死神と呼ばれた少年2

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「ド、ドラゴンさん・・・よかった・・・無事だったんだね!」
「え、ええ・・・あなたのお陰でね・・・」
キョトンとしたドラゴンの顔にはまだ何が起こったのかよくわからないといった疑問の色がありありと浮かんでいたものの、取り敢えずは命が助かったことを安堵しているらしい。
「どうしてあなた・・・地震が来ることがわかったの?」
やがて予想していた質問がドラゴンから投げかけられたのをきっかけに、僕は1つ大きく深呼吸して息を整えた。
「う、うん・・・そのことなんだけど・・・話すと長くなるんだ・・・」
そう言いながらそばにあった大きな木の根元に背を預けると、ドラゴンがゴロリと目の前に体を丸めて細めた視線を僕へと注いでくる。
「いいわ・・・聞かせて・・・」
そんないかにも興味津々といったドラゴンの様子に、僕は初めて明るい気持ちで自分の能力のことを話し始めていた。

「・・・それで昨日、ドラゴンさんの夢を見て地震が起きることがわかったんだ」
かつて覗き見てきた数々の最期の瞬間。
その決して色褪せない鮮明な記憶が、ドラゴンへの話を終えた僕の脳裏に次々と去来していた。
「そうなの・・・ふふ・・・ありがとう。私を助けてくれたことは、とっても感謝してるわ」
だがそう言ったドラゴンの顔には、未だ消えぬ疑念の色が微かに見え隠れしている。
「でも不思議ね・・・夢で地震のことがわかったのなら、坊やの家族の方がもっと心配なんじゃないの?」
「もちろん心配だよ。パパもママも、今頃どうしているかわからないもの・・・」
「じゃあ・・・」
そうドラゴンが口を開きかけたのを手で制すと、僕はおずおずと話の先を続けていた。
「昨日の夜にね・・・僕、見ちゃったんだよ・・・」
「見たって・・・何を?」
「・・・自分の夢・・・」

死の予知夢しか見たことのないこの少年が、自分の夢を見た・・・
ぼそりと少年の口から漏れたその言葉の意味を理解するのに、私はとても長い時間を要してしまったような気がした。
そして何と声を掛けていいのかわからずに口を噤んでいた私の耳に、俯いた少年の発した弱々しげな声が届く。
「だからその前に・・・本当に夢に見た結末を変えることはできないのか、どうしても試してみたかったんだ」
成る程・・・彼は死を予知された者を助けるには間接的な警告などではなく、彼自身がに助けの手を差し伸べる必要があることを今日初めて知ったのだろう。
もし彼が昨夜自分の夢を見ていなかったとしたら、彼はこの森に来ることもなく無為に自分の家族や町の心配をしていたに違いない。

「ねぇ・・・僕・・・助かるよね・・・」
やがてそんな思案を巡らせていたその時、不意に少年のか細い声が聞こえてきた。
「え・・・?」
そして思わずそう聞き返してしまった私の声に、ズズッと洟を啜り上げる音が返ってくる。
「ドラゴンさんが助かったんだから・・・僕も助かるよね・・・?ねぇ・・・助かるよねぇ・・・?」
気がつくと、少年は静かに泣いていた。
いくら生まれながらにして不思議な力を授かったとはいえ、彼はまだあどけない童顔を湛える小さな子供なのだ。
少なくとも私が知る限り、己の不遇な死の瞬間を見てしまった少年がすぐにその不安と恐怖を克服できるほど人間は強くはできていない。
到底受け止め切れない程の圧倒的な死の実感があるだけに、彼の心は脆くも粉々に崩れかけてしまっていた。
少しでも彼の不安を和らげてやるためにも、何か私にできることがあればよいのだが・・・

