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水と葉の庵」(2008/11/16 (日) 11:47:50) の最新版変更点

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水と葉の庵  ウエストヤード、バザール。  商人が集まり様々なものを売り買いする市場からすこしそれた道の奥に、〈水葉庵〉はある。見落としそうな路地の中、目印になるのは水紋に葉っぱが浮いたモチーフの、透かし彫りの看板だ。  頭よりやや高い位置にある青銅でできたそれを見上げ、序列158位【レッドラム(赤い羊)】法華堂戒はゆっくりと視線を下に落とした。細身の体が路地の壁に影を落とす。その影がゆがんでいるのは、手に持った荷物と背中に背負ったトライデントという三又の槍のせいだ。  確認するように、戒は路地裏に唐突に出現した扉を見つめた。頑丈そうなドアに取りつけられた硝子の向こう、薄暗い空間が広がっている。扉を開けると扉の上部についた鈴が、思ったよりも大きな音で鳴った。  中は見通しが悪い。暗いからという理由もあるが――商品が傷まないように、強い照明は取りつけていない――それ以上に、並べられた棚や大きな家具が視界を遮っている。棚に座ったテディベアと目があって、戒は顔をしかめた。手足が長く、古びている。手と足の長さが同じなのは、古い型のテディベアの証拠だ。  背後で鈴の音を響かせて、扉がしまった。とたん、外のざわめきが消えて店内は無音に包まれる。否、無音ではない。音源も定かでないほど小さな音で、Jポップらしい音色が聞こえる。明るく盛り上がりのはっきりした曲のようだったが、音が小さすぎてかえって不気味な雰囲気を生み出してしまっている。 「…………冷泉?」  店主の返事はない。扉があいているということはいないわけではないのだろうが。  その時、かすかな物音が聞こえて、戒は反射的に身構えた。だが、すぐにそれは杞憂だと分かる。棚の間をすり抜けて、毛むくじゃらの獣が現れたからだ。 「よ、ポンチョ。それともピローピロか? 見分けがつかないな。どっちだ?」  ここの店主は二匹のカピバラを飼っている。いや、店主が言うには彼らは店員なのだという。  戒は手を伸ばしてカピバラをなでた。殺『人』鬼である戒にとって、動物は殺害の対象ではない。食用でないなら、愛でる対象だ。 「お前の店長はどこだ?」  言葉を理解したのか、だまってなでられていたカピバラが歩き出す。それを追って戒も歩く。  店内は広い。入り口はせまいのに、ウナギの寝床のように奥へ奥へと続いているのだ。左右を見渡すと、中国の青磁やら日本のよろいかぶとやらモンゴルの織物やらが乱雑に、しかし一定のリズムとバランスを維持して並べられている。これだけ物があるのに散らかっておらず、しかも手入れが行き届いているあたりに、店主の性格を感じた。  並んでいる商品はすべてアンティークだ。ここは古物商なのだから、当たり前といえば当たり前なのだが、こうやって古いものばかりに囲まれていると過去の時間に取りこまれてしまいそうな気がする。戒は頭を振って妄想を振り払った。  そして、急に棚が途切れて視界が広がる。そこに、店主はいた。  どっしりとした木製のカウンター兼作業台があり、その背後にはたくさんの引き出しが付いた大きな棚が壁一面にそびえている。さらに奥へ続く扉も見えるが、戒はそこに何があるのかは知らない。そして、棚とカウンターの間にクッションを使った座り心地のよさそうな大きな回転椅子がある。丁度、こちらに背を向けているせいで、高い背もたれに隠れて座っている店主の姿は見えない。 「冷泉」  戒は名前を呼んだ。とたんに、くるりと椅子が回転して店主が現れる。 「戒さんか。いらっしゃいませ。今日はどうしたの?」  くせのない黒い髪の毛がキラキラした髪どめで結いあげられている。眼鏡をかけてはいるが、目が悪いわけではないだろう。ただのファッションだ。そして、洋服とも民族衣装ともつかない不可思議なデザインの服。