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第三話 「ε3遺跡(後)」

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sousakurobo

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 第二地球暦148年 5月28日 9時11分
 ε3遺跡目標球付近

 周辺を見回してみると、岩石を地面からくりぬいて海に沈めたような複雑な光景を眼にすることが出来る。
 その中を縫うように一隻の船が轍を残しながら進んでいた。
 艦首に立っているのはダイビングスーツを着込んで仁王立ちしているメリッサ。船の後ろには、レーダーなどの機器と前を見比べながら舵を握っているユトの姿。彼もダイビングスーツを着ている。
 寒さを感じる風が海面を波立たせる。空を見上げてみるなら、灰色の絵の具を流し込んだような不機嫌な空がある。
 約束を守るべく二人は潜水機を積み込んだ船でε3遺跡の目標球を目指していた。
 目標球とは名前から分かるだろうが、「目印」のことである。遠くからでも目立つように常に光を発しており、小型の気球程度の大きさがある。簡易型の灯台と言ってもよい。
 日時の変更に関する打ち合わせはしていなかったので、多少海が荒れてても来るはめになってしまった。
 ユトはレーダーと海図を見比べて、船を進ませていく。剣のように鋭くとがった岩が並ぶこの海域。船底を擦らないように、ぶつからないように、丁寧な操縦が光る。
 腕を組んで地平線の彼方を睨んでいたメリッサだったが、くるりと反転すると操縦席に向かって歩いていって、ユトと一緒に画面を覗き込んで情報を確認する。

 「そろそろじゃない。目標球はどこにあるの? 前来た時はここら辺に浮いてた気がするんだけど」
 「うーん………ひょっとして落とされたかもしれないね」
 「誰によ」
 「さぁ?」

 メリッサは困ったように顎に指を当てると、片足に体重を預けるようにして腰に手を置いて周辺を見遣る。別に目標球が無くてもデータから位置を割り出すことは可能だが、待ち合わせの場所が「目標球の前」だから、探さなくてはならない。
 その時だった。
 あの声が海に高らかと大音量で響いてきたのだ。

 『こんにちは。待ちくたびれたわよ』

 さっきのメリッサと全く同じ位置とポーズでメガホン片手にウィスティリアが登場した。
 銀色の髪の毛映える黒のダイビングスーツを着ていて、その後ろに見える助手も似たような色のスーツを着ている。エンジン音を響かせながら距離を詰めてくるウィスティリアの乗る船は、車で言うドリフトを決めながらユトとメリッサの船に横付けした。
 波が多少荒いため、船体と船体がごつんごつんと衝突しあう。それは今の心情を表しているような気がしないでもない。
 胸を張ったポーズで睨みあう二人。ダイビングスーツ越しに見える体型で勝負しているようでもある。
 ウィスティリアはメガホンの電源を切った。

 「てっきり怖気ついたかと思ったわ。よく来たわね」
 「売られたケンカは買うものが礼儀でしょ? さっさと始めるわよ!」

 余裕綽々のウィスティリアの態度が気に食わないのか、会話を短く終わらすと、船の奥に消えていく。ユトは船の錨を降ろすと、搭載CPUに船を任せて準備に入るべく同じように船の奥に歩いていった。
 ウィスティリアは暫く海を観察して、早足に船の奥の部屋に入っていった。
 潜水機の股間部分から乗り込むと、手前に配置されている操縦者の席に腰掛ける。補助者は後ろに乗り込むようになっている。その距離は相当近い上に全体的に狭い。潜水機の居住性は戦車並みに悪いのだ。それを解消するためにダイブスーツがあったりする。
 ユトはメインシステムを起動させた。機械的な稼働音が響き、周辺の様子がはっきりと操縦席内部に投影される。
 次に乗り込んできたメリッサは後ろの座席に座ると、潜水機各部の様子を確認していく。
 間接、電池、生命維持装置、メインタンク、スラスター、各種装備品。
 確認が終了したのを見計らって、船に装備されている機器を内部から操作すると、潜水機本体が持ち上げられて、船の一角に運ばれていく。9mほどの(脚部スラスターあわせると10m程)鉄の巨人は実は地上では役に立たなかったりするのだ。
 スイッチを押せば床が開閉して海に飛び込める。そんな時に通信が入ってくる。
 ノイズ混じりだった映像が鮮明なものになった。ウィスティリアだった。
 いたってまじめな顔で口を開く。