「おいで・・・坊や」
唐突にドラゴンからかけられたその言葉に、僕は涙と鼻水でクシャクシャになってしまった顔を上げた。
見ればドラゴンが先程と同じようにそっと地面の上に横たわったまま、僕をその大きな胸元へと誘っている。
やがて僕は反射的にその暖かそうなドラゴンの胸に飛びつくと、声を押し殺して咽び泣いていた。
「う・・・うぅ・・・うわあああん・・・」
怖かったのだ。
これまではどんなに恐ろしい悪夢を見ても目を覚ましさえすれば安堵に胸を撫で下ろすことができたというのに、今の僕は近い将来またあの思い出したくもない終末の光景に出遭うことが運命づけられてしまっている。
まだ死にたくない・・・!
だがそう願えば願うほどに自分でもどうすればよいのかわからなくなり、深い絶望が全身を蝕んでいく。
ドラゴンはひたすらに泣きじゃくる僕をそっとその大きな腕で抱き抱えると、涙となって溢れ出した感情の昂りが収まるまで辛抱強く僕を暖めてくれていた。

フサフサとした心地よいドラゴンの胸の中で、僕は一体どれくらい泣いていたのだろうか。
微かに背中を摩ってくれる大きなドラゴンの手が、先程からサワサワとくすぐったい感触を送り込んでくる。
もし目の前に死の予知を免れたこのドラゴンがいなかったら、今頃僕は深い孤独と絶望の淵に沈んだまま暗い破滅の流れに身を委ねてしまっていたことだろう。
やがて悲嘆に暮れる涙も枯れ尽きてしまうと、僕はようやくドラゴンの胸に埋めていた顔を離していた。
「落ち着いた・・・?」
泣き腫らして真っ赤になった僕の顔は、きっと酷く情けなく見えたことだろう。
だがドラゴンはそんなことには少しも触れることなく、優しげな眼差しを僕に向けながらそう言ってくれた。
生まれて初めて僕を、僕の苦しみを理解してくれる存在が現れたことに、今度は何だか悲しみや恐怖とは別の涙が溢れてくるような気がする。
「うん・・・」
やがて言った自分でも聞き取れるかどうかという小さな声で返事をすると、僕はようやく涙を拭っていた。

「私が町まで送ってあげるわ。ほら、背中に乗って」
「あ・・・ありがとう・・・」
私の提案にまたしても心許無い返事を返す少年に、私はとても言葉では言い表せない程の憐憫を感じていた。
多少は気分が落ち着いたと見える今も彼の手はカタカタと小刻みに震えていて、いずれやって来るであろうその瞬間に彼が心の底から恐れ戦いている様子がよくわかる。
彼が己の死を一体どのように予知したのかについては話してくれなかったものの、きっと思い出すのも憚られるような恐ろしい最期を迎えてしまったのだろう。
それにもしかしたらその悲劇の舞台となるのは・・・この森の中なのではないだろうか・・・?
その証拠に彼は低く身を屈めた私の背の上に攀じ登ると、両腕を一杯に広げて寝そべるように私の背中へとしがみついていた。
細くて小さな少年の指に込められたその力強さが町に辿り着くまで決して私から離れまいとする意志の現れにも感じるのは、きっと私の気のせいではないのに違いない。
そしてそんな少年の命の重さを確かに背に受け止めると、私は人間の町を目指してそっと足を踏み出し始めた。

サクッ・・・サクッ・・・
やがて僕を気遣うようにゆっくりと歩き出したドラゴンの背に揺られながら、僕は一先ずほっと安堵の息をついていた。
これからまた森の中を1人で町まで帰るのは、予知夢のことがあるだけにできれば避けたいところだったのだ。
でも・・・僕はこれから一体どうすればよいのだろうか?
誰もがおぼろげだという夢の記憶が僕の場合に限って鮮明に残っているのは、きっとそれをヒントに救える命を救ってやれということなのだろう。
お陰で夢に見た情報を頼りに何とかドラゴンを助けることはできたものの、それが自分自身のこととなるとどうしていいのかなど皆目見当もつかない。
だがこのまま無為に時間を食い潰せば、背後に取り憑いた本物の死神がいずれ僕の魂を刈り取っていくであろうことは火を見るよりも明らかだった。

