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授業風景 一限目動物学


「よくぞ、いらっしゃいました」
 まるで道に迷って困り果てた時に思いがけず人に出会ったような、そんな切羽詰まった表情で出迎えられて、【ラブレス(愛を注ぐもの)】空多川契は嫌な予感に襲われた。だが、友人宅に来てこのまま回れ右をして帰るというのもおかしな話だ。
「……突然の訪問失礼するのですよ。篭森ちゃんは御在宅で?」
 だから、出迎えた【マジックボックス(驚異的空間)】ミヒャエル・バッハに対してつとめて落ち着いた様子で受け答えをした。答えは聞かなくても分かっている。彼がこんな表情をしているということは、家主たる【イノセントカルバニア(純白髑髏)】篭森珠月の機嫌が悪いか、嫌な客が来ているかのどちらかだ。
「はい……ただお客様がいらしています」
 今回は後者らしい。ふんと契は鼻を鳴らした。
 契は友人を大事にする主義だ。それが女の子で、かつ可愛ければよりよい。そんな友人を困らせる客など、契にとっては客ではない。敵だ。
「じゃあ、ちょっとお邪魔します。おねえちゃんは篭森ちゃんと遊ぶのです」
「あ、今は行かないほうが」
 するりと扉の隙間から入り込んだ契に、ミヒャエルは慌てる。契は首を傾げた。
 篭森家は人の出入りが多い。目の前にいる居候を筆頭に、企業家から殺人鬼まで多種多様な人間が出入りし、家主である珠月や他の来客と交流する。だから遊びに来て来客に出くわすなど珍しくはないし、来客のほうも半分それを楽しみにしている面がある。だから、止められることはまずない。なのに、今日に限って止める。
「密談?」
 真っ先に思いついたのは、水面下での交渉事。だが、それならばミヒャエルがこんなにぐったりしている道理がない。密談は完全に人払いをした空間で行われる。自分が近付かないてもいい会合で気疲れする人間はいない。
「よく分からない。とにかく、見に行きます」
「ちょっ、本当にやめたほう」
 ミヒャエルの言葉を最後まで聞かずに、契は歩き出した。屋敷は広く部屋も多い。だが、慣れていれば案内などなくても、家主のいそうな場所は分かる。珠月の自室は定まった位置にあるが、珠月本人はいつも屋敷の中でその日一番気分よく過ごせる場所に移動している。
 今日はやや日光が強すぎるから、風通しのよい暗い部屋にいるはずだ。契はそう当たりをつけて一階の奥へ向かった。この屋敷は防音設備が整っているので、自分の鼓動や息の音以外はほとんど音がしない。
 だから、扉の前にさしかかるまで分からなかった。
「まったくこの程度の仕事にここまで時間がかかるなんて、この無能。役立たず。ほら、這い蹲って言い訳をしてみなさい。もっと惨めに! なんて愚かな豚なのかしら!」
 聞いてはいけない類の台詞が聞こえた。
 ゆっくりと契は歩みを止めて一枚の扉を振りかえる。そこに血相を変えたミヒャエルが追い付いてきた。
「ほら、駄目ですってば! お茶を……お茶を入れますから、別の場所で少し待っていましょうよ」
「…………」
 契は動かない。凍りついているのではなく、じっと目の前の木製の扉を見つめている。その間も如何わしい台詞が漏れ聞こえてくる。この家の防音は完璧だが、中が騒がしいのと別に隠す気がないのか微妙に扉があいているため、色々台無しになっている。
「この程度のことも満足にできないなんて、死んだほうがいいんじゃないの? 気安く名前を呼ぶな、汚らわしい豚が」
 罵倒する声はこの家の主人のものだ。そこに重なるようにうめき声が聞こえる。一瞬だけ拷問という言葉が頭をよぎるが、わざわざ自分が使う部屋で血生臭いことをする理由が思いつかない。となると、あれだろう。考えたくないが。
「空多川様、移動しましょう。ね?」
「―――――――の」「はい?」
 契の呟きはミヒャエルには聞き取れなかった。目を瞬かせてもう一度聞き返そうとした瞬間、
「おねえちゃんは認めません! 篭森ちゃんといかがわしいことがしたいなら、まずはおねえちゃんを倒しなさい!!」
 契は友人思いがすぎてかるく小姑だった。
 すさまじい勢いでハイキックが扉に炸裂する。だが、頑丈な扉は壊れることなく、内側に向かって大きく開いた。そこには、
「本当に屑だね。何? こんなのがいいの? 喜んでるんじゃないよ、このど変態が」「もっと! どうかもっと激しく罵ってくださいませんでしょうか!!」「調子に乗るな、卑しい豚め」
 どっしりとした肘掛椅子にふんぞり返って罵倒しながら男を踏みつけている珠月と、踏みつけられて狂喜乱舞しているスーツの男がいた。心配に反して二人ともきっちりと衣服をきている。
 足首にすがりつく男を蹴りとばして、珠月は顔を上げた。
