「日下月陰 ~ヒノシタノ ツキノカゲデ~」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
「日下月陰 ~ヒノシタノ ツキノカゲデ~」(2014/09/15 (月) 02:48:27) の最新版変更点
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『 日下月陰 ~ヒノシタノ ツキノカゲデ~ 』
――その場所は、海のすぐ、近くにあった。
「こんな遠くまで、来ちゃったねー…」
地面に腰を下ろしていた青い髪のその少女は、遠く見える水平線を眺めたあと、隣に立ったままの私に向けて、嬉しそうにそう微笑みかけた。
「ホント。…長旅になるのは覚悟はしてたけど、ここまでとは正直、思わなかったわ」
そんな彼女に向けて、私は顔に苦笑いを浮かべる。
周囲にぐるりと視線を巡らせてみると、瞳に映るその景色が、改めて自分達がどれほどの距離を旅して、ここまで来たのかを思い出させてくれた。
山も、木も、海も、空気も。すべてが記憶に馴染まない。遠い異国に来てしまったんだと、心に覚えた小さな不安を、ただ一つ故郷と同じ夏色の空が、柔らかく包むように癒してくれているようだった。
二人が今いる場所は、海岸からすこし丘を登った場所に在り、背の低い沢山の草達が、日の光の力を借りて、夏色の絨毯を丘いっぱいに広げている。二人は、その絨毯の真ん中にポツリとある、大きな白い岩を背にして、じっと水平線の上の、空の向こうに広がる景色を眺めていた。
「疲れちゃった?」
小さな小さなその少女が、私に向かって今更のようにそう尋ねる。
「ん、まぁ少しわね」
私は彼女に視線を移すと、腰に手を当てて背筋を伸ばし、軽く屈伸をし始めたのを見て、それには同感と言った様子で少女も軽く頷いた。
「……でもさぁ」
と、少女が私を見上げた。
「でも……今日を逃すと、次に見られるのは、だいぶ先になるらしいし」
うん、と頷くと、私は視線を空へと移した。
視線の先にある、知らない街の南東の空には、いつもと同じはずの日の光が、朝から昼の色へと変わろうとしていた。
眩しさから、額に手を当てて瞳に影を作り目を細める。 少女も、それに倣って同じように空を見上げた。
「……もうすぐだね」
「……うん。もうすぐ」
そう、もうすぐだ。
あと一刻もしない間に、いつも見慣れた夏の空は、私達の前で一変する。
それは、太陽と月が、重なる瞬間。
真昼が夜に、変わる一瞬。
数十年に一度、奇跡のようなその時間。
「……皆既日食、かぁ」
その時を、共に過ごす、その為に。
私達二人は、ここに来た。
「でも――」
そう言いかけて私の唇はぴたりと止まる。
隣で座っている彼女があまりにも真剣に空を眺めているその光景が、なんだか少し可笑しかったのだ。
私は思わずくすりと口元に笑みが浮かべた。
「でも、こなたがこういうのに興味が在ったなんて知らなかったなぁ」
こなたは、食い入るように見つめていた南東の空から視線を外す。なぜか自分を見ながらくすくすと笑うか私の様子を見て不思議そうに首をかしげると、あぁ、と頷いた。
「日食とか、天体観測とか。別に興味があるわけじゃないよ」
「えぇ!?」
こなたの発言に、私は眉を潜めた。
――皆既日食を見に行こうっ!
と、5月の中頃、突然前ふりも無しにそんなことを言ってきたのはこなたの方からだった。
いつも脊髄反射的に計画を持ち出して来るこなたの性格にはだいぶ慣れていたつもりだったけど、流石にそんな提案には耳を疑うほどに困惑した。
もともとインドア派だというのもそうだけど、何よりとても暑がりな彼女は、夏に外出したがらない。
出て行くのも日中は避け夜や夕方。日中出かけるとしたらプールとか、クーラーが良くきいた涼しい場所。唯一、自分の趣味の事に関してだけ、日中に出かける事もあったが、それでも目的が完遂すると花が萎れていくように、とたんにぐったり元気を失い折れてしまう。
皆既日食を見に行こうという目的もなんだか彼女に似合わない。
今までの付き合いの中で、こなたの口から天体観測に興味があるなんて話が一度も出た事がないからだ。
確かに今回の日食は世間ではかなり騒がれてはいるが、そもそもこなたはミーハーではない。新しいものは確かに欲しがったりはするけれど、それは単なる物欲で、彼女は自分が興味のある、彼女が認めたものでなければその触手を動かさない。
つまり、世論でどんなに騒がれていようと、それが興味を示すものでない限り、彼女はまったく影響を受けたりはしないのだ。
でも、そんな私の思考とは他所に、こなたは思い立ったその日から、どんどん計画を進めて行った。
今日、ここに至るまでの旅行プランを決めたのは、ほとんどすべてこなた一人だ。
