創作発表板 ロボット物SS総合スレ まとめ@wiki 第12話

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HARU×haru

眼鏡を専用の布で丹念に拭きながら、女性はモニター越しに一人の少女を観察している。
その目は冷ややかに少女の姿を映しており、どんな事を考えているのかは伺い知る事は出来ない。

数秒前。モニターの中の少女は、胸元で少年を抱きしめながら迫りくるトラックの前にしゃがんでいた。
このままでは、少年もろとも少女の命はトラックに潰されてしまう。想像するに堪えない惨劇が訪れる、その刹那。

トラックの前面を、まるで少女と少年を護る様に、巨大なシャボン玉の様な緑色の膜が包み込んだ。その膜は直ぐに、淡い光と化して消滅していく。
少年は勿論、少女もその命を費やされずに済んだ。眼鏡を拭き終わり耳に掛けると、何故か女性は嬉しそうに口の端々を釣り上げた。
羽織っている白衣の懐から、今風のデザインである携帯電話を取り出す。元から電話番号が入力されていたのだろうか、取り出すと真っ先に通話ボタンを押した。

しばらくすると、何者かが通話に応じてきた。女性は耳元に携帯電話を近づけて、その人物へと気さくに話し掛けた。

「おっはー、遥ちゃん。朝一にこんな電話掛けてごめんね。でも分かるよね。電話掛けた理由」


                            ―――――――××××××―――――――
                             
通りすがった少年をトラックから救い出した後、遥は彼方と共に自宅へと帰ってきた。
彼方は現場、というかあそこに残って警察が来るまで待った方が良いかな? と聞いてきたが遥は良いよ、別にと答える。
常識的に考えて、目撃者として残っていた方が良いとは思う。思うが、正直色々と面倒くさい事になりそうなので早々に退散しておく。
あの男の子と女の子が小学校に向かっている事を願おう。無事に。ついでに、警察とかに会わない様に。

家に帰ってきて早々、母が散歩にしては長かったわね、と聞いてきた。
それに対して遥は色々あったんだよ~色々。と、極めて自然、ヘラヘラとした笑顔でのらりくらりとかわす。

彼方にあの事は秘密、といった旨のアイコンタクトを送る。
彼方は凄く小さく頷くと、うん、色々あったんだよね~、と中睦まじく誤魔化す。実を言うと、涙の跡というか遥が助かった際に激しく泣いた為、目がかなり充血している。
その事がバレて言及されないかと、遥も彼方もドキドキしていたが、母は若干納得がいかなそうな表情を浮かべながらも、やれやれといった調子で。

「早く朝ご飯食べちゃいなさい、冷めちゃうから」

と言ってくれて、それ以上言及してこなかった。聞くだけ無駄だと思っているのかもしれない。
それはそれで傷つくは傷つくが、しつこく何があったかと聞かれるよりかはずっとマシだ。
母の反応に、姉妹は心からホッとして朝食の席へと座る。礼儀として、朝食に、そして朝食の元となった食材に、いただきますの挨拶を行う。

「それじゃあ、いただきます」
「いただきます」

「いっただっきまーす!」

普通のテンションで、いただきますと言う母と彼方。
二人に反して、やけに明るいテンションの遥に、母は珍しそうな、不思議そうな顔付きになって聞いてきた。

「なんか妙に機嫌良いわね。いつもは淡々としてるのに」
「だってだって、久しぶりのご飯だよ? そりゃテンション上がるよ。上がりまくりだよ」

そう答えながら、遥は意気揚々と手元の箸を手に取る。偉く久しぶりに、我が屋の朝食を食べる気がする。たった一日二日抜かしただけなのに。
目の前の皿の上で、自らの存在をこれでもかと自己主張している、半熟型な目玉焼きの黄身の中へと差し込む。
箸を入れた途端、どろりと黄身が、旨そうな玉子独特の香りを漂わせながら零れる。遥はそんな匂いに思わずよだれが出そうになるのを堪える。
逸る食欲を自制させて、少しづつ不器用に切り離す。切り離した半身を更に細かく切って、切った分をゆっくりと持ち上げて、口の中へと、入れる。

口の中に入れた瞬間、正に出来立てホカホカである事を示す嬉しい温かさと共に、芳醇でコッテリとした美味しさが中に溢れてきた。
遥の頬は緩む。ひたすら、緩む。これほど、目玉焼きが美味しい食べ物だとは思わなかった。今はこのコッテリとした、濃すぎる位の味付けが堪らなく、旨すぎる。
一々ちびちびと切り離して食べるのが我慢できなくなり、遥はそのまま豪快に、残りの半身を持ちあげて一気に口の中へと突っ込んだ

「そんな行儀の悪い食べ方しちゃダメよ、遥」

遥のお世辞にも良いとは言えない食べ方を見、母が注意してきた。
しかし、目玉焼きが旨すぎて遥の耳に母の声は届かない。頬を膨らませてムシャムシャと夢中になって食べる。行儀の悪さを正す様子は一切無い。
目玉焼きを十二分に堪能した次は、肉を食らう。目玉焼きの横でちょこんと、控え目に存在感を放っているウインナー二本を一緒に持ち上げて、二本同時に、食べる。

噛めば噛むほどに、凝縮されたウインナーの旨み、引き締まったジューシーな香ばしさと、胸やけしそうな油っぽさが遥を至高に誘う。
いつもなら脂っぽくて一本食べれれば良い方なウインナーが、今日だと何本でも食べれそうな気がする。しかしさっきから母の眼が凄く痛いのでおかわりは止めておく。
目玉焼きとウインナーを遥はあっという間に平らげてしまった。皿は只の皿へと変わっており、そこにあるの何も乗っていないという、寂しき空白だけ。
次に食べる物、食べる物は無いか……そんな食い意地全開で、遥は視線を漂わせる。すると主食として二枚程、丁度良い塩梅で焼かれている、食パンの乗った皿を見つける。
あまりにも目玉焼き&ウインナーが魅力的過ぎて全く眼中に入っていなかった。がっつく様にその皿を手元へと寄せる。

「お姉ちゃん……もうちょっと落ち着いて食べてよ。朝ご飯は逃げないから……みっともないよ」

彼方の言葉が胸にズバッと突き刺さり、遥は急に我に帰る。あまりにも美味しそうな食事が目の間にあったせいで、一時的に理性が飛んでいた。完全に。
呆れかえっている母と彼方の視線に、遥は申し訳無さから心も体も小さくなり、穴を掘って埋まりたい気分になる。
バスケットの中に入っているバターナイフと、小さいなパック式のジャムを手に取り、食パンを一枚、今度は落ち着いてゆったりとジャムを塗る。

それにしても……朝食がこんなにも美味しく感じた事なんて今まであっただろうか。いや、無い。
普段の何気ない習慣としてしか、それでいて特に意識する事無く、朝食を食べてきた。本当に、淡々と。
けれど今は違う。母親が丹精込めて朝ご飯を作ってくれる。この事が今の遥にはとてつもなく嬉しく、それでいて掛け替えの無い、貴重な事だと思える。

……多分、他の世界に行ってしまった一条さんは、こういう食事を取れているのだろうか?
一条さんは今でもきっと、師匠を探し続けて別の次元の、別の世界を周っている。そう……きっと、今でもあの怪物の様な連中と戦っている。
そう思うと、遥の胸は締め付けられる様に苦しくなり、さっきまで楽しくジャムを塗っていたバターナイフを持つ手が止まる。
遥の中で非常に旺盛で活発だった食欲が、見る見る間に削がれていく。顔が自然に俯く。

「急に食欲落ちたわね……。急いで食べたからお腹痛くなったんでしょ? 全く……」

母は遥の食事のペースが落ちた事を腹痛と決めて更に呆れかえる。一方、横に座っている彼方は、心配そうな表情で遥を覗きこむ。
違う、そんなんじゃない。……と、遥は何か反論しようとしたが、言葉が特に思い浮かばない為、謙虚にもジャムを塗ったパンを少しづつ口の中へと運んでいく。
一人で馬鹿みたいに騒いでいた様で、遥は強烈な自己嫌悪に陥る。恥ずかしい。恥ずかしいし、はしたないし、みっともない。
あまりに空腹状態だと、人のテンションというのは猛烈におかしくなるようだ。遥は一つ、自己体験から学んだ。

「ねぇ……お姉ちゃん」

母に聞かれない位のボソボソとした小声で、彼方が呼び掛けてきた。

「何?」

同じボリュームの小声で遥が返事すると、彼方は呼び掛けた理由を話し出す。

「家に警察とか来ないかな……一応電話は掛けたけど、家に帰って来ちゃったし……」
「多分大丈夫だよ。あの運転手の人、寝ぼけてて私の顔も男の子の顔も全然分かってないと思うし」
「そうかな……まぁ、お姉ちゃんがそう言うなら大丈夫……かな」

