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第五話 「平穏」

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ParaBellum

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『Diver's shellⅡ』


 第五話 「平穏」




 オルカ=マクダウェルには施設に来る前の記憶がほぼ存在しない。
 それもそうだろう。親も知らず、その辺を彷徨っていた時の記憶など、心が記憶として認識していたくはないだろうし、何より知りたくも無い。知ったところでどうなるというのか。その点においてオルカは割り切った大人であった。
 しかし、オルカはまだ大人になりきれない部分だってある。などと書くと違う方面に想像もとい妄想を張り巡らす人種がいるかもしれないが、そうではない。
 とある廃工場の中にて、タンクトップの上に黒のジャケット、下半身はホットパンツの軽装備が一人。ジャンバーにズボンが一人。合計して二人が、何をするでもなく、廃材の上に並んで腰掛けている。

 「懐かしいなぁ」
 「懐かしいですね」

 旧市街の一角。
 埃にまみれた窓ガラスが、海が運ぶ風に押されてやかましい音を立てる。壊れた天井の隅から覗く空は、大気が含む乳白色の霧のせいで、青を霞ませて。
 時間が静かに流れる今日。海は数年に一度ともいえる規模と濃度の濃霧に覆われ、風もやや強いため、船で漕ぎ出す訳にも行かず、二人して街をぶらぶらと散策中。ちなみにオルカの仕事は今日は無い。
 二人が少年少女だった頃、孤児院から少し離れた場所にあるこの廃工場は、世界の中心であった。秘密基地でもあり、かくれんぼの戦場でもあった。工場だったからには何かを作っていたのだろうが、詳細は知らない。
 廃材、鉄骨、壊れた電子機器。ボロボロになったコンクリートの壁からは鉄骨が顔を覗かせている。
 ジュリアは、記憶の糸を手繰り寄せるために視線を工場の隅へと彷徨わせつつ、両腕を膝に置くようにして体重をかける。オルカは彼女の細い体を見て、それを気がつかれないように眼を地面に向けた。
 巣を作っていたのか、青い鳥が天井の穴から抜け出すと、空へと逃げ出す。

 「久しぶりにかくれんぼをやってみない?」
 「二人じゃ面白くないですよ」
 「だよな……。うん。鬼ごっこ……鬼ごっこも二人じゃただの喧嘩っぽくなりそうだし、あー……折角来たのにノンビリするだけってのはなぁ……」

 喋った言葉が反響し、徐々に吸収されて消えていく。
 草木生い茂る小高い丘の上にあるこの場所。昔は子供が大勢居たものだが、今となっては誰一人立ち入ろうとしない孤高の廃墟となっており、獣道一つ無く、通路にゴミが散乱していたため、エラく時間がかかっていた。
 元来た道を戻るのは死ぬほど面倒だと、ジュリアはうんざりした顔を浮かべて両腕を組む。それを見たオルカは苦笑して、伸びをしながら立ち上がった。背骨からぽきぽきと音がした。

 「んで?」

 たたんっ。使い込まれたシューズが機嫌良く、揃って地面に立つ。
 ジュリアは、ガラにも無く「にへへ」と笑みを浮かべて工場の外にシューズを向けた。

 「もうじきお昼だけど何処で奢ってくれんの?」




 「何で私がこんなことを……」

 と、ポニーテールを解いたメリッサが不満を濃縮した声を漏らせば、

 「えぇっと、お使いでしたよね」

 女性もののツバ付き帽子を頭に乗せたエリアーヌが答える。
 廃工場から出てきた二人を、メリッサとエリアーヌが少し離れた場所にあるドラム缶の後ろから見つめている。傍から見たら――否、そうでなくても変人の類にしか見えまい。会話の内容から本人の意思でやっているわけではないのは明白であった。
 メリッサとて暇ではない。とある事情で、あと数ヶ月したら仕事を休まないといけなくなるかもしれないが、今現在はバリバリの現役ダイバーであり、町外れの廃工場でウロウロしていれるわけもないのだ。
 エリアーヌだって暇じゃない。オヤジさんの元で働いているのだ。
 では二人が居る理由はと言ったら、『お使い』ということになる。別名パシリとも言える。
 昨日、某巨乳アホ姉キャラがメリッサとエリアーヌを集めてこう言った。

