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その7、開始2時間

 観客席は変なテンションで盛り上がっていた。賭けをしている者は自分の札を握りしめて固唾をのんで勝敗の行方を見つめ、そうでないものはのんびりと菓子や弁当を食べながら観戦モードに突入している。競馬場と映画館を足して二で割ったような感じだ。
「あ、繍ちゃんだ」
 ル・クルーゼの弁当を買いそこなった代わりに、ブラックシープ商会が販売していた弁当を購入してモニターを見つめていた、序列189位【スコーレ(暇人の学問)】矯邑繍(ためむら しゅう)は、気だるそうに顔をあげた。その目に手を振りながらこちらに歩いてくる、序列249位【アルヴィース(賢きもの)】冷泉神無(れいぜい かんな)の姿がうつる。繍は片手をあげて挨拶をした。
「観戦、来てたんだ」
「たった今ね。さっきまでブラックシープ商会で商談しててさぁ。まだ終わってなくてよかった」
「終わってないどころか、混戦してるよ。みんな仲悪すぎ。あるいは変な方向に良すぎ」
「ランカーとそれ以外なら話は違うんだろうけどね。ランカーはカリスマ性あるし、もてるし。ただ、ランカー同士だと個が強すぎるんだよ……」
 繍はそこまで言って自分もランカーであることを思い出した。
「まあ、私は例外だけど」「私だって例外だよ。一人だけ地味なふりしない」
 神無は苦笑した。ぺたりと繍の横の地面に座る。
「……実際問題として、ファンクラブまである鞍螺さんとか騎士団持ってる沙鳥さんや、本人気付いてないけど常に周囲に女の子がいる夜厳さんや逆襄さんに比べりゃ地味だよ」
「一重さんとか異牙さんのファンクラブもあるんだよ。ただ皆、二重さんや夜さんの逆鱗に触れるのが怖いから地下活動になってるけど。嫁に欲しいっていうのだと、ハトさんとトモさんのコンビとか、直さんとか、ユリアさんとか」
「トップ50くらいになると、ファンクラブか強烈なシンパの二、三人いるのがスタンダートだからなぁ。いない奴のが少数派じゃない?」
 画面では派手な銃撃戦が繰り広げられ、それに向かって声援や罵声が飛び交っている。良くも悪くも、ランカーは注目の的だ。
「朝霧さんが、一人で外出するの見たことある?」
 遠くに見える白い軍服を見つめて、繍はつぶやいた。神無は首を振る。
「ううん。ないよ」
「ごくまれに一人で外出するとね、それを見た通りすがりが心配して自主的に尾行始めるんだよ。だから見てると、どんどん朝霧さんを遠くから尾行しながら護衛する連中が膨れ上がっていって――変な風景だよ」
「ああ、似たようなものなら見たことある。逆襄さんが単独で出かけると、徐々に尾行する人が増えていくよね。ほぼ全部、刺客だけど」
「それってどうなんだろう……」
「まあ、負けることなんてないだろうし、いいんじゃないの? それ以外にも著名人の子息や大企業の御曹司・御令嬢の類は、たまーに監視役か護衛か知らないけど、人が張り付いてることがあるよね」
 生徒の中には様々な事情で命を狙われているものも少なくない。
「個人的な恨みで裏で賞金かかってるような連中もいるしねぇ」
「見た目だけで目を引く人もいるしね」
 ぐるりと観客席を見渡して、神無はつぶやいた。観客やそれ目当ての商人の中には、上位ランカーの姿もいる。赤いピエロや自己中お嬢様、メインヤードのアイドルとその騎士といった目立つ面々の周囲には、奇妙な空洞が出来上がっている。
「私、地味でよかったよ」「地味ってすばらしいね」
 つぶやく神無に繍も同意する。
 画面には今も動き回る参加者の様子が写っている。上位ランカー以外はすでにほとんどリタイアするか、負傷してスタッフに運び出されている。
「不死コンビまた殺し合いしてるんだ」「生で見るの初めて」
 普段なら絶対に関わりたくないランカー同士の戦闘だが、確実にこちらにとばっちりがこないと分かっている上で観戦できるなら最高の娯楽になる。
「皆、本気は出してないんだろうけどね。せいぜい七割か」
「不死コンビの殺し合いだけ微妙に本気入ってるねぇ。あ、契ちゃん映った」




