Skip to: Site menu | Main content


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

What is your GOD?

 ワルツが流れている。
 視線を向ければ、演奏隊と踊る男女の姿が見える。いずれも豪奢なドレスを着て髪を整えている。さらに視線を向けると、柱の陰で内緒話をする男女や扇で口元を隠して話し合う女性たち、奇妙な人だかりなど、違和感と言うほどではないが不安感をあおるものが目に入る。けれど、誰もそれを見つめない。じっと見るのは失礼だし、なにより知りたくもない情報を拾いかねない。
 豪華なパーティだった。
 情報網の発達で人間が生身であう必要性がなくなって久しい。環境汚染や治安問題から旅行などという娯楽も廃れている。下層から中流層くらいまでの市民のほとんどは、自分の生まれた都市から出ることなく死んでいくことも珍しくはない。けれど、いわゆる上流階級や知識層は盛んに移動する。それは自分の利益、あるいはほしい知識や人脈を求めてのことだ。
 直接合わなくては分からないことがある。
 偶然の出会いを求める。
 財力を誇示し、さらなるコネクションを探す。
 そのために企業家はよくこういうイベントを行う。中でも舞踏会は遥か昔から使われる人集めの手段だ。華やかな会場や招待客は自分の権力と財力を思う存分公開できるし、人が一か所に集まってもおかしくない。大きな音楽は客同士の密談を隠してくれるし、ドレスと扇は交渉の場では鎧と盾になる。今もこの会場のどこかで世界の一角を動かすような歴史的交渉が起きているのかもしれない。
「……僕には関係ないか」
 ぼそりと呟いて、木枯秋人は赤ワインのグラスを傾けた。濃厚な香りが鼻を抜ける。ここの主のセンスは好きでないが、ワインの趣味は悪くない。
「しかし、節操のない客層だね。呼べる著名人を呼べるだけ読んで、それを同業者に見せびらかしたいって意図が透けて見えるよ。小説家のメアリ・クラリッサに、科学者のハワード、女優のニア、人体精製学の芹沢、発明家のマティアス――――」
 ぼんやりと秋人は客層を見渡した。彼が多く参加する学会関係のパーティと違い、傭兵や武器会社の関係者の姿が目立つ。主催者が武器製造業では無理もない。あちらにできている人垣は蠍座の末端企業の幹部だ。他にも有力者の周辺に人が集っている。出資や取引話を持ちかけているのだろう。現金なことだと秋人は思った。ちらほら知人の姿も見えるが、互いに密談と会談に夢中で声を掛け合うことはしない。
「…………面白いな」
 人の流れを見ながらあることに気づいて秋人は呟いた。
 著名人はいっぱいいる。けれど、人垣ができる著名人とそうでない著名人が顕著に分かれているのだ。そして気づく。前者は大企業の重役や組織の幹部や若き企業家、後者は職人や個人的な有名人など背後に組織がない人間だ。あまりの現金さに秋人は軽く苦笑した。
「分かってない。分かってないな。ここで媚びを売っておくべきは、正しくは個人のほうだ。なぜなら企業の幹部というものは、所詮は組織の歯車。コネを作っておいて悪いことはないけれど、その企業の利益にならないならあっさり無視される。その幹部と親しくても、そんな個人的事情はたいして反映されない。しかも集まる人間が多い分、印象にも残らない。よほど相手の心をつかむ自信があるならともかくとして」
 誰にともなく秋人は呟く。食事の置かれたテーブル付近はほとんど人がいない。料理も申し訳程度に手をつけられただけだ。みんな話すのに夢中で食事など興味の外なのだろう。勿体ないと秋人は思う。
「けれど、個人は違う。味方につけることができたなら、何の束縛もなくその人のためだけに動いてくれる。力になってくれる。だから、個人的に媚びを売るなら個人のほうだよ。大きな便宜は図ってくれなくても、全力で戦力になってくれるんだから」
「手厳しいな。木枯秋人。聞こえちまうぜ?」
 声がしたので秋人は振り向いた。まったく気配は感じなかったのに人が立っている。その顔を見て、秋人は納得した。これは気づかない。
「ディータ・ガル。君がパーティ? 意外だよ」