 『ジュリちゃんとオルカ君の後をつけて、報告してね(はぁと)』

 勿論、二人は断ろうとした。したが、某巨(略)はニヤリと笑ってメリッサの耳元に口を寄せて何かを囁き、続いてエリアーヌの耳元に何事かを囁いた。次の瞬間、二人の顔色は真っ青になり、頭を縦に振っていた。
 底の知れない女だと二人して思いつつ、止むを得ず今日ここでストーカーまがいのことをしているということだ。
 ポニーテールを解いて髪を腰まで垂らし、いつもより女性寄り(と言ったら怒るだろうが)の格好をしたメリッサは、ジュリアとオルカに感づかれないようにドラム缶の後ろに顔を引っ込め、今日の相棒の方に顔を向ける。
 一方エリアーヌは、女性モノの帽子の位置を直して、ドラム缶の端っこから目元を出して追跡対象を見ていて。




 「ところでエリアーヌ君はクラウディアに何を言われたの?」

 メリッサは、ふと浮かんだ質問をエリアーヌにぶつけてみた。
 エリアーヌは一瞬顔を強張らせ、慎重な風に口を開く。

 「…………き、聞きたいですか?」
 「………遠慮しておくわ」

 奇妙な緊張の中で質問は終了する。
 今度は女の子風貌な彼がおずおずと質問をせんと、小さな唇を動かして。

 「メリッサさんは、……その、……何を?」
 「…………聞きたい?」
 「いえ! いいですやっぱりいいです!」

 ゴゴゴゴゴゴ。メリッサの背後から襲来する効果音。顔を暗くした彼女を前に、エリアーヌはぶんぶんと頭を大きく振った。
 聞きたいような、聞きたくないような、あの囁き声。本人達のためにも内容は割愛させて頂く。乙女と雄女(ヲトメ)の秘密はかくも深いのだ。
 二人は、ジュリアとオルカが工場から出、旧市街の中心に続く道を歩き始めたのを見計らって、ドラム缶の裏から姿を現して追跡を再開した。




 黒い前髪を手櫛で整えた後、ついさっき食べたご飯を脳裏に浮かべてみる。無国籍料理。海鮮類をたっぷりと使ったスープ。甘い味のご飯。塩気の利いた肉を焼いたもの。オルカが連れて行った店は、ジュリアの味覚を的確に刺激した。つまり美味しかった。
 ジュリアとオルカは、昼下がりの街をのんびりとぶらつきながら、世間話をしていた。霧は現在進行形で濃くて、旧都市特有のどんよりとした空気に一つまみよどみを加えているようであった。
 店がごちゃごちゃ乱立し、道のド真ん中に鉄柱がそびえ立っている場所すらある。空を見れば右に左にケーブルやら旗やら洗濯物が目に付く。男女子供から老人まで、様々な人間が住む街。迷路のようなその場所を、ボーイッシュな外見な彼女と、柔らかい印象の彼が歩いていく。
 今日、二人がこうして一緒に居るのは、某(略)の策略だったりするのだが、当の二人はそんなことはどうでもいいようである。もっとも、二人の間にある『認識』には微妙な誤差が生じているが。
 ジュリアは気がついた。視界の端っこに、不審な動きをする何かが映りこんだ。通路を右に曲がったところで、空を見上げる振りをして眼球のみを背後の方向に向けた。
 平常を装った声がオルカの耳に発せられる。

 「つけられてる」
 「えっ?」
 「誰だか知らないけど、居る。オルカってば借金取りと友達だなんて」
 「居ませんよ、そんなの。借金取りに追われるようなヘマはしません」
 「知ってるよ。からかっただけ」

 ポンポンと紡がれる言の葉。前を向いたままで意思疎通。感覚を使って、追跡者が危険かどうかを計測するが、よく分からない。ひょっとして友人か誰かかも知れないのだ。
 今度は七方向に分かれた道の一つを選んで進む。
 やっぱり、誰かがつけてきているようにも思える。
 ジュリアの右手がポケットに入れられ、銀色の携帯電話を取り出した。手早くボタンを操作して、とある人物に電話を繋ぐ。耳に携帯電話を宛てたその瞬間に、目的の人物と電話が繋がった。早すぎて一瞬驚いた。