 大きく後ろに跳び、自分が思った通りの位置で着地する。臙脂色の靴が床とすれて音を立てた。お気に入りの靴が傷むな、と考えながら序列225位【ラヴレス(愛を注ぐもの)】空多川契は、ひらひらした袖の中から銀色のナイフを抜いた。契の目の前には銃を持った男が十人ばかり一直線に並んでいる。その並び方は同士撃ちを避けるためのものだ。そのかまえから、契は相手が火器の扱いになれていると推測する。だが、怖いとは思わない。痛いのが嫌なら、よければいいのだ。
「――――――!」
 相手が高らかに何かを言っているが、契はすべて聞き流した。断片的に「ランカー」がどうだとか、「お前らは驕っている」とか色々聞こえた気がするが無視する。恨まれるのも妬まれるのも仕方のないことだ。すべてを聞き流しながら、そっと投げナイフを引き抜く。
 一列に並んだ男のうち、ふたりほどが一歩前に出ている。そのうち片方に向かって髪をかき上げるふりをしながらナイフを投擲する。硬い音がして、上機嫌で何かを叫んでいた男は視線を自分の手元に落とした。そして自分の銃の銃口に刃物が刺さっていることに気づいて、動きを止める。
 一瞬のち、残りの男の持つ銃が火を噴いた。だが、銃弾は一つとして契には当たらない。ナイフを突き刺した銃の男の目前に進み出ることで、銃弾はすべて契を避ける。そして男本人は銃を使えない。
 落ち着いて近付くと、契は男の左肩に右手を乗せた。男の影に隠れて、一瞬、敵は契の姿を見失う。その隙を逃さず、契は男の肩に置いた手を軸にして男の体を飛び越えた。そして、敵の後ろに着地しながら踏み台にした男の襟をつかみ背負い投げの要領で放り投げる。慌てて敵は契に銃口を向け直すが、自分たちの仲間の姿を見て発砲をためらった。その隙を逃さず、慎重に契はナイフを投げる。
 足、腕、肩、指――――物理的に動きを止めざる得なくなる位置を狙って、契はナイフを打ち込んだ。人間というのは不思議なもので、致命傷を与えてもまれに気合だけで起きあがってくることがある。それを防ぐには、筋肉や筋の位置を考えて、物理的に動けなくなる位置を攻撃することだ。
 全員の動きを止めたところで、契は盾にしていた男の襟首を掴んで持ち上げた。止めを刺すべくナイフを振りあげる。相手の顔に絶望が浮かんだ。
 手に衝撃が走る。だが、それは敵を傷つけたための衝撃ではない。
「――――っ!!」
 飛んできたコンクリート片が契のナイフを弾き飛ばした。咄嗟にコンクリ片の軌道上に男を突き飛ばし、自分は物陰に隠れる。
「…………誰?」
「やり過ぎだ。手加減してやれ」
 堂々と廊下の向こうから青年が現れる。その顔を見て、契はかすかに顔をしかめた。
「誰?」
「……神城だ。【フラグブレイカー(伏線破壊)】の!」
「ああ……神城纏か。ロリコンの」
「違う!」
 納得が言ったようにこっくりと契はうなづいた。纏は嘆かわしそうに頭を振る。
「なんでアンダーヤードの連中は、俺の名前を覚えていて顔を忘れてるんだ……?」
「あまり遭遇しないからだと思うよ。でも、名前はラジオで聞く」
 地上の住人はたとえ腕に自信があったとしても、めったなことではアンダーヤードに降りていかない。危険なのは勿論、降りる理由がないからだ。逆にアンダーヤードの住人というのも何らかの事情を抱えた人物が多く、必要以上に地上をうろつくことは少ない。故に、名前と立場を把握していても顔は覚えていないことがたびたびある。そもそも上位ランカーだけで300人もいるのだから、無理もない。同じ区画のランカーでも一切交流がないようなこともある。
「……うーんと、おねえちゃんを殺しに来たの?」
「そんな訳あるか。思いきり助けに来たんだよ。そこに転がってる連中を」
「必要ないよ」
 ゆっくりと物陰から出てきながら、契は言った。
「殺す人間は、殺されても仕方ないと思うな。こういう虫けらは、今助けておいくと必ず恩を仇で返しにくる。処分は的確迅速に。害虫や粗大ゴミを処分するときの鉄則」
 珍しく間に蠍をはさまずに長い台詞を吐いて、契はちらりと床を這う男たちを見下ろした。
「違う?」
「賛同できねえな」
