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つないだ手の先に」(2023/06/03 (土) 20:17:22) の最新版変更点

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「つないだ手の先に」  卒業式もとうに終わって、日もまもなく暮れようかという頃。私は一人、がらんとした校舎の中を歩いていた。  薄暗くなった廊下には誰もいない。まだそこここで人の気配はするものの、時折聞こえてくるささやきのよう な話し声が、逆に寂寥感を増しているような気がした。 「今頃、みんなカラオケに着いたかな……」  クラスのみんなとのお喋りや記念撮影が終わったあと、いつものメンバーでパーッとやろうということになった。まずは駅前のカラオケってことだったから、みんなそろそろ着いているはずだった。  もちろん、私も最初は行くつもりだった。実際、帰り支度もして、上履きも回収してカバンに仕舞って、校舎 を出て、校門のところまでは一緒についていったのだ。けれど、それ以上の一歩がどうしても踏み出せなくて、 結局ここに戻ってきてしまった。 「ご、ごめんっ。私、忘れ物しちゃったみたい。後から行くから、先行ってて!」  そんな言い訳をまくし立てて、みんなの返事も聞かずに走った。  たまらなく怖かった。あれ以上一緒にいたら、そのうち泣き出してしまいそうだったから。 (どうして、かな……)  心の中でため息をつきながら、とぼとぼと廊下を歩く。静かな黄昏の中、歩き慣れたリノリウムの摩擦音が、 やけに大きく響く気がした。 「……あはは……」 「……マジで~……」  急に笑い声が聞こえて、私はびくりと立ち止まった。気付けば、そこは自分の教室の前だ。どうやらまだ残っている生徒がいたようで、中からは男女数人の話し声が伝わってくる。 「あ……」  私は扉を開けようとして──やっぱりやめた。なんとなく、ここは私の居場所ではないような気がした。伸ばしかけた手を引っ込めて、また何歩か足を進める。  一つ隣のクラスで立ち止まって、私は扉をカラリと滑らせた。教室には誰もいなかった。西日がその半分をオレンジに染めていて、私はもう半分の陰の中にいた。戸締りを忘れたのか、いくつかの窓は半開きで、吹き込んだ風にカーテンがゆらゆらと揺れている。  教室の前後の黒板は、みなが思い思いに描いたのだろう寄せ書きやら、相合傘やら、なんだかよくわからない落書きやらで埋め尽くされていた。カラフルに描かれた雑多な文字と図形が、「卒業おめでとう」の大きな文字 のまわりを踊っている。色彩豊かなはずのそれらも、いまは薄闇に溶けて霞んでいた。  私は生徒のいない教室の中へ踏み出す。進む足は自然にこなたの机へと向かっていた。こなたの一つ前の席を引いて、ほとんど無意識に腰を下ろす。もはや何度繰り返したかわからない行動を、体が完全に覚えこんでしまっていた。 (そういえば、この辺の席の人って)  昼休みはほとんど私たちが占拠してしまっていたような気がするけれど、いつも学食で食べる人ばかりだったのだろうか。顔を思い出そうとしてみても、男だったか女だったかすらはっきりしなかった。 「ほんと、私って……」  こなたのことばっかり見てたんだな、と自嘲する。よくよく考えてみれば、こなたのクラスメイトの顔なんてほとんど覚えていなかった。 「そりゃ、日下部も文句言うよね……」  気付いたらあいつのことばかり追っていた。あんなぐうたらでだらしなくて、私に頼ってばっかりで……ほんとにどうしようもない奴なのに。  楽しかったのだ、あいつと一緒にいるのが。あいつの馬鹿に付き合って、騒いで、文句を言って、親父発言に突っ込みを入れて、笑い合って。そんな日々が楽しすぎて、いつのまにか、その当たり前の日常がずっと続くものだと信じてしまっていた。 「……そんなはず、ないのにね」  つかさもみゆきも、あいつも、「これからも一緒に遊ぼうね」なんて言って笑っていたけれど。  きっと、みんなわかっていた。今までの日々が続くわけなんてないってこと。大学はみんな別々だし、埼玉を離れて一人暮らしを始めるのもいる。みんなそれぞれ、新しい生活を始めるのだ。