想いを言葉に

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 高校2年の9月半ば、夏の照りつける太陽は少しずつ弱まり、蝉の鳴き声も日ごとに
少なくなってきている。とは言っても、正午近くになれば依然30度近い高温にまで上昇するため
この時期は夏服の着用が許可されている。10月には冬服に切り替わるために、この暑さも
落ち着いてほしい所である。
 私、柊かがみにとって陵桜学園での昼食は一番楽しみな時間の一つである。
幼少の頃から、私とつかさは一緒に昼食を取っている。双子ということもあり、
私たちは学校生活を通して一度も同じクラスになったことは無いため、人見知りしやすい
つかさのクラスに私がお弁当を持っていくのが日課であった。
 四時間目の授業を終えて、つかさが作ったお弁当を持参した私が、E組のドアから教室を
覗くとE組の生徒たちの半数は既に昼食を取り始めていた。E組の授業は世界史だったようで、
黒板にはイギリスやフランスにおける王権神授説や重商主義政策などが書かれている。
こなたたちはつかさの席の周りに集まっており、こなたが私に気づくと手招きをしてきた。
そんなこなたの様子につかさとみゆきも私の存在に気づくと、私は軽く手を振りながら
つかさの席へ足を運んだ。

「んん、美味しい」
 つかさの作った卵焼きを口にすると仄かな甘さが広がる。
「ありがとう。その卵焼き、いつもより上手に焼けたと思ってたんだ。良かった」
 つかさはあどけない笑みを浮かべながら返事を返した。今日つかさが作ったお弁当には
卵焼き、小型ハンバーグ、野菜炒め、ウサギの形に切られたリンゴがデザートとして
付いてくる彩り鮮やかなお弁当だ。つかさは私と違い料理が上手で、家でもお母さんの
夕食を手伝ったりしていることが多い。姉としてつかさには負けまいと、勉学を
はじめとする様々なことでつかさより一歩先の立場にいた私だが、料理だけはどうやっても
敵わなかった。カレーライス程度しかまともに作れない私には、その才能を羨ましく思う。
「今日もかがみさんとつかささんのお弁当は美味しそうですねぇ」
 みゆきは感心したように私とつかさの弁当を見つめている。
私から見れば高校生の昼食のお弁当にウナギを入れてくるみゆきの弁当には敵うまいとも思ったが、
みゆきは悪気があって言っているわけでは無いのだろうし、私もそれを口にしようとは思わなかった。

「みゆきさん。そこは『今日も』じゃなくて『今日は』だよ。
昨日の二人のお弁当と比べたらつかさが可哀そうだって」
 こなたはみゆきに内緒話をするような仕草で、
しかしはっきりと私に聞こえる声量でそう口を開いた。
 先日私が用意した、表面が焦げ付いてしまった焼き鮭の切り身に夕飯の残りの
ホウレン草の胡麻和えとたくあんを入れただけの代物と比べられれば私に敵うはずもない。
たしかにこなたの言葉を否定できる部分はどこにも無かった。だがこうもはっきり
言われてしまうとさすがに私も黙ってはいられなかった。
「仕方ないでしょ! 私が家事とか料理が苦手だし、誰にだって得意不得意はあるわよ」
「食べることだけは誰にも負けないのにねぇ」
「うるさい!」
 私はこなたに向かって自分の拳を振り上げる。もちろん本気でこなたを殴ろうなどとは
思っていない。私は怒っているんだということをこなたに示すためだ。
しかし、こなたも実際に拳は飛んでこないと知っているのか、頭に手を乗せて
身を守っているようには見えるものの、その減らず口は止まるところを知らない。
「かがみ凶暴! そんなんだからいつまでたっても彼氏ができないんだよ」
「ちょっと待て! それは私だけじゃないだろう!? あんたはどうなんだ!?」
「うふふ、泉さんとかがみさんは本当に仲がよろしいのですね」
「うんうん。お姉ちゃん、こなちゃんといる時っていつも賑やかで楽しそうだもんね」
 私たちが口論していると、予想だにしなかった別方向からの攻撃に
私は思わずたじろぎ、その場で立ち上がって二人の言葉を否定する。
「ちょ! そんなわけ無いでしょう!? こいつのおかげで毎日私がどれだけ苦労してるか!」
「う~ん。このツンデレっぷり、たまんないねぇ。さすが私の嫁」
