Fields of Gold (前編)

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「んぅ… ふぃーっ!」
「何よ、わざとらしい」

閃光。 轟音。 ハラハラ落ちる光の粒子。
反応して首が上を向くと、かがみは即座に立ち上がり、少しよろめきながら、私の顔の真ん前にある窓のカーテンを開けてくれた。
漆黒の闇に並ぶ町の光。その中から真っ直ぐに下る… あ、これは私が頭を下にしてるんだ。 基、昇りゆく光が、
空の只中で四方八方に、けれど一定の調和を保ちながら規則正しく炸裂する。 続く、指先にまで響く、懐かしい重低音。
…夏の風物詩、花火だね。 今日は池袋で花火大会だっけか? 穴場観覧スポットがこうも身近にあるとはねぇ。

ここは、文京区千石のかがみの部屋。 4階っていうのは移動が面倒だけど、風通しもよくて暮らし易いね。空き巣も少ないだろうし。
私はすぐ隣の豊島区に住んでるから、こうして暇を見つけてはかがみのアパートに押し掛けて、家事手伝いなんかに励んでいる。
一時期は週末だけだったけど、今年3回生に進級した私は、卒業(に必要な)単位数に結構余裕があるのをいいことに、
今年は履修授業を出来るだけ少なくして、かがみと一緒に居られる時間を優先したのだ。
隣の区の大学院に進学したかがみは、最初は面倒そうだったけど、アプローチを繰り返すうちに合鍵を渡してくれて…ムフフv
それに、私が研究の邪魔をしない事を知ると、学校以外の時間の殆ど全てを共有するよう勤めてくれるようにもなった。

なにせ、私達が恋人になってはや3年。 高校時代からの付き合いを考えると、丁度結婚なんかにも意識が向く時期だもんね。

「最近のかがみはフィーバーメーカーだね。梁山泊だってここまで出せるか、って位の。
 坐骨の裏辺り…内側、だよね、グリ、グリぃ~って、絶妙なリズムで的確に圧してくれてさ、何度マジに逝きかけたことやら」

んで、現在の二人の状況はというと…
蒸し暑い部屋。 二人分の汗(だけじゃないけど)でぐっしょりなシーツ。 内耳に鳴り響く鼓動。 艶っぽく上がったかがみの息。
… お察しの通り。 事後です。 恋人というからには、ちゃんと確認し合わないとね。 会う度にだから、頻度は半端ないけど。

私はベッドの上に大の字を書いている。全裸で。 かがみはベッドに腰掛け、私に背を向け目を細めている。当然全裸で。
煙草でも吸いたい? 何勘違いしてるんだ。まだ私達の絡みフェイズは終了してないぜ! ここからが肝心のデザートでしょうが。

「私、この先身体が持つかどうか…」

そう、ピロートークって奴ですよ。 世の(特に日本の)男共はこういう時間を大切にしないから、女心が分からないんだよ。
私がかがみの方に寝返ると、かがみは顔をこちらに向けひとつ息をつく。 やっぱり、『清々しい笑顔』だ。好きだねぇこの人も。

「そう? 『あんたの』コツ掴んだ、とかそういう事じゃない? あんたの以外は知らないけど。
 ほら、最初に攻めてくれって言われたのが… 3年前? あんたの告白から、丁度2ヵ月後だったわよね」

で、何故だか知らないけど女言葉が多くなる。 …今では攻め手に回るのは9割方そっちなのに。 それだけの充実感、てことか。
かがみは私の髪に手を触れると、ひと撫で。そして返す腕の先に手櫛を作り、ゆっくり時間を掛けて、丁寧に梳いてくれる。

「あれから毎週、こんなペースで繰り返してんだから…」

びりびりっ。 私の後頭葉の辺りに昇ってくる、微かな電流。 ―これは、体感した人間にしか、判らない快感だね。
私の表情の変化に、かがみはほんのり頬を赤らめ、フフッ、と、胸をひと踊りさせる。
汗で額に張り付いた毛を小指で払う仕草に続いて、キュッ、と糸になった眼輪がゆっくり開き、その瞳の海色を慎ましく覗かせる。