 「ルールはこう。高価な品を引き上げられた方の勝利。時間は今日一日中」
 「分かってる。そんなことよりちゃっちゃっと潜りたいんだけど?」
 「んっふふふ………せっかちなのねぇ」
 「気味悪い声で笑わないで」

 このまま喧嘩に突入するのではと危惧したユトであったが、口を挟むに挟めず、日本人のような苦笑いを浮かべながら潜水機の右手と左手を交互に握る作業を始めてみた。

 「せっかちなのは嫌われるわよ~?」
 「うっさい、いいから始めましょ」

 メリッサはニヤニヤ笑いを浮かべる相手に小さく舌を出すと通信を無理矢理切った。
 そしてユトの肩を軽く小突くと、自分の作業を始めるべく席に深く腰掛けて、かつて潜ったときに得た情報を反映させていく。
 ポンピリウスのメインカメラが微かに音を立てて左右に蠢く。
 ユトは、船の床を開ける安全装置を解除すると、操縦システムを再度確認する。

 「メリッサ、行こう」
 「いつでも」

 瞬時に床が開く。
 潜水機『ポンピリウス』―――オウムガイの名前を持つ巨体が、海に落ちた。





 海の中に音は存在しないも同然である。
 人間の性能の低い鼓膜では水中の微かな音を聴くことが難しいからである。
 でも、こうやって金属製の殻に包まれて海に居るときは話が違ってくる。海の音が機体に衝突することで、人間でも容易く音を聴けるようになる。
 波が砕ける音が聞こえていたのも少し前のこと。
 400mまで潜った二人の耳に入ってくるのはお互いの呼吸と潜水機本体の音程度。
 青い光も今は無く、ただ果ての無い暗闇が潜水機を包み込んで、背後から喰らわんとしているかのよう。
 頭を下にするようして腕と脚の位置を調整しながら潜っていく。
 脚部スラスターは今のところ必要ではない。潜水機本体の重量だけで深海に到達することが出来るのだから。
 潜水機の各部に取り付けられた照明装置が点灯すると、死を内包した海の中が照らされる。ここは既にヒトが来るべきではない世界。水という存在がヒトという存在を抹消しようと襲い掛かる沈黙の世界。
 深度が1000mを突破する。
 今のところ問題は無し。ガードロボも、機器の異常も、何も無い。
 その何も無さが逆に不安を誘うようで、ユトは額に浮かんできた汗を拭おうとする。でも汗なんてかいていないわけで、手の甲に水分がつくことは無かった。気合付けに腿をパムと叩いてみた。
 それから肩に装着されている新しい魚雷ランチャーと、使い慣れたブレードを確認する。
 武器の存在は人に安心をもたらすらしい。

 「酸素量が急激に減少していってる。これも前回と同じね」
 「うん、正しく死の世界……っていうのかな。塩分量はどう?」
 「低下してる………これもデータ通りね」

 深度、とうとう4000m域へ。
 十分安全潜航深度内だが、潜れば潜るほどに自分が水圧に押しつぶされて破裂する光景が脳裏に浮かび上がってくる。
 潜水機は潜水艦などと同様「鉄の棺桶」同然。心理的な圧迫感も同様である。
 ユトはスラスターを低出力で動かして状態を確かめると直ぐに停止させる。
 どちらかが唾を飲み込んだ。