「俺だからだよ。他の奴じゃ、うっかり招待客を食っちまうかもしれねえだろ?」
 歯をむき出してディータ・ガル――――学園内でもっとも忌み嫌われる戦争屋の一人は笑った。その笑みは肉食獣の唸り声を思わせるが、秋人は気にしない。
「それもそうだね。そういえば、さっきあっちに篭森さんがいたよ。何故かあの辺だけ人が遠巻きだったけど」
 学園の顔見知りが声をかけてきたところで、共通の知人の話題を出す。ディータはたいして興味なさそうに答えた。
「それこそお前がさっき言ってたやつだろ。篭森とは関わりたくねえってみんな思ったんだろ。気の狂ったようなデザインのドレス着てたしな。そのくせ、ワルツのステップは完璧だった。相変わらずだ」
「うんうん。見たよ。ウエディングドレス見たいな裾の長いドレスだったね。マーメイドスカートで幅はないけど、裾を完全に引きずっていて……ってアレで踊ってたの? 僕の記憶が確かなら、頭の半分はベールとヘッドドレスで隠れていてピンヒール履いてたはずけど」
 秋人は目を丸くした。ディータは楽しげに笑う。
「ピンヒールとロングドレスで銃撃戦が出来るのは、ダイナソアオーガンの売りの一つだ。宴会や式典での重警備を好まない人間は多いからな。それくらい軽いだろう」
「それもそうだね。あの人たちの戦争は、戦場でするものとは限らないから」
 平然と秋人は答えた。学者と戦争屋という奇異な取り合わせに、時々周囲から視線が投げかけられる。けれど有名人で溢れている会場ではすぐに埋没する。
「後で顔合わせたら挨拶しようかな。篭森さんに」
「やめとけ。男連れだ」
 にこにこと秋人は笑う。ディータも笑みを浮かべ続けている。
「一人は植物学者のユール博士。もう一人は人形師のネム。ユールは、地中に散らばった微量の貴金属を特定の植物に養分と一緒に吸収させてそこから金を取り出す植物錬金術で一躍有名人になった人物。ネムは表向きはマルチ方面の作家だが、実のところAI搭載の機械人形や特殊機能搭載の義手が本業だ。それを連れに選ぶとは、相変わらず金の臭いに本当に敏感な女だ」
 秋人はかすかに目を細めた。脳内の人物目録から目的の人物を探す。ややあって思いだした。そういえば表彰式で見たことがある。
「連れがいるのは見えたけど、そこまで見ていなかったよ。そっか。銀髪と黒髪だったから、『ああ、本当に金髪が嫌いなんだな』って思っただけだった。篭森さん、金髪の男だけは基本的に同行させないよね」
「金持ちならたまに同行させている」
「…………どうしてあの人、いいとこのお嬢のくせにお金が好きなんだろうね」
「お金は神様です、っていう奴は少なくないがね」
「だね。あちらにごろごろいるよ」
 企業重役の周辺にたかる人間を顎で指して、秋人は苦笑した。
「一応は成功者の集まりなんだから、もっと余裕と品位があってもいいのにね。無理か」
「無理だな。他人の血と肉をすする稼業なんてやってる連中にはろくなやつがいねえ。プライドも美学もねえ、つまらない安い連中だけだ。この俺も含めてな」
 侮蔑の滲む声でディータは答えた。まるでどこからか血なまぐさい香りでもするかのように鼻を動かす。秋人は静かに微笑んだ。
「命を取り合う商売だからこそ、プライドや美学がないとやってられないって僕の知人は言ってたけどね」
 秋人の春風のように穏やかな声は、殺人こそを仕事とする人間と向き合っているとはとても思えない。だが、それが秋人のスタイルだ。いつでも春のような穏やかさ。何に対しても何があっても。
「それ、朧寺か? あれの言いそうなことだ」
「馬鹿にしたものじゃないよ。僕はそちらの商売のことなんてちっとも分からない。でもねぇ、君たちの価値も捨てたものじゃないと思うよ」
 秋人は顔をあげた。人垣ができている。中心にいるのは最近台頭してきている傭兵会社の後継者と目される人物だ。荒々しいやり口で有名で、最近も集落を一つ焼き払ったという。とても血なまぐさい。けれど、その周りには人が集う。