「嫁とか言うな! 恥ずかしくないのかお前は!!」
「あの、多分お姉ちゃんの大声の方が恥ずかしいと思うよ……」
つかさの言葉に周囲を見渡すと、私はクラス中の視線を集めていたことに気がついた。
「う……」
 気恥かしさにそれ以上の言葉が出てこなくなり、私はその場に腰を下ろすしかなかった。
 私たちの日常はいつもこうだ。こなたが私をからかい、私が怒って、
つかさとみゆきがその仲裁をする。そんなやり取りを繰り返す毎日だが、私にとってこの4人で
過ごす時間は一番の宝物だった。いつまでもこうしてみんなと一緒にいたい。
いずれは卒業し、みな別々の道を歩むことは分かっている。それでも今は、
この何気ない日常を精一杯楽しんでいたかった。

「陵桜学園の近くで別の高校の女子生徒が襲われる事件が発生した。
幸い女子生徒は無事だったらしいが、未だ犯人グループは捕まっていないらしく……」
 私のクラスである2年D組の担任が帰りのホームルームを行なっている。これが終わり
日直が号令をかければ文化祭の準備に取り掛かれるのだが、今日はいつもより
ホームルームが長い。生徒たちもしびれを切らしたのか、静まりかえった授業中とは違い
皆雑談に夢中になっている。
「うちの高校の近くで事件か。物騒な世の中になったなぁ」
「最近は刃物を使った殺人事件とかも多いから気をつけないとね」
 私の後ろに座る日下部と峰岸がそう口にする。私も会話に
参加しようかとも思ったが、この後の文化祭の準備のことを考えていた私は
二人の話を漠然としか話を聞いていなかったため、聞き流すことにした。
「はぁ、柊は良いよなー」
 と思ったのもつかの間、後ろから日下部に名前を呼ばれればそうもいかなくなる。
「何がよ?」
 私は日下部に向き直り尋ねた。
「だって柊の凶暴さは犯人も裸足で逃げ出すほどだろうしさ。
むしろ間違えて柊を襲った犯人が可哀想ってもんさ」
「なんだって!?」
「おー恐い恐い。あやのー、柊が虐めるよー」
「もぅ、今のはみさちゃんが悪いわよ」
「そこ、今は休み時間じゃないぞ。静かにする」
 流石に声が大きすぎたか、担任から注意を受ける羽目になる。
私は正面に体位を戻すと、後ろから
「全く、柊のせいで怒られちまったじゃねぇか」
 という言葉が聞こえてきた。私も負けじと小声で返す。
「どう考えてもあんたのせいだろ」
「二人とも。また注意されるといけないから、今は静かに。ね?」
 峰岸の言葉が双方に等しく水をかけたようだった。私は日下部への文句を堪え、
お互いに押し黙る。また日下部のせいで注意を受けるのも癪なので、
私も文化祭の準備に思考を戻した。
「……というわけで桜藤祭の準備も結構だが、下校の際には十分気をつけるように。
私からは以上だ」

 第十五回陵桜学園桜藤祭。私たちの通う陵桜学園は進学校ということもあり、
文化祭という行事ができたのも開校して10年以上も経ってからだった。
伝統こそ浅いものの、このあたりではなかなかの規模で行われ、
文化祭当日には多くの人が集まる。
 今年のD組はE組と協力して体育館を使って劇を行うことになっている。
私個人としては経験が無い劇よりも、お化け屋敷や喫茶店のような定番の物のほうが
良かったのだが、クラスの過半数以上に賛成されてしまえば、
異議を唱えるわけにもいかなかった。
 こなたと日下部は役者に、つかさは小道具、みゆきは監督兼進行係、峰岸は脚本を
担当することになっていた。私は劇の経験など全くないので何をやるか模索していたのだが、
こなたは私を役者にしたかったらしく、私の知らぬところで半ば強引にみゆきを
はじめとする学級委員、文化祭実行委員、そしてクラスのメンバーを説き伏せてしまった。
普段は頭を使ったり、自分から行動することは面倒臭がるくせに、
こう言うことに関してだけは手回しが早い。私は以前こなたに
「役者としてなら、私なんかより顔もスタイルも良いし、何でもそつなくこなせる
みゆきのほうが適役じゃない?」
 と訊いたことがある。私の疑問にこなたは
「わかってないなぁ。役者としての適性じゃなくて、勝手に決めるなと言いながらも
結局引き受けてくれるかがみだから萌えるんじゃん。みゆきさんもありだろうけど、