森の中を歩くこと十数分後、やがて森の切れ間の向こうに大きな町の姿が見えてくると、ドラゴンは再び身を屈めて僕を地面の上へと降ろしてくれた。
「ほら、着いたわよ・・・1人で大丈夫・・・?」
「うん・・・ここまで来ればもう大丈夫だよ。ありがとう、ドラゴンさん」
その僕の言葉に、ドラゴンが大きな首を静かに横に振る。
「ふふふ・・・お礼を言うのは私の方よ。ほらこれ・・・お守り代わりに持っていくといいわ」
そう言ったドラゴンの手にはここまでくる途中に摘んでいたのだろうか、茎がついたままの1輪の小さな赤い花が握られていた。

「これ、何のお花?」
「さぁ・・・名前はわからないけど、私のお気に入りの花なの。いい匂いがするでしょう?」
それを聞いて花の匂いを嗅いでみると、確かに胸の空くような甘い匂いがふわりと鼻腔を突いてくる。
成る程・・・このドラゴンは、何とかして僕を勇気付けようと精一杯気を遣ってくれているのだろう。
彼女の体色と同じこの赤い花を見て、僕の理解者がそばにいることを忘れさせまいとしているのだ。
「ありがとう、もらっていくよ」
「じゃあ、気をつけてね」
そんな慈愛のこもった声に手を振ってドラゴンと別れると、僕は大地震で破壊されたと見える町の喧騒を遠くから眺めて胸の鼓動を早めていた。

跡形もなく崩れ落ちて瓦礫と化した無数の建物、あちこちで傷ついた体を休めている人々の群れ。
あれだけの激しい揺れが襲ったのだ。
僕の町も無事では済まないだろうことは予想していたものの、今目の前に広がっている光景はそんな僕の予想を遥かに上回る程の悲惨極まりない状況だった。
原型を留めたまま残っている家は約半数程で、残りは堆く積まれた石や煉瓦の山となってしまっている。
そうだ・・・僕の家は・・・?パパやママは無事なのだろうか・・・?
やがて記憶を頼りにすっかり変わり果ててしまった町の通りを歩いてようやく自分の家へと辿り着くと、僕はそこにあったものに愕然と肩を落としていた。
「そ、そんな・・・パパ・・・!ママ・・・!」
見るも無残に崩れ落ちた我が家の残骸が、他の全壊した家々と同じようにこんもりとした瓦礫の山を作っている。
地震が起こったのは早朝だった。
初冬とはいえ既に肌寒い季節、パパもママもまだ家のベッドで眠りについていたことだろう。
だとすれば、2人ともこの巨大な瓦礫の山の何処かに埋まっているのに違いない。

僕は頭の中が真っ白に塗り潰される感覚を味わったまま、ほとんど無意識の内に重い瓦礫を退け始めていた。
ガラ・・・ガラガラ・・・
「うわわっ・・・」
だが渾身の力を振り絞って屋根の一部と思われる煉瓦の塊を持ち上げたその途端に、新たな瓦礫が山の上の方から転がり落ちてくる。
「坊主、何をやってる!危ないから離れろ!」
やがて背後からかけられた声に後ろを振り向いてみると、数人の人々が心配そうにこちらへと視線を向けていた。
「パパとママが、この下にいるんだ!早く助けないと・・・」
「いいから戻ってくるんだ!」
どうして、彼らは僕を手伝ってはくれないのだろうか。
遠巻きに眺めているくらいなら、この瓦礫を退けるのに手を貸してくれてもいいのに・・・

