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 意識が戻って初めに感じたのは奇妙なほどに適切な温度と湿度。刷り込まれた危機管理の本能は、覚醒と同時に目を開けるよりも先に周囲の気配を探る。複数の気配がする。少しだけ手足を動かすと椅子に座った状態で足を縛りつけられていることが分かった。奇妙なことに腕は手錠か何かをかけられている気配はあるものの、後ろ手にされていることもなければ、縛られてもいない。手だけは決して傷つけないようにとの配慮に、相手の意図が透けてみえる。 「気づいたか……?」  神無は返事をしなかった。タヌキ寝入りを決め込む。だが、髪を掴まれて叩き起こされる。しぶしぶ目を開けると、サングラスや仮面で顔を隠したスーツ姿の男がぞろりと立ちふさがっていた。部屋は妙に暗い。数回瞬きをして目が慣れてくると、その薄暗い部屋一面にあるものがあるのが分かった。 「…………後期印象派」  額縁だ。その中には様々な作家の作品、それも現在行方不明とされている作品ばかりがずらりと並んでいる。状態は悪くない。額縁の中では様々な風景が美しく描かれている。だが、 「全部、贋作」  顔をしかめて神無は言い捨てた。愉快そうな笑みが男たちの唇に浮かぶ。 「一目で分かってしまいますか。雅楽鑑定はすり抜けた名品なんですがね」 「塗りで分かる。この作品には美学がない。魂がない」 「ひどい言い様だ」  男は大仰に肩をすくめてみせた。神無は相手を睨みつける。 「で、ここどこ? 貴方、誰? 私に何の用?」 「態度の大きいお嬢さんだ。まだ立場を分かってないらしい」 「立場?」  神無は殊更に無邪気に笑って見せた。 「それってアレ? 私を三度も誘拐しようとして、一度目は通りすがりの殺人鬼に邪魔されて、二度目は自称皇帝に撃墜されて、三度目の正直でこそこそとか弱い婦女子をさらってきて悦に入ってる変質者が目の前にいるような立場ってこと? 大ピンチね」 「…………口の減らないお嬢さんだ」  顔を引きつらせながらも、あくまでも余裕のある態度を保って男は答えた。だが、端々に怒りに堪えている痕跡が見える。神無は一端黙ることにした。怒らせるのは得策ではない。 「……君には仕事を頼みたいんだ」 「内容と報酬によるよ」 「選べる立場だとでも?」 「一流は一流の仕事しかいない」  余裕ありげな男に合わせて、神無も余裕のある笑みを浮かべる。この手の相手には弱みを見せれば負けると本能的に知っているからだ。 「君には絵の鑑定と必要とあれば手直しをしてもらいたいのだよ」 「鑑定は五秒で終わるよ。全部、贋作」 「――――違うだろう?」  神無は笑みを深めて見せた。その裏で冷静に勝算を探る。  おそらくはすでに学園では異常が気づかれているだろう。一定時間連絡が途切れれば自動的に各方面に通達がいつようにしてある。すでに捜査が始まっていると思っていい。問題はその友人知人の包囲網がここにたどり着くまでにどれほどの時間がかかるかということだ。調査依頼を出した四十物谷調査事務所は優秀だが、本業は物体の検査や土地や海洋など動かないものの調査活動だ。その延長として組織や勢力構図の調査も行う。もし、犯人が少数精鋭の個人的なグループの場合、網にかけるまでに時間がかかってしまうだろう。逆にこれが大きな組織であった場合も問題がある。その場合、おそらく捜索に加わってくれるであろうブラックシープ商会は手を出せなくなる可能性が出てくる。組織同士の抗争はなるだけ避けなくてはいけないからだ。『世界の天秤』ユグラシルユニットに通報したとしてもピースメーカーが動くまでは時間がかかる。あとは友人たちだが、学園を留守にしている彼女らに連絡がいくには時間がかかるだろう。  結論としてまだ救出は来ないと神無は判断した。次に相手を見やる。腕を傷つけないように注意を払っているが、足の方はきつく拘束されている。つまり、手を傷つけれる可能性は低いがそれ以外ならどうなるかは分からない。手、指、そして目さえあればだいたいの修復と鑑定はできてしまう。 