高校時代を思い出に変えて、新しい友達を作って、新しい繋がりを築いていく。  そんな未来を想像したら、どうしてか胸が締め付けられるように痛くて、私はこなたの机に突っ伏した。 (なんで私ばっかり……)  あいつはきっと、私が感じている寂しさなんて気にもしてないんだろうな。今日だって、あいつがじゃれついてくるたびに、この胸はざわついて止まらなかったのに、そんなこと微塵も気付かないで、あいつは無邪気に笑うんだ。 (ずるい、よ……)  突っ伏したまま、こなたの机の表面をなぞる。指を滑らせていくと、ところどころ凹んでいたり、ざらついていたり、小さく彫った跡があったり。こなたが乱暴に扱ったせいなのか、一年前からそうだったのかはわからないけれど。 (……でも、あいつはノートなんてとらないから関係ないか)  よくよく見れば、ちょうど私が伏せているあたりに、マジックで描いた落書きの消し跡があった。もうほとんどかすれていてはっきりはしないけれど、こなたが好きだったキャラクターにどことなく似ている気がして、私はくすりと笑った。 「ふふ……」  ゆっくりと落書きの跡をなでていると、どうしても高校生活の思い出ばかりが頭をよぎる。つかさにこなたを紹介されたときのこと、こなたに初めてアニメイトに連れて行かれたときのこと、クラス替えで一緒のクラスになれずに、こっそり落ち込んだこと……。いつの間にか涙がにじんできて、机も落書きも、ぼやけてはっきり見えなくなってしまっていた。 「……っ。こなた……っ」  ──その、呼びかけに応えたわけでもないのだろうけど。  がたり、と何かが揺れる音が聞こえ、私はびっくりして立ち上がった。勢いで椅子が跳ねて、ガタンと派手な音を立てた。 「……かがみ?」  教室の扉の方に目をやれば、そこには小柄な少女が一人。青くて長い髪に、アンテナのように立つアホ毛、小学生でも通りそうな小さな体……その姿を私が見間違えるはずもない。 「こ、なた……?」  どうしてこんなところに、とつぶやいた言葉は音にはならず、ただ唇を震わせただけだった。 「かがみ、こんなところにいたんだね」  相変わらずの能天気な声で言って、こなたは普段通りの足取りで近付いてくる。陰になって見えないその表情がもう少しで見えるというところで、こなたはようやく、ちょっとびっくりしたように立ち止まった。 「かがみ……もしかして、泣いてるの?」 「ば……ッ!」  慌てて、こなたに背を向ける。あいつに涙なんて見られるのはしゃくだから、さっさと普通の顔に戻って振り向くつもりだったのに。こなたが後ろにいる……それを考えると、嬉しいのか悲しいのかよくわからない涙が溢れてきて、まったく止まってくれないのだった。 「バカ……ッ。泣いてなんかないわよ……っ」  セリフだけ必死に強がったところで、鼻声を震わせていればバレバレに違いなかった。ふぅ、と後ろで聞こえた息遣いは、ため息だろうか、苦笑だろうか、それとも……。背を向けたままの私に向かって、こなたがゆっくりと歩いてくる気配を感じる。 「……ほんと、かがみはさびしがりやさんだね」  耳元でささやき声が聞こえて、私は後ろから抱きしめられていた。 「まったく、こんなところで一人で泣いて……。私の胸ならいくらでも貸してあげるのに」 「……胸なんて、ないくせに。だいたい、なんで私があんたなんかに……っ」  どうしても憎まれ口しか出てこない自分の口が、ちょっとうらめしかった。 「そりゃあ、かがみは私の嫁だからね。嫁が泣きたいときに胸を貸してあげるのは当然のことだよ~」  それでもこなたは、私の心の中なんてお見通しだというように、いつもと変わらない軽い口調でそう言うのだ。 私はそのことが妙に腹立たしくて、涙に濡れた唇を噛んだ。 「っ……。誰が嫁だっ」 「……しょうがないなぁ」  ぎゅうっと、私を抱く腕に力がこもる。そのまま下に体重がかかったかと思うと、私は強引に椅子に着席させられていた。 「ひゃっ……!?」  ガタンと響いた音と、お尻の痛み。 「はい、こっち向いて~」 「なにす──っぷ!?」  何すんのよ、とこなたの方に向き直ろうとした途端、今度は頭をしっかりと抱え込まれてしまっている。息が苦しいほどに抱きしめられて、私は言葉を詰まらせた。 「かがみ……泣きたいときは、素直に泣いた方がいいよ?」  布越しに感じるこなたの胸は、言っては悪いが絶望的に薄い。