黒ぬこと雨雲

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『黒ぬこと雨雲』



ゴロゴロと地面の底から体の芯へ伝わる振動を感じて、俺は灰色に澱んだ空を仰ぎ見た。
厚い雲が何重にも積み重なって、今にも大粒の雨が降り出しそうな暗闇が空一面を覆っている。
――早くあの場所へ向かった方がいいのかもしれない。
雨は苦手だ。
冷たい上に、毛が皮膚に付着する不快感といったら、人間に尻尾を掴まれた時以上の不快感なのだ。
横になっていた体を起こし、グッと背を伸ばす。
寝ていただけなのに何故ポキポキと関節がなるのだろうか。
そんなことを考えながら眠気覚ましに顔を二、三度振ると、ポツっとヒゲに何かが当たった。
その軌跡を辿り、再度空を見上げてみる。
と、今度は目の上に冷たい感触。
まずい。
ほぼ反射的に後ろ足に力を入れた瞬間。
ザーッという音と共に大粒の雨が俺の体を襲った。
無数の水滴が徐々に俺の毛を濡らしていく。
普段なら何処か屋根のある場所で雨宿りでもするのだが、今日はそうもいかない。

『傷薬は明日持ってくるから、今日は包帯だけで我慢してね』

昨日紫陽花の少女は確かにそう言っていた。
別に怪我が痛むわけではない。
人間に手当てしてもらう義理も理由もない。
だが、今日は青空の少女もあの場所に来る日だ。
この二人を会わせて、少しでもお互いの為になればいい。
寂しそうな、悲しそうな表情が少しでも薄れればいい。
そうすればきっと俺がここに止まる理由もなくなり、また俺は放浪猫に戻れるわけだ。

――放浪猫に戻る、か。

ほんの少し、ほんの少しだが残念だと思ってしまった自分がいた。
自分自身でも何故そう思ったのか分からない。
あの二人の少女に会ってからずっとこうだ。
今まで感じなかった感情や取るはずもない行動をするようになったのは。
この街に止まっている理由は、あの少女達が気になるからのはずだった。

本当にそうなのだろうか。

いや、今はそんな事を考えてる暇はない。
いつの間にか地面を打ち付ける雨音が激しくなっていた。
皮膚に張り付く毛と水滴が不快でしかたない。
とにかく、早くあの場所へ向かわなくては。
悶々とした気持ちを誤魔化す様に俺は土砂降りの雨の中を走り出した。

喉が焼ける様に痛い。
空気を求める為に開けた口には走っている時に入ったのか唾液ではない雨水が溜まっていて、嫌悪感を感じたがそのままソレを飲み込む。
口内で温められたのか、生暖かい液体が喉を潤していく。
心臓の鼓動が早い。
上がった呼吸を抑えようと肺に空気を送ろうとするも、絶え絶えに動く肩が邪魔で仕方ない。
石の様に重い後ろ足に力を入れてなんとか最後の段差を踏み上がる。
いつもならこんな階段くらいなんてことないのだが、今日は毛についた水滴のせいか体が重い。
おまけに足の裏に吸い付くようにつく地面も原因だろう。
見慣れた扉を肩で押すと、ギィと古びた音を立てて扉が開いた。
さっきまで建物に反響していただけの雨の音が直接聴覚に響いてくる。
キョロキョロと辺りを見渡すも、青空の少女も紫陽花の少女もまだ来ていないようだ。
それを確かめた瞬間。
安堵やら疲労やらが一気に襲ってきて、俺は少し濡れている地面に腰を下ろした。
ブルッと全身を震わせると皮膚に纏りつく不快感が少しとれた気がする。
屋根の端からポツポツと落ちる水滴を眺めながら、俺は暗雲に覆われた空を見上げた。
そう言えば、数日前もこうしてこの場所で青空の少女を待っていたな。

『わたし、かがみが―――』

俺を抱き締めて確かに「好き」と呟いた彼女の言葉を思い出す。
―――好き。
好意を示す人間の感情。
きっと俺が寄せる食い物や物に対する好意ではなく、他人に対しての感情なのだろう。
誰かに喜んで貰えたり、誰かの言葉で傷ついたり。
そんな感情、俺が知るはずもない。
今までもこうして一匹で生きてきた。
そしてきっとこれからもそうなのだろう。


