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コウノトリシンドローム 後編1」(2012/06/16 (土) 23:42:20) の最新版変更点

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※注  この話では同性愛に関する妄想の描写があります。あくまでもギャグで妄想ですが、苦手な方はご注意ください。  凄まじいスピードでダイナソアオーガン本社前に横付けされた高級車に、入口に立つ警備員は一斉に臨戦態勢に入った。しかし、蹴飛ばすように開けられた扉から豪奢なレースがのぞいた瞬間、あきらめた顔で警戒を解く。 「社長っ! 防犯上、ここにいきなり車をつけるのはよしてくださいっていつも言っているでしょう!?」 「ん。ごめんね」  誠意のかけらも感じられない謝罪をして、珠月は車から降りる。ボリュームのあるスカートがひらひらと揺れる。そのような服に慣れない人間なら、レースの重さと長さでもたつきそうだが、珠月に関してはそんなことはありえない。見られていることを意識した優雅な足さばきでさっそうと車から降りる。その後ろから数人の男女とそれに引きずられた男がひとり下りてくる。 「社長、部外者を中に入れるのは困ります」 「っと、そういえばそうだね。全員、車内で待機。ここに止めると邪魔だから、んー、あっちに立体駐車場あるからその辺に止めて置いて。終わったら電話する」  車の価値と大きさを考慮していない指示だが、逆らうことなく珠月以外の男女は車内に戻っていく。それを見ながら警備員たちは引きずられている見知らぬ男の運命を考え心の中で合掌した。 「緋月は出かけてないよね」 「お出かけになるところは見ていません」 「そ。ありがとう」  端的に礼を述べると、珠月はさっそうと午前中に早退したばかりの勤め先に入っていった。 ** 「緋月」  昼休みの社内は少しだけ空気が弛緩している。だが、この部屋だけは弛緩しているではなく、疲れきっているというほうが正しい空気が満ちていた。珠月は内部調査室の部屋を覗き込んで、声をかけた。珠月の姿を確認すると、緋月は無理やり明るい顔をした。 「珠月様」 「ちょっとおいで」「はい」「社長、緋月どこに連れてくんだよ? 俺も行く」  よんでもいないのに遠が立ち上がる。珠月は犬を追い払うような仕草をした、 「遠はいいから、赤ん坊をちょっと見てて。緋月だけおいで」 「なんでだよっ!?」 「遠には関係ない話だから」 「関係なくないだろう。俺は緋月のパートナーだぞ?」 「パートナーなだけじゃない」  笑顔のまま、珠月は辛辣に切り捨てた。そして遠がなにか叫ぼうとした瞬間、口の中に持っていた包みを押し込む。 「ん? ~~~~~~~!!」 「鯛焼き食べていいよ」 「~~~~~~!!」 「そんな、お礼なんて言わなくていいからおとなしくしててね」 「珠月様、おそらく遠は礼を言っているのではなく、紙袋ごと口に鯛焼きを押し込まれたことを抗議しているのだと思う」  淡々と緋月がツッコミをいれる。しかし、助けようとはしないあたり彼もなにかがずれている。 「まあ、それはともかくおいで。緋月」  騒ぐ遠を完全無視して、珠月は緋月を廊下に出すと社長権限で部屋を強制ロックした。機密保持の関係上、頑丈にできている扉は本気の遠でもまず破れない。普通なら内部からも鍵は空くようにできているが、社長権限でオートロックの設定をかき変えたため、現在は取締役以上でないと解除できなくなっている。 「よし」 「…………珠月様」 「十分くらいで終わるからおいで」  緋月の言外の抗議を聞き流して、珠月は手招きした。自室には戻らず、使用していない会議室の一つに入って扉をしめる。 「緋月」 「はい、珠月様」 「子どもの身元が分かった。ここに置いておくわけにはいかない。