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 雨が降っている。車のフロントガラスを叩く水滴は当たると同時に激しく弾け飛んで、残した跡は風圧とワイパーで消されて行く。視界は悪かった。昼間だというのに薄暗い。  一等地の道路はスラムと違い手入れが行き届いていた。  空きビンやら新聞紙やら、時には人間の死体すら道に落ちているスラムとは違い、ゴミ一つ落ちていない。並木は激しい雨に打たれ枝を揺らしている。まるで生き物の様に動く様は不気味なくらいだったが、もし晴れていればさぞ美しい通りだろう。  誰もが羨む高級住宅地だが、残念ながらヘンヨにとってはあまり居心地の良い場所では無かった。  この仕事を始めて稼ぎ出した時、多少の憧れを持って移り住んだ事はあったが、どうにも馴染めず結局はスラムへと戻って行った経験がある。  やはり、人にはそれぞれの領分という者がある。スラムで育ったヘンヨにとってはあのハエとゴキブリに愛された汚い一角の方が居心地が良い。憧れは憧れのままにしておけば、後で落ち込む事もない。現実は常に理想を下回るものなのだ。  結果として、ヘンヨは一等地にはほとんど縁がない。ここにも仕事を持って来そうな厳めしい連中は大勢居るが彼らと面識はほとんど無い。表の探偵業ですら依頼してくる者は居なかった。その能力に見合わぬ程、ヘンヨは「業界」での知名度は低かったりする。  六話:【無価値な者共 ①】  現在時刻は午後一時十分。  後部ボンネットに弾痕が付けられたクーペは一軒の屋敷へと入って行く。薄いベージュの塀を越えると、高級住宅地に恥じない豪邸が現れる。キースが開発した無個性遺伝子のロイヤリティによって建てられた、キースとアリサが暮らしていた場所だ。  ヘンヨの哲学に因れば、これほどの所に住んで居たのならば、アリサにはスラムの空気は肌に合わないのではないかと思われる。スラム育ちのヘンヨが逃げるようにこの住宅地から離れたように、人にはそれぞれ「居るべき場所」というのがあるはずだ。  ただでさえ危ないと言われる地域なのだ。今考えれば、よくアリサは一人でヘンヨに会いに来たものだと感心させられる。  それが勇敢なのかただの馬鹿なのかは知らないが、行動力は認めるしかなかった。  玄関の大仰なドアを開ける。中は当然ながら人の気配はない。  まっすぐ進み、リビングへと侵入していく。ソファと暖炉。棚に閉じ込められたウイスキー。その上の写真立ての中では、キースとアリサが微笑んでいる。  他の写真ではアリサとキース以外が写っている写真もいくつかある。  栗色の頭髪と大柄な体格の男性。アルビン・グレンパーク。  長く艶やかな黒髪と東洋系の顔立ちの女性。キョウコ・グレンパーク。  幼いアリサを挟み、二人とも微笑んでいる。アリサの両親だ。キースとアリサを含め、写真の中で四人はとても幸せそうな笑顔を見せている。  ヘンヨが体験した事の無い家庭という奴だった。正確には覚えていないだけなのだが……。物心付いた時、ヘンヨは既にギャングだった。親を失ったヘンヨを引き取った祖母だけでは生活が覚束ず。気が付いた時、既にいっぱしのギャングメンバーになっていた。ただ生きる為に。  写真はそれだけでは無かった。  アリサの成長と共にそれを記録した写真の枚数は増える。棚の上を埋め尽くした写真立ての中には、キースとアリサだけの写真が増えて行く。アリサは相変わらずの笑顔。しかし、両親の姿は消えている。 「確か……四年前だったな」  キース、そしてアリサの身辺調査は済んでいる。  記録によれば、アルビンとキョウコは四年前に自動車事故で死亡している。一緒に車に乗っていたアリサも病院へ運び込まれ、なんとか一命を取り留めた事も事前の調査で解っている。  危うく家族を一気に失うかも知れない事態に陥ったキースはどんな気持ちだっただろうか。そして、奇跡的に命を繋いだアリサを見て、一体何を感じたのか。 「写真ばかり見ていても仕方ない……か……」  棚から離れるヘンヨ。リビングにこれ以上見るべき所は無い。そう考えたが。  ヘンヨは振り返る。並んだ写真達を少し離れた位置から見る。