「そりゃ慣れるわよ。 幾ら実践面では物覚えの悪い誰かさんでも、ね」

… 綺麗。

何て、表現すればいいのか。
元より作家には(頭の硬さ的な意味で)愛想尽かしてるから、縦書き文には食指が伸びず、文章表現の鍛錬は専らレポート頼み。
だから語彙のストックはその程度のもので、必然、こういう時に的確な表現が浮かんでこないのが猛烈に悔しいけど。

月の齎す蒼い闇の中、光を浴びて天の川さながらに輝く汗の筋が、その白い頬肉の丸みに伝うのを見ると…
胸が、痛い。 …躍る。 ―肺の上半分が握り潰され、心臓が異常な収縮を始める。
なのに、血管だけが、トク、トクッ、と妙なテンションで脈打つんだ。



なんて器用な現象だろう… 一時期まで、私はこの感覚が大嫌いだった。 自分の意志では制御の仕様がない、痛みに近いもの。
だというのに、一方では確かにそれに、性的なものにすら勝る快感を覚えている側面があって。
そしてその間の矛盾すら、心地良いものとして感じている自分が居る。 明らかで、どうしようもなく愛らしい、矛盾。
― 正反対のものに引き裂かれる背徳感に、身も心も委ねたくなる、この、麻薬にも程近い作用を。

自分のない胸を抑える私を、怪訝そうな表情で見つめているかがみに気付き、「なんでもないよ」と、その場を誤魔化す。

「そういうあんたの方は、実戦経験もない癖に、初めから随分と弁えてたんじゃない? 特に、焦らし方なんか」

「それはアレ、エロゲーやらメディアの受け売りだよ。 …というか、かがみが知らなすぎ。
 只でさえ少年漫画勢がエロ描写の限界目指して息巻いてる時代に、こういうモノの使い方も知らないとか…」

「わざわざ見せんでいい! …悪かったな、一人で乙女してて」

調子に乗って、両者の体液でぬめった玩具を、一方の発現者の鼻先に持っていく。
当人はその如何にもな形状と、状況の齎す一体感に目を細め、同時に眉を顰めつつ顔を耳まで紅く染める。

生きとし生けるものの全てに存在する、「変わらない」、或いは「変えられない」部分。
不思議と(恐らくは身勝手な)いとおしさが込み上げてきて、私はそれを発散すべく、かがみの腿に後頭部を乗せ、
過剰な刺激を受けている為か、近年頓に発達してきたかがみの乳房(左)の性感帯に近い部分を突っつきつつ、片手間でフォロー。

「かがみは受け取り方もストレートなんだよね。 …今更言うのも何だけど、こういうのも、実は演技だったって判らない?
 なにぶん、こんな躯だからさ。実力は技術の方で補おうって訳で、ソレ系統の知識の収集には一時期躍起になってた」

軽い慰め… というか、「宥め」のつもりだったんだけど、知らず、自分の弱みを曝していたらしい。
玩んでいた筈のかがみが急に鼻で笑い出したんで、私はちょっと頭に来… というか、違和感を覚えて。

「何さ、その顔。 空気に乗ってちょっと素に戻ってみせるとこれだ。
 ガチャプレモード中に偶然出た一撃必殺が当たったーみたいな、意外そうな顔する。 …そんなに嬉しい?」

こっちから問いを投げかけ、冗談めかす意図で、白の濃い肌色の墨汁で、闇中にすらりと川の字を書くかがみの背中に抱きつく。
いつかみたいに振り払われないのは、多分、私の功績。 …只、『人前じゃないから』、って可能性は否定し切れないけど。

するとかがみは吊り目を伏せて、表情を元の居心地の良さそうなものに切り替えて、呟く。

「あんたの本性が見えるからね。 … 私に、心を開いてくれてる、って」

かがみの、汗の匂い。 刺激のない、ほんの穏かに鼻腔に染み入る人間臭さ。 微かにジャスミンが香るのは、コロンかな。
うなじの産毛に、軽く唇を這わせる。 静かに吐く息が妙に色っぽい。 上目遣いに表情を窺うと…