けれど、その柔らかさはやっぱりちゃんと女の子で。むしろ、その小さな体で私を包み込んでくれることこそが、こなたの強さと優しさを象徴しているように思えた。 「……制服、汚れるわよ」 「いいよ、そんなの。どうせ、これで最後だしね」  それもそうだ。私たちは今日を最後にセーラー服を脱ぎ捨てて、新しい日々を始めなくてはいけなかった。 「あ、でも、鼻かむのは禁止ね」 「するかっ、そんなこと……っ」  思わず入れた突っ込みが、私の涙の限界だった。一度緩んだ涙腺は歯止めがきいてくれなくて、次から次へと溢れてはこなたの胸元に吸い込まれていった。 「……ぅ……くっ……」 「よしよし」  こなたはあやすように言って、私の頭をそっとなでる。その手のひらの感触は、まるで心の中に直に触れてくるように感じられて、私は幼子のように顔をこすりつけていた。  教室に響くのは私の嗚咽と、こなたが撫でてくれるかすかな衣擦れ。黄昏時も終わろうかという教室で、私はしばらく泣き続けた。  どれくらい、そうしていただろうか。私が少し落ち着いてくるのを待って、こなたはゆっくりと口を開いた。 「……大丈夫、大学に入ったってそんなに変わらないよ。今の時代、携帯電話っていう便利なものだってあるんだからね。それに、週末はまた二人で遊びに行けばいいし」 「……そういう、約束が欲しいんじゃないのよ」  こなたの制服に顔を埋めたまま、首を横に振る。頭上でかすかな苦笑が聞こえた。 「ありゃ。……ん~、まあ確かに、『毎日メールするから!』は疎遠になるフラグだよねぇ」  フラグなんてものは知らないけれど、そんな約束を盾にしてどうこうするのは何か違う気がした 「ま、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。私のだらしなさは、かがみが一番よく知ってるでしょ?  かがみが助けてくれなかったら、大学卒業なんて夢のまた夢だって」 「……ほんとに、あんたってやつは……」  それが嘘だということくらい、わかっている。こなたはやる気さえ出せば、何だってちゃんとできることも。 だけど、こなたにそこまで言われては、私も応えないわけにはいかなかった。 「まったく、仕方ないわね……」  こなたの胸からそっと顔を離す。精一杯作った笑顔は、果たして上手くいっていたかどうか分からないけれど。 「私だって大学の勉強に自信なんてないけど、わかるところはできるだけ面倒見てあげるから。  だから、安心してなさい」  それがきっと、私たちの“お約束”なのだ。 「んふふ~」 「な、なによ」  途端にニヤニヤし始めるこなた。どうせまた「かがみはツンデレだなぁ」とか思っているに違いない。 「いや~、ほんとにそんなこと言っちゃっていいの? 私空気読まないから、かがみが嫌だって言っても、お構いなしにつきまとっちゃうよ?」 「そんなの、望むところよ。あんたが嫌がったって、無理やり世話焼いてあげるから覚悟してなさい」  私たちはちょっとのあいだ見つめ合って、それから何拍かの沈黙の後、ふたり同時に吹き出した。 「……ぷっ」 「あははっ」  考えて見れば、なんてバカらしいセリフだろう。決め台詞にしてはあまりにも間抜けで、でもそんなところがとても私たちらしい。  ひとしきり笑い合ってから、こなたが急に、飛び付くように抱きついてきた。 「か~がみ~♪」  いきなりの衝撃に、椅子ごとひっくり返りそうになって慌てて支える。 「こ、こらっ。いきなりじゃれついてくるなっ」 「んん~? 嬉しいくせに♪」  こなたがところ構わず頬ずりしてくるものだから、私は恥ずかしいやらくすぐったいやらで身をよじった。 「う、うるさいっ」 「……でも、よかった」  最終的に私の胸に落ち着いたこなたは、急に静かになるとぽつりとつぶやいた。 「……こなた?」 「ん~……寂しかったのは、かがみだけじゃなかったってこと」 「え……」  それって──。うつむいたこなたの表情はわからないけれど、かすかにのぞく頬は朱に染まっているようにも見えた。 (私だけじゃ、なかったんだ……)  胸を、あたたかいものが満たしていくのがわかる。それはまるで、こなたからのぬくもりが流れ込んでくるように。 