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「地球防衛戦線ダイガスト 第十四話」(2013/04/21 (日) 15:44:56) の最新版変更点
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第十四話 東京の休日
五月上旬、小笠原父島。
亜熱帯気候の太陽は既に夏めいており、湿度も80パーセント近い。ここを拠点にするセラン諸惑星連合の将兵は空調の効いた設備で暮らす宇宙生活者のため、湿度と焦熱にあてられて体調を崩す者が続出していた。
それでも海洋調査に船体の修理と、野外活動の機会は多い。ユリウス・パトリキオス艦長も急遽しつらえた半袖の三種軍装を着用してはいるが、それでは頬のやつれまでは隠せない。
1ヶ月前にダイガストの巨砲で穿たれたディアマンテの修理が問題だった。装甲と電路の修理だけでも頭の痛い問題であるのに、艦載機格納庫まで吹き飛ばされたものだから、工具を筆頭に様々な整備用の設備まで失われていた。
既存品の注文になるが、なにしろ地球は銀河帝国文明圏にとっては辺境である。機材の到着は遅れに遅れ、日本国との三度目の限定攻勢を間近に控えるにもかかわらず、万全の修理状態とは言い難い。
しかもこれらの再建に関して一々ちょっかいをかけてくるのが、統制官と呼ばれる資源庁から出向している文民達で、これに納得させるための資料作りがパトリキオスの神経を更に苛むのだった。
『民主主義を掲げた星間貿易国家であるセラン諸惑星連合にとって、スペースレーン(航宙交通路)の確保は安定した貿易を続ける上でも重要な要素である。この崇高な使命を監督する統制官は文民統制の象徴であり、野蛮な王政や開発独裁を掲げた他の列強とは一線を画すうんぬんかんぬん。』
…どこの頭でっかちが言ったのだか知らないが、お陰で現場に実務者以外の意見が罷り通って大迷惑だ。
あわや報告書の文面にそう書き出しそうになり、パトリキオスは慌てて携帯端末の内容を訂正する。木陰で浜風を浴びながら、書類の入っていないファイル程度に見える携帯端末をいじっている姿は、侵略者が優雅な午後を愉しんでいる様に見えるだろうが、内実はISO関連書類や役所への届出に四苦八苦する中間管理職みたいなものだ。
そんな事を考えている折に副官が近づいてきたものだから、パトリキオスは露骨に顔をしかめるのだった。
「なんだい、また統制官殿が新しい報告書を御所望なのかい?」
「いえ…」
副官の眉間の皺は深く、それなりの厄介事であるとは察することが出来た。しかしながら彼が差し出した情報ボードの画像は、パトリキオスの予測の斜め上を1パーセクで飛び去る類のものだった。
それは北海道でルドガーハウゼン大剣卿を唸らせた、あの旭日の光を帯びた宇宙船と同じものだ。
パトリキオスは盛大に溜息を一つ吐くと、それから何かに憑かれた様に猛烈に報告書の整理を再開する。いつもなら皮肉の一つでも言ってサボろうとする艦長の豹変に、副官は思わずたじろいでいた。
「あー、艦長?」
「やって来るのは銀河帝国の近衛艦隊だ。誰が乗ってるにしたって、しばらくは我々『下々』はご機嫌伺いで戦闘行為も自重しなければならないだろう。だったら、今のうちに艦の修理を徹底的に行う。改装も含めてだ。工期の問題で後回しになっていたプランを持ってきてくれ。もう一度練り直す」
「諒解しました!」
副官はやる気の艦長に軽い感動を覚えつつ、背筋の通った敬礼を見せる。
「他に必要な物はありますでしょうか?」
「ふむ…」
パトリキオスは一寸考えて、それからひどく汗をかいている事を思い出し、
「飲み物も頼むよ。缶コーヒー、甘いやつ」
彼もまた日本に馴染み過ぎたガイジンの一人であった。
地球全土で列強の五月前半攻勢が突如延期となり、原因の判らない地球人達を困惑させた。
進駐した兵士達が元気なのは確認されているので、H・G・ウェルズのSF作品の様に微生物に負ける宇宙人という大どんでん返しは期待できなかった。
例えば北海道に潜入中である防衛省の情報本部や警視庁公安部の方々、また、小笠原沖の海底で息を潜める潜水艦乗組員達の地道な観測によって、ツルギスタンやセランの航宙船から頻繁に内火艇が空へと駆け上がって行く事例が報告されていたが、宇宙空間にまで追跡の目は向けられないため、最終的な行き先までは掴めなかった。
緊張の持続というのは難しいもので、異星人との茶番戦争を目前に控えていた国々の将官達は、隷下の兵達の士気に頭を抱えた。うっかり休みを与えて羽を伸ばして来いと言おうものなら、ここを先途と脱走をする輩が出そうな国もあり、そういったお国柄の基地では戦闘前よりも基地の警備が物々しくなるという有様だ。
風見鷹介は脱走――彼の知っている言葉では脱冊――という言葉とは無縁ではあるが、降って沸いた休みには戸惑う類の社会不適合者であった。とりあえず休みの過ごし方に思い付く事が無かったのだが、パイロット過程を落第してからこっち、大江戸研に殆ど拉致同然に詰めていたので、ふと東京の実家に帰ろうかと思い立つ。
そうなると幼馴染――設定を忘れがちであるが――である透もじゃあ一緒に、とか言い出そうとするのだが、遠近法を無視して伸びてきた大江戸博士の手が彼女の頭をぐわしと掴むや、
「君はそろそろ卒論の骨子を提出してくれないかね。調度時間も出来た事だし」
「いーやー!?」
ここのところ実体の無い女子大生だった透は、大江戸博士のデスクの隣に蜜柑箱を机にして、書いてゆく先から添削される超濃縮卒論の荒行に連行された。
一度だけ合掌した鷹介は、そんなわけで久方ぶりの里帰りを果たすのだが、実家というのがこれがまた居場所が無い。航空学生になって家を飛び出したっきり、その道からも転げ落ちて、今では細々と小型機を飛ばしていると親兄弟に伝えている秘密の身分であるからして、針のむしろでジュリアナダンスを踊るようなものだ。
父に収入を気にされ、母に健康を気にされ、弟はなんか反抗期で、妹も二次性徴期の始まりでむつかしいお年頃とくれば、難易度は最上級である。
気の休まらぬままに父の晩酌に付き合った後(いつもは発泡酒なのにプレミアムモルツだった)、ようやく自室で一息吐くと、家を出た時のままで保存されていた部屋が目に入ってまた痛々しい。本棚の航空雑誌とか、やけに気合を入れて作ったF-15Jのプラモデルとか、当時の意気揚々とした自分を思い出すと、思わず窓から投げ捨てたくなる。