手にはついさっきまで読んでいたのだろう、分厚い本を持っている。電子書籍が主体となっているこの時代、わざわざ紙の本を収集する人間は珍しい。古物商という職を考えれば、そうでもないのかもしれないが。 「……どうも」 「はい、こんにちは」  彼女こそ、ここ水葉庵の店主にして学園を代表する古物商兼修復師である、序列249位【アルヴィース(賢きもの)】冷泉神無である。 ちなみに、【アルヴィース】とは北欧神話に登場する、知恵や技術に優れた小人族のことだ。 「直してほしいものがある」 「武器でも壊したの?」 「人形なんだが」  神無はどんびきした。戒の顔がこわばる。 「俺のものじゃない」 「ああ、メリーちゃんの?」  戒の所属するリンクの副社長の名前を挙げて、神無は尋ねた。若干、ほっとしている。 「いや、エドワードのだ」 「…………」 「正確に言うと、エドワードが副社長にやろうと思って買ったものだが、腕が取れてしまって……留め具になっているゴムが切れただけだと思うんだが」 「なんだ。びっくりした」  戒は包みを開いた。中から、薄緑のドレスを着た人形が登場する。それを見て、神無は嬉しそうな顔をした。 「あら。ジュモウかしら。これは良い作ね。オークションで見たことはないから、個人所蔵かな」 「直るか?」 「簡単よ。留め具のゴム紐が傷んでいるだけだから、すぐに直せる。ちょっと待ってもらえるかな? そこ座ってて」 「ああ」  戒がうなづくと、神無はすばやくたくさんの引き出しの中から工具を取り出し始めた。くるくる動き回る様は、まるで手品のようだ。 「それにしてもエドワードさんは、相変わらずねえ。まあ、彼の私物でなくてよかったけど。部屋にこういうのがいっぱいあったら流石にひくわ」 「エドワードの部屋には、生活に必要なものと仕事の関係のもの以外何もない」  近くの空いている椅子――商品ではない――に腰をおろして、戒は答えた。 「驚異的なまでにストイックだ。彼は、物の価値は分かるが、自分では集めないから」 「え? 少女写真集とかDVDとかを部屋にいっぱい隠しもってるんじゃないの?」 「お前はエドワードを何だと思ってるんだ!? 確かに彼は……少女だけをあからさまに優遇するが、どちらかというと少女崇拝者であって…………ロリコンのような情欲を伴うタイプでは…………いや、むしろその」 「う……うん、分かった。分かった。何もない部屋なのね。信じる信じる」 「いや、部屋の隅に副社長へのプレゼントは山積みになっているが」 「それはそれで、別の意味でらしいわ」  神無は笑った。エドワードの部屋をリアルに想像してしまったのかもしれない。 「それにしても、戒さんは本当にエドワードさん好きねぇ。こんなの、社員の仕事じゃないでしょ? 序列だけなら、エドワードさんより上なのに使い走りなんてしちゃって……」  手際よく、神無は古いゴムを取り外していく。 「敬愛……している」 「まあ、確かに商売の腕はたいしたもんよね。さすがは【ファンタスティックキャラバン(幻想暗黒商人)】のブラックシープってとこかな。それに確か、恩人だったよね。戒さんの。なんだかんだで、面倒見いいよね、エドワードさん」 「エドワードは……」  棚に座った陶器の人形の表面をなぞりながら、戒は言った。中国製のものだ。『メイドインチャイナ』が粗悪品を示していた時代とは違い、これはきちんとした窯で焼かれた良い品だ。 「エドワードは、俺に生きる実感をくれる。空っぽで死ぬ人間を見ることでしか生きていることを実感できなかった俺を、しっかりしろと励まして責め立ててくれる。生きている理由をくれる。エドワードは俺を怖がらない。俺を縛らない。俺がそばにいることを許してくれる。俺を信頼してくれる。頼ってくれる。だから、エドワードは俺にとって生きる動機で意味だ」 「難儀な人よね。あなたも」  取り終わった古いゴム紐を、神無は袋に入れる。代わりに別のゴム紐を取り出した。ゴム紐の両端を引いて、強度を確認する。 「さびしがり屋の殺人鬼、か」 「昔から、人殺しだけは得意だ」 「自慢すんな」  戒は足元によってきたカピバラの頭をなでた。