やっぱり私的には『ツンデレ萌え』なわけよ」
 と、親指を立てた右手拳を私に突き出し、誇らしげに答えた。
らしいといえばらしいが、あまりに予想通りのこなたの言葉に私は肩を落とした。
しかし、こなたはしばしの後にこうも付け加えた。
「……それに、こういうのって仲のいい友達と一緒にやりたいじゃん。みゆきさんは最初から
監督と決まってたし、つかさは人前に立つの自信無いって言ってたし。かがみには迷惑かなーって
考えもしたけど、きっとかがみなら役者でも大丈夫って自信もあったしね」
 その時の、笑顔で答えたこなたの顔を私は忘れられないだろう。
 時々、自分の気持ちを率直に言葉にできるこなたを本気で尊敬する時がある。
こなたのことは手のかかる面倒な奴だとも思う時もあるが、それでも私にとって大切な親友で
あることに違いないし、初めての劇で心許せる友達と一緒というのは心強いことだと思う。
しかし、私も心では同じように思っていても、素直になれない私は、本当はこなたと
同じ気持ちなんだとは伝えられなかったと思う。
 その後の私はこなたに対してどう返答したのか覚えていない。ただ、その日の学校帰りに
駅前のお店でこなたにアイスクリームを奢った記憶がある。普段あまり人に物を
奢ったりしない私がこなたにアイスを奢ったのだから、その日の私は
上機嫌だったんじゃないかと思う。きっと私にとって、劇でどの役割を
頑張るかよりも、誰と頑張るかの方が大切なことだったのだろう。

「はい。今日はここまでにします。みなさん、お疲れさまでした」
 本日最後の合同練習がみゆきの号令と共に終わりを告げ、張り詰めていた空気が解かれる。
今日は週末の金曜日ということもあり、夜遅くまで練習を延長することも可能ではあったが、
日程にはまだ余裕があるし、現状そこまでする必要は無いだろうと
今日は夕方五時が解散時刻になっていた。
 私たちいつもの4人は体育館から外に出た。9月も中ごろとなれば、この時間でも
空が青から橙に移り変わろうとしている。夏服には冷たく感じる乾いた風が
少しずつ、しかし確実に秋の季節が訪れてきていることを感じさせた。
「ふぅ、だいぶ形らしくなってきたわね」
 私がみゆきにそう口を開くと、みゆきも満足そうにほほ笑む。私たち舞台組は、
今のところ速いペースで進んでおり、後数日もあればスケジュールをこなせそうだった。
「準備に時間かけ過ぎだよー。またゴールデンタイムのアニメがリアルタイムで見れない……」
「録画予約してあるんだったら別にいいじゃない。スケジュールは余裕を持って組むものよ。
それに、余裕ができればつかさを手伝うこともできるじゃない?」
 私はつかさに向き直ってそう答える。
「ごめんね、みんな。まだ時間かかっちゃうかも……」
「心配しないで。つかさはよくやってるよ」
 沈痛な面持ちのつかさに私は軽く背中を叩いてあげる。 
 私たち舞台組と違い、裏方組は思うように進んでいないらしい。特につかさの
担当する小道具は衣装やかつらを用意するのに膨大な作業量を要している。
加えてここ最近の、つかさと一緒に小道具を担当している生徒たちは各々の事情により
学校での作業人数が普段より少なくなっている。このような状況下でつかさだけを
責めるのは酷というものだろう。
「ふぅ、みゆきさんが組んだスケジュールだから安心と言えば安心だけど
その分大変だよねぇ。学園祭なんだし、もっと気楽にやろうよ」
「何言ってんの? さっきも言ったでしょう。こういうことは余裕を持って準備するのが
基本なのよ」
 気だるそうなこなたに対して、私は子供をあやす様な穏やかな口調で説得する。
「あら、メールですね」
 みゆきは携帯電話を取り出しながらメールの確認を行い始めた。
「誰から?」
「母です……。あぁ、なるほど」
 メールの確認をしたみゆきは困ったような、苦笑いしているような表情を浮かべた。
「すみませんが、私は一足先に失礼しますね」
「何かあったの?」
「いえ、母がお腹がすいたので早く帰ってきて夕食の準備をして欲しいと」
「みゆきさんも大変だね」
「そういうことですので、今日は失礼します」
「ばいにー」

 私たちのお決まりの言葉でみゆきと別れる。一人バス停へと向かうみゆきの背中を