「なら、しなくていいと思うよ」
 契はスカートの中に隠したフォルダーから、小型の拳銃を引き抜いた。同時に発砲する。武器の扱いに慣れた人間の不意打ち。普通ならば何が起こったか悟る間もなく、絶命している一撃だ。だが、纏は身体をそらせてぎりぎりのところで回避した。そして速攻で反撃に出る。纏は一気に間合いを詰めて白兵戦に出た。だが、銃火器を使わない戦闘では契も負けていない。
 風を切って白刃が振り下ろされる。それを纏は特殊繊維の手袋をつけた右手で受け止めた。そのままがっちりと刃を固定し、左手を伸ばす。しかし、その手は中を掴んだ。刃物を防がれたと感じた瞬間、契はあっさりと刃物を手放した。そのまま重力に従って背中から倒れ込み、バク転の要領で後ろに下がりながら足で纏の顎を狙う。すでに前に向かって飛び出している纏は後ろに下がれない。かろうじて避けたものの頬をかかとがかすめる。靴についた金具がうっすらと纏の皮膚をえぐった。さらに回転しながら、契はナイフを投げつける。しかし、そちらは纏に弾かれ、契の髪を数本切って床に突き刺さった。
 かすかな距離をはさんで二人は床に着地した。その時、
「――――っ!!」
「爆発!?」
 上階からすさまじい爆音が聞こえ、建物自体がぐらぐらと揺れた。物理的に立っているのも難しいような振動に、弱くなった壁や天井からばらばらと塗料やコンクリートの破片がこぼれ落ちる。契は頭をかばいながら床に膝をつき、纏は壁に手をついて衝撃に耐えた。数秒でそれは収まる。
「な、なんだ!?」
「……残り一時間かぁ。ゆっくりしすぎた結果がこれだよ。うん」
 腕時計を見つめて、契はつぶやいた。今時珍しいアナログ時計だ。
「おい、どういう意味だ?」
「え? だからビル爆破されるんでしょ? 丁度、3時間で」
 どこが崩れたのかな~と言いながら、契は天井を見上げる。天井には無数のひびが入っていた。かなり危機的な状況なのだが、修羅場が日常の上位ランカーにとっては動揺するほどのものでもない。つられて天井を見上げた纏の目の前で、その一部が剥がれおちた。先ほどの乱闘とその前の契と男たちの銃撃戦のせいで、思った以上に天井にダメージが蓄積されていたらしい。その落下地点には地に付してうめいている襲撃者たち。
「あぶねえ!」
 咄嗟に纏は走りだした。そして落ちてきたコンクリート片が男の頭をかち割る直前で、その破片にとび蹴りをして軌道をそらした。硬い塊は音を立てて廊下に転がる。
「大丈夫か!?」
「う…………」
 どこか酷く打ちすえられたのか、流血している気配はないのに男は動かない。纏はためらうことなく男に駆け寄った。歩けそうもない男に手を貸して起きあがらせようとする。
 序列143位【フラグブレイカー(伏線破壊)】神城纏
 敵の思惑を次々と打ちこわし、時にそれが正義に叶うと判断するなら味方の思惑すら裏切り、ぶち壊す。己と己の信じるものに愚直なまでに忠実であり、忠実になれるだけの能力を兼ね備えた男。それゆえの伏線破壊のエイリアス。彼はけっして己の正義に適わないことをしない。だから、たとえそれがどのような立場の人間であっても助けなくてはならないと思えば、助ける。
「外傷はないみたいだな。頭は」
 安否を気遣う言葉は、肉に刃物が突き刺さる音で途切れた。纏は目を見開いた。服の上から腿のあたりに刃物が突き刺さっている。その柄の部分を握っているのは、つい先ほど纏が駆け寄った男だ。
「なっ!?」「は、あははははははは! やった! ランカーをやったぞ!」
 さらに男は纏の腹部を狙って次の刃を突き出す。だが、それが彼に突き刺さるより、瞬時に接近した契が男に向かって刃物を振りあげるほうが早かった。
 首ではなく腕の健を狙って正確に刃物が振り下ろされる。悪意も殺意も害意すらない静かな攻撃だった。まるで邪魔な枝を剪定するように振り下ろされた刃物は肉を割いて血を飛び散らせた。
「――――っ、馬鹿なの?」
 男ではなく、彼をかばうように突き出された纏の手の肉を、契の刃物は切り裂いていた。そしてもう片方の手は男の持っているナイフの刃を握りしめている。緋色の液体が床に落ちた。