「こなた……」  さっきのお返しとばかりに頭をなでてあげると、こなたは「んぅ……」と心地よさそうに吐息を漏らした。手のひらをすべらせるたびにアホ毛がぴょこんとはねて、何かの尻尾みたいに揺れる。 (あんたってほんと、猫みたいよね……)  なでられて目を細めるこなたには、ゴロゴロと喉を鳴らす擬音が似合いそうだ。ちっちゃな体を全身であずけてくる姿は、どこか小動物のように可愛らしい。 (これで、性格がまともならね)  そんなことを思って、心の中でくすりと笑う。もっとも、性格がおしとやかなこなたなんて、想像しようと思ってもできないけれど。それに、こんなだからこそ仲良くなれたのかもしれないし、そのおかげで、この3年間は文句なく楽しかったから。 (こいつに感謝しないとね……)  ふと、こなたの頭を撫でる手を止めて、カーテンが揺れる窓の方を見やれば、いつの間にか外はほとんど闇に包まれていた。 「あれ、もうこんな時間……」  そこで私は、何か忘れていたことにようやく気が付いた。 「って、つかさたちのこと忘れてた……!」  こなたも顔を上げて、ぽりぽりと頬を掻く。 「あ~……そういえば、すっかり忘れてたね」  自分のことでいっぱいいっぱいで、すっかり失念してしまっていた。慌てて携帯電話を開いてみれば、案の定メールの着信が数通。 「あちゃあ……」 「ん~、私のほうにも来てるねぇ」  どちらも、最後の着信はもう数十分前で、今から行って間に合うかどうかは何とも言えなかった。 「……とりあえず、歩きながら連絡取りましょうか」 「そだね」  開けっ放しだった窓を閉めてから、連れ立って教室を出る。廊下には疎らながら蛍光灯が付いていて、暗い教室から出るとちょっと目が痛かった。 「あ、かがみ。先に顔を洗ってきた方がいいかも」 「え?」 「涙の跡……結構すごいし」 「あ……」  よくよく考えてみれば、さっきまで私はこなたの胸に顔を埋めて泣いていたわけで。そのことを思い出すと、 今さらながら頬が燃えるように熱くなった。 「ん~、さっきのかがみ、可愛かったなぁ……」 「うっ──」  こなたの浮かべる含み笑いが追い討ちになって、私は逃げるように回れ右をすると、すぐそこの女子トイレに 向かって駆け出した。 「まったくあいつは……」  鏡に映る私は、確かにちょっと人には見せられない有様だった。蛇口を一気にひねって、出てきた水を目一杯すくってばしゃばしゃと洗う。  火照った頬に、冷たい感触が気持ちいい。心の中に残っていたもやもやが、水と一緒に流れ落ちていったような気がした。 「よしっ」  ハンカチでぬぐって、最後に両手でばちんと頬を張る。鏡の中の自分は、とてもさっぱりした表情をしていた。 「お待たせ」  私が駆け寄ると、こなたはちょうど携帯をたたもうとするところだった。 「つかさたち、どうだって?」 「うん、まだカラオケやってるって。今から行けば間に合うよ」 「そう、よかった」  こなたは携帯をしまうと、私の顔をまじまじと見つめる。 「……ん、いい顔になったね」 「そ、そうかな」 「うん。かがみはやっぱりこうじゃないと」  ひとつ大きくうなずいて、こなたはにこりと笑った。 「それじゃ、行きますかっ」  それから、おもむろに私の手を掴むと、いきなりきびすを返して走り出した。 「ちょっ!? ちょっと、待ちなさいよっ!」  私はつんのめって、危うく転びそうになりかける。 「あはっ」  こなたは私の抗議になんかお構いなしに、ぐんぐんと速度を上げる。本気で走ったら敵うはずもない私は、なんとかついていくのが精一杯だ。 「まったく……」  それでも、口とは裏腹に、私の心は弾んでいた。こなたと走るこの先が、私たちの未来に繋がっている気がした。  私はぎゅっと、繋がった手を強く握りしめる。こなたに置いていかれないように。──この手が、決して離れないように。 **コメントフォーム #comment(below,size=50,nsize=20,vsize=3) - 自分もJK3で卒業控えてるから &br()こなかが抜きでも泣けた← -- 名無しさん (2010-09-12 01:08:20) - ↓Zガンダムはいいよな。 -- 名無し (2009-07-13 00:45:40) - 水の星へ愛をこめてを聞きながら読んだら効果倍増だった。GJ! -- 名無しさん (2008-10-31 18:32:16)