見送りながら食事の準備のために、家に帰らなければならないことを思うと少し
同情してしまう。こなたの家と違いみゆきの家は両親が健在でみゆき自身も一人っ子のはずだ。
そんな娘に食事を作るように帰りをせがむ母親はどういう人なのだろうという疑問を
持たざるを得なかった。もしかしたら、今のみゆきが才色兼備なのは
そのお母さんの影響なのかもしれない。
「そうそう、私も携帯新しく買ってもらったんだ」
 つかさはみゆきの携帯を見て思い出したのか、私とこなたに新しく買ってもらった
ピンク色の折りたたみ式携帯電話を取り出した。アニメキャラクターのストラップ
――たしか、ケロロ軍曹という名前のカエルをモチーフにしたキャラクターだ――
が付いており、可愛いもの好きなつかさらしい携帯電話だった。
「おぉ、良かったね」
「実力テストの点が良かったからご褒美にってお父さんが」
「番号教えてよ。私のも教えるから」
「うん、ちょっと待っててね」
 つかさは番号を呼び出すために慣れない手つきで携帯電話のボタンを押し始める。
こなたも番号を交換するために自分の携帯電話を取り出した。
「こなたが携帯持ち歩くなんて珍しいわね?」
 私は心に思ったまま疑問をそのままこなたにぶつける。こなたの携帯の電話番号は
私の携帯にも登録してあるが、携帯にかけても繋がることはほとんど無く、
私からこなたに電話連絡する場合は、こなたの自宅の電話にかけるのが日課になっている。
「いやー、この前までどこに行ったか分からなかったんだけど、机の引き出しの
奥から発掘してさ。せっかく買ったんだし使わないともったいないかなと思ってね」
「これからは持ち歩いていてくれ。連絡を取りずらくてしょうがない」
「大丈夫大丈夫。休みの日はネトゲとアニメでほぼ間違いなく家にいるから
家に電話してくれれば、まず連絡つくって」
 自信満々にこなたがそう答えると、携帯と四苦八苦していたつかさが
ようやく準備ができたらしく、二人は電話番号を交換し始める。
「……ひきこもりみたいな生活してるな」
 額に手を当てて、あきれながらそう呟いた私にこなたは何を思ったか、
私を見ながら口元に笑みを浮かべた。別に褒めたつもりは無かったのだが、
オタクの思考回路では今の言葉をどう捉えたのだろうか?

 私は携帯を操作するこなたを観察する。身体こそ標準の女子高生より
小柄なものの、手足は筋肉で引き締まっている。小さな見た目に反し、
握力一つとっても私やつかさよりも上だろう。
 運動神経という一点のみを見れば、陸上部で普段から体を鍛えている日下部や、
万能の天才であるみゆきをも上回る身体能力を持つこなただが、その性格上
高い身体能力が生かされることは無い。格闘技の経験者でもあるらしいが、
宝の持ち腐れという言葉がこれ以上似合う奴もいないだろう。
「じゃ、私たちもそろそろ帰るか」
 二人が番号を交換し合ったのを確認した私は二人にバス停に向かうように促した。
しかし、つかさが
「ごめん、お姉ちゃん。こなちゃん。私はもう少し残るから二人で先に帰ってて」
 と私とこなたに言う。つかさの言葉に私は首を傾げると、こなたも私にとって
つかさの言葉が予想外だったことを察知したのか、つかさに問いかけた。
「つかさがかがみと別行動とは珍しいね。何かあったの?」
「えっと、私のところは予定より遅れちゃっているから
もう少し頑張ろうかな……って」
「急ぎじゃなければ慌てる必要もないと思うけどね。まだ時間もあるんだし
少しずつやっていけば良いんじゃない?」
「でも、私のせいでみんなに迷惑はかけたくないから……」
 役者である私やこなたにつかさの担当する小道具の仕事がどのくらい遅れているのかは
明確には分からない。たどたどしいつかさの言葉とは裏腹に、瞳には
決意は変わらないと代弁してるかのように、光彩が浮き出ていた。
 さすが私の妹と言うべきか、一度言いだしたら何を言っても駄目なんだろう。
私はそう理解し、こう言うところは私とよく似ていると思うと
笑いがこみあげてきて、私は口元を手で押さえた。
「お姉ちゃん?」
 つかさなりに自分の責任を必死に果たそうとしているのだろう。
ならば、私の取るべき行動は一つだった。
