、なんですの?」
 序列24位【イノセントカルバニア(純白髑髏)】篭森珠月は、嬉しそうな後輩の顔を見ながら海よりも深いため息をついた。その隣には緋葬架が、向かいにはその実兄である守希生が座っている。楽しげな緋葬架とは対象的に、守希生はぐったりしていてしかも服や靴に銃弾が当たったような形跡がある。
「また兄を銃撃したの? せっかくの血のつながった兄なんだから、大事にしてあげなさいよ。それと、私は夕食に兄を同席させることは承諾したけど、兄を引きずってでも連れてこいと言った記憶はない」
「そんな……このような不肖の兄、おねえさまと違って大事にしてやる必要なんて御座いませんわ」
「妹よ……実の兄に向ってなんという言いざま……兄は、兄は悲しいぞ」
 緋葬架の愛情の欠片もない言葉に、守希生は本気で泣き崩れる。前菜を食べる手を止めて、珠月はため息をついた。酒がいつもより進んでいるのは気のせいではない。
「勝手に悲しんでいらしてください。まったく、せっかくおねえさまとの晩餐会に混ぜて差し上げようとしているのに、逃げ出すなんてなんて性根が腐っているんでしょう」
「腐ってるのはお前だよ、緋葬架。まったく。私より兄を大事にしてあげなさい。っていうか兄がいるなら、お姉さまなんていらないでしょ?」
 珠月が緋葬架の兄の存在を知ったのは、つい一年半前だ。なんでも緋葬架が家出をしてから偶然兄がライザー学院の講師になるまでの間、絶縁状態だったのだという。珠月は『家族だから仲良くしてしかるべき』というような信念の持ち主ではないが、流石に意味なく銃を向ける緋葬架の態度は感心できない。
「そんな……私にとっておねえさまは唯一無二、絶対不可欠の存在ですわ! なんなら、今すぐここで兄の存在をこの世から抹消」「やめなさい」
 目にもとまらぬ速さで抜かれた銃をそれ以上の速さで前菜用のフォークで弾いて、珠月はため息をついた。そしてこつんとフォークを握ったままのこぶしで緋葬架の頭を叩く。勿論、刃が刺さらないよう角度には気をつける。
「謝りなさい。今のは貴方が悪いわよ」
「えー」「緋葬架」
 落ち着いた声に緋葬架はうなだれた。
「……申し訳ありませんでしたわ、お兄様。言いすぎました」
「なぜだろう……嬉しいはずなのに、涙が止まらないよ」
 守希生はハンカチで顔を覆った。珠月はその茶番劇を見なかったことにして前菜を食べ進めることに集中する。
「守希生も、もう少し怒ってもいいと思うんだけど」「このヘタレにそんなことできるわけありませんわ、おねえさま。まったく、このヘタレは昔から常に腰が低くて気が小さくて、しかも何日も家に帰って来ないときもあれば、ずっと家にいて鬱陶しいくらい絡んでくる時もあり、家では兄貴風を吹かせるくせに外ではまた腰が低くて……今でも年下の講師から馬鹿にされていますのよ」
 家族というものは敵に回ると過去を知っている分、色々どうしようもない。守希生はますます席で小さくなる。珠月は困った子どもを見る目で、緋葬架を見つめた。
「緋葬架……レッドラインは、野性動物に関する権威なんだよ。世界的には。彼のおかげで出来た自然公園もあるし、今まで血清がなかった有毒生物への対処方法を編み出したり、無価値と思われていた動植物から人体に有用な成分の検出に成功したり……」
「マクロでみればそうかもしれませんが、ミクロで見た場合はミジンコ以下の存在、むしろミトコンドリア以下の存在ですわ」
「ミジンコもミトコンドリアも生態系や生き物にとっては不可欠なんだよ」
「確かにお兄様も使いようによってはハサミ程度は使えますわ。とりあえず、スキルが高いのと労働に苦痛を感じないところが取り柄ですわね。というわけで、おねえさま、いかがですか?」
「何がだ?」
 その時、扉が開いて幽霊のように生気のない店員が追加注文していたワインを持ってきた。一旦、会話が止まる。店員がいなくなると珠月は再び口を開いた。
「緋葬架。兄が嫌いなのかは知らないけど、身内はもうちょっと大事にしてあげなさいよ。ご両親はやくに亡くなって、入学までお兄さんに育ててもらったんでしょ?」