しかしコンビニ等に逃避するのも鬼門だ。同級生にランダムエンカウントしたら目もあてられない。そうなったら同級生達に身分を偽るのが嫌というより、もう隔世観みたいなものだった。華の学生や、社会人のルーキーをやっているであろう同級生の輝かしさと比べたら、硝煙ならぬ航空燃料の臭いが身に染み付いた自分はどうだ。昔と変わらない自室の学習机に備え付けの椅子よりも、あの硬いコクピットシートの方が馴染んでいる自分はどうだ。
ならば『飛行適正ナシ』と判断されるのをひたすら恐れた、あの訓練の日々こそが真実なのだろうか。
いや、それも無い。めくるめく濃密な日々を耐え抜いた仲間達も、じきに速成でF-2のコクピットにおさまって飛び発つのだ。その時、自分は異星の技術で固められた分厚い装甲に守られて、あの仲間達の足下を這いずり回っているに違いない。
鷹介は自罰的な焦燥感に身を焼かれて煩悶する。誰に責められている訳でも無いだろうに、自分がひどい卑怯者に思えた。それは若さゆえの潔癖であったが、鷹介がその事に自ら気付ける道理は無く、また同年代の同性のような打ち解けられる者がいない職場であるため、必要の無い罪悪感は彼の目に見えぬ芯の部分をぐずぐずと蝕んでゆくのだった。
野郎がベッドにうつ伏せになってのたうつと云う誰得映像を披露した後、鷹介は整理し切れない『私』の部分に目を背け、駄目人間の見本のように『公』の方に逃避する。
将来家庭を持ったら減点パパになるタイプである。
ともかく何かから逃れるように、研究所の技術者連中に『東京土産なにが良いですか』とメールをうつと、『レシートがあれば実費精算するよん』と軽い口調で、やけに重い目録が送られてくる。その殆どは家電製品やゲームにDVDで、娯楽が限られる研究所生活が偲ばれた。
もうAmaz○nで注文しろよとも思うが、よく考えれば研究所の入口で警備員が配達業者を止めて積荷をチェックする光景は日常茶飯事だった。それで軍艦の酒保開けの合図じゃあるまいが、注文の品を受け取るために列を作る異星の技術者というのもお馴染みの光景だ。
並べば目的は達せられると理解しているのだから、まったく日本によく慣らされた異星人達である。本当に彼等は故郷奪還の折には凱旋が出来るのだろうか。
「そんなわけで秋葉原にやってきたのだ、と」
ウホ、いいオタクの街、と誰が言ったかは知らないが、日が変わって平日の秋葉原に降り立った鷹介は家電やDVDや玩具の宅配の手配に没頭する。
「えぇと…アオモリズ・ブートキャンプに、ダーウィンが来たの海洋惑星特集、モンスターアーツのドラグリヲ、ロボット魂イグザクセン、スーパーロボット超合金リベジオン、figmaティマ、エクセレントモデルCORE一条遥…もう電化製品ですら無いな」
近年ではすっかり趣味に生きる高等遊民の街となり、メインストリートに二次元美少女のイラストやメイド喫茶のチラシ配りであるアルバイト・メイドが溢れ返れば、それを物見遊山するカタギの人々までやってきて、駅前を小奇麗に再開発するというプロジェクトまで立ち上がる始末。電気コードとハロゲンランプのうらぶれたイメージは、既に表通りからは駆逐されつつあった。
今しもメインストリートに面したアニメショップの店先では、現行放映中の美少女がロボットで戦うアニメのPVが垂れ流されていた。
『シンブレイカーにマーラが顕現します!』
『なに召喚しとるんじゃ、あんたらはー!!』
一見して好況のようではあるが、しかしながら銀河列強諸国の来寇を受けて加工国にも野火の如く広がる戦火は、エレクトロニクス部品の供給にも影響を与え始め、パソコンショップ等の店頭には品切れや値段高騰のポップが踊っていた。降伏間近と言われている台湾の影響が最も顕著であり、各国のパソコンや液晶ディスプレイの部品供給が滞っているのだ。
太平洋のフタのひとつである台湾の地政学的重要性は言うを待たないが、エレクトロニクス産業においても掛け替えの無い一部門を担っている。この辺り、中華人民共和国のような加工国と違い、研究・開発能力をもった企業を持つ国の混乱というのは、非常に重たい意味を持っていた。
単純な加工国でも、その生産能力に大いに頼っていた企業は大打撃を被っていた。中華人民共和国産の100円ショップ商品や、半島産のハードディスクがそれだ。
本邦でもツルギスタンの本州上陸からこちら、東北地方の工場が疎開を始めた事により、車のエレクトロニクス部品の供給に混乱が生じ、各車会社は生産調整を強いられている。
別の視点としては、違法星間商人の介入と思われるアデン湾の海賊騒ぎが北アフリカからシナイ半島へと延焼し、いくつかの国で独裁政権の打倒を掲げた内戦を惹起させていた。これにより海賊対策を嘲笑うかのごとく原油価格は高騰し、日本でも燃料代が不安定になってきている。
目に見えぬところで、人々は戦争の影響を肌で感じる様になっていた。
そういう国際情勢が原因でもなかろうが、人がまばらなのはむしろ平日だからという理由の方が大きいだろう。表通りから一本も路地を入れば休日の盛況が嘘のように閑散となる。それゆえに、その椿事は目立っていた。
ありていに言えば一人の白人女性が、三人の黒服に囲まれていた。
なんだ、これ?曲がり角の向こうで出会い頭に広がっていた光景に、鷹介が最初に抱いたのはそんな疑問だった。
黒服は揃いも揃ってミラーシェードで表情が読めないが、どいつも屈強な体躯をしていた。頭髪に金髪の者が混じっていて、どうにも日本でお目にかかる光景では無さそうだった。
さらに凄いのはもう一方の白人女性で、淡い水色のワンピースに薄手で短いカーディガン。それもワンピースは最近のデザインでなく、ふわっと広がる長くてレトロなやつだ。それに編んだ銀髪を後頭部でクルクルと巻いてシニヨンにした、ハッと目を引く美人の貌が乗っているとなれば、どこの絵に書いたお嬢様ですかという話である。いや、ここは秋葉原なので、どこの二次元から彷徨い出たのですか、か。
それが何やら鷹介に理解できない言語で言い争っているとくれば、怪しさもひとしおだった。
と、不期遭遇の衝撃に面食らっている鷹介の姿を認めるや、女性は動き辛そうな格好と裏腹に存外な速さでもって彼に駆け寄って、その背に隠れるように回り込み、
「悪いヤツに追われておるのじゃ。助けてたも」
何とも古体な口ぶりで窮状を伝えると、鷹介越しに黒服達に『あかんべー』をしてみせた。
いかにも可愛らしい訣別の意思表示をされた黒服達は、いささか狼狽した風で鷹介に歩み寄り、
「君、我々は怪しい者ではない。その方をこちらに返してくれないか」
自分で怪しくないと言っていれば世話は無いが、それよりも今の一瞬のやり取りが流暢な日本語である事の方が、鷹介を警戒させる。どう見ても日本人でないのに日本語を口にし、そのくせお嬢様と黒服なんて世間じゃ有り得ない光景を現出させる。
