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忘我の温もり2

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rogan064

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ユサッ・・・ユサッ・・・ユサッ・・・
僕の上で巨大な白い塊がゆらゆらと踊る度に、フサフサの毛皮が擦れる快感とじわっとした熱が擦りつけられていく。
「フフ・・・満足か・・・?」
「ま、まだ・・・もっとあっためてよ・・・」
ただただ温もりを求めるために毛皮の中に自ら体を埋めようとする僕を見下ろしながら、ドラゴンはニヤニヤと笑っていた。

ヌフフフ・・・外は風雪吹き荒れ身も凍る寒さだというのに、この人間のなんと暖かいことか。
できれぱ冬が明けるまでずっとこうしていたい気分だ。
それに・・・人間もこの温もりに虜にされてもう逃げる力も残ってはおらぬだろう。
いつ食い殺されるかわからんというのにワシの体に抱きついて自ら体を擦りつけているのがそのよい証拠だ。
フフ・・・寒さが和らいだら、ゆっくりと味わっていただくとしよう。
快適な寝床と食べ物が1度に手に入るなど、今年の冬は寒さこそ厳しいがワシの運は悪くない。
もう真夜中だ。この人間をどうやって骨の髄までしゃぶり尽くすか考えるのは明日にして、今日はもう寝るとしよう。

「ワシはそろそろ寝るぞ」
毛皮に覆われた体に埋もれながら無我夢中で無上の心地よさを漁っていた僕の耳に、唐突にドラゴンの声が聞こえた。
一時とはいえこの幸せな営みが終わってしまうのは残念だったが、そうこうしているうちにドラゴンが再び僕に体重を預けてくる。
押し潰されるような圧迫感に呻く暇もなく、ドラゴンは早いものですでに寝息を立て始めていた。
「あ・・・」
次々と与えられる快楽にも似た温もりの供給が途絶えた瞬間、僕は唐突に現実に引き戻された。
こんなことをしている場合じゃない。今のうちになんとか逃げ出さないと、それこそ本当に逃げる気力も体力も奪われてドラゴンの餌食になってしまう。
僕はドラゴンを起こさないようにゆっくりとその巨体の下から這い出そうとしたが、重い上に柔らかいドラゴンの体はどうやっても僕の上からどかすことはできなかった。
しまいにはドラゴンが起きるのも構わず全力で両手足を突っ張ってみたが、やはりドラゴンの腹下から抜け出すことができない。
「う、くそ・・・」
絶対に逃がさないと言ったドラゴンの言葉が頭を過ぎる。
どうやら寒さが和らいで僕が用済みになるその時まで、ドラゴンは本当に僕を逃がすつもりはないらしい。
しかも、その後は・・・だめだ、考えるのはよそう。
どう足掻いても逃げられないという現実を突きつけられる度に、不安と焦燥が際限なく膨れ上がっていく。
それなのに・・・ああ、それなのに・・・明日になってドラゴンが目を覚ませば、僕はきっとまたあの温もりの虜にされてしまうんだ。
「うう・・・いやだ・・・ドラゴンなんかにく、食われるなんて・・・」
星明かりすら届かぬ漆黒の闇の中で、僕は自分ではどうにも変えることのできない恐ろしい運命を呪っていた。