彼方は正直、姉のこの返答に、激しく不安を覚える。不安を覚える物の、姉が大丈夫というなら大丈夫なのだろう。多分。
遥自身、彼方への返答に自信があるかと言えば、彼方には悪いと思うが無い。全く無い。しかしあの運転手は遥の顔も、それに少年の顔も見えていなかったとは思う。
多分ここ一帯で目撃者を探して警察が聞きに来るとは思うが、特に知らないと答えれば良いとは思う。

それにしても……遥は数分前を思い返す。
まさかあんな土壇場で失っていた記憶と同時に、感覚共有ごと。戻ってくるとは思いもしなかった。

あの時は頭の中が真っ白で細かい事は何も覚えていない。
しかし、自分の中でも説明できない、訳の分からない自信というか、全く根拠も確証も無い自信が、馬鹿みたいに沸き上がってきた事だけは覚えてる。

すると頭痛の代わりにうっすらと、記憶が蘇って来たのだ。
もう一人の自分、一条遥という限りなく非現実的な存在と出会った事。それに伴う、非日常で非現実的としか言いようの無い、数多の出来事の、全てが。
気付けば感覚共有を取り返して、遥はトラックを止めていた。少年を救いたい。何が何でも、救いたい。そう思うなら自分の力を信じなきゃと思った、末の奇跡だった。

食パン二枚を綺麗に食べ終わって、遥はごちそうさまでしたと、随分声のトーンを落として朝食に感謝し、自分が食べた分の皿を持ち出して朝食の席を外す、
自分が食べた分は自分で片付けるという、幼き頃から教え込まれた作法に基づいて皿洗いを行う。蛇口を捻ると、ひんやりとした水の冷たさに一瞬怯む。
洗う分は皿と、牛乳が入っていたカップだけだ。直ぐに終わらそうとした手前。

「隣、良い?」

遥に続いて、朝食を食べ終わった彼方が何時の間にか隣に立って、そう聞いてきた。
断る理由は全く無いので、遥は頷いて答える。既に皿は洗い終わっている為、掛けてあるタオルを取って隅々まで拭く。
と、彼方が皿を洗いつつ、遥に話しかけてきた。遥は無論、応じる。

「お姉ちゃん、この後どうする? 出かけるんだよね?」
「この後……そうだったね。でも何処行く?」
「そうだね~……」

遥も彼方も、それ以上言葉が出てこない。何処に行こうか、という至極単純な、直ぐに答えが出てくる筈の質問に答えを見出せない。

今の彼方の思考では、正直、他の事を考えていて遥と何処に出かけようかという方向に集中できない。一体他にどんな事を考えているかというと。
遥は、姉はあの時、あんな速さで突っ込んできたトラックからどうやって助かったのか。その事が気になりすぎて姉と何処に出かけようかがまるで浮かんでこない。
あの距離、そしてトラックのスピードからして、明らかに間に合いそうに無かった。だから彼方はあの時本気で覚悟した。姉と、そして姉が守ろうとした少年の最後を。

しかし、二人とも、姉も少年も助かった。助かって、いた。それどころか、トラックすら無傷の状態だった。

あの時には二人とも助かって、姉も少年も無事で本当に良かったと思った。しかし時間が経過して落ち着いてくると、何とも腑に落ちない。いや、全然腑に落ちない。
姉はこの事は秘密にしておこうと言ったが、もしかしたら……もしかしたら自分が恐怖のあまりに目を閉じていた際、姉は何か凄い事をしていたのかもしれない。
トラックを急停止させるほどの凄い事を。超能力? 体術? 秘められた能力的な? だからこそ、秘密にしておいてほしいと、そう言ったのかもしれない。
そう考えてみると、彼方は思う。私は凄く……凄く、勿体無い事をしたのかもしれないと、不謹慎だと思いながらも心からそう思う。
この先何時になるか……何時になるかは分からない。分からないが何時か絶対に聞いてみようと、遥は思う。あの時、姉が一体何をしたのかを、と。

一方の姉、こと遥が何を考えているかと言えば、遥は迷っている。非常に迷っている。

出かけようと最初、誘ったは良いが、あんな事――――――――感覚共有を使ってしまった手前、能天気に彼方を誘う気には正直ならない。
あの時しれっと、警察を呼ぶ様にだけ言っておけばよかったかもしれない。何であの時、秘密ね、なんて格好付けたのか遥は自分で自分を責める。
あの時の彼方は両手で両目を覆っていた為、感覚共有を使った瞬間を見られる事は無かった。それは良い。

けれどきっと彼方はどう、トラックから自分と少年を守ったのかと、聞いてくると思う。
寧ろ、どうやったらあんな状況から無傷でいられるのか、彼方じゃなくてもどんな人だって不思議に思うだろう。冷静に考えて。遥が彼方の立場だったらそうする。絶対そうする。
どうしよう……本当にどうしようと、遥は悩む。奇跡? あの時は奇跡が起こったのと言えば良いの? 神が降りてきて救ってくれたみたいな。

駄目だ、そんな馬鹿みたいな与太話をしてどうなる。そんなよく分からない理由で納得してくれる程、彼方は単純じゃない。その事は姉である自分が一番よく知っている。
ハ、ハンドパワー……ハンドパワーが発現したんだよー……? こう、超能力的な事が起こった……尚更駄目。
一番楽になれる方法は、感覚共有の事を正直に話す事。けど、正直に話してもいいのだろうかと。何となく人知を超えているし、この能力。
遥自身がよく分からない凄い能力としか説明できないのに。一体どうするべきか……やっぱりここは、外に出かけて何となくなぁなぁで、あの出来事を忘れる事にするべきだろう。
けど、何処に出かける? 特に行きたい所はぶっちゃけて、無い。本当にぼんやりと、彼方の行きたい場所ならどこでも良かったから。

妹は考えを纏めて、改めて姉に言おうと思う。出かけようと。

姉は迷いに迷って、改めて妹に言おうと思う。出かけようと。


「「あのさ」」


声の波長もテンポも、音色すら完璧に重なる。二人の声なのに一人の声にしか聞こえない奇跡的なユニゾン。
このユニゾンに、遥も彼方も言い淀む。もしかしたら、どっちも思っている事が一緒なのかもしれない。だからこそ、こんなユニゾンが起こったのかもと。

「な……何、彼方? 彼方から先に言っていいよ」
「う、ううん。お姉ちゃんから先にどうぞ」
「いやいや、ここは妹優先だよ。どうぞどうぞ」
「え~、そんな遠慮しないでよお姉ちゃん。お姉ちゃんが先に言ってよ」
「いやいやいや、ここは妹を優先するのが姉としての」
「だからお姉」

ゴッホン、と渋く唸る様な咳払い。姉妹は恐る恐る、その咳払いの主へと顔を向ける。

「どうでも良いけど、そこ退いてくれる?」

某漫才トリオの如く、謙遜し合う姉妹の会話を鋭く制する、重い母の一言。その一言の重さに、姉妹はすごすごと台所から掃ける為に動きだす。
そそくさと彼方は皿を全て洗い終わって、遥から借りたタオルで拭き終わると遥と共に後ろに下がる
小さく溜息交じり、母は自分の食べた分の皿を洗いつつ、何となくお叱りでも受けるつもりか、後ろに立っている遥と彼方へと、振り向かずに言った。

「暇ならちょっと買い物行ってくれるかな? 何処にも出かける予定が無いみたいだし」

母の言葉に、遥と彼方は顔を見合わせる。悩んでいた答えに、こうもズバッと正解が導き出されるとは思わなかった。
行く場所が決まらず出かけられないのなら、出かけるべき目的を見出せばよかったのだ。言うなればその一例としての、お使いである。
正に渡りに船というべきか。否、ここは困った時に母頼りというべきか。

「どうせ何もする事無いんでしょ? だったら良い機会じゃ」


「うん、行ってくる。ね、彼方」
「うん。行こ、お姉ちゃん」

最初から買い物に買い物に出かける事が決まっていたかの様に快く返事した姉妹に、母は思わず振り向き、目を丸くする。
少し薄気味悪く感じない事も無いが、買い物に出かけてくれるのならそれに越した事は無い。
それに、遥も彼方も無性にニコニコとしていて、率先して買い物に行きたそうにしている。これなら頼んだこちらも本望だ。
引き留める理由は何も無い。頭の片隅で、彼方はともかく遥は病院から退院して直ぐだし、行きたがらなくても仕方が無いかな、と思っていた故、嬉しい誤算でもある。