一見すると何も無いが、どうにも引っ掛かる違和感。正体は解らなかったが、気になる以上は確認するのが仕事でもある。ほとんど無意識にヘンヨは携帯電話を取り出す。 《……》 「……。おい、出たなら何か言え」 《何か用かヘンヨ……》 「何いじけてんだスレッジ。まだ根に持ってんのか」 《うるせぇ。で、何の用だ?》 「四年前の事故の事を聞きたい」 《事故? アリサの親が事故って死んだ奴か?》 「ああ。ちょっと気になってな。どこの病院へ運び込まれたとか、事故の状況とか、詳しく」 《ああ……っと。ちょっと調べる。そこら辺は警察の資料に載ってるはずだ。交通事故だからな。解ったらまた電話する》 「わかった」 《なんで今更そんな事調べるんだ?》 「気になっただけだよ」 《勘か?》 「そうかもな」 《ハン。腕は認めるが探偵のキャリアはまだ大した事ないだろ。よく言えるな》 「ごもっともだな。だが気になったんだよ」 《そうかい。ま、隠れた人間捜すのは『専門家』だからな》 「そんな所だ。とりあえず頼んだぞ。ああ、アリサに近づくなよ」 《……》 「聞いてるのか?」 《うるせぇよ! うわぁあああああああ――ツー……ツー……》 「……いきなり切りやがって」  一言余計な事を言ったかもしれない。だがいつもの事だ。ヘンヨはとりあえずキースとアリサが一緒に写った物と、それに両親が加わった物の写真二枚を拝借し、懐に収める。もっとも違和感を感じたのがその二枚だった。  リビングから出たヘンヨはさらに奥のキースの書斎へ。庭に面した場所に置かれているが、窓は高く外から中を覗く事は出来ない。さらに上にある天窓からは光が差し込み、アイレベルには壁しか見えないが圧迫感は感じない部屋だ。  きっちりと整理された大量のファイル、本棚にぎっちり詰め込まれた専門書。  ヘンヨはいくつか手にとってペラペラとめくってみるが、当然ながら理解でき得る内容では無かった。中には何語かすら解らない言語でかかれた物すらある。  さらに奥にはもう一つ扉があった。書斎からまた別の部屋へ通じている扉だ。ドアのプレートにはクローゼットと書かれている。 「……何なんだこれは」  ドアを開けて最初に目に飛び込んだのは、無数のアンドロイドのボディ。骨格から考えて、表皮を貼付けるタイプだと思われる。よくみると頭部の構造が妙な物も散見される。サイボーグボディだ。 「よくこれだけの数を……。気味が悪いな」  命を吹き込まれる前のボディ達は、よく見ると女性のプロポーションを取っている。骨格だけしか無いが、明かに男性の形をしたボディは無かった。  整然とサイズ順に並べられたそれは、説明しがたい不気味さを持ってヘンヨを出迎えた。  中はいわゆる物置である。ただ単に使用しないボディや機材を押し込んだだけのようだ。埃の具合から、相当長い間放置されている事が解る。  ボディの骨格には傷や擦り減り等は無く、よく磨かれた金属光沢を放っている。一度も使用される事なくここで眠ってる事が解る。  ヘンヨはふとした疑問を覚える。  実験用なのだろうが、表皮そのものは何にでも張り付く。わざわざフルスケールで試す事にあまり意味が無いのだ。つまりこれほど大量のボディを用意する意味がまず無い。  さらに、なぜわざわざ自宅にこれを用意したのか。アンダースが居る研究所のほうが遥かに設備がいい。会社からのサポートも受けられるはずだ。  そして最大の疑問。  ヘンヨはその一つの前に立ち、まじまじと観察する。 「サイボーグボディ……ね」  アンドロイドに混じって数体だけ置かれているサイボーグボディ。特に違法な改造をされている訳でも無い、一般規格の物だった。  ヘンヨはデジカメでそれを記録する。もちろん他のアンドロイドボディもだ。これらも全て、一般的に出回っている正規品ばかりであった。  それらを全て撮り終えて、ヘンヨはその不気味な部屋を後にする。  特に手掛かりがあった訳でもなく、代わりにキースのおかしな趣味を垣間見ただけだ。そんな気分になったのか、小声で「気持ちが悪い」と何度か言う。  ここで、この家には「生きている」アンドロイドが一体も居ない事にヘンヨは気づく。  これだけ大きな家で、しかも相当な財産を持っているならば一体二体のアンドロイドは普通なのだ。