 『遅かったじゃないか……』

 重苦しい声が向こう側から響いてきた。ジュリアは、人ごみをオルカと越えながら電話の向こうに声をかける。

 『どーせ暇なんでしょ? ストーカーっぽいの居るからヨロシク』
 『承ったぁあああああああああああああああ!』
 『いちいち叫ぶな』

 咆哮する相手を軽くあしらって、通話を切り、ポケットに携帯電話を滑り込ませる。
 数秒後、どこからか声が響いてきた。
 くわんくわん反響して耳に悪い。

 「俺を呼ぶ声が聞こえる!」

 道を行く人々が怪訝な顔で立ち止まり、きょろきょろと辺りを見回して、音源を探ろうとする。ジュリアが指を上に向けると、人々が反射的に空を見上げた。
 建物の上を駆け抜ける一つの影。それは、忍者を彷彿とさせる身体能力にて壁を駆け、人の少ない場所目掛けて跳躍した。間延びした滞空時間。着地するや、前転を決めて、両手を斜めに突き出し、腰を落としたポーズを決めた。
 あれはなんだ? 鳥か? 飛行機か? いや、そんな生やさしいものではない――。

 「ニコラス=シーゼンコード参上!!!!! フゥハァーハァー!!」

 ただの変態だ。
 エナメル生地のロングコートを羽織り、金色の髪をオールバック。電飾のついたサングラスを装備。ズボンだけは普通であったが、暑さ対策なんだよと表現したいのか、コートの下にシャツすら着ていない。胸元は全開。筋肉は凄かった。
 世界一自由な漢(オトコ)、ニコラス此処ニアリ。
 効果音をつけましょう。何がいいかな。『ぎゅぴーん☆』かな。




 「Hey!!!」

 ヘンタ……ニコラスは、物陰で様子を窺っていたメリッサとエリアーヌに向けて大声を張り上げると、一般の人たちの痛い視線を銀河の外まで反射するような怪しいダッシュで駆け寄っていき、傍で静止して、じりじりと接近し始める。
 街中でポーズを決めて誇らしげ。もう、なんでもいいから彼を止めるべきである。止めないのなら正々堂々背後から致命的な一撃を加えて天誅すべきである。
 追跡者が知り合いだとは露とも知らぬジュリアとオルカは、好機と考えて人ごみの奥へと逃げていった。
 メリッサとエリアーヌは、知り合いと思われたく無いと、穴があったら入りたくなった。だが世の中そう上手くはいかない。穴なんてない。隠れようにも難しい。

 「ちょ!? またアンタかー!」
 「アイ! ラヴ! ユーゥゥゥゥ!」
 「来るなー!」

 喉も枯れんとばかりの告白と拒絶。
 中腰でじりじりと距離を詰めてくる変態に、メリッサは隠れることを忘れて大声を上げつつ後ずさる。表情は恐怖やら怒りやら羞恥やら、なんとも言えぬ。
 いつにも増して酷い格好。サングラスの電飾がデコトラよろしく光を放っている。電力はどこから来ているのだろう。きっと電池だ。体内電池。ついでにどこかにスピーカーを仕込んでいるらしく、みょんみょん奇妙な音が聞こえる。
 他の人の視線が痛いとメリッサとエリアーヌは思った。
 ニコラスは思わなかった。
 変態は、徐々に距離を取る二人に、眼を輝かせて迫る。両手はウナギなんだと言われても「そうなのか」と納得してしまう滑らかな動きで、指がわきわきと動いている。

 「結婚してもお綺麗だ……。エリアーヌ君も可愛いZE!」

 メリッサは、エリアーヌの小さい手を握って、一歩下がり。
 人ごみが彼女と彼を通すべく縮小する。
 メリッサは、髪型を動きやすいポニーテールにしておけばよかったと後悔しつつ、変態から眼を逸らさずに足の位置を修正した。一方のエリアーヌは、恐竜に襲撃された小動物のように身をびくびくとさせていて。

 「……エリアーヌ君」
 「はい」
 「逃げるわよ!!」
 「はい~~ッ!!」

 くるりと方向転換、メリッサとエリアーヌが逃走を開始した。
 周囲の人がドッと謎の応援を送る。助けようとはしないが、理由も分かる気がする。何せ相手がニコラスなのだ。関わったら負けというか、そんな感じ。触るな危険。
 獲物を逃すかと、ニコラスが疾走する。速度は紫電の如く。電飾がぱらりらぱらりら。

 「ヒャッハー!!」

 意味不明な鬼ごっこが此処に開始した。
 悪意は無い。
 目立つのが好きなだけなのだ、彼は。
 ……そう言い切れるのが悲しい。




 「まいたかな?」
 「うーん、多分逃げ切れたと思います」

 一方その頃、変態が時間を稼いでいる間に、人気の少ない港に到着した二人は、放置されていたボートの内側に腰掛けていた。海は白髪の色で染まっていて、船どころか地平線すら見えない有様であった。
 潮風に体を撫でられながら、『月光』の箱を取り出し、一本指で抜き取って、ライターで着火。箱をポケットにねじ込みながら口に咥え、ニコチンを摂取。熱い紫煙が狼煙のように立ち昇る。
 熱い煙が肺を犯し、脳細胞を活性化させていくよう。
 一連の動作を見遣ったオルカは、諦めの溜息をつきつつ頭を振った。男性のそれにしては柔らかい髪の毛が揺れて。