 「メリッサ、ソナーを低出力で一回」
 「了解」

 独特な高音が一回海中に響く。照明だけでは全てを知ることが出来ないし、なにより節電になるからである。
 すると、画面上に複数の影が確認できる。形状から察するに魚類。潜水機に気がついたかのように遠くに逃げていていく。
 その影をじっくりとメリッサは検分する。万が一それが魚類の形態をとったガードロボだった場合、命に関わる事態になりかねない。ガードロボは次々と新種が発見されているため、油断は出来ない。
 深度、6000m。
 機体の各部がほんの僅かに動揺の軋みを上げる。
 頭部ライトを海底へと向けつつ、両手を大きく広げて減速する。光は海底を捉えてくれない。見えぬ第一目標地点を探す二人。潜水機の各部のセンサーが起動する。
 ごぽりと音を立てて気泡が機体の一箇所からはがれて水面へと向かっていった。
 深度、6200m付近。
 そこでセンサーとソナーを活発に使用して地形を探り始める。時間を無駄に消費するのはいいこととは言えないのだから。
 数十分の探索の末、ようやく二人はソレを発見した。
 海に走った巨大な亀裂の一箇所から顔を覗かせているモノ。遺跡の端っこである。50mにも及ぼうかという巨大な穴がポッカリと口を空けて鎮座している。
 脚部スラスターが耳障りな高音を発しながら本格的に稼働し始める。機体の上半身を上に向けると、海底に向かって両脚を向けてその場でぴたりと停止し、前のめりになるようにして目標に接近していく。
 縁に座り、中をライトで照らして見るが、奥まで光が届かない。
 海溝の側面に食い込んで海溝と同じ下に向かって伸びているらしい。
 他にも入り口があるらしいが、二人はここから入ることにした。




 潜水機を操る者に必要なものは「機眼」だという。
 行動、状況判断、取捨選択、戦闘、作業、行動限界時間、その全てを見極めて自分の成すべきことを完遂させる、能力。膨大な情報を処理して有益な情報を見つけ出す能力。訳すと「センス」とも言えるであろうか。
 その他にも必要なものがいくつかあるが、ここは割愛しておく。

 「はあああッ!」

 高周波振動ブレードが海中で凄まじい速度で振られるや否や、蛇のような形状のガードロボの一団がなぎ払われて破壊されて、木っ端微塵に砕けて部品を撒き散らす。
 続く突きで楕円形のガードロボを串刺し、更に同じガードロボが潜水機のパイルバンカーで粉砕して没せしむ。
 周辺の敵を一掃した彼女は、ブレードを構えたまま地面に両脚をつけた。
 ウィスティリアは、鋭利な頭部と刺々しいながらも鳥のくちばしを思わせる曲線が特徴的な潜水機「バルゴ」の中で小さく溜息をつくと、補助者が選別してくる情報に眼を通しつつ、自分が立っている巨大な空洞に視線を走らせた。
 地面の内部に装置を埋め込んで円の形に土を吸い出したような場所。ごちゃごちゃと機械類が打ち捨てられていて、小さなハッチが点在している。
 ブレードを肩に装着して、地面に落ちている機械の残骸を拾い上げた。
 コンピューターか何かの残骸らしい。滅茶苦茶に捻じ曲がっていて、錆が相当広がっている。ごそごそと探してみても高値で売れそうなものは見つからなかった。また溜息をつくとその一片を胸の収納スペースに放り込んだ。
 万が一高値で売れそうな宝が見つからなかった時の保険である。
 こんなモノは普段は売らないことが多い。

 「タナカ。もっと奥に行くけども、構わないかしら」
 「どうぞ」

 寡黙な日系人の男性であるタナカは囁くように一言。かちゃかちゃと小気味いい音を立ててキーボードをたたき始める。
 普段となんら変わらない様子が彼女を安心させる。
 ウィスティリアは席に座りなおし、潜水機で数歩前に歩くと、脚部の大型スラスターを使用して飛び上がる。地面から巻き上がる砂埃を尻目に、水を掻き分けて空間の頂上を目指す。

 「音波と熱源で感知。ガードロボ、来ます」
 「補助をお願い!」
 「了解」

 機械の用に冷え切った声が背後から聞こえてきて、敵の接近を知らせる。
 肩に装着されていたブレードが射出されたような速度でせり出し、それを潜水機の手が柄を握り締め、スラスターを利用して両脚を開き気味にしつつブレードをガードロボの方へと向けた。
 円状の空間に登場したのは、鮫のような形態の中型ガードロボ5体。
 そのガードロボの背面が開閉したかと思えば、魚雷のようなものを発射した。
 計10発。バルゴの強度で言うなら大破沈没レベルの威力。
 咄嗟にウィスティリアは叫んだ。