私はこなたの隣で、ただただ驚いて相槌を打っていただけで、そんなこなたの意外なやる気に、知らなかったけど、よっぽど興味があったんだなぁ、と考えを改めていたと言うのに。
あっけらかんと「興味はない」と言った彼女の発言に私は激しく困惑する。
私の心中を察してか、こなたは、そうだねぇ、と思い出すようなそぶりを見せると、
「たぶん……かがみが居なかったら、こんな風に旅行までして日食なんて見に来なかったよ」
「うん? 私、見たいって言ったっけ?」
「もう……鈍感だなぁ」
こなたは一つ、ため息をつく。
「――かがみともし出会わなかったら、日食なんて全然意味を持たなかったと思うんだぁ」
こなたは嬉しそうに、私の顔に笑顔を向けた。
「意味をくれたのは、かがみだよ。……私がかがみと出会えたから。かがみを好きになれたから。……かがみと一緒に見てみたいって、どうしようもなくそう思えたんだ」
私は目をキョトンと丸くする。
やがて、こなたの言っている意味を理解しだした私の顔は、熱を帯びたようにじわじわと赤くなる。
こなたはまるで悪戯が成功した子供のような顔でくすくす笑いながら見上げた。
「ふふふっ、かがみんどうしたの? 顔、真っ赤だよ?」
「……ばぁーか、アンタよくもそんな恥かしいこと真顔で言えるわね」
ふんっ、と、機嫌を損ねたようにそっぽを向くのは、不覚にも赤面してしまった顔を隠すためだった。こなたはその顔を追うように首を伸ばすが、やらせない。すぐその企みに気付いた私は、さらに向こうへとその首を向けた。
このままじゃ一回転して戻ってきちゃうよ? と、可笑しそうに茶化すこなたにジト目で振り向いた私は、はぁ、と大きめなため息を付くと、
「お?」
――ストン、とこなたのすぐ隣に腰を下ろした。
「おかえり、かがみん♪」
「うっさい、ばぁか」
ニヤニヤと笑う少女に、呆れ顔でそう悪態を付いた私は、――でも、とこなたを見つめ微笑む。
「でもね、こなた。私も嬉しかったの。……こなたと二人っきりで旅行だなんて初めてのことだから。誘ってくれて、凄く……凄く嬉しかった」
たぶんこれが私の本心なんだな。
実は私も日食自体にあまり興味は持てなかった。
見てみたいなぁ、とは軽い気持ちで思っていたけど、特別、現地まで行って見てみたい、なんて事は旅行が決まってから今までもずっと、一度たりとも思ったことはなかった。
重要なのは、こなたがいること。
こなたが、ここにいてくれること。
それだけが、一番何よりも、私を幸せにしてくれることだって知っていた。
だから、
「ありがとう、こなた。私も……こなたと一緒に見たいな」
私は右手を、こなたの左手にそっと重ねる。
上からきゅっと優しく握ってあげると、今度はこなたの顔が夕日を浴びたみたいに赤く染まった。
「か、かがみこそ、恥ずかしいこと……」
俯くこなたに、澄ました表情の私は囁く。
「誰かさんの影響ねぇ」
「……誰かさんって誰? きっと私の知らない人だね」
いつものペースを取り戻そうと、そう意地悪な笑みを作るこなた。
私はにやりと微笑んで、
「ふふ、そうねぇ。私の傍に、いつも一番近くに居てくれる、そんな私の一番大切な人よ?」
「……そうなんだぁ、それは……」
「それは?」
「……嫉妬しちゃうかも」
「でしょ? ふふふっ」
私がそう笑うのに合わせて、こなたも噛み殺していた笑みを花のように広げて笑った。
夏の潮風が、陽光の下の草原に波のあとを残しながら吹き抜けて、二人の火照った顔を、程よい朱の色にまで冷ましてくれる。
こなたは気持ちよさそうに正面からの風を受けると、隣に座る私の肩に、そっと頬を寄せた。
軽く預けられる彼女の重み。
くっついた肌に広がる火照った彼女の体温と、僅かに香る甘い匂いが、私のそれとひとつに溶ける。
私が、空いていた左手でこなたの頭をそっと撫でてやると、気持ちよさそうに瞳を細める彼女の顔が、私の瞳に映って見えた。
「……安心した」
そう、こなたが小さく囁いた。
――何が? と、私が聞き返す前に、こなたの瞳が、私のそれを正面から捕らえる。
「うん、だって……。ホントは、かがみに迷惑かけたかも、とか思っちゃっててさ」
「……何がよ?」
私は今度こそ、こなたにそう聞き返した。
「ホント、今更だけどさ……日食を見に行こうだなんて言ったこと。勝手に計画を進めちゃったこと。……かがみの意見も聞かないで、自分勝手に連れ回して……迷惑だよねって心の中では思ってた」
表情を隠すように、こなたは俯く。
「でもね? かがみも私と見たいって。私と……同じ気持ちでいてくれたから」
少しだけ、繋がれていたこなたの手に、力が込めれたのを感じた。
私は握り返してあげながら、くすりと彼女に微笑んだ。
「……そのぐらい信じなさいよ、ばか。私は迷惑だなんて思わない。むしろこなたに遠慮なんてされるほうが迷惑だわ」
「うん、ごめん……」
