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地球防衛戦線ダイガスト 第十六話

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第十六話 包囲網

 薄暗い小部屋の床面から逆円錐状に明かりが立ち上っていた。
 光の中に像を結んでいるのは、豪奢なローブに身を包んだ初老の男性だ。背は高く、恰幅も良いが、しゃんと伸びた背筋は、経年による体重増加のみが横幅に影響した訳で無い事を物語る。長く伸ばしたブロンドの頭髪と、顔の下半分を覆う手入れのされた見事な髭、それに頭に頂いた略式の冠は、トランプのキングを現実世界に落とし込んだらこうなるか、という説得力を持っていた。
 しかしながら皺の合間に見える目の輝きは夜間の肉食獣もかくやというもので、彼らのお国柄を考えれば、まさに刃物のような光を湛えている。
 帝政ツルギスタンを一代で築き上げた皇帝、スレイヤード・フォン・シュヴェルトべルグ・キーン・ツルギスタンの威容であった。
「老いたか、ハンス」
 その声は太く、腹にずしりと届く。
 超空間通信の象の前にかしづいたハンス・グラーフ・ルドガーハウゼン大剣卿は、侵攻作戦の遅滞に対する主君よりの叱責とも揶揄ともとれる物言いに戸惑う事無く応える。
「老いて、いささか気掛かりを覚える事の多い遠征となりました」
「報告には目を通した。列強よりの亡命者どもに、ダイガストなる機械人形。それに手早い銀河帝国の到着。その何れも、併呑した後に、腰を据えて探れば良いのではないか?それとも、ベルガーあたりを送れば良かったか?」
 ルドガーハウゼンは譜代の家臣団の中でも屈指の強硬派の名前が出た事に驚き、僅かに肩が上がった。
 冗談だ。皇帝は髭の下で笑ったようだった。そして重い衣擦れの音をさせると、右腕を目の高さに上げ、大軍に触れを出すようにルドガーハウゼンへと下知をとる。
「要請通り、補給を向かわせよう。そしてハンスよ、愚かしいGBC(ギャラクシー・ブロードキャスト・カンパニー)の目など、気に留める必要はない。全力を、存分に奮え。新帝国たるツルギスタンの統治は、武威をもってなされる。それを列強の市民とやらに今一度、しかと見せつけるのだ」
「御意に御座ります」
「楽隠居など、させぬぞ」
 通信が切れる。
 腰を上げるルドガーハウゼンだったが、重く感じるのは歳の所為だけではない。ダイガストを打ち払い、皇国を一気呵成に攻略する勅命である。しかし往事のような血の滾りは覚えない。むしろ皇帝にこちらの危惧が理解されない徒労感を強く感じていた。
 列強諸国の地球侵略計画は、進捗だけを見ればまずまずの速度を維持している。技術的優位のままに蹂躙する。従来の型ではあるが、しかしそれは列強内でも中小の国々が、地球の第三世界相手にこなして稼いだ統計上の数字だ。
 対して複数の惑星を植民地とするような、列強内でも強国と数えられる国々の侵攻計画は、捗々しいとは言えない。正確に表すのなら、獲得地域に対する損害の割合が大きかった。
 より大きな実入りを得るために、地球上の大国や大規模な領土を持つ連合国家を相手取って会戦した列強であったが、カモにする筈だった国々の技術レベルの猛追は、明確な被害の増大となって表れている。ツルギスタンにしてもダイガストの抵抗や経済焦土作戦に領地運営が間尺に合わず、日々、臍を噛んでいるわけだが、他の列強でも何がしかの障害を抱えているらしい。
 中華人民共和国での住民の逃散などはいっそ清々しいモノで、加盟国間で格差・国情があるにも関わらず欧州中央銀行にしか通貨の発行権が無いEU、闇経済の影響力が無視できないロシア等々、『列強の侵攻を知ってて滅茶苦茶やってたんじゃね?』と関係各所が引きつり顔で冗談を口にした程だ。