 ふいに人ごみが割れた。そこを堂々と歩いているのは件の篭森珠月だ。ベールとそこから垂れ下がる造花の飾りで頭の半分は隠れている。スカートは後ろが長く完全に床を引きずっている。特徴的なレースがずるずると床を這う。黒いそれはまるで闇そのものが床を這いずっているようだ。その両脇には二人の男性。楽しげに言葉を交わしているのが分かる。銀色の髪を肩にかからない長さで切りそろえた青年と黒髪を無造作に伸ばした青年。さらに後ろには三人ほど着飾った女性がついてきている。
「人間っていうのは、結局のところ自分の信念と心中するしかないと思うんだ。確かに、君たちの商売は世間一般の価値観からするとろくでもない。価値なんてゼロよりマイナスよりの商売かもしれないよ。誰もが見えないところで後ろ指を指して安い人間だと笑うかもしれない。でもごらんよ」
 企業家の周辺にできる人だかり。大部分は利益のおこぼれを狙う人間。だが、それだけの人間を集めてしまえるほど、彼は利益を生み出すことができる。
 ふとした瞬間、割れる人ごみ。囁く侮蔑と嫉妬の声。その間を歩く人。彼らは異端児と呼ばれる類ではあるけれど、そう呼ばれてしまうくらい彼らの能力はすばらしい。
「一般的な倫理観からはずれている。他の人から見たら君たちの仕事も行為も唾棄すべきものだろうとは思う。けれど、僕は君たちを価値のない安い人間とは思わないよ。ただ従うべき信念――――いだく神が違うだけで君たちも立派な職業者だよ」
「つまらない言葉遊びはお前の価値も下げるぞ。どう取り繕ったって、他人を餌にしてる時点でそいつは人間が安いのさ。でも他人を餌にしないで生きていける人間なんていない。だから世界は安くて猥雑で低俗でつまらない」
 取りつく島もない返事に、秋人は苦笑した。
「本当にそう思ってるんだけどね。他人が何を言っても、自分が認めなければそれはその人にとっての真実にはならない。だって自分が何を神とするかは自分にしか決められない。神が変われば価値も分かるだろうさ。君は自分たちが安いというけれど、案外、別の視点でみればとても高いのかもしれないよ?」
「さてな。少なくとも俺には神様なんていねえから関係ないな」
「そっか。ならそれでいいと思うよ」
 あっさりと秋人は引いた。そして顔を引きつらせた。
「あはっ、こっち気づいたみたいだ」
 人ごみを割って、取りまきを引きつれて珠月がこちらに歩いてくる。ディータいわく『気の狂った』ようなデザインの服と目立つ取り巻きとともに。自然と視線が集まり、ディータは小さくため息を吐いた。
「面倒くせえのがきたな」「聞こえてるよ。ディータ・ガル。秋人と一緒なんて、珍しい組み合わせだね」
 ニコニコと珠月は笑って手の中の黒檀の扇を開いた。木のこすれる音がして繊細な透かし彫りの細工が露になる。扇で顔を隠されるとこちらからは表情が見えなくなるが、おそらく向こうからは見えているのだろう。透かしを作るときに角度をつけることで、視線を一方通行にした品ができる。その手の扇はこういう社交場の必須品だ。
「手前の方は相変わらずだな。で、何か用か? あんまり気をうつすと連れが焼くぜ」
 軽口に珠月は目を丸くして、そして笑いだした。両脇の男性も苦笑する。ディータは笑われているのに気にしない。
「それは勘違いだよ。この二人は古い友人でね。最近売り出し中だからということで、今日はエスコート役を頼んだんだ。二人に紹介してもらいたい人もいたしね。互いにお友達を紹介し合ってるんだ」
 それはコネクションの交換を意味する。つまりは共犯的な関係があることを示唆する言葉だが、秋人は聞き流すことにした。ふと眼をやると珠月は扇で口元を隠している。読唇術対策の動きに、秋人は感心した。これなら声が聞こえない遠くの人物は何を言っているのか聞きとることはできない。
「だいたい二人にも恋人を選ぶ権利はあるっていうの。ねえ」
「まったくだ」「そう? 僕は構わないよ。その気になったらどうぞ」
 左右から同時に反対の返事が返ってくる。珠月は楽しげに喉を鳴らした。
「ね、素敵なお友達でしょう?」
「そうそう。素敵なお友達なんだよ♪」「お前らもう黙れよ。お前たちがそんな頭のおかしい服で現れるって知ってたら俺は欠席してた。死ねよ、くそどもが」
 それぞれの反応に人間関係が見えた。
 ディータはふんと鼻を鳴らす。
「なるほど。今日は奔放なお嬢様スタイルって訳かい。いくつも仮面があると便利だ」