そういうのには覚えがあった。鷹介は苛立ちをおぼえつつ、
「どこの御家騒動か知らないが、そういうのは地球に持ち込まないでくれよ…」
皮肉のつもりだったが、それが拙かった。
反射的に黒服達から張り詰めたものが発せられる。後ろの二人がポケットから警棒のようなロッドを取り出し、音も無く伸張させた。御丁寧に金属の打撃部には青白い電流まで確認できる。
「そこまで知っているのなら、タダで返すわけには行かない!」
「常識でモノを言え、この侵略者ども。見た目がコーカソイドの集団が皆して流暢に日本語を喋るか?電磁警棒なんて日本じゃアニメの産物だぞ?」
鷹介の突っ込みに黒服は若干たじろぐ。宇宙ヤクザの時とは違う反応に、意外にまともな連中なのかも、と共感のようなものを覚えたが、しかし彼もダイガストのパイロットという――今のところは――秘密の身分であるため、こんな所で明らかな列強の関係者にお世話になるわけにも行かない。例え原因が自分の軽口であっても。
鷹介は僅かに腰を落とし、どの様な事態にも動けるように身構える。口じゃどう言おうが、彼の体は荒事に慣れ切っていた。
そして彼の身体の重心移動を、渦中の人であるお嬢様は興味深げに観察している。鷹介の背中越しに聞こえる声には、どこか状況を愉しんでいるような弾んだ節すらあった。
「あの悪いヤツらは腕が立つぞ。そなた、歯が立つのかえ?」
「判らない。だから君は、隙を見て逃げればいい」
「それでは流石にそなたに『目』が無い。そなた、剣は使えるか?」
「剣?…まぁ、真剣じゃない程度なら」
鷹介は高校と航空学生とで続けていた剣道の事を思い出す。二段には手が及ばなかったが、初段は取っていた。
「つかわす。存分に振るうが良い」
そう言って左の脇から差し出されたのは、鈍い輝きを放つ金属製の剣の柄だ。鍔や護拳は無く、柄頭には精緻な彫刻がされている。
受け取り、深く考えずに以前の習いで腰間から抜くようにして正眼に執ると、柄が伸張して拳二つ半に形を変え、更に鍔元からは眩い白銀の奔流が噴き出した。ほんの一瞬、それは液体のように振舞ったかと思うと、見る間に形を変えて二尺五寸(約75センチ)ほどのゆったりとした反りを持つ刃に固まる。
要は刀だ。おそらく鷹介のイメージを汲み取って、そのような形になったのだろう。何しろ長さに反して重量配分は絶妙で、刃が自分の腕の延長にあるようだ。借り物でこんな事は有り得ないだろうし、ダイガストの制御に組み込まれた思考を汲んで機体を制御する技術が、銀河列強のゲーム機から取り外した代物である事を思えば、そう考えたほうが不思議は無い。
鷹介は手の内の握りを確かめる間こそあれ、こちらが出した刀に何らかの躊躇いを見せる黒服へと、先手必勝で打って出る。スニーカーと素足では勝手が違うから、ともかく短期決戦だった。上段へと刀を振りかぶって正面の黒服に殺到し、敵が身構えた瞬間にはその脇をあっさりと駆け抜けて、後ろの二人へと向かう。
矢面の一人を無視した不意打ちに、黒服が躊躇いから狼狽へと変わったのを見逃さず、上段からの小手打ちというフェイントを交えて警棒を狙うと、刃は恐るべき切れ味で警棒を断ち切って青白いスパークを弾けさせた。
続け様にいま一人へと左足で踏み出し、体ごと向きを変えて刃を跳ね上げるや、こちらも過たず警棒が寸断される。
そこから出足を軸に体の上下動無く半回転し、振り返りざまに刃を突き出すと、最初に素通りした黒服の喉元へと剣先が突きつけられた。
う、と黒服が呻くのが聞こえた。
鷹介は騙し手が上手い具合に嵌った事に内心でひどく緊張していた。『思いっきり本身じゃねーか!?』とか切れ味に驚嘆したのもあるが、所詮は相手が白刃に驚いた所に付け入った奇策だ。それが判っているから、優位を突きつけている内に顎をしゃくって黒服達にお帰りを促す。
黒服達は後ろ歩きで距離を取ると、未だ未練たらたらの様子だったもので、鷹介が再び刀を振り上げて脅かして、初めて算を乱して逃亡に入った。
ふぅと一息つき、緊張の糸が切れると、銀の柄へと刃が引き戻る。矢張り使用者の意図を汲む類のメカニズムなのだろう、その出来に感心していると、
「見事!誉めて遣わす」
ご満悦のお嬢様がお褒めの言葉をかける。そういう態度に慣れているのか、たいそう大様であったが、鷹介は悪い気はしなかった。というか一寸言葉を失った。
彼女が柳のような腰に手を当て、僅かに背を反らせば、たわわな二つの盛り上がりが自己主張をしていた。アップにした髪型から覗くうなじとか、スカートから出た足とか、眩いくらいに白い。年の頃は自分より少し下だろうか。貌からは幼さが抜け切らないが、切れ長の目の中には強い意志を感じる瞳が据わり、長いまつ毛がそれを飾っていた。よく整った顔貌からはお嬢様じみた出で立ちも含め、『やんごとなき』という言葉が思い起こされる。
要は鷹介が我知らず見惚れていた訳だが、彼女はその不躾な視線を気に止めるでもなく、
「礼を言うぞ、悪い奴ばらは去った。妾はセシリアンダ。親しい者はセシルと呼ぶ。訳あって家名は明かせぬが、そなたもセシルと呼ぶことを許そう。そなた、名は?」
流れるように仰々しい台詞を吐いた。
家名などと言うからには銀河列強の上流階級なのだろう。しかし明らかに上からの物言いのわりに、彼女の立ち居振る舞いは実に自然で反感が沸かない。人を従わせるのに慣れている、というよりは人に愛される事に慣れている、というべきだろうか。そう素直に思ってしまうのは癪であり、鷹介は美人とは得なもんだ、と捻ねた事を考えながらセシルの問いに答えるのだった。
「風見鷹介」
「ヨースケ!そなたはこの国の戦士の家柄であろか?見事な剣ばたらきじゃ。その剣は褒美に取らすぞ」
貴人が手持ちの剣を褒美にくれるのはよくある話で、それ用に手放しても惜しくない量産品の脇差を持ち歩いた天下人の話なんてのもある。だから鷹介は、ああ普及品なんだな、と納得して白銀の柄をジーンズのポケットに落とし込んだ。
「有り難き幸せ、とか跪いて言うべきなのかな」
「気にするでない、妾の臣民であるわけで無し。それともそなた、銀河共産主義などと標榜する、貴き者の義務を否定する輩かや?」
そういうのは何処にでもいるんだなぁ、とか鷹介は妙な事に感心しつつ、セシルの口調がはきはきとしていたもので、それに乗って――大江戸博士の受け売りだが――悪ふざけをしてみた。
「暴君であれば貴き者という前提は成り立たず、圧政が無ければ革命家は迷惑な扇動屋に過ぎないな」
「…その心は?」
「正義は個人にしか宿らない」
