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グラウンド・ゼロ 第19話

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匿名ユーザー

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 開戦してから半月も経たないうちに勝負は見えてきてしまっていた。
 連合がわにつく国は少しずつ減っていき、その数は初期の3分の2にまでにな
った。これでは最初に計画していた作戦の進行に支障が出てくる。
 各国首脳は悩んでいた。
 歩行要塞を落とすにはどうすればよいのか。
 敵の補給ルートを断つという作戦は初期の作戦と平行して行っていたが、すで
にこの半月の間に成功の見込みがどんどん薄くなってきている。
 全戦力を一気に投入すれば倒せる可能性も、ゼロではないかもしれないという
程度だが、ある。だがもしそうなって敗北したら、本当に取り返しがつかなくな
る。しかも短期決戦は向こうも望むところなのだ。
 遠距離からありったけのミサイルを叩き込むのは、歩行要塞のミサイル迎撃装
置の性能を知っていたら考えもしないだろうし、AACVまでも加わったらミサ
イルが命中する確率はいよいよ絶望的になる。
 爆撃?出来たらとっくにやってる。
 地雷?今までに何人同じことを考えたと思う?
 細菌兵器?ジュネーブが邪魔だ。
 クラッキングをしてコンピューターを狂わせるか?そんなことができる才能の
持ち主なんてエスパーよりも希少だ!居るわけがない!
 一番可能性が高いのはやはり、全滅した第一陣が行った、チャフでレーダーを
妨害した上でのAACVによる近接戦闘だった。だがそれもあのゴールデンアイ
ズたちのおかげで成功の見込みが薄くなってしまった。
 打つ手無しだ。


 「――っつー状況になってるだろうな、恐らくは」
 彼はベッドにうつ伏せに寝転がり、ノートパソコンを目の前において何か作業
をしながら言った。
 リョウゴは少し離れたところで椅子に座り、彼を見ていた。
 馬鹿でありながら頭脳明晰の、AACV操縦の天才、ハヤタ・ツカサキは足を
ぱたぱたさせている。
「ツカサキさんは――」
 リョウゴは訊く。
「――これからどうなると」
「そーだなー……」
 彼はリョウゴへの回答を頭の中でこしらえつつも、指は止めない。
「もう3回だっけか、連合を返り討ちにしたのって。」
「はい。」
「じゃあ、もうそろそろ連合は降参するよ。向こうに戦いたがる人間はもう居な
いさ。国家への忠誠心とかいう訳のわかんねーもんに気を狂わされた奴以外はな
。」
「それは、やっぱり」
「生還率0%の作戦なんて参加したがる奴が出るわけねーからな。」
「だから、ツカサキさんはあんなことを?」
「『あんなこと』?」
 彼には本当に心当たりが無いらしかった。
 リョウゴはわずかに戦慄する。
「……虐殺です。」
「んーまぁ、それもあるな。」
 精一杯に重みをつけて言ったつもりだったが、彼には意味が無かったようだっ
た。
「それ『も』?」
「何だ、嫌だったのか?」
 それでもツカサキはこちらを向かない。
 リョウゴは一瞬己の手のひらを見て、首を鳴らした。
「いいえ」
「無理しなくていいぜ。」
「いや、本当に」
「そっか。」
 ツカサキはエンターキーを押し、体を起こしあぐらをかいて、パソコンをその
膝の上にのせた。
「ところでさ」
 リョウゴは下がっていた視線を上げる。
「お前、新しいAACV欲しくね?」
「え?」
 唐突な話題だった。
「今の重装型じゃさ、正直ついてけてないっしょ?今までは俺らが守ってやって
たから大丈夫だったけどさー、この先はわかんないぜ?」
 その通りだった。
 リョウゴと周りのゴールデンアイズとは操縦テクニックに大きな差がある。攻
撃をしてくる連合のパイロットたちも手練れが多く、リョウゴ1人では勝てる気
がしない相手もザラにいた。
 それでも彼が生き残ってこれたのは常にツカサキや他のゴールデンアイズがそ
ばに居てくれたからだ。リョウゴには自分が足手まといになっている自覚があっ
た。
 リョウゴは肯定する。
「そっか。」
「新しいAACVって……」
「いや、今ちょっとこの歩行要塞の機密データバンクに不正侵入してたんだけど」
 休憩時間中に何トンでもないことやってんだアンタ。
「そこでちょいと面白いもんを見つけたからさ。」
「何を見つけたんですか?」
 ツカサキは頭の後ろに両手をやる。
「どうやら北米生存同盟は過去に無人AACVの開発をやってたみたいだな。結
局途中で行き詰まったみたいだけど。んで、俺が見つけたのはその人工知能プロ
グラム……の失敗作。」
「失敗作じゃあ、意味が無いんじゃ?」
 リョウゴの言葉に、ツカサキはケケケ、と笑った。
「時代はエコだぜリョウゴくん?分別&リサイクル。使えそうな部分だけパクっ
てきたよ。」
 なんだコイツ。
「後はこのプログラムをちょちょいと改造して、補給物質の発注リストを改竄し
て――……ヤバい、テンションあがってきた」
 そうして分身しかけるツカサキを見て、リョウゴはため息をついた。
 ――駄目だこいつ、はやくなんとかしないと……