「助ける価値がないとは言わないけど、払う犠牲には見合わない」
不可解なものを見るように、契は纏を見上げた。かばわれた男のほうも刃物を握ったままぼうぜんとしている。纏は無言で男からナイフを取り上げると遠くへ放り投げた。そして血まみれの手でこぶしを握り――力いっぱい、男を殴った。冗談のように男の身体は中を舞、重力に従って床に落ちる。
「んー、自分で始末しないと気が済まないというかいうタイプなのかなぁ。ま、おねえちゃんは気にしないけど、しっかり始末だけはつけておかないと、後が面倒だよ~」
 契のすでに興味をなくしたような声にも纏は答えない。代わりに床をはいずる男にゆっくり近づくと、襟首を掴んで持ち上げた。小さく男は悲鳴をあげる。
「くそっ、離」「いい加減にしろ!」
 纏は一喝した。男どころか、無関係の契もその音量にびくりと震える。
「本当にお前らは、どうしてそんなんなんだよ!?」
 何が気に食わなかったのか、纏は怒鳴る。茫然と男はそれを見上げた。契は本格的に面倒くさそうな顔になる。
「何か気に食わないの? まったく、これだから羽虫はやかましい」
「やかましいのはお前だ! お前らは……なあ、お前らはトランキの生徒だろう? なのになんでこんなことしかできねえんだよ」
 意味が分からず、契は小首を傾げた。男はもとより極度の緊張で声もない。
「トランキっていうのは、新世代を担うための人間の集まりだろう? それもお前や俺は本科生だ。すごい努力をして、運に恵まれて、いろんな奴を押しのけてここまで来たんだろう? お前たちは凄いやつだ。よく考えてみろよ。この学園の生徒が本気になって協力したら、できないことなんてないんだ!」
 纏は悔しそうな顔をした。
「なのに、お前たちはどうしてそんなことしかできねえんだよ!? それだけの力があれば誰でも救えるのに、なんてお前たちは下を虐げて上を突き崩すことしかしないんだ!? なんでその力で他人を救わない? 世界を変えようとしないんだ!?」
 突き刺さったままのナイフに手をかけて、纏は強引にそれを引き抜いた。少なくない量の血液が飛び散る。
「これじゃあ、死なない」
「…………」
「俺を刺すだけの力があるなら、それで子どもの一人でも助けてみろ! 俺を殺すよりよほど世界は変わるぞ」
「……できねえから」
 襟首をつかまれながら、男は叫んだ。
「できねえから、世界はこんなものなんだろうが!」「甘えるな!!」
 男の身体を纏は何度も揺さぶった。
「やる前からあきらめてるんじゃねえよ!! こんなせこいことで調子乗ってる暇があるなら、とっととさっさとでかいことやり遂げて生きろ!!」「やり遂げなくていいから死ねばいいのに」
 ぼそりと傍観していた契はつぶやいた。
「…………暑苦しい」
「凍ってるよりましだろ」
 興味なさげに契は纏から視線をそらして天井を見上げた。次に爆発があればこのあたりも崩れてしまうかもしれない。
「おねえちゃんは……正義とかあんまり信じない人なのですね」
 唐突に契はつぶやいた。
「おねえちゃん、思うんだよね。綺麗な言葉は、汚い現実を誤認させるから。正義とか真実とか興味ない。凄いことも興味ない。そういうこと考えると、余計なことをすることになる。想うことは大事でも、長続きはしない。愛情が続かないように」
 纏はかすかに目を見張った。纏は契のことを人づてだが知っている。だから、まさか【ラヴレス(愛を注ぐもの)】のエイリアスを持つ彼女が、愛を否定するとは思わなかった。
「――――続くさ。お前らが勝手に諦めるだけだ」
 契は首を横に振った。
「続くのは欲望と執着と血脈だけだと思うんだよ。それだけは、切れない。私は蠍を愛している。蠍が好き。蠍を誰より思っている。蠍のためなら何でもできる。何でもしたい。けっして蠍に私を忘れてほしくない。私は蠍に私だけのことを考えるようになってもらいたい。愛してもらわなくていい。思ってほしい。私は蠍に執着してる。私は蠍の心が欲しい。だから愛してほしいのと同じように憎んでほしい。憎しみ以上の執着はないから。愛している愛している愛している」