「君主は常に孤独であれ、か。帝王学じゃな…出先で教えられるとは思わなんだが」
そう呟いたセシルの表情はひどく真面目で、状況を面白がっているような雰囲気は消え去っていた。それは妙齢の乙女が自発的に得る様なものでなく、何か余人には理解し得ない重責の存在を感じさせるのだった。
こりゃ透とは大違いだ。鷹介があのお気楽極楽な――と極力思っている――幼馴染を思い浮かべたのは、このやんごとなきお嬢様の醸し出すものに呑みこまれ、その信奉者になって仕舞わない様にする自己防衛だ。もちろん鷹介本人は意識していないが、だからセシルが再び、あのいかにも人に愛される笑顔を見せた時には、何とは無しの高揚感を憶える始末だった。
「のぅ、ヨースケ」
更に追い討ちとばかりに、セシルはいかにも抗い難い上目遣いで彼に要求する。
「礼ついでにな、妾をウエノにまで案内(あない)してくれぬか?」
もちろん鷹介は百戦錬磨のジゴロであるまいし、まして鉄の意志力を持つ訳でもない。いい様に巻き込まれるままに、自らの女性免疫の無さに呆れながら、彼女を上野までエスコートする事が決まっていた。
そして彼は最後まで気付かなかった。二人の遣り取りを、ビルの陰に潜むようにして監視する、別の黒服がいた事に。
山手線秋葉原駅の利用は追い散らした黒服と再遭遇する恐れがあるため、鷹介はタクシーを探す事にした。しかし前述の通りガソリン価格の不安定化に伴って、昼の裏路地界隈にまでやってくる奇特なタクシーはおらず、結局、徒歩で秋葉原を離れ、神田の外れから上野に向かうと言う地方在住者に優しくない経路を執る羽目になった。
オフィス街のビルの合間を縫って歩くと、頭上の空は遥か遠くに感じる。梅雨を間近に控えた5月の空は抜けるように青く、目に染み入るようだ。
「ヨースケ、この辺りは人影も少ないようじゃな。これも戦争の影響かえ?」
セシルは人気の少ない昼のオフィス街をキョロキョロと見回している。ただでさえ美貌の白人女性で目立つのだから、挙動不審な行動は謹んでほしいと願う鷹介の眉間には、自然と深い皺が寄っていた。
「今は就業時間。サラリーマンはオフィスでお仕事中だ」
「残務処理かの?殿軍を買って出るとは見上げたものじゃな」
「何でまた『しんがり』の話に?」
「トウキョウのオガサワラはセラン諸惑星連合に奪われているのじゃろう?奴ばらが雪崩を打って攻め込んでくる前に、企業は疎開をしているのではないか?」
「あ”ー…」
鷹介は濁点交じりの納得の唸りをあげる。小笠原は離島であるが、確かに日本国の首都の一部が敵国に切り取られている認識に間違いは無い。だからと言って今更東京に集中した政治経済のシステムを一気呵成に関西にでも退避というのは、どだい無理な話だった。用地買収と周辺インフラの整備だけで何年かかるだろうか。
それに国場総理は政府が引く姿勢を見せる事によって、国民へと劣勢が印象付けられるのを恐れていた。
議員の中には国会さえ終われば一刻も早く東日本から離れたいと考えている者もいるようで、東京堅守派との角逐突き合わせる睨み合いが始まっている。東日本からの逃亡派には野党民権主体党の超大物――東北地方が選挙地――の名も挙がっており、冷笑の種となっていた。
とまぁ、ここまでは政府中枢の疎開に関する話であるが、なら民間はと言えば、市街地に地上げ獣が出たところで災害時の避難プログラムが精々というのが現状である。
戦時にどこまで国民が協力するのか?これは九十年代にも問題になったが、例によって斜民強酸といった野党の反対と、マスコミの神学論争で沙汰止みとなっていた。溺者の救出には時に殴りつけても大人しくさせる必要があると言うが、非常時の取り決めすらも難色を示すのがポピュリズムの恐ろしさである。
なお、今上天皇は宮内庁内でも度々上がる京都御所への避難を断り、東京で公務を続けていた。この辺りの判断根拠も国場総理のものに近い。
総じて言える事は、大多数の日本人は差し迫った危機が目に見えない限り、今の生活を墨守する習性があるという事だろう。
鷹介はその辺を掻い摘んでセシルに言って聞かす。
「はぁ、何ともまぁ健気な人々じゃの。列強の市民とか言う奴ばらに、爪の垢でも煎じて飲ましてやるが良いわ」
セシルは苦笑交じりにそう言った。
「…近頃の列強諸国は野放図な拡張と、鼻につく善意の押し付けばかりじゃ。それが通じぬと口を揃えて野蛮、野蛮と。知っておるか?今やこの星は文明を受け入れぬ暗黒の星扱いぞ」
その急先鋒な鷹介であるからして、そう言われると心の奥底の悪餓鬼の様な部分が、何ともこそばゆい。本来なら言われの無いヘイトなのだから、そんな事を思っていては駄目なのだろうが、鷹介も基本は 日本の現代っ子なので、相手の自省のような雰囲気には弱い。だから、思わず出た台詞ときたら、
「でも、君みたいに思っている人も居るわけだろう?」
「ヨースケ…正義の独立性を妾に説いた者が、その言い草はどうなんじゃ?」
「む…」
セシルの指摘に鷹介はぐぅの根も出ない。喉に何か詰まったみたいな顔になる彼に、セシルは優しげな笑みを浮かべるのだった。
「よいよい、そなたは優しい人間のようじゃ。されど今の時代、それだけを頼りにしておっては、国敗れて何とやらじゃの。まさに国と国で対峙するなら、そこに正義はあるまい。詰るところ、力無きは悪じゃ」
悲しい事じゃの。セシルの笑みが寂しげに変わった。
それは為政者に近しいであろう人物のあくまで個人的感情であり、国というシステムに反映される事はない。鷹介とセシルが見解の一致を見たとて、それは個人の正義の合致に過ぎないのわけだ。
「こうやって各々の思考を交える事はできても、文字通りの相互の理解にしか過ぎぬ。国へ、集団へ帰れば、相互いの意見なぞ大海へ投じられた砂糖の如くじゃ。幾ら言葉を交わそうとも、海は甘くはならぬ」
「どちらかと言えば、君はその砂糖を大量に持っている人に見えるけど」
「然りじゃな。そこいらの今更のように植民地獲得競争に腕まくりして参加を始めたような慮外者よりは、妾の掌(たなごころ)は大きいじゃろう。されど、民衆を家畜と呼ばうようなGBCの経営者連中と比ぶれば、妾の握りこんだ物は童子の砂糖菓子みたいなものじゃ」
そう言ってセシルは小さな手を軟らかく握りこんで鷹介に突き出す。
「それよりもじゃ、ヨースケ。この手の中に有るであろう砂糖菓子を欲するのなら、淑女に払うべき相応の礼が要ると思わぬか?勲(いさお)しをたてた武人の箔か、はたまた典礼に長じた識者の知恵か、大身貴族のパトロンとなるような商人の力か。妾も未婚の乙女ゆえな、この指を取って解くのならば、よほど気を許さねば、な」