普段は柳の葉みたいな鋭さで突っ張っている目尻を横一線に均し、夢見心地とばかりの柔和な笑みで私の手管の跡を辿っている。
最近受けに回るとき、この人はよくこの顔になる。 何が懐かしいのか、時々物欲しそうに目の前の宙を仰ぎながら。
それは私の手管への不満なのか、って聞いたことは何度かあるけど、その度物凄く慌てた様子で、全力で首を振って否定する。
あからさまに漂う『何かを隠す雰囲気』は、日頃滅多に見られないこの人のオーバーリアクションでチャラにするとして、兎も角も。

… これは、明らかに私しか知らない、昨今のかがみの変化だ。  この世で、私だけが、知っている。


「かがみを見てるとさ」

手の甲にナイトのキスをする。 …何でだろ。 きっと、そちらの内面に踏み込みますよっていう、合図のニュアンスなんだろね。
若しくは、その気の長い好意への、敬意?の顕れなのかも知れない。 …音になるのが癪だから、口には絶対出してやらないけど。

「何というか… 『人は変わるものだ』っていう、今まで何百回となく繰り返し聞かされてきた台詞の…
 そう、【実例】、みたいなものが見えてくるんだよね。 かがみの身体に。

 高校時代からその兆候は見えてたけど… ほら、後半期のデレっぷりとかからね。 でも殊に、最近は凄いと思う。
 周りから、自分の苦手な部分の克服のコツとかの情報、どんどん吸収してって、あっという間に改善しちゃう…
 というか、自分の萌え要素、いや、『愛嬌』位のレベルのものにすげ替えちゃう。 ― 人生、極めてきたとか?」


かがみの、近況。 一言で表現すれば、「加速度的な成長」。 一体何が原因なのかは判らないけど。

「お褒めに預かり光栄です。 というか、あんたは高校時代から相変わらずよね。
 逐一、発言の規模が大き過ぎる。 大体、オタっぽい講釈の時は、『それが絶対の真理だ』、みたいな言い草だったし。
 事の一面ばかりを拡大しまくって、他の因果関係をあっさり度外視する。 ― 今のあんたと、何ら変わらない」

対してかがみは、何ということもない、っていうニュアンスで話をすり替える。 本当に、自分の事に関しては軽視しがちな方だ。
そこには勿論、自分に甘い、っていう欠点も含まれてくるんだけど、実は自分の利点に関しても、結構な見落としがあるんだよね。
私が異議あり、の視線でかがみを射ると、かがみは一瞬意外そうな表情を浮かべ、直後、白い歯を剥き出しに破顔して見せる。

「あんたのお蔭なのにね、元はといえば。 あんたが傍に居なきゃ、何も変わらなかった。 私だって」

そこまで言うと、ちょっと待てよー、というフキダシ外の小文字と共に、かがみは言葉を選び直す。
尤も、この言葉の時点で、私を赤面させるには充分過ぎるんだけどね…

「や、少なくとも、“こういう”変わり方はしなかった。 
 …自分が、どれだけのモンか。 どうして、生きてられるのか。 そんな事まで、振り返ってみたりしなかった」

これが、ピロートークの不思議という奴か。 普段、二人の間では耳慣れない言葉が、次々と浮かんでくる。
私は冷静さを取り戻す為に大きく深呼吸をつき、今のかがみの言葉を脳内で復唱した。
そしてその裏にあるもの… (ほんの僅かな)“変わらない”ことへの『後ろ髪引かれ』感、を察知し、反射的に尋ねる。

「… 後悔してる?」
「んな訳ゃないでしょ」

するとかがみは予想に反して、その固執意識の内在をいきいきと否定してくれた。

「昔より、ずっと気楽に生きられるようになったわ。 考え方一つで、世界は確かに変わるんだ、って。 ―あんたの、お蔭」

それが、当然の事… この世の理であるかのように。 個人の感じ方の複合体が、つまりは“世界”なんだ、っていう論法で。


「それに、あくまで見た感じの話だけど、あんたも随分変わってきてるんじゃない?」

― 隣人の成長を改めて実感しているところに、この菫色の外套をまとった姉ちゃんは。

「… この辺とかw」
「ひぁっ」

茶目っ気たっぷりの表情で、言葉の接ぎ穂としてはぶっ飛び過ぎな行為に出てくれた。

かがみが手を当ててきたのは、私の胸の微かな隆起のふもと。 さっき私が照れ隠しにかがみを突っついていたのと同じ部分。
かがみの掌の全長にすっぽり収まってしまう、私の胸。 全く、誰かさんと比べると、ボリュームが違い過ぎる。
一応性別的に、もうちょっと危機感覚えた方がいいんだろうけど… でもいいや。どうせ、誇示できる相手もいないんだから。