「あら、契ちゃん。いらっしゃい。見苦しいものを見せて申し訳ないね。ミヒャエル。お客様が来たなら、応接室の方に通せと言っていたはずでしょう?」
「申し訳ありません」
 床を転がる男から意図的に視線を外して、ミヒャエルは深々と頭を下げた。契は男と珠月を交互に見つめる。
「…………とうとうそっちの趣味に」
「どっちの趣味かは知らないけど、失礼な言い方やめてくれない? 相手が貴女じゃなかったら殴ってるよ」「殴るなら私ぎゃん」
 危ないことを言って飛び起きた男を、珠月はつま先で蹴りとばした。恍惚の表情で男は倒れる。
 これを見て誰が特殊な趣味に目覚めたと思わないだろう。
「すまんね。馬鹿で」
「んーと、それを拷問とかするなら、おねえちゃんも協力するですよ?」
 常に服の中に拷問用具を隠している契は、にこやかに微笑んだ。だが、珠月は首を横に振る。
「いや、これは特殊な趣味でも拷問の下準備でも何でもないから。仕方ない。できるだけ他人には紹介したくないんだが……紹介するよ」
「紹介などしなくていい」
 ぼそりと地声でミヒャエルは呟いた。砕けた口調は彼の地だ。珠月と居るときは丁寧すぎるくらい丁寧な言葉遣いを心掛けているらしいが、ふとした瞬間の本音が出る。それはミヒャエルが機嫌を悪くしている証拠でもある。珠月は肩をすくめた。
「そういう訳にも行かないよ。私だって紹介なんかしたくないんだけどね」
 嫌そうに珠月は視線で足元に這い蹲る男を示した。よく見るとまだ若い。契たちとそれほど年は変わらないだろう。胸元に学園の校章を付けているところから、生徒だと分かる。校章の色から判断して、マエストロとマスターのダブルクラス。中堅よりやや上といったあたりか。
「これは、ピーター・レイン。フリーの厄介事請負人だ。こんなのでも、学園のフリーの仕事屋便利屋連中の中ではトップクラスの有能な男だよ。私の同級生でもある。今日も仕事を頼んだところで」
 そこまで言って何かに気づいたかのように珠月は言葉を止めて、顔をしかめた。そして、床に這い蹲ったまま、切なげに珠月を見ていた男の頭を土足で踏みつける。
「見ての通り、どうしようもない役立たずな醜い豚だ」「その通りで御座います」
 足元で男が嬉しそうに叫ぶ。契は首を傾げた。
「今、有能って言葉が聞こえたような……」
「仕事を頼んだんだよ」
 珠月は足先で男を踏みつけながら、テーブルに載った紙の束を持ちあげた。そこにはびっしりと最近ある地域で起こった紛争に関するデータが手書きで書かれている。アナログな手だが、所持し続けている限り、コピーされる心配がもっとも少ない。
 人を使う立場にある契には、ちらりと見ただけでその書き手が有能な人物であることが分かった。そして足元へ視線をやる。這い蹲る男。
「この程度のことしかできない豚には、お仕置きをしないとね」
「申し訳御座いません、珠月様」
「つまり、我々の業界ではご褒美ですってやつなのですね。了解…………篭森ちゃんって割と律儀なのです」
 適当に殴ってやればいいものを、わざわざ相手の希望に合わせて罵りながら踏みつけている当たりが。
「まあ、役には立つからね。面倒くさいけど」
「私は役立たずの豚で御座います」
「はいはい、誰が喋っていいと言ったの? 役立たずの豚なら、豚らしく豚の言葉を喋りなさい。人間の言葉を喋ろうなんて図々しい」
「……のりのりに見えるのはおねえちゃんの気のせいだと思いたいですよ」
「気のせい」
 珠月は言いきった。そして、最後に言って思いきり男を踏みつけると、立ちあがる。
「さ、お仕置きはおしまい。私、講義に行くから。契ちゃんも一緒に行く? 午後の授業、5年以上なら誰でも参加可のやつあるよ」
「そうですね。久しぶりの授業も楽しそうです。でも、珍しいのですね」
 この学園の本科生には授業への出席義務がない。授業自体はあるのだが、出たいものに出たいときに出ればいいというのが基本的なスタンスで、興味がある授業が行われない限りはほとんどの生徒は授業に出ない。それより学費を稼ぐのが優先だ。トップランカーになると暇つぶしに授業に出る場合もあるが、それだって面白くない授業には出ない。
「なんか動物学で面白いことしてるみたいだよ」
「可愛い動物がいるなら、おねえちゃん見たいのです」
「いや、なんか危険な生き物を入荷してたっぽいよ」
 この学園で『危険』な生き物とは、本当に命にかかわる生き物である。
「……まあ、いいのです。楽しいなら」
「興味はあるよね」
「それより、あれ……」
 名残惜しげに床から立ち上がった男を横目で見て、契は小声で囁いた。
「おねえちゃんが始末しておきましょうか?」
「いや、変態は変態で役にたつから。一応弁護させて貰うと、彼はよく分からないけど痛みを攻撃力に変えるタイプのミスティックで、毎日一定の痛みを味わうことが必要らしい」