 薬品臭が鼻をついた。
 医務室にやってきたシンヤ・クロミネは近くの医師に許可をもらい、目的のベ
ッドへと歩いていく。
 ベッドのカーテンは開いていた。
 足音を聞き付けて顔を上げた、そのベッドでなにか点字で書かれた書類を読ん
でいた彼女は、こちらの名前を尋ねてきた。
 シンヤは名乗る。ユイ・オカモトは書類を封筒にしまった。
「こんにちは」
 彼女の方が先に言った。
 シンヤも返し、適当な椅子を引き寄せてベッドの横で腰かける。
「具合、良さそうだね。」
 そう言うと、オカモトは小さく頷いた。
「そうですね。今日はいつもより気分がいいです」
「よかった。すぐに全快するよ」
 “きっと”という言葉は飲み込んだ。
 シンヤは持ってきていた紙袋を膝に乗せ、中のものを取り出した。
「これ、差し入れ。」
 それをオカモトがさっきまで本を読んでいたテーブルに置く。
「芋羊羮だけど、食べやすいように一口サイズのやつを一箱分持ってきた。」
 オカモトはそれを聞いて、少し明るい表情になった。
「ありがとうございます、和菓子は大好物です。だけど……」
 彼女はシンヤを見て、そして微笑む。
「食べきれるか心配です。」
「いや大丈夫、オカモトさんならイケる。」
 握りこぶしを作ってシンヤは自信満々に言い放つ。
 オカモトは困ったように笑った。
「元気なときならできますけどね」
 妙な空気が流れた。彼女はあわてて付け足す。
「い、いえ、もちろん嬉しいんですが……その……」
「いや、ごめん……空気読めない冗談言って。」
 シンヤは頭を下げようとしたが、止めた。さすがに学習した。
「そういえばさ」
 気をとりなおして新たな話題を提供する。
「連合対同盟の戦い……同盟がわが有利らしいね。」
「そうらしいですね。」
「その、俺たちって一応連合がわってことになってるじゃん。」
 彼女は頷く。
「これからどうなるのかなー、て。」
「もし仮に――」
 オカモトが言った。
「――このまま歩行要塞がグラウンド・ゼロに到達し、コアを手に入れても、コ
ロニー・ジャパンはその恩恵を受けられないでしょうね」
 彼女は続ける。
「この国は莫大な賠償金と明らかに不利な国際条約を結ばされるでしょう。そう
なったら近い将来、財政が破綻して最悪、国家解体となるかもしれません。その
ための情報も、向こうは持っているみたいですし……」
 シンヤは頷いた。
「回避するにはどうすればいいのかは……」
「コンドウさん頼み、です。」
 そうオカモトは言いきった。
 この状況を打破するには、歩行要塞を潰すしかなく、そしてそれは――そのた
めの策をひねり出せるこの国で唯一の人間であろう――アヤカ・コンドウにかか
っているのだ。