「私も手伝うわ。一人でやるより二人でやる方が良いでしょ」
「お姉ちゃん、いいの?」
「もちろんよ。つかさが残るなら私も残るわ。つかさ一人だと不安だしね」
 最愛の妹に対しても憎まれ口をたたくあたり、本当に私は素直じゃないなと思う。
それでもつかさは、私の言葉に顔を綻ばせてくれた。
「そういうわけだから、こなたは先に帰ってて。私もつかさと残るから」
「うーむ、そうしたいのは山々だけど、かがみにそこまで男気を見せられたらねぇ……」
 こなたは顎に手をやって思案を巡らせているように見える。
それから一度頷くと、こなたは私とつかさを交互に見遣った。
「私も手伝うよ。どうせ今から帰ったってアニメには間に合わないしね」
 根っからのオタクであるはずのこなたにとって何一つ得られる利益など無いのに、
私たちのために学校に残ってくれるという。
私がこなたに信頼を置ける理由が少しだけ分かった気がした。
「こなちゃんも……。二人とも、ありがとう!」
 こうして、私とこなたとつかさは文化祭の小道具が置かれているE組の教室へと向かった。

「ふぅ、これだけやれば大丈夫でしょう」
「ふぇー、疲れた……。やっぱり意地はらないで帰れば良かったかな」
「でも、これでゆきちゃんにも迷惑かけないで済みそうかな」
 あれから私たち三人は誰もいないE組の教室で小道具の作成に掛かっていた。
家には帰りが遅くなることは電話してあるし、明日は土曜日なので通常授業は無い。
文化祭の練習も午後からなので、明日の朝起きるのが遅くても何も問題は無かった。
守衛さんに見つかった時にはあせったけれど、事情を説明するとなるべく早く帰る様にと
忠告を受けながらも、今回だけ特別に許してもらうことができた。
「早く帰ろう。ネトゲが、アニメが、私を呼んでいる!」
「あんたは悩みが無さそうでいいな」
 元々の体力の差なのだろうか、あるいは趣味がこなたに活力を与えているのか。
疲労感を全身に感じている私とは対照的に、こなたは快活に答えた。
私は椅子からゆっくりと腰を上げると、作業のために勝手に動かした机と椅子を
元の配置に戻す。そんな私に続き、こなたとつかさも帰宅の準備と後片付けを始めた。
「そんなわけ無いじゃん。深夜アニメは録画予約してないから急いで帰らな――あー!! 」
 こなたの突然の大声が私の耳をつんざき、驚愕してしまった私とつかさは手を止めてしまった。
「いきないでかい声を出すな! 耳に響く!」
「しまった……。準備のことですっかり忘れてた……」
「何? また見たいアニメでも見逃したの?」
「そうじゃなくて……。かがみ、今何時だか分かってる?」
 こなたの言葉に私は教室前面の黒板の上にある壁時計に目を向ける。
「何時って……10時40分よね?」
「私たち、どうやって帰るの?」
「どうやってって、バスに乗――」
 そこまで言葉を発した私は、ようやくこなたの言いたいことに気がついた。
この時間だと学校から駅に向かうバスはもう走っていないかもしれない。
普段これほど遅くまで学校に残らない私たちは帰宅のことなど完全に忘れていた。
「迂闊だった……。今の時間だと、もうバス無いわよね?」
「私もはっきりとは覚えていないけど、たしか10時半ぐらいで最後だったと思うよ」 
 つかさの言葉を期に教室に沈黙が訪れる。私の記憶でも最後のバスの時間は
それぐらいだったはず。つまり私たちはこの疲れた体で駅まで歩くしかないのだ。
私たちがいつも利用している糟日部駅までは陵桜学園からだと直線距離で
少なく見積もっても約3 kmはあるだろう。
私が二人の分も代弁して、大きくため息を吐き出し、重い口を開いた。
「……仕方がないわね。駅まで歩くしかないんじゃない?」
「……結構遠いよね?」
「タクシーでも呼ぶ? 駅まで歩くのも大変だし、ここはかがみ様の奢りで」
「何言ってるの。そんなに呼びたければ自分で呼べ」
「むぅー。こういう時みゆきさんがいれば、一つ返事でタクシー呼んでくれそうな気がするよ」
「ゆきちゃんの家ってお金持ちだもんね」
「みゆきがいたところでタクシーを呼んでくれるかは分からないけど、
無い物ねだりをしても仕方が無いでしょ」
「はぁ、やっぱり歩くしか道は無いのかねぇ」