「悦んでるじゃん!」
 思わず口調が壊れる。珠月は深々と頷いた。
「ちなみに、陽狩とかは奴が嫌いだ」
「それはすっごく分かるのです」
 不死川陽狩は、完璧な虐めっ子属性を持っている。他者をいたぶるのが大好きな人間にとって、痛めつけるほどに喜ぶ人間は厄介極まりないだろう。
「だけど……まあ、有能さと変態性を比較するとぎりぎり有能さが勝つ。まあ、そうでなくては本当に無価値な醜い豚だけど」
「後ろですごくうれしそうな顔してて……おねえちゃん、すごくイラっとする」
「ピーター、挨拶しなさい」
 露骨な侮蔑の表情を隠そうともせず、珠月は命令した。嬉しそうにピーターは従う。
「わたくしはピーター・レイン。見ての通り一欠片の価値もない醜い豚です。普段はほそぼそと請負業などをしております。どうか私を思いきり罵ってくださいませんでしょうか」
 素早い仕草で、ペーターは跪いた。物語の騎士のような完璧な仕草だった。台詞以外は。無言で珠月はその側頭部を蹴りとばす。
「それが初対面の淑女にする挨拶か」
「ピーター・レインで御座います。どうぞよろしくお願いいたします。麗しいお嬢様」
 恍惚の表情のまま、ピーターは今度こそまともに挨拶した。
 わざとやって蹴られたな。契は心の中で思う。珠月もそれに気づいてはいるらしく、つまらなさそうにピーターを見ている。
「初めからそういう挨拶をしなさい。いい子にしてれば、気が向けば罵ってあげる」
「珠月さん、言い方が女帝です」
 ぼそりと明後日の方向をむいたままのミヒャエルが呟いた。その後続けて「死ねばいいのに」という物騒な台詞も聞こえたがそれは全員が無視する。ちなみにこの死ねばいいのにはおそらくピーターに向かう言葉だろう。
「じゃ、また用事がある時は頼むよ。私は学校に行くから」
「わたくしも午後は授業でございます。朧寺先生の動物戦闘学」
 ぴたりと珠月は足を止めた。そして、嫌そうに振り向く。
「そういえば同級生だったね。同じ学年同じクラス。なんて運がない。ミヒャエル、かばん取ってきて」
 すぐさまミヒャエルの姿が消え、すぐに黒いレースのついたかばんを持って現れる。基礎的な形は学生鞄やビジネスバックにちかく、硬い作りで中の書類や本が曲がらないようになっている。だが、見た目は珠月らしく黒くてひらひらしている。
「ありがと。貴方の午後の予定は?」
「氷室先生の数学の講義を少し。その後事務所に寄るため、帰りは夜中になります。夕食は先にお済ませください。私の分はいりません」
 珠月の支度を手早く手伝いながら、ミヒャエルは答える。完璧な執事っぷりに、契は小さく称賛の拍手を贈った。
「で、このSM変態も一緒に来るの?」
「SM変態ではなく、【ミスターM(変態という名の紳士)】だよ」
「そんなエイリアス!? ほとんど同じじゃないですか!!」
 思わずミヒャエルが突っ込みを入れる。契はあーともはあともつかない返事を返す。
「それが世界エイリアスなんて――――よくも自分が嫌いにならないですね」
 普通は死にたくなるエイリアスである。
悪名ですらなく、すでにただの悪口だ。
「こいつにとってはただの賛辞だから」
「ああ…………」
 疲れた口調で珠月が呟くと、ミヒャエルも暗い表情になる。そして、これ以上この話は続けまいとでもいうかのように背を向ける。
「では、行ってまいります、珠月さん」
「私も行くよ。今日は地下訓練所集合だ」




 メインヤード地下、学園公式地下訓練施設の一つ。
 この訓練施設は細かいステージに区切られているが、中には多数対多数での戦闘訓練を目的とした非常に広いステージもある。強いライトと特定の場所を再現したステージはここが地下であることを忘れるほどだ。
『さて、授業開始5分が過ぎたのでここでこれ以上の入室を制限します』
 マイク越しにやや機嫌の悪そうな声が響く。声の主を探して視線を巡らせると、かなり高い位置にある観察用の席からマイク越しに話しかけてくる、動物学教師朧寺守希生の姿を見つけた。顔色がやや悪いが、これはいつものことだ。人にしろ動物にしろ、死ぬものが出る可能性が高いときの彼はこういう顔をしている。
「んーと、動物学じゃなかったんですか?」
「動物学だよ、契ちゃん。うちの学校の動物学は基本的に、食えるかどうかと戦って勝つ方法を学ぶものでしょ?」
「動物愛護の精神の欠片もない授業です。にー」
「欠片もないからこそ、守希生先生の機嫌が悪いんでしょ。あの人、生き物好きだから」
 ちらりと珠月は高い場所にいる教師を見やった。遠目では分かりにくいが、顔が引きつっている。
「むー、でも殺せるようになっておかないと代わりにおねえちゃんたちが肉塊になって転がることになるのですよ」
「だから授業はやってくれてるんでしょう」