 果たして列強各国が少なくない失血の先に地球の一部を領土としたところで、更なる銀河の外縁への橋頭保という建前を実現するまでに、どれ程の投資を行う羽目になるのか。
 それに列強が集まり過ぎているのも周囲に与える影響が大きすぎる。いくら中央での各国の版図が飽和状態で、不毛な睨み合いに陥っている星系が多いからとて、手付かずの辺境へと我先にと矛先を変えれば、そこに生じる潮流は巨大に成ろうもの。
 既に新たな未知宙域の開発を名目に、採算も丼勘定のままで銀河ハゲタカファンドが押し寄せている。限定戦争を終えて全土が植民地化された地球の発展途上国には、どうやって回収するかも判らぬ量の地球外資本が入り込んで乱開発が始まっていた。
 破壊の隣で創造が行われるが、それで何を建てる腹積りなのか見えている人間がいない。
 ルドガーハウゼンが俄かに眩暈を感じつつ超空間通信室より退室すると、通路で待ち構えていた分析官が声をかけてきた。
「報告します。先ほどのEU連合とフィクシオン連合王国との戦闘で、追跡事項とされていたネオ・キチン質の軟化ガスの使用が確認されました。フィクシオンの大騎士は三騎が戦車砲により擱座し、戦闘には勝利したものの、開戦以来の損害となりました」
「連中の大騎士は我等のブレーディアン程では無いとは言え、旗機のような代物だからな。門閥貴族連中はさぞかし、青くなっているだろう」
 ルドガーハウゼンは他の列強の被害に相好を崩した。
 他人の不運を笑うのは品の無い真似とも思ったが、その技術が拡散するだろう事を見越してばら撒いたのは彼自身だ。鬱々とした現状に目を背け、多少は愉悦に浸っても罰は当たるまい。
 分析官もこの陰謀の一端を知っていた。それが図に当たった事を理解し、表情を緩めた。研究職に付き物である年齢のイマイチ読めない年増女であるため、艶然という表現がぴたりと合う。
 過去に撒いた種が遠方で芽を吹いた。風で飛んだのか、川が流したのか。いずれにせよ、その拡大経路を暴ければ、他の列強を出し抜く事も出来るだろう。
 皇帝の言う通り、自分は老いたのかも知れない。しかし、歳経たからこそ感じ入る歓びもあるのだ。ルドガーハウゼンはそういう事にして、心の引き出しに放り込んだ。

『――それではアフ様が武勲を挙げられ、わたくしを迎えにいらっしゃる日を楽しみに待ちますわ』
 PDAから宙空に投影された映像記録の婚約者――絵に描いたような西洋貴族の女性――は、他愛の無い近況報告の最後をそう閉め括ると、肩の高さで素早く手を左右に振った姿でフェードアウトした。淑女にしては些か茶目っ気のある振る舞いに、アフバルトの頬は微苦笑で緩む。
 リアルタイムの超空間通信にはそれなりの中継設備を経由する必要があるため、皇帝のような国家元首は例外として、私費で使用するには高く付く。ここが第3外征旅団の本拠地である航宙母艦ウンエントリヒであっても、本国との間に横たわる広大な宇宙空間は無視出来ない。
故に列強の侵攻部隊の将兵への連絡は、映像記録を転送するというメール方式が主流だった。これがGBCの放送にもノイズが入るような設備不足の辺境や、恒星風の活発な宙域を途中に挟んだりすると、転送精度も怪しくなるため、遂には郵送が主になる。
 現状ではGBCが大規模放送のために持ち込んだ転送設備に相乗りできるため、地球での連絡のやり取りは快適だった。日頃から小うるさいGBC有りきの現状には、釈然としない物を感じはするが。
「しかし、武勲か…」
 アフバルトの脳裏に浮かんだのはダイガストだった。もはやツルギスタン第3外征旅団にとっての武功を成すとは、あの機械人形の打倒以外に有り得なくなっていた。
 幸いにも来週の出撃は彼の隊だ。これも何かの思し召しに違いない。
