押掛女房朱鷺色恋記

    

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 ……来てしまった。

 とうとうここまで来てしまった。

 後ろ足だけで歩いたせいか疲れがひどい。人間に化けず本来の姿で来た方がよかっただろうか、と思うものの、竜の姿では見つかる危険の方が大きいから仕方がない。
とにかくここが森の、人間の住処との境目だ。この橋を渡ればもう引き返せない。何度も練習を重ねて覚悟を決めた筈なのに、胸の高鳴りが苦しくて動けなくなる。

 『でも、もうすぐあえへ、あっ、あ――会える』

 多少もつれはしたが、人間の言葉もちゃんと話せる。大丈夫。大丈夫だと私は自分を励ました。私にはおばあさまもついている。それに何より自分の気持ちを――今更抑える事などできない。

 ――あの人に会いたい。そして……。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 『はっくしゅん!』

 ヴィストは突如襲われたくしゃみに苦笑いをこぼした。子供の頃患った花粉症がぶり返しでもしたのだろうか。念の為後で薬を処方しよう。頭の片隅に書き留めながら割り終わった薪を小屋の竈へと放り込む。

 『……春か』

 森では幻獣達の恋唄がやかましくなる頃だ。巡回の際は野暮な真似に注意しなくてはならない。場合によってはいつぞやの様にこちらの命にも関わるだろう。彼は改めて気を引き締めると結界の点検を始めた。この後は夕食まで休憩にでもしよう。

 (そういえばあの竜はどうなっただろうか? あの時は本当に……どうかしていたな)

 ヴィストの顔が珍しく素直にほころぶ。それはほんの数分の出来事だというのに季節が巡る度に思い出してしまう。

 そう、あれは永遠に忘れる事が無いであろう朱鷺色の記憶――数年前の――。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 数年前の春。私は初めてあの人に出会った。

 グォオオオオーン!グクウウウゥ……!

 アオッ!……アグオオオーン!

 辺りをはばからず響き渡る愛の唄。当時私は狩を終え、洞窟へ帰る途中だった。
春は私達竜族にとっては貴重な繁殖の季節。滅多に仔が生まれる事が無いとはいえ、多くの番が誕生するこの時期は、どんな年経た竜も気取るのを止めて異性を口説くのに躍起になる。
 いつかはその中に加わる。そう思うと恥ずかしながら胸が期待に踊るのを感じてしまう。
"お前もそろそろだね"とおばあさまも言っていたし、次の年は私の傍に雄が寄り添っている事だろう。

 なんとなく首を巡らして鬣の毛並みを整え、自慢の朱鷺色の肌に曇りが無いか確かめる。
水溜りに顔を映すと横に張り出した角と共に赤と黄色、左右色違いの眼が私を見つめ返して来た。

 (お父様とお母様の形見……気に入ってはいるのだけれど)

 雷を司る角と左目、滑らかな肌は雷竜である父から。右目と熱を操る力は火竜の母から受け継いだ。二頭はもうこの世にいないけど、その血はいつも私の中を巡っている。


 (なんでこんな力まで持ってしまったのだろう)

 私は胸の内でため息をついた。ある魔力を備えたこの色違いの眼のおかげで、私は同族以外はまともに相手の顔を見る事ができない。石化や致死等剣呑なものでは無いのが救いではあるのだが。

 (よそう。おばあさまが言っていた。ため息を付くと幸せが逃げるって)

 私を一匹で育ててくれた偉大なるおばあさま。竜族としてはまだ数百年と若いけど、御歳数万の古老達からも『藍の賢毛』と呼ばれ一目置かれる知恵者だ。その恩に報いる為にも私は幸せにならなくてはならない。

 ――ガサッ!

 物思いに耽っていた私は、突然背後の茂みを押し分けた気配に現実に引き戻された。

 【……あなたは、地の血族の】

 振り返ったそこには、土気色の若い雄の地竜がいた。普段は付き合いの無い者だ、と思う。元々顔までまで強固な装甲に覆われているせいで誰が誰だが分かり辛いのだ。

 【オマエハ……狂乱の炎雷ノ落トシ仔、名高キ賢毛ノ孫……スーフィリューン?】


 地竜らしい抑揚の無い問いに私は頷く。両親が人間との間に起こした惨劇のせいで私の血族をよく思わない同族も少なくないが、おばあさまを敬称で呼んでいるので悪意や敵意は持っていないだろう。

 【私に何か御用ですか?地を従える同族よ】

 【……】

 名前が分からない事もありとりあえず格式ばったさぐりを入れてみる。彼の琥珀色の瞳はまるで本物の宝石のように揺らぐ事が無く、眼を合わせても何を考えているかは全く読めない。

 突如、私の本能が警告を発した。

 グオオオオオッ!

 あり得ないほどの俊敏な動き。雄たけびと共に地竜が覆いかぶさって来る。
 避けられなかった。体勢が悪いせいもあり、重く力強いその体躯を跳ね除ける事ができない。
私を押さえつけたまま彼はじりじりと体の向きを変えて行く。

 【ぶ、無礼な!あ、貴方は何をっ】

 私の声など耳に入らない様子で背中に跨ってくる地竜。その息は尋常で無い程荒く、ぐいぐいと腰を私の尻に押し付けている。そこに感じる硬い肉の棒に私は愕然とした。

 (発情してる!なんて事……私の、私のせいなの?)