他の都市で、孤児を集めて英才教育をしているやつが知り合いにいる。実力主義すぎるところが難点だが、非道ではない。そこに送る」  珠月の言葉に緋月は眉を寄せた。すでに決定事項として告げられたそれに、異を唱えるように言葉を口にする。 「すこし性急すぎませんか? それに分かったとは」 「んー、本名が不明……っていうかないっぽいんだけど」  乗り気でないのが一見して分かる表情で、珠月は鞄を開いた。取り出したタブレットの電源を入れる。そこに無表情な女性の顔写真といくつもの名前が表示される。 「この人、見覚えない? 判明してる偽名一覧が隣にあるけど」  緋月は珠月の手の中のタブレットをじっと見つめた。ややあって、当惑を隠そうともしない顔で珠月を見下ろす。 「…………アミュレット」 「あー……やっぱ、知り合いか。前の組織の子ね?」  珠月は顔をしかめた。 「お守り、ね。当然本名じゃなくてコードネームよね?」 「おそらく、本名というものを持っていた人間はあそこの影の中にはいなかった」  影、とは暗殺者や工作員をさす隠語だ。珠月は鼻を鳴らす。それは緋月もそうだ。戦原緋月というのはこの学園に潜入する際、彼が自分で決めた名前にすぎない。たとえ、今はそれが立派な戸籍上の名前であっても。緋月、という名前にしたのは当時のターゲットであった珠月の興味を少しでも引くためにわざと似た漢字を使ったのだろう。 「彼女は……珠月様の計画の時の連絡役で、学園にも潜入していた。確か、計画が失敗する少し前に進級試験で失敗して退学になっている。その後、組織に戻ったはずだ。それにあそこはもう」「別件で壊滅してるはずだけど、生き残って過去を隠して生きてたみたいね。仲良しだったの?」  緋月は首を傾げた後、小さく頷いた。 「悪くはなかった……と思う。訓練時代から、よく顔は合わせていた。懐かれていたような気もする」 「その子の産んだ子らしい。父親は不明」 「なぜ、俺のところに」  珠月は芝居がかった仕草で大仰に天を仰いでみせた。 「勘違い、の結果らしいよ」 「…………勘違いが起こるような関係は彼女とはなかった。ただの同期だ」 「相手はそうでもなかったのかもね」  つまらなさそうに珠月は呟いた。 「先日、アジアのほうで企業同時の紛争があって都市――といっても町程度の規模だけど、それがいくつかなくなったでしょ? そこに行ってた武器商人の中にうちの学生がいて、そのうちひとりが自分たちが売った新型兵器の結果を調べてる時に、赤ん坊を抱えた死体を見つけたんだって。戦闘員っぽかったから調べたら、赤ん坊は生きていてしかも彼女の持ち物の中に貴方の写真があったらしい。それも子ども時代とおぼしき奴が。組織が写真なんか残すわけがないから、盗撮か潜入時の身分証作るときとかの写真を横領したか。ともかくそういうあきらかに関係があるっぽい写真見て、しかも子どもが日系だったから貴方の内縁の奥さんを殺したと思ってパニックになったらしい」 「…………」 「そんな顔しないでよ。勘違いしたのは私じゃないって。で、慌てて赤ん坊だけは確保したんだけど、どうしても正面から尋ねる勇気がなくて何週間か悩んだ末に暖かい日を選んで玄関前に置き去りにした、と。悪意はなかったらしい。嘘は言っていないと思うよ」 「そうかもしれませんが」  緋月は首をひねる。 「腑に落ちません。なぜ、彼女が」 「さあ? 憧れでもあったんじゃないの? 同じような場所で育って、同じ仕事をしていた。けれど貴方は日の当たる場所に立っている」  己に価値を見いだせないものにとって、己と関わりのある誰からも評価される人間はそれこそ光だ。その栄光を見ることによって自分の地位すら上がったような気がする。だからきっと、彼女はわざわざ緋月と自分の特別な繋がりを意識できる写真をひそかに隠し持っていたのだろう。  だが、そんな誰も幸せになれないことを教えてやるつもりはない。珠月は笑顔の裏で自分の推測を圧殺する。 