足をサイボーク化とかになった場合、サイボークの義足っていくらくらいするんだっけ。捨て鉢に神無は頭のすみで考えた。 「……だるいんだけど、今、何時?」  返事はない。神無は小さくため息をついた。あれからどれくらい時間が立っているのかは分からないが、一時間や二時間ではないだろう。いくら学園が比較的オープンな土地とはいえそこから周囲の目をかいくぐって脱出するのは容易ではない。それに旧日本国の土地は基本的にライザ―インダストリーの配下か昔から日本にいる組織や個人の所有地、もしくは大企業の重役の個人都市などだ。学校近辺の土地の支配者で、こんなハイリスクハイリターンなことを遊びでなく本気でするような人格の人間は心当たりがない。昔から日本にいるようなタイプの組織は、基本的に志向が内に向いているし学園と協調関係にあるからたかが贋作のために誘拐なんてリスキーな真似はしない。となると、自動的に位置は絞られてくる。ここはユーラシア大陸の海沿いの都市のどこかである可能性が高い。 「何を考えているか知らないが、助けなら来ない。さあ、もう一度聞こう。この絵画をどう思う?」  神無は沈黙した。言えば時間稼ぎにはなる。だが、一度でも偽りを口にした鑑定士は意味がない。それが過ちによるものでなく、意図的なイツワリならなおのこと。  黙り込む神無を見て、苛立たしげに男は神無の襟首を掴んで揺さぶった。 「どうした? 言え」  息がかかる。不快感に神無は顔をしかめた。それを見て男は少しだけ機嫌を直す。 「簡単なことだろう? 君が痛い目に会うのが趣味だというのなら話は別だが。目と手さえ無事なら他が多少どうにかなっても鑑定はできるし、修復もできるからな」  自分の推測と同じ結論を男が出していたことに、神無は心の中でため息をついた。こんな奴とシンクロしても何も嬉しいことはない。神無は目を閉じた。観念したとみなしたのか、低く笑う声が聞こえる。 「さあ、何か言うことは?」 「………………美しくないものは見たくない」  沈黙の幕が下りた。どなり声が返ってくると思っていた神無は不審に思って目を開ける。そこには歯をかみしめて怒りをこらえる男と、明後日の方向をむいて肩を震わせる取り巻きの姿があった。そういえば、彼の顔は化粧技術や整形技術、遺伝子改良が発達した現代に相応しくないほど微妙な形をしている。 「はっ……はは、芸術家気どりの傲慢なものいいだな。醜く愚かというならば、今の状況を理解していない貴様のことこそを言うのだ」  ややあってぎこちない動きで神無を見ると、男は言った。いいことを言っているような気もするが、神無は右から左に聞き流して明後日の方向を見つめた。 「…………聞け」 「たいしたことも言っていないくせに」  視界が揺れた。次の瞬間、肩と足に痛みが走り、視界がぐるりと回転する。座っている椅子を蹴り倒されたのだとすぐに気づく。受身が取れないのでそれなりに痛い。慌てて周囲が止めに入る。 「――――小娘が。手を出せぬと思って生意気な」  手が伸びてくる。神無は身を固くした。その時、再び視界が大きく揺れた。違う。建物自体が揺れている。 「っ、地震か!?」 「――――爆発」  ぼそりと神無は答えた。学園の生徒だからこそ、分かる。これは学園でも比較的日常茶飯事に感じる揺れ――爆破や戦闘行為による振動だ。 「…………思いがけずはやくきてくれたのかな」 「貴様、何を知っている!?」  神無の独り言を聞き咎めた男が、強引に神無の襟首を掴んで持ちあげた。椅子ごと中途半端な形で持ち上げられて、縛られた足に負荷がかかる。神無は小さくうめき声をあげた。 「言え! これはどういう」「そいつから手を離せ」  ひどく乾いた声がした。声に人格というものがあるとしたら、それはひどく飢え乾いているだろう。そんな声だった。慌てて男たちが振り向く。その前に、 「お前が触れていいような女じゃない」  ずぶりと男の腹から何かが生えた。酷くとがったそれは赤黒い。その色が血と内臓の色だと理解するまでに少し。理解した時には、それは大きく横に薙ぎ払われていた。圧倒的な力と鋭さで引き裂かれた男の腹の半分が勢いよく吹き飛ぶ。