 「デコイ投射!」
 「了解」

 腰の部分の小さな球体が外れ、熱と音を出して水中に漂い始める。
 数発はそれに引き寄せられるも、大半は真っ直ぐバルゴの機体を狙って直進してくる。脚部スラスターが限界まで出力を上げると、回避に入った。
 機体をぐるりと一回転。真下に向かって落下かくやという速度で沈んでいく。
 デコイに惑わされた魚雷が壁面に突っ込んで爆発する。
 魚雷の速度は大したことが無い。その代わりなのかやたらと弾頭が大きく、威力を重視していることが良く分かった。
 地面にバルゴの脚部が食い込む。上から降り注ぐ魚雷をメインカメラが睨みつけると、肩部が開いて魚雷が発射された。迎撃しようというのだ。
 爆発。
 それでも二発が爆発の余波を潜り抜けてきている。バルゴ、跳躍。地面に皹が入るほどの跳躍、そして脚部スラスターから供給される推進力を利用して魚雷へと自ら向かって行く。
 斜めに構えたブレード。ふいに、全身を利用して進路をずらす。ハイルバンカーから手を離すと、いつの間にか握っていた予備用のナイフを投擲した。
 魚雷の一発に命中。もう一発の進路がずれるのを確認するよりも早く、ブレードで真正面から叩き斬った。爆発。ブレードが弾かれて地面へと沈んでいく。
 二本目の予備用ナイフを右手に構え、鮫型のガードロボに一気に肉薄せんとする。

 「出力を最大に!」
 「了解」

 鮫型ガードロボは魚雷を使うには近すぎると判断したらしく、大きく口を開けて襲い掛かってくる。
 がちんッ。閉じられる口を身を逸らすように回避すれば、ナイフを頭部と思しき箇所に突き刺して停止させ、胴体を足場として蹴っ飛ばす。
 のんびりとした動きながら、水中では規格外の速度。
 尾を叩きつけんとしてくるのを身を丸めるようにして避け、逆にその尾にナイフを突き立ててやる。機械だから痛みは感じない。それでも、苦痛にも似た音を立てた。
 ナイフを逆手に持ち変える。
 頭部のライトが口を大きく開けて突っ込んでくる鮫型ガードロボの姿を捉えた。

 「教科書通りな上に味方との連携も取れないなんて、下品よ?」

 挑発成分を含んだ言葉を吐けば、ナイフを相手に翳す。
 スラスターを使って水中の一点で静止。突っ込んでくる鮫を睨みつける。
 とんっ。ダンスのステップのように身を捩って鮫の噛みつきを間一髪でかわし、その頭部にナイフを突き立て完全に沈黙させる。電流が水中に一瞬色を咲かせて消えた。
 残る三匹のガードロボは作戦なんて知らないとばかりに突撃してきた。
 鮫三匹の津波を冷めた目で見遣るウィスティリア。ナイフを普通の持ち方に変え、その場から少しだけ地面の方に後退する。
 口から気泡を出しながら突撃してきた一匹が、バルゴの腕を引きちぎらんと鼻先を突っ込ませる。
 瞬間、地面に沈んでいたブレードが飛び上がると、潜水機のバルゴの手に収まっていた。
 一閃。上顎を切断された一匹はオイルを垂れ流しながら沈んでいった。

 「持ち物にはワイヤーをつけるのが常識でしょう?」

 パイルバンカーも手元に戻ってくる。
 ブレードの横を持つと、もう一匹の口の中にタイミングを計って押し込んでつっかえ棒とする。もう一匹の突進を最大威力のパイルバンカーの一撃で粉々に砕き、ブレードで口を閉じられない鮫型ガードロボの頭部にパイルバンカーの銃口をぴたりと付けた。
 きゅぃーん。パイルバンカー、リロード完了の高音が響く。
 ウィスティリアは問答無用とばかりに引き金を引いた。
 鉄が穿たれ、鮫型ガードロボは大穴をつけたまま地面へと沈んでいった。

 「鮫型だからって噛み付きと魚雷だけなんて安直すぎるわ。レーザー照射くらいはやるべきだと思うのよね」
 「ご冗談を」
 「冗談は言わないわよ、多分」

 などと会話をしながら、機体の異常を確かめる。
 何も起こっていないことを確認。
 すぐさま先ほど倒したガードロボの方に近寄っていく。
 残骸の様子を確かめると、ナイフを突き立てて表面の金属を剥いでいく。欠片を丸めると胸部に収めて、更に内部にライトを当てて様子を見る。高値で売れそうだ。ナイフを内部に慎重に差し入れると、動力部と思しきパーツを回収した。
 ふとナイフを見てみると、刃が欠けて曲がっていた。強化カーボン製で高周波振動機能つきとは言えこれ以上は使用できまい。ナイフを地面に置くと、円状空間の出口を探し始める。
 深度8000mのこの場所よりも下に行くべきかを考え、数秒で決断する。