「つないだ手の先に」  卒業式もとうに終わって、日もまもなく暮れようかという頃。私は一人、がらんとした校舎の中を歩いていた。  薄暗くなった廊下には誰もいない。まだそこここで人の気配はするものの、時折聞こえてくるささやきのよう な話し声が、逆に寂寥感を増しているような気がした。 「今頃、みんなカラオケに着いたかな……」  クラスのみんなとのお喋りや記念撮影が終わったあと、いつものメンバーでパーッとやろうということになった。まずは駅前のカラオケってことだったから、みんなそろそろ着いているはずだった。  もちろん、私も最初は行くつもりだった。実際、帰り支度もして、上履きも回収してカバンに仕舞って、校舎 を出て、校門のところまでは一緒についていったのだ。けれど、それ以上の一歩がどうしても踏み出せなくて、 結局ここに戻ってきてしまった。 「ご、ごめんっ。私、忘れ物しちゃったみたい。後から行くから、先行ってて!」  そんな言い訳をまくし立てて、みんなの返事も聞かずに走った。  たまらなく怖かった。あれ以上一緒にいたら、そのうち泣き出してしまいそうだったから。 (どうして、かな……)  心の中でため息をつきながら、とぼとぼと廊下を歩く。静かな黄昏の中、歩き慣れたリノリウムの摩擦音が、 やけに大きく響く気がした。 「……あはは……」 「……マジで~……」  急に笑い声が聞こえて、私はびくりと立ち止まった。気付けば、そこは自分の教室の前だ。どうやらまだ残っている生徒がいたようで、中からは男女数人の話し声が伝わってくる。 「あ……」  私は扉を開けようとして──やっぱりやめた。なんとなく、ここは私の居場所ではないような気がした。伸ばしかけた手を引っ込めて、また何歩か足を進める。  一つ隣のクラスで立ち止まって、私は扉をカラリと滑らせた。教室には誰もいなかった。西日がその半分をオレンジに染めていて、私はもう半分の陰の中にいた。戸締りを忘れたのか、いくつかの窓は半開きで、吹き込んだ風にカーテンがゆらゆらと揺れている。  教室の前後の黒板は、みなが思い思いに描いたのだろう寄せ書きやら、相合傘やら、なんだかよくわからない落書きやらで埋め尽くされていた。カラフルに描かれた雑多な文字と図形が、「卒業おめでとう」の大きな文字 のまわりを踊っている。色彩豊かなはずのそれらも、いまは薄闇に溶けて霞んでいた。  私は生徒のいない教室の中へ踏み出す。進む足は自然にこなたの机へと向かっていた。こなたの一つ前の席を引いて、ほとんど無意識に腰を下ろす。もはや何度繰り返したかわからない行動を、体が完全に覚えこんでしまっていた。 (そういえば、この辺の席の人って)  昼休みはほとんど私たちが占拠してしまっていたような気がするけれど、いつも学食で食べる人ばかりだったのだろうか。顔を思い出そうとしてみても、男だったか女だったかすらはっきりしなかった。 「ほんと、私って……」  こなたのことばっかり見てたんだな、と自嘲する。よくよく考えてみれば、こなたのクラスメイトの顔なんてほとんど覚えていなかった。 「そりゃ、日下部も文句言うよね……」  気付いたらあいつのことばかり追っていた。あんなぐうたらでだらしなくて、私に頼ってばっかりで……ほんとにどうしようもない奴なのに。  楽しかったのだ、あいつと一緒にいるのが。あいつの馬鹿に付き合って、騒いで、文句を言って、親父発言に突っ込みを入れて、笑い合って。そんな日々が楽しすぎて、いつのまにか、その当たり前の日常がずっと続くものだと信じてしまっていた。 「……そんなはず、ないのにね」  つかさもみゆきも、あいつも、「これからも一緒に遊ぼうね」なんて言って笑っていたけれど。  きっと、みんなわかっていた。今までの日々が続くわけなんてないってこと。大学はみんな別々だし、埼玉を離れて一人暮らしを始めるのもいる。みんなそれぞれ、新しい生活を始めるのだ。高校時代を思い出に変えて、新しい友達を作って、新しい繋がりを築いていく。  そんな未来を想像したら、どうしてか胸が締め付けられるように痛くて、私はこなたの机に突っ伏した。 (なんで私ばっかり……)  あいつはきっと、私が感じている寂しさなんて気にもしてないんだろうな。