家事全般を押し付けても設定次第で文句一つ言わずに二十四時間働くメイドロボは、手に入れば家庭の主婦をただの置物へと変身させる。  老人と少女の二人暮らしであるこの家ならば、それこそ有り難い物のはずだ。  改めて家の中を歩き回り観察すると、リビングや浴室、ベッドルーム等の生活空間はそれなりにきっちりと整頓され、生活感がある。  だが、それ以外の場所、例えば客室等の使用されていないスペースは完全に閉ざされている。  キースとアリサはこの大きな家を必要最低限しか使っていない様子が解る。たった二人では、この豪邸を完全に持て余しているらしい。  自分で出来る事はさっさと自分で片付け、アンドロイドに頼った形跡は全くない。 「なるほどね……」  アリサの行動力と時折見せるマイペースっぷりはこうした生活環境で育まれたと思われる。  キッチンを見回すと見事に整理されている。棚の中の食器や調味料の類も整然と置かれ、冷蔵庫の中も適度に隙間を開けてチーズやハムが並べられている。  几帳面な一面もあるらしい。そういえば、隠れ家に居た時からきっちりと自分で食べる分は自分で用意し、自分で片付けていた。ヘンヨはまったく気にもとめなかったが、意外としっかり者だったようだ。もっとも、その行動はマイペースにやっていたのだが。  冷蔵庫の中にあったチーズをかじりながらヘンヨは再びキースの書斎へ。  家の中を見渡して解った事はキースとアリサの生活スタイルと、キースの妙な趣味とアリサの性格だけである。後は例の作戦を実行するだけだ。  パソコンのパワーを入れ、立ち上がるのを待つ。  面白みのない壁紙が表示され、チーズをくわえたままメモリーを取り出す。 そして、それを本体へと差し込もうとした時、胸に感じた振動がそれを邪魔してしまう。 「いいタイミングで電話しやがるな……」  携帯電話を取り出し相手の名前を見る。スレッジだ。 「……もう調べたのか。随分早いな」 《ああ。まだ全部調べた訳じゃないけどな。保険屋やらがうるせぇから公開されてないコトもあるし。》 「で、何がわかったんだ?」 《まず運び込まれた病院。都市部からは遠い場所だな。事故現場からは近いからそこに運びこまれたらしい》 「で、場所は?」 《そこからならフリーウェイ通って三時間って所か。海に面した所だ。バカンスを楽しむ連中だらけの所さ》 「両親の死因は? 具体的な」 《カルテによると二人とも外傷性ショック……。具体的には、アルビンはハンドルに胸部をツブされて即死。キョウコの方は頭部が粉々だったそうだ》 「不信な点はナシか?」 《事故そのものはな》 「アリサの方のはどうだったんだ?」 《頭部を強打して意識不明の重体。脳内出血で死にかけたけど手術が間に合って助かった……って所だな。よく植物状態にならなかったモンだよ》 「しばらくはそうだったんだろう。意思が回復したのはいつだ?」 《そこは個人情報って事でカルテが見れないんだ。回復過程は事故とは関係ない個人の事だからな。さっぱりだよ」  ヘンヨはチーズをまたかじる。口を動かしながら少し考える。 「……。なんでキースは隠したんだろうな」 《は? 珍しくもないだろ》 「それはそうだが……」 《また気になったか? でもそれはキースに聞くしかないな》 「そうだな……」 《で、そっちはどうなんだ?》 「今まさに例のメモリーを動かす所だったんだが、いいタイミングで邪魔されてな」 《そりゃ悪かったな! で、他は?》 「キースの性癖が解ったくらいだな」 《何調べてんだお前?》 「冗談だ。……あながちウソじゃないかもしれないが」 《はぁ? で、今から例の作戦をやるんだな?》 「ああ。少し考え事してからにするけどな。気になる事が多過ぎる」 《そうか。気をつけろよ。じゃあ切るぞ。俺ももう少し事故について調べてみる》 「わかった。ああ、アリサにちか――」 《……ツー……ツー……》 「……」  ヘンヨは腕を組んで椅子の背もたれに体重を乗せる。椅子がギギギーと鳴いている。  残りのチーズを全て口に入れ、天井を見ながら頭を働かせる。  疑問とも呼べない小さな事から、明らかに理解に苦しむ物まで、全てを頭の中で整理ししようとする。