「他人様の助力を得るには、自分自身の力を認めてもらう必要もあるわけか」
「全面的な庇護下に置くというのであれば、列強の植民地と変わらぬであろ。最低限、自分の身は守れることを証明せねばな。国と国の間に正義が無くとも、益があるならば信にも代わろう。ただの紙を通貨となす担保じゃな。それしきの威勢も技術もハッタリも無いならば、国としての交流に益を求めるのも無理な話じゃ」
「世知辛いな」
「見返りもあろう。太陽系の経済は閉塞状態にあるようじゃが、そこに新たな外貨の獲得先を設けられる。例えばツルギスタンやセランと敵対的な国ならばどうじゃ?敵の敵は目先の話なら味方となろう」
「それって率先して銀河列強同士のパワーゲ-ムにコミットしろって事かい?」
「まだ、そのメはあると言う事じゃ、生き残るためにの。しかし負ければ選ぶことすら出来なくなる」
世知辛い。鷹介は今度は心の中でそう呟く。
彼は知る由も無いが、国場政権は列強からの亡命者から銀河帝国文明圏のパワーバランスを聴取し、彼等の細い伝を手繰って交戦国の後背を衝く手段『も』模索していた。
それに鷹介自身が所属する大江戸先進科学研究所も幾つかの省庁の財団法人としての顔を持っており、宇宙の非交戦国と物々交換に近い直接貿易を細々と行っている。不況によって荒廃した地球の市場で磨り潰される資源と考えれば、多少のレートの不利も計算の内だった。
実に消極的ではあるが、負けぬ戦のために様々な手が打たれていた。だが、いずれの行動も明確な休戦への筋道が無い以上、ただの悪足掻きに過ぎないのかも知れない。政治の季節は、未だ濃い戦争の霧の向こうだ。
道筋が見えない点に関しては、もっと根本的な疑問もあった。
結局のところ銀河列強諸国は何がしたいのか、である。
GBCの言う未開惑星を舞台にした陣取りゲームや、列強の根底にある膨張主義という説明を鵜呑みにするのなら、地球がリングである限り地球の各国は今後も防衛を強いられ続ける。しかし防戦に地球の資源を濫費させる事が、列強の植民地政策の意図であるのか。それならば彼等は戦時協定に星を傷つける戦略兵器の使用の禁止する、との謳い文句をわざわざ付けまい。
「君達は、この地球で何がしたいんだ?」
鷹介がそんなマクロな疑問を抱いたわけではない。何のかんの言っても行動による解決を是とする、いわゆる脳筋の類であるからして。だが彼の漠然とした問いかけを、セシルは深い洞察が内包されている様に感じた。…いや、本当にありはしないのだけれど。
「諸戦争を終わらせる戦争…」
言い置いて、セシルはすぐさま付け加える。
「世迷言じゃ。銀河帝国の不徳に端を発し、未だにしぼむ気配も無い。列強は皆が皆、次なる銀河帝国にならんと欲しておる。されど往時の威勢を失ったりとはいえ、老いた帝国は未だに一大勢力じゃ。列強が一国で相手取るには、ちと荷が重い。しかもガップリと四つに組もうものなら、途端に別の列強に後背を討たれるじゃろう」
そう言って彼女は指鉄砲を撃つ仕草を見せると、何やら人の悪い微笑を見せた。
「群れ固まって攻めて来れば話は違おうが、事を成したあかつきには群れの親玉争いが始まるな。すりゃ、いまの列強の拡大方針は、猿山の親玉を決める代理戦争となるわけじゃ。それも次の戦争の下準備の、じゃ」
「とばっちりじゃないか、それじゃ」
鷹介はむしろ呆れて言った。
「だいたい、君らにとって地球はどの程度の価値があるって言うんだ?」
「これまで後回しにされておった辺境じゃな。他の宙域での睨み合いに業を煮やした列強が、次なる版図を描くために見つけた真っ新な画布。そんなところじゃな」
「矢っ張りとばっちりじゃねぇか!」
『まぁ、それだけではないのじゃがな』
セシルはある可能性を思い浮かべたが、口には出さなかった。
そうこうしている内に外神田のオフィス街を抜けて御徒町に入り、またも人通りが増えてくる。年末の風物詩でお馴染みな、アメヤ横丁の買い物客だ。狭い通りに人が溢れかえるのが容易に想像できるが、逆に衆人の目の中ならセシルにちょっかいを掛けるのも難しいだろう。いわゆる人遁の術だ。
幸いアメ横は上野まで続いている。人ごみと言っても休日でもなし、早足で抜けられるだろう。
「セシル、ここを通れば直ぐに上野だ」
鷹介は至極常識的な未開惑星の現実を突きつけられて腐した気持ちを切り替え、ウナギの寝床のような狭い路地に詰め掛けた人ごみを指差す。さすがのセシルもこれには面食らったようで、
「ハハハ、こやつめ。冗談にしては笑えぬの」
と、笑い話で流そうとする。ところが鷹介も右から左に流す気は毛頭無く、
「大丈夫だ。テルモピュライの隘路を300人で塞ぐ程度の話だ」
「大丈夫じゃないからな、それ最後全滅するからな」
「詳しいじゃないか」
「メタな処に突っ込むでない!大体、こんな人混みに連れ込もうなど、妾を何と心得る!?」
「家名不明のセシリアンダさん」
「ふかーっ!」
不毛な遣り取りをひとしきり繰り返して奇声を発したところで、彼女もようやく落ち着いてきた。はぁ、とか細く溜息をつくと、なにやら諦念の色を顔に出して、
「…野戦病院を慰問した時にすら、このような絶望的な光景には遭わなんだが」
「その点、アメ横の買い物客は自分の用事を済ませに来ただけで、君にお目に掛ろうとして来ているわけじゃない」
「妾もまた後ろ盾なくば、この人々と変わらぬわけじゃな。ヨースケ、そなたは恐ろしい事を口にするな。銀河に冠たる権威を、衆人の中にあれば無意味と説く。いや、それもまた真じゃ」
え、そうなの?セシルの心の琴線に触れたらしき反応に、鷹介の方がむしろ戸惑う。勿論、そんな意図で口にした訳もなく、今も彼女が何処の誰様であるか知る訳でもない。
だがセシルは鷹介に――何割かの勘違いを含めて――先ほど列挙した箔か、知恵か、権力かを見出したようで、その白魚のような手を彼に伸ばすのだった。
「特別に許す。ヨースケ、妾の手を取り、ウエノ公園に行くのじゃ」
「仰せのままに」
と気の効いた風な台詞を吐いた鷹介だったが、貴人の手を取る作法を知らなければ、美人と手を繋ぐ経験も無い。差し出された手をおっかなびっくり取り、ずいぶん昔に透の手を引いた要領で彼女の指を掌に包み込むと、押し潰してしまいそうに細くて、そしてひんやりとしている事に驚いた。
意識すれば、子供染みた気恥ずかしさに頬が熱を帯びてくる。鷹介は瞑想でも始めるつもりで人だかりの中に飛び込んだ。