今日だって、あいつがじゃれついてくるたびに、この胸はざわついて止まらなかったのに、そんなこと微塵も気付かないで、あいつは無邪気に笑うんだ。 (ずるい、よ……)  突っ伏したまま、こなたの机の表面をなぞる。指を滑らせていくと、ところどころ凹んでいたり、ざらついていたり、小さく彫った跡があったり。こなたが乱暴に扱ったせいなのか、一年前からそうだったのかはわからないけれど。 (……でも、あいつはノートなんてとらないから関係ないか)  よくよく見れば、ちょうど私が伏せているあたりに、マジックで描いた落書きの消し跡があった。もうほとんどかすれていてはっきりはしないけれど、こなたが好きだったキャラクターにどことなく似ている気がして、私はくすりと笑った。 「ふふ……」  ゆっくりと落書きの跡をなでていると、どうしても高校生活の思い出ばかりが頭をよぎる。つかさにこなたを紹介されたときのこと、こなたに初めてアニメイトに連れて行かれたときのこと、クラス替えで一緒のクラスになれずに、こっそり落ち込んだこと……。いつの間にか涙がにじんできて、机も落書きも、ぼやけてはっきり見えなくなってしまっていた。 「……っ。こなた……っ」  ──その、呼びかけに応えたわけでもないのだろうけど。  がたり、と何かが揺れる音が聞こえ、私はびっくりして立ち上がった。勢いで椅子が跳ねて、ガタンと派手な音を立てた。 「……かがみ?」  教室の扉の方に目をやれば、そこには小柄な少女が一人。青くて長い髪に、アンテナのように立つアホ毛、小学生でも通りそうな小さな体……その姿を私が見間違えるはずもない。 「こ、なた……?」  どうしてこんなところに、とつぶやいた言葉は音にはならず、ただ唇を震わせただけだった。 「かがみ、こんなところにいたんだね」  相変わらずの能天気な声で言って、こなたは普段通りの足取りで近付いてくる。陰になって見えないその表情がもう少しで見えるというところで、こなたはようやく、ちょっとびっくりしたように立ち止まった。 「かがみ……もしかして、泣いてるの?」 「ば……ッ!」  慌てて、こなたに背を向ける。あいつに涙なんて見られるのはしゃくだから、さっさと普通の顔に戻って振り向くつもりだったのに。こなたが後ろにいる……それを考えると、嬉しいのか悲しいのかよくわからない涙が溢れてきて、まったく止まってくれないのだった。 「バカ……ッ。泣いてなんかないわよ……っ」  セリフだけ必死に強がったところで、鼻声を震わせていればバレバレに違いなかった。ふぅ、と後ろで聞こえた息遣いは、ため息だろうか、苦笑だろうか、それとも……。背を向けたままの私に向かって、こなたがゆっくりと歩いてくる気配を感じる。 「……ほんと、かがみはさびしがりやさんだね」  耳元でささやき声が聞こえて、私は後ろから抱きしめられていた。 「まったく、こんなところで一人で泣いて……。私の胸ならいくらでも貸してあげるのに」 「……胸なんて、ないくせに。だいたい、なんで私があんたなんかに……っ」  どうしても憎まれ口しか出てこない自分の口が、ちょっとうらめしかった。 「そりゃあ、かがみは私の嫁だからね。嫁が泣きたいときに胸を貸してあげるのは当然のことだよ~」  それでもこなたは、私の心の中なんてお見通しだというように、いつもと変わらない軽い口調でそう言うのだ。 私はそのことが妙に腹立たしくて、涙に濡れた唇を噛んだ。 「っ……。誰が嫁だっ」 「……しょうがないなぁ」  ぎゅうっと、私を抱く腕に力がこもる。そのまま下に体重がかかったかと思うと、私は強引に椅子に着席させられていた。 「ひゃっ……!?」  ガタンと響いた音と、お尻の痛み。 「はい、こっち向いて~」 「なにす──っぷ!?」  何すんのよ、とこなたの方に向き直ろうとした途端、今度は頭をしっかりと抱え込まれてしまっている。息が苦しいほどに抱きしめられて、私は言葉を詰まらせた。 「かがみ……泣きたいときは、素直に泣いた方がいいよ?」  布越しに感じるこなたの胸は、言っては悪いが絶望的に薄い。けれど、その柔らかさはやっぱりちゃんと女の子で。むしろ、その小さな体で私を包み込んでくれることこそが、こなたの強さと優しさを象徴しているように思えた。 「……制服、汚れるわよ」 「いいよ、そんなの。どうせ、これで最後だしね」  それもそうだ。