 アフバルトは何とはなしに軽くなる足で、部下たちが屯(たむろ)する休憩室に向かった。顔を出し過ぎると煙たがられるが、たまに様子を見に行ってやらねば、下とは口も利かない隊長だと陰口をたたかれる。こういう世知辛いのはツルギスタンだろうと地球だろうと変わらない。高級士官だからとて、ふんぞり返っていては誰もついて来ない事を、彼は知識と経験からしみじみと理解していた。
 今日明日あたり、下士官連中を飲みに誘った方が良いだろうな。そんな企業の中間管理職みたいな事を考えながら兵の休憩室のドアを潜ると、一転して罵声と物が飛び交う修羅場が視界に飛び込んできて、若き指揮官は頬を引き攣らせた。
「何の騒ぎだ!これは!!」
 それで結局口を吐いて出たのは、煙たがられる上官の典型的な科白であったのだが。
 まさに修学旅行の夜の部屋に教師が踏み込んできた体で、室内の狂騒はピタリと収まる。気を付けの体制で気まずい沈黙に陥る兵たちが、主に二つのグループに分かれている事を看破したアフバルトは、それぞれから先任下士官を見つけて通路の飲料自販機まで引っ立てた。
「諸君等は来週に出撃を控えているのに、何をしているのだ?」
 アフバルトは自販機からコーヒー――焙煎した豆類からの抽出物的意味――の注がれたカップを取り出すと、二人の下士官に与えた。
 これまでの戦闘では彼我の戦力差を鑑みて全力発揮が許可されなかったが、アフバルトの隊だけで常用の儀仗兵は10機を数え、パイロットも同じだけいる。これが真っ二つに分かれて一触即発となれば、率いる方は気が気でない。
 問いかけられた下士官二名は互いの顔をバツ悪そうに見合わせ、
「実に些細な事でして…」
「その、買い出しの内容に関して、見解の相違が…」
 買い出しに出かけたら、居残り組の欲しがっていた物品が無かった。しどろもどろの二人の説明の要所は、そういう事だった。
 ルドガーハウゼンは第三外征旅団に買い出しを奨励していた。それもこれも日本国による非現実的なまでの経済焦土作戦の所為で、ツルギスタンは何とかして支配地に自分たちの通貨を浸透させねばならなかった。
 支配地の通貨を文明レベルに合ったレートで自分たちの通貨に両替させる。銀河列強の常套手段であったが、日本においては早々に破綻させられ、ツルギスタンは大量の軍票――準紙幣、現金引換券程度の意味――を支配地にばら撒く羽目になった。ルドガーハウゼンの要請した補給物資も、帝国議会の承認の下りた支配地運営用の資金が大半という有様だ。
 外征旅団が現地に金を落とすのは、もはや重要な慰撫工作であった。
 だが、それで内部に不和を抱えては本末転倒も甚だしい。もう少し話を聞いてやるかと思いつつ、自分の分のカップをすする。力強い香りが鼻腔に抜け、僅かな酸味が舌に残った。士官室では本国から持ち込んだ発酵茶ばかりで知らなかったが、兵たちも美味いコーヒーを飲んでいるようだ。
「良い豆だな」
 何気なく呟くと、下士官たちは言葉を選びながら答えた。
「本艦周辺で栽培の始まった豆です。促成で、現地住民に技術指導を行っております」
「初耳だ」
「士官以上の皆様にはプラント船の生産食料が間に合っている筈です。ですが兵の分はホッカイドウやアオモリの支配地域へと配給品として出されております。それでも足りない分と、我々の口に入る物は、現地で促成栽培された作物を充てております」
 アフバルトは言葉に詰まった。辺境の未開惑星で農業指導しながら作られた『危ない物』を兵達に強いているのだ。
「すまぬ。諸君には満足な食事も与えられていなかったのだな。この件はすぐに大剣卿に具申を約束しよう」
 高級士官がおいそれと謝るものではないが、こと飯となると重要度が変わってくる。
食事は軍隊生活の数少ない楽しみだ。本邦でも太平洋戦争中の南洋で、下士官以下が極端に酷い食糧事情を押し付けられたが故に、部隊司令に直訴したなんていう逸話がある。