「光のあたる場所、か。引きずり出された、の間違いかと思うが」 「同じことだよ。力のないやつなら、引きずり出されてもすぐに死ぬ」  光があるということは、はっきりと影ができるということだ。そこには身を隠す闇はない。 「緋月は緋月だからそこにいるんだ。誇りなさい。可愛い私の兵隊さん」  クスクスと珠月は笑う。髪飾りが垂れ下がる無数の飾りがキラキラと光った。 「――――背景は分かった。だがそれならなおのこと、赤ん坊は俺か拾った奴が面倒を見るのが筋だ。珠月様を巻き込むことじゃない」 「お馬鹿さん」  珠月はデコピンで緋月の額をはじいた。いかにもお嬢様とした外見をしていても、戦闘要員である彼女のデコピンはそれなりに痛い。 「赤ん坊の素性から、貴方の素性にたどり着かれたらどうするの?」 「それは……」  緋月は言い淀んだ。  おそらく珠月の隠ぺい工作は完璧に近いはずだ。組織からは存在した形跡を完全に抹消され、おそらくは偽のそれらしい生い立ちも作られているのだと思う。しかし、個人の記憶や今回のような完全に個人が所有している生きてきた痕跡を消すことは誰にもできない。そこから探られれば、この学園の生徒ならあるいは真実にたどり着くかもしれない。  緋月が、珠月を殺すためだけに学園に入学したという真実に。 「ダイナソアオーガンならあるいは全部受け入れてくれるかもしれないけど、私のファミリア(使い魔)は貴方を警戒するよ。あるいは排除しようとするかもしれない。あの子らは私ことが大好きだと恥ずかしげもなく言うくせに、私のいうことなんて、最低限しか聞きやしないんだ」  緋月は沈黙した。沈痛な空気が漂う。 「それより何より、そういう面白いネタに食いつきそうなのに何人か心当たりがある」  緋月は、トップランカーの中では敵を作りにくいほうだ。だが、詮索というのは敵意でのみ行われるものではない。好意も好奇心も詮索を招く。 「遠には、話したくないんでしょ? あの馬鹿なら気にはしないと思うけどね」  緋月はうなだれた。手を伸ばして、珠月はその頭を幼子にするように撫でる。 「隠したいことは隠していいと私は思うよ」 「…………珠月様は、俺を甘やかしすぎです」  緋月の言葉に、珠月はけらけらと笑った。そしてぐしゃぐしゃと頭をなでる。 「だって私は、緋月が可愛いもの」  途方にくれたような顔をして、緋月は黙り込んだ。珠月はまた楽しげに笑う。 「いい子ね、緋月。ま、出来る限り誤魔化してあげるから安心なさい。でも、あの子は手放すのよ」 「…………可哀想だ」 「平気よ。預け先は変人だけど、確か女の子に興味ないはずだし」 「ちょっと待て」  さらりと出てきた気になる台詞に、緋月は顔をあげた。邪気のない顔で珠月は小首を傾げる。 「それは女性か?」 「見た目は女性ね」  不信感をあらわにする緋月に、珠月はさらに首を傾げた。あきらかに彼の不安を分かっていて、やっている。 「ほんとよ? 女と十五歳以下には興味がないって当時十四の私に言い切ったからね」 「……どうして珠月様の取り巻きは、全体的に変質者よりなんだ」 「さあ? それくらいぶっ飛んでないと私に近付こうなんて発想も湧いてこないんでしょ。多分」  珠月は肩をすくめた。しかし、困っているようには見えない。 「私が平気だというから平気なのよ、緋月。さっ、戻ってあの子を渡して頂戴」  緋月は目を伏せた。 「――――……やっぱり、可哀想だ」 「ダメだよ。貴方が引きとることも私が引きとることも、私は許さない」  うつむいた緋月の頬に手を当てて、珠月は顔をあげさせる。 「それに、それをすればあの子は十中八九生き残れないことも分かっているんでしょう? 血を分けたでもない子どもを同情から片手間に面倒見れるほど、私たちに余裕はない。きちんと預け先を見つけるだけ、私は私も緋月もとても親切だと思うよ」  孤児などどこにでもいる。