「…かがみ様ァ、ちょっと回復早過ぎと違いますか。 もーちょっと休ませてよ… んっ。 …疲れんのはこっちなんだから」

只、どんなに役立たずとはいえ、ちゃんと感じる処は感じてるのがヒトの性って奴だね。
さっきの、髪を梳かれた時の心地よさとは少し違って、気道にじわじわ来る、それでいて鋭角な― 兎も角も。 …いい気持ち。

「あぁ失礼。でも、これは現実的に。 B…近くにはなってきたんじゃない? この齢で成長期、っていうのは明らかに遅いけど」

かがみが、言葉と同時にさっと手を離す。 直後全身に齎される、この、安定感を失った時の寂寥は、何なんだろう?

「この齢、って… まだ20代序盤だよ? こないだ22にはなったけど…」
「一般人なら大学卒業する年齢だもん、普通成長終えてるわよね? 肉体的には。
 ま、あんたの場合は猶予期間が長いって事で、違和感はないけどね。 ―心身共に」
「うぅ、イヂワル…」

悪意はないなりにひん曲がった笑みに、上から目線… 急所を捉えたかがみからの“反撃”を感じ、本心からしょげ返る。
だって、ある程度代替が利くし外からは窺い難い精神年齢は兎も角、肉体の成長の頻度は明らかに遺伝的な部分が多いもんね。

私の落胆振りに、少し罪悪感を覚えたのか。 かがみは、拗ねて見せている私の背後にそっと回り…

「冗談よ。 ペースなんてそれこそ人それぞれだし、あんたには既に、充分過ぎる応用力があるじゃない、頭の方に。
 何を売りにするかーとか、それこそ世間の流行に併せる必要ないのよ。 大体、あんたの場合は…」

私の腰を、背中側から抱き込んだ。 密着する二つの身体に、続く体温の交換。 ― スプーニング。 私の、大好物。


「既に居るだろうに? この少女趣味な体型に、大満足な人間が」

そして、肩に軽く歯を立ててくるかがみ。 歯形が付かない程度の微妙な圧力を掛け、私の全身に、程よい被征服感を巡らせる。

「… 同時に、その成長にも大満足な人間、でもあるけどね」

その感覚に火照った耳元に、かがみはフゥ、っと息を吹きかけ、私の理性を攪拌し兼ねない甘い声音で、小さく囁く。


だというのに、私の頭は逆に冴え渡る。 それは、この快楽に身を委ねることに待ったを掛ける、私の内心の微かな抵抗の為。
それが、何なのか。 おぼろげな輪郭を捉えるべく、私は、思いついたままを口に出し、あえてそれを音=物にしてみる事にする。
これは、結構リスクの伴う行為なんだけど… 今のかがみとこの空気なら、多少の失礼には目を瞑ってくれるだろう。


「かがみ」
「ん?」

「― 置いてかないでね」


何となく、判った。 我が身をさておく、完全な、従属型の発言。 これは、幼児性から来るもの… 私の独占欲から出た、澱だ。
この世の全てを自分の背後に置きたい、っていう。 全てを足元に並べ、時々蹴り潰してやりたい、っていう。 愛する人さえも。

「私はここに居る」
「うん、それは判る。 こんだけ、確かめ合えるんだし。 …でも」

こんなこと、わざわざ言葉にするまでもない。 感覚の位相の、一番浅い層の話。

だけど、折角かがみの方から、ここまで間口を広げてくれているんなら… それに甘えるのも、愛情表現、だよね。


「… 怖い」


世間の安定、身内からの承認、お互いの絆、っていう三つの力の織り成す逆三角形。 それが、私達の地盤。
力の均衡を保つのは、そこに漸う縋り付いている自分達。 それは、どうしようもなく孤独で、傍から見れば滑稽極まりない構図。
私の父親が、無理矢理にでも私達の仲を引き裂こうとした理由が、今更になって、身に染みてくる。 先に立たず、ではあるけど。