飛び散った腸の一部が、贋作にぶつかって血なまぐさいアラベスクを作り出す。神無を掴んでいた手が離れる。支えがなくなった神無の身体は椅子ごと床に落下するが、直前で伸びてきた腕がそれを受け止めた。そして、ゆっくりと椅子を立て直す。掴まれた腕が男の血で赤く染まったが、神無は気にしなかった。 「やあ」  微笑みかけると、一瞬相手は戸惑ったような顔をして、それから少しだけ泣きそうな顔をした。派手に内臓を吹き飛ばしたせいで、周囲は血まみれだ。けれど彼は腕と武器以外、血を浴びていない。 「赤い羊っていうから、もっと全身真っ赤になるようなことをするんだと思っていた」 「……それ、すぐに捕まるだろう」 「それもそうだね」  神無は微笑んだ。彼――法華堂戒は何故か泣きそうな顔で笑った。泣きそうなくせに妙にほっとしているようにも見える。 「すぐに殲滅する。怖いだろうが、我慢してくれ」 「平気だよ」  神無は笑みをさらに深くする。 「だって、戒さん勝つし、どうせほかにもきてくれてるんでしょ? 怖くなんてないよ」 「…………そうか。そうだな。お前は」 遅れて悲鳴が上がる。男の悲鳴ではない。主人が倒されるまで気づかなかった取り巻きの悲鳴だ。半分は銃やナイフに手を伸ばして戒に向きあい、残りはこと切れた男など無視して出口に殺到する。だが、すでに遅い。まるで魔術のように一番初めに出口にたどり着いた男の頭が吹き飛ぶ。くるくると中を舞ったそれは、狙い澄ましたように扉の前に立つ男の手に落ちた。 「御機嫌よう、紳士淑女の皆さま」  芝居がかった仕草で生首をキャッチした男は薬と笑った。その手の中で波状の刃を持つ剣がきらりと光る。神無はそれらを見てゆっくりと口の端を釣り上げた。 「うちのお姫様がお世話になりました。お礼として――――鋼と鉛の演舞をお楽しみください」 「姫じゃないし、お前のじゃないし」「伏せろ」  抗議の声を上げようとした神無を戒は椅子ごと押し倒した。その頭上を鉛玉が通過する。 「ちょっ、味方の被害!!」 「あの自分大好き自己中馬鹿が考える訳がない」  淡々と答えて、戒は神無の縄を切った。手錠すらあっさりと断ち切る。 「怪我は? 小さな怪我も職人には命取りだ。すぐに言え」 「ん。平気。これから色々されそうだったけど、いいタイミングできてくれて助か」  神無の声をかき消して人間の身体の一部が吹き飛んでいった。流石に神無の顔から血の気が引く。戒は視界を遮るように神無の前に立った。 「……陽狩、やり過ぎだ」 「もう終わりました」  原形をとどめない死体を放り出して、陽狩は答えた。戒と違い彼の場合は身体の端々に血しぶきが散っている。青い顔の神無を見て、陽狩は口の端を釣り上げた。軽く腕をふるうとフランベルクと呼ばれる波状の剣から血が飛び散る。 「顔色が悪いですね。手を貸しましょう」  伸ばしかけた陽狩の手を戒が引っ叩いた。代わりに自分の手を神無に差し出すが、神無は反応しない。じっと陽狩を見ている。 「ふふ、どうかしましたか? そんなに珍しいですか? 死体が」  屈んで陽狩は半分に千切れた人間の頭部を持ちあげた。そして神無の足元に投げ捨てる。戒は顔をしかめた。 「陽狩。悪趣味だ」  陽狩は戒には答えず、にこりを笑って見せた。そして、青い顔の神無と飛び散った人体の一部を交互に見やる。 「貴女でも怖いんですね。ちょっとがっかりです」 「…………どうなってるの?」 神無はじっと陽狩を見つめた。戒と陽狩は動きを止める。 「はい?」「何が?」 「フランベルクは本来、切り裂くための武器。切り裂いた後の傷口を惨くすることで後からの回復を阻害するために。なのに……なんでそんな割と細身の鋭利な刃物で人間が真っ二つになるの!?」  突っ込みどころはそこかよ。 二人の殺人鬼は驚愕した。ここは殺人鬼という生き物の凶悪性や残虐性に怯える場面のはずだ。 「……神無さん。僕はグラップラーなんですよ。武器を自分の気功で強化してるに決まっているでしょう? グラップラーの武器は普通の武器の性能をはるかに上回ると考えてください」 「ああ、そうか」  納得したように神無は頷いた。