私たちは今日を最後にセーラー服を脱ぎ捨てて、新しい日々を始めなくてはいけなかった。 「あ、でも、鼻かむのは禁止ね」 「するかっ、そんなこと……っ」  思わず入れた突っ込みが、私の涙の限界だった。一度緩んだ涙腺は歯止めがきいてくれなくて、次から次へと溢れてはこなたの胸元に吸い込まれていった。 「……ぅ……くっ……」 「よしよし」  こなたはあやすように言って、私の頭をそっとなでる。その手のひらの感触は、まるで心の中に直に触れてくるように感じられて、私は幼子のように顔をこすりつけていた。  教室に響くのは私の嗚咽と、こなたが撫でてくれるかすかな衣擦れ。黄昏時も終わろうかという教室で、私はしばらく泣き続けた。  どれくらい、そうしていただろうか。私が少し落ち着いてくるのを待って、こなたはゆっくりと口を開いた。 「……大丈夫、大学に入ったってそんなに変わらないよ。今の時代、携帯電話っていう便利なものだってあるんだからね。それに、週末はまた二人で遊びに行けばいいし」 「……そういう、約束が欲しいんじゃないのよ」  こなたの制服に顔を埋めたまま、首を横に振る。頭上でかすかな苦笑が聞こえた。 「ありゃ。……ん~、まあ確かに、『毎日メールするから!』は疎遠になるフラグだよねぇ」  フラグなんてものは知らないけれど、そんな約束を盾にしてどうこうするのは何か違う気がした 「ま、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。私のだらしなさは、かがみが一番よく知ってるでしょ?  かがみが助けてくれなかったら、大学卒業なんて夢のまた夢だって」 「……ほんとに、あんたってやつは……」  それが嘘だということくらい、わかっている。こなたはやる気さえ出せば、何だってちゃんとできることも。 だけど、こなたにそこまで言われては、私も応えないわけにはいかなかった。 「まったく、仕方ないわね……」  こなたの胸からそっと顔を離す。精一杯作った笑顔は、果たして上手くいっていたかどうか分からないけれど。 「私だって大学の勉強に自信なんてないけど、わかるところはできるだけ面倒見てあげるから。  だから、安心してなさい」  それがきっと、私たちの“お約束”なのだ。 「んふふ~」 「な、なによ」  途端にニヤニヤし始めるこなた。どうせまた「かがみはツンデレだなぁ」とか思っているに違いない。 「いや~、ほんとにそんなこと言っちゃっていいの? 私空気読まないから、かがみが嫌だって言っても、お構いなしにつきまとっちゃうよ?」 「そんなの、望むところよ。あんたが嫌がったって、無理やり世話焼いてあげるから覚悟してなさい」  私たちはちょっとのあいだ見つめ合って、それから何拍かの沈黙の後、ふたり同時に吹き出した。 「……ぷっ」 「あははっ」  考えて見れば、なんてバカらしいセリフだろう。決め台詞にしてはあまりにも間抜けで、でもそんなところがとても私たちらしい。  ひとしきり笑い合ってから、こなたが急に、飛び付くように抱きついてきた。 「か~がみ~♪」  いきなりの衝撃に、椅子ごとひっくり返りそうになって慌てて支える。 「こ、こらっ。いきなりじゃれついてくるなっ」 「んん~? 嬉しいくせに♪」  こなたがところ構わず頬ずりしてくるものだから、私は恥ずかしいやらくすぐったいやらで身をよじった。 「う、うるさいっ」 「……でも、よかった」  最終的に私の胸に落ち着いたこなたは、急に静かになるとぽつりとつぶやいた。 「……こなた?」 「ん~……寂しかったのは、かがみだけじゃなかったってこと」 「え……」  それって──。うつむいたこなたの表情はわからないけれど、かすかにのぞく頬は朱に染まっているようにも見えた。 (私だけじゃ、なかったんだ……)  胸を、あたたかいものが満たしていくのがわかる。それはまるで、こなたからのぬくもりが流れ込んでくるように。 「こなた……」  さっきのお返しとばかりに頭をなでてあげると、こなたは「んぅ……」と心地よさそうに吐息を漏らした。手のひらをすべらせるたびにアホ毛がぴょこんとはねて、何かの尻尾みたいに揺れる。 (あんたってほんと、猫みたいよね……)  なでられて目を細めるこなたには、ゴロゴロと喉を鳴らす擬音が似合いそうだ。