「じゃ、着替えてこよっか」
「そうだね」

互いに頷きあって、遥と彼方は台所を後にし。自室へと向かう。
そんな二人をやれやれ……世話の掛かる子達だと思いながらも、内心微笑ましい気分で母は見送る。
さて、買い物リストとその分の金銭を用意しなければ。



「それじゃ、行ってきます」
「気を付けてね」

母からお使い代として金銭を預かり、各々の私服へと着替え、遥と彼方は近くのスーパーへと出発する。
玄関のドアを開けると、雨が降るほどの悪天候でもないが、快晴とも言えない、微妙に薄暗い灰色模様の雲が空を一面覆っている。
雨が降らないかな……そう不安になりつつも、遥は愛用している自転車を取り出す為に、自宅横の、父が私的に使用しているガレージへと向かう。

……そう言えば、と彼方に振り向くと、彼方は申し訳無さそうな表情を浮かべている。何故、彼方がこんな表情を見せているかというと。

「彼方……そういや、アンタの自転車」
「うん。寮というか、学校の方に……」

実を言うと、彼方が使用している自転車は、彼方が通っている学校、もとい、学校近くの寮に交通手段として置いてある。
だから家にあるのは、遥が常時使用している自転車一台しかない。そうなると普通に考えて、二人でスーパーに行くとするなら、徒歩とするしかない。
二人とも年齢的にまだ自動車には乗れないし、第一乗り方も分からないし。そんな訳で、彼方は遥に歩いていこうかと提案した手前。

「仕方ないね。じゃあ、彼方」

遥は何故か、彼方の前に自転車を置いた。そしてスタンドを足で撥ね退けて跨る。彼方が遥の言葉に首を傾げていると。

「今日だけ特別だよ」

遥は悪戯っぽい笑顔を浮かべつつ、彼方に言った。


「今日だけ特別に、悪い事しようよ。彼方」


                            ―――――――××××××―――――――


長年の月日の中、雨にも打たれ雪にも降られていき、寂びれてしまった石段を青年は一段一段しっかりと昇る。
青年の足は、最近ご無沙汰であった、石段を昇った先にある神社へと向かっている最中だ。

守屋神社。青年、安田俊明にとっては昔馴染みの神社であり、ある種憩いの場であるこの神社は、とある少女と重要な事柄を論議する際に利用する場でもある。
昔は憩いの場、暇を持て余して持て余して仕方が無く、本当に何もする気が起きない時に来るような場所だった。しかし今では、そんなのんべんだらりと利用するスポットではなくなった。
今では何か緊急を要する事態が起こった時に必要となる、そんな重要なスポットとなっている。こんな風に印象が変化するとは、安田自身思いもしなかった。

最後の石段を上がると、鮮やかな赤色はどんよりと色褪せリ、過ぎ去る時の残酷さを証明する様に、所々剥げている鳥居が見えた。
その鳥居を抜けた先には、石段の様に長き年月の果て、すぐにでもリフォームの必要を感じずにはいられない、木造建築の本堂が見えた。
そんな本堂で、安田を待ち構えていた様に。縁側に座っていた少女が立ち上がった。
ポニーテールに結ってある、淡い水色の髪の毛が揺れる。非常に白く透き通った肌や、まるで人形の様に整った、幼い顔立ち。

どこか浮世離れした雰囲気を醸し出している、待ち構えていたその少女は、立ち上がると同時に急いで、安田の元へと駆け出してきた。
丁度良い距離で立ち止まり、息を切らしながら少女は、安田を見上げつつ声を掛けてきた。

「お久しぶりです、ヤスっちさん」
「久しぶりって程でもないけどな。まぁ久しぶり、シュタムファータァ」

安田に名を呼ばれた少女、シュタムファータァ、並びに紫蘇というもう一つの名を持つこの少女は、安田と共に長期に渡り、セカイを脅かす存在に抗い続けている。
安田と紫蘇が何故、そんな途方も無い戦いに挑まねばならなくなったのかは、また別の話。安田と紫蘇は時折、この守屋神社に集まる事がある。
理由は、先程から説明してはいるが、世界を脅かす存在が出現した場合やそれに準ずる事態が起きた場合、どう対処し立ち向かうかの作戦を立てるためだ。。
過去を振り返ると、ここで様々な作戦やアイディア、またはドラマが生まれたのだが、それもまた、別の話。

「それでヤスっちさん……あの、怪我とか大丈夫……ですか?」

紫蘇が心から心配そうに尋ねると、安田はあっけらかんとした口調で明るく答える。

「心配ねえよ。見て分かると思うけど、包帯とか湿布とか別に巻いてないだろ? 一日じっくり寝れたぜ。飽きる位」
「そうですか……良かったです、ホントに。病院に運ばれたって聞いた時はどうしようかと……」

紫蘇が安田をこうして心配しているのには、ある事故の存在がある。
その事故とは、今、何処の新聞社も一大スクープとして躍起になって取り上げている、この町の名物……であった、巨大ショッピングモールで起こった事故の事だ。
原因はまるで不明だが、大規模な範囲で被害を出したその事故に、安田は巻きこまれていた「様だ」。
何故「様だ」と強調しているかというと、これが誠に奇妙な事だが――――――――安田には事故に巻き込まれた記憶が全く無い。

安田は自分がその事故に巻き込まれている事を、病院に運ばれて初めて気付いた。それと、咽び泣く家族の反応から。
この事態に一番驚いているのは誰であろう、安田自身である。何故なら安田には事故以前に、そのショッピングモールに出かけた記憶すらないからだ。

最初こそ安田は恐怖と混乱を感じた。一寸でも、事故の後遺症が深すぎて重い記憶喪失にでもなったのかと絶望しかけた。

だが、今の安田は正直。正直、馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しいと思いながらも、この記憶喪失についてこう考えている。
意図的に記憶を消されたと。何者かが何らかの手段を用いて、事故そのものの記憶を消しやがった、と。

そうでもなければ、こんな綺麗に一部分の記憶を喪失する訳が無い。そんな結論に至る経緯だが……これもまた、奇妙というか、馬鹿馬鹿しいというか。
入院中に、看護婦同士の噂話から盗み聞いた話だが……自分と同じ様に、あの事故に遭った人間は皆、事故の記憶を綺麗さっぱり無くしているのだとか。
これには本気で驚いた。驚いたし、一体周囲で何が起きているのかとベッドの中でガタガタ震えていた。恥ずかしながら。けど冷静に我に帰って見ると、こんな滅茶苦茶な事があり得るのかと思う。
自分のみならず、大多数の人が一緒に記憶を無くす? 明らかに不自然だ。作為的な物しか感じない。

しかし、奇妙な出来事はこの一斉記憶喪失だけには留まらなかった。退院してから直ぐに、安田は紫蘇へと電話を掛けた。

紫蘇は予想通り、偉い勢いで泣き出した。こりゃいかんと慰めつつ、安田は紫蘇から近況を聞く。特に変わった事は無かったらしく……そう、思いたかった。
紫蘇は電話を切る最後に、思い出したようにある事を安田に打ち明けた。その事に安田は、震えた。まさかと思い何度も聞き返したが、紫蘇は本当の事だと言って譲らなかった。
今回、安田が紫蘇を守屋神社に呼び出したのは、その話を真偽を確かめる為である。一息吐き、安田は紫蘇にゆっくりと、話を切り出す。

「俺の事はともかく……シュタムファータァ。あの電話での話……本当なのか?」

安田が切り出してきたその質問に、紫蘇はこくんと、深く頷く。
頷いて、自分でも信じられないのだろうか、それとも話すのを迷っているのだろうか、安田から目を伏せる様に俯くと、少しだけ声のトーンを落とす。


「本当です。私自身も、信じられないんですけど……」
「本当……なんだな? 俺が事故に巻き込まれた同日から記憶が無いって」
「はい……。気付いたらベッドで寝てたんです。それで携帯の着信音に起こされたと思ったら、ヤスっちさんが病院にって」
「そうか……」

全く事故に関係の無い紫蘇までもが、安田と同じ様に記憶を無くしていた。それも、あの事故から今に至るまでの一日を完全に。
安田が気付けば病院に運ばれていたのと同じ様に、紫蘇は自宅のベッドの上で目を覚ました。しかし紫蘇自身にはベッドに向かうどころか、寝ようとした記憶すら無いという。
紫蘇は安田と同じく、自身に降りかかってきたこの事態に大きく取り乱した。
けれど、日常的な動作は殆ど行える上に安田を始めとした、顔馴染みの人々の事を忘れてはいなかったのでホッとした。その後安田が病院に運ばれたと聞いて大泣きしたのだが。