 「潜ります。準備はいいわね」
 「はい」

 電子音のような冷淡な返事に満足げに頷くと、円状空間のハッチの一つに近寄る。
 胸部からプラズマカッターを取り出すと、ぐっと押し当てて切断しようと試みる。
 暫くの後にハッチは切断されて潜水機が楽に通れるほどの口を空けた。
 内部を覗き込むと、今度は身を乗り出して上を確認して、下を見る。
 何も無かった。
 シャフトとか、エレベーターとか、そんなことに使っていたのだろうか。もしかしてパイプラインかもしれない。
 今だ行った事が無い未知の領域と知っていながらも彼女と彼の表情は変わらない。
 ブレードを肩に装着し、パイルバンカーを構えながらハッチの奥に入る。脚部のスラスターで減速しながら、下へ下へと。
 どこまでも続くと錯覚させるような暗闇の中を降りていく。
 道中も警戒は緩めず、それでいてパイプ?の壁面に視線を向けて、そこが何かをさぐろうとする。
 スラスターの稼働する音がどことなく頼もしく思えた。
 その時―――遺跡全体が地震にでもあったかのように猛烈な震動を見せた。
 水中にいるというだけあって直接は感じられなかったが、視覚とセンサーが振動を感知した。揺れは降下していくにつれてドンドンと大きくなっていき、突然ピタリと止まった。
 ウィスティリアはごくりと唾を飲み込んだ。
 次の瞬間、バルゴは「落下」し始めた。
 否、真上から膨大な量の海水が、とんでもない速度で「送られて」いるのだ。
 実は遺跡は生きている箇所が存在する。ガードロボもその一つ。主が存在しないというのに、遺跡自体を維持管理するための機構がどこかに存在しており、いまだに稼働し続けているという。
 その中の一つに、入ってしまっていたらしい。
 座席から浮きそうになる体を押さえつけ、咄嗟に右腕に装備されているワイヤーシューターを上に放った。ばしゅ、という音を立てて爪付きのワイヤーが射出され、自分が下りるときにくぐったハッチの縁に食い込む。
 ブレーキをかけても止まらない。機体はワイヤーという命綱をつけたまま、下へ下へと叩きつけられたかのような速度で流されていく。
 ワイヤーの長さの限界がきた。ワイヤーシューターの部品のいくつかが弾け飛び、支える力と流そうとする力が拮抗状態に陥る。

 「くぅ…………ッ」

 ウィスティリアは思わず歯を食いしばった。
 上から流れてくる海水の奔流に、機体はおもちゃのように煽られ、右に左に暴れまわってしまう。
 脚部スラスターを限界まで吹かしているにも関わらず、機体は一向に上に持ち上がらない。ワイヤーがぎしりぎしりと嫌な音を立て始めた。
 思わず下を見てみると、猛獣のような、それこそ鮫の胃袋に直結しているかのような暗黒が広がっていて。
 後部座席のタナカもスラスターの出力や機体稼働部の出力を上げてはいるのだが、どうしようもない。金魚が荒れ狂う大河を遡れないのと一緒。暴風の前の蝶が上手く飛べないのと一緒。

 「出力最大! 背面部スラスターも使いなさい! 急いで!」
 「了解」

 帰還するときのみに使用する背面の強力なスラスターが唸りを上げて水を吸い込んで吐き出し始める。
 一瞬機体が持ち上がったが、それもやがて意味を成さなくなる。
 今バルゴを支えているのは小さな一本のワイヤーだけということになる。
 下に流されてみるのも一つの手かもしれないという考えが脳裏によぎる。
 だがそれを否定したのは自分。ワイヤーを射出したのも本能が「死ぬぞ」と警告を与えてきたから。
 遺跡に稼働しているモノの力は計り知れない。そんなモノがある先に流されていって、無事でしたで済むわけがない。先にあるのは発電機か、生産施設か、どちらにしろハッチで閉鎖してあったのだから、ホイホイ入っていい場所ではない。