そして血肉で汚れた床を嫌そうに見下ろす。だが、すぐに気を取り直したように顔をあげた。 「二人とも有難う。二人だけできてくれたの?」 「流石にそれはない」  面白くなさそうに戒は答えた。陽狩も笑みを浮かべる。 「上に馬鹿がいますよ。馬鹿はだるいから着たくないと我儘言うので、口に札束詰め込んで引きずってきました。仕事なら文句もないでしょう」「爆破は深紅がただでダイナマイトくれた。空多川と篭森の手ごまも別ルートで入ってきてる。そちらは逃亡者を見張ってくれているはずだ。それと」  生き物の気配を感じて三人は咄嗟に振り返った。反応が遅れたのはそれが殺意や悪意を持っていなかったからだ。振り返ったときには、訓練された猟犬が大きく跳躍したところだった。咄嗟に戒は神無を背後に庇い、陽狩は剣を振りあげる。だが、犬の牙が届くよりも前に銃声が響いた。ばたりと犬が床に落ちる。 「何をイチャついているのですか? 人質が救出できたなら、早々に私は離脱させてもいます。殲滅作業をするなら止めはしませんが、冷泉さんが見つかった時点で私の仕事はおしまいですからね。荒事は引き受けないわけじゃありませんが、好きじゃありません」  柔らかな声がした。陽狩に似た敬語口調だが、こちらは幾分か柔らかな口調に聞こえる。 まっすぐに向けられたリボルバーから硝煙が立ち上る。青みがかった黒髪を書きあげて少年はため息をついた。トレンチコートの裾が壁や柱にまで飛び散った血痕に当たらぬよう慎重に歩いてきた少年は部屋の入り口で足を止める。 「アレは……」  神無は目を丸くした。なぜ彼がいるのか分からない。戒に視線をむけると、戒はその視線から逃れるように明後日の方向を向いた。 「四十物谷じゃこういうことには向かないからな。手が開いている時で助かった。速攻でこの場所を突き止めて、神無の捜索まで手伝ってくれた」 「雇ったんですよ。大出費ですけどね」  にやにやと陽狩が笑う。戒は陽狩をにらんだ。 「金を出していない奴にあれこれ言われたくない。しかもお前は初めの要請を無視した。神無がいなくなった。探すのを手伝えという要請を」 「殺人鬼に何を期待しているのやら。それに結局来たんですから同じでしょう?」  陽狩は肩をすくめてみせた。浮かべた薄い笑みは崩さない。 「それに僕は上で暴れてる馬鹿とこの島をぶち壊す武器に金使ってるんで。だいたい僕が他人のために金を使うなんて、まずない珍事ですよ。それだけで価値がありますよ。ねぇ、神無さん。それだけ大事にしてあげてるんだから、これからもよろしくお願いしますよ」 「返り血付くから、抱擁は後にして」 「…………そういうところが面白いから好きです。やはり来てよかった。血まみれの私を見て怯えも警戒もしないなんて貴女は本当にレアですね」 「ありがとう」 「茶番を続けるなら、先にヘリポートに戻っています。島が爆破される前にさっさと来るように。遅れそうなら容赦なくおいていきますので、そのつもりで」  呑気な会話をする三人をみて、くるりとその人物は踵を返した。慌てて戒がそれを追いかけて引きとめる。 「まってくれ、藤堂さん。神無を連れて行ってくれ。俺と陽狩たちはもうちょっと破壊活動をしてからいく。万一間に合わないと判断したら、先に学園に帰って空多川と篭森に連絡してほしい。事後処理はそちらが担当してくれる約束になっている」  彼――藤堂慧は面倒くさそうに振り向いた。だが、すぐに頷く。 「了解。そういえば話すのは初めてですね? よろしく冷泉さん」  【クローズドサークル(閉塞空間)】藤堂慧。序列19位。学園でも名実ともに最強クラスの生徒の一人にして、学園でも五指にはいる探偵事務所ディテクティブオフィス乱の所長を務める。本来なら接点などない人だ。  いったいいくら積んで雇ったのか。神無は背筋が冷たくなった。 「初めまして。冷泉神無です。このたびはありがとうございます」 「お礼は、貴女のことが大好きな殺人鬼どもに言ってあげてください。速攻で調子に乗るのは目に見えていますけれどね。まったく、えらいものに好かれてますね」  困っている口調で、けれど柔らかい笑顔で慧は答えた。