 珠月は時計に目をやった。授業開始時刻からおよそ7分立っている。
『じゃあ、説明します。事前に連絡が行っていると思いますが、本日の授業はキメラ――つまりは人工的に作られた合成獣相手の戦闘です。この手の生き物は野性動物とは違い繁殖力が弱く餌をとったりする能力にもばらつきがあるため、普通に野山を歩いていていて出くわす可能性はほぼありません。ですが、貴方たちが敵と戦う際、敵が持ちだしてくることは本当によくあります。だから、倒せないと実戦では死にますよ。むしろ、今日死ぬかもしれません』
 一部の生徒がざわめいた。だが、大部分の生徒は平然としている。
『みなさんはミスティッククラスですから、必ずしも戦闘行為を進んで行う状況下にあるとは限りません。しかし今の世の中、一生紛争の一つにも巻き込まれないと思っていたら、貴方は世界を甘く見すぎです。合成獣の一匹や二匹や百匹や二百匹くらい、簡単に倒せるようになってください』
「ハードル高っ!!」
 生徒からブーイングが上がる。守希生は無視した。
『今回使用するのは、とある財政難の研究所から買い取ったキメラとサイボークの合成という滅茶苦茶な生き物です。予想外の動きをするので気をつけてください。なお、合成獣が放たれた後は、獣が死ぬかみなさんが全滅するまで扉は開けません。逃げたらそろこそことなので』
 流石にこれには生徒たちもぎょっとした表情になる。それはつまり、負傷した場合に逃げ場がないということだ。
『間違っても、やばくなったら助けてもらえるとか思わないように。先生はまったく倒す自信がないかつ自分が可愛いので、絶対に助けに行きません。外部からの援護射撃くらいはいざとなったらやりますが、必要以上に期待しないように』
 堂々と教育者としてあるまじきことを守希生は言いきった。もっとも温厚で優しい類に入るとはいえ、流石はトランキ学園の教師である。鬼だ。
 幾人かの生徒が顔を見合わせる。
『あと二分後に始めます。少しでも自信がない人は今のうちに退室してください。相手を見てから考えるとかいうのは駄目だよ』
 そう言われて逃げる奴は――案外といる。この学園は授業もイベントも命がけだということを5年以上も本科にいれば嫌でも分かっているからだ。命をかけるだけならいいが、時に本当に命という掛け金を回収されてしまうから始末に負えない。
「で、そこのド変態は逃げないの?」
「そうだよ。帰れば? 人外戦は不得意分野でしょ?」
 女性二人は背後に冷たい視線を向けた。視線を向けられたピーターのほうはどことなく嬉しそうだ。まったくもって冷たくしがいがない。
「苦手だからこそと思っております」
「あそ。死なないでね。まあ……死なないだろうけど」
 うんざりとした声で珠月は呟いた。それに合わせて契が刺すような視線をピーターに向ける。一般的に殺意とか敵意とか言われるものに、本人ではなく周囲の生徒がびくりと反応する。
『はいそこ、始まる前から場外乱闘は禁止』
 ばっちり見えているらしい教師がマイクで釘をさす。だが、契と珠月が顔を上げるとすぐに黙った。教師とはいえ、戦闘系でないものにとってこの学校の成績上位者は命の危機を感じるには十分な相手だ。それに個人的な知人でもある。
「教室にいるときはちゃんと先生してるのです」
「そりゃあねえ。いつも妹から逃げ回ってるとこしか見てないと意外だけど」
 朧寺守希生の実の妹は、朧寺緋葬架といいこの学園の生徒である。非常に戦闘能力に優れた少女で、よく兄妹喧嘩をしては兄を狙撃している。
「おや、時間だ」
 誰かの呟きが聞こえ、同時に重々しい音を立てて扉に鍵が下りた。これでもう押しても退いても車が突っ込んでも絶対に動かない。慣れた仕草で数人の生徒は手首や足首の具合を確かめてウォーミングアップを始める。
『じゃあ、門を開きます。どんなタイミングで飛び出してくるか分からないから気を抜かないように』
 生徒の準備が出来たと見るや、守希生は宣言した。相変わらず声は緊張している。それがどういう種類の緊張かまでは残念ながら分からないが。
 守希生の言葉に反応するように部屋の一角に取り付けられた別の部屋で繋がる門がゆっくりと外向きに開く。扉近くにいた生徒は慌てて飛びのいた。扉の向こうには闇が広がっており、まったく様子が分からない。
「………………警戒してるね」
 小首をかしげて珠月は呟いた。まるでその闇の奥に何か生き物がいるのが見えているかのような口ぶりに、声が聞こえる範囲にいた生徒が驚異の視線を送る。
「うにー、見えるのですか?」
「視覚で見える位置には来ていない。でも、分かる」
 そして珠月は顔をしかめた。
「今日は戦闘しに来たわけでもないし、下がって様子見よう。倒してくれたらそれでよし、そうでなくても離れたほうが観察しやすい」