 祈るように、あるいは呪いのように「愛している」と契はつぶやく。
「消える愛より、消えない憎悪と執着のほうがずっといい。簡単に変容する正義と冷める熱より、欲から生まれる偽善と打算のほうが分かりやすいし、信用できる」
 契は目を細めた。
「世界は貴方が望むほど広くない。貴方が思うほど、人は強くない」
「強い」
 それに対して、纏は一片の迷いもなく言い切った。
「人間は強い。俺は信じてる」
「旧時代なら、そういう考え方もありだったかもしれないけどねぇ」
 纏が殴った男に再び手を貸すのを見て、契は嫌そうな顔をした。
「どうするの?」
「ほっとく訳にもいかねえだろ。俺の怪我の手当てもあるし、棄権だ。棄権」
「棄権だとお金もらえないよ」
 参加者は優勝できなくても、クリアさえすればもれなく参加費がもらえる。
「怪我人見捨ててもらう金なんかいるか」
「……いい、ほうっておけ」
 纏を刺した男はぶっきらぼうに言って手を振り払った。だが、いざ纏が手を離すと立っていることすらできずに座り込む。契と纏の容赦のない打撃を短時間で連続してくらったのだから無理もない。
「バーカ。そういう言葉は自力で立ってから言え」
 笑って纏は手を貸す。ついさっきの右ストレートで怒りは収まったらしい。居心地悪そうに加害者の男は目をそらす。邪気のない顔を見ていると、自分の矮小さが見えてきてしまうからだ。
 それを傍観しつつ、契は気が抜けたようなため息をついた。すでに戦意は完全に喪失している。
「加害者なのに……あ、あれか。そっか。そっち方面の人なのか……」「お前がどっちの話をしているかはしらねえが、断じて違う」
 ホモ疑惑かマゾ疑惑かは知らないが、これ以上汚名あるいは黒歴史が増えると本格的に問題がある。
「……ヒールで踏みつけようか?」
「そっちか!! 余計なことするな!」
「……………………ハイヒール?」
「ヒールの高さの問題じゃねえ!!」
「ああ、ピンヒールがいいんだ」
「ヒールの太さの問題でもねえ! お前、わざとだろう!?」
「じゃあ、厚底とかスパイクとかですか? マニアな趣味なんですね。ひくわ」
「敬語使ってんじゃねえよ。しかもじわじわと下がって行くんじゃねえよ」
 叫びながら纏は襲撃者たちに手を貸す。契はじっとそれを見ていたが、どうにかなりそうだと判断すると踵を返した。契の避難訓練はまだ続くのだ。
「なんだ、行くのか。頑張れよ」
 契はある地点で立ち止まると、くるりと振り向いた。じっと纏の顔を見る。
「何だよ?」
「変態マゾ!!」
 そして走り去る。理不尽な言葉を投げつけられた纏は茫然とそれを見送った。
「…………なんだ、あれ」
 その行為の意味を纏が知るのは、それから30分後、外に出て一息ついてからである。




 観戦席。
『変態マゾ!!』
 カメラの真下で叫んだ言葉は、鮮明に客席に伝えられた。
『……いやぁ、熱い魂のぶつかり合いだったね★ 意外と知られていないんだけど、神城纏さんは、実はかなり格好いい好青年だったりするんだよ★』
『強いしな』
『問題は職業人としての自分より、己の信念を優先させることですけどね。あはは』
『正義の味方は孤独なんだよ★』
 放送席は、いかに戦闘時の纏が強くて格好いいかという話題で盛り上がり始める。しかし、客席と配信中のカメラ画像を見ていた者たちの興味は別の場所にあった。
「……ねえ」
 弁当を食べ終わった繍は、神無を振り返った。
「マゾなの?」
「えーと、戦闘の経緯を見る限り、違うとは思うよ。どっちかというとあれは熱血というんだよ、うん」
 早口で神無は答えた。急いでフォローを入れなくてはという気持ちからだったのだが、結果的にとても嘘っぽく聞こえた。本人もそれに気づいて沈黙する。
「だって、違うでしょ? ……ねえ?」
「私もそう思うよ。けど…………」
 繍は視線を横にむけた。その先には嬉々としてメモを取る記者の姿がある。
「…………明日の記事は、ジェイルさんと篭森ちゃんの熱愛説と神城さんマゾ疑惑が一面を飾ると思う。1万WCかけてもいい」
「私もそっちに賭けるから賭けの意味ないよ」


 残り時間1時間
 神城纏脱落