 「禁煙はどうしたんですか?」
 「してるよ。何百回も」

 にぃ、と口元を上げて笑み、赤い瞳でオルカを見遣る。毎度お決まりのパターンだ。禁煙は何度始めても続かない。
 カモメがきぃきぃ鳴きながら頭上を横切った。
 ジュリアが口から煙草を外し、一指し指と中指に挟んでオルカの方に向ければ、蚤より小さい火の粉が一瞬だけ生まれて消える。ほっそりとした首筋を傾け、問いかける。

 「吸ってみる?」
 「…………」

 目の前で揺れる煙草を見つめ、喉から声を上げるオルカ。吸ったことが無いし、吸うつもりもない彼にとってその誘いは、嫌なものなのだが、『間接』が出来る魅力がある。
 馬鹿か自分はと思い直し、首を振ると、彼女は残念そうに煙草を咥えなおしてしまった。
 ジュリアは煙を目一杯吸い込み、天空目掛けて吐き出した。ボッ。煙草の先端で赤が強まって、徐々に元通りになる。

 「美味いのになぁ……」
 「体に良くないですから」
 「でも酒は呑むくせに」
 「いや、それは……」

 会話が途切れた。コンクリートを叩く波の音や、海鳥、風の音をBGMに、それぞれが好きな場所を見て、時間を消費する。秋の気配を抱いた風が鼻腔の奥を懐かしさに似た刺激を与えて。
 空を見て、海を見て、指の隙間で煙を生ずる煙草にピントを合わせる。
 海を見て、空を見て、港に停泊して煙を吐いている船の煙突にピントを合わせる。
 見つめる先が、自然に相手の瞳へと移った。

 「昔もこんなことあったなぁ」
 「ですねぇ。船に忍び込んだりして」
 「あー、それで船員につまみ出されて海に突き落とされたり」
 「……あの時も僕が助けたような」

 ぱくりと煙草を咥え吸い込み歯で固定、隙間から放出。
 息を吸い込んだ瞬間を狙っての攻撃に、思わず咳き込み、片手で煙を払おうとした。

 「けほっ……、ぁー、けむい。……何をするんですか」
 「吐息を味わいなと。美味しい?」
 「美味しくないです」
 「…………」
 「…………」

 また、会話が無くなる。
 それは宴会の最中、皆が酒を呑んでいるのに訪れる静寂にも似ていて、心地よさがあった。
 煙草『月光』を口にしたままでボートの縁に寄りかかって、何気なく港の一角を見た。

 「お?」

 思わず短い言葉を発する。港の一角、魚を獲るための網がある場所に、人影がある。それが漁師やツナギ姿の作業員だったら疑問には思わなかった。何故眼を止めたかと言えば、その場所に居たのがまだ幼い少女だったからだ。
 縁に頭を乗せ、じっくりと観察。一点を見つめ始めたジュリアの様子に気がついたオルカが、無言で同じ方向を見遣る。
 少女はしゃがみこんで網を見ているだけではなく、蟻を潰すように人差し指で突いている。髪型は、あまり見ない、三つ編みにお下げ。艶を完全に失った髪と、泥に汚れた頬、そして所々が破れた服が彼女の状況を示している。孤児か、それに順ずる待遇なのだろう。
 ジュリアとオルカは目配せした。ジュリアの口にあった煙草は既に携帯灰皿の中にある。

 「オルカ、あれは……」
 「放っておくわけに行きませんよ」
 「同意。行こう」

 二人の人間が降りた反動でボートが揺れた。
 フワリと着地した二人は、横に並んで少女の方に歩いていく。少女はこれこそ一番の楽しみとでも言わんばかりに、ただ無心に網を突いて遊んでいる状況。何が面白いのかは分からない。
 港の造りの粗いコンクリート製の地面の上を歩いていって、少女の傍で止まる。少女は顔を傾けるように二人を仰ぎ見た。
 ジュリアとオルカが口を開かんとする前に、少女が口を開く。青い眼がぱちりと瞬きをした。