「無理ね」
 アヤカ・コンドウは力強く言い放った。
 彼女と向かい合うタケル・ヤマモトは改めて確認する。
「歩行要塞を倒すことが、ですか?」
 女は肯定した。顔にかかった黒の長髪を指で退ける。
「では我々は最早白旗を上げるしか手が無い?」
 ヤマモトが訊くと、しかし彼女は首を振る。
「正攻法では、の話よ。」
 アヤカはそっぽを向き、腕を組んだ。
「可能性はあるわ。しかし……」
「問題があるのですね」
「ええ。」
 アヤカ・コンドウは再びヤマモトに顔を向け、鋭い視線で射抜く。
「極めて勝ち目の薄いギャンブルになる。」
 ヤマモトは彼女を見つめ返し、そして訊く。
「今はまだ、その時ではないのですか?」
「実行すべきタイミングは、歩行要塞がコアを手にいれてから……」
「決着はグラウンド・ゼロで?」
「ええ」
 アヤカは笑っていた。うすら寒くなるような笑顔だった。


 歩行要塞は歩み続けている。
 そして、その時はやってきた。


 そこは平原だった。かつてその場所にあった小国たちは地下都市建設の予算が
確保できず、崩壊したと信じられていた。
 P物質が含まれる小惑星の欠片もほとんど見つからず、その地域はこの混沌と
した世界において真に見棄てられた場所となっていた。
 だが今、歩行要塞はそこに居る。
 彼らはついに見つけたのだ。世界を手に入れる権利を。光溢れる地上を灰と暗
闇の荒野へと変えた、小惑星の核を。
 それは灰の大地の奥深くに埋もれていた。果たして何人の人間がこの上を気づ
かないままに通りすぎたか――
 歩行要塞、グラウンド・ゼロ到達。


「ついにこの時が来ました。」
 歩行要塞司令官は、集まった一同に向かって言った。
「我々は今、歴史の節目にいます。」
 フミオ・キタザワはテーブルの上で指を組み、彼の話を聞いている。その椅子
のすぐ後ろにはスーツ姿のハヤタ・ツカサキが面倒くさそうに立っていた。
「ここから世界史の新たな物語が紡がれます。しかも素晴らしいことに、その筋
書きは我々にとって喜ばしいものとなるでしょう」
 司令官は椅子から立ち上がり、頭を深々と下げる。
「この偉業は皆様の御力無しには達成できませんでした。本当に、ありがとうご
ざいます。」
 彼は顔を上げる。近くの資料を手にとった。
「さて、今後の方針ですが――」



 歩行要塞のハッチを上がって、一隻の巨大なアッシュモービルが入ってくる。
 その鑑は然るべき位置に移動すると、後部ハッチを開いた。搭乗口からつなぎ
を着た男が降りてくる。
 走って彼を出迎えたのはノートパソコンを抱えたツカサキだった。簡単な事務
作業を終え、別れた男はフォークリフトロボットを起動させて、アッシュモービ
ルに積んである補給物資をドック内に並ばせ始めた。
 弾薬や食料の入った大量のコンテナ、予備のAACVパーツやその他兵器の部
品に混じって、何か巨大なものが一緒に並べられる。
 ツカサキはそれを見て頷いた。
「ん、発注通り。おつかるぇ!」
 男は軽くお辞儀をしてアッシュモービルへ戻っていく。その鑑が再び動き出し
てハッチを下っていくのをツカサキは見送った。
 さて、次はこれらを倉庫に運ばなければだが――
「その前に」
 独り言を言いつつ通信機で連絡を入れ、ゴールデンアイズに招集をかける。
 数分の後にはすでに全員が集まったゴールデンアイズに、ツカサキは言う。
「前に話した通りな!今から新機体作るよ!」
 そうしてツカサキは抱えていたノートパソコンを開き、設計図の描かれた画面
を呼び出し、中心に置く。
 そこに映っていたのは翼を広げた竜だった。