一応、人身売買は禁止されているはずだが、旧時代からずっと見えないところでそれは続いている。それらをすべて救うことなどできはしない。ひとり目はよくとも、そうやって前例を作ってしまえば限がなくなる。だから、道端に人間が落ちていてもそれを最後まで面倒をみきるような人間はまずいない。珠月はかなり親切なほうだ。普通なら、関係ないと分かった時点でどこかの施設に放り込んで終わりになっている。  それでも緋月が悩むのは、緋月があの赤ん坊以上に処分されて仕方がない立場にいながら、いまだに手元において面倒を見てもらっているからだ。  珠月は緋月に価値を見出し、使うことに決めた。赤ん坊はそうではない。その違いがどこにあったのか、緋月にははっきりと分かる。赤ん坊は緋月にとって邪魔になる。それは珠月にとっても邪魔だということだ。  だから、赤ん坊は捨てられなくてはならない。 「泣きそうな顔しないでよ」  珠月は困った顔をした。 「私が悪者なのは分かるけどさ」 「いいえ。珠月様」  すがるように手を伸ばしかけて、緋月は途中でやめた。 「――――ありがとう御座います」 「なに、それ」 **  戻ると当然というか、扉はかなりのダメージを負っていて遠は当然のように怒っていた。だが、それで心動かされるほど珠月は繊細な生き物ではない。完全に無視して、泣きそうな顔の緋月から赤ん坊を受け取る。 「というわけで、私の知りたいのとこ行きだから。詳しいことは緋月から聞いて」 「分かんねえよ! なんで俺閉じ込められたの!?」 「お前がいると話し合いにならない」 「決めつけられた!?」 「ともかく、そういうことで」  ぎゃあぎゃあ叫ぶ遠とそれを必死で宥める緋月をしり目に、珠月は部屋を出た。歩きながらもう一度車を会社の正面に呼ぶ。だが、外に出た瞬間、車よりも先に嫌なものが目に入った。 「………………有華」 「きゃあああああああ! 珠月さんじゃないですか!! あ、それ、例の赤ちゃん? 緋月さんが産んだっていう」「どういう噂に発展してるの!?」  珠月は頭を抱えた。  目の前に少女は、弓納持有華という。少なくとも真っ当な商売人の中では、学園都市内最大の総合製造小売業ブラックシープ商会にて広報部を率いる女性だ。当然、学園内では学園本部や諜報系探偵系組織に次ぐ程度の情報網は持っている、はずなのだが、そんな珍妙な噂が口から飛び出したのはきっと正確な情報よりもそうであったら面白いという願望が先に来ているからだろう。 「有華、緋月は男だ。子どもは産まない」 「関係ないわ。愛はすべての限界を超えるのよ」  一応、生物学的に真であるところからつっこみを入れてみる。が、予想通りまっとうな返事はかえってこなかった。 「いや、越えられないものも色々とあると思うんだ。というか、なにか用? 緋月なら業務中だから邪魔しないでね」  トップランカーと呼ばれる学園最高峰の一群にも苦手なものはある。  例えば道行く学生を無作為に捕まえて、学園で一番敵にしたくない相手は誰かと尋ねたとしよう。筆頭に上がるのは学園最高峰の武力と権力を持つ北王夜厳と南王逆襄、学園最高位の殺人鬼骸手想月、情報戦で囲い込んでくる乱やスコッチの情報屋メンバーだろうか。戦闘能力が高く嗜虐性の強い不死コンビも入ってくるだろう。  だが、もっとも関わりたくない人物となるとがらりと顔ぶれは変わる。敵にしたくない人物とは転じて味方にしたい人物でもあるからだ。そうなると上がってくるのは、本能的に怖い真っ赤なピエロと緑の怪獣やら、言語が通じているようで通じていない寒い詩人やら、うっかりすると自分が料理の食材にされそうなシェフやらだ。その中でも異彩を放つのが弓納持有華。エイリアスはまだないが、学園内に限定すれば知らぬものはいない腐女子だ。戦闘能力学力ともに並みだが、逃げ足の速さと幸運値は天井知らず。学園内に実在する男性で、男同士のめくるめく愛の物語を捏造するのが趣味という、なぜ生きていられるのか分からない女性である。