私は、こなたに繋がっていた右手を離す。困惑して顔をあげたこなたの頭を、両手で包むように抱きしめた。わわわ、と驚いて声を上げるこなたを無視して彼女の顔を胸に埋める。
「全部、受け止めてあげるから……ね?」
「……うん」
こんなところで抱き合って、少し気恥ずかしいけど、たまにはこうやって二人で確かめ合うのも悪くない。
私がこなたをどれだけ愛してるかってこと。
こなたが、私を愛してくれていること。
顔を埋める彼女にも、私が今、感じるものと同じものが、とくん、とくん、と穏やかに響く音色となって、きっと伝わっていると信じている。
「ねぇ、かがみ……」
胸の辺りでもぞりと動く感触に、私は腕の力を僅かに緩める。
「うん? なぁに?」
聞き返した私の瞳に、見上げる彼女の瞳が映りこんだ。
彼女のその柔らかなくちびるが、緩やかに動いて言葉を作る。
「…ス、……いい?」
「え?」
聞こえるか聞こえない位の声量で。小さく囁かれたその言葉。
「……するよ」
私の確認も待たずに、彼女は、身を乗り出した。
潤んだ瞳が私の瞳を真っ直ぐに捕らえ、彼女の両手は私の頬に当てられる。そして、半分開かれた彼女の小さな唇が、私のそれに、徐々に……
「――てぇ! だ、ちょっと、待っ!!」
あと数センチでなんらかの事故が起こりそうな距離で、こなたの動きはぴたりと止まる。
瞳を潤ませたまま、息さえ届くこの距離で、こなたは甘えるような声色で囁く。
「キス……だけだから、ね?」
「な、なんで!」
「したくなったから。だめ?」
「――し、したくって。」
「遠慮するなっていったじゃん」
「そ、そうだけど時と場合が――」
「全部受け止めてくれるとも言った。……アレは嘘だったのかなぁ……」
「うぐぅ、でも……」
私は困惑したように周囲を見渡した。
「人が少ないところ選んだって言っても、一応、二人っきりってわけじゃないし……」
旅行は二人きりで来ていたけど、今、この場所にはそれなりに人の気配が感じられた。
それぞれは浮島のように転々と離れているけど、それでもやはり目の届く距離にはいる。
旅館の人に空が良く見える隠れたスポットだって教えらて来たのだけれど、同じ目的で来た人達にはそれなりに知られた場所だったらしい。
私達の今いる場所は、岩の陰になっているので丘の上からは見えないが、下からこちらを見上げてしまうと、モロではないけど、それなりに何をやっているのか見られてしまう。
「抱き合ってる状態で、ホント今更って気もするんだけど」
「う、うるさい。恥かしいけどアンタのために我慢したのよ」
「じゃあもう一声♪」
「ダメ、ダメよ。……見られちゃう」
至近距離の恥かしさから、私はふいと視線を逸らす。
ずっとこなたの顔を見つめていたら、つい、うん、と首を立てに振ってしまいそうだった。
ダメ、絶対ダメ、と心の中で何度も唱えている私に、こなたはくすりと微笑んだ。
「大丈夫、みんな皆既日食のほうに夢中じゃん。空を見上げてるから、私達のことなんて見てないよ」
こなたが体を起こして周囲を指差ししながら私に言う。 私もこなたの指す方角にいた一組の家族連れを見つけると、彼らが見上げる夏空を改めて仰いだ。
太陽は、もう高い位置にある。
今の時刻を見てみないと正確な時間は分からないけど、たぶんあと少しの時間で、あの眩しい太陽は月に隠れる。
「太陽もね……」
こなたが私の視線の先に割って入る。
「太陽も、月が邪魔してるから私達の姿は見えていない」
太陽を背にした彼女の姿は、その輪郭だけを白く輝かせて、影が差したその表情は、薄く笑っているようにも、真剣に私の瞳を見つめているようにも私には見えた。
「……いやよ」
と、私はこなたに、無表情のままそう答える。
「どうして?」
私の表情の変化に、深い拒絶の意思を感じ取ったのか、こなたの影はよりいっそう深くなる。
私は、仰向けになったまま、片腕を上げると、こなたの顔の横を通り過ぎ、空の太陽の近くを指した。
こなたは不思議そうに後ろを振り向く。
私はその横顔に向けてそっと囁いた。
「だって……月が……見てるじゃない」
彼女の耳のすぐ横に、顔を起こして近づけて。
外に漏れないくらいの声量で、私は彼女にそう言った。 こなたは驚いたような顔で、私にゆっくりと振り返る。 私は視線を合わせないように横に逸らす。
視線の端で、こなたがにこりと笑っていた。
「月は、きっと太陽が眩しくて目を瞑っちゃてる」
「……じゃあ星は?」
私は目を伏せたまま、何も見えない空を指した。
「星は今、眠る時間」
私は続けて雲を指す。
「……じゃあ――」
「――ねぇ、かがみ」
こなたが、優しい声のトーンで私の言葉を遮った。
「……今、この時だけなんだよ?」
そう言って、
「太陽が隠れるその瞬間だけ、かがみのことを見ているのは、世界で私一人しかいないんだ。だから……」
声と同じ優しい表情で、こなたは私に、微笑んだ