だが、それらは全て不定形のまま頭の中を回るだけ。  ピースは揃っているが、それぞれのサイズがあっていない。目的の絵は見えているのに、組み合わせられない。  そんな気分に陥りながら、ヘンヨは天井を見続けた。  リビングから拝借した写真を懐から取り出す。二枚を見比べ、よく観察していく。  もっとも違和感を感じた二枚の写真。それこそパズルのサイズを合わせる為に必要な枠組みだ。確証こそ無いが、勘がそう言っている。  そう思うと、どうしてもその違和感の正体をはっきりさせておきたかったのだ。  だが、その正体は掴みきれず。時間ばかりが無意味に過ぎて行く。  天窓から覗く空は先ほどとは違い晴れている。ヘンヨの心中とは違い雨雲は過ぎ去ったようだ。  当のヘンヨはそれに気付かず、ずっと写真を眺めている。どれだけ時間が経ったかはすっかり忘れていた。  そのヘンヨの意識を現実へと連れ戻したのは、胸に感じた携帯電話のバイブレーションだった。 「……? スレッジ?」  表示された名前を見てそう言う。 「おいスレッジ。随分早いな」 《……》 「スレッジ?」 《ヘンヨぉ? まだそっちは何もしてないの?》 「KK?」  電話の相手はKKだった。スレッジの番号からかけてくるのは珍しい事では無かったので、いつも通りにヘンヨも話す。 《どうなの?》 「ああ。考え込んじまってな。まだ例の作戦はやってない。スレッジはどうした?」 《今ちょっと寝てるわ》 「そうか。アリサは?」 《その事なんだけどねぇ……》 「どうした。まさかとは思うがスレッジが何かしたか?」 《実は……その……。怒らない?》 「勿体振るな。さっさと言え」 《じゃあ言うけど、心の準備はいい?》 「ふざけてんのか? 何なんだ?」 《アジト襲撃されちゃった。スレッジは今ノビてるわ。私も今、左肩から下吹っ飛んじゃって無いのよ。で、アリサちゃん連れていかれちゃったわ》 「……何だって?」  時刻は午後三時になる所。 ――続く
 雨が降っている。車のフロントガラスを叩く水滴は当たると同時に激しく弾け飛んで、残した跡は風圧とワイパーで消されて行く。視界は悪かった。昼間だというのに薄暗い。  一等地の道路はスラムと違い手入れが行き届いていた。  空きビンやら新聞紙やら、時には人間の死体すら道に落ちているスラムとは違い、ゴミ一つ落ちていない。並木は激しい雨に打たれ枝を揺らしている。まるで生き物の様に動く様は不気味なくらいだったが、もし晴れていればさぞ美しい通りだろう。  誰もが羨む高級住宅地だが、残念ながらヘンヨにとってはあまり居心地の良い場所では無かった。  この仕事を始めて稼ぎ出した時、多少の憧れを持って移り住んだ事はあったが、どうにも馴染めず結局はスラムへと戻って行った経験がある。  やはり、人にはそれぞれの領分という者がある。スラムで育ったヘンヨにとってはあのハエとゴキブリに愛された汚い一角の方が居心地が良い。憧れは憧れのままにしておけば、後で落ち込む事もない。現実は常に理想を下回るものなのだ。  結果として、ヘンヨは一等地にはほとんど縁がない。ここにも仕事を持って来そうな厳めしい連中は大勢居るが彼らと面識はほとんど無い。表の探偵業ですら依頼してくる者は居なかった。その能力に見合わぬ程、ヘンヨは「業界」での知名度は低かったりする。  六話:【無価値な者共 ①】  現在時刻は午後一時十分。  後部ボンネットに弾痕が付けられたクーペは一軒の屋敷へと入って行く。薄いベージュの塀を越えると、高級住宅地に恥じない豪邸が現れる。キースが開発した無個性遺伝子のロイヤリティによって建てられた、キースとアリサが暮らしていた場所だ。  ヘンヨの哲学に因れば、これほどの所に住んで居たのならば、アリサにはスラムの空気は肌に合わないのではないかと思われる。スラム育ちのヘンヨが逃げるようにこの住宅地から離れたように、人にはそれぞれ「居るべき場所」というのがあるはずだ。  ただでさえ危ないと言われる地域なのだ。今考えれば、よくアリサは一人でヘンヨに会いに来たものだと感心させられる。  それが勇敢なのかただの馬鹿なのかは知らないが、行動力は認めるしかなかった。  