神無は思わず見とれる。 「……あー、モテそうですね」 「なんです? 藪から棒に。後、そういう発言は後ろから殺気を感じるので控えるように。では、殺人鬼ども。先に行っていますよ」 「神無を頼む」「傷一つつけないようにお願いしますよ」  自分の仕事は探偵であって護衛じゃない、とぶつぶつ慧は呟いたが特に反論もせずに神無を連れて歩きだした。その先の通路にも転々と死体が転がっている。 「あ、あの……」 「ここはまあ、ある企業保有の人工島です。中心部の回路を壊せば沈むでしょう。証拠隠滅のため、島は殲滅した後沈める予定になっています。事後に色々あるでしょうが、そちらの根回しは現在アジア圏にいないあなたのお友達二人が引きうけてくれました」 「戒さんたちは介入してきて平気なんでしょうか?」  神無は顔を曇らせた。慧は少しだけ歩調を弱めて神無に合わせる。 「平気でしょう。不死コンビは元々天下無用の殺人鬼だから論外として、法華堂も最低限の保身はできていますし、何よりエドワードは貴女が思っているより数倍腹黒くて後ろめたいですよ? 何かもめても金で解決するでしょう」  慧は小さくため息をついた。周囲に視線を巡らしながらも躊躇いなく進む。爆発が起きた割には火の気は見えない。代わりにどこからか怒声と悲鳴が聞こえる。 「…………夏羽さん? かな?」 「やつら、本職の掃除屋ですからね。学園のランカーともなれば単騎で都市殲滅すら可能なつわもの。心配はするだけ無駄でしょう。大変、気分が悪いですけど」  慧は眉をひそめた。あの学園で探偵などという人の秘密に関わる職についているからには、荒事をしないというわけではないだろう。それでも顔をしかめるのは純粋に血が嫌いに違いない。いい人だと神無は思う。 「藤堂さんは良い人ですねぇ」 「…………はあ、それはどうも」  口に出すと複雑そうな表情が返ってきた。そして小さく笑う。 「何となく分かりました。たらしこんだ手口が」 「何を?」「何でもありませんよ。ヘリの準備をしましょう。脱出しそこねたら笑い話にもなりません」 ** 「…………遅い、ですね」  奇妙な静けさが訪れつつある人工島のヘリポートで、神無はぽつりと呟いた。断続的に聞こえていた爆発音や悲鳴はすっかりなりを潜めている。一番敵がきそうなこのヘリポートも人っ子一人みえない。ただ見張り役だったと思しき人間の死体が転々と落ちているだけだ。 「そろそろ爆破予定時刻なんですが。きっと互いに足を引っ張り合って、隙あれば相手を爆破する島に置き去りにしようとしているのではないかと思いますよ。他の協力者はおそらく港ルートで脱出してるはずですが」 「うん、すっごく想像できた」  協力し合う姿など微塵も想像できないが、殺し合う姿ならリアルに想像できて神無は顔を引きつらせた。 「そんなに仲悪いのに何で一緒にくるかな」 「敵と相打ちになれば一石二鳥とか思ってるんでしょう。きっと。まったく。人間の命をなんだと思っているのか」  正当な嘆きに神無は目を瞬かせた。ややあってこれが正常な人間の反応だと思いだす。殺人鬼やら女王気質の友人やら究極の天然やらに囲まれていると、どうも感覚が鈍る。 「仕方ない部分もあるんでしょうけどね」 「殺す人は殺されなくてはならない。殺す覚悟を決めた時点で殺されても文句はない。それは真理ではあるかもしれませんが、自己の欲望のために殺さなくてもいい人間まで殺すのは外道ですよ。殺すなとは私も言えませんが、無駄な死は無駄な悲劇です。人を粗末にしてはいけない。人を蔑んではいけない。なぜなら、自分もまた人であるのですから」 「藤堂さんは良い人ですね」  神無は二コリと笑った。慧は苦い顔をする。 「貴女も少しずれていますね。あの学園は全体的に残念な人が多すぎる」 「あは、私もそう思います」  屈託ない笑顔を浮かべた神無に、慧はもう一度息を吐きだした。そして、すでに出発準備を整え、離陸態勢に入ったヘリの計器を見つめる。 「あと五分。来なかったら、置いていきましょう」 「…………死なない?」 