いかに隔絶した科学技術をもつ列強とて、既知宙域の外縁にまで本星の暮らしぶりを持って来れる訳では無いし、軍隊は集団生活だからして不自由を強いる側面も否定できない。ましてツルギスタンは規律を重んじる。前線での『ヒャッハー』や『エンジョイ・アンド・エキサイティング』を黙認するゴロツキ列強とは違う。
そこまで考えて、暴力沙汰が常習の第1機甲部隊の植民地兵と、隊長を筆頭に銀河種馬軍団を自称している第2機甲部隊の事を思い出し、アフバルトは外征旅団の鼎の軽重を問いたくなったが、詮無いので辞めた。
とにかく、食とは事ほど左様に大事なのである。が、ここでも下士官たちは微妙な顔をした。真意を測りかねるアフバルトであったが、すくなとも『話の解る士官さま、素敵!』という面でないのは確かだ。
「…諸君等は未だ私に隠し事があるのか?言ってくれ。私は諸君等の友人でありたいと思っている」
 へぇ、そういう事でしたら、まぁ。下士官たちはまたぞろ顔を見合わせ、おっかなびっくり、ここの所の兵たちの生活実態を話し始める。
「食事に関しちゃ、今の方がむしろ好評でして」
「船の有機転換炉で合成されたビタミンと食物繊維の野菜もどきや、調整した人工タンパク質のレーションよりは、促成栽培でもれっきとした野菜の方が美味いのですよ」
「生産者も協力的だそうで。主計科の船外活動班は頻繁に技術交流を行っとるそうです」
 占領地における住民の有り様としては、占領勢力への不参加・不介入と、積極的な抵抗(レジスタンス活動)、或いはガラリと変わって積極的な協力が考えられる。
 ところが、こういう自己防衛策は日本では全く活発な議論にならない。無防備都市や防衛手段:憲法9条とか言う人々も、その後に関しては貝の様に口を噤む。
 すべての戦争行為が泥沼の市街戦に雪崩れ込む訳では無く、都市部への無差別爆撃になる訳でも無い。ましてすべての抵抗活動が猟友会の民兵化や、ゲリラの自爆を含むような苛烈なものである必要は無い。敵に言葉が通じる限りにおいては、可能な限りの不服従だって立派な抵抗なのだ。
 そういう意味ではツルギスタン指導の下に農作業を行っている現状は、日本の戦争指導や国際化教育、ひいては戦後教育の失敗な訳なのだが、道民の皆様も生きてゆかねばならぬ為、非難するのは無理、無体である。
 現地には更に問題をややこしくしている要素がある。モンタルチーノ商会だ。
 闇市を開いていた下っ端がツルギスタンの憲兵に逮捕されてからは、罪一等の免除を楯に、占領地への生活必需品の調達と配送にこき使われているモンタルチーノ商会であったが、日本本土から密輸した民生品をウンエントリヒにて二束三文で買い叩かれる裏で、懲りずに横流しを始めていた。
 占領地で使用されている軍票やツルギスタンの通貨、円等が取引に使われているが、最も頻度が高いのは軍票だ。占領地の人々が雑役や農作業に協力的なのも、闇市で使用する疑似通貨を得るためと言える。
モンタルチーノ自身は軍票なんて不確かなものを当てにしてはいないが、換金を拒否されても、例えばツルギスタンに敵対的な国に流すとか、やり様は考えていた。
 もちろん、アフバルト達がそんな裏事情を知っている訳もなく『サボタージュもしないし、穏やかな人々だなぁ』とか、微妙にズレた感想を抱いて終わりである。しかしそうなると不思議なのは、休憩室の喧嘩騒ぎだ。食べ物で無いとしたら、原因は何なのか。
「実は…」
 下士官の口から語られる理由は、彼の人生経験の上で、全く予期せぬものであった。
「騒ぎの理由は、その、買ってくるコミックを間違えたんでして…」
「コミック?」
 アフバルトは我が耳を疑った。
「子供の情操教育に使われる、寓話とか伝承とかをモチーフにしたやつか?」
 彼等にとってのコミックとは、そういう物であった。GBC推奨とか帯が付いて、ちょっと押し付けがましい勧善懲悪や、愛と勇気と友情の、意識の高い系の親御さんも安心な児童図書である。