だが安心する気分にはまず、なれない。紫蘇にとってこの問題、非常に由々しき問題である。
明らかにおかしい。おかしいし、何も腑に落ちない、訳が分からない。とにかく、解決の糸口が切実に欲しい。

安田の様に予期せぬ事故に巻き込まれた、とかならともかく。ここ数日、平穏な日常を送っており、戦いも何もしていない。のに紫蘇は記憶を無くしている。
可能性の一つとして、敵対しているセカイの意思が、新たな罠を仕掛けてきたのかと思った。だけど……それなら、そうと一日だけ記憶を消すなんてせせこましい事を彼らがするだろうか?
彼らなら完全に記憶喪失にさせる、というえげつない方法をとってくるだろうし、何より今までのケースから考えて、こんなまどろっこしい手を使わずに直接襲ってくる筈だ。
一体……どういう事なんだろうか。この一時的な、というより、一日だけの記憶喪失は……。

「なぁ、シュタムファータァ。もしかしてこれって、奴らが仕掛けてきた新手の罠じゃないのか?」

安田がそう言うと、紫蘇は首を横に振り、やんわりと否定する。その考えは真っ先に浮かんだが、先ず、あり得ない。

「私も最初そう思ったんです。でも、あの人達なら今までの例を考えて、もっと直接的な方法で攻めに来ると思います。
 それに……」
「それに?」

紫蘇は一旦口籠る。口籠るというより、しっかりとした論理付けも無いままに、持論を披露する事に対して不安を抱いている様だ。
そんな迷いを見せる紫蘇に、安田は安心させる為か、頭を軽く撫でつつ、目線を同じ高さにして、優しい口調で語りかける。

「オロオロするなよ、シュタムファータァ。俺はお前の考えを、頭ごなしに否定も非難もしない。何だって聞き入れる」
「すみません、けど自信が無くて……もし間違ってたらどうしようと思うと……」
「何でもいいから話してみろって。今はとにかくお前の考えを聞きたい」

安田にそう語り掛けられて、紫蘇は俯いていた顔をそっと、上げる。
いつも心強く感じているが、今日の安田の顔付きがそんないつも以上に心強く、そして大人っぽく見える。それでいて……格好良くも、見える。
心の中が妙に熱くなって、というか凄く恥ずかしくなって、紫蘇は安田から一歩、離れる。何でこんなに照れ臭いんだろうと、紫蘇自身不思議に思う。

仄かに頬が赤くなっている顔を安田から隠しつつ、紫蘇は凛として背筋を伸ばして身体ごと振り向く。
そしてまっすぐに、安田を見据えて紫蘇は持論を展開する。

「それに、これがあの人達の罠だとしても、私とヤスっちさんだけでなく、あの事故に遭った不特定多数の人達の記憶を消す理由が分からないんです。
 後、あの人達にとってあそこを狙う理由も何一つ無い、セカイに関わると思える要因は、何一つありません。
 記憶を消すのなら、私とヤスっちさん、それと範囲を広げるのなら、私達の周囲の人達の記憶を消そうとする筈ですから……」
「つまり単純に言えば、この件に奴らは、セカイの意思はまるで関係無い、って事か?」
「そういう事です。この事態にセカイの意思は絡んでいないと思います。全く別の意思が……動いているのかなと」


紫蘇が持論を披露し終わった、その時。本堂からわざとらしくい、大きな拍手が聞こえてきた。それも、不規則なリズムで。
すぐさま安田も紫蘇も何事かと、臨戦態勢を取る。……全く、気付かなかった。その存在が現われた事に全く、気付かなかった。
拍手を派手に鳴らしている、その人物は、本堂の柱からひっそりと姿を現した。

「上出来上出来~。そこまで気付けたなら、もうハナマル二重丸あげちゃう」

見るからに尊大な態度で、人物は悠々と、本堂から降りてきて二人の元へと歩いてくる。羽織っている白衣の両ポケットに、両手を突っ込んで。
服装自体は、丈の長い白衣を羽織っている位で目立つ部分が無い。だが、全身から漂うオーラは明らかに只者ではない。
薄い紫色のフレームが目に付く、特徴的な眼鏡を掛けたその人物……否、その女性は、薄ら笑いを浮かべて、安田と紫蘇の前で立ち止まった。

「二人とも元気そうで何より。医療の進歩に感謝して欲しい所ね」

安田にハッキリとした警戒心を抱いているにも関わらず、女性に怯む様子は全く無い。
安田の後方に隠れながらも、何か起きた場合、すぐさま本来の姿に変身、リーゼ化しようとしている紫蘇だが、何だか妙な物を感じる。
警戒してはいるが、女性からは殺意も敵意も、言うなれば闘争心すらも感じない。寧ろ……寧ろ、何だろうか。何と言えば良いのか。

「……何者だ、アンタ」

紫蘇に語りかけていた優しい様子から一転、険しく突き刺す様にドスの聞いた声で、安田が女性にそう聞いた。
しかし、安田の事が眼中に入っていないかの様に、女性は大欠伸して眠たいのか眼鏡越しに目を擦っている。
こっちは至極シリアスに問い詰めているのに、まるで緊張感の無い女性の態度に安田は調子が狂う。
目を擦りながらも、女性は平坦な声で安田に問いかける。

「何者だ……ねぇ。逆に聞くけど私って何者だと思う?」
「質問に……質問で返すな」
「そりゃあそうだ」

女性は苦笑する。茶化しているのか、それとも小馬鹿にしているのか。そんな女性の態度に、安田は段々イライラしてくる。
だが逆に、こうして敢えてふざける事でこちらの油断を誘っているのかもしれないと思う。ならば気を緩ませてはならない。
目力を強くし睨む事で、安田は女性のペースに飲まれないよう抵抗する。しかし悲しきかな、特に効果は無い様だ。
ニヤニヤと女性は薄ら笑いしているだけで、安田に屈する様子も無ければ、自分の身分を明かす様子も無い。

それにしても一体何者なのか……安田は何が起きても良い様に心構えしつつ、突如として現れた女性を注視する。
上から下まで特に変わった部分は無く、それでいて武器や凶器を持っている様子も無い。というか薄々気づいていたが、攻撃してくる様な意思は正直見られない。
それが逆に不気味なのだ。はっきりと敵意なり殺意なりを向けてくるなら、それに応じた対応をするだけなのだが……。

しかしだ。この沸き上がる様な違和感、異様な雰囲気は何だ? 一瞬、紫蘇の様な人間の姿をしているが、常軌を逸した存在かと思った。
だが、それならそれで紫蘇が異変に気づく。同じ種として。……そう言えば、紫蘇は?

気付けば紫蘇は、恐る恐る女性へと近づいている。

「迂闊に近づくな! シュタムファー」

と、声を上げる安田に対し、紫蘇は大丈夫といったサインか、片手を上げる。
上げつつ、女性に向かって、質問した。

「……あの、一つ聞いても良いですか?」

女性は無言で紫蘇へと顔を向ける。喉を鳴らして緊張しながらも、紫蘇は女性に、聞いた。

「貴方は私達の敵ですか? それとも……味方、ですか?」




頬をくすぐる生温かい風に、何となくモヤモヤとした気分になる。快晴ならば爽やかな風が吹いてきそうなのだが。

彼方を後ろに乗せて、遥は自転車を目的地であるスーパーへと向かい、疾走する。
両足にぐっと力を込めて、全力でペダルを回す。渾身の力を振るい、必死に漕ぎ続ける。
いつもは一人乗り、というか一人で乗っている為、スラスラと漕いでいける。しかし今は、彼方の体重が加重されている故に負担が半端無い。

けれど、不快な重さじゃない。寧ろ、心地の良い疲労感すら感じる。
こんな風に、妹を後ろに乗せて二人乗りなんて何十年ぶりだろうか。思い出せない位、久しぶりな気がする。
たまに警官が通らないかと冷や冷やする物の、日頃の行いが良い為かパトカーが通る様子は無い。

「大丈夫? お姉ちゃん」

遥の腰部に両腕を深く交差させて座っている彼方が、流れても流れても止まる事の無い汗を掻いてペダルを漕ぐ遥を気遣う。
想像していたよりもずっと、疲労感が半端じゃない。けれどどうにか笑顔で、明らかに無理している笑顔を振りまきながら、遥は顔を僅かに振り向かせて彼方に答える。