「こなた……」
「かがみ……」
空を指していた私の手が、そのままゆっくりと下りて、こなたの首筋にかけられた。
私の腕の重みに押されるように、こなたの顔が、瞳が、その唇が、ゆっくりと私に近づいてくる。
途中、こなたは瞳は閉じる。
私も、同じように瞳を閉じた。
まぶたの影越しに、こなたの呼吸が、体温が、私の敏感な唇を、包むように優しく触れる。
そして、
――ぷっ
『――ふふっ、あはははははははっ!』
二人の声が重なった。
「――あははははは…っ、かがみー?」
「ふふ、だぁってぇ! 臭くってさぁ。あのこなたが、あんなっ…あはは……っ」
「あはは、かがみこそ。『月が見てる』なんて、何処で覚えてきたんだよ。ぷふふっ」
「はぁー、はぁー…だって、こなたが『太陽は見ていない』なんてっ、ふふ、言うからぁっ!」
「もぉー、せっかく我慢していいムード作ったのに台無しじゃん」
「あはは、ごめんごめん。でもこなたこそ。ふふ…」
私に覆いかぶさっていたこなたは、お腹を押さえながら地面に寝転がる。私もこなたと同じように腕を広げ、大の字で寝転がりながら、二人で空に向けて、声を上げて笑い合った。
「でも、こっちのほうが私達らしいんじゃない?」
「……ふふ、そうだね。このほうが私達らしい、ね」
二人で見詰め合って、そうして、悪巧みが成功した子供のように、二人で笑い合う私達。
――と、無邪気に微笑むこなたの顔に、暗い影が差した。
顔だけじゃない、その周りの草原も、森も、海も、空も、何か得体も知れない黒い霧のようなものに、その身をゆっくりと覆われていくみたいに影が差していった。
周囲から、おぉっ、と上がる誰かしらの歓声。
「あ、見てかがみ。太陽が」
上半身だけ起き上がらせた、こなたの指が空を指した。
「……隠れる」
指の先にある太陽がその大きさを変える。
空は次第に藍へと変わり、昼間、太陽に雲が差したのとは違う本物の闇が、あたり一面に影を落とした。
空に浮かんだ白い雲は、灰の色をした彫刻のように変わり、遠い水平線から、空が私に近づくにつれ、光を奪われていくように、周りは暗く、色彩は奪われていった
慌てて私達は近くに置いてあった日食グラスをかけると、眼前に広がっていた世界は深い闇色の染められて、太陽だけぽつんと白い月のような影を残していた。
目に見える程度の速度で、ゆっくりと端からかけていくそれは、月の満ち欠けにもよく似ている。
丸い太陽が燃える光輪だけを空に残して、その姿を私達から隠していく。
最後の光の粒の一滴が、完全に隠れたのを見計らって、グラスを顔から外すと、そこはもう夏の夜のように変わっていた。
すぐ隣で動くこなたの影に私は這い寄ると、腕を抱き寄せて肩を預けた。
太陽と色彩と一緒に、温もりまでも失ったような世界の中で、寄り添うこなたの存在だけが、私の心に温かさをくれている。
確認するように、強く彼女を抱き締めると、こなたも答えるように、私の手を強く握り返してくれた。
「ねぇ、かがみ」
「なぁに?」
耳元で、彼女は静かに囁く。
私はくすぐったそうに目を細め、彼女の言葉に耳を傾けた。
「今、かがみを見ているのは世界でただ一人だよ」
こなたが、微笑む気配を感じた。
「……そうね。じゃあ、こなたのことを見ているのも、世界でただ一人だけね」
向かい合って、お互いを見つめ合う私達。
彼女のシルエットが、躊躇うようにゆっくりと近づいていくのが分かった。
私は、彼女の腕をそっと引く。
「……いいの?」
「……早くしないと、終わっちゃうわよ?」
「じゃあ……かがみ……」
こなたの僅かに震える手が、私の頬に当てられる。
私は静かに瞳を閉じた。
『ん……』
草原に浮かんだ二人分のシルエットは、いつの間にか一つの大きな影に変わっていた。
その影も、やがて、地面に倒れて消える。
太陽の下の、月の陰で、
星さえ眠る、この一瞬。
――世界は、私達二人を、見失った。
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- 最後の一文がスゴく良かった -- 名無しさん (2010-05-15 01:00:54)
- 神秘的な話っすね。皆既日食を使うとはすごいッス。私も就活中に日食に遭遇したから。 -- アーマードコア (2009-08-04 11:48:57)
- 素敵で美しい話ですね &br()GJ -- 紫電 (2009-07-30 21:59:19)
- す、素晴らしい!! -- 名無しさん (2009-07-27 07:51:39)
- すごいっ…!! -- 名無しさん (2009-07-25 08:51:44)
- おぉ、22日のアレか・・・。 -- 名無しさん (2009-07-24 13:51:55)
- 素敵だ………素敵な話だぴょん! -- 名無し (2009-07-24 09:55:49)