 先ほどまでの元気はどこへ行ったのやら。こなたの態度は一転し
げんなりとした表情で、残りの片づけを行う。まあ歩いて帰らなければならないことに
辟易しているのはこなただけで無く、私とつかさも同じだ。
こなたの言葉通り、タクシーでも呼んで帰りたい気分ではあったが、終電の電車には
まだ少し余裕があったし、明日の午前はゆっくり休めると思えば
そこまでしようとは思わなかった。
 後片付けを終えて全員が帰宅の準備を終える。私たちは明かりを消して教室を出た。
 深夜の学校は静謐が包みこんでおり、窓から差し込む月明かりが廊下を照らしてくれている。
普段は喧騒に包まれているこの廊下も、今は私たちの足音が廊下に鳴り響いているだけだった。
 つかさは誰もいない夜の学校が恐いのか、私の腕にしがみついてきた。
神社の娘でありながらお化けが恐いとは情けないな、と心の中で考えながらも
つかさが私の腕を強く握り離さないことが、姉として慕われている証だとも思えて
嬉しくもあった。深夜の学校は怪談話の舞台としてよく取り上げられることが多いが、
リアリストを自負している私には、何故夜の学校というものにそこまで恐怖を抱くのかが
いまいち分からなかった。
 階段を下りてげた箱に向かう途中の道で黒井先生に出くわした。
「おぉ、泉に柊たちか。こんな時間までまだ残っとんたんか?」
 宿直で見回りでもされていたのだろうか? 黒井先生は私たち3人を順番に見下ろすと、
やや口を尖らせて答えた。まあこんな時間に生徒だけで学校をうろついていれば
不審に思われても仕方ないだろう。
「いやぁ。文化祭の準備で残っていたんですけど、気が付いたらこんな時間に」
 こなたが私たちを代表して、今までの経緯をこれ以上ないぐらい簡潔に答える。
「そうか。頑張るのは結構なことやけど、高校生なんやし、はよ帰らなあかんで。
それと泉。今ちょっとだけえぇか?」
 黒井先生の言葉が教職者としての威厳を感じさせる言葉から、急に友好的な言葉づかいに
変わったように感じられる。先生は頭を下げながらこなたの前で両手を合わせた。
「頼む! 今攻略に詰まっててどうしても先に進めないところがあるんや。
何かえぇ攻略法は無いか? さほど時間はとらせん。教えてくれ」
 黒井先生のあまりの予想外な言葉に私は開いた口が塞がらなかった。
遅くまで残っていた私が思うのもなんですが、先生、今早く帰れと仰いませんでした?
 唖然としている私とつかさを他所に二人は会話を進めていく。
「また今度にしましょうよ。この間も『5分だけ』のはずが30分も時間取らされたんですよ?」
「そこをなんとか頼む! 頼れるのは泉しかおらんのや!」
「はぁ……。わかりましたよ。長くなりそうですから、どこか座れる場所へ行きましょう」
「さすが泉や! 話が分かる。ほな職員室へ行こうか?」
「あの、こなちゃん?」
 すっかり置いてけぼり状態だった私たちだが、職員室へ向かおうとする二人を
なんとかつかさが食い止める。
「あぁ、ごめん。そういうわけだから先に帰ってて。追いつけそうなら後から追いかけるから」
 その言葉を最後に黒井先生はこなたを連れて、廊下の奥へと消えていった。
取り残された私とつかさは目を合わせ、二人同時に
ため息をついてから、げた箱に向かって歩き出した。

「なんていうか、付き合うこなたもこなただけど、こんな時間にゲーム攻略のために
生徒を家に帰さない教師ってのも凄いな」
「ま、まぁ黒井先生は気さくな人だし、こなちゃんと黒井先生は仲が良いみたいだから」
 正門を抜けた私たちはいつもならバスに乗って通る糟日部駅への道を歩いていた。
雲一つ無い夜空には白く輝く満月と、彩るように散りばめられた無数の星たちが宝石のように
美しく輝いている。月の柔らかな光と、等間隔で立っている街灯の明かりのおかげで深夜でも
視界は良好だ。いつもなら車の行き来が絶えることのない車道や買い物に向かうと思われる主婦、
犬の散歩をしているおじいさんなど、人の往来が絶えないこの道も、今はネズミ一匹いないのかと
思えるほどの静かな様相に、いつも通っている通学路も昼と夜という違いだけでこうも違って
見えるのかと改めて感じていた。
「あのね、お姉ちゃん」
