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焼け跡に残った光

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匿名ユーザー

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生贄・・・時に縄張り意識の強いドラゴンが近隣にある人間達の町や村に対して、己の力を誇示するかのように理不尽な人身御供を要求することがある。
その生贄の多くはまだ成人も迎えていないような若い処女であり、不幸にもドラゴンに供された彼女達にはその残忍な捕食者の餌食となる運命が待っているのだ。
だがそこが人間の弱さというべきか、或いは逆に子孫を残そうとする生物としての強さなのか、大概の人々は大勢の安全の為に1人の若い命を差し出すという苦々しい決断を下して今日まで存続している。
だが中には、長年にわたるドラゴンの脅威にすっかり衰弱しきってしまった村もあった。
これはそんな滅びの時を間近に迎えた村に生を受けてしまった男の子の、奇妙な人生の一節である。

「長老、今年もまたこの村から生贄を出すおつもりですか?」
「もうこの村には若い女子など1人も残ってはおりませんぞ」
夕暮れの闇の中、村で1番大きな長老の家に集まった男達が口々に意見を交わしていた。
この村は周囲を広大な山と森に囲まれているのだが、その山中に棲むある凶暴なドラゴンが、毎年12月31日の年の暮れに若い娘を1人生贄に寄越すよう迫るのだという。
「そうは言っても、いずれ誰かは生贄に捧げねばなるまい・・・」
おもむろに重々しい長老の言葉が発せられると、それまで騒いでいた男達が不意に静まり返った。
「こんな年寄りばかりの村に、あの忌まわしい悪竜と戦う力などないことは皆もわかっているじゃろう・・・?」
「し、しかし・・・」
「今この村で1番若い娘はアンナですが・・・彼女はつい先日男の子を出産したばかりなのですよ?」
子を産んで数日のまだ寝床から起き上がることもできない娘を恐ろしいドラゴンへの生贄に捧げるという愚行を想像して、その場にいた男達は皆一様に押し黙ってしまっていた。

「あぎゃぁ・・・はぎゃっ・・・ふぎゃぁ・・・」
「ふふ・・・可愛い子ね・・・あたしの小さかった頃にそっくりだわ」
「そうだな・・・俺達の子供だ、大事に育てよう」
決して広いとはいえない寝室の中で、泣き喚く赤ん坊が両親に優しく見守られている。
赤子の父親はそろそろ中年に足がかかろうかという落ち着きのある男で、妻のアンナを心の底から愛していた。
そしてそれ故に、彼は2日後に迫った大晦日に妻が生贄に選ばれるかもしれないことを真剣に危惧していたのだ。
「どうしたの、あなた?」
「ん・・・いや、何でもないよ。もうお休み・・・」
彼は妻に不安を悟られまいと慌ててその場を取り繕うと、彼女の頬にそっと口付けして部屋を出ていった。

コンコン・・・
翌朝、俺は誰かが家の扉を叩く不穏な音で目を覚ました。
「誰だ・・・こんな朝っぱらから・・・」
何となく嫌な予感はしていたものの、案の定扉の外にあったのは人目を憚るように辺りを見回している長老の姿。
「ちょ、長老・・・一体こんな時間に何を・・・?」
「お主に話があるんじゃ・・・すぐにワシの家へ来てくれんか?」
いかにも弱々しい、しかし逼迫した長老の声。
俺は取り敢えず1度だけ頷くと、まだ子供とともに寝室で眠っている妻の姿を確認してから家を出ていった。

「一体何の話ですか、長老?」
ドラゴンに捧げる生贄を誰にするかでいつも揉めるこの時期だ、長老にこっそりと家へ呼び出された時点で、一体何の話かなどと聞くこと自体が馬鹿げているに違いない。
つまり、長老は俺の妻を・・・アンナをドラゴンへの生贄に出すつもりなのだ。
だが、俺はあくまで何故自分がここへ呼び出されたのか皆目わからないという態度を崩すつもりは毛頭なかった。
「実は、竜の生贄のことについてなのじゃがな・・・」
「誰を出すか決まったんですか?昨晩、何やら遅くまで協議していたようですが・・・」
その問に長老の口から妻の名が出るであろうことを半ば予想していた俺はじっと唇を噛みながら返答を待っていたものの、彼から返ってきた答えは意外なものだった。
「今年は、生贄を出さぬことにした・・・いや、もうこれからも2度と出すことはあるまい」
「え・・・?そ、それじゃあ、奴がこの村を襲ってくるのでは・・・?」
あのドラゴンは、生贄を出すことを条件にこの村には手を出さないでいてくれているのだ。
もしその要求を突っぱねれば、怒りにまかせてあの恐ろしい怪物がここへやってくるのは目に見えている。
「そうじゃ・・・皆のためにも、あの悪しき竜からこの村を守らねばならぬ」