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#vote3(19)
『 日下月陰 ~ヒノシタノ ツキノカゲデ~ 』
――その場所は、海のすぐ、近くにあった。
「こんな遠くまで、来ちゃったねー…」
地面に腰を下ろしていた青い髪のその少女は、遠く見える水平線を眺めたあと、隣に立ったままの私に向けて、嬉しそうにそう微笑みかけた。
「ホント。…長旅になるのは覚悟はしてたけど、ここまでとは正直、思わなかったわ」
そんな彼女に向けて、私は顔に苦笑いを浮かべる。
周囲にぐるりと視線を巡らせてみると、瞳に映るその景色が、改めて自分達がどれほどの距離を旅して、ここまで来たのかを思い出させてくれた。
山も、木も、海も、空気も。すべてが記憶に馴染まない。遠い異国に来てしまったんだと、心に覚えた小さな不安を、ただ一つ故郷と同じ夏色の空が、柔らかく包むように癒してくれているようだった。
二人が今いる場所は、海岸からすこし丘を登った場所に在り、背の低い沢山の草達が、日の光の力を借りて、夏色の絨毯を丘いっぱいに広げている。二人は、その絨毯の真ん中にポツリとある、大きな白い岩を背にして、じっと水平線の上の、空の向こうに広がる景色を眺めていた。
「疲れちゃった?」
小さな小さなその少女が、私に向かって今更のようにそう尋ねる。
「ん、まぁ少しわね」
私は彼女に視線を移すと、腰に手を当てて背筋を伸ばし、軽く屈伸をし始めたのを見て、それには同感と言った様子で少女も軽く頷いた。
「……でもさぁ」
と、少女が私を見上げた。
「でも……今日を逃すと、次に見られるのは、だいぶ先になるらしいし」
うん、と頷くと、私は視線を空へと移した。
視線の先にある、知らない街の南東の空には、いつもと同じはずの日の光が、朝から昼の色へと変わろうとしていた。
眩しさから、額に手を当てて瞳に影を作り目を細める。 少女も、それに倣って同じように空を見上げた。
「……もうすぐだね」
「……うん。もうすぐ」
そう、もうすぐだ。
あと一刻もしない間に、いつも見慣れた夏の空は、私達の前で一変する。
それは、太陽と月が、重なる瞬間。
真昼が夜に、変わる一瞬。
数十年に一度、奇跡のようなその時間。
「……皆既日食、かぁ」
その時を、共に過ごす、その為に。
私達二人は、ここに来た。
「でも――」
そう言いかけて私の唇はぴたりと止まる。
隣で座っている彼女があまりにも真剣に空を眺めているその光景が、なんだか少し可笑しかったのだ。
私は思わずくすりと口元に笑みが浮かべた。
「でも、こなたがこういうのに興味が在ったなんて知らなかったなぁ」
こなたは、食い入るように見つめていた南東の空から視線を外す。なぜか自分を見ながらくすくすと笑うか私の様子を見て不思議そうに首をかしげると、あぁ、と頷いた。
「日食とか、天体観測とか。別に興味があるわけじゃないよ」
「えぇ!?」
こなたの発言に、私は眉を潜めた。
――皆既日食を見に行こうっ!
と、5月の中頃、突然前ふりも無しにそんなことを言ってきたのはこなたの方からだった。
いつも脊髄反射的に計画を持ち出して来るこなたの性格にはだいぶ慣れていたつもりだったけど、流石にそんな提案には耳を疑うほどに困惑した。
もともとインドア派だというのもそうだけど、何よりとても暑がりな彼女は、夏に外出したがらない。
出て行くのも日中は避け夜や夕方。日中出かけるとしたらプールとか、クーラーが良くきいた涼しい場所。唯一、自分の趣味の事に関してだけ、日中に出かける事もあったが、それでも目的が完遂すると花が萎れていくように、とたんにぐったり元気を失い折れてしまう。
皆既日食を見に行こうという目的もなんだか彼女に似合わない。
今までの付き合いの中で、こなたの口から天体観測に興味があるなんて話が一度も出た事がないからだ。
確かに今回の日食は世間ではかなり騒がれてはいるが、そもそもこなたはミーハーではない。新しいものは確かに欲しがったりはするけれど、それは単なる物欲で、彼女は自分が興味のある、彼女が認めたものでなければその触手を動かさない。
つまり、世論でどんなに騒がれていようと、それが興味を示すものでない限り、彼女はまったく影響を受けたりはしないのだ。
でも、そんな私の思考とは他所に、こなたは思い立ったその日から、どんどん計画を進めて行った。
今日、ここに至るまでの旅行プランを決めたのは、ほとんどすべてこなた一人だ。
私はこなたの隣で、ただただ驚いて相槌を打っていただけで、そんなこなたの意外なやる気に、知らなかったけど、よっぽど興味があったんだなぁ、と考えを改めていたと言うのに。
あっけらかんと「興味はない」と言った彼女の発言に私は激しく困惑する。
私の心中を察してか、こなたは、そうだねぇ、と思い出すようなそぶりを見せると、