「ん、どうしたの?」
 つかさはおずおずと私の名を呼んだ。つかさがこういう態度の時はたいてい言いにくい
相談だったり、悩みを抱えていることが多い。私はつかさが少しでも落ち着けるように
朗らかに笑みを浮かべてつかさを見つめた。
「お姉ちゃん。いつもいつも、本当にありがとう」
 だが私の予想に反し、つかさの口から出た言葉はそういう類いのものではなかった。
「どうしたの? 改まって」
「うん。私、いつもお姉ちゃんに助けてもらってばかりなのに、私はお姉ちゃんの
役に立てることなんてほとんど無いから……」
 今日の文化祭の準備のことを言っているのだろう。手伝ってもらったという
負い目だろうか? 俯きながら答えたつかさの声は少し震えているように感じた。
私は努めて明るい声でつかさに言葉を返す。
「そんなことないわよ。私が私らしくしていられるのは、つかさのおかげなんだから」
「お姉ちゃんがお姉ちゃんらしく?」
 俯いていた顔を上げて、つかさはこちらに顔を向ける。
「うん。それに私、子供のころは男の子からも恐い恐いって言われていたのに、
つかさだけはいつも私を庇ってくれたじゃない。
『そんなことない。お姉ちゃんは本当は凄く優しいんだ』って」
「そ、そうだったっけ?」
 覚えていないのか、つかさは夜でも分かるくらい赤く染まった頬を
人差指で掻きながら恥ずかしそうにそう答えた。

 私は昔から気が強い方だった。別に意識してそうなったつもりは無い。
ただ、どちらかといえば不誠実なことに関しては口を挟まずにはいられなかったし、
つかさがからかわれていると聞けば、真っ先に飛んで助けにも行ったりもした。
私はつかさのお姉さんなんだから、私がしっかりしないといけない。私はそれを自分の
信条として生きてきたし、その生き方が間違っているとも思わない。
だが不正を注意し、喧嘩がおこればそれを止める姿勢は一部の人間からは
頭が固い、じゃじゃ馬、面倒なやつなどといった偏見も持たれるようになっていた。
 あれは中学一年生のころだろうか?
 ある日、私がつかさのクラスで談笑していた時、私は教室で走り回っている男子生徒たちに
迷惑だから止めるよう注意をしたことがあった。私は男子生徒たちと口論に成りかけたが、
休み時間終了のチャイムと共に、次の授業のために先生がやってきたため
私は自分のクラスに戻るために口論を止めた。口論していた男子生徒たちが
「自分のクラスでも無いくせにうるさい女だよな」
「だから頭が固いだとか、糞真面目だとか言われんだよ」
 という私に対する中傷をぶつけてきた。今にして思えば悲しい話ではあるが、私にとって
悪口を言われることは珍しいことでも無かったので、聞こえなかった振りをして
自分のクラスに戻ろうとした。その時だった。
今まで背後から不安げに見ていたつかさが、私を中傷した男子生徒の目の前で
「そんなことない! お姉ちゃんはすごく優しいもん! お姉ちゃんのことを
何も知らないのに勝手なことを言わないで!」
 と声を荒げて叫んでいた。今度はその男子生徒とつかさの間で口論が始まりかけたが、
先生が間に入ってくれたおかげでその場はひとまず収まった。
 私はつかさが全力で庇ってくれたことが嬉しかった。あの臆病なつかさが、私のために
怒ってくれたのだと。
 つかさは何時もそうだった。どんな時も、何があっても、
常に私の味方で、私の傍にいてくれたのだ。私の具合が悪くなれば、夜が弱いくせに
付きっきりで看病してくれる。いつまでたっても進歩しない私の料理の腕前に、
つかさは嫌な顔一つせず熱心に教えてくれる。私が両親や姉さんたちと喧嘩したときだって、
いつも傍にいてくれるのはつかさだった。
 私はつかさの双子の姉であることを心の底から誇らしく思っている。
人は私たち姉妹を比べて、私をしっかりものだとか、お姉さんらしいと評価するが
私はそうは思わない。私がしっかりしていられるのは、自分に自信を持つことができるのは
つかさがずっと私を助けてくれていたおかげなのだから。

「だからね、私はつかさが妹で本当に良かったと思ってるの。
双子だから気にすることも無いのに、つかさは今日までずっと私を姉として
慕ってくれた。だから今の私があるんだもの。お礼を言いたいのは私の方よ。