俯いていた長老はそこまで言うと、不意に俺の顔に向き直って先を続けた。
「そのために、お主に戦いの指揮を取ってもらいたいのじゃ」
「俺が・・・?どうして?」
「村で1番皆から信望が厚いのはお主じゃろう?それにもし戦えぬとなったら、アンナを生贄に出すより他にない」
そう言われてしまっては、俺に断ることなどできるはずがない。
だが方法はどうあれ、長老は妻を守る道を選択してくれたのだ。
あんな巨竜に真っ向から立ち向かう術などまるで浮かんでこないが、なんとかやってみるしかないだろう。
「ああ・・・長老がそう言うなら、俺、やるよ」
「そうか・・・皆にはワシから話しておこう。恐らく、元旦の朝には彼奴が襲ってくるだろうからな」

俺は長老の家を後にすると、無言のまま家へと入っていった。
そして寝室の中で息子に乳をやっている妻の姿を目にして、何としてもこの2人の命だけは守ろうと心に誓う。
「アンナ・・・」
「あらあなた・・・どこかへ出かけていたの?」
「ああ、長老の家に呼び出された」
その返事を聞いて、アンナの顔がサッと蒼褪めた。
「やっぱり、私が生贄に選ばれたのね・・・?」
「そうじゃない。長老にはもう生贄を出すつもりはないんだ。俺が呼ばれたのは・・・あの悪竜と戦うためさ」
別の意味で顔色を変えるだろうという俺の予想に反して、妻が冷静に言葉を紡ぐ。
「そう・・・あなたが1番村で頼りにされているものね。私とこの子のためにも、頑張って」
「もちろんだ。何があっても、お前達だけは守ってみせるよ・・・」
授乳を中断されて不機嫌そうな我が子をよそに、俺と妻はしばらくの間お互いを固く抱き締めていた。

それから2日間、俺は村の中でも比較的体力のありそうな男達を10人ばかり集めては、畑を耕す鋤や鍬、鋸や鉈といった手近にある刃物をできるだけ鋭く研ぐことに力を注いだ。
たった2日では狡猾なドラゴンを出し抜くための知恵など浮かぶはずもなく、ましてや年寄りの多いこの村では敵に対抗するための真っ当な戦力を揃えることさえ困難なのだ。
ならば残る方法は、結局のところこの少数の若者達による力押しでしかない。
だがそれでも、より強い武器があるという安心感は幾許かではあるが人々の心の助けになる。
これが例えどれほど望みの薄い作戦であったとしても、今の俺にできることはか弱い村人達をやがてくるドラゴンの恐怖から遠ざけるために滑稽な1人芝居を演じることだけだった。

シャリ・・・シャリ・・・
「本当に、こんなことであの悪竜を追い払うことなどできるのか・・・?」
いよいよ生贄を出さなければならない期限が差し迫った大晦日の夕刻、俺は不意に背後からかけられた長老の声に斧を研ぐ手を止めていた。
「それは、わかりません・・・でももしここで皆の心が折れたら、この村なんて一晩で消えてなくなるでしょう」
そしてその言葉に視線を落とした長老から再び眼前の砥石へと目を戻し、独り言のようにぼそりと続きを呟く。
「それだけのことです・・・」
「そうか・・・そうじゃな・・・ワシも覚悟を決めた身じゃ・・・後は、運を天にまかせるとしよう」
そう言い残して深い黄昏の中に長老が消えていくのを見送ると、俺は1度だけ大きく息をついて再び斧を滑らせた。

眠れぬ夜・・・深い山林の中から、微かにだがドラゴンの咆哮と思しき不穏な声が聞こえてくる。
明日の朝には、生贄にありつけなくて腹を空かせた巨大なドラゴンがこの村を襲ってくることだろう。
俺は緊張と興奮でいつまで経っても訪れぬ眠気に見切りをつけると、そろそろと寝床から這い出して妻と息子の様子を見にいった。
木製のベッドの上で静かに眠る2人の様子に、多少は心が落ち着いていくのが実感できる。
そのベッドのすぐそばには赤子を入れて持ち運ぶための小さな籠が置かれていて、いざとなれば息子だけでもどこか安全な所へという妻の願いが表れているようだった。
「アンナ・・・」
もう、妻のこんな幸せそうな寝顔を見ることができるのも最後かもしれない。
そんなある種の予感のようなものが背筋をザワザワと駆け上がってくるのを感じて、俺は思わず妻を起こさぬように小声で囁きかけていた。
と、その時・・・

