『こなたさんと寒い夜』

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こなたとかがみが高校を卒業してから、20年近くが経とうとしています。
それは、木枯らしが枯葉をカサカサ鳴らす、少し寒い日の夜のこと。

玄関の外灯が、闇を丸く切り取る輪の中に、一人の少年を見ることができます。
目元の少しきつい印象が母親似の、かがみの息子です。
その横顔は少し大人びて見えましたが、まだまだ誰が見ても幼い年頃です。

悪いのは自分だ。それだけは分かっているつもりでした。
しかし、それを素直に認めたら負けになる。それだけは許せない。
生来の負けん気も、母親譲りと言えるでしょう。
そうしてつまらぬ意地がみるみる膨らんで、気がつけば正面衝突。
母親と彼とは、いつもそんな感じでした。

そのまま家を飛び出し、怒りにまかせて歩きに歩き続け、
随分と遠い場所に来たように思えましたが、実際には近所をぐるぐる廻っていただけのようで、
気がつけばウンザリするほどの「いつもの場所」にたどり着いたというわけです。

つらくなったらいつでもおいで、などと優しく言われているものの、
そうそう何度も甘えて良しとするほど、彼も幼くはありません。

そんなわけで彼は先程から、この家の前で行きつ戻りつしていました。
しょせんガキの身分じゃ、行くアテもたかが知れている、などと
皮肉の台詞を吐いてみたところで、聞く者とてありません。
やがてため息を一つ、またあてもなく、もと来た道を戻ろうとする彼は、
背後の暗闇から忍び寄る、チェシャ猫もどきのニマニマ顔に気づきませんでした。

「お~や、寄っていかないのかナ?」
「のぉわあっっっ!?」

その5分後。

少年はこなたの家に招き入れられ、綿入り半纏を着せられ、食卓に収まっていました。
まだ体が温まらないのか、それとも先程のサプライズにまだ動悸が収まらないのか、
体が震えるのを、歯を食いしばってこらえている様子です。

一方、居間と一続きの台所には、こなたの姿が見えます。
もう遅い時間だし、あんまり重いものはいけないネ。
レンジに掛けて、たっぷりと取った干し椎茸の戻しを、鍋で火に掛けます。
酒と醤油、砂糖で味を調えると、戻した干し椎茸をうすく切って油揚げと共に加え、
それを軽く煮立たせ、水菜を刻んで出来上がり。

鍋が煮立つ頃には、すでに香ばしい椎茸の香りが部屋を満たして、
腹の虫が行儀悪く騒いだとて、誰も少年を責められないでしょう。

夕食に土鍋で炊いたご飯はもう冷えて、少し硬くなっていましたが、それを茶碗にとって
こんもりと水菜を添えて、湯気の立つアツアツの汁を注ぎます。
なおためらう少年に、

「遠慮することはないよ。おなかが空いてちゃ、何もいいことは起きないよ」

こなたがそっと茶碗を差し出すと、少年はたまらずレンゲを取りました。

「熱っ!」
「ホラ、気をつけな」

椎茸の香りが体中にしみわたり、少しづつ体に元気が湧いてきます。
香ばしい熱い汁が冷えたご飯に良く合い、水菜の歯応えとともに空腹をやさしく満たしてゆく。
茶碗を打つレンゲの音に、こなたは横で満足げに目を細めています。
少年はそれを一気に三杯平らげました。

「ごちそうさま」
「ハイ、お粗末さま」

少年は満足のため息をつきます。ようやく人心地付きました。
そして、細くて以外に鋭い視線が、横からヒタとこちらを差すのに気付きました。

「で、ケンカの原因は何だね?」
「・・・・・」

何でもお見通し。少年は、正直こなたのこういうところが苦手でした。
生まれたときから、ずっとそばで見守ってくれている人です。
なにか拙い言い訳を試みたところで、この、どこを透かし見ているか分からない眼で
ジッと見られては、只々下を向くばかり。

「まあ、何でもいいから。まずはこの、こなたサンに話してみたまへ?」

このころ、すでに身長では大して差がありません。
それでも、どうもこの人には勝てない。少年にそう思わせる何かが、こなたにはあります。
もしかしたら一生敵わないかも知れない、などと思いながら、
仕方なく、少年はその日あったことを話し始めます。


何が原因だったのか、どうしてそうなってしまったのか、
後年になると、詳しいことはほとんど記憶に残っていません。
しかし確かなことは、理解してもらえない苛立ちから、この日、少年は生まれて初めて、
母親に手を上げたことでした。
驚愕とともに浮かんだ母の寂しげな表情は、その眼に焼きついていました。