失敗だった。上背のある身ごなしの鋭い若者と、それに手を引かれた外人の令嬢とくれば、まるで騎士とお姫様のようで、人々の好奇の目を曳く事しきりだ。しかもセシルときたら鷹介の羞恥に沸騰しそうな頭の事など露知らず、露店の品揃えにいちいち目をキラキラと輝かす。蟹に鮪の切り身、乾物に果物。露天商が『よっ、そこの美人の外人さん』とか言おうものなら、何事かと視線が集まってくるのは自明の理。
コクピットにあっては練磨の戦士である鷹介も、こうなっては駄目である。きっとハニートラップなんぞは彼にとって恐ろしい威力を発揮する事だろう。
ともかく鷹介は妻の手を引いて冥府の出口を目指したオルフェウスか、根の国で亡妻の手勢に追われた伊邪那岐の神か、アメ横の人ごみをただ一文字に駆け抜けるのだった。
梅雨を目前にした上野公園の桜並木は若葉の時期を終え、目も冴えるような緑のトンネルになっていた。
その木陰がたまらなく心地好いのは、強行軍による筋肉の発熱だけでなく、頬の火照りも含まれる。こういうのは駄目だ、俺のキャラじゃない。鷹介はひどく安上がりな心臓の早鐘が収まるのを、仏頂面で待っていた。
対してセシルは此処までの言の通り、衆目の視線など何処吹く風だ。男の早足につき合わされた事だけが動悸を早めたのだろう、わずかに上気した美貌に悩ましげな微苦笑を浮かべ、
「此度のエスコートは落第点じゃ。これよりは武張ってばかりでなく、紳士の振る舞いも学ぶが良い」
と、辛口の採点をするも、口調は穏やかなもので、むしろ鷹介の朴訥さをやんわりと揶揄しているようだ。
「それにしても大した活気であったな。あのおかしな家電の街も、最前の市場も。人々はまるで戦時と思っていないようじゃ」
実際思っていないのだろう。そう口にしないくらいの分別は鷹介にもある。
国場政権は戦時内閣への組み替えを行っていないが、戦時体制への急速な移行は、日本国内での混乱が大きすぎて断行できないという判断に基づいている。戦火の混乱を最低限に統制すべき戦時体制であるが、産業界、ひいては国民生活への影響を懸念して、強権を振るえないと言うのも本末転倒だった。
しかし『軍靴の音が聞こえる』の新聞ではないが、戦時内閣というだけで拒否反応を示す人々もいるだろう。敵の軍靴はとっくに本州にまで足を掛けているのであるが。
いわんや、鷹介の前に立つ何処かの列強の令嬢らしきセシルをや。しかも首都東京の上野恩賜公園で。
流されるままに、この1時間半ほどをセシルと過ごした鷹介であったが、思いなおしてみれば彼女の振る舞いは追われる者にしては余裕綽々に過ぎる。都合、お家騒動なんて言葉を使って荒事になってしまった訳だが、未だ独立を保つ日本こそ銀河列強人にとっては敵地ではあるまいか。
「…それで、君はここで何をするつもりなんだ?」
疑惑のフィルターをかけた目をセシルに向ける鷹介であったが、彼女は相も変わらず気にした風も無く、思案顔で周囲を見渡す。
「うむ、ウエノで待ち合わせておるのじゃが…」
セシルがそう口にしたのを待っていたように、葉桜の陰からまさに影から沸くが如く、ダークスーツの人物が現れた。鷹介が知る由も無いが、そいつは秋葉原で彼に最後まで気付かれる事の無かった黒服であり、順当に考えるのならば、上野公園までそれは継続していた事になる。
鷹介はとっさにセシルを背中に庇い、黒服の前に立って、そこで初めて黒服の線が細い事に気づいた。
ミラーシェードで表情は隠れているが、アップにした長いブルネットの髪や、唇を朱に彩るリップクリームは、紛れもなく黒服が女性である事を物語っていた。それに背広では隠し切れない極めてメリハリの付いた身体の稜線も。
しかし鷹介はこれまでに感じたことの無い威圧感に、嫌な強張りを覚えるのだった。それはモンタルチーノ商会の宇宙ヤクザとも、民間軍事会社の教官とも違う、ピンと張り詰めた、しかし其処に在るのは当然という、不可解な不自然さだった。
平日という事もあるが、桜並木に不思議と人通りは無い。その事実に遅まきながら気づいて鷹介は戦慄する。
人払いをした上で、途轍もない手練れが送り込まれたのだ。
そう理解するや否や、黒服の女は無造作に踏み出した。腰の上下動の無い、人間が知覚し辛い動きだ。気付いた時には『ぬるり』と指呼の距離に入り込んでくる。倒れる足を前に出すという生物として当然の動きを行いながら、害意のない筈のその踏み足は、即座に突き出される右腕へと大地の反動を伝え、凶器へと変えた。
路面を靴が撃つ心地好い音が、遅れて鷹介の耳に届く。女の拳が反射的に身を反らした目の前を行きすぎてゆく。親指と中指を柔らかく握りこんで、第二関節を立てているのが確認できた。人体の急所に容赦なく捻り込んでくる型だろう。
そんな判断が出来るのは余裕ではなく、ただの隙であり、次の瞬間には鷹介の顔は苦痛に歪んだ。途切れることなく繰り出された左のフックが、彼の視界の外縁から襲い来て、脇腹を突き刺したのだ。続け様にフックによって前に出た左足に代わって後方に下がった女の右足が、鷹介の懐に開いた僅かな間隙を縫って跳ね上がる。
鷹介の視界が強制的に上向き、口に中に金属の臭いが溢れた。後ろに倒れこむのに任せるのと、ズボンのポケットの中の存在を意識したのは、ひとえに、荒事慣れした暴力への耐性だった。
片膝立ちに堪え、セシルから貰った銀の棒を横に振り抜く。
履物が舗装をこする擦過音が耳についた。
血の華が咲くやと見紛う会合の後、次の瞬間には両者の距離は開いていた。鷹介は膝立ちに液体金属の太刀を抜き付けた姿で、女はその抜き打ちをかわして跳び退った姿で。
「やめよ!」
たまらずセシルが語気を強めた制止の声をかける。すると最前までの威圧感も嘘の様に雲散霧消し、黒服の女は拳を解いてセシルへ歩み寄っていった。
何だって言うんだ、全く。膝を伸ばして、悪態のひとつも吐こうとした鷹介だったが、頬の内側だろうか、じりじりとした焦熱と通電したような嫌な痛みを感じて言葉を飲み込んだ。
蹴り上げられた際に歯で頬の内側を切り裂いてしまったのだろう、想像だにしたくないが、口の中に出血と思われるヌルつきが広がってくる。例え傷が塞がっても口内炎は併発するだろう事に思い至れば、なんとも情けない気分になってきた。
と、そこへセシルがつかつかと寄って来て、
「許せ、ヨースケ。しかし、こっぴどくやられたモノじゃな。カナイは妾の筆頭警護女官ゆえな、腕前は帝国でも指折りじゃ。そなたが自信をなくす必要は無いぞ?」
僅かに愁眉を寄せている辺り、侘びるような節は感じ取れた。そもそも鷹介にしてみれば、なんで襲われたのかが判らない。ナンデ?と口を開きかけると、それを制するようにカナイと呼ばれたあの黒服女がズイと前に出てきて、なにやらチューブから軟膏らしきものを指先に塗り、容赦なく彼の口に突っ込んできた。