『でも...私は、こなたを』

離したくない、と高い空を見上げて呟いた紫陽花の少女。
その表情は悲しそうな、でもどこか嬉しそうなものだった。
この言葉の意味を俺は知らない。
知らないが、きっと青空の少女と同じ感情なのだろう。
何故そう思うのか俺にも分からない。
感情の理由さえも分からない猫の俺が分かるはずもないのだ。


―――ポツ。

風向きが変わったのか、一つの雨粒が俺の耳に当たった。
そこからジワリと鈍い痛みが皮膚を伝わった。
耳の半分を覆っていた包帯とやらが水を吸い込んだらしい。
一度意識すると痛みはどんどん体中を駆け回って、一昨日噛まれた箇所が痛み出した。
あぁ、なるほど。
きっとあの二人の少女が感じてる痛みとはこの様なものなのか。
相手を好きだと、好意の感情を知ってしまってから体中を巡る痛み。
好き過ぎる故に怖い、と紫陽花の少女が言っていた様に。
離れるのが恐い、と青空の少女が言っていた様に。
きっとそれはお互いのことを大切だと思っているからなのだ。


―――カンッ。

と鈍い金属音が俺の後ろから聞こえた。
聞き慣れた足音に警戒などするはずがない。

「あ、いたいた...って何でこんなにずぶ濡れなのよ?!」

ガチャと開かれた扉から現われたのは、手に水色の棒...いや、傘を持った紫陽花色の少女だった。

「そんなんじゃ風邪ひくわよ。ほら、黒猫、こっちおいで」

開けっ放しにされていた扉の方に首を少し傾げて少女はそう言って俺を呼んだ。
扉をくぐって段差の手前に腰を下ろすとトンッと温かい感触が頭の上に触れた。

「一緒に薬も塗っちゃうから、また少し我慢しててね」

なにやら鞄を覗きこんで薬を探す彼女。
体についた雨粒を取ろうと再度体を震わせると、紫陽花の少女がクスッと笑った。

「いや、ホントあんた見てるとつくづくこなたって猫っぽいなー、って思ってね」

と何やら白い液体を布に染み込ませて俺の耳に押し当てる。
微かにそこから痛みを感じたが、反射的に腰を上げる程でもない。
猫っぽい。
猫らしいという意味だろうか。
そう言えば青空の少女も俺ら猫の様な口をしていたような...

―――トンッ。

微かに聞こえた足音にピクリと耳が震えた。
正確な位置までは分からないが確かに下の方から響いてくる足音に耳を澄ませる。
不規則なリズムで近付いてくるこの音にも聞き覚えがあった。

「猫口だし、ちっちゃいし、その上、オタクで変にマニアックで」

人間の聴覚では聞き取れないのか、紫陽花の少女はギュッと治りかけている俺の腕の傷口に細い布を巻いている。

―――トンッ、トンッ。


足音が近付く。
あと数歩。
そうすれば、あの角から顔を覗かせるのは...


「ね、黒猫も...」
「あ、黒ぬこー!!!」


外から聞こえる雨音の不協和音をかき消すかのように見事にハモる二人の声。
手摺に左手を置いた状況で、しかも笑顔固定のまま固まる青空の少女がそこにいた。
しかしその深い緑色が見つめる先は俺ではなく、俺の右斜め上。
そのままその視線を追いかけるように首を動かすと紫陽花色の少女に行き着いた。
と、こちらの少女も俺の腕を持ち上げた状態でピクリとも動かない。
だがしかし、やはり視線の先は青空の少女に向いている。
知り合いなのだろうか?
それにしてもこの反応はおかしい。
予期せぬ事にぶち当たると思考が停止するとかいうやつだろうか。
ということは、この場合の「予期せぬ事」というのは、この二人がこの場所で会う事だろう。
グルグルと思考が頭の中を流れてゆくが、ただでさえ小さい脳みそを活動させることは苦手中の苦手だ。
とにかく時間が止まっているかの様に動かないこの空間を打開しなければならない。
そう思い、青空の少女の方へ向かおうと段差に足をかけた瞬間。


「か、かがみ...」

「...こなた」


静寂を切り開いたのは、聞き慣れた二人の名前と互いを呼ぶ二人の声だった。



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  • 面白いですね。
    映画を見てるようです。
    続き待ってます -- 無垢無垢 (2008-12-20 00:02:59)
  • 続きwktkwwww -- 名無しさん (2008-12-15 01:39:08)
  • つ、続きをみたいww wktkしながら待ってますw -- 名無しさん (2008-12-15 00:21:13)


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