「あー、でもいつぞやのように口から火とか噴くタイプだとあんまり下がり過ぎても危険です。逃げ場がなくなっちゃうのですよ」
 生々しい会話にあきらかに周囲のテンションが下がっていく。だが、この程度の会話でパニックになるようなものはいない。これくらいの厳しい現実は日常茶飯事だ。むしろ、朧寺守希生の授業はサバイバル系の授業の中では優しいと評判だ。
 そのとき、しびれを切らした生徒の一人が黒くて丸い何かを投げるのが見えた。
「おや」
 慌てず騒がず、珠月と契は真後ろにいたピーターの後ろに回って、彼を盾にした。直後、投げられた手榴弾が搬入口の奥で爆発する。すさまじい閃光と爆音に、逃げ遅れた数名が耳を塞いでうめく。一瞬だけ視界が遮られた。
「っ、無茶をする」
「短気なのです」
 爆破は一瞬。上がった炎事態も爆風で吹き消される。だが、生徒がその一瞬の衝撃から体勢を立て直すより早く、すさまじい速度でトカゲを巨大化させたような生き物が這い出してきた。体長は軽ワゴンほどあるだろうか。そのくせ動きは普通の人間よりよほど速い。
 近い位置にいた生徒が大慌てで飛びのく。間違っても悲鳴を上げて注意をひくような真似はしない。体勢が崩れたのは一瞬で、数秒後には飛び出してきたトカゲのような生き物を取り囲むように円陣が組まれる。完全な円ではないのは、同士撃ちを避けるためだ。
「……驚いた。どういう仕組みなんだろうね」
 その円陣から少し外れたところに、珠月と契はいた。戦闘に参加するそぶりはない。盾にしたピーターは一瞬爆音と閃光で身動きできなくなったが、もう回復してる。。三人の視線は向くのは、今回の対戦相手となるトカゲのような生き物だ。
「動きは完全に生物なのですけど、あの鱗は人工物なのですね。むー、どこまでが生き物なんでしょうか」
「かなりの硬度を持っているようでございます。拳銃程度では傷一つつかないと推測されます」
「大型の獣なら別に強化してなくても拳銃程度じゃ早々倒せないよ」
 のんびりと分析に花を咲かせるトップランカーたちを、他の生徒は半ば無視している。
「問題はあの鱗が防御専門なのかそうじゃないかだと、おねえちゃんは思うのですよ」
「珠月様、操ることは不可能でしょうか?」
 物体操作を専門とするミスティックである珠月に、ペーターの視線が向く。珠月は首をすくめて見せた。
「できないことはないと思うけど、あまり使いたい手ではないね」
「そうでございますか。考えが足りず、申し訳ございません」
 こつんと自分の頭を小突くと、流れるような仕草でピーターはジャケットの下に手を入れた。引き出されたのはこの学園では珍しくもないリボルバーだ。銃弾の数や弾の補充の手軽さでは自動拳銃に軍配が上がるが、それでもリボルバーの愛用者は消して少なくない。
 しかし、弾のこもっていない銃を携帯している人間はまずいない。一目でその銃が空だということに気づいて、契は顔をしかめる。だが、ピーターは気にせず銃を遠くの鋼鉄トカゲに向けた。軌道ぎりぎりを同級生たちが飛びまわっているがまったく気にしない。
 引き金が引かれた。当然、火薬の音はしない。だが、何もなかったはずの銃から真っ黒い何かが飛び出したのを契ははっきりと見た。鍛え抜かれた動体視力でもほとんど見えなかったが、何かが飛び出したことは間違いない。そして、それは一直転に鋼鉄のトカゲに向かい、まるで水面に沈むかのように鋼のうろこに吸い込まれた。直後、トカゲの身体の表面が何箇所が弾けた。まるで見えない何かに吹き飛ばされたか、激しい打撃でも受けたかのように。
「えー…………」
 契は目を丸くする。目まぐるしく契の中で思考がめぐり、やがていくつもの仮説を生み出す。
「自分が受けたダメージを同期させて他人にも味あわせるミスティック?」
「そのようなもので御座います」
 ピーターは即答した。そして、二発、三発と打ち込む。初めとは違う場所が違った風に傷つくがそれでも致命傷には程遠い。
「やれやれ。これは対人で効果が高い能力では御座いますが……やはり人外相手だと効果半減で御座いますね。動物は人間とは異なり、精神的苦痛を与えることもできません。加えて、体格の問題で生半可な肉体的ダメージは意味が御座いません」
「痛みを全部上乗せしたら?」
 ぼそりと珠月が囁く。ピーターは首を横に振った。
「気持ちがよくないので出来れば、遠慮したいと存じます」
「変態め」
 ふいと珠月はそっぽを向いた。ピーターは嬉しそうに目を輝かせた。契は頭痛をこらえる。
「……篭森のおねえちゃんの周りは変質者ばかりなのです」
「私が変態キラーみたいな言い方やめてよ」
「心配です……ヤンデレと変態におねえちゃんは人気がありますから。篭森のおねえちゃんは偉そうなところと気弱なところが絶妙に同居してるから、その手の人にはたまらないんじゃないかと考えたらおねえちゃんは心配で心配で」