傷口に指先が触れる刺激が脳天にまで駆け抜けていった。
鷹介は目を白黒させ、それでも喉の奥で呻きを押し殺し、開いたままの口から変な悲鳴になってこぼれ出るのを堪える。そういう『男の子』な反応を好ましく思ったものか、セシルに筆頭警護女官と呼ばれた女は口元を僅かにほころばせて言った。
「細胞賦活ジェルを塗りました。傷口は明日には塞がるでしょうが、急激な細胞分裂で発熱する可能性があります。辛い様なら市販の解熱剤でも服用してください」
落ち着いた、大人の女性の声だった。それに嗅ぎ慣れぬが、不思議と心地好いエスニックな芳香がした。思わぬ接近遭遇は最前の立会いよりも鷹介の思考を圧迫する。
どぎまぎする内にはカナイは体を離し、セシルに向かって居住まいを正して報告を始める。
「殿下、お迎えに上がりました」
「まことにご苦労。しかし、もそっと待てはせなんだか?」
「限界までお待ちして、且つ、小職の任務を遂行した結果、このような仕儀と相成りました」
「是非もなしじゃな」
「なおトラクタービーム到着まで30秒です」
「よく出来た女官殿じゃ」
セシルが最後についた言葉は皮肉であろう。
蚊帳の外の鷹介にもそれは判った。それに、何が何だか判らないうちに、この邂逅が終わろうとしている事も。だから鷹介は一寸考えて、結局、出てきたのは気の効いた台詞ではなく、
「悪漢に追われている女の子はいなかった…そういう事で良いんだよな?」
「それで構わぬ。安心せよ。お陰で良い視察になった」
「…君はツルギスタンやセランの人間なのか?」
セシルは不敵な笑みを浮かべて何か答えた。しかし、その時には暖色の光が天から差し込み、声が聞こえるより早く二人の女性を空へと引き上げていった。
後に残されたのは呆けた顔の鷹介だけ。
非現実的な出会いは、これまた非現実的な終わりを迎えたわけだ。
彼女は何者で、何を視察していたと言うのか。或いは…鷹介は刹那浮かんだ自意識過剰な推測を、苦笑でもって笑い飛ばした。口の端を曲げると、まだ中の傷が痛んだ。
「或いは、感付いたやも知れぬな」
トラクタービームで収容された白亜の小部屋でセシルは唐突に呟いた。
「何がでありましょう?」
後ろに侍るカナイが即座に問うてくる。彼女の培ってきた直感は、それが主の独り言ではない事を感じ取っていた。
「妾が何を視察に出向いたのか、その本人が、じゃ」
「非時(ときじく)の歯車と、それを廻す者ですか」
「ダイガストとやら…それを理解して使っているとは思えぬが」
「操縦者に徹するのであれば、それは意味を成さない事かと」
「然るべき時に、然るべき者が知っておれば良いわけか…」
その時なぜか大江戸先進科学研究所や国会議事堂で盛大なくしゃみをした人物がいた訳だが、それは当事者達にも故が判らぬお話。
会話を続けながらカナイはミラーシェードを外した。隠す必要の無くなった容貌は、凛と引き締まった美女といって差し支えないが、筆頭警護女官なるお堅い役割のためか喜怒哀楽を感じさせない。
能面じみた美女はネクタイを解き、更にダークスーツまで脱ぎ捨てる。シャツの下にあったのは女性らしい下着ではなく、ウェットスーツのような全身を覆うインナーだった。肢体にピッタリと張り付くようなデザインだが、悩ましげな稜線に目を奪われるうちには、下半身を覆うスカートがインナーの腰からスルスルと伸びてきたり、襟元や袖口を思わせる部品が出てきたりして、衣服の体裁を整える。そこに何処から取り出したのか、フリルの付いたヘアバンドを頭に乗せれば、なるほど、侍女であった。
続けて彼女は『失礼いたします』とセシルに断りをいれるが早いか、そのお仕着せの示す如くに、彼女の衣服を流れるような早さで脱がせ始める。セシルも衣服の着替えまで人任せである事が当然なのだろう、時折肩を上げたり、腕を引いたりして脱衣に協力しているが、基本的にはされるがままだ。
「それで、筆頭女官殿の御目がねには適ったのであろか」
脱ぎかけのワンピースからまろび出た肩は、矢張りぴっちりとしたインナーに包まれていた。
「ダイガストの操者はの?」
「小職が女であろうと、勝てないのなら武器を手に取った、あの思い切りは評価できます。このままツルギスタンと小競り合いを続ければ優秀な戦士になりましょう。しかし殿下の剣を下賜するには、些か現状認識が甘いように見受けます」
「然り。不特定の悪意を相手取るには、善良ですらあるな」
「ならば飼い馴らしませ。大義を与え、誇りを安堵し、帝国の剣として存分に奮わせましょう」
「それで満足するほどに、あの国は未だ窮しておらぬ。帝政ツルギスタンもセラン諸惑星連合も、歩兵を擁するような本格の戦はしておらぬからな。ゆえに目に見える被害は少なく、街は平穏を保っておる。そして、おそらくはあの国の為政者も、それを維持する事に腐心しておる。まだ、その時ではないのじゃ」
セシルの時節を窺う発言にカナイは声にならない程度の溜息をついてから、主の肩に薄衣をかける。暖色で向こうが透けて見えそうな薄絹だが、不思議と袖を通してもセシルの肢体が垣間見えることはない。それを三枚も重ねてカナイが飾布で腰に留め、最後に陣羽織にも見える長衣を着せる。
「では殿下は今しばらく宮廷動物園の狐狸の御相手を続けねばなりませんね」
カナイの言葉は警護官として常に付き従う自分にも言えることであり、最前の溜息とはつまりは主従の難儀な前途に吐いたものであった。
常日頃から鉄面皮である優秀な警護女官殿のやや疲れた様子に、セシルは微笑を浮かべて問うた。
「なれば、此度の視察の供廻りは気晴らしになったであろ?」
「お戯れを」
一言のもとに切り捨てたカナイは、これまた何処から取り出したものか、勲章の類を取り出してセシルの上衣の左胸に取り付けてゆく。彼女が最後に羽織った陣羽織のような衣服の肩口には、金糸の線が幾本も曳かれており、そうやって勲章の類を添えてゆくと軍装なのだと理解できた。
それからカナイは主のメイクが崩れていないか点検し、鷹介に連れ廻されてほつれた編み込みに微かに目尻を動かしてから、金の髪止めを挿してそこを糊塗した。何しろ多忙な主が、スケジュールの合間を縫って強行した視察であるからして、身支度の時間がなかった。
「出来上がりで御座います」
言外に『不本意ですが』と注釈がつきそうな具合で告げると、セシルもカナイのように音にならない程度の溜息を吐いた。しかし次に顔を上げた時には、それをおくびにも見せぬ貴人の仮面を着けている。
「ご苦労。さて地球に関する介入であるが、今しばらくは戦況を見定める。妄想狂のフィクシオン連合王国や、人を人とも思わぬルドヴィコ人民発展委員会どもに深宇宙への橋頭保をくれてやるのは業腹ではあるが、あくまで我等は人類領域の護持が命題じゃ。これが危ぶまれるまでは、第五惑星近傍で好機を見図ろう」