「だいじょうぶ……。これ……くらいなら……鍛えてるから……」
「明らかに無理してるよね……? やっぱり降りようか? 私」
「大丈夫大丈夫!」

と、汗掻きまくりの暑苦しい笑顔を浮かべている遥を見、やはり彼方には無理を、やせ我慢をしている様に見える。
だけどここで自転車を降りて、二人乗りを止めさせたら、姉のプライドに傷を付ける事になる。そう思い、彼方はそのまま乗り続ける事にする。
それにしても……彼方は目の前の姉の、遥の背中を眺めていて思う。小さいは小さいのだが、何だかこうして見る姉の背中はとても広く、それでいて大きく感じる。
こうしてピッタリと密着して二人乗りをしていると、まだ小さかった頃……妹として、ベタベタに甘えていた頃を思い出して、彼方は少し恥ずかしくなる。

「あのさ……彼方。覚えてる?」

ふと、遥がこちらに顔を向けつつ、話しかけてきた。
覚えてる……とはなんだろうか? と、小さく首を捻りつつ、彼方は遥に応える。

「覚えてるって……何を?」
「昔……ずっと昔、ちっちゃかった頃だよ。二人乗りに誘ったら彼方、凄い嫌がったよね」
「そんな事あったっけ……?」
「あったよ。怖いからやだって、凄い泣いたんだから。確か……小学三年生だった頃」


遥のその言葉に、彼方の中でひっそりと眠っていた、ある過去の記憶が少しづつ蘇ってくる。

その過去は遥も、そして勿論彼方もまだまだ幼かった小学生だった頃。厳密には、遥は小学四年生で、彼方は小学三年生だった頃まで遡る。
遥は夏休みに、自宅から結構離れた所にある河川敷へと、彼方を誘った。自転車で三十分も掛かる、小学生にとっては結構ハードな遠出である。
何故、そんなサイクリングをしようと考えたのかまでは残念ながら思い出せない。

遥と彼方は苦労してどうにか、河川敷に辿り付いた。そこで鬼ごっこをしたり、持ってきた紙飛行機を飛ばしたりして、彼方と日が暮れるまで遊び惚けた。
遥は帰る前に、彼方に二人乗りしてみないかと誘った。多分夏休みでも無ければこんな所に来れないという事で、思い出を作る為に。
しかしその頃の彼方は、ようやく自転車に乗れる様になっており、一人で乗っている時でさえ不安定な状態であった。河川敷に来るまで遥に何度助けられた事か。

そんな事だから、彼方は二人で自転車に乗るなんて絶対に無理だと思っていた。
まだ自分でハンドルを握れて、ブレーキを掛けて咄嗟に制動出来る一人乗りの方が安心できる。
ブレーキも何も無く、支えが自分の腕しか無い二人乗りなんて無理、絶対に無理だと、彼方はひたすら拒む。そんな彼方を遥はひたすら説得する。

「絶対怖くないよ! 大丈夫だって彼方!」
「やだやだ! もし転んだら凄く痛そうだもん! 絶対やだよ!」
「絶対転ばないから! 私を信じてよ彼方!」
「やだ! 怖いのは怖いの!」

そんな風に彼方はひたすら駄々を捏ねた。別に姉の事が嫌いだから、なんて意地悪な意思は全く無い。
本気で怖がっていたのだ。ある種、自らの生存本能に従って素直に行動しているとも言える。

それでも諦めず遥は、数十分以上、説得し続けた。口も頭も回らなくなる位、説得した。
その甲斐もあって、彼方はもしも、もしも怖いと感じたら呼び掛けるから、そしたらすぐに走るのを止めるという条件の元、二人乗りを承諾した。
ビクビクドキドキしながらも、遥の後ろに乗り、ガッシリと腰元を両腕で組んで背中にくっつき、彼方は目を深く閉じる。
走り出すと、彼方が目を閉じている事が分かり、遥は呆れ気味に言う。

「目を閉じたら意味無いよ、彼方……ちゃんと目、開けないと」
「怖いもん。怖いだもん」

遥に呆れられても、苦笑されても、彼方は断固として目を開けようとしない。
二人乗っている為か、自転車は結構揺れており、その度に彼方は身体を強張らせてギュッと目を強く瞑る。
とにかく早く降ろしてほしい……もう、限界。そう思い、ギブアップしようと彼方は遥に声を掛けようとした、その時。

「見て見て、彼方。凄い綺麗だよ」

綺麗……? 綺麗って、何が綺麗なんだろう。
遥が発したその言葉に、彼方は恐怖よりも好奇心を煽られる。波打つ鼓動を抑えながら、深く閉じていた目を徐々に開け始める。
すると、遥は何故か右方、河川の方へと顔を向けていた。彼方もつられる様に、そちらへと視線を向け―――――――思わず、感嘆する。

落陽していく夕日が、茜色の空の中でぼんやりと滲んでいる。空と夕日は一つの調和を作りだしており、とにかく、美しい。
夕日に向かって飛んでいくカラス達の姿が、淡い黒色を描いて小さくなっていき、儚げに消えていく。
さっきまでの、澄みきって健やかだった青空と太陽が、今では切なげで情緒的な夕空と夕日を見せてくれる。その変わり様の、何と鮮やかな事か。

彼方の中では、この遥と一緒に見た夕日の美しさは、今までの人生の中で一番、記憶に残る景色となっている。
どれだけ壮大で綺麗な景色にこの先出会えたとしても、この時の景色に勝る物は無い。それほど衝撃的で、それでいて感激した景色だった。
しかしそれ以降、遥も、そして彼方も各々の事情で忙しくなり、家族で過ごす事はあっても、姉妹で一緒に過ごす事は殆ど無くなってしまった。
そして河川敷に行く事も無くなってしまった……。


「思いだした?」

昔の事を思い出し、ちょっぴり感傷に浸っていた彼方に、遥はニヤニヤとした、意地悪な笑みを浮かべてそう聞いてきた。
姉にとっては、あの時の思い出、あの日見た夕日よりも、怖がっていた彼方が印象的だったのだろうか。あんなに綺麗だった夕日が、記憶に残っていなかったのだろうか。
……まぁ、あの時は私が馬鹿みたいに騒いでたから仕方ないかなと寂しく思いながら、彼方は対抗する様に元気な声で反論する。

「あの時は自転車に乗り始めて間もなかったからね。お姉ちゃんが意地悪だったんだよ、あの時は」
「意地悪って酷い事言うなー。折角サイクリングの思い出作りって事で、仲良く二人乗りしたかったんだよ?」
「凄く強引だったよ、あの時のお姉ちゃん。ホントに信じられない位」
「あれは彼方がビックリする位ビビってたからだよ。何であんなに怖がってたの? って位怖がってたし」
「だってお姉ちゃん、凄く荒々しく自転車乗ってたし……怖がるなって方が無理だよ」

もうすぐ目的地であるスーパーが見えてきた。しかしいざ行かんとした時に。
その前の信号機が赤く光っている故、足止めを食らう。
漕いでいた足を止め、遥はつかの間の小休止を取る。すると、遥は振り向くと彼方に言った。

「あの時見た夕日、すっごく綺麗だったね」

「えっ……」

てっきり、遥が夕陽の事を忘れていると思っていた彼方は、遥がそう言ってきた事に軽く驚く。
二人乗りに怯えていた事をまた茶化してくるのかと思い、あくまで遊びの口喧嘩に付き合おうと思っていた。
遥は過去を懐かしむ様な口調と共に、思い出を共有出来る事に対する嬉しさを、抑えきれない様な笑みを浮かべている。

「ホントはね……あの時、普通に自転車から降りて、夕日を見ても良いかな、とは思ってたの。
 だけど何かのドラマ……タイトルは思い出せないんだけど、そのドラマの中で主人公の姉妹が、二人乗りで夕陽を見てるシーンが凄くジーンときたんだ。
 だから彼方とこういう事したいなぁ、って考えて……って訳」
「……じゃあ、誘ってきたのは意地悪とかじゃなくて」
「うん。あそこで見る夕日、とっても綺麗だから一緒に見たいなって思って。
 あの時はごめんね。無理矢理誘っちゃって……ううん、ちゃんと理由を言えば良かったんね。彼方の事を考えないで……」

そう言って謝罪する遥に、彼方は首を大きく横に振る。
「そんな事無いよ。あの日見た夕日、お姉ちゃんが言う通り凄く……凄く、綺麗だった。今でもはっきり思い出せるよ」
「私も。私もあの日見た夕日は、ハッキリ覚えてる。絶対忘れない。これからも、ずっと」