気持よさそうにカピバラは目を細める。 「はあ、図体でかくなっても子どもねぇ。昔は女の子みたいな美少年、今も殺人鬼には見えない美青年なんだから、そういう暗い思考回路やめなさいよ。この美形の無駄遣い」 「もう殺人鬼はしていない」 「殺人鬼って存在そのものを指す言葉だから、あんたは死ぬまで殺人鬼だと……まあ、いいけど。この人形、ちょっとドレスほつれてるわ。こっちも直しておくね」 「助かる」  神無はさっさと人形に新しいゴム紐をつけていく。それを横目で見ながら、戒はぼんやりと棚を見上げた。壁にかかった絵画の中から、貴婦人がほほ笑みかけてくる。視線をそらしたら、掛け軸の鯉と目があった。 「でも、戒さんはそれで寂しくないの?」 「何が?」 「黒い羊のエドワードさん、白い羊のメリーちゃん、赤い羊の戒さん……3ってバランス悪い数でしょ? 寂しくないの? エドワードさん、メリーちゃんに取られちゃって」 「エドワードは、俺の生きる動機で意味だ」  同じセリフを戒は繰り返した。 「エドワードが嬉しいなら、俺も嬉しい。副社長も嫌いじゃない。だから、嬉しい。楽しい。寂しいわけがない。俺はエドワードを独占したいわけじゃないしな」 「まいった。あきれた忠義心だ。あんた、エドワードが死んだら死ぬタイプでしょう?」 「よほどのことがない限り、俺より先にエドワードが死ぬことはないだろうな。万一、そうなったとしても俺は死んだりしない。エドワードのしたかったことを、エドワードの代わりにするさ」 「男が愛する女に言うなら格好いいけど、男が男に言ったらうざいわよ」  戒は停止した。無意識だったらしい。 「っていうか、気持ち悪い」 「…………俺はエドワードが大好きだが、愛してはいないぞ?」 「真剣な顔されなくても、そんなこと知ってるよ。戒さん……意外とあれだよね」 「馬鹿だと?」 「違う。生真面目」  戒は沈黙した。思い当たる節があったらしい。神無は笑った。その間も手だけは動いて人形を直していく。 「ま、いいんじゃないの。そういう人だから、エドワードも信頼しているんだろうし。何で殺人鬼なんてしていたんだか、私も不思議だもの。我慢できるってことは、不死川や不死原とは違うんだろうし」  不意に手を伸ばして、戒は神無の白い手をつかんだ。驚いたように目を見開く神無を、座ったまま見上げる。 「この下は血が流れる」 「…………そうね」 「臓器が活動していて、血が巡っていて、温かい。生きている」 「そうね」 「人は身体が活動している限り、生きてはいる。だけど、俺は空っぽだ。生きているけど、生きているだけだ。だから、生きている人間を解体して生き物が物に変わるところを見ると安心する。血が流れている。温かい。生きている。内臓が動いている。温かい。まだ生きている。冷たい。ああ、死んでいる。俺はまだ温かい。まだ生きている」 「ええ、そうね」  殺人鬼と二人きりで手を掴まれているというのに、神無は顔色一つ変えない。知っているからだ。少なくとも人形を直すまでは、戒が神無を傷つけることはない。傷つけて人形が直らなければ、少しなりともエドワードが困るからだ。逆に言うと、修復が終われば殺される可能性はないわけではない。だが、神無はその可能性を無視する。なぜなら、彼の殺人衝動は生きる意味と深く結び付いている。現在の彼の生きる意味がエドワードであり、彼が健在でいるならば、戒が人殺しをする意味などない。  数秒間見つめあって、戒は手を離した。 「……悪い」 「まあいい。許す」  笑いで誤魔化して、神無は作業に戻った。 「…………冷泉」 「なに?」 「お前は、生きる意味になるような人間はいないのか?」 「いないんじゃないかな」  神無は即答した。ゴム紐がうまくつながり、人形の四肢がきちんとはまる。 「必要もないね。今のところは。ほかにも面白いことはいっぱいあるもの。生きていればね。修復も、鑑定も、行商も、旅行も、観光も、物作りも楽しいよ。