「ええ。ほとんどホテルに預けっぱなしで、本人は行方不明でしたけれども。たまにかえってきたかと思えば、こちらが眠かろうが疲れていようがおかまいなく話続け、物をかい与え続け、遊びに連れまわし――――しかも誰に対しても腰が低く、強い態度がとれないヘタレ!」
「……いっそハムスターか何か小動物の類だと思えば、そういう要素も可愛く見えてくるんじゃない?」
 フォローしているようにみえるが、ミジンコかハムスターかの違いであり、どちらにしても人間扱いはされていない。守希生は会話には加わらず遠い目をした。
「っていうか、そういうのを私に勧めてくるな」
「だって私の兄とおねえさまが結婚なさったら、私はおねえさまの本当の妹に……ふふ、ふふふふふふふふ」
「妹よ、兄の意見はガン無視かい?」
「お兄様の意志など必要ありませんわ」
「緋葬架、まずは私の意志を優先させてくれない?」
 魚の燻製を口に放り込んで、珠月は緋葬架の頭を小突いた。緋葬架は頬を膨らませる。
「でもおねえさま、この兄でしたらおねえさまの意見に決して背かず、おねえさまの不利益になることは決してせず、浮気をすることも決してありませんわ」
「それって、それやったら死ぬからじゃない? 主に貴女のせいで」
「まあ、しなくても死ぬ恐れは御座いますが」
 守希生は椅子の上である種の小動物のようにびくりと震えた。《ル・クルーゼ》の料理は絶品だが、それすらもろくに喉を通っていないようだ。
「緋葬架……可愛い妹よ、双方の意志以外にも問題点は多々あると思うのだけど。むしろそろそろ諦めてほしいのだけど」
「何をおっしゃいますの。おねえさまの本当の妹になれるチャンス、私が逃すわけがないでしょう?」
 びくびくしながら守希生は言う。だが、緋葬架は取りつく島もない。
「いやでもね、ほら。まずは19歳と26歳の年齢差は犯罪だと思うんだ。それに僕は教師で彼女は生徒だし、家柄とか収入もね、ほら色々と差が……」「そんなもの、五年もたてば年齢差は問題なくなりますし、おねえさまは卒業します。他のこまごました事項は、愛でどうにかなりますわ」
「その愛が欠片も見当たらないのが一番の問題だと思うんだ。妹よ」
 緋葬架と珠月の顔色を交互にうかがいながら、守希生は言う。確かにヘタレである。緋葬架はため息をついた。
「まあ、なんて弱気。我が兄ながら情けない。ですが、確かにお兄様が自力でおねえさまをおとすのは沼地の底を這いずるタニシ(環境を破壊する外来種のほう)が、空を羽ばたく白鳥の肉を食べるようなものですわね」
「そんな蔑み言葉初めて聞いたよ」
「あらあら、これは中国の古典文学にも登場する由緒正しき蔑み言葉ですわ(*本当です)」
「そんな素敵知識をこんなところで使わないでおくれ」
 守希生は机の上に泣き崩れた。髪の毛が芸術的な盛り付けの前菜に入りそうになったので、珠月は無言で守希生の皿を横にずらしてそれを回避する。
「まあまあ、安心してくださいな、お兄様。世の中には暗示とか薬とか吊り橋効果などといった裏ワザも御座います」
「妹よ、それは人としてやってはいけない方法だと思うのだが……それ以前に、この兄では女性を正攻法でくどくことは無理だと言っているのかい?」
「できるなら、それにこしたことは御座いませんわ」
「それ以前に、本人の前で薬物とか暗示とか言うな。それと、訓練受けてるから基本的に効かないし」
 あきれたように珠月は緋葬架を見やった。
「くっ、流石はおねえさま。なんという鉄壁」
「……緋葬架、私は貴女が嫌いじゃない。可愛い。でも、許容できないこともある」
「まあ、可愛いなんて……」「注目すべき発言はそこじゃない!」
 前菜を片付けて、珠月はフォークとナイフをおいた。
「先ほどから兄に対して失礼すぎる。誰かを好きになれとは言わないけれど、嫌いなら嫌いで礼儀は必要だよ。せめて人目がある場所でだけでも、そういう態度はやめなさい」
「…………でも」「緋葬架」
 小さくうなって緋葬架は俯いた。そして、いきなり立ち上がる。
「ちょっと心を落ち着けるために、御不浄に行ってまいりますわ!」
 堂々と宣言すると緋葬架は個室から出ていった。珠月は肩をすくめ、守希生は申し訳なさそうに身体を小さくする。
「……妹が申し訳ありません」