いつのまに眠っていたのか、僕は朝になってハッと目を覚ました。
「ヌフフ・・・起きたようだな・・・」
僕が起きるのを今か今かと待ち構えていたドラゴンが、僕の顔を覗き込んでニヤッと笑う。
眠っている僕を無理矢理起こさなかった辺りにまだ情けのようなものが見え隠れしていたが、ドラゴンはいずれ僕を食い殺すその時まで、幸せな暖かさと優越感を味わいたいがために僕を弄ぶつもりなのだ。
逃げるなら、今度ドラゴンが体を浮かせた時が最初で最後のチャンスだろう。
もし捕まればおそらく命はないだろうが、それはこのままドラゴンの寝床に甘んじていたとしても変わらない。
「では・・・昨夜の続きだ・・・」
ドラゴンはそう言うと、再び重い体を持ち上げた。
別に腕を掴まれているわけでもなければ、尻尾を足に巻きつけられているわけでもない。
本当にただ地面の上に横たわる僕の上に、ドラゴンが覆い被さっているだけだった。
逃げようとするのは構わないというドラゴンの言葉が示す通り、これはたとえ僕が逃げ出そうとも簡単に捕まえられるという自信の表れなのだろう。
そして、逃げれば食い殺すというあの脅迫に僕が逆らえないだろうと高を括っているのだ。
「ヌフフフフ・・・」
ユサユサッユサユサユサ・・・
・・・ドラゴンにとっても余程心地がよいのか、たとえ1日中でも僕を揺さ振り回せるような勢いで、再びドラゴンが体を擦りつけてくる。
「うう・・・う・・・」
くすぐったいような気持ちいいようなフワフワの毛皮で体中を撫でられる感触に、僕は思わず身をまかせてしまいそうになった。
だめだ、今逃げなきゃ・・・体力と気力が少しでも残っている内に・・・
我を忘れてモコモコしたドラゴンの体に抱きつきたくなる衝動を何とか堪えると、僕は逃げ出す機会を窺い始めた。

「フフ・・・ヌフフ・・・」
そうこうしているうちに、ドラゴンが目を閉じて気持ちよさそうに笑い声を漏らし始める。
その意識が、完全に僕から逸れていた。逃げるなら今しかない。
僕はドラゴンに抱きつく振りをしてその脇腹から生えた白い毛の束を掴むと、グイッとドラゴンの腹下から体を引きずり出した。
そのまま慌てて起き上がり、後ろも振り向かずに洞窟の外へと向かって走り出す。
とにかくもう何が何でも、僕はドラゴンに捕まるわけにはいかなくなった。
今度捕まれば、それは即ち死を意味しているのだ。

「ム・・・馬鹿めが・・・ワシの警告を無視しおって・・・」
予想に反して逃走を試みた人間の背中を見つめながら、ドラゴンが冷たく目を細める。
警告を聞かずに逃げ出した人間は、もはやドラゴンにとって捕食の対象でしかなくなっていた。
「フフフ・・・まあいい。なかなか面白くなってきたではないか・・・」
狩るべき獲物ができた喜びに、ドラゴンは妖しい笑みを浮かべながらゆっくりと人間の後を追い始めた。

まだ、ドラゴンが追ってくる足音は聞こえなかった。
大丈夫・・・大丈夫だ・・・
何の根拠もないというのに、恐怖に暴れ狂う心臓の鼓動を鎮めようとして何度も何度も自分に言い聞かせる。
だが、恐ろしさに後ろも振り向けぬまま洞窟の入口までやってきて、僕は外の様子に愕然とした。
昨日からずっと雪が降り続いていたのか、僕をこの洞窟まで導いた雪の溝が跡形もなく消えている。
辺り一面平らな銀世界が延々と続いているように見えたが、それが少なくとも腰にまでかかるような深い雪であることは容易に想像がついた。
果たして逃げ切れるのかという不安に、思わず背後を振り向いてしまう。
ヒタ・・・ヒタ・・・
その視線の先に、僕をじっと睨み付けた白い巨獣がゆっくりとこちらに向かって歩を進めてくるのが見えた。
「う、うわ・・・」
明らかに、捕まれば無事には済みそうにない。
どうしよう・・・本当にこの深い雪の中を掻き分けて逃げ出すのか?
それとも、ドラゴンにもう逃げないから許してくれと頼み込むべきか?
だが、怒りを噛み殺したような表情を浮かべたドラゴンにはもう僕を許すつもりはなさそうだった。
獲物が必死で逃げ惑うのを楽しむように、あくまでゆっくりと僕を追い詰めるつもりらしい。