ドオン・・・ドオン・・・
「な、何だ・・・?」
静まり返った深夜の村の静寂を破る、不吉な振動と足音。
「ん・・・あなた・・・どうしたの?」
一変した周囲の気配に目を覚ました妻が、落ち着いた表情以上に不安げな声を上げる。
「まさか・・・もう村を襲いにやってきたのか・・・?」
ドオン・・・ドオン・・・
その圧倒的な脅威の接近を告げる音が、目覚めた妻の耳にもはっきりと聞き取れたようだった。
「た、大変・・・!あなた、早く村の皆を起こして!この子は、私が安全な所へ隠すから」
「あ、ああ、わかった!」
戦いの指揮をまかされているはずの俺よりも的確な妻の指示に勢いよく頷くと、俺はほとんど寝巻姿のまま漆黒に覆われた家の外へと飛び出していった。

カァン!カァン!カァン!
誰もが寝静まった村中に響き渡る、甲高い警鐘の音。
本来は山火事や大風に見舞われた時などに村人達に避難を呼びかけるために設置されていたものだが、こうして実際に人々へ危機を告げるために鳴らされたのは恐らく初めてのことだろう。
だが反応が鈍いのではという俺の予想を裏切り、思いの外素早く大勢の男達が家から飛び出してきた。
その中にはすでに磨き抜いた斧を手にしている者までおり、彼らも俺と同じく不安と興奮に眠れぬ夜を過ごしていたに違いない。

ドオオン・・・ドオオン・・・
「く、くるぞ・・・」
皆思い思いの武器を構えて足音の聞こえてくる方向を見つめている光景は、ある種異様な雰囲気を放っていたことだろう。
だが大地を揺るがすような巨大な足音はなおも近くなり、俺達は闇に覆われた森の中からドラゴンがその姿を現すのを今か今かとひたすらに待ち続けていた。
そしてその数分後・・・
突然、ゴオオオオッという音とともに真っ赤な炎が黒い森を切り裂いた。
激しく燃え上がった木々がバチバチと爆ぜる音が聞こえ、乾燥した冬の空気が熱を帯びて村人達の頬を叩く。
「おお・・・!」
そして次の瞬間、燃え落ちた2本の木の間から恐ろしい怪物がぬっとその首を突き出していた。

「ほおう・・・贄の姿が見当たらぬからと来てみれば、貴様ら・・・揃いも揃って血迷ったと見えるな・・・」
ひどく落ち着いた、それでいて聞く者を震え上がらせる威圧的なドラゴンの声。
炎に照らされたその体は一面まるで鎧のような厚い黒色の鱗に覆い尽くされていて、鋭く湾曲した牙を覗かせた巨口からは今もチロチロと無数の舌先のように炎が漏れ出していた。
人間の顔よりも大きな2つの紅い眼は鈴口のように縦長の瞳を湛え、目の前に雁首揃えた身の程も弁えぬ愚か者達をどうやって料理してやろうかという愉悦に満ち満ちている。
一時は村を守らなければという使命感に酔って恐怖を忘れようとしていた村の若者達も、一瞬にして燃え尽きた大木やドラゴンの放つ凄まじい殺気に完全に気圧されてしまったようだった。

「だ、黙れ!」
だがその時、そんなドラゴンの余裕の笑みを一喝した者がいた。
見れば、微かに曲がった腰を無理に引き起こすようにして若者達とドラゴンとの間に村長が立ち塞がっている。
彼は武器も持っていない空手のままキッとドラゴンの顔を睨み付けてはいたものの、腰から下は自分ではどうしようもないという恐怖にカタカタと音を立てて震えていた。
「何だ貴様は・・・?」
静かにそう呟きながら、村長を威嚇するかのようにドラゴンがおもむろに足を前へと踏み出す。
そして森の中に半分隠れていた大蛇のような長い尾がその全貌を現したかと思うと、それがヒュンという鋭い風切り音を立てて村長の足元を掬っていた。

ドサッ
「ひあっ!」
不意に足元を払われてその場に尻餅をついた村長が驚きと痛みに悲鳴を上げた次の瞬間、ドラゴンがすかさず村長の片足を掴んでその痩せた体を中空に吊り上げる。
そして数人の人間を1度に丸呑みにできるような巨口の上で逆さ吊りにされた獲物を見上げると、ドラゴンが紅眼を細めながら愉しげな笑い声を漏らした。
「ククククク・・・どうやら、最初に死ぬのは貴様からのようだな・・・?」
「ひっ、ひいぃ・・・だ、誰か・・・助けてくれえぇ・・・」
大きく開けられた暗い肉洞の上で揺らされながら顔を舌先で舐め上げられて、村長が悲痛な叫び声を上げる。