ありがとう、つかさ。私、つかさと双子で本当に嬉しいよ」
 私はつかさの左手の取り、つかさの足をその場に止める。振り向きかけた
つかさを全身で抱きしめると、つかさが手にしていた鞄が地面に落ちた。
「そ、そんなことないよ、お姉ちゃん! 私、そんな大したことしてないし!」
 突然のことに普段のんびりとしたつかさもさすがにおろおろとする。
その様子がまた愛おしい。普段はなかなかこんな話もできないし、今は夜で人気もない。
なによりも、今だったら正直に普段つかさに感謝している
自分の気持ちを伝えることができると思えれば、私は遠慮しなかった。
「いいのよ。つかさはつかさらしくしてくれるだけで、私に元気を分けてくれるんだから」
「お、お姉ちゃんだってそうだよ! 私が今日までやってこられたのは、
絶対にお姉ちゃんの助けがあったからだもん!」
「ふふふ。ありがとう、つかさ」
 感謝の思いを込めて、一瞬だけ腕に力を込めてつかさを強く抱きしめてから
つかさを開放する。心なしか、先ほどよりつかさの顔は赤く、
私と同じ青色の瞳が少し潤んでいるように見えた。
 この子には幸せになって欲しい。こんな私でも姉としてずっと慕い続けてくれた
つかさにはどれだけ感謝の言葉を並べても足りない。いつか、この子が結婚式を
挙げる時には、私はこの世界の誰よりも祝福してあげよう。
そんなことを考えながら私たちは再び夜の街を歩きだした。

 陵桜学園から歩き始めて、糟日部駅までようやく半分という所までやってきた。
日ごろの文化祭準備の疲れもあって徐々に歩くペースが遅くなっている。
 私たちは依然バスで通っている歩道を歩いていたが、私は足を止めた。
「お姉ちゃん?」
「つかさ、駅ってこっちの方向だよね?」
「え? ……うーん、多分そうだと思うけど」
「だったらこの道を通ったほうが早く帰れそうよね?」
 私が指さした方向にはいつもバスが通る道とは違う、民家の並んだ一本の細い道がある。
バスで通うのと違い、歩いて帰っている今は少しでも近道をして帰りたかった。
しかし、問題も無いわけではない。
「う、うん。でもこの辺の道そんなに詳しくないし、迷子になっちゃわないかな?」
 つかさの言うとおり、私たちはこのあたりの地理に詳しくない。糟日部駅周辺なら
ある程度の地理は分かるが、まだ駅と学校のちょうど真ん中あたりに位置する
こんな民家が建ち並ぶ住宅街の地理など私たちが知るはずもなかった。
 多分、普段の私ならばそんなミスは絶対にしなかったと思う。
いくら月明かりである程度視界が利くとはいえ、こんな夜中に、人気の無い
全く知らない道を、女子高生二人だけで通るなんて危機意識が欠けているといわれても
弁解もできない。しかし、明日も午後からは文化祭の練習はあるし、この疲れた体を
早く休めてやりたいという思いが、なんとかなるだろうという
安易な考えを呼びこんでしまっていた。
「方角さえ間違わなければ絶対早く着くって。ほら行こうよ」
 私は自分が先に進めばつかさは後ろからついてくるだろうという
考えのもとに一人で細い道へと入ろうとする。
「お、お姉ちゃん待って――きゃ!」
「うおっ!」
 私が歩き始めた直後、つかさの甲高い声と男の人の声が同時に聞こえた。
振り向くとつかさは人にぶつかったらしく、その場に尻もちをついており
他にもつかさの傍に数人の人影が見える。
「ご、ごめんなさい。大丈夫ですか?」
 立ちあがったつかさは一番近くにいた男性に頭を下げていた。私も急いでつかさの傍に駆け寄る。
「すみません。うちの妹が迷惑をかけたようで、申し訳ありませんでした」
 大方、私を追いかけようと走ろうとした時に、つかさは慌てて人にぶつかったのだろう。
私はつかさの横に並び、正面にいる男性に謝罪した。
「あぁ、大丈夫だよ」 
 正面からやや野太い声が聞こえて私は頭を上げる。つかさがぶつかった集団は
見たところ十代から二十代ぐらいの若い男性が5人いた。私の正面にいる男性は
口調も穏やかで怒っている様子ではなさそうなことに一先ず安心した。



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