「い、行くしかないのか・・・」
僕は意を決すると、底の見えない雪の沼地に一気に飛び込んだ。
ドサッという音と共に胸まで雪に埋まってしまい、一瞬絶望が頭を過ぎる。
こんな雪の中をドラゴンから逃げ切るなんて・・・無理に決まってる。
このままでは、あっという間にドラゴンに捕まってしまうことだろう。
「くそ・・・くそぉ・・・」
バサバサと新雪を両手で掻き分けながら、ズリズリと体を前に進めていく。
だがそんな必死の努力も空しく、ドラゴンは歩いているだけであっさりと僕に追いついてしまった。
「どうした?ヌフフ・・・もう追いついてしまったぞ?」
いつでも僕を捕まえることができるというのに、ドラゴンが一定の距離を保ったまま僕の後ろをついてくる。
「フフフ・・・ワシから逃げようとして捕まったらどうなるか、確かにお前に警告したはずだな?」
「う、うああ・・・いやだっ・・・いやだぁぁ・・・」
殺されるという恐怖に涙を流しながら、僕は無駄と知りつつも雪を掻く手を止めることができなかった。
「そんなに早く食われたかったのか・・・?ヌフフ・・・ワシの至福の時を邪魔したお前の罪は重いぞ・・・」
「あ・・・ああ・・・あああああ・・・」
無謀にもドラゴンから逃げようとしてしまった己の浅はかさを悔やみ、僕は冷たい雪の中に崩れ落ちた。
自分で掘った雪の袋小路に背を預け、涙ながらにドラゴンに訴える。
「お、お願いだ・・・助けてくれ・・・頼むから食い殺すのだけは・・・」
「フフフフ・・・どこから食ってほしいのだ・・・?好きに選ばせてやるぞ・・・フフフ・・・」

命乞いにも情け容赦のないドラゴンの言葉に、僕は真っ白な地面に突っ伏して泣きじゃくった。
「う、うあああ・・・わあああああ・・・」
絶望に打ちひしがれた僕を見下ろしながら、ドラゴンが鋭い牙の並んだ大きな口をゆっくりと開く。
「ひ、ひぃぃ・・・・・・」
逃げ場を失った上に禍禍しい牙を振りかざしたドラゴンを前にして、僕はあまりの恐怖にフッと意識を失ってしまった。

目の前で気絶してドサッと雪の上に倒れ込んだ人間を眺めながら、ワシは正直どうしようか迷っていた。
今のうちに食ってしまうこともできるが、再びこの人間を洞窟の中へ連れ込んで抱き抱えてしまうこともできる。
うっとりするほどの快感を途中で中断されて、ワシはまだ物足りなさを感じていた。
だが、目を覚ましてまたしてもワシに囚われの身になっていることを知ったら、この人間は一体どんな反応をするだろう。
なぜ今の内に殺してくれなかったのか、まだ苦しめるつもりなのかとワシを恨むだろうか。
それとも、もはや全てを諦めてぐったりと横たわったまま最期の時までワシに身を委ねるのだろうか。
考えてみれば、それも少し酷な気がした。
もし今殺さぬというのなら、せめて命だけは取らずにいてやるべきだろう。
このままこの人間を腹の中に収めるか、それとも生かして帰してやるか、決断するなら今しかない。

たっぷり30分も迷った末に、ワシは人間の体を抱えると洞窟の奥へと戻ることに決めた。
これだけの思いをすればもう無理に逃げ出そうとはしないだろう。
その温もりに十分に満足できたらその時には、黙って見逃してやればよいのだ。
元の場所に人間の体を横たえると、ワシはその上にゆっくりと覆い被さった。
「む・・・随分と冷えておるな・・・このままでは凍えてしまうではないか」
外で長いこと思案している間に、雪に埋もれていた人間の体は相当冷やされていたらしい。
ワシは人間の体にフサフサの尻尾を巻きつけて両腕で抱え込むと、その冷たい体を温めるようにギュッと抱き締めた。
毛皮の中に蓄えられた熱量を全て注ぎ込むようにして、大きな体を目一杯揺する。
ユサッユサユサッユサユサユサ・・・
「う・・・うう・・・」
振動で目を覚ましたのか、人間が苦しそうにもぞもぞと動いた。

ひたすら体を揺さ振られている感覚に、僕は嫌な予感がしてゆっくりと目を開けた。
暖かい毛皮に全身をすっぽりと覆われたまま、ドラゴンが激しく身を揺すっている。
まさか・・・僕はまだ生きてるのか・・・?
「・・・気がついたか?」
僕が起きた気配に気付いたのか、ドラゴンが動きを止めて僕の顔を覗き込んだ。
僕は両足から腰にかけてドラゴンの尻尾がグルグルと巻きつけられていて、背中を大きな両腕で抱え込まれている。この状態ではもう逃げるチャンスもないだろう・・・
「な、なんで僕が気を失ってる間に食わなかったんだ?」