『一生を、見世物として生きていく覚悟はあるのか』 ―それは明らかな偏見に基く、けれども、故無き事ではない筈の、経験譚。


「それは周りも同じ」

こうして叩き付けられた重量感を、けれど、かがみはさらりと切り返す。

「社会だって、今までの自分達の常識が『壊れてしまう』のが怖いから、同性愛みたいな、“異質なもの”と距離を置きたがる。
 どうせ人間は、自分の欲望を満たす事… 『安心を得る』事しか考えられないんだから… 基準に置けないんだから」

青い菊を思わせる、夜空に広がる閃光に首を巡らしつつ、唇にスティックを塗りつけながら。 
多分、グロスだろう。 3Rはこれで互いの体中をベトベトにして、舌を使い出したら跡を舐め取り4R突入。いつものパターンだ。

「それは、受け入れた方がいい。 そういう存在なんだ、って。 それでも充分、綺麗なんだって」

少し瞼を被せた瞳で、私の翡翠色?を覗き込む。 …だからね、さっきから、綺麗なのはあんたの方だよ。
こういう仕草の一つ一つが絵になる。 そう思うのは、私の内面にかがみの占める領域が広がった為だろう。
かがみは、相当のハイペースで私を侵略していく。 それは、欲望に忠実なかがみの本性と、私の打たれ弱さに由来するのか。


「… まだ、あんたには判らないかも知れないけど」

私が黙ったままだった事に居心地の悪さを覚えたのか、かがみは徐にベッドから立ち上がり、
書類の散乱するデスクに置いた私専用のコーヒーカップから、すっかり温まったイタリアン・ブレンドの残りを飲み干す。

「この世にはね、自分の欲望なんか… “こう在りたい”っていう意志なんか、どうでもよくなるような出会いが、確かにある」

そして、書類の幾枚かに目を通していたかと思うと、唐突に私の方を振り返り、首を傾げてみせる。

その発言は、どこまでが本気か… 或いは、どこに向かっているのか。
余りにらしくない、というか、かがみにしては一人称的に過ぎる主張。 …かがみってば、また雰囲気に酔っちゃってるな?

「ちょっとかがみサマ? さっきからこういう時の会話にしてはマジになり過ぎてるよ。 事後感は重要なファクターですぜ? KYKY」
「そういう、思わせぶりな態度に…」

私が受け流そうとすると、かがみはグロスをデスクの上に立て、即座に体を翻し、私の額に自分の額を合わせ、呟く。
息が、熱い。 相変わらず半開きになっているその眼は、毀れ出そうになる位に潤んでいる。 乱れた髪が、私の睫毛をくすぐる。

「自分の全てを委ねたくなる。 そんな気分にさせるような」

きらきら光る、かがみの唇。 これはジューシーチューブだね。品のいい香りがする。 かがみの、マジな時のスタイル。



「… 私の場合、受け取るものは、受け取る気でいるし、返せるだけは返したい。 そう、思ってるけどね」

そして、誘い文句が来た。 …さっき揉まれた事もあって、何となく奮い立ってきている。 …これは、そろそろ受けていいかな?

けど、最後にもう一つ。 内心の引っ掛かりを根こそぎ洗い落とす為に、私は、『人として、義務を果たす』。


「かがみ」
「元気になったみたいね。 もう一発いく?」

ちょっと、空気の読めない息継ぎかも知れないけど。


「… ごめんなさい」

「?」

かがみは、只管に不思議そうだ。 思い当たるところがまるでないみたい。
幾らなんでもそれはないだろうよ。本音でどうぞ? 私は弁えてるよ。かがみの感想から知った、自分の性格。(受け売りだけど)

「自分の事ばっかりで。自分の都合、ばっかりで。 ― 高校時代から、自分の感情の事しか念頭になくて。
 かがみは、こんなに私の事考えててくれてたのに。尊重してくれてたのに … 結果的に、かがみの人生、ぶち壊す様な事」

「だったら」

ところが、きょとんとした表情で私の話を聞いていたかがみは、ある一箇所を耳にするや否や唐突に反応して。

「どうして私は、ここまであんたにのめり込めた?」

相当レベルの高い問いで、私の進路を塞いでくれた。


「誰にも話してない事だけど、私の嫌いな言葉は、一番が『他人任せ』で、二番目が『自己中』な訳」

それは、かがみの日常を見ていれば嫌という程分かるよ。 かがみはどんな事にも手を付けたがるし、人任せに出来ない性質だし。
…これは語調から、私への皮肉も込められてるのかな? だとしたら …  あれ? だとしたら、何で私に構うんだ?