信号が赤から青へと変わる。
止まっていた人が、車が動き出す。彼方は甘える様に、遥の背中に寄りそった。
昔の、まだ甘えん坊だった頃の様に、姉の背中にくっ付く。
姉の背中は温かくて優しくて、それでいて―――――――広く、大きく、思えた。

「また……また何時か、あの河川敷に行こうね。お姉ちゃん」
「うん。落ち着いた休みが出来たら、必ず行こう」
「約束だよ、お姉ちゃん」


                            ―――――――××××××―――――――

「貴方は私達の敵ですか? それとも……味方、ですか?」


紫蘇から投げかけられた、どんな答えが出ようと、確実に空気が変わるであろう質問。
そんな質問に、女性は表情を崩さない。只、無表情のまま安田と紫蘇に目を向けているだけだ。
やはりこの女……敵か? 戦わねばならない相手か? という危惧を、安田は内心抱き始めている。

このもしかしたら、という予想はなるたけ外れてほしい。只でさえ病み上がりなのに戦闘なんて、とてもじゃないがやってられない。
しかしだ。もしもその予感が当たっているとしたらどうする? どうするべきだ?
それもこの女が紫蘇ではなく自分を狙ってきたら……そう考えると、安田は軽く武者震いしてきた。

もし、自分ではなく紫蘇がターゲットだった場合は……考えるまでも無い。好みを呈してでも、紫蘇を守る。何としてもだ。
もし紫蘇を失う事になれば、それはこのセカイを失うこととほぼ同義だ。絶対にそれだけは避けなければならない。例えどれだけ、傷ついたとしても。
両手を固く握り拳にする。もう覚悟は決まった。さぁ……どう動く? 女。

安田が覚悟を決めて答えを待っていると、女性は何故か両目を閉じた。
一体何のつもりなのか、安田には分からない。降伏でもするつもりか? それとも……?

「敵か……味方かと言えば」

目を閉じたまま、女性は静かに口を開き、答える。
さっきまでの、安田と紫蘇を茶化し、小馬鹿にしていた様な、軽薄な声とはまるで違う。
実に真剣さが伝わってくる、研ぎ澄まされた声で。

「今は敵ではない、とだけ言っておこうかしら。だけどあくまで今は、よ。
 この先までは分からない。もしかしたら貴方達とは主義主張を違えるかもしれない」

敵ではない? ハッキリと味方とも、そして敵とも言わなかった事に、安田は怪訝な表情を浮かべる。

「……どういう意味だ」

安田が女性の発言の真意を探る為、再びドスの効いた声でそう聞いた。言っている言葉の意味自体は分かる。
意味は分かるが、その裏の真意はどこにあるのか。その言葉だけでは、正直言って信用に価しない。まだ、敵、味方とハッキリ言ってくれた方がすっきりする。
非常に曖昧な返事。味方でも無いが、敵である、という事でも無い。本当にどっちなのか。
というか、ここは普通に考えて味方と言っておいた方がいいのではないかと、安田は冷静に思う。

「一先ず、戦う意思は無いという事で良いんですね?」

紫蘇も安田と同じく、煮え切らない様な感情を抱きながらも、女性にそう聞いた。
それにしても、どうして一々この女性は、挑発する様な態度を取るのだろうかと、紫蘇は不思議で仕方が無い。
もしかしたら試しているのだろうか。私達を、私とヤスっちさんを。
疑わしき、というか、怪しいと思った者に後先を考えず、攻撃を仕掛ける迂闊な輩ではないか確かめているのだろうかと。

女性は口元に、あの神経を逆なでする様な薄笑いを再び作りだす。
次の瞬間、女性は眼を開くと共に、予想外の言葉を言い放った。

「まず、紫蘇ちゃんは合格。警戒しつつも、私の事を冷静に見出そうとするその姿勢、二重丸。
 安田俊明君。君は……三角かな。紫蘇ちゃんの事を護ろうと警戒するのは良いけど、そんな風に敵意剥き出しなのは感心しないな」

安田と紫蘇の顔に驚きの色が浮かぶ。二人とも目が点になっている。

何故、俺の名前を? いや、それ以前に何故紫蘇の……シュタムファータァの名前を知っているんだ?
もしや俺達の事を知っているのか、この女は? 
いや……フルネームと、シュタムファータァに授けたもう一つの名前を知っている時点で、この女は俺達の事を知っている。間違い無く。

となると、恐らく紫蘇が人間でない事も、そしてセカイの意思と戦っている事も知っているのか?
だとすればこの女……。安田の額から一筋の汗が伝って、落ちる。予想外の方向に、事態が傾いている。
一種の混乱状態に陥っている安田に対して、紫蘇は驚いたは驚いたが、思ったより冷静な顔付きである。一先ず、女性から敵対心や殺意を感じない事に安堵する。
しかし油断は出来ない。自分達の事を知っているという事は、それ即ち、ある程度の情報を握られているという事だ。少なくとも、シュタムファータァの正体程度の事は。
女性は安田と紫蘇から嫌疑の視線をじっと向けられているにも拘らず、淡々とした様子で割とトンデモない事を話す。

「貴方達の事は大体知ってるのよ。名前から家族構成、その素姓の大体をね。あ、プライベートに関わる事は知らないから安心して。
 ただ、紫蘇ちゃん。貴方の正体は知ってる。一体何と戦ってて、何の為に戦っているかも分かってる」

やはりこの女はおかしい。どうしてこうも堂々と、突拍子の無い不気味な事を言えるんだ、この女は。
例え敵でなかったとしても、お前の事を知っていると言われて何とも思わない奴なんていない。逆に疑いが深くなるだけだ。
何時頃からこの女に監視されていたかは分からない。いやいやそれ以前に。それ以前にこの女、本当に何者なんだ?

安田の頭の中で嵐が渦巻く。様々な謎という名の嵐が激しく渦巻いて、暴風雨を巻き起こしている。
何故この女は、俺達の事を知っている? 一体何の目的で、俺達にこうして近づいてきた? そもそも何者なんだ、アンタは。
爆発しそうな感情をどうにか、無理やりにでもセーブしつつ、安田はボソッと、呟いた。

「訳……分かんねぇ」

両手が自然に握り拳を作る。それでいて、思いっきり力が入る。
怒りたい訳でもないが、悲しい訳でも無い。ただただ、気持ちが悪い。どこにもぶつけようの無いモヤモヤとした物を、安田は抱えている。

全く知らない内に素性を探られていた事に、気付く事が出来なかった自分自身への失望心かもしれない。
あるいは、シュタムファータァの事が探られていたというのに、気付けなかった自分自身への憤怒かもしれない。
どうしようもなく、安田の顔は苦虫を潰した様な顔になる。今でも噴出しそうになる、あらゆる感情に蓋をして平静を保つ。
平静を保ちながら、揺れ動いている感情を悟られない様、出来る限り平坦で、無感情を装った声で安田は女性に聞く。

「俺達の事を……監視してたのか? 俺達の生活を、戦いを」

安田の問いに。女性は安田へと体を向けて、まっすぐに視線を向けていた。
ゾクリとする程、氷のように冷たい目付き。女性のその無機質な目付きに、安田の背筋は僅かに凍る。
女性はその目付きと同じ様に無機質な口調で、答える。

「監視なんて趣味の悪い事はしてないわよ。けど、貴方達の事を知る必要があった」
「何の為にですか?」

鋭く、紫蘇が疑問を切りこんできた。先程まで静かに話を聞いていたが、どうしても聞きたい事がある様だ。

紫蘇は女性と出会った時からずっと、奇妙な違和感を感じている。
不思議な事に、紫蘇は初対面な筈なのに、女性と初めて会った気がしない。正真正銘初対面な筈なのだが、どこかで……どこかで、会っている気がしてならない。
だが、記憶を幾ら紐解いといてみても、会った覚えが無い。会った覚えが無いのに、会った気がする。何なんだろうか、これは。

その時、紫蘇の中でとある可能性がふわりと浮かんでくる。それは、空白となった一日の記憶。
あくまで推測、推測の域を出ないが……もしかしたらヤスっちさんや私、そして事故に巻き込まれた人達の記憶が無いのは……。
流石にそれは無いんじゃないかと、もう一人の自分が否定する。だが、考えてもみよう。

ヤスっちさんと記憶についての論議をしていた時に、女性はまるで待ちかねた様なタイミングで現れた。
あまりにもその登場の仕方が衝撃的過ぎてすっかり忘れていたが、どう考えてもあのタイミングで現れるのは……そうだ。
この女性は確実に空白の記憶について知っている。知っているからこそ、こうして私達の前に現れたとしか考えられない。