予想はしていたものの率直な質問をぶつけられ、ワシは少しばかりうろたえた。
「お前を食うのはやめだ。ワシを満足させてくれたら、麓まで無事に帰してやろう」
それを聞いて、人間は極めて怪訝そうな顔をした。一体どう言う風の吹き回しだ?もちろんそう思うことだろう。
「ほ、本当に助けてくれるのか?」
「もちろん本当だ。だから今しばらく・・・お前の体をワシの好きにさせてくれ」
涙の跡がついた顔からは人間が何を考えているのかを読み取ることはできなかったが、ふうっと大きく息をついて体の力を抜いたその様子に、ワシは安堵の表情を浮かべてスリスリと腹を擦りつけ始めた。

いつのまにか、僕は先程まで支配的だったドラゴンの愛撫に所々気遣いを感じ取れるようになっていた。
夢中で温もりと快感を貪るように僕を抱き揺すりながらも、ドラゴンがたまに力を抜いて僕の疲労を和らげてくれる。
冷え切っていた体にドラゴンの温かい手が、胸が、腹が、そして尻尾が擦りつけられる度に、僕は幸福の高みに昇らされていくのを感じていた。
自分からも巨大なドラゴンに抱きつき、お互いにその体を求め合う。
「フフ・・・なんと心地よきかな・・・ヌフフフフ・・・」
時折噛み締めるように笑い声を漏らすこのドラゴンが、ついさっきまで僕を食い殺そうとしていたなんてとても信じられない。
種族の違いを越えて厳しい寒さを乗り切ろうと身を震わすドラゴンを見つめながら、僕は自ら望んでなすがままに身を委ねていた。

「ハァ・・・ハァ・・・」
どれくらいお互いに身を寄せていたのだろう。
しばらくして、ドラゴンはすっかり満足したという様子で荒い息をつきながら僕を離してくれた。
「ま・・・満足した?」
激しくも甘い長時間の抱擁に疲れ果て、ぐったりと地面に横たわったままドラゴンに問い掛ける。
「フフ・・・十分に楽しませてもらったぞ・・・約束通り、ワシが麓まで送ってやる」
ドラゴンはそう言うと、ロクに体も休めないうちに僕をフカフカの背中へと乗せてくれた。
緩やかな丸みを帯びた背が、力なく寝そべる僕の体を気持ちよく支えてくれる。
僕がずり落ちないように自分の腹ごと長い尻尾を巻きつけて固定すると、ドラゴンはゆっくりと深い雪を掻き分けながら山を下り始めた。
ゆさゆさと揺れる背中が、じんわりとした暖かさと眠気を誘発する波動を僕の体に送り込んでくる。
まるで揺り篭の中で眠る赤ん坊のように、僕はドラゴンの背中でうっとりと目を閉じていた。

ふっと気がつくと、ドラゴンはすでに山の麓まで降りてきていた。
「ここで降りるがいい」
「ありがとう」
ここからなら問題なく家に帰れるだろう。ドラゴンに礼を言い、町に出発する準備を整える。
「む・・・う・・・」
だが、ドラゴンはまだ何か言いたそうに僕から顔を背けたまま身を揺すっていた。
「どうしたの?」
「う、む・・・あんな目に遭わせておいて今更何をと思うかも知れぬが・・・その・・・また来てはくれぬか?」
どうやら、ドラゴンにとってこの数日間の幸せは忘れられないものになったらしい。
だが、それは僕も同じだった。それに、その質問に対する答えはもう用意してある。
「食わないと約束してくれるんなら・・・毎年でも来るよ」
予想外の答えだったのか、ドラゴンがパッと僕の方に顔を向けた。
「・・・お前と共にいられるのならば、それだけでワシは満腹だ」
そう言って、照れくささを押し隠すようにドラゴンがくるりと踵を返す。
山の頂まで延々と続くような深い通り道の轍。
その轍の中を嬉しそうに引き返すドラゴンを、僕は姿が見えなくなるまでずっと見つめ続けていた。

来年からまた、山登りが楽しくなりそうだ。



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