「お、おい、村長を助けるぞ!」
だが、俺が慌てて他の若者達に突撃を呼びかけた時にはもう手遅れだった。
足を掴んでいたドラゴンの手がパッと離され、村長が声を上げる間もなくドラゴンの口の中へと落ちていく。
そしてバクンと巨竜の口が閉じられると、一噛みも咀嚼することなく膨れた喉が腹の方へと消えていった。
「ああっ・・・!」
「そ、村長!」
「ククク・・・さて、次に死にたいのは誰だ・・・?」
十数人の武器を持った男達を前にしても余裕の表情で歩を進めながら、ドラゴンが嘲るように長い首を傾げる。
「く、くそ・・・かかれぇ!」
深夜の村中に響いたその声に、数人の若者達が刃物を振り上げてドラゴンに飛び掛っていった。
「うおおおおおっ!」
「わあああっ!」
続いて雄叫びというよりは悲鳴に近い声が重なり合い、黒鱗を纏った竜にいくつもの白刃が投げつけられる。

カン!カキン!ガッ!
だが鋼のように硬い竜鱗にただの鉄の刃が通るはずもなく、鱗の鎧に弾かれた無力な武器が金属質な音とともにゴロゴロと地面の上へ転がった。
「あ、ああ・・・」
「そんな・・・」
第2波の備えに新たな武器を構えていた他の若者達も、その光景に一気に戦意を殺がれてしまったらしい。
「クククク・・・大層意気込んで我を待ち構えていたというのに、これで終わりとはつまらぬな」
ドラゴンはそう言いながら長い首を仰け反らせるようにして大きく息を吸い込むと、武器を失って狼狽える数人の男達をギラリと見下ろした。
そして次の瞬間、ゴオオオオッという轟音とともにドラゴンが激しく燃え盛る炎の息を彼らに吐きかける。

「うわああああっ!」
「ぎゃああっ!」
一瞬にして火達磨になった2人の若者達は数十秒もの間悲鳴を上げながら辺りを悶え転げ回った挙句、突然糸が切れたかのようにバタッと地面の上に倒れ込んで動かなくなってしまった。
真っ黒に燃え尽きた犠牲者達の亡骸から、ブスブスという音とともに香ばしい香りが広がっていく。
「だ、だめだ・・・こんな化け物に勝てるわけない!」
「に、逃げよう・・・!」
やがて目の前で消し炭と化した仲間達の姿に怯え、その場から数人の男達が逃げ出し始めた。
こんな総崩れの状態では、最早ドラゴンとの戦いなど望むべくもない。
今この瞬間に俺達はドラゴンにとっての敵などではなく、ただの邪魔な虫けらに成り下がったのだった。

「うわああああっ!」
「助けてくれええっ!」
呆然とその場に立ち尽くしていた俺の目の前で繰り広げられる阿鼻叫喚の地獄絵図・・・
若者達の中には猛るドラゴンに捕まって抵抗する間もなく一呑みにされてしまった者もいれば、逃げ遅れて巨大な体躯を支えるその手足に原形を留めぬほどペシャンコに踏み潰される者もいた。
巨大な口から吐き出される炎は幾人もの人々を巻き込んで木造の小さな家々を次々と焼き尽くし、灼熱の火の海から命からがら逃げ出してきては敢え無くドラゴンの餌食になる子供達の姿も見て取れる。
だがやがてドラゴンの破壊と殺戮の矛先がアンナと息子のいる我が家へと向けられると、俺は弾かれたように大声を上げながらその場を飛び出していた。

「や、やめろおおおお!」
無我夢中でそう叫びながら、手にした斧をドラゴンの背中に向かって力一杯投げつける。
だがその全身を覆った堅牢な鱗の前には何度やっても同じこと、風を切ってドラゴンに襲いかかった斧はカァンという甲高い音とともに背中に弾かれると天高く舞い上がって乾いた地面の上にドサリと転がった。
「ほう・・・この期に及んでまだ我に楯突く気概のある人間が残っていたとは・・・」
蚊に刺されたほどにも感じなかったであろう斧の衝撃に、ドラゴンの放つ身の縮むような殺意が背後にいた俺へと向けられる。
「うっ・・・あっ・・・」
ドサッ・・・
何とかドラゴンの目を妻子から逸らせることには成功したものの、俺はあまりの恐怖にその場にへたり込んでしまっていた。
視界一面を埋め尽くすのは轟々と火柱を立てて燃え上がる家々と、無残にもドラゴンに殺されてしまった村人達の痛ましい屍の数々・・・
そしてその終末の背景に俺を加えようと、鋭い瞳で俺を真っ直ぐに睨みつけたドラゴンが肉薄してくるのだ。