ちっちゃな体を全身であずけてくる姿は、どこか小動物のように可愛らしい。 (これで、性格がまともならね)  そんなことを思って、心の中でくすりと笑う。もっとも、性格がおしとやかなこなたなんて、想像しようと思ってもできないけれど。それに、こんなだからこそ仲良くなれたのかもしれないし、そのおかげで、この3年間は文句なく楽しかったから。 (こいつに感謝しないとね……)  ふと、こなたの頭を撫でる手を止めて、カーテンが揺れる窓の方を見やれば、いつの間にか外はほとんど闇に包まれていた。 「あれ、もうこんな時間……」  そこで私は、何か忘れていたことにようやく気が付いた。 「って、つかさたちのこと忘れてた……!」  こなたも顔を上げて、ぽりぽりと頬を掻く。 「あ~……そういえば、すっかり忘れてたね」  自分のことでいっぱいいっぱいで、すっかり失念してしまっていた。慌てて携帯電話を開いてみれば、案の定メールの着信が数通。 「あちゃあ……」 「ん~、私のほうにも来てるねぇ」  どちらも、最後の着信はもう数十分前で、今から行って間に合うかどうかは何とも言えなかった。 「……とりあえず、歩きながら連絡取りましょうか」 「そだね」  開けっ放しだった窓を閉めてから、連れ立って教室を出る。廊下には疎らながら蛍光灯が付いていて、暗い教室から出るとちょっと目が痛かった。 「あ、かがみ。先に顔を洗ってきた方がいいかも」 「え?」 「涙の跡……結構すごいし」 「あ……」  よくよく考えてみれば、さっきまで私はこなたの胸に顔を埋めて泣いていたわけで。そのことを思い出すと、 今さらながら頬が燃えるように熱くなった。 「ん~、さっきのかがみ、可愛かったなぁ……」 「うっ──」  こなたの浮かべる含み笑いが追い討ちになって、私は逃げるように回れ右をすると、すぐそこの女子トイレに 向かって駆け出した。 「まったくあいつは……」  鏡に映る私は、確かにちょっと人には見せられない有様だった。蛇口を一気にひねって、出てきた水を目一杯すくってばしゃばしゃと洗う。  火照った頬に、冷たい感触が気持ちいい。心の中に残っていたもやもやが、水と一緒に流れ落ちていったような気がした。 「よしっ」  ハンカチでぬぐって、最後に両手でばちんと頬を張る。鏡の中の自分は、とてもさっぱりした表情をしていた。 「お待たせ」  私が駆け寄ると、こなたはちょうど携帯をたたもうとするところだった。 「つかさたち、どうだって?」 「うん、まだカラオケやってるって。今から行けば間に合うよ」 「そう、よかった」  こなたは携帯をしまうと、私の顔をまじまじと見つめる。 「……ん、いい顔になったね」 「そ、そうかな」 「うん。かがみはやっぱりこうじゃないと」  ひとつ大きくうなずいて、こなたはにこりと笑った。 「それじゃ、行きますかっ」  それから、おもむろに私の手を掴むと、いきなりきびすを返して走り出した。 「ちょっ!? ちょっと、待ちなさいよっ!」  私はつんのめって、危うく転びそうになりかける。 「あはっ」  こなたは私の抗議になんかお構いなしに、ぐんぐんと速度を上げる。本気で走ったら敵うはずもない私は、なんとかついていくのが精一杯だ。 「まったく……」  それでも、口とは裏腹に、私の心は弾んでいた。こなたと走るこの先が、私たちの未来に繋がっている気がした。  私はぎゅっと、繋がった手を強く握りしめる。こなたに置いていかれないように。──この手が、決して離れないように。 **コメントフォーム #comment(below,size=50,nsize=20,vsize=3) - GJ!!(≧∀≦)b &br()これはアニメ回でも似合いそう -- 名無しさん (2023-06-03 20:17:22) - 自分もJK3で卒業控えてるから &br()こなかが抜きでも泣けた← -- 名無しさん (2010-09-12 01:08:20) - ↓Zガンダムはいいよな。 -- 名無し (2009-07-13 00:45:40) - 水の星へ愛をこめてを聞きながら読んだら効果倍増だった。GJ! -- 名無しさん (2008-10-31 18:32:16)

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