「女は皆、千の仮面を持つ大女優なんだよ。知らないの?」
「手前は百の仮面の大詐欺師だろうが」
「百面相なら怪盗でしょう」
 クスクスと珠月は笑った。傍からみると和やかな会談だが、空気は一定の緊張感をはらんでいる。
「相変わらず、すっかり嫌われてしまっているようだね」
「嫌いでも好きでもない。ただお前に関わると縁起が悪い。エグザイルカルバニアでも出てきたらたまらねえしな」
 案にお前自身はおそるるに足らないと言っている言葉にも珠月は反応しない。ただ笑みを浮かべる。取り巻きの方も特に反応するでもなく、むしろ興味津津といった顔で二人を見比べている。どうやら、本日の連れたちは彼女の友人ではあっても僕ではないらしいと秋人は見当をつける。これが緋葬架や緋月なら大騒ぎになっている。
「それは残念だよ。私はできるだけみんなと仲良くしたいけどね。貴方のお仲間のほうは、言葉があまり通じないからご遠慮するけど」
「向こうも同じことを言うと思うぜ。賢しい東の魔女」
「ありがとう」
 嫌味に対して、珠月は微笑で答えた。左右の二人も後ろの何人かも何も言わないし、なにも反応しない。むしろ視線を明後日の方向に向ける。ディータはつまらなさそうな顔をした。
「今日はつまらない役柄だな。そういう気分なのか?」
「さあ、どうでしょう。どうかしら? まあ、いずれにしても貴方と争うことに一片の利益も見いだせない今、私は態度を変える気はないよ。そうそう、ご紹介します。私のお友達のユールとネムです。ユールは廃材捨て場になっていた広大な土地を買い取って、そこから地中にしみ込んでしまったレアメタルを植物を使って回収することに成功したの。ネムは人形師。彼が作る義足や義手はすべてオーダーメイドでとても高いんだけど、とても精巧なのよ」
 すかさず珠月は売り込みを始めた。秋人は苦笑する。目立つ言動も引きつれた連れも宣伝効果のためと思えば納得がいく。どういう仕組みと利害関係があるかは分からないが、珠月の資金の流れは学園内に留まらないらしい。
 しかし、おそろしいのはそれだけの金が流れているはずなのにそれがランキングに反映されている形跡がないことだ。右から左に流していて直接懐に入ることがないか、あるいはランキング対象外の後ろ暗い金か。ちょっと考えて秋人はすぐに思考を放棄した。それが分かったところで誰も幸せになれない。
「はじめまして。木枯秋人です。考古学の研究をしています。篭森さんとは同じ学校で、友達の友達同士です」
 笑顔で秋人は歩み寄った。銀髪の青年が先に手を差し出す。
「ユール・ラングフォードだ。植物学の研究をしている。珠月とはパーティで知り合った。出身地が同じなんだ。噂はかねがね聞いている。オーパーツの世界的権威と相まみえるとは光栄だ」
 濃いモスグリーンの名刺が差し出される。秋人も何の変哲もない白い名刺を差し出す。こうやって交換したカードの中から特に興味を持った相手に、後でコンタクトを取るのだ。黒髪の青年のほうはちらりとディータを見たが、彼が名刺を出す気配がないのを見て秋人のほうに向きなおった。
「ネル・アルフェンです。このくそチビ――珠月さんとは腐れ縁でかれこれ十年弱付き合いがあります。仕事を始めるときに珠月さんのご実家にお世話になりました。木枯殿の名前はかねてから聞き及んでおります。仲良くしていただけると嬉しいです」
 丁寧に黒髪の青年は挨拶をした。しかし言葉の背後になにかが透けて見える。秋人は珠月を見た。珠月はにこりと笑った。複雑な関係性が垣間見える。
「ディータは?」
 珠月はちらりとディータを見た。彼は大げさに肩をすくめてみせる。
「はは、御高名な学者さんたちに渡せるほどたいした名刺はないな。俺はディータ・ガル。ただの戦争屋だ」
「エイリアス持ちが何をいうのか。純粋な戦闘力なら私よりお強いでしょうに。じゃあ、こちらの綺麗どころをご紹介しようかしら。まずは麗しのレディ・クレアから。栄養学の権威よ。それから相苑菜摘。彼女はパフューマーでね」
 ディータの興味が向かないと見るや、連れの売り込みを珠月はあっさりとあきらめた。代わりに勝手に後ろについてきていると思しき女性たちの話題に移る。中でもとりわけ可憐な少女の手を引いて前に連れ出すが、ディータは首を振った。
