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ヴォリー

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「ンモオオォォォオオ!」
さんさんと陽光降り注ぐ穏やかな昼下がりの牧草地で突如として上がった牛の悲鳴。
泥棒か、狼か。考えられる原因はそんなところだが、何せこんな真っ昼間である。
人にしろ獣にしろ、白昼堂々と牛を掻っ攫うような真似はしないだろう。
そういう輩は夜を待つものだ。
つまりそれは、招かれざる客がそのどちらでもないことを示唆しているに違いなかった。
芝生に身を放り投げていた農夫は牛の悲鳴にようやく重い腰を上げて、喧騒の中心に視線を投げた。
そして、仰天した。
「ド、ドラゴン…!誰か!誰か助けてくれ!」
ドラゴン。…にしては随分と小さいが、立派な翼と頑丈な四肢はまさしくドラゴンそのもの。
それが手塩にかけて育てた牛の尻にかじりついているともなれば誰だって驚く。
農夫は竜がちらつかせる鋭利な鉤爪にびくびくしながらも、
大切な家畜を放り出して逃げるわけにもいかず、小さな竜に棒切れ一本で殴りかかった。
すると、竜はぴょんと宙返りをしてあっけなく牛を開放した。
「はぁ…はあっ…待って下さい!ぶたないで!彼は野良じゃない!」
見知らぬ男が息も絶え絶えに丘の下で叫んでいる。
野良じゃない?まさか。
人に飼いならされたドラゴンが家畜を襲うなんて話は聞いたことがない。
しかし改めて竜の全身を眺めてみると、なかなかどうして世話が行き届いている様子がうかがえた。
全身がつやつやしているし、何より、背にハーネスを装着している。
どうやら嘘ではないようだ。そして、この男がドラゴンの飼い主であることも疑いなかった。
「これはどういうことだい、あんた!」
農夫が丘を駆け下りて男に詰め寄る。
すると、フードを肩に垂らした厚着の男は申し訳なさそうに口を開いた。
「英国逓信士、キャプテン・ジェームス。
 この度は私のドラゴンが大変なご迷惑をおかけ致しましたことを謝罪致します。どうか、お許しを」
途端、農夫の怒気に満ちた表情がしぼんでいく。
英国逓信士、それは市民の生活を支える基盤の一つ。
馬では数週間を要するような伝令を彼らは半日で届けてしまう。
文書通達や緊急の重要連絡を届けてくれるのは他でもない彼らであり、
保安と情報網を担う国家の礎であることは誰もが認めるところであった。
「これはこれは、空軍のお方とは存じませんで。こちらこそ、無礼な振る舞いをお許し下さい」
農夫の言葉には明らかな皮肉が込められていたが、
ジェームスは決して表情に出さず、丁寧に謝罪してその場を後にした。

「ダメじゃないか!ヴォリー!
 人の牛を食べちゃいけないって約束しただろう!
 勝手に発着場からいなくなったりして…本当に心配したんだぞ」
港へと続くわき道にジェームスの怒号が響いた。
散々叱られてしょぼくれた竜がむすっとした調子で返事を返す。
「…テメレー、牛を分けてくれた」
テメレー。それはつい先日出合った、図抜けた知性を持つ希少種のドラゴンの名前。
あんなドラゴンは他に見たことがない。
ドラゴンの支配欲がもっとも強く働く食事の時間でさえ、
彼は見事にそれを以てして本能を押さえ込み、自分の牛をヴォリーに分け与えていた。

尻尾を引きずりながらとぼとぼと後ろを歩く竜の姿に、ジェームズは厳しい言葉を投げかけた自分を戒めた。
ヴォリーに悪気はなかった。それを痛感した。
同時に、あの農夫に希少種と同じ反応を期待していたヴォリーの無垢な発想が微笑ましかった。
「ヴォリー。テメレーは特別なんだよ。
 人間にもドラゴンにも、ああいうのは滅多にいないんだ。分かるかい?」
ジェームスは竜の鼻先に自らの鼻先で触れながら、優しく言い聞かせた。
しかし、竜は落ち込んだまま深くうなだれて顔を上げようとしない。
これは叱りすぎてしまったに違いない。
もう怒ってないよ、と、ジェームスは竜に声をかけてやろうとした。ちょうどその時である。
ヴォリーが顔を上げて寂しそうに問いかけた。
「テメレー、特別?ぼくは?」

我ながら、全く配慮を欠いていた。
おまえは特別じゃない──そう受け取られても仕方がないような言い回しだった。
ヴォリーは外部からの精神的な影響を極めて受けにくい。
品種改良の過程で犠牲にされた知性に起因する特徴だ。
良く言えば、落ち込みにくい。しかし悪く言えば、鈍感で緩慢。
これは神経質な種が多い小型のドラゴンの中では特異といえる。
そのヴォリーが、珍しく落ち込んでいた。
ジェームズは元来、マナーや気遣いに関して疎いことを自覚していた。
今の発言だってそうだ。なぐさめるつもりが彼を傷つけてしまった。
もしヴォリーが他の小型種のように繊細だったとしたら、既に愛想を尽かされていたかもしれない。
最初は"お馬鹿な"ドラゴンと終生の契りを結ぶことに抵抗感を覚えたものだ。
だが今は違う。心の底からこう言える。
ヴォリーこそ自分にとって最適なパートナーであると。
多少のことは気にせず、いつも前向きに自分を慕ってくれる…。
これほど自分にあつらえ向きな相棒がいるだろうか。
「もちろん、特別だ」
気がつくと、ジェームスはヴォリーを強く抱きしめていた。
わだかまりを溶かすように互いの温もりが皮膚を伝わる。
途端に竜の首がぴんと張り、みるみるうちに瞳に輝きが戻ってゆく。
「ほんと?テメレーといっしょ?」
「おまえはテメレーより特別だ。わたしにとっては、ね」
ヴォリーは嬉しそうに翼をはためかせていた。もう、いつものヴォリーだ。
ジェームスは発着場の方角に向き直り、再び歩き出した。
「さあ、仕事が待ってるぞ!
 こんなところで道草を食ってる場合じゃない。
 私たちの到着を待ちわびている人が大勢いるんだ。
 今日は昨日より早く届けてやろうじゃないか。なあ、ヴォリー。
 …って、あれ?ヴォリー?」
後ろから足音がしないことに気づいたジェームスが慌てて振り返る。
思わず口が半開きになった。
ぴょんぴょんと飛び跳ねながら来た道を逆走しているドラゴンの姿を目にすれば、誰だってそうなる。
「特別!牛っ!」

「そういう意味じゃないんだけどなぁ…」
ジェームスは一目散に牛に駆けてゆくヴォリーをただ唖然と見守っていた。
再び農夫に侘びを入れることになるのかと思うと気が重い。
とはいえ、まんざらでもなかった。
何なら自腹をはたいてヴォリーに牛を買ってやろう。
少なくとも、あの幸せそうな竜の背中に代える気にはならなかった。


感想

  • 暖かくていいですね。ヴォリーキュートすぎです。
    美味しいお話をありがとうございました。
    -- TERA (2012-01-05 16:36:44)
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