「たぶん……かがみが居なかったら、こんな風に旅行までして日食なんて見に来なかったよ」
「うん? 私、見たいって言ったっけ?」
「もう……鈍感だなぁ」
こなたは一つ、ため息をつく。
「――かがみともし出会わなかったら、日食なんて全然意味を持たなかったと思うんだぁ」
こなたは嬉しそうに、私の顔に笑顔を向けた。
「意味をくれたのは、かがみだよ。……私がかがみと出会えたから。かがみを好きになれたから。……かがみと一緒に見てみたいって、どうしようもなくそう思えたんだ」
私は目をキョトンと丸くする。
やがて、こなたの言っている意味を理解しだした私の顔は、熱を帯びたようにじわじわと赤くなる。
こなたはまるで悪戯が成功した子供のような顔でくすくす笑いながら見上げた。
「ふふふっ、かがみんどうしたの? 顔、真っ赤だよ?」
「……ばぁーか、アンタよくもそんな恥かしいこと真顔で言えるわね」
ふんっ、と、機嫌を損ねたようにそっぽを向くのは、不覚にも赤面してしまった顔を隠すためだった。こなたはその顔を追うように首を伸ばすが、やらせない。すぐその企みに気付いた私は、さらに向こうへとその首を向けた。
このままじゃ一回転して戻ってきちゃうよ? と、可笑しそうに茶化すこなたにジト目で振り向いた私は、はぁ、と大きめなため息を付くと、
「お?」
――ストン、とこなたのすぐ隣に腰を下ろした。
「おかえり、かがみん♪」
「うっさい、ばぁか」
ニヤニヤと笑う少女に、呆れ顔でそう悪態を付いた私は、――でも、とこなたを見つめ微笑む。
「でもね、こなた。私も嬉しかったの。……こなたと二人っきりで旅行だなんて初めてのことだから。誘ってくれて、凄く……凄く嬉しかった」
たぶんこれが私の本心なんだな。
実は私も日食自体にあまり興味は持てなかった。
見てみたいなぁ、とは軽い気持ちで思っていたけど、特別、現地まで行って見てみたい、なんて事は旅行が決まってから今までもずっと、一度たりとも思ったことはなかった。
重要なのは、こなたがいること。
こなたが、ここにいてくれること。
それだけが、一番何よりも、私を幸せにしてくれることだって知っていた。
だから、
「ありがとう、こなた。私も……こなたと一緒に見たいな」
私は右手を、こなたの左手にそっと重ねる。
上からきゅっと優しく握ってあげると、今度はこなたの顔が夕日を浴びたみたいに赤く染まった。
「か、かがみこそ、恥ずかしいこと……」
俯くこなたに、澄ました表情の私は囁く。
「誰かさんの影響ねぇ」
「……誰かさんって誰? きっと私の知らない人だね」
いつものペースを取り戻そうと、そう意地悪な笑みを作るこなた。
私はにやりと微笑んで、
「ふふ、そうねぇ。私の傍に、いつも一番近くに居てくれる、そんな私の一番大切な人よ?」
「……そうなんだぁ、それは……」
「それは?」
「……嫉妬しちゃうかも」
「でしょ? ふふふっ」
私がそう笑うのに合わせて、こなたも噛み殺していた笑みを花のように広げて笑った。
夏の潮風が、陽光の下の草原に波のあとを残しながら吹き抜けて、二人の火照った顔を、程よい朱の色にまで冷ましてくれる。
こなたは気持ちよさそうに正面からの風を受けると、隣に座る私の肩に、そっと頬を寄せた。
軽く預けられる彼女の重み。
くっついた肌に広がる火照った彼女の体温と、僅かに香る甘い匂いが、私のそれとひとつに溶ける。
私が、空いていた左手でこなたの頭をそっと撫でてやると、気持ちよさそうに瞳を細める彼女の顔が、私の瞳に映って見えた。
「……安心した」
そう、こなたが小さく囁いた。
――何が? と、私が聞き返す前に、こなたの瞳が、私のそれを正面から捕らえる。
「うん、だって……。ホントは、かがみに迷惑かけたかも、とか思っちゃっててさ」
「……何がよ?」
私は今度こそ、こなたにそう聞き返した。
「ホント、今更だけどさ……日食を見に行こうだなんて言ったこと。勝手に計画を進めちゃったこと。……かがみの意見も聞かないで、自分勝手に連れ回して……迷惑だよねって心の中では思ってた」
表情を隠すように、こなたは俯く。
「でもね? かがみも私と見たいって。私と……同じ気持ちでいてくれたから」
少しだけ、繋がれていたこなたの手に、力が込めれたのを感じた。
私は握り返してあげながら、くすりと彼女に微笑んだ。
「……そのぐらい信じなさいよ、ばか。私は迷惑だなんて思わない。むしろこなたに遠慮なんてされるほうが迷惑だわ」
「うん、ごめん……」
私は、こなたに繋がっていた右手を離す。困惑して顔をあげたこなたの頭を、両手で包むように抱きしめた。わわわ、と驚いて声を上げるこなたを無視して彼女の顔を胸に埋める。
「全部、受け止めてあげるから……ね?」
「……うん」
こんなところで抱き合って、少し気恥ずかしいけど、たまにはこうやって二人で確かめ合うのも悪くない。