だがそこまで考えたその時、僕は薄々感じてはいたものの決して認めたくなかったある結論に辿り着かざるを得ないことを悟っていた。
もう、手遅れなのだ。
1階の寝室で眠っていたパパとママが、これ程酷く瓦解した建物の下敷きになって生きているはずがない。
いや・・・もし仮に生き埋めになっているのだとしても、この瓦礫を退ける頃には衰弱で命を落としてしまっているであろうことは僕にも十分に理解できた。
そして他の人々に誘われるままに瓦礫の山を降り、近くにあった低い石塀に背を預けてその場に座り込む。
「なんで・・・どうして・・・どうして僕・・・ドラゴンの夢なんか・・・」
両手で顔を覆って悲しみの涙に暮れる僕の脳裏に、昨日からの記憶がいくつも蘇ってきた。
もしパパもママもあの地震で死を運命づけられていたのだとしたら、どうして僕は2人の夢ではなくあのドラゴンが死ぬ夢を見てしまったのだろうか。
もしパパやママの夢を見ていたとしたら、僕が2人を助けられたかもしれないのに・・・!

どうしても遣り切れない悔しさが、僕の胸を一杯に満たしていた。
いくら誰かの命を救うことができる能力があったって、大事な人の命が救えないのなら何の役にも立たないのと同じだ。
あんな森に棲んでいる1匹のドラゴンの命を救ったところで、一体僕に何の意味があるっていうんだ!
だがやがて抑え切れなくなった激情に顔を上げてみたその時、見覚えのある何人かの人々が何やら僕の方を見て話をしているのが見えた。
あれは・・・そうだ、過去に僕が死を予言した人の家族や友人に違いない。
それに、僕を死神呼ばわりした子供達の姿も見える。
きっと僕がこの地震の中でも無事だったのに目を付けて、また根も葉もない噂話をしているのだろう。
くそ・・・どうして僕が・・・どうして僕だけがこんな目に遭わなければならないんだ・・・?
もう、こんな所になんていたくない・・・!
自分の能力を知ってからずっと心の中に溜め込んできた負の感情が一気に溢れ出しそうになったのを感じると、僕はおもむろにその場から立ち上がって幾人かから向けられる疑惑と忌避の視線を背に町から出て行った。

僕・・・これからどうしよう・・・
町から出た後も、僕は小さく俯いたままフラフラと町の周囲を彷徨っていた。
家族も家も、一瞬の内に全て失ってしまった。
もう今の僕には、終ぞ逃れる方法を見つけることのできなかったあの恐ろしい死の運命だけしか残っていない。
そんな目の背けようのない残酷な現実が、僕の生きる気力をじわじわと溶かしていく。
よくよく考えてみれば、パパやママを助けるチャンスはあったはずなのだ。
もし昨日の夕食前にパパに夢で見た地震のことを打ち明けていたとしたら、仮に命は助けられなかったとしてもここまで救いようのない結果にはならなかったかも知れない。
でも・・・

僕はそこまで考えると、きっと僕の背後でせせら笑っているであろう目に見えぬ死神に虚ろな視線を向けた。
「くそ・・・」
悪態をつく語調も弱々しく、大粒の悔し涙が目の奥から溢れてくる。
だがゴシゴシと乱暴に涙を拭った手をズボンに擦り付けたその時、僕はポケットの中に何か細長い物が入っているのに気が付いた。
そしてそっとポケットの中に手を入れてみると・・・
押し潰されてすっかりクシャクシャになってしまった1輪の赤い花が指先へと触れる。
「ドラゴンさん・・・」
やがて失意の底にあった僕はあの赤いドラゴンに貰った花を目にすると、思わず森の方へと顔を向けていた。

そうだ・・・また、あのドラゴンに会いに行こうか・・・
どうせこのまま町の外をうろついていたところで、この辛辣極まりない状況が好転するわけでもない。
それよりなら・・・僕のことを理解してくれるあのドラゴンと一緒にいた方が、きっとこの荒み切ってしまった心も多少は癒えることだろう。
やがてそれが死神の罠だということも知らずに、僕は再び深い森の中へと足を踏み入れていた。
薄暗い朝方とは違って、昼下がりの明るい日光が差し込む森の中は一面不思議な静寂に包まれている。
僕は朝に通った道筋を頭の中に思い描きながら、今はもういなくなってしまったあの鳥の鳴き声を追いかけるようにしてフラフラと茂みを掻き分けて行った。
やがてドラゴンの棲む洞窟が近くなってくるにつれて、所々地面の上にあのドラゴンがくれた赤い花が揺れているのが目に付き始める。
その可愛らしい花の様子にほんの少しだけ気持ちが落ち着くと、僕は後少しとばかりに顔を上げていた。