「じゃあ… ドツボじゃん。 どうして、そんな私を?」
「さぁ、どうしてかしら?」

自分で考えろ、か… 参ったな、私は人の事なら何とでも言えるけど、自分の内面の事となると途端に観察力が萎えてくる。
丁度さっきの、外からの感想と自分の本質とを照らし合わせていなかった例にも、よく顕れているようにね。
でも、思わせ振りではあるけど、そんなに分かり易い事でもあるまい。 「降参」表明として、ん゙ー、と思い悩む仕草をとる。

するとかがみは少し吹き出しながら、

「よーく見えたから。 普段、常識として自分の中に厳重に隠しておくべきだったものが、不自然なくらいに、はっきりと。
 そんなつもりじゃなかった、って、あんたは否定するだろうけど、高校卒業してからのあんた、さながら迷い犬だったわ。
 主人の生活スタイルに馴れ親しんでいたところで、突然見知らぬ土地にうち捨てられた、そんな有様。 ―見るに耐えなかった」

凡そ、こんなような事を話した。

…迷い犬? みすぼらしい風貌で人の哀れを誘いメシにあり付く… 私の大っ嫌いなキャラだ。
それが、高卒後に目標を失っていた私の態度だった、って事か…  

「ぶちまければいい。 ―今はもう、私がここに居るんだから」

そんな立場に甘んじるな。頭を下げた奴から叩かれるのが世の中だ。自分の発言には自信を持て。 …そういう事?


「私の趣味は、あんたな訳で」

だとしたら、私にはまだ、関りない話になる。


「…… やだ」
「え?」

ペースに。

「また距離が開く」

取り返しが付かない位の、差が開く。


かがみはいいよ。 誰にも文句は言われない。 そういう立場を、自分で組上げてきた。 周りからの影響を最大限に応用して。
だけど、私の場合はどう? 自分の手の入った社会的なものなんか、何も残ってない。
アイデンティティが固まり出した隣人の肩に引っ掛かって、やっと社会の入口を垣間見える段階にまでこぎつけた。 はいいが。
その先の展望の欠片も見えていない。 「何とかなるよー」っていう態度が招いた挫折の恐怖から、自分の表面さえ、安定しない。

「判らないな。 私の、何が“大きい”って? …態度? 自信?」

かがみが髪を跳ね上げながら体を返し、手を腰に、ベッドの脇に直立して私に向き直る。
見事に均整の取れた体型。 胸も腰周りも、惹き込まれる位の絶妙なライン。 無駄毛の処理も行き届いた、つやつやした素肌。
…女としても、最近のかがみの成長(成熟?)は著しい。 …こっちが、劣等感を覚えるのに充分な位に。

「… いつか話さなかったっけ? 目標は、かがみなんだって」

この、向かう先のないルサンチマンを(場違いだとは思いつつも)かがみ自身に投げかけるよう、少し冷淡に、私は喉を鳴らす。



「ホントのこと言うとね」

きっと、これは自己満足以外の何ものでもない。 私は、どんな見返りも期待せずに、只押し出すだけ。語尾に挟むだけ。
何故なら、この発言は共感されてはいけないから。 …特に、対象と「身内」という愛で前提的に結ばれている、かがみにだけは。

「みゆきさんは雲上の人だったとして、つかさは… ライバルだった、長いこと。 生粋のお姉ちゃんっ子だったもんね。
 ああいう、ストレートに感情表現出来て、気軽に甘えられる立場って… 鬱陶しいって思うより、むしろ憧れだった」

つかさ。 恨みがあるわけじゃ断じてないのに。 どうしても。 どうしても乗り越えられなかった、善意の友。
理由は既に判り切っている。 血族という、圧倒的なかがみへの近さ。 …何ともアホらしい悩みだけど、これが想定外の執根さ。
どんな割り切り方をしても、決して振り払えない、厳然たる嫉妬の念。 血縁感情と恋愛感情の違いなんか、厭という程判るのに。

「甘え方、知らなかったからさ。 …そりゃ、アニメで見慣れてるから、形式的にはだいたいどういうものか、ってのは分かる。
 ただね… 本当にそれでよかったのか、までは、果たして判らなかった。 ―本当は、相手にどんな感情抱かせてるのか、とか」

どうして、あんなに直接的なアクセスが出来るのか。 血縁っていうのは、どんな免罪符なんだ。
考えれば考える程に、居合わせれば居合わせる程に。 私は、混乱を重ねていく事になった。
本音を言ってしまえば、あの子と同じ大学にならなくてよかった。 あの子が近所に居なくて … あぁ何を考えてるんだ私は!