玄関の大仰なドアを開ける。中は当然ながら人の気配はない。  まっすぐ進み、リビングへと侵入していく。ソファと暖炉。棚に閉じ込められたウイスキー。その上の写真立ての中では、キースとアリサが微笑んでいる。  他の写真ではアリサとキース以外が写っている写真もいくつかある。  栗色の頭髪と大柄な体格の男性。アルビン・グレンパーク。  長く艶やかな黒髪と東洋系の顔立ちの女性。キョウコ・グレンパーク。  幼いアリサを挟み、二人とも微笑んでいる。アリサの両親だ。キースとアリサを含め、写真の中で四人はとても幸せそうな笑顔を見せている。  ヘンヨが体験した事の無い家庭という奴だった。正確には覚えていないだけなのだが……。物心付いた時、ヘンヨは既にギャングだった。親を失ったヘンヨを引き取った祖母だけでは生活が覚束ず。気が付いた時、既にいっぱしのギャングメンバーになっていた。ただ生きる為に。  写真はそれだけでは無かった。  アリサの成長と共にそれを記録した写真の枚数は増える。棚の上を埋め尽くした写真立ての中には、キースとアリサだけの写真が増えて行く。アリサは相変わらずの笑顔。しかし、両親の姿は消えている。 「確か……四年前だったな」  キース、そしてアリサの身辺調査は済んでいる。  記録によれば、アルビンとキョウコは四年前に自動車事故で死亡している。一緒に車に乗っていたアリサも病院へ運び込まれ、なんとか一命を取り留めた事も事前の調査で解っている。  危うく家族を一気に失うかも知れない事態に陥ったキースはどんな気持ちだっただろうか。そして、奇跡的に命を繋いだアリサを見て、一体何を感じたのか。 「写真ばかり見ていても仕方ない……か……」  棚から離れるヘンヨ。リビングにこれ以上見るべき所は無い。そう考えたが。  ヘンヨは振り返る。並んだ写真達を少し離れた位置から見る。一見すると何も無いが、どうにも引っ掛かる違和感。正体は解らなかったが、気になる以上は確認するのが仕事でもある。ほとんど無意識にヘンヨは携帯電話を取り出す。 《……》 「……。おい、出たなら何か言え」 《何か用かヘンヨ……》 「何いじけてんだスレッジ。まだ根に持ってんのか」 《うるせぇ。で、何の用だ?》 「四年前の事故の事を聞きたい」 《事故? アリサの親が事故って死んだ奴か?》 「ああ。ちょっと気になってな。どこの病院へ運び込まれたとか、事故の状況とか、詳しく」 《ああ……っと。ちょっと調べる。そこら辺は警察の資料に載ってるはずだ。交通事故だからな。解ったらまた電話する》 「わかった」 《なんで今更そんな事調べるんだ?》 「気になっただけだよ」 《勘か?》 「そうかもな」 《ハン。腕は認めるが探偵のキャリアはまだ大した事ないだろ。よく言えるな》 「ごもっともだな。だが気になったんだよ」 《そうかい。ま、隠れた人間捜すのは『専門家』だからな》 「そんな所だ。とりあえず頼んだぞ。ああ、アリサに近づくなよ」 《……》 「聞いてるのか?」 《うるせぇよ! うわぁあああああああ――ツー……ツー……》 「……いきなり切りやがって」  一言余計な事を言ったかもしれない。だがいつもの事だ。ヘンヨはとりあえずキースとアリサが一緒に写った物と、それに両親が加わった物の写真二枚を拝借し、懐に収める。もっとも違和感を感じたのがその二枚だった。  リビングから出たヘンヨはさらに奥のキースの書斎へ。庭に面した場所に置かれているが、窓は高く外から中を覗く事は出来ない。さらに上にある天窓からは光が差し込み、アイレベルには壁しか見えないが圧迫感は感じない部屋だ。  きっちりと整理された大量のファイル、本棚にぎっちり詰め込まれた専門書。  ヘンヨはいくつか手にとってペラペラとめくってみるが、当然ながら理解でき得る内容では無かった。中には何語かすら解らない言語でかかれた物すらある。  さらに奥にはもう一つ扉があった。書斎からまた別の部屋へ通じている扉だ。ドアのプレートにはクローゼットと書かれている。 「……何なんだこれは」  ドアを開けて最初に目に飛び込んだのは、無数のアンドロイドのボディ。骨格から考えて、表皮を貼付けるタイプだと思われる。よくみると頭部の構造が妙な物も散見される。