「あ、あれ・・・?」
次の瞬間目に飛び込んできた森の光景・・・
何となくだが、前にもどこかで見たような気がする。
いや、朝方にも同じ道を通ってきているのだからそれ自体は別に不思議なことではないのだが、静まり返った空間の中で木の葉だけが揺れているその情景には確かに奇妙な既視感があった。
その途端にドクンという一際大きな鼓動の音とともに何かが・・・
例えるなら乗っていたトロッコのポイントが独りでに切り替わり、深い奈落へと通じる線路に接続してしまったかのような重苦しい不安感が圧し掛かってくる。
そうだ・・・この光景・・・確かに夢で・・・
だが、そう思った時には既に遅かった。
カサ・・・カサ・・・という夢の中では聞き取れなかった小さな足音とともに、人間ではない何かが僕の方へと近づいてくる気配がする。
そして・・・

「グル・・・グルル・・・」
き、来た・・・!
突如として背後から聞こえてきた、獰猛そうな獣の唸り声。
まるで予めそういう行動をすると定められていたのかのように、僕は夢の中で感じたのと全く同じ動作で恐る恐る背後を"振り向かされ"た。
その視線を向けた先に、空腹にいきり立った様子の大きな羆の姿が浮かび上がる。
だ、だめだ・・・悲鳴を上げちゃ・・・絶対に・・・だめ・・・
「う、うわああっ!」
だが必死で声を上げまいと口を噤んでいたのにもかかわらず、僕は何時の間にか夢で聞いた通りの悲鳴を上げていた。

自らの意思とは関係無しに展開される、逃れ得ぬ死の劇場。
強大な死神の手に操られて夢で見た光景を再現させられる凄まじい恐怖の前に、最早成す術などあるはずがない。
「グオアッ!!」
やがて僕の悲鳴に対する予定調和の如く、熊の短い咆哮が聞こえてくる。
だがこのままでは死が待っていることは十分に理解していたにもかかわらず、僕はその巨大な黒い悪魔がこちらに向かって飛び掛かってくるのを絶望に塗れた悲壮な表情を浮かべたままただ待つことしかできなかった。

ドッ!ドサァ!
「うあっ!」
だめだ・・・まるで同じビデオテープを何度も再生した時のように、何から何まで夢で見た通りの出来事が整然と繰り広げられていく。
「た、助けて・・・誰・・・うぁ・・・た・・・すけ・・・」
巨大な熊に突き飛ばされて湿った地面の上に組み敷かれた今となってもなお、僕には用意された台本を読み上げる以外に道は残されていなかった。
更にはミシミシッという音とともに胸の上へ凄まじい体重を預けられ、久し振りの獲物を制圧した熊の顔に心なしか勝ち誇った笑みが浮かんでいるような気がする。

い、いやだ・・・だ、誰か・・・誰か助けて・・・
やがて息苦しさに声を上げることもできずに宙を見上げていた僕の眼前で、凶暴そうな牙の生えた大きな口がゆっくりと開けられていく。
尖った牙の先を伝った唾液がトロリと細い糸を引いて地面の上に流れ落ちると、ようやく腹を満たせる喜びにか巨熊の両目が爛々とした輝きを放っていた。
そしていよいよトドメとなる死の一撃が、凶悪な牙の森が、僕の頭上へと勢いよく振り下ろされる。
う、うわあああああーーー!!
やがて声にならない断末魔を上げながら死を覚悟した瞬間、僕の視界は一面鮮やかな深紅の色に染まっていた。