ちなみに、つい最近もブラックシープ商会の社長とその部下をモデルにした同人誌を出して、部下のほうに串刺しにされかけたのは有名な話である。 「えーと、ちょっと今回の事件を詳しく聞きたいのと、篭森さんにサンプル渡そうと思って」 「え……なんか嫌な予感するんだけど」  その時、呼んでいた車が丁度目の前に停車した。扉が開いて部下のひとりが下りてくる。珠月はほっとして彼に赤ん坊を渡した。が、有華は離れない。 「五分だけっ! ちょっとだけだから。先っぽだけっ!!」 「なにが!?」  珠月は有華が若干苦手であった。  正確には彼女自体というより、幼年期のトラウマのせいで自分の理解できない領域にいる人間が彼女は苦手だった。 「面会の予約とか入れた覚えないんだけど?」 「大丈夫。すぐにすみますから! とりあえずサンプルをどうぞ」 「だから、何の?」  唖然とする部下に先に屋敷に戻って赤ん坊の預け先と連絡を取るよう指示を出すと、珠月は有華に向きあった。しかし、微妙に距離がある。心の距離は物理的な距離でも現れる。 「新作同人ゲーム『赤き薔薇の黙示録』体験版っ!! まだ配布前」 「本当になにそれ!?」  珠月は頭を抱えた。 最近、同人誌では飽き足らず同人ゲーム分野に足を踏み入れた有華は、相変わらず肖像権や名誉棄損と戦いながら趣味を追及している。固定のファンもいるというから世は不思議だ。 「殺人鬼、不死コンビの片割れ不死原夏羽BLゲーム」 「…………」  反射的に珠月は手を差し出した。そこに紙の箱に入ったディスクが載せられる。表紙は若干デザインを変えられてはいるが、見る人が見ればモデルが分かるようなキャラクターがプリントされている。なんとなくそのままパッケージをひっくり返して、珠月は動きを止めた。 「………………ちょっとまてコラ」 「あ、気づいた? 攻略キャラはまずは本命の陽狩ね。鬼畜襲い受けだからバッドエンドルートに入ると惨殺されちゃうけど。後ね、悩んだんだけど緋月君も攻略キャラのほうに入ってるの。仲良しだもんね。あと遠君。いや、もちろん緋月君と遠君が相思相愛夫婦なのは知ってるんだけど、たまにはこういうのもいいかなと思って。緋月ルートだと惹かれあいながらも互いの立場やパートナーが障害となってもどかしい恋が展開し、遠ルートだと天真爛漫な遠と表裏のない恋に落ちるんですよ。どっちもバッドエンドは殺し合いになっちゃうんですけど、そっちもかなり凝ってるんですよ」 「お前は私の部下を何だと思っているんだ……いや、それ以上の問題があるだろうがっ!!」  珠月は有華にパッケージの裏面を突きつけた。そこには黒い服を着崩した気だるげな男が描かれている。 「私を出すんじゃねええええええええ!!!!」  性別はもちろん、髪型や身長はかなり弄ってあるが、これまた見る人が見れば誰か分かるキャラだ。 「珠月さんじゃないですよ。珠月さんを男体化したオリキャラです」 「つまり私じゃねえかっ!!」 「違います! 私のこうだったら萌えるのになっていう妄想ですっ!!」 「なお悪いわ!!」  公道で奇声を上げる珠月に、会社の前に立つ守衛の胡乱な視線が突き刺さる。 「いや、重要なんです。ドS鬼畜は陽狩。ほのぼの明るいのは遠。敵同士という葛藤に萌えるのが緋月。それと完全ヤンデレで四十物谷の宗谷さん入れたんです。本当は、攻略キャラをあとひとりふたり入れたかったんですけど、夏羽さんって男女問わず知人が少ないものですから。そこでふと、珠月さんが男性だったら超萌えると思いついたんです」 「…………お前がこれをすでに配布していた場合、私は私の名誉にかけて武力とか腕力とか権力とかで総合的にお前を叩きつぶさないといけなくなっていたよ。命拾いしたな」 「いやいや、聞いてくださいよ」  珠月の纏う気配が不穏なものになってきたのを察して、有華は慌てて首を横にふった。 