「いや。私の躾もなってなかった。無心に慕ってくるのが可愛くて、ついつい甘やかしてしまう」
 シャンパンをあおって、珠月はまたため息をついた。そして緋葬架の気配が完全に離れるのを待って、口を開く。
「前から思ってたんだけど……ねえ、何で言わないの?」
「なにがですか?」
 やっとほとんど手つかずだった料理を食べ始めた守希生は、視線を下に固定したまま返事をした。珠月は小首をかしげてみせる。
「何って……緋葬架が子どもの頃、緋葬架をホテルに放置した本当の理由と、実は狙撃の名人だってこと。生体に手を加えてないから緋葬架ほどの精度はないだろうけど、生身で非戦闘員にしちゃあ火力強すぎるね」
 一瞬食器の音が止まった。守希生は視線だけを珠月に向ける。
「緋葬架には言ってないよ」
「そうですか。感謝します」
 すぐに守希生は食事を再開する。高級品なのに美味しくなさそうに食べる。そういう気分じゃないのだろう。
「…………何で赤の他人の貴女が知っているのかだけ、聞いてもかまいませんか?」
「そりゃあ、調べたから」
 硬い声の守希生に対して、珠月の口調は軽い。
「一年半くらい前に唐突に現れた男が兄だって聞いて、すぐにそれを信じるほど私が平和な脳みそしてるようにみえる?」
「いいえ。まったく見えません」
 大仰にため息をついて、守希生は両手をテーブルの上に乗せた。開き直ったような顔で珠月のほうを見る。
「気にせず食べていいよ。私はもう食べおわったし」
「そういう問題じゃありませんよ」
 乱暴にいって、守希生はシャンパンをあおった。よい酒が一度でグラスから消える。
「嫌な人だ」
「危機管理能力が強いと言ってよ。本当に兄がいるのか、本物と入れ替わってないか、本当に兄だとしても信用に足る人物か、親しい人間の周りを調べるのは当たり前のことだ。もっとも」
 意味ありげに珠月は言葉を切ってみせた。
「不思議なことに当時の関係者のほとんどが死亡か行方不明で、調べるのに時間がかかったけど。でも、当時関わっていたアルバイターなんかには所在の分かるひとがいたから調べられた。そのうちの幾人かが顔を覚えていたよ。ライフル銃の大会優勝者とか、金持ちが主催していたデスマッチサバイバルゲームとかによく出てた賞金稼ぎの少年がいたって」
「なるほど。そこまでは手をうっていませんでしたよ」
「文字通り、『撃って』なかったのかな?」
「本当に性格が悪い」
「褒め言葉と思っていくよ。いい人だなんて思われたくないから」
 グラスの中のシャンパン越しに珠月は微笑んで見せた。守希生の表情はますます硬くなる。
「両親なき後、貴方は緋葬架を育てるために銃を持った。そして偽名で銃の大会やサバイバルゲームという名の殺人ショウに参加して金を得ていた。その後、緋葬架が手元を離れた後は学校に入り、自分の過去を徹底的に消して動物学者になったようだけど。動物好きなの? 今の時代に動物保護する連中なんて少ないでしょうに」
「そうでもないですよ。希少な動物が野性のまま生きているようなスポットは、巨大な観光地になりますから――――利益が出るなら金を出す連中はいくらでもいる。僕らの仕事はそういう連中から金を引き出すことです」
「質問に答えてないな。動物、好き?」
「人間よりは。人間の血の臭いは汚濁に似ている」
 正直な返答に、珠月は楽しげに笑った。
「案外黒いよね。それもそうか。緋葬架と貴方は血を分けた兄弟。あの逃げ足の速さからしても、貴方の戦闘能力が低いとは思えない。今でも中堅のワーカー以上の戦闘能力はあるんじゃないの? 勿体ないな。そうと分かれば、緋葬架だって貴方を見直すと思うのに」
「僕にとって」
 あっという間に前菜を平らげて、守希生は食器をおいた。
「僕にとって暴力とライフルは貧困の証なんだ。身を守る以外の目的で持つつもりはない」
「持たなくても、できるってだけで周囲の視線は変わるのに」
 面白がるような口調の珠月を、守希生はにらんだ。すでに丁寧な言葉遣いすらふっとんでいる。
「緋葬架には、血で贖った金で育ったという負い目を持ってほしくないし、自分のために兄が血を流していたなんて知ってほしくない。あの子には自分のためだけに生きてほしいんだ」