ガッ!ドオッ!
「あぐっ・・・!」
肉と肉がぶつかる鈍い音とともに、僕の全身に激しい衝撃が走る。
だが次の瞬間、今の今まで僕の体に預けられていた息の詰まるような圧迫感がまるで嘘のように跡形もなく消え去っていた。
何事かと思って混乱した頭を整理しながら周囲を見回すと、僕の上から熊を突き飛ばしたあの赤いドラゴンが草の上でもがく熊の様子をじっと睨み付けている。
そして突然の不意打ちに怒り狂った熊がこちらに敵意を向けたその瞬間、あの柔らかくて暖かそうだったドラゴンの太い尾がまるで鞭のように唸りを上げて風を切った。
ブン!バシィ!
「ガッ!」
体重数百キロはあろうかという屈強な熊の巨体が一瞬傾ぐほどの、強烈な尾撃。
さらにはそれに怯んだ熊に追い込みをかけるように、ドラゴンが恐ろしげな殺意のこもった低い唸り声を上げる。

「グルル・・・グオオッ・・・」
やがてドラゴンの後ろでそれを聞いた僕までもがゾワッと全身の毛を逆立てた程のその静かで激しい威嚇に、熊の方も流石に勝ち目が無いと悟ったのか大人しく身を翻すとガサゴソと不満げに森の奥へと消えて行った。
「ド、ドラゴンさん・・・?」
「坊や・・・怪我はない?」
内心ドラゴンという生物の内包する恐ろしさにビクつきながらも声をかけると、彼女が元の優しげな表情を浮かべたままこちらを振り向いてそう聞いてくる。
「う、うん・・・大丈夫・・・でも、どうして・・・?」
何故彼女は、僕が熊に襲われて命を落とすことを知っていたのだろうか?
僕の夢のことについては、彼女には何も話していなかったはずなのに・・・

「ふふふ・・・言ったでしょう?あなたにあげたあの赤い花、お守り代わりに持っていなさいって」
ドラゴンにそう言われて、僕はポケットに突っこんだままにしていたあの赤い1輪の花を取り出していた。
「あなた、朝に私に会った時から、森の中にいる間中ずっと何かに怯えていたでしょう?」
「うん・・・」
「だからもしかしたらあなたが見た夢って、この森で死ぬ夢なんじゃないかって思ったの」
そうか・・・彼女が僕との別れ際にこの花をくれたのは僕を元気付けるためなんかじゃなくて、この花の匂いで森の中での僕の居場所を突き止めるためだったんだ。
でももし僕がこのドラゴンを地震による洞窟の崩落から救っていなかったとしたら、きっと僕の死の運命も変わらなかったに違いない。
やがてもやもやと霞がかっていた頭の中が幾分かすっきりしてくると、僕は今頃になってから危うく死にかけた恐怖を思い出して泣き出していた。

「う・・・ふぅぅ・・・」
恐ろしい死の予知を乗り切ったという事実に、緊張の緩んだ目からボロボロと熱い涙が溢れてくる。
ドラゴンはそんな僕をそっと抱き上げて泣き濡れた顔を自らの大きな胸に押し付けると、まるで赤子をあやす時のようにゆっくりを僕の体を揺らしてくれた。
暖かいドラゴンの体毛がサワサワと頬を撫で上げては、極上の羽毛に包まれているかのような心地よさが全身の疲労と固く強張った筋肉を癒していく。
「無事でよかった・・・」
やがてドラゴンの口から聞こえてきたその言葉に、僕はまだ涙の跡をつけたまま彼女の顔を見上げていた。
じっと僕を見つめるドラゴンの眼に、九死に一生を得た僕以上の深い安堵の色が表れている。
「ドラゴン・・・さん・・・?」
そのドラゴンが放っていた不思議な雰囲気に疑問の声を上げてみると、彼女は周囲に気を配る振りをしながら僕から視線を外して話し始めた。