「え? 悪口?」
「心配なのです」
「うん……まあ、私も私の運命がたまに心配だけど。私に運命の女神がついているとしたら、そいつは頭がおかしい。それは間違いない」
 対獣用のライフルが至近距離で火を噴いた。珠月と契は耳を塞ぐ。くると分かっていても銃の音は耳に優しくない。
「で、この変態はさっきから何をしているのです?」
「ああ、こいつの能力は良く分からないけど受けた精神と肉体の苦痛をプールしておいて、それを銃弾に変えてぶっ放すってものらしいよ。それ以上は知らない」
 ミスティックは自分の能力を他人に話さない。話したとしても細かい部分は絶対に教えない。ミスティック能力というのは複雑怪奇な不思議な能力ではあるが、万能には程遠いものだからだ。全貌を知られてしまえば、どんな強力な能力でも対策を取られてしまう。だからミスティック能力者は自分の能力に対して、最低限の表面的に起こる現象以外のことは口外しない。たとえ家族や友人でもだ。
「多分色々細かい条件はあると思うけど」
「なるほど。それで殴られても蹴られても盾にされても復活が早いのですね」
「復活すると知ってるから容赦なく殴るし、盾にするんだよ」
 珠月は答えた。だが、復活すると分かっていても苦痛を与えていることには違いない。その辺に関する罪悪感などはないらしい。
「――――ま、野郎ですし、いいですよね。世の中の男は可愛い女の子のためなら全員命を差し出すべきです」
「分かりやすい結論だね、と」
 珠月は一歩後ろに下がった。そこをすさまじい勢いで同級生が吹っ飛んでいく。思わず避けてしまってから、このままだと彼がコンクリの壁に叩きつけられて死ぬことに気づく。
 舌打ちして珠月は足元のカバンを蹴りあげた。瞬時に中から人間の白骨模型が飛び出して、壁に叩きつけられる直前でその生徒を保護する。だが、生徒は悲鳴を上げた。
「助けてあげたのに失礼な奴」
 つぶやく珠月の横に白骨が降り立つ。珠月のエイリアス【イノセントカルバニア(純白髑髏)】は彼女が好んで操るこの白骨からつけられている。戦闘時は勿論、他に人がいないときは従者の役目もこの骸骨がしている。もっとも骸骨を操っているのは珠月本人なので、本人が戦っているのとたいして変わらないのだが。
「ああ、アーサーがいないと思ったらそこにいたのですね」
「気味が悪いから骨を連れ歩くなとうるさい奴がたまにいるんだよね」
 珠月は薄く笑った。答えるようにアーサーはお辞儀をしてみせる。絵にはなる光景だが、やる気は感じられない。と、
『はい、そこの奥の非協力的な3人、ちゃんと授業に参加しなさい。君たち、様子見どころか関わる気がないだろ』
 スピーカー越しに説教が飛んできた。三人はそれぞれ明後日の方向を向く。
「口うるさい」
「体力温存とか言い訳しちゃだめかな? かな?」
「おそらく、その言いわけは通用しないではないかと推測されます」
 やれやれとばかりにピーターは肩をすくめた。そして、珠月に視線を送る。
「申し訳御座いませんが、お願いできますか? 珠月様。自分で与えたダメージは能力に反映することができないのです」
「まったく、ろくなことがない能力だね」
 珠月はため息をついた。状況が分からない契は小首をかしげる。
「なんならおねえちゃんが、ぱぱっとあのトカゲもどきをやっつけてきましょうか?」
「いや、それはそれで怒られそうだし、多少は他の生徒にも手柄を譲らないと。だから」
 珠月は一歩踏み出した。まるでワルツでも踊るかのような優雅な動きで手近にいた生徒に近付く。近付かれた生徒はまったく気づいていない。そして、気づかれるよりも先に彼が持っていた日本刀を片手でかすめ取った。
「借りるね」「!?」
 使用中の獲物をかすめ取るなど、人間技ではない。だが、珠月は驚愕する持ち主には目もくれず、数回刀を振って重さを確かめると振り向きもせずに背後に向かってつきたてた。
 鈍い音がした。ろくに振り向きもせずにふるわれた刃物は、狙い違わずピーターの額に突き刺さり、そのまま頭蓋骨を破壊する。鈍い音は肉が割かれた音か、あるいは骨が砕けた音か。そのまま、刀を振りまわすとピーターの頭の一部が削ぎ落され、代わりに刃物は自由になる。
「ありがと」
 懐から取り出した白いハンカチで刀をふくと、珠月は刃の方を持って持ち主に返した。文字通り、元のように見知らぬクラスメイトに握らせる。一瞬の間の後、鋼鉄のトカゲを見ても悲鳴を上げなかった生徒が悲鳴を上げた。珠月は迷惑そうな顔をする。
「分かったわかった。勝手に借りて悪かったってば」
「そ、そうじゃなくて」
「篭森のおねえちゃんや、その人はおねえちゃんが味方を斬り捨てたと思って動揺しているのですよ」