兎も角、この感情すら、何て表現すればいいのか。 由来は、私の独占欲の強さなのか。 本当に、それだけなのか。


「私が …」

対してかがみは暫く考える仕草(顎を親指と人差し指の腹で挟む)を取った後、何かに思い当たったリアクションと同時に、

「あんたの目の届かない処で、あんたに果たし切れなかった劣情を―  代わりにあの子に向けてる、とでも?」

―― 私の恐怖の、核心を突いてくれた。


「ま、まさか! かがみは勿論、つかさだって親友だよ? 疑えるわけないじゃん、というか、疑う権利なんか…」

慌てふためく余り境界が不安定になる内心を必死に宥めて、一般常識に沿った形態で少しずつ言葉を選んでいく。 が。


「なら、高校時代に私に告白してこなかったのは、どうして?」


ここで言葉が詰まる。 …本当だ、どうしてなのか? かがみを自分だけのものにしたいなら、早々に告ればそれで済んだのに。
例えば同性愛のレベルでなくとも、嫉妬感情だけでも真っ直ぐに明かせば、受け入れてくれること位はあった筈。
それ位の事は、身内以外では一番身近にかがみと接していた人間として、容易に読み取れる。 ―それなのに。


「吹っ切れなかったから、じゃないの?」


… そう、なの?

私は本当に、周りの人達の全てを把握した上で、あえて空気に流される事を『選んだのか』な?

「あんたの、独占欲の強さは知ってる。 ―逆に、どこまでも普遍的な、根っこのところでの『人間好き』な性格も。
 それを両立させる事… つかさと私、或いはみゆき。 親友の中に序列を作って、折角整った輪をフイにしたくなかった、と」

なにぶん、過去の事だから、どんな美化も正当化も成り立つ。 第三者視点から理想的な捉え方をすれば、恐らくそうなる筈。
だけど今の問題はそこ… 捉え方の問題、じゃない。 私自身の、建前の底にあったものは、何?

「特に前者に限って言えば… “私の”に、近いぐらいのものだと思う。 私も、そこに悩んでたから」

そう、私は根っからのエゴイスト。 『自分の気に触らないように、周りを宥めている』つもりだった。
そしてその片鱗は似たもの同士のかがみにも見えた(ツンデレって形で)。 …だけど、『周り』の有難味に気付いてからは。
『マイペース』っていう性格で正当化していた、数々の勘違いが明るみになって… 私は、今まで築いてきた自信を一気に失った。

それは、受験の失敗、浪人を契機に、進学っていう決定的なステップによって顕在化した。
高校までの友達の全てを失って、自分の身の周りにあるものの貧相さに気付いたとき、私は初めて『絶望』したんだ。
中学時代の只一人のオタ仲間… ゴトちゃんも、今はミュージシャン業の傍ら、同じ学校で「参照・後学の為に」勉強している。
つまり、社会に一定の地位を築いた後、私と同じ地盤に「降りてきた」。 ―自分の身を省みる切欠は、それだけでも充分だった。


「でも、あんたは、この悩みを吹っ切れるような図太さというか、精神的な等閑さを持ち併せてなかった。
 偽のラヴレターなんかを私の机に忍ばせておいた、高校最後の悪戯で、『それなりに』意志は示した、けど、それっきりだった」

 ―そしてどうやら、かがみの読みは的中しているらしい。 これはきっと、自分の枠内にありながら内からは見えなかったもの。
相方の“中身”を見た者だけが立ち入れる、第2者より近く本人より遠い、微妙な視点。 勿論親兄弟にも親友にも窺い知れない。