「私ね・・・本当はあなたを助けられるかどうか、自信がなかったのよ」
「どうして?」
「だって、あなたがこの森で実際にどんな最期を迎えるのか、私にはわからなかったんですもの」
確かにたまたま猛獣に襲われるという結末だったからこそドラゴンに救われるという結果になったものの、広大な森の中に潜む危険は無論それだけではない。
お婆ちゃんが亡くなった時のように川の土手で不意に足を滑らせてしまうのかも知れないし、或いはふとした拍子に毒蛇か何かに突然噛まれてしまうのかも知れないのだ。
「だから風に乗ってあなたの花の匂いがここまで届いてきた時は、私・・・とても焦ったの」
そのドラゴンの様子から、きっと彼女は今まで必死に僕を見つけようと森の中を走り回っていてくれたのだろう。

「あなたが熊に押し倒されているのを見つけた時なんてもう、私の心臓の方が止まりそうなくらいだったわ」
「でも・・・助けてくれたんだね」
「当然でしょう?あなたは、私の命の恩人ですもの」
そのやり取りに、僕はドラゴンに抱かれたままようやく心を落ち着けていた。
「それで・・・家族は無事だったの・・・?」
そんな僕の様子を確かめてから、ドラゴンが少し遠慮がちにそう聞いてくる。
だが僕が視線を落したまま首を横に振ると、彼女は苦々しい表情を浮かべて僕とともに沈黙していた。
「ねえ・・・ドラゴンさん・・・僕、これからどうすればいいのかな?」
「どうして・・・?」
「家が潰れて・・・パパもママももういないんだ・・・せっかく助かったのに、僕・・・一体どうしたら・・・」

やがて1度は平静を取り戻したかに見えた少年は住む家や両親といったかけがえのないものをいくつも失ったという無慈悲な現実を認識すると、唯一手元に残ったたった1つの命の灯を暗澹とした表情で睨み付けていた。
そして小さく俯いたそのあどけない顔に再び涙が流れた様子を見てしまい、私の胸がぎゅっと締め付けられる。
一瞬いらぬことを聞いてしまったかという後悔の念が湧き上がってきたものの、今更陳腐な謝罪の言葉を並べたところで彼の気持ちが落ち着くわけではないだろう。
きっとその胸中には、彼自身にも制御することができないほどの複雑な感情が渦巻いているのに違いない。
今にも彼を蝕もうとしているその黒々とした負の感情は、両親の危機を知りながらそれを助けられなかったことに対する深い後悔と、いらぬ苦しみを味わうことになる己の不思議な力に対する激しい怨嗟に彩られていた。

「そうね・・・坊やはどうしたいの?」
「僕は・・・もう何も考えられないよ・・・あの町にはもう僕の居場所なんてないし、眠るのだって怖いんだ」
もし夢でまた自分の死に様を見てしまったら・・・
憔悴した彼の顔に浮かんでいたそんな不安が、まるでそう告白されたかのように私の中へと流れ込んでくる。
無理もない話だ。
形はどうあれ彼の見る夢は必ず自分が命を落とす夢・・・即ちそれは全て恐ろしい悪夢に他ならない。
しかもそれが皆悉く現実に起こる出来事だというのだから、今回のような目に遭えば殊更に眠るのが怖くなるのは当然のことだろう。
そんなあらゆる意味で死神に魅入られてしまった不運な少年を何とか宥めようと、私は懸命に頭の中で彼にかける言葉を選んでいた。

「ねえ坊や・・・あんな大きな雄熊を相手にしても何とも思わないような私だって、死ぬのは怖いのよ」
「・・・え?」
唐突に放った私の言葉に、少年が驚く程大きな反応を示す。
「もしあの時洞窟であなたに助けられなかったら死んでいたと思うと私、ゾッとするの」
「・・・・・・」
その何も言わずにじっと私の話に耳を傾ける彼の様子には、微かな同情の色が浮かんでいた。
「だからもし本当にそんなものがいればの話だけど、あなたの力は確かに死神の力かも知れない。でもね・・・」
「でも・・・?」
「私が知っている死神っていうのは、本来は生と死の両方を司る神だったはずよ」
そこまで言うとようやく私の言わんとしていることを汲み取ったのか、少年が暗く落ち込んだその目に微かな生気を蘇らせる。
「じゃあ僕の夢を見る力は、誰かを生かすための力だって言うの?」
「そうよ。現に私も坊やも、その力のお陰で生きているじゃないの」