戒さんもやってみたら」 「創るのはむかない」 「それは残念」  神無は、引き出しから緑色の糸を取り出し、人形のドレスの色を比較する。 「冷泉」 「しつこいね」 「お前はブラックシープ商会に入らないのか? 個人での行商は大変だろう?」  そこでやっと神無は、作業を中断した。なぜかあきれたような顔で戒を見やる。 「うちで扱っている商品の中には、採算が取れないようなものも多いんだよ。半分は趣味だから、利益率は低い。商人リンク向きじゃない。個人だからこそ、好きなものを扱える」 「エドワードは気にしないと思うが……傘下の店の中には、利益率が低いところもある。損さえ出さなければ、問題はない」 「私が気にするの。私はいいのよ。誰かのためより、自分のため。『好き』のために全力投球したい気持ちは、戒さんが一番分かるでしょ?」 「……そうだな。悪かった」 「いやいや。誘ってくれてありがとね」  そういうと、神無は作業に戻った。ほつれたドレスのすそを、丁寧に縫っていく。慎重だが、作業自体は早い。 「そうそう。今週末から、また出かけるから。直すものがあるなら早めにきてね」 「またどこかへ行くのか? 落ち着きがないな」 「フットワークが軽いと言って。ちょっとベトナムへ。オークションがあるの。新しいもの入荷したら、そのうちそちらにも売りにいくかもね」 「古屋敷に連絡してくれ。あいつはそういうの好きだから。ただ、人形やぬいぐるみ……アクセサリーのいいのが出たら、エドワードに」 「メリーちゃんにあげるのね」 「そういうこと」 「やっぱり、忠義者だ。エドワードさんうらやましい」  きっちり縫い終わった後、ほつれないように玉どめを二重にして、神無は糸を切った。 「サービスでラッピングしてあげる。リボンは何色がいい?」 「……白かグレーは?」 「あるよ。じゃあ、包装紙は水色かな」  引き出しの一つから、紙とリボンが出てくる。人形と緩衝材をもってきた箱に入れ、上から丁寧にラッピングする。興味深そうに、戒はそれを見ている。 「器用だな」 「商売だもの。ラッピングはサービスとして、お値段はこれくらいでどう?」  電卓に数字を打ち込んで渡す。ちらりと見ただけで、戒はその金額を財布から出した。神無がふっかけることはまずないため、金額でもめる必要はない。 「助かった。ありがとう」 「どういたしまして。今後もご贔屓に」  踵を返そうとして、ふと戒は立ち止った。 「? どうかした?」 「忘れるところだった…………これ、やる」  上着のポケットから取り出したのは、携帯電話のストラップだった。臙脂色の紐に白檀の木を透かし彫りにした飾りと金色の鈴が付いている。鈴の表面には細かい模様が付いていた。 「わぁ、綺麗!」 「今度新しく扱う商品のサンプルの一部だ。この透かし模様が特徴のアクセサリーのシリーズで……」  神無に渡しながら、戒は説明する。 「それは白檀の木を円形に削ったものに、雲と雲雀のモチーフを彫りこんだものだ。サンプルで悪いが、やるよ」 「ありがとう」 「今度、何か買いにこい」 「いいものがあったらね」  にこりと神無はほほ笑んだ。 「雲雀は、一番好きな鳥よ。太陽に向かって高く飛ぶから」 「それは良かった。じゃあ、人形ありがとう」  一瞬だけ戒はほほ笑んだ。だが、ストラップに集中している神無は気付かない。 「うん。ありがとう御座いました」  顔をあげる頃には、戒の姿は棚の隙間に消えていた。  迷宮のような棚の間をかいくぐって、再び扉を目指す。古い物の間を歩いていると、それらが持つ時間の重みに押しつぶされてしまいそうだ。  扉までたどり着いて、戒はやっと後ろを振り向いた。薄暗い店内に、店長の姿は見えない。たくさんの品物と一緒に、古い歴史そのものが横たわっている。首を振って妄想を振り払うと、戒は扉を開けた。外の空気が流れ込んでくる。  一歩外に出ると日光が降り注ぎ、まだ昼すぎだったことを思い出させてくれる。戒は息を吐いた。その後ろ、涼やかな鈴の音を立てて扉がゆっくりと閉まった。 おわり

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