すぐにでも紫蘇はその事について突き止めたい思いに駆られる。だが、同時に何故女性が自分達の素性を知っているのかも気になる。
どうする……どっちを優先するべきか……。数秒ほど思慮を巡らせた末に、紫蘇は一先ず堪える事にする。空白の記憶については、後でじっくり問い詰めれば良い。
女性は空を仰いで一息吐くと、静かに口を開く。

「遠まわしに説明したって仕方が無いし、単刀直入に言わせてもらうわ」

女性は安田と、紫蘇。二人の顔を交互に見る。
そして声のトーンを変える事無く、言い放った。

「何時か訪れる戦いに於いて、貴方達の事をスカウトすべきか下調べしてたの。
 貴方達がちゃんと戦えるのか、一定のレベルに達しているかを知るためにね」

「訪れる……」
「……戦い?」

呆気に取られたのか、とぼけた様子でそう呟く安田と紫蘇。女性は構わず、話し続ける。

「まず、どこから説明すれば良いのかしらね。……そうね、イルミナスっていう、凄く悪い奴らがいるの。
 色んなロボットを操って、人類を掌握しようとする、トンデモなく悪い奴らが」

いきなり何言ってるんだ? 思わず反射的に、安田はそう言いそうになる、が。
紫蘇がこちらにアイコンタクトを送っている。その目は疑うよりもまずは、話を聞いてみましょう、と提案している様に見える。
本気か? と訝しげに視線を返すが、紫蘇は本気の様だ。真摯で純粋な瞳で安田を見つめながら、小さく首を縦に振る。
しょうがねえな……と、急に冷め醒めとした気持ちになりながらも、安田は女性の話を聞く。

「イルミナスはどんな手段を用いたのかは分からない。分からないけど、多元に広がる並行世界や、異なる次元を歪ませる兵器―――――――。
 正式名称、空間消去型時空兵器。通称、『門』と呼ばれる兵器を作りだして、あろう事か未完成の状態にも拘らず、発動させたの」

「それで?」

一応相槌を打つものの、安田は真面目に聞く気を持たない。

「結果は間抜けな事に大失敗。イルミナス自身も制御できなくなっちゃって、『門』は暴走。
 私が居た世界……にのみならず、様々な世界が『門』の暴走に巻き込まれて、次元も時空も関係無しの、言うなればミキサー状態になっちゃった。
 グチャグチャでドロドロな。それでいて『門』はまだ暴走中でね。ジワジワと、異なる世界同士を侵食させているわ。今、この瞬間にもね」

「へぇー」

段々話を聞いていく内に、安田はどんどん馬鹿馬鹿しくなってきた。素で、今まで真面目に付き合ってきた事が時間の無駄としか思えなくなっている。
もしかしたらこの人、重度の中二病でも拗らせてしまったのだろうかと哀れみたくなる。考えてみればこの恰好も、それに変な色の眼鏡も、全部コスプレに見えてきた。
只単に変な人に絡まれているんじゃないかとすら、思えてくる。もう適当に話を切り上げて帰ろうと思う。真面目になればなるほど馬鹿みたいだ。

「よく分からないけど大変そうな事になってんだな。はいお疲れ。俺達帰るから、後はチラシの裏にでも書いててくれ」
「もしかして私の事、中二病患者だと思ってる? それも治し様もない重度の」
「そうじゃなかったら何なんだ。今の小学生でももうちょっとマシな話を考え付くぞ」
「今話した事は全部本当の話よ。それでいて私は中二病患者でも無きゃ、邪気眼持ちでも無いわよ」
「じゃあ何なんだよ」


「絶世の美女かしら?」

さぁー……とした、肌寒い風が女性と安田の間を通り過ぎた。急激に温度が下がった気がして、鳥肌が立ちそうになる。
ぷふっ、と、紫蘇が堪え切れなかった様に小さく噴き出した。一体何処に笑う要素がー!? と安田は驚愕する。
張り詰めてシリアス一色であった空気が一気に緩み、女性は何を考えているのか、自分でも惚れ惚れと言った感じで言う。

「やだ……私の美女オーラに、思わず世界が停止しちゃったみたい」
「もう帰れ、今すぐ帰れ。めんどくさいのを通り越して怖いんだよ、アンタ。関わりたくない」
「まぁまぁ~、そう冷たくしないでよ、と・し・あ・き」
「いきなり馴れ馴れしいっつうかキモいぞ! 何だその呼び方!」

女性は安田の突っ込みも意に介さず、何処からか取り出した布で、掛けている眼鏡を外してマイペースに拭きだす。
ペースを乱される所か、完全に女性のペースに飲み込まれてしまった安田は、色んな事が馬鹿馬鹿しいを通り越してどうでもよくなってきた。
こうして空気を掌握するのが女性の狙いだとしても、それすらもどうでもよくなってしまった。こうなったらとことん、その中二妄想に付き合ってやろうと思う。

「あぁ、もう! もう分かったよ、負けだ。俺の負けだよ。幾らでも話に付き合ってやるからまず、アンタの事を隠さず教えろよ。
 只の変質者とか止してくれよ。そうやってふざけてるのは、ちゃんとした理由があるからだよな? な?」

最早ヤケクソ気味に安田は女性にそう問いかける。女性は眼鏡を掛け直して、安田と紫蘇に向き合う。

向き直った女性の顔も、雰囲気も、まるで一変――――――――油断も隙も無い、本来の姿へと戻っている。
女性が醸しだすオーラに、安田も紫蘇も息を飲む。と、同時に今までのふざけた態度は演技である事を瞬時に悟る。
一瞬で緩んでいた空気を変貌させて、女性は凛とした佇まいとなり、語りだす。

「流石に度が過ぎたわ……真面目に取り合ってくれてるのに、ふざけてごめんね。安田君、紫蘇ちゃん。
 改めて自己紹介。私の名前はマチコ・スネイル。もっと長い名前があるけど面倒だから略す。
 私の正体って程でも無いけど……仲間と一緒に、『門』を所有するイルミナス、それにイルミナスと協力してる輩を叩いてるの。ずっと前から」

「マチコ……スネイル」

安田は女性、スネイルの名を復唱する。恐る恐る、紫蘇はスネイルに質問する。

「あの、スネイルさん。質問しても良いですか?」
「どうぞどうぞ」
「スネイルさん達がこのセカイに来たのは……その、『門』と関係あるんですか? 『門』を使った悪党とかがこの世界に来たとか……」

スネイルは頷き、答える。

「大体正解。只、私の場合はその悪党を倒す他に、貴方達に会いに来たってのもあるわね」
「会いに来た……さっき言ってた、スカウトって事ですか」
「そういう事。こうして、私が貴方達に接触してきた理由は……」

スネイルはそこで一旦、目を閉じる。閉じて、ゆっくりと開けると、言った。


「安田君、紫蘇……ううん、シュタムファータァさん。二人の力を見込んでお願いするわ。
 私達の仲間に、なってくれる。このセカイの侵食に乗じて、侵攻してくるであろう輩に対抗する為に」

「輩って、イルミナスの事なのか?」

「イルミナスだけじゃない。『門』は世界だけでなく、色々な悪さえも混沌へと解き放ってしまった。
 何れ、この世界にも……いえ、もしかしたらもう既に、その悪はこのセカイに紛れこんでいるかもしれない。
 貴方達さえ良ければ、私達は貴方達の仲間として、セカイの意思のみならず、そういう悪を倒す為の手助けをしたいの。私達はどんな世界でも関係無く、悪を叩くのが使命だから」

「……もし。もし、断れば?」

安田の中で、その言葉は言っていいのだろうかと迷った。だが、正直本音でもある。
只でさえ、セカイの意思に苦戦しているのに、他の世界からの悪に対抗なんて出来るのだろうか……と言う。
スネイルの口元に笑み。しかし、その笑みは最初の対面の時の様な、此方を試す為の冷ややかな薄ら笑いでも、おちょくるような小馬鹿な笑いでもない。
先の見えぬ現実に対して惑いを隠せない若者を、優しく受け入れる、大人の笑みである。

「今すぐに決断しろ、なんて無茶は言わないから安心して。すぐに答えが出せる様な問題じゃないからね。
 じっくりと考えて考えて、それで自分なりの答えを出せば良いわ。シュタムファータァちゃんと一緒に。けど、刻一刻と世界が侵食されている事だけは、頭に留めておいてね」
「あぁ……分かった」

セカイの意思だけでなく、『門』を通じてやってくる悪党達と戦わなきゃならない……そう思うと、安田の肩はグッと重くなる。
気付かぬ内に訳の分からないほど大規模な事態に巻き込まれていた。こうなるともう、記憶喪失とかそんな事を気にしている場合じゃなくなってしまった。