 だが地球――というか日本において漫画がどのような立ち居地にあるのかを、読者諸兄様に語るのも野暮天というもの。多種多様な価値観に寄って立つ『皇国のコミック』は、暇をもてあそび気味の――かつ免疫のない――兵たちに瞬く間に浸透していた。
「いや、それが、なかなか馬鹿にしたものではありませんよ」
 と下士官たちも熱く語りだす始末。
 え、なに?こいつ等もなの?アフバルトはいきなり部下たちが、越えられない壁の向こうに行ってしまったみたいで狼狽する。
 挙句、恐ろしいくらいに真剣な顔の下士官から携帯端末にコミックのデータを送りつけられ、確認と感想を約束させられた。
『ともかく作戦を間近に控えているんだ。チームワークを乱すような真似は控えてくれ』
 それだけ言うとアフバルトは自室――狭いとはいえ、士官には個室が与えられていた――に帰る。
 壁から突き出た簡易の机に腰を落ち着けると、堪りかねたように溜息をついた。ここに来て不和の種だ。自分の監督不行き届きだろうか。こんな指揮官が武勲とは笑わせてくれる。
「くそ…」
 悪態をついてからPDAを手に取る。こうなれば下士官の関心だけでも引いておかねばならない。子供向けのコミックだろうが読んでやる。
 そう思いながらPDAの画面に向き合ったアフバルトであったが、次に気付いたときには、夕食を告げる喇叭が室内の端末から流れていた。
 時間を忘れて夢中になって読み漁っていたと気付いた時には愕然となった。
 なんという事だ。GBC製作の型抜きされたように同様なキャラクター達によるドラマや、タレントの日常を垂れ流すトークショーといった押し付けがましい番組よりも遥かに刺激的だ。これなら兵がコミックに嵌まり込むのも頷ける。
 考えられた構図。判り易いコマ割り。登場人物の緻密な描写や、生々しい息遣い。GBCがタブー視しかねない人倫に踏み込んだ作品もあった。
 と同時に、それは勧善懲悪では済まない両陣営の魅力的な描写である事も、高等教育を受けている彼は理解できてしまった。
「これは危険だ…」
 彼の部下の大半は平民出であり、GBCを見て育ったテレビっ子であり、勧善懲悪の倫理観に生きている。自分達こそ、野蛮に叡智の光による救済を与えるものであると。
 それが崩されれば、どうなるのか。
 アフバルトの背筋を冷たいものが降りていった。

「来週分の翻訳物です」
 土岐虎二郎はそう言って大江戸博士にフラッシュメモリーを手渡した。
 ダイガストの格納庫に併設された喫煙所内にはイガラっぽい空気が充満し、煙草を止めた虎二郎が長居したい環境ではない。
「おぉ、すまんね」
 大江戸多聞は『わかば』をくわえながら、懐に記憶媒体を落とし込む。
「評判の方はどうかね?」
「ロミオとジュリエットのような、ベタなやつはウケが良いようですね。こっちとしては願ったり叶ったりですよ。二つの陣営に別たれる悲劇や、敵側にも理由があるって論旨に、放っておいても食い付いてくれるわけですから」
「これでこちらに興味を持ってくれれば御の字。うまい具合に厭戦気分を醸成してくれれば、言う事無しなんだがな」
「今のところは、こちらからのアプローチが供給過多ですね。翻訳元の漫画家さん達に至っては、むしろ新作で書かせてくれと頼み込んで来るほどです」
「タダでやらせるわけにも行かんだろうよ。自重して貰ってくれ」
 大江戸博士はくわえタバコのまま、口の端を器用に笑みに曲げた。
 ツルギスタンの支配地に日本の漫画を流しているのは、誰あろう大江戸先進科学研究所であった。それもそうだ。今も北海道でアフバルトが驚愕している事案にもっとも早く気付いたのは、より滞在期間の長い大江戸研の亡命技術者たちなのだから。
 亡命技術者たちから挙がったこの厭戦気分を煽るプロパガンダ作戦は、当初、荒唐無稽と一笑に付された。が、漫画好きで知られる自立民主党の大物議員が『面白ぇじゃねぇかよ』とお墨付きを与え、暫く前から実行されている。