「飴細工みたいな繊細なお嬢さん方に、俺みたいな安い男は似会わねえよ。気遣いはいいから、もっといい男を紹介してやれ」
「まあ、女性に声をかけられて断るなんて確かに安い男だこと。では、我々は邪魔なようですし行きましょうか。ではディータ、秋人、良いお時間を」
 婉曲な拒絶に珠月は退く。さりげなく嫌味を織り込むのを忘れないが、今度はディータのほうが無視した。珠月に促されてきたときとは逆に集団が歩き出す。それを先に行かせて数歩歩いたところで珠月は立ち止った。
「そうそうディータ・ガル」
「なんだ?」
 珠月は扇を持つ手に力を込めた。扇を形作る木が音を立てる。血色の瞳が黒い髪の間から覗いた。
「先日はうちのものが戦場で居合わせたようで。ターゲットクロスとは運がない」
「それで?」
 威圧感をのぞかせる珠月の視線を完全に受け流して、ディータは微笑んだ。微笑みのくせに人を食い殺せそうなほど獰猛な笑みに、異変を感じたのか近くで様子を見守っていた野次馬がそそくさと移動を始める。
「別に何でも。殺さないでくれてどうもありがとう御座いました」
「どういたしまして。これに懲りたら、あまり副業に精を出すのはやめておけ。どこにでも首を突っ込んでいると、怖い目に遭うぞ」
「御忠告どうも。これからも顔を合わせる機会があるかもしれませんが、どうかお手柔らかに」
 平気な顔で珠月は嘯いた。
「それと一つ。貴方はいつも安いことが悪であるかのようにいいますが――――安いものを高く売りつけるのが商売の基本ですよ。基礎は安いくらいでいいんです。そこにつける付加価値と売り方が問題なのです」
「ユーモラスな意見だ。参考にしておく」
 珠月とディータは同時に肩をすくめた。遠目には楽しい会談に見えるが、場の空気は静かにだが確実に冷えていく。
「だが、安い事実は変わらねえだろう? 俺もお前も他の奴も世界は安いやつばかりだ」
「それは貴方がみている世界の話でしょう? ええ、安くしたいなら存分に安く価格設定をつけてくださいな。勝手にやってる分には誰も気にしませんよ。貴方に私の価値観が分からないように、他人にも貴方の価値観なんて分かりませんから。好きな夢を見て、好きな神様に縋って、好きに生きればいいんです。ええ」
 口元を扇で隠しながら、珠月は言った。ついてこない珠月に気づいて取り巻きたちは少し離れた場所で足を止める。だが、誰も戻ってはこない。困惑した顔で顔を見合わせるか、楽しそうにやり取りを見守っている。
「けれど、それを迂闊に口に出すと嫌われますよ?」
「篭森さん」
 冷えてきた空気を見かねて、秋人は口をはさんだ。その瞬間、全員の視線が集中し、秋人は思わず一歩後ろに下がる。
「いや、僕は何があったかは知らないよ? でも二人ともおとななんだからもっと仲良く――とはいかなくても、多少は友好的になろうよ。ね?」
「敵対する理由はないよ。別に嫌いでもない。意見は合わないけど」
「敵対するほどの価値はない。仲良くする価値も別にねえがな」
 同時にひどく似た返事が返ってきた。秋人は思わずこめかみに手を当てる。
「君たち……もう互いに無視したほうがましなんじゃないか?」
 仲良くしがたい人というのは存在する。それは仕方がない。嫌いなものを好きになれというのは、かなりの無理難題だ。だが、わざわざ仲が悪い人間と顔をあわせて喧嘩をするのは別問題だ。
「仲良くしたい気持ちがないわけじゃないんだよ?」
「敵対する気はこれっぽちもねえ。けど、話すと意見がすれ違うんだ」
 人はそれを相性が悪いという。秋人が頭を抱えている間に珠月は背を向けた。何重にも重ねられたレースの裾が床を這う。
「ではまた縁があればどこかで。何度会っても意見が合う日はこないかもしれないけど」
「来ないだろうな。俺とお前は思考が全然違う」
「あるいはある種の同族嫌悪かもしれないけどねぇ。まあ、気が合わないものは仕方ない。幸い、互いに殺したいほど嫌いなわけじゃないんだから、これからも出来うる限りは仲良くしていこうじゃないか。ねえ?」