「潔癖だねぇ。嫌いではないけど。汚濁を汚濁と知りながらそこに飛び込み生き抜く強さは、嫌いじゃない。愚かだとは思うけど。汚濁も地獄も慣れれば楽しい遊び場よ?」
 おそらくはその汚濁にすっかり慣れているのであろう白い手で、珠月はグラスをあおった。相当な量の酒をあけているはずだが、顔色には少しも変化がない。
「心配しなくても緋葬架は、すごく伸び伸びと――――少しセーブしたほうがいいくらいに伸び伸びと自分のために生きているようだけど。しかも職業が暗殺者と調査会社兼業なんて、あの子は見事にこの醜い世の中を食い物にしてるようね」
「どこで教育方針を間違ったのか……」
 守希生は顔を覆った。流石に気の毒になって、珠月はシャンパングラスをおくと、手を伸ばして頭を撫でる。
「でもすごく楽しそうよ。本人は」
「…………うん、妹が幸せなことが兄としての幸せだ」
 顔を覆って机に額を押し付けたまま、守希生は答えた。自分に言い聞かせているような言い方だった。
「…………あのさ、本当のこと話さなくても抵抗することはできると思うんだけど。嫌なら本気で抵抗したら、今ほどは手ひどく扱われないと思うんだ。それに仕事を押し付けられることも減ると思うんだ」
「妹や同僚に銃火器を向ける奴がどこにいる」「兄にライフル銃を向ける妹ならいるようだけど」
 守希生はますます落ち込んだ。
「僕は……ダメな兄だ」
「いや、いいお兄ちゃんなんじゃないの?」
 珍しく、その言葉は本気に聞こえた。しかし、本気と冗談の境目があいまいな珠月相手では油断ができない。警戒するように、守希生は身構えた。
「……何を企んでいる?」
「酷い言い様。せっかくよいことを教えてあげようと思ったのに、やっぱりやめようかな」
「すみません、教えてください」
 珠月は言わないことは多いが、基本的に嘘をつかない。嘘をいうのはすぐにそれを分かる嘘か、相手をからかうための嘘がほとんどだ。珠月は彼女にしては珍しくかすかに口の端を釣り上げると言った。
「緋葬架はね、私には絶対に我儘を言わないの。言って見せたとしても私が許可しなければ、すぐにあきらめる。何があっても私の意志には逆らわない。困った子に見えるけど、最終的に私の不利益になるようなことは絶対にしない。みんなはあの子が私の周囲の人間を威嚇して回ってると思っているけど、口だけだよ。本当に撃つのは刺客だけ。でも」
 くすりと珠月は笑った。
「貴方には我儘しか言わないのね」
「…………それってどうなんだろう」
「いいんじゃないの? 遠慮がないってことでしょ。それと貴方が本気で自分から逃げるわけがないっていう自負じゃないの? だって本当に妹に関わりたくないなら、どこか遠くの研究所にでも転職すればいいだけだもの。レッドラインなら、どこだって雇ってくれるでしょ?」
「………………妹だからね。可愛いよ。やっぱり」
「いいんじゃないの? このシスコンが」
「どうしていい話をいい話で終わらせずに、そう落とそうとするかな」
 にらむ守希生に対して、珠月は明後日の方向を向いてとぼけてみせた。その時軽い足音が聞こえて扉が開いた。いまだにどことなくばつの悪そうな顔をした緋葬架が入ってくる。
「遅くなって申し訳ありません。席をはずしている間、この馬鹿兄が何か粗相をしませんでしたでしょうか」
「緋葬架……お前の中で兄はどういう位置づけになっているんだ……?」
「ゾウリム……お兄様はお兄様ですわ」「今、ゾウリムシって言おうとしたよね!?」「いえ、一瞬ゾウリムシ以下と言おうと思いましたわ」「兄はそんな顕微鏡で観察する微生物以下なのかい!?」「むしろ無機物以下ですわ。と心の中では思っておりますが、おねえさまのお願いに免じて今後は口に出す回数を減らします」「悲しくなるから解説しないで!」
 ぎゃあぎゃあ騒ぐ兄妹を見ながら、長くなりそうな予感を覚えて珠月はワインリストで顔を隠した。そして酷い暴言が飛び交っているくせにどこか親しげな空気を感じているうちに、ある結論にたどりつく。
「…………喧嘩するほど仲が良い」
 その呟きは誰にも聞こえずに、騒音の中にとけて消えた。


おわり
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