 効果の程は判らない。だが大江戸博士は何らかの効果を期待せずにはおれなかった。科学文明の行く末が無秩序な植民地獲得競争では、あまりに虚しいではないか。しかし同じ人類種として、審美眼のひとつなりとでも同じである事が判れば、人類20万年の歴史だって捨てた物じゃないと思えるのではないか。
 それは大江戸博士の科学者としての希望であった。今は地球文明の存続のために戦争に傾注しているが、彼が学問を志向した理由はそうではない。いかに装甲防御を持つ面の皮の厚さと指差されようが、大江戸多聞という人間には、そういう少年の様な芯があった。
 だが、そいつも随分とくたびれちまったな。大江戸博士はくしゃくしゃとチビたタバコの吸い殻を見やり、今の自分の様だと思った。不意にセンチになった気分と共に、吸い殻入れの赤い缶に投げ捨てる。
「そういえば、読んだよ、君のレポート」
次の瞬間には傲岸不遜が息をしてるような人物、という寸評通りに戻っていたが、声は幾分か真剣味を帯びている。
「『脳波コントロールによる機体制御の偶発的な進化と、同状況下における操縦者との同調による危険性』…在り得る話だな。よく気づいてくれた」
「現在のダイガストのセントラルコンピューターは、鷹介の意思を汲む形で機体の制御を自己アップデートさせています。それは機体機能から有効な要素を抽出し、再現させるという形ですが、これが行過ぎれば操縦者の持つ優先権が事象転換炉の出力にまで及びかねません」
「要は鷹介の意思がダイガストを完全にコントロールしてしまう、と」
「そして我々は事象転換炉を完全にコントロールするには至っていません」
「本来ならば新しいマン・マシン・インターフェースの可能性、と喜ぶべき処なんだがなぁ」
「我々はそうならない様にダイガストを組み上げて来ましたからね。出力制御と操縦で二人掛かりにしたのも、主操縦手から事象転換炉を引き離したのを『合体による技術のデモンストレーション』と強弁しているのも、結論としては事象転換炉という…」
「土岐君、そこまでだ」
 壁に耳あり、障子に目ありだよ。大江戸博士はそう言って大笑した。
 虎二郎は追従の笑みを浮かべつつ『この期に及んで認めたくね-んだろうなー』と些か白い目になっている。
 事象転換炉は大江戸先進科学研究所の秘事である。虎二郎もダイガスト建造に初期から携わっているが、その頃――もう十年近く前になるか――には既に事象転換炉は存在していた。多少の経緯も聞いている。
要は事象転換炉とは拾い物であり、大江戸博士はそれに関して複雑怪奇な感情を抱いているという事だ。
怪しげな動力を曲がりなりにも解析し、今の形にまとめ上げたのは、間違いなく大江戸博士の手腕であり功績であると職員一同は認識しているのだが、本人はそれでは気が済まないらしい。指摘される度にお茶を濁すあたり、実に往生際が悪い。
 自分の息子はこんな面倒くさい大人になりませんように。虎二郎は切に願う。
 さすがの鉄面皮もわざとらしいと認識したのか、大江戸博士は取り繕うように咳払いをはさんだ。
「うぉっほん…それでだ、土岐君、改善策として考えているモノなんだが…」
 大江戸博士のプランを聞かされ、虎二郎は瞠目した。
 凄い。面倒くさい人だが、凄い。しみじみと思う虎二郎の視線を尊敬の眼差しと勘違いし、大江戸博士は大層ご満悦であった。

 大江戸先進科学研究所の裏庭に鷹介が突っ立っていた。昼下がりとなれば、この辺りの芝生は日当たりも良い。梅雨の晴れ間の太陽に透かしたのは、一通の葉書だった。
 航空学生時代の同窓である柘植隼人から寄越された、同じく同窓だった笠井醇の葬儀の案内だった。実家に届いたため、内容自体は親から電話で伝えられていた。
 先日の空戦の光景がフラッシュバックする。空戦域に到着したとき、海面へと二筋の黒煙が伸びていた。あのどちらかが笠井機だったのだ。