 ずれた返答に、珍しく契がまともな突っ込みをいれる。珠月は髪をいじりながらああと答えた。
「死にはしないよ」
「いや、今のは流石にきました。まさかいきなり脳髄からくるとは、思ってもおりまませんでした。手数掛けさせて、申し訳御座いません」
 平然とする珠月の後ろ、頭部を切り裂かれたはずの男がむくりと起きあがった。再度周囲の生徒が目を見張るが、すぐに納得した空気が広がる。本科5年目以上のミスティック。常識で想像のつかない出来事には慣れている。なんせ、方法は違うものの『死なない』能力をもっているミスティックというものの世の中には複数名いるのだ。あと数人くらいいても驚くには値しない。
 もっとも、死なないとしても味方をぶち殺す人間には問題があろうが。
「貴方にとってこれくらいの痛みはなんでもないでしょ? で、出来そう?」
「勿論で御座います」
 ピーターはくるりとリボルバーを指で回した。一回転したリボルバーはそのまま彼の手に収まる。そして、本当に小さな衝撃音とともに弾が飛び出す。つい先ほどと同じように、奇妙なその銃弾は鋼鉄のトカゲの鱗に吸い込まれる。そして1秒後、トカゲの頭部が爆ぜた。まるで見えない刃にえぐり取られたかのように。重い音がしてその体が床に崩れおちる。
「一撃」
「ちょっと威力を上げすぎました」
「うにー、おねえちゃん活躍の場がなかったですよ」
 周囲の驚愕の視線など気にもせず、三人は倒れたトカゲを見やった。そして、三人同時に身構える。その意味が分からずトカゲを振りかえった生徒たちは、一様に目を見開いた。
 さなぎが蝶に変わるように、トカゲの背中が内から開いた。続いてやけに機械的な音を立ててその体が裏返り、組み直されていく。
 予想外の事態に空気が凍りつく。
「……先生、敵が変形しました」
『はいはい、動揺しない。これくらいゲームではよくある展開です』
スピーカー越しに無責任な返事が帰ってくる。こちらにもマイクがどこかに仕込まれているのか、音声会話は可能なようだ。
「これはゲームじゃないっす」
『変形くらいうちの学校の生徒だってできます』
「できるのはごくごく一部の人間捨ててる奴だけです」
『さっきから空を飛んだり、手からビーム出したり、物理法則に逆らいまくってるくせに敵の非常識だけを責めるのはよくないよ。ミスティックならミスティックらしく、不思議を受け入れなさい』
 微妙に理不尽な台詞だった。その間も機械音を立ててトカゲは変形していく。
だが、変形が終わる前に、空気を読まない人たちは動いていた。
「待ってやる義理はないです」
「さっさと終わらせよう」
 変形途中の歯車がきしむような音を立てて動きを止める。目を凝らすとそこに特殊な合金をつかった鋼糸が絡みついているのが見える。当然、人間の手で操作できる強度と硬度と重さの物体ではない。だが、操作系の能力者ならばこれくらいの芸当はたやすいものだ。そこに立て続けに銃声を伴わない銃弾が叩きこまれる。トカゲの表面に複数の傷が出来た。
「浅い!」
「申し訳御座いません」
 珠月の静かな叱責の声に、ピーターは嬉しそうな顔をした。逆に珠月はいらついた表情になる。だが、その怒りがなんらかの形をとる前にほっそりした足がピーターの頭を思い切り踏みつけた。契だ。丁度よい位置にあった頭を踏み台に契の身体が中へ舞い上がる。
 学園の所属では、インダストリアリストとミスティック――経営者と異能者のダブルクラスの所属だが、契はけして非戦闘員ではない。戦闘向きのトップランカーとでも互角に戦える腕前だ。
 金属がぶつかりこすれ合う音とともに、契が手に持った長い鉄針が鋼鉄トカゲの防御用の鱗やわずかに残った生身の部分をすり抜けて、電子回路の一部に突き刺さる。だが、よほど頑丈に出来ているのかそれでも完全に動きを止めるには至らない。舌うちして契は二本目の鉄針を突き刺した。繊細な電子回路は少しの傷でも異常をきたす。だが、戦闘を想定して作られたこれは、そうでもないようだ。頑丈なのか、それとも予備の回路をどこかに搭載しているのかまでは分からないが。
「まったく、趣味が悪い平気なのです」
 だが、契の顔に動揺はない。慌てず騒がず、どこからか取り出した金槌を鉄針に向かって振り下ろす。針とは名ばかりの寸鉄は、根元まで深々と突き刺さった。そこに止めとばかりに契は試験管に入った液体を振りかける。そして、すぐに跳んだ。珠月が操る鋼糸を器用に避けて鋼鉄のトカゲと距離を置く。それとすれ違うように出たのはピーターだ。珠月は契が撤退すると同時に距離を取って防御の体勢に入る。その動きを感知した他の生徒たちも、何が起こるのか分からないままに距離を置く。そして、
「これはかなり痛いと推測できますが――――いい」