あの時は、受験に落ちたショックからヤケクソになって、ついに永久に追いつけない存在となった最愛の人に、
少しでも(私と同等の)惨めさを味あわせてやろう、等という、およそ人とは思えない動機で罠を張っていた。

でも、それには多分… 私の本音も、僅かにだけど、含まれてたんだと思う。
私の癖字を見抜いていたかがみは、卒業式の後、その文面が呼び出した校舎の屋上で― 【笑っていた】。 眩しそうに。


「“ド”が付く程の、へタレ。どっちつかず。 ― つまりは、『優しい』」


『本当に可愛い奴』。 あの日の、続く、かがみの台詞。  …考えてみれば、あの日から、私は、かがみの虜になったんだ。

「あんたのオタク性とか、すぐ冗談めかす癖とか、『そんなもんだよ』観とか、全部はその、“弱味”を覆い隠す為のもの」

只、別れてしまうのが、こんなに辛い事だとは思いもよらず。 同時に、自分がしてこなかった事の重要性に、胸を抉られた。
家族の出迎えを受け、愛する妹―つかさと笑い合うかがみを見送った後、私は全ての歓迎や申し出を断り、一人家路についた。

「一時期までの… あんたと出会うまでの私とそっくり。 だから、よく分かるの。 …結局、それだけで優しくはなれなかった。
 実はそれが、この世にヒキオタが流行る原因でもあるんだけどね。 “関係”の全ては、人を貶める為に在る、って妄想」

真っ赤な夕日が、世界を染め上げる。 その只中を、私は影を引き摺りながら黙々と歩いた。 ―下瞼に、涙を浮かべて。
最初から最後まで嘘で固めた3年間を、たった一つ残った真実を投げ捨てる事で、私は完結させたんだ、と。
表沙汰だけの繋がりと、斜に構え続けた態度で、自分の全てを偽って見せた… そういう、自己満足感だけで塗り固めたんだ、と。

「マニュアル通りの自己主張をしても、どうせ穴を突かれて批判されて、傷つく。
 だったら、せめて楽しい事で身辺を固めて、この世に生きる痛みを少しでも視野の外に追い遣ろう。 …アル中と、同じ理論よ」

それが自分の中の理想だったんなら、それで充分。 他人を踏み台にして自分の地位を保てるんなら、それで言うことなしだった。
― だけど、だとしたら、この涙は何なのか。

「つまりそれじゃあ、結果的に損をする。 人として、生まれた意義を果たしてない事になる」

やりきれない思いがあった証じゃないのか。 もう二度と巡ってこない、最後の機会を逃した事への、後悔じゃないのか。

「生きるって事は、『衝突すること』。 そしてその中でも『赦されて在ること』。 …御駕籠沢の卒論に書いてあったわ。
 それは矛盾じゃなくて、結果的に同じこと。 隣人と衝突し合わなきゃ、人は生きていけない。だからこそ、隣人を大切にする。
 誰も、一人じゃ生きてられないんだからね? その為にあんたも、周りの友達を手放さないようにって、必死だったでしょ?」

そこに考えが至った途端、私の涙腺は崩壊した。 家までの道中、世間体も憚らず声を挙げながら、よろよろと路を下った。
高校時代、流し損ねた涙の全てを、路上のコンクリにぶちまけた。 ― とうとう、一人になった。 その恐怖に、只々震えた。

「それでいいのよ。 結局、明日は無条件にやって来る訳じゃないんだからね。 今みたいな立場なら、それは尚更。
 自分達の意志で掴まなきゃならない。 それには、後先なんか考えてる暇はない。 目の前の課題を、確実にこなしていくだけ。

 私との縁だって。 同じように、“在るように”育てていってくれればいいのよ。 つまりは、あんたの、思うように」

そんな哀れな身に、どうしてわざわざ付き合ってくれるのか。 今になって、これだけ執着してくれるのか。
大学まで押しかけ、ストーカー気質に自分に纏わりつくこの青いのに、どうして殺虫剤を吹きかけないのか。

その直接的な回答を、私は少なくとも、その行為からしか聞いてない。


「でも、それじゃぁ…」


―と。 紫色の光が、何ともいえないシャープな形状を宙に描く。 さながら、アヤメみたいに。

かがみの意志は、どうなるんだろ。 私は、どうすればいいんだろう。




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