「クク・・・クククク・・・」
ドスッ・・・ドスッ・・・
最早俺に逃げる気力など欠片も残っていないことを知っているのか、ドラゴンはじっくりと獲物に恐怖を植え付けるかのようにゆっくりと近づいてきた。
シュルッ・・・シュルルッグルルルッ・・・
「うああっ!」
そして少しでも後退さろうと突っ張った足へと素早く尻尾の先を巻きつけられ、一瞬にして逃げ場のない黒いとぐろの牢獄の中へと捕らえられてしまう。
「そぉら捕まえたぞ・・・クク・・・貴様が、この村での最後の生き残りというわけだな・・・」
ドラゴンにそう言われて尻尾にグルグル巻きにされたまま辺りを見回すと、確かに揺らめく炎の他にはもう村の中で動くものは何1つとして残っていなかった。

俺の家からだけは偶然にもまだ火の手は上がっていなかったものの、ドラゴンにはあの家だけを見逃してくれるつもりなどないに違いない。
最後の最後に無駄な抵抗を示した俺の命をいとも容易く吹き消したその後で、あの家も他の家々と同じく紅蓮の業火に包まれてしまうであろうことは想像に難くなかった。
「さて・・・最後の獲物だ・・・どうしてくれようか・・・ククク・・・」
息苦しい程度に俺の体を尻尾でゆっくりと締め上げながら、ドラゴンがその顔に不気味な笑みを浮かべる。
ギリ・・・ギリ・・・メキッ・・・
「く、くそぉ・・・ア、アンナ・・・かはっ・・・」
尻尾による締め付けはなおもジワリジワリと強くなり、圧迫された肺が否応なしに空気を押し出されていった。

「断末魔なら今のうちに上げておけ・・・じきに声も出せぬようになるぞ・・・ククククク・・・」
ミシッ・・・メキキッ・・・ボギボギッ・・・
「ぐああっ・・・た、助け・・・は・・・あ・・・ぅ・・・」
全身の骨が砕けていく鈍い音・・・痛みとも苦しみともつかない熱さが体中を駆け巡り、酸素の供給を遮断された頭がただでさえぼやけた意識の上に幾重にも白いベールを重ねていく。
「クククク・・・我に楯突いた代償だ・・・苦悶と後悔の内に果てるがいい・・・!」
ギッ・・・ギリリリリ・・・ゴキッ・・・
「がっ・・・・・・ぁ・・・」
やがてとどめとばかりにドラゴンが一際強く尻尾を引き絞ると、俺は全身を貫いた激しい衝撃とともに2度と目覚めぬ永遠の眠りへと落ちていった。

騒々しかった夜が明け、私は燦燦と明るい日差しの降り注ぐ洞窟の外へと歩き出していた。
昨晩眠りにつく前に見た東の空は山火事でもあったのか煌煌と燃え上がる炎が天を焦がしていて、微かにではあるが同胞の咆哮のようなものも聞こえてきたような気がする。
まあ、人間達の暦が変わるこの時期に何かと森が騒がしくなるのは今に始まったことではない。
私は淡い橙色に輝く鱗にキラキラと陽光を反射させると、背から生えた1対の翼を大きく左右に広げた。
一応、私もこの広大な森の住人には違いない。
昨晩森の中で一体何があったのか、この目で見ておくのも悪くないだろう。
そして心の内でそう呟きながら夜通し明るかった東の空へと視線を向けると、私は勢いよく地面を蹴っていた。

バサァッバサァッ
次の瞬間激しい音ともに大きな乳白色の翼膜が大気を叩き、洞窟を飛び立った雌竜の体が大空へと舞い上がる。
2本の白い角を生やしたその後頭部からは強い向かい風に靡く美しい赤髪が伸びていて、優雅に空を飛ぶその煌く橙色の大きな体は見る者にまるでもう1つの小さな太陽を想起させることだろう。
彼女は産まれてから数十年もの間、この森でひっそりと暮らしてきた翼を持つ竜族の末裔だった。
だがこれまでは活動範囲の違いから他の仲間達ともさして深い交流など結んだこともなく、ましてや人間などにはこれまで1度も出遭ったことがないのだ。
だが昨晩村の人々に振りかかった惨劇の余波が、そんな彼女を偶然にも1人の人間と引き合わせることになる。