私がこなたをどれだけ愛してるかってこと。
こなたが、私を愛してくれていること。
顔を埋める彼女にも、私が今、感じるものと同じものが、とくん、とくん、と穏やかに響く音色となって、きっと伝わっていると信じている。
「ねぇ、かがみ……」
胸の辺りでもぞりと動く感触に、私は腕の力を僅かに緩める。
「うん? なぁに?」
聞き返した私の瞳に、見上げる彼女の瞳が映りこんだ。
彼女のその柔らかなくちびるが、緩やかに動いて言葉を作る。
「…ス、……いい?」
「え?」
聞こえるか聞こえない位の声量で。小さく囁かれたその言葉。
「……するよ」
私の確認も待たずに、彼女は、身を乗り出した。
潤んだ瞳が私の瞳を真っ直ぐに捕らえ、彼女の両手は私の頬に当てられる。そして、半分開かれた彼女の小さな唇が、私のそれに、徐々に……
「――てぇ! だ、ちょっと、待っ!!」
あと数センチでなんらかの事故が起こりそうな距離で、こなたの動きはぴたりと止まる。
瞳を潤ませたまま、息さえ届くこの距離で、こなたは甘えるような声色で囁く。
「キス……だけだから、ね?」
「な、なんで!」
「したくなったから。だめ?」
「――し、したくって。」
「遠慮するなっていったじゃん」
「そ、そうだけど時と場合が――」
「全部受け止めてくれるとも言った。……アレは嘘だったのかなぁ……」
「うぐぅ、でも……」
私は困惑したように周囲を見渡した。
「人が少ないところ選んだって言っても、一応、二人っきりってわけじゃないし……」
旅行は二人きりで来ていたけど、今、この場所にはそれなりに人の気配が感じられた。
それぞれは浮島のように転々と離れているけど、それでもやはり目の届く距離にはいる。
旅館の人に空が良く見える隠れたスポットだって教えらて来たのだけれど、同じ目的で来た人達にはそれなりに知られた場所だったらしい。
私達の今いる場所は、岩の陰になっているので丘の上からは見えないが、下からこちらを見上げてしまうと、モロではないけど、それなりに何をやっているのか見られてしまう。
「抱き合ってる状態で、ホント今更って気もするんだけど」
「う、うるさい。恥かしいけどアンタのために我慢したのよ」
「じゃあもう一声♪」
「ダメ、ダメよ。……見られちゃう」
至近距離の恥かしさから、私はふいと視線を逸らす。
ずっとこなたの顔を見つめていたら、つい、うん、と首を立てに振ってしまいそうだった。
ダメ、絶対ダメ、と心の中で何度も唱えている私に、こなたはくすりと微笑んだ。
「大丈夫、みんな皆既日食のほうに夢中じゃん。空を見上げてるから、私達のことなんて見てないよ」
こなたが体を起こして周囲を指差ししながら私に言う。 私もこなたの指す方角にいた一組の家族連れを見つけると、彼らが見上げる夏空を改めて仰いだ。
太陽は、もう高い位置にある。
今の時刻を見てみないと正確な時間は分からないけど、たぶんあと少しの時間で、あの眩しい太陽は月に隠れる。
「太陽もね……」
こなたが私の視線の先に割って入る。
「太陽も、月が邪魔してるから私達の姿は見えていない」
太陽を背にした彼女の姿は、その輪郭だけを白く輝かせて、影が差したその表情は、薄く笑っているようにも、真剣に私の瞳を見つめているようにも私には見えた。
「……いやよ」
と、私はこなたに、無表情のままそう答える。
「どうして?」
私の表情の変化に、深い拒絶の意思を感じ取ったのか、こなたの影はよりいっそう深くなる。
私は、仰向けになったまま、片腕を上げると、こなたの顔の横を通り過ぎ、空の太陽の近くを指した。
こなたは不思議そうに後ろを振り向く。
私はその横顔に向けてそっと囁いた。
「だって……月が……見てるじゃない」
彼女の耳のすぐ横に、顔を起こして近づけて。
外に漏れないくらいの声量で、私は彼女にそう言った。 こなたは驚いたような顔で、私にゆっくりと振り返る。 私は視線を合わせないように横に逸らす。
視線の端で、こなたがにこりと笑っていた。
「月は、きっと太陽が眩しくて目を瞑っちゃてる」
「……じゃあ星は?」
私は目を伏せたまま、何も見えない空を指した。
「星は今、眠る時間」
私は続けて雲を指す。
「……じゃあ――」
「――ねぇ、かがみ」
こなたが、優しい声のトーンで私の言葉を遮った。
「……今、この時だけなんだよ?」
そう言って、
「太陽が隠れるその瞬間だけ、かがみのことを見ているのは、世界で私一人しかいないんだ。だから……」
声と同じ優しい表情で、こなたは私に、微笑んだ
「こなた……」
「かがみ……」
空を指していた私の手が、そのままゆっくりと下りて、こなたの首筋にかけられた。
私の腕の重みに押されるように、こなたの顔が、瞳が、その唇が、ゆっくりと私に近づいてくる。
途中、こなたは瞳は閉じる。