「下は汚染された海ですが、まああれらなら何とかなるのではないかと」 「えーと……一応、三人とも生身だと思うんだけど」  かつての大戦中に汚染された海に落ちて、人間が無事とは思えない。そもそも島爆破の時点で死ぬ。 「世の中には自業自得という言葉があります」 「一応、雇い主なのに!?」 「料金には雇い主の救出は含まれていません。それに、学園の治安のためには連中はもう帰ってこないほうが……」 「みんな思ってるけど言わないことを口にしちゃダメ!!」  その理屈で言うと学園のランカーの何パーセントは確実にいないほうが世の中のためである。百の利があろうとも千の害があったり、百害あって九十九利くらいある連中がかなりいる。 「本当にそろそろ飛びたいんですが。あと三十秒で飛びましょう」 「ちょ、悪役だって三分は待つのに!?」 「篭森は十秒待つといって三秒後に遅いとキレていましたけど?」 「篭森ちゃん何してるの!?」  神無は頭を抱えた。慧は本気でフライト体勢に入る。  余談だが、学園の生徒は授業で普通に習うので基本的に車やバイクの運転はできる。ヘリや船は勿論、戦車や工事機械の運転ができる人間も少なくない。 「時間切れです。先に戻りましょう」「あ」  神無は顔をあげた。ヘリポートに隣接する建物扉が空いて人影が飛び出してくる。幸いなことに三つ。取りあえず、死人は出なかったらしい。 「………………」 「藤堂さん? なんでちょっと残念そうなの!?」 「気のせいですよ」  きっぱりと慧は言いきった。言いきり過ぎて嘘くさい。神無と慧は互いに明後日の方向を向いた。そこに殺気立った三人組が乗り込んでくる。 「…………お疲れ。一応聞くけど、なんで戦闘時より殺気立ってるの?」  殺人鬼にとって殺人行動はライフワークであるため、明確な殺気が漏れ出ていることは珍しい。神無の問いかけをしり目に、慧はさっさとヘリを浮上させる。ゆっくりとヘリが地上から離れた。 「どうしたもこうしたも! こいつら最悪なんだぜ!?」  夏羽が吠えた。陽狩と戒は面倒くさそうに耳を塞ぐ。 「こいつら、二人して俺をゴミの廃棄口に押し込めようとしたんだぜ!」「…………こいつはいきなり背後から切りかかってきた。避けなかったら首をやられてた」  ざっくり肩から左腕にかけて薄く皮膚が切り裂かれた部分を押さえて、ぼそりと戒は呟いた。夏羽は憮然とする。 「俺に背中を見せるほうが悪い」 「開き直りにもほどがある!」 「こんな感じで遅くなってしまったんですよ」  のんびりとした笑みを浮かべて陽狩は神無に言った。夏羽と戒人は同時に振り向く。 「お前が一番性質わりぃんだよ!!」「騙されるな、神無。そいつは防火扉下ろして俺を置き去りにしようとしたり、窓辺に立った夏羽をつき落とそうとしたり、階段を下りる夏羽に膝かっくんをくらわせてつき落としたりしていた」 「よく無事だったね、夏羽さん!?」 「…………雑草は死なない」  憎まれっ子この世にはばかるという言葉と同じ意味のことわざを、慧はぼそりと呟いた。全員が無視する。 「まったく。害虫並みにしぶといのは貴方の欠点ですよ、夏羽」 「なんで俺が責められるんだよ!? ぶっ殺すぞ」「ここで暴れたら、ヘリコプターの急加速がどれだけ怖いか体験させます。そののち、ドアを開け放ちます」  つまり、ヘリから強制退場ということだ。 慧の言葉に一瞬だけ空気が冷えた。武器からは手を離して、三人はにらみ合う。眼下の地面は随分と遠くなった。神無はほっと胸をなでおろす。よく見ると島から遠ざかる小型の偵察船が見えた。協力者たちも脱出してくれたようだ。 「……まあ、なにはともあれ、本当にあり」  振り返った神無の目に、無言で掴み合いをしながら隙あればドアを開けて相手を車外へ叩きだそうとしている三人の姿があった。こいつらは何だかんだの命の意味を分かっていない。神無はため息をついた。そして、席に座ってシートベルトを締める。 「慧さん、申し訳ありませんがお願いします」 「本当にどうしようもない奴らだな」  慧は計器に手を伸ばした。

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