力強く翼を羽ばたいて冬特有の乾いた風を駆け登るように高度を上げてみると、やがて昨夜の喧騒の大元が視界の中へと入り込んできた。
今もまだ細々と黒い煙を上げて燻っているいくつもの瓦礫の山・・・
そこにあったのは、徹底的に焼き尽くされた人間達の村の跡だった。
「これは・・・気の荒い仲間の仕業か・・・?」
強大な何者かに蹂躙され尽くした人間の村の悲惨な姿に、思わずそんな考えが頭を過ぎる。
私は風に乗ってゆっくりと滑空すると、香ばしい匂いの立ち込める村の真ん中へと静かに着地した。
「酷いものだな・・・」
いくら辺りを見回してみたところで、目に映るのは真っ黒な消し炭の山と化した住居の残骸と無残に踏み潰され、引き裂かれて死んでいった村人達の名残だけ・・・

「・・・ぁ・・・ゃぁ・・・」
だが一頻り壊滅した村を見物して住み処に帰ろうと翼を広げた正にその時、私の耳に何か小さな声のようなものが聞こえた気がした。
「・・・?誰かいるのか・・・?」
ただの聞き違いかと思ってじっと耳を澄ませてみると、やはり微かに小さな声が聞こえてくる。
「ぎゃ・・・ゃぁっ・・・」
声の聞こえてくる方を何とか特定して視線を向けたその先には・・・
やはり他のそれと同じように炎で燃え落ちた家の残骸が佇んでいた。
「ふぎゃ・・・ぎゃぁ・・・」
だが1歩、また1歩とその残骸に近づいていく度に、よりはっきりと声が聞こえてくる。

ガラッ・・・ガラガラ・・・
瓦礫の元に辿り着いて数本の焼け焦げた木材をどかしてみると、やがてその下から人間の娘の体が覗いていた。
天井から崩れてきた梁の下敷きになって、身動きもできぬまま火に弱って死んでしまったのだろう。
その娘が、何やら籠のようなものを両手で大事そうに抱え込んでいる。
「ふぎゃあ・・・おぎゃあっ・・・」
そして先程から絶えず聞こえてくる謎の声は、どうやらその籠の中から聞こえてきているらしかった。
ガサッ・・・
私は息絶えた娘の体をそっと脇へどかせると、丹念に編み込まれた籠の蓋を爪先で持ち上げてみた。
その中で、まだ産まれて間もないと見える小さな小さな人間の子供が激しく泣きじゃくっている。

「なんと・・・こんなにも無力な人間の赤子が、母親に護られてただ1人生き残ったというのか・・・?」
どこにも怪我や火傷をしている様子はないものの、放っておけばまず間違いなく死は免れないだろう。
このまま飢えと乾きに弱ってゆっくりと死んでいくよりは、いっそ私が一思いに・・・
だがいくら地を這い回る下等な人間とはいえ、こんな罪もない赤子を手にかけられる程私は残酷にはなり切れぬ。
そんな私がこの子を見つけたのは、何かの運命だとでもいうのだろうか・・・
「ならば・・・救ってやるとしよう・・・」
私はまるで腫れ物を扱うかのような手つきで慎重に赤子を籠から掬い上げると、キョロキョロと辺りを見回してから住み処に向かって飛び上がっていた。

「やれやれ・・・住み処へ連れてきたまではよいが、これからどうすればよいのか皆目見当もつかぬな・・・」
「きゃっ・・・はぎゃっ・・・ふぎゃっ・・・」
ううむ・・・腹が減っているのかそれとも寒さに震えているのか、泣いている理由がさっぱりわからぬ。
流石に固い岩の地面へ転がしておくわけにもいかないので尻尾を丸めて作った即席の寝床に寝かせているのだが、尻尾で揺すってやっても硬い皮膚に覆われた指先で頬を撫でてやっても赤子は一向に泣き止む気配がない。
「ええい、一体どうして欲しいのだ!泣いてばかりおらずにはっきり言わぬか!」
「ふ、ふぎゃああああ!ふぎゃあああっ!」
だがつい業を煮やして赤子を怒鳴りつけると、負けじと大きくなった赤子の泣き声が洞窟中に反響する。
しまった・・・私としたことがこんな産まれたばかりの人間の子供に思わず大声を出してしまうとは・・・