 リョウゴはAACVに乗って歩行要塞直下、灰の下のコアの真上に居た。
 AACVのマニピュレーターを操作し、灰の大地の下からコアを掘り出すため
の機材を設置していく。あの老人――フミオ・キタザワが亡命の際にゴールデン
アイズ以外にも呼び掛けたのはこのためだったか、とリョウゴは今更ながらに気
づいた。
 巨大なシャベルのついたアームを持つ、AACVより一回りも大きい重機が灰
を抉っていく。リョウゴはそうして重機の脇に築かれた灰の山をスラスターの噴
射で崩さないように気をつけながら、周囲を歩き回っての警戒にあたっていた。
 それが数時間続く。
 やがて歓声が上がった!
 リョウゴはAACVを掘り下げられた穴のそばに寄せ、高い視点からその中を
覗きこむ。息をのんだ。
 氷山の一角のように少しだけ灰の海から頭をのぞかせたそれは透き通るような
青色をしていた。AACVの補正がかった映像には、それがあたかも発光してい
るようにも映る。
 あれが、小惑星の核――コアだ。
 美しい。
 リョウゴは自然にそう感じていた。
 だがあれから伝わるこの感動、とは違うこの別の感情は何なのだろう?
 ついに彼にはわからなかった。
 それは「恐れ」だった。


 フミオ・キタザワがツカサキからコア発見の報告を受けたのは、すでに誰も居
ない会議室で司令官と各国の人間が来るのを待っている時だった。
 ツカサキは椅子に座る彼の背を見、軽く息をつく。
「疲れてますね。」
 キタザワは背後のツカサキを一瞥した。それから、噛み締めるように頷く。
「ああ。しかし……これで最後だ。」
 ツカサキはフフと笑う。
「最後、っすね。」
 その時に部屋に入ってきたのは歩行要塞司令官だった。彼はすでに席について
いるキタザワを認め、目を丸くする。
「ずいぶんとお早い。」
「たまたま召集の知らせを受けた時に部屋の前に居たのですよ」
「そうですか、お待たせして申し訳ありません。」
 司令官は後ろに補佐を2人従え、席につく。その内の一人は抱えていた書類を
各席に並べ始めた。
「今回のレジュメです。」
 差し出された書類をキタザワは受けとる。ザッと目を通し、それから机に片肘
をついて眉間を押さえてみせた。
 司令官はそれを見て「大分お疲れのようで」と言う。
「慣れない生活で疲れてしまっているのかもしれません」
「栄養ドリンクでもお飲みになりますか?」
「いえ、結構です。ただ頭痛がするので、ひどくなってきたら途中退席致します
。」
「わかりました。その場合、この会議における全ての権利は私に委譲する形にな
りますが、よろしいでしょうか。」
「構いません。お願いします。」
 キタザワは頭を下げた。
 丁度その時から、他の人間が続々と部屋に入って来はじめる。
 全ての席が埋まって、すぐに会議は始まった。


 手が上がった。
 司令官をはじめとする他の席の人々の視線は彼に集まる。
 フミオ・キタザワは側頭部に片手のひらを当てながら頭を下げる。
 司令官は意を得たように頷いて、「医師を呼びましょうか」と訊く。キタザワ
は首を振った。
「仮眠をとれば良くなります。申し訳ありませんが……」
「ああ、大丈夫です。部屋にお戻りくださって結構ですよ。」
「本当に申し訳ありません。ありがとうございます。」
 キタザワは席を立つ。背を向けた時だった。
「ただし」
 言ったのは司令官だった。
 彼は笑顔を浮かべ、手のひらを見せつける。
「お供の方はお残り下さい。」
 キタザワとツカサキはその言葉を無表情で受け止めた。司令官は肩をすくめ、
手を合わせ、続ける。
「いえ、大したことではありません。貴方が退出されたあと、どういったことを
我々が話すのか、そちらがわの信頼できる人間に見届けてもらったほうが良いか
と思っただけです。“どうしてもイヤ”と言うのなら、強制はしませんが。」
 司令官の視線は射抜くよう。しかし二人は無言でいた。
「どうしたのですか?無言のままですが。……『どうしてもイヤ』なのですか?