 「………夫婦?」
 「違うから」
 「……違いますよ」

 間髪無く答えたジュリアに対して、オルカの答えはやや遅かった。




 少女の名前は、『クー』と言った。
 本人の言うことが正しければ、旧都市区のとある場所にある、既に使われていない倉庫に住み着いており、もう数年はそこに居るのだという。家族は居ないが、多くの猫と共に暮らしているらしい。
 それで、その猫のオヤツかなにかとして魚を探しに港に来たということらしい。

 「普段は何を食べてるの?」

 先ほどのボートの傍に腰掛けたジュリアが、ボートの前で体育座りをしているクーに尋ねれば、

 「たまに人が来て、食べ物をくれる」

 と、それこそお前はどこの捨て犬だというセリフを、クーは淡々と答える。

 「孤児院には行きたくないの?」

 と、クーの傍に座ったオルカが質問すると、

 「嫌。猫と一緒がいい」

 クーは質問という名の提案をにべもなく跳ね返した。
 どこからか入手した白い石で地面に『∞』を描き続けるクー。∞を見つめ続けるオルカ。ジュリアは、何をしようかと思考を張り巡らせている真っ最中。
 この三つ編みお下げの少女を見ていると、猫にエサを上げたくなるのと同じような感覚が込み上げてくる。背中を丸めているとなおさらだ。猫が人に化けたように見えて仕方なかった。
 煙草の匂い漂うジュリアが、クーの横顔を見ながら喋りかける。

 「ところで帰り道は分かる?」
 「分からない」
 「え?」
 「分からない」
 「なんだそりゃ」

 自分の意思で来て帰れるものだと思っていた二人だったが、違うらしい。詳しい話を聞こうと、ジュリアとオルカはクーの顔を覗き込んだ。クーの青い瞳が地面から離れて二人の顔を順番に見遣る。朝露のように光る瞳だった。
 風で揺れる三つ編みを、クーの手が押さえ込む。近場で見るとボサボサの髪を無理矢理編んでいることが分かった。きっと、彼女しか分からないこだわりがあるのだろう。もしくは、語りたくない思い出があるのか。

 「ミーが迷子になって、見つけて帰るように言って、そのついでに港に寄ったら帰り道忘れた」
 「ミー?」
 「ミー?」
 「猫の名前」

 恐らく同居している猫なんだろうと思いつつも、二人して声に出してしまう。『帰るように言って』の部分に突っ込みを入れなかったのは、聞くと常識が瓦解しそうだったからだったりする。
 クーの放置しておくと夜が明けるまで『∞』を描き続けそうな感じに、二人は行動を起こそうと決心した。最初にオルカが口火を切る。

 「クーちゃん。僕たちが家を一緒に探してあげるよ」




 クーの家を探すのは、昔訪れた場所を探すよりも遥かに難易度が高かった。
 彼女の口から語られるのは、お世辞にも分かりやすい手がかりではなく、『あっち』『こっち』が大量で、二人がふと気がついた時には日はすっかりと暮れていた。
 クーの家、倉庫の中には光る眼が大量にこっちを見つめていたことは言うまでも無い。




 疲労は、程よくあると睡眠の助けになり、また寝転んだ際に心地よさを感じさせてくれる。
 倉庫を探してずっと歩き回った所為か、足の筋肉や腰などが疲れを訴えてきているのだが、一般人よりかは鍛えているジュリアにとって余り苦にはならない。どちらかと言えばオルカの方が疲れている。
 『家まで送ります』『いらない』『送りますってば』『一人で帰れるよ』の応酬を一通り繰り返した後、結局折れたのはジュリアの方だった。空に黒が混じり始める頃、ジュリアは自宅の前に到着することが出来た。
 島の環境を覆っていた濃霧も今は無く、上を見れば、暗い群青と鮮やかな朱色と、波間に白や赤の星が見える。かつての地球と違って厳しい制限があるネオ・アースでは、環境は極めて良好なので、星がくっきりと見えるのだ。
 空気が生ぬるい。ハァ、などと溜息にも似た呼吸をしたジュリアは、玄関前に歩み寄り、上半身だけを捻って、立ち尽くしているようにも見えるオルカの方に手を振った。

 「じゃあな。おやすみ」
 「はい、お休みなさい」

 特に何かあるわけでもなく、扉の向こうに彼女が消えていった。がちゃん。ドアが閉まって、今日一日が終わったのだと聴覚が告げる。ドアの向こうでがさごそ音がしたのち、静かになった。
 溜息をつく。そして、また溜息をつく。薄手のジャンバーの左右ポケットに両手を突っ込んで、孤児院へと足を向ける。
 期待したことは無く、自分がしたいことも出来ず。
 頭を掻き、一人夜の街並みに消えて行った。



        【終】


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