「わ、わかったから・・・そう騒ぐな・・・」
大泣きしてしまった赤子を何とか宥めようと頬を舌先でペロリと舐め上げてやると、心なしか少しばかり泣き声が小さくなったような気がした。
「ふ、ふぐ・・・うぶぅ~・・・」
薄っすらと唾液のついた頬を小さな手の平でバシッバシッと叩きながら、赤子が不機嫌そうに顔を顰めて尻尾の寝床の上を左右に転がっている。
「ふぅ・・・実の母親から引き離されて寂しいのか・・・?」
私は小声でそう呟くと、この上もなく脆いその赤子をそっと両手で抱き上げた。
そしてポッと温もりを持った柔らかい腹の上に赤子を乗せて優しく揺らしてやると、さっきまであれほど大騒ぎしていたのが嘘のように突然赤子の泣き声が止む。
「あ・・・あはっ・・・きゃはっ・・・」
「そうか・・・ふふ・・・私の硬い尾の上では、寝心地が悪かったのだな」
彼と出遭ってから初めて見せてくれたその屈託のない笑みに、私はホッと胸を撫で下ろしていた。

しかし今は泣き止んでくれたからよいものの、いずれは必ず食事の問題が出てくることだろう。
この森には乳の代わりになるような果汁の豊富な果物の類は全くと言っていいほど存在しないし、人間の村へ食べ物を探しにいこうにもあそこはすでに燃え尽きた廃墟と化してしまっている。
水だけは近くに湧き水があるから何とかなるだろうが、このままでは赤子が弱ってしまうのは間違いなかった。
たかが人間とはいえ、1度は救おうとした命が消えてしまうのは私としても忍びない。
どこか別の場所にある人間達の集落に預けることができればそれが1番なのかもしれないが、流石にそれは無理のある話というものだろう。
それに・・・私は既にこの見知らぬ赤子に愛着のようなものを感じ始めていた。

「仕方ない・・・こんなことをするのは私も気が引けるのだが・・・お前のためだ・・・待っていてくれ」
私はスースーと寝息を立て始めた可愛い赤子をそっと洞窟の地面の上に寝かせると、彼を起こさないようできるだけ静かに住み処を飛び出した。
まずは、彼の寝床を確保する必要があるだろう。
天高く昇った太陽の下、私は逸る気持ちを抑えながら人間の村へと向かって力強く翼を羽ばたき続けた。
そしてあの赤子を見つけた家の残骸の前へと降り立ち、黒ずんだ材木の中に埋もれていた籠を壊してしまわぬよう慎重に引っ張り出す。
ガラガラ・・・ズ・・・ズズ・・・
「ふふふ・・・後先を考えぬ愚か者とは、正にこの私のことをいうのだろうな・・・」
そうして自虐的な苦笑を浮かべながらも首尾よく目的の籠を手に入れると、私は一旦住み処に戻るべく再び大きな翼を広げていた。
今日は、忙しい日になりそうだ。

バサッ・・・・バサッ・・・
出発した時以上に音を立てぬよう気を遣いながら住み処の前へと着地すると、私は手にした小さな籠を2本の指で摘み上げながらそっと洞窟の中を見回した。
そしてあどけない顔をこちらに向けて静かに寝息を立てている赤子の無事を確認して、ふぅと安堵の息をつく。
「ふふ・・・人間になど初めて出会ったというのに、今や私もすっかり子煩悩か」
相変わらず無力なはずの存在に振り回されている己の情けなさに顔に貼り付いた苦笑はなかなか消えなかったが、それでも心の中ではなんだかんだで今のこの状況を楽しんでいる自分がいるのが感じられる。

私は籠を地面の上に置くと、短い時間とはいえ岩床に寝かされてしまった可愛そうな赤子をそっと抱き上げた。
そして籠の内に敷き詰められた柔らかな布の上へ、すっぽりとはめ込むように赤子を寝かせてやる。
「ふっ・・・ふぐっ・・・」
バシッ
「うぐっ」
眠りを邪魔するなとばかりに寝惚けた赤子の渾身の張り手が見事に顎の先へと命中したものの、私は何とか牙を食い縛ってそれを耐えると籠を風の当たらぬ岩壁のそばへと置いてやった。
可愛いものだ・・・この子になら、たとえ何をされても許せるような気さえしてしまう。
そんなことを考えながら、私はしばらくの間突然目の前に現れた天使のような人間の子供をうっとりと蕩けた表情を浮かべて見守っていた。

「さて・・・そろそろ行くとしようか・・・」
無邪気な寝顔に魅入っている内についつい自らもフラッと意識を失いそうになって、私はブンブンと首を振って洞窟の外へと顔を向けた。
今度は、この子のために食料を手に入れなければならない。
それについては全く当てが無いわけではないのだが、私にもある種の覚悟が必要なのだ。
そして出かける前にもう1度だけ赤子の顔を覗き込むと、私は再び昼下がりの太陽が輝く森の上空へと舞い上がっていった。