私も、同じように瞳を閉じた。
まぶたの影越しに、こなたの呼吸が、体温が、私の敏感な唇を、包むように優しく触れる。
そして、
――ぷっ
『――ふふっ、あはははははははっ!』
二人の声が重なった。
「――あははははは…っ、かがみー?」
「ふふ、だぁってぇ! 臭くってさぁ。あのこなたが、あんなっ…あはは……っ」
「あはは、かがみこそ。『月が見てる』なんて、何処で覚えてきたんだよ。ぷふふっ」
「はぁー、はぁー…だって、こなたが『太陽は見ていない』なんてっ、ふふ、言うからぁっ!」
「もぉー、せっかく我慢していいムード作ったのに台無しじゃん」
「あはは、ごめんごめん。でもこなたこそ。ふふ…」
私に覆いかぶさっていたこなたは、お腹を押さえながら地面に寝転がる。私もこなたと同じように腕を広げ、大の字で寝転がりながら、二人で空に向けて、声を上げて笑い合った。
「でも、こっちのほうが私達らしいんじゃない?」
「……ふふ、そうだね。このほうが私達らしい、ね」
二人で見詰め合って、そうして、悪巧みが成功した子供のように、二人で笑い合う私達。
――と、無邪気に微笑むこなたの顔に、暗い影が差した。
顔だけじゃない、その周りの草原も、森も、海も、空も、何か得体も知れない黒い霧のようなものに、その身をゆっくりと覆われていくみたいに影が差していった。
周囲から、おぉっ、と上がる誰かしらの歓声。
「あ、見てかがみ。太陽が」
上半身だけ起き上がらせた、こなたの指が空を指した。
「……隠れる」
指の先にある太陽がその大きさを変える。
空は次第に藍へと変わり、昼間、太陽に雲が差したのとは違う本物の闇が、あたり一面に影を落とした。
空に浮かんだ白い雲は、灰の色をした彫刻のように変わり、遠い水平線から、空が私に近づくにつれ、光を奪われていくように、周りは暗く、色彩は奪われていった
慌てて私達は近くに置いてあった日食グラスをかけると、眼前に広がっていた世界は深い闇色の染められて、太陽だけぽつんと白い月のような影を残していた。
目に見える程度の速度で、ゆっくりと端からかけていくそれは、月の満ち欠けにもよく似ている。
丸い太陽が燃える光輪だけを空に残して、その姿を私達から隠していく。
最後の光の粒の一滴が、完全に隠れたのを見計らって、グラスを顔から外すと、そこはもう夏の夜のように変わっていた。
すぐ隣で動くこなたの影に私は這い寄ると、腕を抱き寄せて肩を預けた。
太陽と色彩と一緒に、温もりまでも失ったような世界の中で、寄り添うこなたの存在だけが、私の心に温かさをくれている。
確認するように、強く彼女を抱き締めると、こなたも答えるように、私の手を強く握り返してくれた。
「ねぇ、かがみ」
「なぁに?」
耳元で、彼女は静かに囁く。
私はくすぐったそうに目を細め、彼女の言葉に耳を傾けた。
「今、かがみを見ているのは世界でただ一人だよ」
こなたが、微笑む気配を感じた。
「……そうね。じゃあ、こなたのことを見ているのも、世界でただ一人だけね」
向かい合って、お互いを見つめ合う私達。
彼女のシルエットが、躊躇うようにゆっくりと近づいていくのが分かった。
私は、彼女の腕をそっと引く。
「……いいの?」
「……早くしないと、終わっちゃうわよ?」
「じゃあ……かがみ……」
こなたの僅かに震える手が、私の頬に当てられる。
私は静かに瞳を閉じた。
『ん……』
草原に浮かんだ二人分のシルエットは、いつの間にか一つの大きな影に変わっていた。
その影も、やがて、地面に倒れて消える。
太陽の下の、月の陰で、
星さえ眠る、この一瞬。
――世界は、私達二人を、見失った。
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- 綺麗な終わり方!この作品大好きです!! -- 名無しさん (2010-05-28 23:08:08)
- 最後の一文がスゴく良かった -- 名無しさん (2010-05-15 01:00:54)
- 神秘的な話っすね。皆既日食を使うとはすごいッス。私も就活中に日食に遭遇したから。 -- アーマードコア (2009-08-04 11:48:57)
- 素敵で美しい話ですね &br()GJ -- 紫電 (2009-07-30 21:59:19)
- す、素晴らしい!! -- 名無しさん (2009-07-27 07:51:39)
- すごいっ…!! -- 名無しさん (2009-07-25 08:51:44)
- おぉ、22日のアレか・・・。 -- 名無しさん (2009-07-24 13:51:55)
- 素敵だ………素敵な話だぴょん! -- 名無し (2009-07-24 09:55:49)
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