普段は彼の目から見ても、少々子供っぽいところのあるこの人が、
何を置いても決して譲らないのが、彼の母親のことです。
一度だけ、甘え心から言ってはいけないことを口走った時、本気で怒られたことがありました。

きっと今度のことは、こなたさんは決して許さない。
母親を傷つけたことよりも、今のこの温かい場所を失うことばかり恐れている、
自分の身勝手さに気付いた時、少年は却って深く傷つき、自分で自分を許せなくなっていました

・・・・・

少年が恐る恐る顔を上げると、そんな内心の葛藤までもお見通しだったものか、
こなたはいつもの、あのゆるい笑顔に戻っていました。
そして、あの独特の舌っ足らずで、やさしく話しかけたものです。

「人に分かってもらうには、努力が必要なんだヨ。たとえ相手がお母さんでも、
 ちゃんと伝えないと分かってくれないよ?」

「誰だって子供扱いされると嫌なもんだ。それはよ~く分かる。
 でもね、そういう誰にでも出来る普通のことを、ばかにしちゃいけないよ」

「落ち着いてちゃんと話してみな。ああ見えても、かがみは話せば必ず聞いてくれる」

「大丈夫、今日のことなら、ゲンコツ一発で許してくれるヨ」

この時もたしか、そのようなことを言われたのだと、後年になっても記憶に残っています。
歳を経て思い出してみると、頭ごなしに怒られた覚えもなければ、何か立派なことを言われて、
感心した覚えもありません。
ただ、ねんごろに諭され、こちらの言い分に一つ一つ、相槌を打ってもらうだけ。
仕事にかまけて家庭をどうの、という生意気なグチも、笑って聞いてくれました。

どんなときでも、あの小さな手で、背中をポンポンと叩いてもらううちに、
つまらないちっぽけな自分という存在を、いちいち認めてもらえるような気がして、
苛立ちと焦りに強張った心も、少しづつほぐれていったものです。

あの人の、何とも言えない優しさは、どこから来たものだろう。
もう何年か後になって、何かと物を考えたがる年頃になった彼は、考えたことがあります。
一つだけ思い当たったのは、あの人にはお母さんがいなかった、ということでした。

たとえ母親の愛情を享けられなかった身の上だったとしても、
自分が母親として、子に愛情を注ぐことは出来るのだ。こなたの想いは、
いくらか成長したその当時の彼には、軽い胸の痛みとともにひしひしと伝わってきたものです。

いつのことだったか、一緒に古い映画を見たときのこと。
一番いけないのは、お腹を空かせていることと、独りでいることだというセリフが出たとき、
ふと見ると、こなたは涙を浮かべながら、しきりと頷いていました。
あの人は、その言葉の意味をどんな想いで噛みしめていたものかと、
その時、しみじみと思ったものです。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ わかった」
「自分でちゃんと言えるね?」
「ああ、世話になったな」
「ん? 今から帰るの?」
「今日やるべきことは、今日のうちにやっておかないとな」
「そういう生真面目なところも、かがみにそっくりだねぇ」

こう言われた時、彼はいつもソッポを向いてしまいますが、
その時、彼が少し得意げな顔をするのを、見逃すこなたではありません。

「でもネ、お互い分かり合う気持ちがあっても、物事にはタイミングってモンがある。
 今帰ったら、すぐに第2ラウンド開始になっちゃうよ?」
「・・・・・」
「それに今夜はもう遅いんだから、ウチに泊っていきな。時間を掛けることも大切だ」
「・・・・・」
「明日になったら、私が付いて行ってやるから、まず、手をあげたことだけは謝るんだ。
 なあに心配はいらない。アンタにはこの、こなたサンがついているんだからネ」

自分は赦されている。こんな自分でも、受け入れてくれる人がいる。

それだけでも少年は、何か熱いものが込み上げてきて、自分を抑えきれなくなります。
そんな少年をこなたは、何も言わず抱きしめてくれたものです。

「アンタも辛かったろうネ。よしよし・・・」

こんな時、それは涙が出るほど嬉しいはずなのに、素直になれず、
何かの拍子に、これじゃあガキの扱いだ、などと思い始めると、
何やら急に負けたような気がして、むくむくと負けん気を募らすのは、
彼の悪い癖と言うべきでしょう。

「さあ、今夜のところは思い切り泣くといい。この胸で!」
「・・・アバラ骨が当たって痛てーよ」
「むぅ、アンタには分かんないのかねェ、この希少価値がっ」
「い、痛ででででででで!! ちょ、こなたさん、カンベンしてくれ、マジで痛てぇ!」

このようなことを何度か繰り返しつつ、少年は、少しづつ大人になりました。
後年になって、いつもとなりで見守ってくれた、こなたへの感謝とともに、
この夜の椎茸だしの味を、彼は生涯のうちに、何度も思い出すことになるのです。