サイボーグボディだ。 「よくこれだけの数を……。気味が悪いな」  命を吹き込まれる前のボディ達は、よく見ると女性のプロポーションを取っている。骨格だけしか無いが、明かに男性の形をしたボディは無かった。  整然とサイズ順に並べられたそれは、説明しがたい不気味さを持ってヘンヨを出迎えた。  中はいわゆる物置である。ただ単に使用しないボディや機材を押し込んだだけのようだ。埃の具合から、相当長い間放置されている事が解る。  ボディの骨格には傷や擦り減り等は無く、よく磨かれた金属光沢を放っている。一度も使用される事なくここで眠ってる事が解る。  ヘンヨはふとした疑問を覚える。  実験用なのだろうが、表皮そのものは何にでも張り付く。わざわざフルスケールで試す事にあまり意味が無いのだ。つまりこれほど大量のボディを用意する意味がまず無い。  さらに、なぜわざわざ自宅にこれを用意したのか。アンダースが居る研究所のほうが遥かに設備がいい。会社からのサポートも受けられるはずだ。  そして最大の疑問。  ヘンヨはその一つの前に立ち、まじまじと観察する。 「サイボーグボディ……ね」  アンドロイドに混じって数体だけ置かれているサイボーグボディ。特に違法な改造をされている訳でも無い、一般規格の物だった。  ヘンヨはデジカメでそれを記録する。もちろん他のアンドロイドボディもだ。これらも全て、一般的に出回っている正規品ばかりであった。  それらを全て撮り終えて、ヘンヨはその不気味な部屋を後にする。  特に手掛かりがあった訳でもなく、代わりにキースのおかしな趣味を垣間見ただけだ。そんな気分になったのか、小声で「気持ちが悪い」と何度か言う。  ここで、この家には「生きている」アンドロイドが一体も居ない事にヘンヨは気づく。  これだけ大きな家で、しかも相当な財産を持っているならば一体二体のアンドロイドは普通なのだ。家事全般を押し付けても設定次第で文句一つ言わずに二十四時間働くメイドロボは、手に入れば家庭の主婦をただの置物へと変身させる。  老人と少女の二人暮らしであるこの家ならば、それこそ有り難い物のはずだ。  改めて家の中を歩き回り観察すると、リビングや浴室、ベッドルーム等の生活空間はそれなりにきっちりと整頓され、生活感がある。  だが、それ以外の場所、例えば客室等の使用されていないスペースは完全に閉ざされている。  キースとアリサはこの大きな家を必要最低限しか使っていない様子が解る。たった二人では、この豪邸を完全に持て余しているらしい。  自分で出来る事はさっさと自分で片付け、アンドロイドに頼った形跡は全くない。 「なるほどね……」  アリサの行動力と時折見せるマイペースっぷりはこうした生活環境で育まれたと思われる。  キッチンを見回すと見事に整理されている。棚の中の食器や調味料の類も整然と置かれ、冷蔵庫の中も適度に隙間を開けてチーズやハムが並べられている。  几帳面な一面もあるらしい。そういえば、隠れ家に居た時からきっちりと自分で食べる分は自分で用意し、自分で片付けていた。ヘンヨはまったく気にもとめなかったが、意外としっかり者だったようだ。もっとも、その行動はマイペースにやっていたのだが。  冷蔵庫の中にあったチーズをかじりながらヘンヨは再びキースの書斎へ。  家の中を見渡して解った事はキースとアリサの生活スタイルと、キースの妙な趣味とアリサの性格だけである。後は例の作戦を実行するだけだ。  パソコンのパワーを入れ、立ち上がるのを待つ。  面白みのない壁紙が表示され、チーズをくわえたままメモリーを取り出す。 そして、それを本体へと差し込もうとした時、胸に感じた振動がそれを邪魔してしまう。 「いいタイミングで電話しやがるな……」  携帯電話を取り出し相手の名前を見る。スレッジだ。 「……もう調べたのか。随分早いな」 《ああ。まだ全部調べた訳じゃないけどな。保険屋やらがうるせぇから公開されてないコトもあるし。》 「で、何がわかったんだ?」 《まず運び込まれた病院。都市部からは遠い場所だな。事故現場からは近いからそこに運びこまれたらしい》 「で、場所は?」 《そこからならフリーウェイ通って三時間って所か。