乾いた風に赤髪を靡かせながら空を飛ぶこと30分、私はようやく地平線の彼方に見えてきた目的地に身を引き締めた。
そこにあったのは、眼下一面を覆い尽くす深緑の絨毯の中に広がる人間の集落。
人の町の規模についてはよくわからぬが、あの燃え尽きた村に比べれば生きている人間達の姿があるせいか幾分は大きく活発な場所であることが窺える。
私は徒に彼らを驚かせぬよう集落から少し離れた場所に着地すると、翼を折り畳んでそっと森の中を歩き始めた。
そして木々の間から集落の中を覗き込み、慣れぬ人語を操って近くを通りかかった若い男に穏やかに声をかける。
「済まぬが、そこの・・・」
「えっ・・・?」
だが森の中からかけられた不思議な声に、こちらを振り向いた人間の顔が見る見るうちに恐怖で蒼褪めていった。
「う、うわぁ~~~~!ドラゴンだ~~!」
「あっ、ま、待て!待ってくれ!」
慌てて人間を引き止めようと腕を伸ばしたものの、その指先にあるのはどう見ても凶器でしかない鋭い爪。
命からがらといった様子で必死に逃げていく人間の後姿を成す術も無く見送りながら、私は早くもがっくりと肩を落としてその場にうな垂れていた。

「ドラゴンだと!ドラゴンが襲って来たのか!?」
「皆を集めろー!ドラゴンなんぞ叩き出してやれぇー!」
怒号にも似た不穏な叫び声とともに、視界の中へ集まってくる幾人もの武器を構えた男達。
過去に他のドラゴンに襲われた経験でもあるのか、明らかにこうした事態を予め想定していたかのような迅速な対処だ。
農耕に使うような生活道具ではない本物の刀剣がギラリと陽光を跳ね返し、数十人の男達の殺気が一心に森から顔を出した私に向けて注がれている。
「ま、待ってくれ・・・私は別にお前達に危害を加えるつもりでは・・・」
「黙れ!」
「そうだ!とっととここから消え失せろ!でないと痛い目に遭うことになるぞ!」
これまで心の内でどこか見下していた人間達から浴びせられる、容赦のない罵声と剥き出しの敵意。
初めからこんな調子では、彼らに赤子のための食料を分けてもらうことなど到底望むべくも無いだろう。

だがそうかといって、私はこのままおめおめと引き下がるわけにもいかなかった。
私の問題ではない。
この困難な交渉に懸かっているのは、他でもない彼ら人間の赤子の命なのだ。
事情を説明するのにも相当に骨が折れるであろうことは目に見えていたものの、私は敢えて頭を低くしたまま武器を構えた男達の輪の中へと進み出た。
「てめぇ、殺されてぇのか!?」
理性で抑えようとしても首をもたげてしまう、屈辱への本能的な反抗。
私は硬く閉じた口の中で牙をきつく噛み締めながら、ともすれば今にも長く生え伸びた爪を振り上げてしまいそうになる衝動を必死で堪えていた。

「私を斬りつけたいのならやるがいい・・・だがその前に・・・少しだけでも私の話を聞いてくれぬか?」
勢いで強気を装っている彼らにも、一応はドラゴンを敵に回すことに対して恐れを感じていたのだろう。
喧騒の隙をついて漏らしたその声に、1人の男が片手を上げて周囲を静める。
「待て!何が言いたい?」
「今私の住み処に、1人の人間の赤子がいる。昨夜私の同胞によって滅ぼされた、西の小さな村で拾った子供だ」
予想通りというべきか、ドラゴンによって村が滅んだという事実に1度は収まったざわめきがぶり返す。
「何だと!この町も滅ぼすつもりか!?」
「まあ待て。黙って最後まで聞いてやれ」
「その赤子を育てる為に、私に幾許かの食べ物を分けてもらいたいのだ」
私がそこまで言うと、この血気盛んな群集を率いていると見える例の男が当然の疑問を口にする。

「どうしてドラゴンのお前が、人間の子供なんぞを育てようとしてるんだ?」
「それは・・・」
何故だろう・・・何故私は、あの赤子の為にこんな恥辱を味わってまで人間に媚び諂っているのだろうか?
それに食料など、この目の前の有象無象どもを血祭りにでも上げて強引に奪うこともできるはずだ。
だが、何故かそれはしたくない・・・
そんなことをしてまで手に入れた汚れた食料で、あの赤子を育てたくはなかったのだろう。
「私にもよくわからぬ・・・私はただ、あの子を死なせたくないだけなのだ・・・」
そして言いたいことを言い終えると、静かに眼を閉じて人間達の前に自らの頭を差し出す。
「さぁ・・・好きにしろ・・・」
その呟きに、私は薄い闇に染まった世界の中で男が高々と片手を振り上げた気配を捉えていた。

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