「珠月さんのルートはラヴルートに入ると、それはもうドロドロに甘やかして愛してくれるんですけど、選択肢間違えると調教玩具ルートに」「有華」  甘やかな声が響いた。本能に鳴り響いた警鐘に、有華はびくりと肩を震わす。 「は、ハイ、ナンデショウカ?」 「今すぐにおうちに帰ってこれを全部破棄しなさい。ね?」  珠月は微笑んでいた。  だが、知っているひとは知っている。マジギレ直前の珠月がいかに朗らかであるか。 「えーと…………」 「有華は私のお友達、だよね?」  がしっと珠月の手が有華の肩をつかんだ。 「これからもお友達でいてくれるよね」  意訳、拒否したら殺す。あらゆる意味で抹殺する。  有華の背中を冷たい汗が流れおちた。 「も、もちろんです珠月様」 「だよね。よかった。ところで」  肩をつかむ指に力がこもった。 「まさかそんな用件で忙しい私を引きとめたりしていないよね?」 「…………」  空気が緊迫した。ただならぬ気配に、思わず通行人が避けて通る。 「えーと…………ごめんなさい」  有華は土下座した。立った姿勢からの凄まじい勢いの土下座に、違う意味で通行人がびくりと震える。珠月は深々と息を吐きだした。 「今、少しだけ夏羽の気持ちが分かったから、今後からは適度にからかおうと思う」 「え……なんですか、その決意」  その時、空気を割くように携帯電話の音が鳴り響いた。  学園に籍を置く生徒は全員が、密林だろうと北極だろうと通話可能な衛星携帯電話を持たされている。大戦以降は汚染地帯を避けて一生涯都市の外に出ないような市民も多い中、トランキ学園の生徒たちは世界中の都市からやってきて、そして世界中の都市を渡り歩いて仕事のするのが常だからだ。そのためには、どこででも通じて本人が壊れてもなお壊れないくらいに頑丈な携帯が必要になる。  なったのは珠月の携帯電話だった。表示を見て小首を傾げたあと、珠月は電話に出る。 「私だけど」 『申し訳ありません!!』  鳴り響いた大音量に、珠月は携帯電話を耳から離した。つい先ほど別れたばかりの部下の声と、そして怒声と銃声と破壊音が容赦なく電話の向こうから聞こえる。  怒声と銃声と破壊音が聞こえる。 「―――――っ」  珠月はこめかみに手を当てた。心理的要因で頭がずきずきと痛む。  珠月には通称『ファミリア』と呼ばれる非公式な私兵集団がいる。非公式であるからにして、きちんとした規律があるわけでも常時周囲に控えているわけでもない。最低限の約束事がある以外はそれぞれ違う都市で違う仕事をしており、声がかかった時だけ働くと言う言わば珠月専属のアルバイターに近い。ゆるい縛りは、ファミリア側から見れば私生活に力を向けられるという利点といざという時のバックの確保という利点があり、珠月側からみれば通常の私兵より維持費が少なく、常備軍より他者の警戒を招きにくいという利点がある。  だが、問題点が出てくるのはこういう時だ。  ファミリアは珠月に忠実だ。だが、基本的にどこか頭がおかしい。おかしい故に普通の護衛や兵士には不向きだが、使いこなさせれば効果が高い劇薬だ。そう、使いどころと組み合わせを間違えなければ。つまりは、  使うときは目的に合わせて面子を入れ替えなくてはいけない。そして、動かしている間は決して手綱を緩めてはいけない。  たとえ自らは騒動を起こすのを自粛してくれたとしても、向こうから騒動が来れば喜んで飛び乗るのが奴らだ。手綱も引いておらず、目的に合わせた編成をしたわけでもないファミリアなどただのちょっと腕の立つ武装集団だ。しかも、規律の取れていない武装集団だ。騒動の火種ともいえる。敵が下位ならばそれでも歯牙にもかけない実力はあるが、拮抗する相手の場合その隙間は致命的だ。  短時間でもきちんと指示を与えずに目をはなすべきではなかった。珠月はため息をつく。 