ドラゴンにそう言われて、僕は過去に見た様々な夢のことを冷静に思い返していた。
そこに展開されていくのは、いつも結末の決まっている死神の描いた1本のシナリオ。
だが自分では絶対に抗うことのできないその恐ろしい悲劇に対しても、決して対抗策がないわけではなかった。
誰かがそこにほんの小さな救いの手を差し伸べれば、そんな死への引力は跡形もなく消え去ってしまうのだ。
「そうか、本当は皆助けられたかも知れないんだね・・・お爺ちゃんも、お婆ちゃんも、パパも、ママも・・・」
でもそのためには、僕の夢の話を信じてくれる協力者が必要になるだろう。
僕にしかわからない真実の存在を後押ししてくれる者がいなければ、あの町でもそうだったように結局僕はただ死を運ぶだけの忌むべき存在として迫害されてしまうのに違いない。

「だから・・・私と一緒に暮らしましょう?私なら、坊やの言うことを信じてあげられるもの」
とその時、まるで僕の胸の内を見透かしたかのようなドラゴンの提案が聞こえてくる。
「え・・・?ほ、本当に・・・いいの・・・?」
「もちろんよ。たとえ悪夢を見たって、また死と向き合うことになったって、もうあなたは独りじゃないわ」
ドラゴンは静かにそう言うと、その大きな腕で僕の体をそっと抱き締めていた。
「でもそうしたら・・・もう一生人間の生活には戻れないかもしれないわよ・・・?」
「うん・・・ドラゴンさんと一緒にいられるなら、僕、それでもいい」

その僕の返答に満足したドラゴンは、夕方頃になってから僕を森の更に奥深くにある前よりもずっと大きな洞窟へと連れて行ってくれた。
天井に空いた幾つもの小さな明かり取り用の穴から、薄暗い洞窟の中に夕焼けに染まった美しい朱色の光の筋が降り注いでいる。
この洞窟が今日から僕の住む新たな家となり、ドラゴンが今日から僕の新たな母親となるのだ。
「坊や、お腹は空いてない?」
「そうだね・・・よく考えたら僕、朝から何も食べてなかったや」
「じゃあ、あなたにも食べられそうなものを探してくるわ」
ドラゴン・・・いや、ママはそう言うと、何だかウキウキと楽しげに腰を振りながら洞窟の外へと出て行った。


やがて今日初めての遅い狩りから帰ってきた心優しい竜の母親は、新たな住み処の中で眠りに落ちてしまった人間の息子の姿を見つけるに違いない。
そしてその疲れ切った顔にまるで楽しい夢でも見ているかのような穏やかな笑みが浮かんでいるのを目にすると、彼女は手に入れてきた食糧を地面の上に置いて静かに少年の背へとその身を擦り寄せるのだ。
「坊や・・・いい夢が見られるといいわね・・・」
不意にそう呟いたドラゴンの声にも、少年が反応する様子はない。
森には早くも冷たい木枯らしが吹き始めていたものの、互いに体を暖め合って眠る少年とドラゴンの親子はきっとこれからも力を合わせて幸せに生きていけることだろう・・・



感想

  • ドラゴンさんかぁいいよ~ -- 373 (2007-12-18 11:53:41)

  • 消化不良とか言ってたけど、そんなこと無いんだぜ?

    この後の展開がたっぷり妄想できる良いラストだ。 -- 725 (2007-12-21 16:43:15)
  • 続きが気になります。エロをいれた今後の展開を期待。 -- TK (2009-07-11 22:18:51)
  • この話・・・泣ける・・・(T^T) -- 774 (2009-08-18 09:14:06)
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