 恍惚の表情で呟いたピーターは、ライターをトカゲに向かって投げつけた。小さな火は――契が振りかけた液化火薬に引火して一気にすべての回路とトカゲの生身の部分を焼きつくす。
 激しい爆音と爆風に、比較的近い位置にいた生徒が顔を覆って倒れる。早々に批難していた珠月と契は怪我ひとつない。
「先生、倒しました」
 ひらひらと珠月は手を振って見せた。上の強化硝子の向こうの席にいる教師は、呆れた顔をした。
『訓練で特攻かけるな馬鹿ども。あと篭森さん、空多川さん、君たちならもっと穏やかな方法があるでしょうが』
「先生うるさい」
「参加しろって言ったのは先生なのですよ。あんまり文句を言われると温厚なおねえちゃんもちょっと苛々して、ころころしたくなるのですぅ」
 ころころするとは、ぶっちゃけぶっ殺すぞ手前という意味である。マイク越しにため息が聞こえた。
『ともかく、訓練終了。開始10分持たないってどういうことだ…………まあ、いい。教室に戻って今日の振り返りと、キメラ生物との戦闘の理論についての説明を行います。いい? 間違ってもそこの3人の真似はしないように。あれは最悪の戦闘方法です。普通に他の人がやったら人死が出ます。いい?』
「言葉の端々に嫌味を感じるのですぅ、にー」
「仕方ないよ。ちょっとやり過ぎた」
 珠月はすたすたとトカゲの残骸に近付くと、落ちていた物体を足先でつついた。ううとうめき声がしてつつかれた物体――ピーター・レインは顔を上げる。肌には傷一つないが、背広はぼろぼろだ。どうやら肉体のダメージは無効になっても服のダメージはそうではないらしい。
「生きてるね」
「……もっと激しく踏んでくぐはぁ」
 珠月は全体重をかけてピーターを踏みつけた。文字通り内蔵をえぐる一撃に、ピーターの台詞は途中途切れる。
「もうダメージなら十分受けてるでしょうが、まだ足りないのかこのマゾ」
 自分が特攻させた相手をさらに踏みつけるという、通常なら悪鬼のような行動。だが、踏まれている本人が大喜びしているため、普通ならまき起こるはずの嫌悪と憐憫に満ちた空気はみじんもない。代わりに周囲の空気だけが冷えていく。
「い、痛みと苦痛をどうせ受けるならば、妙齢の異性にしていただいたほうが絶対にいいというのは男の心理で御座います!」
「そんな腐った心理は捨てろ、変質者め」
 ぐりぐり靴先を押し込む珠月と嬉しそうなピーター。周囲の生徒は止められず、唯一止められる契は止める気がない。なぜなら誰も困っていないから。
「そこ、まだ授業中だよ。公衆の面前でDVはやめなさい」
 遅ればせながら、閉まっていた扉が開いて今度こそ生身の動物学教師、朧寺守希生が登場する。教師の登場にほっとした空気が流れた。
「DVじゃないです。家庭内でも暴力でもないから。DVなのは先生の家庭環境です」
「いやいや、可愛い妹に殺されかけるなんて兄としては本望なのですよ、きっと」
「他人の家庭環境をこういうところで暴露しないように。あと、本望じゃないからね。緋葬架のために死ぬなら本望でも、妹に殺されないといけないような人生は歩んだ覚えはないから」
 だが、守希生は妹の緋葬架によく銃撃されている。言葉に説得力は皆無だ。
「私だって好きで踏んでるわけじゃないし」
「わたくしは好きで踏まれ」「話をややこしくするな」
 珠月は肺の圧迫によって強制的にピーターのおしゃべりを終了させた。守希生はため息をつく。
「――――以後、僕の授業中のSM行為を禁ずる」
「唐突かつ今更な決まりだね。だってさ、ピーター」
 珠月はピーターの上から足をどけた。ピーターは残念そうに起きあがる。
「何度狙撃されても『愛しい妹』と公言している守希生先生ならば、わたくしの気持ちも理解していただけるのではないかと期待していたので御座いますが」
「期待するな」
 声がマジだった。予想外の本気の返事に、珠月は目を丸くする。そして薄く笑った。
「嫌われちゃったね、ピーター」
「いいんです。その蔑む目が――しびれます」
「…………見境ないのです」
 ピーターが立ちあがると、教師と珠月と契以外の全員が視線を明後日の方向にそらした。
「はいはい、授業続けるよ。もういいから、ここで続きやろう。メモは取らずに頭に叩きこんでね。で、この残骸見て」
 速攻で教師は諦めた。これくらい潔くないとこの学園の教育者は務まらない。守希生は地面に膝をつくと手袋をした手で、飛び散った残骸の一部を持ちあげた。
「ここで分かるように、神経と電子回路は通常このように接続されています。一部を斬っても他の場所が通信の役割を代わり――――」
 肉と鉄が焼ける臭いがする。しかし、誰もそれを気にしない。異常な光景だが、この学園では日常風景だ。次世代を担わんと思うならば、これくらいのことは意識の外におけなくては話にならない。
 そして授業はつつがなく進む。誰がいようと、何が死のうと。


一限目おわり