 「ワイヤーが切れます」
 「分かってる………分かってる!」

 こんな時にも表情一つ、声色一つ変えないタナカが憎らしく感じた。
 右腕にあるワイヤーシューターに左腕を添えて固定し、必死に思考を巡らせる。
 表情が歪んでいるのは仕方が無いこと。

 「ブレードと両方の担架システム切り離して!」
 「了解」

 両肩にあった担架システムの一部が弾け飛び、下へと流されて一瞬で消える。ブレードも木の葉のように揺られながら暗闇に没していった。
 重量を軽くしても、上がることが出来ない。最後の有効な武装のパイルバンカーを一瞥すると、これも下に投棄してしまう。命の方が大切なのだから。
 両手でワイヤーをしっかりと握る。それでも、ワイヤーそのものが耐え切れなくなってきているのか、徐々に伸びてきてしまっている。
 上に登ろうと壁を蹴ってワイヤーを手繰り寄せるが、潜水機の手ではどうしようもない。ワイヤーシューターの巻き取り装置も動いてくれない。潜水機を垂直に持ち上げることが出来ても、水で下に押されている状態では不可能なのだ。負荷が大きすぎる。
 脚部スラスターと背面部スラスターを全開にしても上にいけない。
 支えのワイヤーもあと10秒と持つまい。
 ウィスティリアは手を上に挙げると、後ろに傾けさせる。その手をタナカが軽く握った。

 「ごめんなさい」
 「こちらこそごめんなさい」

 油断から生じたミスで二人が死ぬ。ウィスティリアの湿った声に、タナカは優しい色を孕んだ声で応じると、握った手を軽く引いて、更に強く握った。
 轟々と響く水の音が悪魔の呼び声にも聞こえた。
 ワイヤーは更に伸びていく。
 そして、ついに限界が訪れた。

 「きゃあああああ!!」

 ワイヤーが火花を上げて断絶。
 潜水機の巨大な影は弾丸のような速度で下に流され始めて。
 深度表示が霞むほどに速く。
 軽量化のためといってワイヤーシューターを片方しか装備していなかった自分が嫌になった。

 衝撃。



 「諦めてどうすんのよ! バカ!!」

 次に飛び込んできた言葉は、自分が死ぬ音でも、天国か地獄の門を叩く音でもなかった。
 それは、聞きなれた女性の甲高く強い声だった。
 上から二本のワイヤーが降ってきたかと思うと、奔流に下へと運ばれていた機体の一部に突き刺さるように引っ付き、その場で停止させる。
 「上から」気泡が流れてきてバルゴの表面で弾けた。
 眼を開けてみれば、両腕を突き出してハッチの奥からこちらを見ているポンピリウスのメインカメラがあった。
 続いてノイズ混じりの映像が映って、顔を真っ赤にして怒っているメリッサが居た。
 メリッサは自分の仕事も忘れて大声を張り上げる。

 「いつものアンタはどこに行ったのよ!? 勝負しかけておいて勝手に死ぬつもり!?」
 「……………」

 二本のワイヤーを射出したポンピリウスの腕のワイヤーシューターが唸りを上げる。そろりそろり、とバルゴの刺々しい巨体が上に持ち上がり始めた。
 遺跡の血管とでも言えそうなパイプの中、流される側と救う側が居る。
 一つ間違えば死ぬ深海という環境の中。両方とも、死ぬかもしれないということには変わりない。
 ユトは機体を極力パイプの中に入れないように腕を操作して、ワイヤーを巻き戻す。苦しい音を立ててワイヤーシューターが機体を持ち上げようとする。
 呆然としていたウィスティリアは、滲んでいた涙を拭うと、映像のメリッサを見つめる。
 そして数秒後、いつものウィスティリアが戻ってきた。
 映像に向かって不敵に笑って見せると、通信を切る。壁に脚を食い込ませると、更に手を壁に食い込ませるようにして上に登ろうとする。

 「訂正します」

 タナカが言った。

 「ごめんなさいというつもりはこれっぽっちもありません」
 「黙って仕事なさい」

 返事をするウィスティリアの顔はどこか楽しげだった。

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