  ☆  ★  ☆

それから半年ほど経ったある日。

この日も昼日中から、それはそれは仲良く衝突する親子の姿があります。

「だいたいね、この私に意見しようなんて、10年早いわ」
「ふん、10年かよ。オレより30年もババアのくせに」
「何だと!? っていうか、勝手に四捨五入するな!」
「せこいぞ! 大して変わんねーだろうが!」
「よーし、そこまで言うなら覚悟はいいわね? さあ、かかって来いっっ!!」
「上等だっっ!! 見てろ、10秒でカタぁ付けてやる」

またいつもの起爆スイッチ押しちゃったよ。懲りないネあの子も、などと、
その時たまたま訪れていたこなたが、生温かく見守っています。
そうこうするうち、最後はかがみのヘッドロックが決まって、約3分間の試合は終了しました。

その5分後。
かがみは首に掛けたタオルで汗を拭きながら、こなたが淹れたお茶を楽しんでいました。

「どお? 少しは強くなったでしょ、うちの悪ガキ」

かがみん、それじゃオヤジの愛情だよ・・・ こなたは目を細めるばかり。
とてもそうは見えませんが、これも時を経たのちに懐かしく思い出すようになる、
大切な親子の時間なのです。

「でも大丈夫なの?最後本気で落ちてたよあの子」
「平気よ。あのくらいで凹むような、ヤワな男に育てた覚えはないわ」
「鬼だ・・・・」
「やかましい!」

それでも、手を焼くことでしか息子の成長を確認できない、不器用な母親だというのは、
こなたのよく知るところです。

「かがみも、もう少し大人のケンカしようよ。あの子だって近頃は手加減してるんだからさ」
「何事も、本気で掛からないと必ず痛い目を見るって、身をもって教えてやったのよ」
「やっぱ鬼だ・・・」
「うっさいわ!」

そうは言うものの、あの日の明くる朝、親子そろって大泣きしたあのシーンを思い出すと、
思わず口元が緩んでくるこなたでした。


それにしても・・・ 
かがみは寂しげに呟いたものです。

「あの調子だと、そのうち手に負えなくなるわね。子供が本気でケンカしてくれなくなったら
 親の役目も、もう終わりかもね」

子供が、親に投げつけるものを慎重に選ぶようになったら、それは成長の証です。
喜ばしいことと共に、それはもう一つの臍の緒が切れたことを意味します。
たしかにあの日を境に、息子は少し変わったような気がしました。

「親の役目は、まだまだこれからだヨ」

昔から思ってたけど、こいつ、時々こういうドキッとするような眼をするのよね。
かがみは思わず見入ってしまいます。

「親は子供に、生き方の見本を見せてあげるのが役目だヨ」
「生き方? また随分と大げさじゃないの」
「ま、クサいセリフだってのは、自覚してるヨ」
「それで、あんたならどんな見本を見せるのよ?」
「ん~、まあ、親の背中を見て育って欲しいとか、そんなようなモンだけどさ、ん~~、
 なんて言えばいいのかナ・・・」
「なんなのよ」

こなた自身も、自分の思いつきがなかなか言葉にならないようです。

「まあ、その、今を幸せに生きている、ってことなんだよ、たぶん」
「なんだそれ」
「今を幸せに生きているってところを、ず~っと子供に見せてあげることなんじゃないのかな。
 親が幸せに生きてなきゃ、子供だって、この世の中には幸せな生き方があるんだ、
 なんてことを、信じられなくなるからね」

こなたは、父そうじろうの背中をチラと思い浮かべました。
最愛の人を失った絶望の果てにも、なお幸せな生き方があるのだということを、
生涯かけて示し続けた、男の背中です。

「なら大丈夫よ」
「そお?」

寛いではいても、どこかでキリリと引き締まった、かがみの姿がそこにあります。

「今の私は充分、幸せに生きてるから」

こんな時のかがみは、もうゾックゾクするほど綺麗だよネ。こなたは思わず身震いしました。
仕事に家庭に、何もかも理想の通りにやってきたわけではありません。
それでも諦めす、ひたすらまっすぐに生きてきた、女の背中です。

「う~~む・・・・・・、さすがはかがみ様、参りましたっ!」
「ふふん、参ったか」

実際、息子にとってのかがみは、生涯自慢の母親であり続けることになります。

ただ、彼がそのことを、素直に認められるようになるのは、
この日から数えて、さらに20年以上も後のこと。
彼なりに積み重ねてきた自分の生き方を通じて、母を理解できるようになるまでは、
この日のようなことを、まだまだ続けることになるのです。


(おしまい)



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