「御意」
「それとな」
続ける言葉にセシルの頬がにわかに緩んだことをカナイは見逃さない。
「ダイガストの操者な、あれを、カナイが暇な時で良いから鍛えてやってたも」
「筆頭警護女官が暇な時という前提に疑問を感じますが、承りました。殿下に剣を下賜される事がどういう意味か、しっかりと解らせておきます」
「怖や怖や」
その時、地球では鷹介が唐突な寒気に襲われていたのだが、これも当事者には与り知らぬお話。
手短かに今後の方針を定めた主従は、今度こそ居住まいを正して壁の前に立った。そうすると白亜の壁に四角く切れ込みが入り、音もなく上方へとスライドして道が開く。
と、小部屋がつながった先から眩い灯りが差し込んできた。ホールを照らす照明の輝きだ。そこでは様々な恰好をした老若男女が談笑をしていた。その出で立ちが一目に高級である事と、笑顔と言っても目までは笑っていない者が多い事が共通項か。
山海の珍味がよそわれたテーブルが居並び、その間をカナイと同じお仕着せに身を包んだ侍女が行き来して、客からの飲み物やら何やらの要求に応えていた。ホールの隅には楽団が控え、地球で言うところのバロック調の楽曲を奏でていたが、こういう席なので音は控えめだった。
詰めかけた客達は地球に押し寄せた銀河列強の高官達である。彼らはある一人の人物のご機嫌伺いに、彼らの戦争計画を止めてまで訪れている。それはカナイがよく通る声で大音声に告げた貴人の事であり、
「銀河帝国近衛艦隊提督、セシリアンダ・アウロラ・プラエトリオ・ガラクシア皇女殿下である」
銀河に広がる汎人類種による文化圏の中芯たる斜陽の帝国。その末に連なる美姫は、外行きの微笑を浮かべると、形ばかりの恭順を示す旧領よりの使者の輪の中へ歩を進めるのだった。
午後の訓練を終えた柘植隼人准尉は、駐機場までF-2戦闘機を何とかタキシングすると、機付きの整備士に引っ張って貰い、這う這うの体でコクピットから出てきた。
まだまだ半人前なパイロットが狭い操縦席に収まり、極度の緊張下でもって教官に追いまくられるのだから堪ったものではない。耐Gスーツの中は汗で蒸れに蒸れ、頭から湯気が立ち上りそうだ。装具やヘルメットを投げ捨てて、その場に崩れ落ちたい程の疲労を感じていたが、すぐにデブリーフィングという駄目出しが待っている。寝転がるような贅沢は出来なかった。
速成の決まった隼人達教育隊への訓練は、必然、苛烈なものになった。連日のように空に上がり、クタクタになるまで飛行訓練を続けると、着陸次第の駄目出し。これを午前と午後で繰り返し、日によっては夜間飛行も行われる。各基地の航空隊でもフライトになれば日に三度、四度と飛んで訓練に明け暮れるが、地上勤務やアラート待機の日だってある事を考えれば、隼人達は限界まで締め上げられ、鍛え上げられているわけだ。
それでも圧倒的に足りない飛行時間を補うため、F-2複座型の後部座席からはシートや計器が取り外され、『大江戸研』との怪しげなプレートのついた黒いボックスが収まっている。黒箱の中身は列強の航宙機にも使われる電子機器が詰まっているそうで、F-2内のセントラルコンピューターに増設――どちらが主体かは、この際問題ではない――され、離着陸や航法、火器管制のサポートはおろか、データリンク機能まで付与されていた。
至れり尽くせりだが、そんな便利な物も後部座席を占拠するサイズであり、まして複座型として機首を延長して機材を積み込んだ分の重量増加がチャラになるわけではない。むしろ単座のF-15やF-2に積めるサイズでは無いので、隼人達のような若鷲の手を引くために用意されたようなものだ。
そこまで御膳立てされて、果たして自分達の出番は何時になるのか。
夜毎に実戦への恐怖に押し潰されそうで眠れない、なんて繊細な悩みはない。幸いにして毎日のシゴキのお陰で疲れ果て、布団に入れば泥のように眠るだけだ。
だが漠然とした不安はある。自分は戦闘機パイロットとして役に立てるのか。それとも過酷な訓練の甲斐もなく、いつかくる初陣で何の戦果もなく撃墜されるのか。
死という曖昧なものより、ここまでの自分の全てが無為に終る事の方が堪えられなかった。
それなのに空に上がれば、今日も教官に苦も無く捻じり伏せられる。挙句、上官に付けられたTACネーム(空自パイロット間での愛称)がブービー…最下位の意味だが、この場合はドンケツあたりが的確か――だ。現に僚翼達の中で教官に追い回されてしごかれる時間は、どう考えても自分が一番長い。
これでは不安は募り、自信は消えてゆくばかりだ。
倦んだ思考に陥りがちな若人の目に、格納庫に横付けしたトラックからコンテナが下ろされているのが見えた。そろそろ四発の対艦ミサイルに増槽を付けたフル装備での飛行訓練をやるとか聞いていたので、訓練用の模擬弾だろう。
望む望むまいに関わらず、訓練は進んでゆく。あの後部座席に居座る物言わぬコンピューターは、自分達に落伍する選択すら与えない。
イカレタ宇宙人達に対抗する術が有るだけマシじゃないかと言われそうだが、当事者にとっての悩みはまた別だ。
だから、結局は、やるしかない。
隼人は日に幾度も思いつく科白を自分に言い聞かせ、疲労で重さが割り増し感の装具を引きずりながら、ブリーフィングルームを目指して足を進める。
次々と格納庫に積まれてゆく機材が、後に自分達にどのような厄介事となって降り掛かるか、露と知らないままに。
それはASM-2…93式空対艦誘導弾の模擬弾などではなく、宮城県松島基地へと送られるはずの無人電子戦機だった。前回セラン小惑星連合に一泡吹かせた、誘導弾の弾頭をジャミング装置に置き換えた物だ。
もはや直接の原因は解らない。青森の占領と共に三沢基地から松島基地へと後退したF-2の飛行隊に届けられる筈の物が、本来松島で訓練を受ける筈だった隼人達に届いてしまった。
悪いことに、東北各地の自衛隊の基地では北海道と青森からの後退組の受け入れと業務割り振りで混乱が発生し、日々、意味の有るのか無いのか解らない書類が乱発されていた。教育隊の整備士達も実戦部隊の、それも外部から持ち込まれた急増の装備にまで知識がある訳もなく、コンテナの中の数が合っているのを確認すると、後は格納庫のオブジェとなってしまった。
それはまるで時限爆弾のように不気味な沈黙の中に潜み、時が来るのを待つのだった。
つづく
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