 銀河列強との戦争状態が続けば、いつかはこんな事も起きるかも知れないと覚悟はしていた。だが速成で任官された仲間たちが、資材の不備で早速に駆り出され、こんな結末を迎えるとは思ってもみなかった。無力感に四肢から力が抜ける思いだ。
 もっと上手くやっていれば。そんなおこがましい事を思いはしない。そういう段階は目の前で陸自の戦車が破壊されてゆく中で、とうに折り合いを――無理にでも――つけている。
それに空の上では、操縦士は一人だ。誰にも頼れない、あの初めての単独飛行の心細さを潜り抜けた先に、自分たちはいる。ならば運なり、技量なり、注意力なりの何かが、笠井の運命を決したのだ。
が、それを納得できるかと言えば、別問題だった。
それに輪をかけるのが、葬儀への出席を許されなかった事だ。
ダイガストの主操縦者である事実が秘密であるのは、諸々の機密保護は言うに及ばず、彼とその係累の安全確保のためにも理に適っている。
が、今回は戦死者――この日本では銀河列強との戦闘に限り『戦死』という扱いが認められた――の葬儀だ。かつての同窓たちに、間違っても気取られてはならない。
何とか軌道に乗り始めたようにも見えるダイガストだったが、量産されて銀河列強を宇宙に叩き返せるかと言えば、疑問符が付く。そんなまだまだ不確かな現状を、現場に知られては士気に関わる。
『断腸の思いだろうが、隠忍自重をして欲しい』。防衛大臣からの電話で、鷹介は直々に要請されていた。
 理解はできる。
 しかし鷹介の握りしめる右手には爪が食い込み、体が瘧(おこり)のように震えた。
 航空学生時代、少しでも課程から遅れれば不適格とされる厳格な日々を、共に駆け抜けた同期の桜だった。その葬式にさえも俺は出られないのか。
 やり場のない憤りに思わず下草を蹴り飛ばそうとした時、後ろに気配を感じた。
 振り返ると透(みなも)が立っていた。作業の邪魔にならないよう無造作にまとめてアップにした黒髪とか、眼鏡の向こうのしょぼくれた瞳とか、しかもそれがノーメイクとか、色々と憔悴著しい。
そういや卒業論文を書き始めているのだっけか。鷹介はそういう文化的な勉学とは縁が無かったので、彼女の苦労は推し量れない。ただ毒気を抜かれ、やり場のない憤りを深い溜め息にして吐いた。
「……よぅ、お疲れさん」
「んー」
 透は背伸びをして背骨をパキパキと鳴らすと、飼い猫のような気のない声をかえす。
「瞼の裏に太陽光が沁みるよ……」
「一体全体、今は何をやってるんだ?」
「象形文字の解析だよ。卒論用と、それを発展させたのを院生試験の論文に使うの」
「院て、大学院?」
「うん、大江戸教授の研究室だよ。今と状況は殆ど変わらないけどね」
 透が究理の徒の道を歩もうとは、鷹介には初耳だった。しかも大江戸博士みたいなナントカと紙一重の人物の元となると、幼馴染の外聞が心配だ。
「別の研究室とか、選択肢はないのか?」
「今の研究が専門性が高すぎて、他の大学じゃ続けられないよ。それに、鷹くんも当分は大江戸研勤めでしょ?」
 当分と言うか、そもそも大江戸博士の目の黒いうちに、銀河列強の膨張拡大政策は収束するのだろうか。また暗い気持ちがぶり返しそうになり、鷹介は小さく首を振るう。
「なんだよ、藪から棒に。俺がダイガストの操縦するのと、透の学業とは関係がないだろ」
 挙句、幼馴染ルートの地雷ワードを平気の平左で口にする鷹介だったが、透もずれたハイスペックさでは人語に尽きない。人の悪い笑みを受かべると、
「あら?イイの?そんな事言ってて。近い内にわたしに感謝する事になっちゃうよ?」
「止めとけって。ここまでにも結構、危ない橋を渡らされてるだろ。宇宙ヤクザと対面したり、宇宙カブトムシの上空飛んだり」
「それと直接殴り合った鷹くんが言うんじゃ、説得力が無いよねー」
 鷹介の唐突な否定の語句に、軽口で返しつつも透の笑顔は取り繕ったようになる。あれ?今日はやけに絡んでくるな?