 ツカサキはその言葉が終わらない内に足を動かした。乱暴に椅子を引き、ネク
タイを弛めつつ足を組んでどっかと腰かける。イラつきが見てとれた。
 そんな彼の様子を見て、司令官は満足げに頷く。それから後ろに控える2人の
補佐の1人にキタザワを医務室へ連れていくよう指示を出し、再び書類をつまみ
上げる。
「では続けましょう」
 その後数分の間、ツカサキは司令官を睨んでいた。
 ヤツは感づいていた。当然だ。何か行動を起こすならばこのタイミングしかな
い。北米生存同盟の歩行要塞最高司令官ともあろう人間が警戒していないはずが
なかった。


 甘かった。予定ではキタザワとツカサキが部屋を出た直後、机の裏に貼りつけ
た小さなカプセルから無味無臭無色の毒ガスが静かに吹き出し、部屋に居る人間
を全滅させるはずだった。
 しかし読まれていた。
 もうキタザワには生かす価値が無い。ツカサキも、他のコロニー・ジャパン出
身の人間も……
 ……銃殺か。公開処刑か。もしそうならより残虐に刃物を用いるべきか――
 ――なーんてこと考えてんだろ?
 ツカサキは口元を歪めた。
 その直後、視線の先の司令官がふと鼻に手をやる。
 赤いものが彼の指先に付いていた。
「む、失礼――」
 彼は席から立ち上がり、集まった人間たちに背を向けて、補佐の前に立つ。
 「鼻血が出てしまった」とおどけながらハンカチを取り出した彼は、思わずそ
れを取り落とした。
 驚愕した表情の、彼の目の前には己と同じように流れ出す鼻血を手で押さえよ
うとする補佐が居た。振り返ると、鼻血を出しているのは自分たちだけではない
。この部屋の、全員――いや、1人、鼻血が出ていない人間が居た。
「貴様ァ!」
 誰かが叫んだ。
 ハヤタ・ツカサキは余裕綽々といった様子で小指を耳の穴に突っ込んで耳垢を
ほじくったりしている。
「発症まで10分ジャスト。我がジャパンの医学薬学は世界一ィ!ってか。」
「貴様、何をした!」
「バイオハザード。」
 ツカサキは椅子からダルそうに立ち上がり、長机に寄りかかる。後ろで結んで
いた髪をほどいた。
「我が国謹製、超即効性ウイルス兵器のご感想はいかがすかー?」
 ツカサキはそばで悶え苦しむ男を横目で見る。彼は何かに気づいたようで、暴
れる男の胸ポケットに手を伸ばした。
「タバコもらいますよ。」
 奪った箱から一本口にくわえ、一緒に入っていたライターで火を点ける。ピー
スの箱は握りつぶされた。
 同時にツカサキの背後から銃声が響く。弾丸は彼に掠りもせず、代わりにさっ
きツカサキにタバコを奪われた男に当たった。
「誰だか知らねーけど止めときな。もう、ロクに見えてねーんだろ?当たるわき
ゃねー。」
 そのとおりだった。ツカサキに銃を向けた男の眼球からは止めどなく血が流れ
出していて、とても目蓋を上げていられない。出血は眼窩と鼻に留まらず、すで
に口内を満たしていた。口の端からそれはだらだらと溢れ出ている。
 彼の喉から肺にかけての内壁はウイルスによって異常に脆くなり、血液の凝固
が間に合わないほどのスピードで崩れはじめていた。
 そこから流れ出した血液は呼吸器を満たし、塞ぐ。
 彼らは悲鳴もあげられないままに自らの血で溺れ死ぬことになるのだ。
 ツカサキはそんな彼らを眺めながら、ふぅ、とタバコの煙を吐く。
「……あ」
 彼は呟いた。
「……禁煙してたの忘れてた。」