「――――なにが合ったかを簡潔に事実のみ述べよ」 『えーと、えーと、珠月様と別れて車運転してたら、目の前で一般車と黒塗りの車が衝突して何事かなと思って車止めてひとりが降りたら、わらわらわらといっぱい出てきて、ごめんなさい。うっかりした時に赤ちゃんもっていかれました』 「敵の残りは。エイリアス持ちはいた?」  頭痛がする。  いくら戦闘前提の組み合わせではないとはいえ、たかがその程度の襲撃にファミリアが隙をつかれるなど、ありえない。だが、ありえないことが起こっている。起こるからには原因があるはずだ。 『五人です。人質である赤ん坊投げ捨てたり心中するようなことはないと思いますぅ。何人かで追跡中です。建造物被害は出してません』 「そう。GPSで座標をケータイに転送して。それと」  一端言葉を切って、低い声で珠月は続けた。 「いくらなんでも油断しすぎだ」 『っ、違うんです』  慌てたような声が電話の向こうでする。可哀想だが弁解を聞いてあげることはできない。珠月は電話を切ろうとして、 『不死コンビのスーツのほうに邪魔されました』  びしりと動きを止めた。  不死コンビのスーツのほうということは、陽狩の単独行動ということだろう。陽狩が邪魔に入った。相手側に雇われたのか、通りすがりの凶行かは分からないがそれはかなり面倒な事態だ。へらへらとした態度が先に立って分かりにくいが、不死コンビは学園でも戦闘能力だけなら二桁に匹敵するつわものだ。特に戦闘を意識して召集をかけたわけでもない雑用用のファミリアでは、赤ん坊を抱えて市街地で周囲に被害を出さずに撃退することは不可能だ。 「彼、なにが言ってた?」  可能性は低いと考えつつ、一応相手からの要求なり宣戦布告なりがなかったがどうか確認する。しかし、予想通り返ってきたのは否定の言葉だった。 『いいえ……適当に蹴散らして、いなくなりました。その時に連携が崩れて、赤ん坊を取られてしまって』 「……赤ん坊の所在は襲撃者のところなんだよね?」 『はい』  となると、おそらくは自体の主犯はその謎の襲撃者のほうだ。陽狩はそちらに雇われているか、通りすがりに嫌がらせ目的で乱入した可能性が高い。どちらにしても、目的は珠月か緋月、もしくは両方への嫌がらせだ。 嫌がらせ目的なのだから、赤ん坊自体は無事だろう。陽狩とて、珠月が本格的に敵に回すには面倒な人脈の持ち主ということくらい理解しているはずだ。していないか、それでも敵対できるだけの力を持っていたなら、もっと早く本格的な闘争に入っていたに違いない。  珠月は群れを率いている。  陽狩は孤高と好む。  それは大きな戦力差だ。だが、同時にその戦力差は一つの抜け道を用意してしまっている。 「面倒な……」  珠月は息を吐きだした。 「分かった。追跡を続けて。緋月には知らせるな。確実に陽狩が絡んでるから、無理に手を出さないように。騒ぎが陽動の可能性もあるから、私に連なるすべての関係者に緊急事態宣言を出しておいて。騒ぎの裏で株価買占めだの、違法取引だのされたらたまらないのよ。私はいけないから、代わりに誰か代理をよこす。それまで見失うな」  珠月は組織、陽狩は個人。だからこそ、個人と個人なら敵対行動になる行動を取ってもそれが当人同士のぶつかり合いでない限り、『不幸な事故』『ただのじゃれあい』という言い訳が通ってしまうのだ。そして、珠月はいまのところ不死コンビという使い道のある知人を手放すつもりはない。よって、珠月は具体的な被害――それも人命被害か相当数の物的被害――が出ない限り、陽狩が足元をうろうろしても本人が鎮圧に出ることはできない。それをしてしまえば、敵同士になるからだ。 「奴の目的は私への嫌がらせか、緋月へのちょっかいだ。お前たちは手を出すな。被害が拡大する。向こうが喧嘩ふっかけてきてもできるだけ相手にするな。最悪負けてもいい。殺されはしないはずだから、周囲に被害を出さないことを優先して」 『かしこまりました』  侮辱とも取れる命令だったが、電話相手は動揺しない。