 一瞬だけ立ち止まって、珠月はまた歩き出す。人垣はすでに割れている。みんな遠巻きに珠月やディータの様子を見ている。何か考えるように真剣に観察しているものもいれば、あきらかな好奇心の視線も、侮蔑を含んだ囁きもある。
「篭森」
 ディータは口を開いた。面倒くさそうに珠月は足を止めて振り向く。
「自分の父親が神様だと思ってる子どもなんて俺は興味ねえよ。敵対する気はないが、仲良くするメリットも特にない」
「神様?」
 珠月は唇を釣り上げた。
「それは違う。私の神が何かなんて私は知らない。知っているならば私にとってもっと世界は面白おかしいでしょうね。こんなに苦しくも不安でもないでしょうね。自分の縋る神が何かを知っている者は幸いだ。貴方のように」
「知らないのか?」
 嘲笑うでも何でもなく、ディータは心底不思議そうに答えた。
「神なんて本当はいないんだぜ?」
「いないと言い切れるのもまた一つの信仰だよ、ディータ。いるかいないかすら分からない私から見れば実に羨ましい」
 そう言いながらも珠月はほんの少しも嬉しそうには見えなかった。
「ところで今のは喧嘩を売られたのかな? 売られたなら買わないでもないよ。貴方が私なんてちっとも怖くないのと同じように、私も別に貴方は怖くないよ。貴方のほうが強いけれど、そもそも同じ舞台に上がる予定はないし、それに貴方に見透かされても不快なだけで怖くない。貴方は私の恐怖足りえない」
 気だるそうに血色の目が細められる。畳みかけるように珠月は言った。ディータはそれをすべて右から左に受け流す。
「はは、お前が怖いのはアレだけだからな。心配せずとも喧嘩を売った気はない。気を悪くしたなら謝ろう…………そういえば取り巻きの中に金髪の男が一人もいないのはトラウマか?」
「男趣味よ」
「良く言う」
 それが合図のように二人はさっさと真逆の方向に歩きだした。秋人はどちらを追うかちょっと迷った後、結局どちらも追うのをやめた。ディータはそのまま人ごみに消えかけたところであいさつ回り中の主催者に捕まり、珠月は再び取りまきを引きつれてどこかに消えて行ったからだ。きっと金づるのにおいでも嗅ぎつけたんだろうなと、秋人はほんやりと思う。
「やあ、秋人じゃないか」
 ふいに声をかけられた。顔をあげると、分野は異なるものの顔見知りの学者が数人連れ立って歩いてくるところだった。
「おいおい、お前はパトロン探ししないのか? 余裕だな」
「僕は副業もしてるからね。君たちもそう金に困ってるとは思えないけど」
 二人の天文学者は顔を見合わせてげらげらと笑った。
「あはは、俺たちはロマンを売る仕事だから金にはならねえの」
「そうそう。実利が少ない研究テーマだからね。な、さっきなんかすごい集団に絡まれてたけどアレ何? 知り合い?」
「…………同級生とその友達」
 実際は学年が違うのだが、あの学校のシステムは説明しにくい。だが、相手は納得したようだった。
「さっすがトランキライザー。濃いキャラだな」
「招待客どん引きだぜ。あははは。目つきの悪いイケメンとすごいドレスの若マダムがにらみ合ってるんだもんな。なにしに来てるんだよ、お前らみたいな」
 彼らは自分たちが何者を見たのか分かっていないらしい。秋人は遠まわしに「本当のことでもあまり正直に口に出さないほうがいいよ」と告げる。
「…………そうだ。ちょっとした雑談なんだけど」
 二人は首を傾げた。年ごろの女性や子供がやれば可愛い仕草だが、男がやるとまったく愛らしさはない。
「二人とも神様ってなにだと思う?」
「しらね。その辺うろうろしてるんじゃねえ?」「俺の神は俺に決まってるじゃん」
 明確な返事が返ってきて、秋人は噴き出した。
「だよねぇ。そうだよねぇ」
「お前どうしたんだ? あ、分かった。今の発掘場所が神殿なんだろ?」
 追及する知人を秋人は笑ってかわした。
 誰でも神様を持っている。神様とは信念そのものだ。そこにいると思えばいるし、いないと思えばいない。いないと思うことも分からないと思うことすらきっと信仰なのだ。だからきっと、この場は他人の神と神がぶつかり合う戦場なのだろう。
 酒が回ってきたのか、変な想像をしてしまう。
「楽しそうだな。何かいいことあったのか?」
「別に」
 秋人は笑った。


おわり