けれど不思議に、後ろ向きな考えは浮かばない。今までもこんな風に、想像も出来ない出来事に出くわしてきても、シュタムファータァとなら乗り越えていけた。
ならきっと大丈夫。大丈夫な気がすると、安田は思う。紫蘇の方を見ると、ごく自然に目があった。同じ事を考えたのかもしれない。いや、きっとそうだと思う。

「それじゃあ伝えるべき事は大体伝えたかな……よし」

スネイルはそう言いながら何故か、ぶらつかせている両手を二人の前に大きく上げた。
安田と紫蘇に良く見える様に調整しつつ、親指と人差し指を合わせる。指でも鳴らすつもりだろうか。

「このまま立ち去るのはフェアじゃないから、騙してたお詫びと、最後まで話を聞いてくれたお礼に」

スネイルの動作に、安田と紫蘇が一緒に疑問符を頭に浮かべる。素直に、安田は疑問を口にする。
と、紫蘇はハッとして、忘れかけていたあの事を―――――――空白の記憶の事を聞こうとする。

「あ、あの、スネイルさん!」
「何する気だ? 手品でもすんのか?」


「よーくこの指を見ててね。今から」


「貴方達が失ってた記憶、元に戻してあげるから」



次の瞬間、スネイルが指を鳴らした音が、神社に響いた。


                            ―――――――××××××―――――――

スーパーへと到着した遥と彼方は、しばし姉妹仲良く水入らずで、買い物を堪能する。
様々な試食品コーナーを巡って舌鼓を打ったり、色々な食材の調理法について語り合ったり、懐かしの駄菓子に過去を馳せたりと。
特別でも何でもない、至って普通の日常的な行い。そんな普通である日常的な行いが、今の遥には新鮮に思える。

「ねぇねぇ、彼方」

買い物をどっさりと入れているカートを押している彼方に付き添いながら、遥は話しかける。
こうしてみると、身長差から遥と彼方は姉妹に見えない。何と言うか、彼方は母親で遥が娘の様だ。

「何? お姉ちゃん」
「あのさ……彼方は……」

少し言葉を溜めて、遥は彼方の顔を覗きこむ様に、言った。その様は本当に子供、娘の様だ。

「彼方は将来の事とか考えたり……する?」
「い、いきなり壮大な質問ぶつけて来たね……」

姉の口から出てきた突拍子の無い質問に、彼方は惑い、苦笑する。買い物の事とかそういう日常的な事かと思いきや、将来どうするのかとな。
質問してきた遥の口元は笑っている物の、目は笑っていない、真剣に彼方の答えを聞きたそうにしている。
こんな所でそういう質問する? と、意地悪な事を思いながら、彼方は遥に質問し返す。質問に質問で返すのはマナー違反だが。

「将来ねぇ……どうして急にそんな事が気になったの?」
「うーんとね……」

彼方が投げ掛けてきた疑問に、遥はどう答えようかと迷う。自分で質問しておいて迷うとはこれ如何に。
だが、彼方の疑問は最もだ。いきなり将来どうする? と聞かれても、大抵の人はは? と戸惑うだろう。

しかし、遥は妙に聞きたくなったのだ。最近彼方とはこうして、一緒に過ごす機会も、話す機会もあまり無かったから。
互いに夏休みとかの大きな休みになった時に話す事と言えば……会えた時は学校の事、部活の事、友達の事……等々。
そんな、言うなれば自分の周囲に関する話ばっかりで、将来とか、未来だとか……そういう、どこか答えが出てこなそうな、壮大な話は無意識に避けていた気がする。

まだ十代ではあるが、遥は年を取ってくるにつれて、色々な事を学んでいく代わりに、色々な物を失っていった気がする。
それは何でも純粋に受け止められる無邪気さだったり、一々人の事を疑ったりしない素直さだったリ、それに……途方も無く大きな夢、だったり。

「……何でだろう。ホントに何となく。何となく気になるの。彼方はどんなふうに未来を行きたいのかなって」
「何となくって……」

引き攣り気味に笑う、彼方。唐突にも程がある。

それにしても思い返してみると、ここ二日はずっと、姉に振り回されっぱなしである。
事故に遭ったと聞いて急いで帰ってくると、姉は無事ではあったものの事故の記憶を無くすというトンデモない事になっていた。
それだけならまだしも、姉は帰ってきて早々、謎の力でトラックを食い止めるわ、その事で警察とかどうしようかとハラハラするわで……。
ここまで姉に心身ともに、振り回された事は無かった。彼方は正直、疲れている。かなり、疲れている。

……けど、不愉快にも、不機嫌にもなっていない。寧ろ。
寧ろ、こうして予期せぬ事態とはいえ、久々に姉と一緒に居られる事が嬉しい。以前よりもずっと、姉との距離を縮めていると思う。。
そして彼方は一層、姉を、遥を大事にしようと誓う。色んな意味で見ていてドキドキハラハラするのだ。何かあっては遅いからしっかり支えてあげなきゃいけないと、心から彼方はそう思っている。
何をしでかすか分からないわ、何を考えてるかよく分からないわで世話の掛かる姉だが……それでも、セカイに二人といない、大切な姉だから。

「そうだね……取りあえず、お姉ちゃんを支えていける様な人になりたいな、私」
「いや、私は彼方がどうなりたいかを聞きたいんだよ? 私は私、彼方は彼方なんだから」
「だからそのままの答えだよ。お姉ちゃん、私が支えてないと見てて怖いんだもん。目を離したらどっか言っちゃいそうで」
「どういう意味よ、それ、もしかして私……姉としての威厳、無い?」
「今気付いたの?」

言ったなコイツ、と遥は彼方の頬を人差し指でつつく。いったいなー、なにすんだ、と言いながら彼方は笑った。
彼方が笑うと、遥もつられる様に、笑う。二人の笑い声は、まるで一人の声の様に綺麗に重なり合っている。
笑い疲れて、彼方は遥に、自分が聞かれた事を、逆に質問し返した。

「私は答えたから、次はお姉ちゃんの番。お姉ちゃんは将来、どうなりたいの?」
「私はねー……」

自分から投げかけておいて、遥はしばし、答えを出すのに時間を掛ける。じっくり考えている姉を、妹は見守る。

遥は思う。思えば、自分の将来について、ちゃんと考えた事があっただろうか。いや、ちゃんと明確なビジョン自体は浮かんでいる。
このまま最後まで、ちゃんとした成績と結果を残して高校を卒業し、それで名のある大学に通い、将来性のある会社に就職して。

……そう。……何も間違っていない。これが一番、今の日本で安定して生きていけるビジョンだ。間違ってない。
何も間違っていないけど、何だろう。この、ぽっかりと空いた大きな虚しさは。これで疑問を持たずに、生きていっても……。
生きていっても、楽しいのかな。気付いたら何も……無かったら。何も、残せなかったら。そんな一抹の不安が頭を過ぎった、その時。



神守さんの思う通りにすれば良いと思うよ。神守さんならきっと、進む方向に間違いは無いから。



――――――――あの時、あの時確かに聞いた、もう一人の自分の言葉が、頭の中で反芻した。

彼女は言った。思う通りに進めと。きっとその方向に、間違いは無いから、と。
遥は自らの考え方を改める。この先、どんな方向に進めば正解だとか正しいだとか……そんな物は用意されてない。
重要なのは、その方向に進んだ自分に、自信が持てるかだ。胸を張って、これが私の生き方だと、誇りを持てるかが重要なんだと、遥は思う。

もう一人の―――――――いや、一条さんがそういう生き方を貫いて、戦っている。
今も、私の知らない、別の世界で。一条さんには後ろめたさも、後悔も無かった。一条さんは誇っていた。戦っていく、己の人生に。

なら、私もそういう風に生きていこう。もう、自分に自信を無くさない。一条さんに胸を張れる、そんな人生を送ろう。
そんな生き方をしよう。そんな未来を描こう。それが一条さんへの――――――――約束を果たす事になる。

「お姉ちゃん?」
「あぁ、ごめん。私の将来はそうだね……後悔しない将来を生きる、かな」
「へぇ……お姉ちゃんらしく手堅い答えだね。もっとぶっ飛んだ事言うと思った」
「例えば?」
「背が伸びる様に、とか」

このやろー、と遥は彼方にじゃれようとした。



彼方の先に、見えた。嘘だと、思った。



ローブを羽織った、三つ編みの少女が、居た。背丈、手元に握っている杖、何より、周りと違う雰囲気。



間違いなく、彼女だ。そう――――――――もう一人の、私。