 物音ひとつしなくなった会議室から1人の青年が出てくる。
 着崩されたスーツにくわえタバコのだらしのない格好のまま、彼は廊下を歩み
始めた。
 廊下には時折、人間が倒れている。彼らは皆同じように目、鼻、口から大量の
血を流し、真っ白な顔を赤く汚して死んでいる。
 ウイルス兵器は換気ダクトを通じて歩行要塞中に蔓延していた。予めワクチン
を射っていない人間は一掃されてしまっていた。
 ワクチンを射ったのはツカサキと――……
「終わったか」
 そう言って廊下の向こうから歩いてきたのは老人だった。
 彼は普段通りの、一分の隙もないスーツ姿でいる。しかしその様がこの異様な
空間に見事に溶け込んでいるのが、ツカサキにはどこか滑稽に思えた。
 ツカサキは返事をする。
「タバコなんて吸っていたのか」
「今まで禁煙してたんですよ。」
 ツカサキはタバコを足下にし、老人を見た。
「歩行要塞の自爆装置はもう解除してあります。ウイルスもあと30分もすれば
消えますから、それからコロニー・ジャパンへ連絡しましょう。」
 キタザワは頷く。
「これで、逆転した。」
「アヤカさんは知らなかったみたいですが」
「今回のこの計画を知っているのは私以上――各省庁の大臣以上――だけだ。人
の口を塞ぐには鉛玉が要るが、それを使うには惜しい人間ばかりだからな。人数
は絞った。」
「しかし、よく思いつきましたよ。」
 ツカサキは笑う。
「歩行要塞の乗っ取りなんて」
 キタザワは胸ポケットに手を入れ、それからツカサキに訊く。
「タバコはあるか?」
「ピースなら。貰い物ですけど」
 ツカサキはポケットから潰れた箱を取りだし、老人に渡す。彼がくわえたそれ
にツカサキは火を点けてやった。
「禁煙してたんじゃないんスか?」
「なぁに、禁煙なんて何回でもできるさ。」
 二人はハハと笑いあった。
「コアの回収には、まだあと数日はかかりそうですね」
「その間死守できるかと、後は――」
「――頭を吹っ飛ばすだけ。」
 いつの間にかキタザワのこめかみに突きつけられていたのは拳銃だった。
 そのグリップはツカサキの片手に握られ、その指は深く引き金にかかっている

 キタザワはそれでもタバコを口から落とさず、冷静な表情のまま言う。
「……冗談は止せ」
「おおっと、銃を突きつけられてのそのセリフは死亡フラグですよ。」
「真面目に答えろ。」
 ツカサキは申し訳なさそうに目を伏せた。
「スイマセン、邪魔なんです。俺の目的達成のためには、あなたが。だから、本
当に心苦しいんですが……」
 キタザワは見下すように笑う。
「よくもそこまで思ってもいないことを口から次々と出せるな。」
「現代人なら皆こうスよ。」
「演技するなら最後まで貫け。」
 ツカサキは空いている方の手の指で頬を掻いた。
「抵抗しないんすか」
「したとして、君に勝てる気はしないからな。君の目的が何であれ、君ならきっ
と、コアを悪い風にはしないだろう。」
「なんすかそれ。」
「信頼だよ。」
 老人は煙を吐く。その姿はどこか疲れて見えた。
「……撃たないのか」
 言われて、ツカサキは銃を握りなおす。
 少し考え、彼は言った。
「キタザワさん、ひとつ、約束します。」
「……なんだ」
「すべてが終わったら、コアはジャパンへ届けます、必ず。」
「『必ず』か。……この世で最も信用ならない言葉だな。」
 ツカサキは笑った。
「『必ず』そうしますよ。……お疲れさまでした。」
 老人は青年を見て、笑う。その笑顔は肩の荷が下りたような、憑き物の落ちた
ような、爽やかな笑顔だった。
 床の血だまりにタバコが落ちる。
 銃声が響いた。

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