慇懃に了承の意を伝えてくる。それを確認して、珠月は通話を切った。携帯電話をしまうと、なにがよくないことが起こったことは理解したのか、土下座姿勢のままおそるおそる顔を上げた有華と目が合った。 「有華っ!!」 「ひぃっ、何でしょうか!?」 「お前が変な話に付き合わせるから、面倒事に巻き込まれたでしょうがっ!! お前なにしに来たんだよ?!」  完全なる八つ当たりで、完璧な言いがかりだった。だが、有華は飛び上がるようにして立ち上がり、背筋をぴんと伸ばす。 「ごめんなさいっ!! 今度から無断で萌えます」 「そこじゃねえ!!」  珠月は頭を抱えた。呆れが怒りを凌駕して、かえって冷静になる。もしも狙ってやっているとしたら、才能だ。 「もういい。このことは後日話し合おう。お前、もう帰れ。私は急用だ」 「えー、そっち駅と反対方向だよ? 車もないのに」 「走ったほうが早いくらいの緊急事態なんだよ!!」  ちなみに心身ともに選び抜かれたエリート中のエリートであるこの学園の生徒は、乗り物に乗らずとも時速50キロくらいで走れるのがざらにいる。それでも公共の乗り物があるのは、単に疲れるのが嫌だからだ。当然、珠月も走れるが彼女の場合は服が汚れるのが嫌なので、天敵に追われた時以外は基本はしない。  それはさておき、 「って、なんでついてくる姿勢なの!?」 「珠月さんのいく先に萌えの気配を感じる」 「どういう能力だ……?」  また頭を抱えそうになりながら、珠月は気力で有華に背を向けた。次の瞬間、再び携帯電話がわめきだした。聞く人を不安にさせるような奇妙な音楽に珠月は嫌な予感がわき上がる。それでも無視するわけにはいかず、電話に出ると間入れず電話の向こうで見知った声がした。 『珠月様、緋月だ』 「…………どうしたの?」  タイムリーな電話に嫌な汗が流れる。緋月は続けた。 『赤ん坊が謎の襲撃者に襲われた話は耳に入っているか? 俺もすぐに向かう』 「…………なぜもう知っている」  部下には、面倒を避けるため緋月には黙っておくように言ったはずだ。 『学園掲示板の実況板に、【ひょっとして】白昼堂々高級車が襲撃されてるんだが【ファミリア?】というスレが』 「私の真の敵は、学園の暇人変人どもなのか…………?」  ここは世界最高峰の学園都市。  最高峰の知恵と体力と武力と技術と異能と権力と財力を持った学生の集う街。そしておうおうにして学生とは、悪ノリしやすく暇人が多く才能の無駄遣いが目立つものである。 『珠月様』 「お前は来なくていい。おとなしく待機」  緋月は冷静に見えて身内という一点に関してはおそろしく沸点が低い。そんな危険物を混沌とした戦場に送り込むわけにはいかない。のだが、 『もう向かっている』 「ちょっと待て。私は会社ビル正面にいるんだけど」  非常階段から飛び降りる緋月の姿を幻視して、珠月は頭痛がひどくなるのを感じた。こういう時、珠月は自分がわりとまともな人間だと痛感する。いざというとき、うっかり正気の側に残ってしまう人間だ。 「……分かった。すぐに応援を向かわせる。無茶はするな」 『了解した』  電話は切れた。  珠月は八つ当たりに、本職の戦闘員が泣きだすほどの威圧をこめた目で有華を睨みつけた。当然ながら、無駄に死線をかいくぐっている有華には効果がなかった。舌打ちして、珠月はまた携帯電話を取り出す。 「ああもう、こんなことならネムくらい呼びだしておけばよかった。こんな時に限って動かせる駒が手元にないんだからっ!!」 「遠君動かせばいいじゃない。妻と子どもの危機なんだから。もしくは夏羽呼びだして愛人の凶行止めてもらいなよ」 「黙れ、有華」  振り向きもせずに、珠月は有華の顔に拳をめり込ませた。  はじめて有華を殴りまくる古屋敷の気持ちが珠月にも分かった気がした。 つづく

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