 不審に思う幼馴染だったが、ままならない現実に打ちひしがれる鷹介には、他人様の細かい変化なんて気づかない。それこそ乗機のエンジンの噴けが僅かでも悪ければ気付くのに、人間相手ならこの様だ。言うまいと思っていた事も未熟な精神の昂ぶりに任せてしまう。
「見ろよ、仲間の葬式の案内だ。この前の空戦で落とされた」
 突きつけられた葉書の内容に透は息をのむ。
「え……」
「こんな事になってからじゃ、遅いんだ」
「それは……鷹くんだって同じ条件じゃないの」
 透の返しは早かった。彼女も鷹介の身を案じる事にかけては、やぶさかでない。そして同じように、鷹介の口から強い口調が飛び出すのも早かった。このところ彼を追い立てる青臭い潔癖さが、まさに現実になったのが笠井の戦死だった。
「同じじゃ無ぇよ!腐ってもダイガストは宇宙人の技術で作られてるんだ。操縦席は分厚い装甲に護られてるし、その気になりゃどんな敵だって振り払って、逃げ切るだけの出力がある。あの馬鹿げた戦場で一番安全なのは、間違いなくダイガストの操縦席なんだ!」
 鷹介の激した口調は、それに甘んじることに憤りを覚えていると暗に語っている。
 自分だけが特別な機体を使っている事に傲慢になるので無く、むしろ気後れしているのだ。それが判ると透の唇から小さな溜息が漏れた。
「じゃあ、辞めちゃう?」
 彼女はえらく軽く言ったもので、鷹介は予期せぬ提案に目を丸くする。
「いくら鷹くんが第一人者だってね、まだ操縦者の替えが利かないような状況じゃないでしょ。格納庫に行って『宇宙人』さん達に言えば、替わるって言ってくれる人、いると思うよ」
 遠回しに亡命技術者たちを宇宙人呼ばわりした事をつついてくるあたり、彼女もイイ性格をしている。
 が、そう言われてホイホイ辞められるほど、鷹介も分別が悪い訳で無い。拗ねた子供みたいだと思いながら、つい目線を反らす。
「そういう話じゃ、ないだろ!」
「鷹くんのプライドなんて知りません。わたしは鷹くんが一番安全な場所で仕事ができるなら、それが一番大切だと思うし」
 目線を反らしている鷹介には、彼女の目がなんとも優しげに細められている事が見えない。だから彼にとって大事なのは未だに折り合いの付かない自己の安い良心への葛藤であり、
「じゃあ対レーザー防御も施されてないコクピットに乗ってるあいつらは、どうすりゃ良いんだよ……」
「どんな事になっても、覚えていてあげようよ、鷹くんが」
 それって根本的解決になってませんよね、とか平素なら思いもしようが、友誼に背く罪悪感と汲めども尽きてくれぬ義侠心とにクロスボンバーされ続けた鷹介である。おためごかしの様な科白にだって、他人様がここまでの心労を慮ってくれたと、心中の歪み捻じれた心の花に光がさすような心地になる。まして、
「わたしも覚えるから。だからたまには、鷹くんの友達の事も聞かせて?」
 鷹介は何かを堪えるように、しばし瞼を強く閉じる。目を開き、結局気恥ずかしさから透の方は向かず、ポツリポツリと瞼の裏に浮かんだ記憶を言葉にし出す。
「笠井は、俺たちの中じゃ抜群に操縦が上手かったんだ……でも、それを鼻に欠けない、気もちのいい奴で……きっとフライトリーダーになる、そしたら俺たちを呼んでくれ、なんて……夢みたいな先の話までしてさ……あいつは……こんなところで終わっていい奴じゃなかったんだ……」
 吐き出すように鷹介が言ったとき、ふわりと良い香りが彼を包んだ。透が鷹介の頭をかき抱いていた。
 我知らずここまで張りつめさせていた物が、ふっつりと切れ、彼は声を押し殺して泣いた。

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