海に面した所だ。バカンスを楽しむ連中だらけの所さ》 「両親の死因は? 具体的な」 《カルテによると二人とも外傷性ショック……。具体的には、アルビンはハンドルに胸部をツブされて即死。キョウコの方は頭部が粉々だったそうだ》 「不信な点はナシか?」 《事故そのものはな》 「アリサの方のはどうだったんだ?」 《頭部を強打して意識不明の重体。脳内出血で死にかけたけど手術が間に合って助かった……って所だな。よく植物状態にならなかったモンだよ》 「しばらくはそうだったんだろう。意思が回復したのはいつだ?」 《そこは個人情報って事でカルテが見れないんだ。回復過程は事故とは関係ない個人の事だからな。さっぱりだよ」  ヘンヨはチーズをまたかじる。口を動かしながら少し考える。 「……。なんでキースは隠したんだろうな」 《は? 珍しくもないだろ》 「それはそうだが……」 《また気になったか? でもそれはキースに聞くしかないな》 「そうだな……」 《で、そっちはどうなんだ?》 「今まさに例のメモリーを動かす所だったんだが、いいタイミングで邪魔されてな」 《そりゃ悪かったな! で、他は?》 「キースの性癖が解ったくらいだな」 《何調べてんだお前?》 「冗談だ。……あながちウソじゃないかもしれないが」 《はぁ? で、今から例の作戦をやるんだな?》 「ああ。少し考え事してからにするけどな。気になる事が多過ぎる」 《そうか。気をつけろよ。じゃあ切るぞ。俺ももう少し事故について調べてみる》 「わかった。ああ、アリサにちか――」 《……ツー……ツー……》 「……」  ヘンヨは腕を組んで椅子の背もたれに体重を乗せる。椅子がギギギーと鳴いている。  残りのチーズを全て口に入れ、天井を見ながら頭を働かせる。  疑問とも呼べない小さな事から、明らかに理解に苦しむ物まで、全てを頭の中で整理ししようとする。だが、それらは全て不定形のまま頭の中を回るだけ。  ピースは揃っているが、それぞれのサイズがあっていない。目的の絵は見えているのに、組み合わせられない。  そんな気分に陥りながら、ヘンヨは天井を見続けた。  リビングから拝借した写真を懐から取り出す。二枚を見比べ、よく観察していく。  もっとも違和感を感じた二枚の写真。それこそパズルのサイズを合わせる為に必要な枠組みだ。確証こそ無いが、勘がそう言っている。  そう思うと、どうしてもその違和感の正体をはっきりさせておきたかったのだ。  だが、その正体は掴みきれず。時間ばかりが無意味に過ぎて行く。  天窓から覗く空は先ほどとは違い晴れている。ヘンヨの心中とは違い雨雲は過ぎ去ったようだ。  当のヘンヨはそれに気付かず、ずっと写真を眺めている。どれだけ時間が経ったかはすっかり忘れていた。  そのヘンヨの意識を現実へと連れ戻したのは、胸に感じた携帯電話のバイブレーションだった。 「……? スレッジ?」  表示された名前を見てそう言う。 「おいスレッジ。随分早いな」 《……》 「スレッジ?」 《ヘンヨぉ? まだそっちは何もしてないの?》 「KK?」  電話の相手はKKだった。スレッジの番号からかけてくるのは珍しい事では無かったので、いつも通りにヘンヨも話す。 《どうなの?》 「ああ。考え込んじまってな。まだ例の作戦はやってない。スレッジはどうした?」 《今ちょっと寝てるわ》 「そうか。アリサは?」 《その事なんだけどねぇ……》 「どうした。まさかとは思うがスレッジが何かしたか?」 《実は……その……。怒らない?》 「勿体振るな。さっさと言え」 《じゃあ言うけど、心の準備はいい?》 「ふざけてんのか? 何なんだ?」 《アジト襲撃されちゃった。スレッジは今ノビてるわ。私も今、左肩から下吹っ飛んじゃって無いのよ。で、アリサちゃん連れていかれちゃったわ》 「……何だって?」  時刻は午後三時になる所。 ――続く #back(left,text=一つ前に戻る)  ↓ 感想をどうぞ(クリックすると開きます) #region #pcomment(reply) #endregion

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