 私の魔眼の力。それはおばあさまによると『相手を激しい喜びで満たす』ものらしい。
一見無害に思われるかもしれないが、度が過ぎるのが問題だった。我を失うほどの喜悦は、精神を雷に打たれた様に砕き、炎の如く焼き尽くす。人間の様に抵抗力の無い生き物は狂乱し、下手をすればその心は二度と戻ってこない。
 この力を使えば、獲物は苦痛では無く喜びに呑まれたまま息絶える。普通に殺すよりかえって残酷な忌まわしい力。

 とにかく理由は分からないが、私を犯そうとする地竜には確かにその狂喜が宿っていた。
理不尽に雌を屈服させ侵略する、獰猛な性の喜びに。

 (でも。でも同族には利かない筈なのに。どうして?)

 必死に雄の侵入を拒もうとするが無駄だった。最後の守りである私の尾は地竜のごつごつした太い尾に空しく絡め取られてしまう。そして……まだ誰にも触らせた事の無い、大事な、大事な場所に雄の熱が――。

 【いや! いやぁああああっ】

 恥も外聞も無く私は咆哮した。いつかは雌として雄と結ばれたいとは思っている。でも、でもこんなのは嫌だ。しかもよりによって、あの力のせいなんて!

 グアァオオオオオオ!ギュイオオオオオーン!

 ……もう、駄目だ。助けを求めてもそれは空しく森の喧騒に飲み込まれ……。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 森の喧騒に飲み込まれそうではあったが、その悲鳴には無視できない何かがあったのだとヴィストは思う。当時レンジャーとして森に逃げ込んだ密猟者を追っていた彼は、いつもなら春の風物詩と流すその声に、ほんの気まぐれを起こして足を向けたのだった。

 『まったく獲物を逃がすは腹減るはでもう帰りたいのに、なんでだか……うぉっと!』

 自分でもワケが分からんと面倒くさげにぼやきながら、ヴィストは護身用の戦杖で茂みをかき分け進んでいく。悲鳴の大本とおぼしき藪を突き抜けたその先で見たものは――。

『んなっ……!』

 グオ!グル!グオルルルル!

 ――地に押し付けられ、泥にまみれる鮮やかな朱鷺色の肌。

 グアァオウ!オウウウゥゥン……。

 ――仰け反る赤と黄色のオッドアイ。艶やかな藍色の鬣は陵辱の唾に汚されてもなお美しい。

 ヴィストの前には、地竜に手篭めにされようとする美しい雌竜、その虚ろな絶望が横たわっていた。

 『す……凄い……い、いや! こりゃ失礼しましたっと!』

 人、もとい竜の恋路を邪魔したと思われると命が危うい。硬直が解けたヴィストは即座に身を翻すと、一目散に逃げ――られなかった。

 オウウッ!オウウウウゥン……。

 この時は本当にどうかしていたと彼は思う。強引な求愛など幻獣には珍しくない。そこに人間の勝手な道徳観を振りかざすなど愚の骨頂だ。異種族間の境界を守るレンジャーとしては不介入を貫くべきなのは理解していたし、理性は少なくともそう結論していた。


 ……その筈だったのだが。

 悲しげな雌竜の叫びと、刹那交錯したその瞳をヴィストはどうしても振り切れなかったのだ。

 『あーもう訳わかんねぇ! とにかく止めろコンチクショォオオオ!』

 振り向きざまに跳躍、着地と同時に竜達の背後に踏み込み。上体を右上に捻り手にした戦杖に彼は力を溜める。とはいえ本来なら最強の幻獣に人間の生半可な攻撃なぞ通じない。
だがこの得物なら話は別だった。

 "sow key mid set――"

 呪言詠唱>>魔力起動。杖が歪んだ輝きを放つ。それを迷うことなく右上段より袈裟懸けに。まさに雌を侵略せんとする地竜の……隆々たる逸物に叩き付けた。

 『その魂を、乱せぇえええっ!』

 ――炸裂。

 アギャグァオオオオェアアアアアア!!

 急所と魂を掻き乱す激しい苦通に雄が仰け反り悶え狂う。雌竜は秘所を暴かれるまさに紙一重で解放された。転げつつも離れる彼女を確認し、ヴィストの顔に安堵がよぎる。

 しかし一方。周囲をなぎ払う暴威は実に容赦なく、油断した加害者に報復した。

 ――炸裂。

 『ぐぎゃ! やっぱヤルん、じゃなかったぐはっ! おぐっ! ぐぇええええーッ!』

 地竜の尾に跳ねられ、木々をへし折りながら飛ばされていく闖入者の末路。かろうじて巻き添えを逃れた雌竜はひたすらそれを見送っていた。
 人間とは異なるが、明らかに間の抜けた……唖然とした表情で。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【……というワケで、あの人間がどうなったかはわからないんですけど】

 【なるほどねぇ。そりゃお節介な人間もいたもんだ】

 おばあさまの頷きにあわせその藍色の鬣が優雅に波打つ。齢に従って美しく伸
びるそれは、体半分を覆う薄青い体毛と合わせて『賢毛』と称される由縁だ。

 地竜の暴行から逃れた後、消えない不安に駆られた私は一目散に彼女の洞窟へ逃げ込んだ。事情を説明した後、あの人間の安否ぐらいは確かめるべきだったのだろうか、となんとなく尋ねると、私の倍以上ある体を揺らして大笑いされてしまった。

 【あっはっはっは。ウチのかわいい孫がオンナになるのを邪魔してくれた変態なんてほっとけばいいのさ? おかしな事を気にする仔だねぇ】

 【お、おばあさまっ! それはいくらなんでも言い過ぎですっ!】

 私はらしくなくカッとしてしまった。自身の好みはともかく地竜の求愛は間違いでないのは理解している。あのまま仔を孕んでいれば、良き父親であり伴侶になってくれたかもしれないのだ。でもなぜかあの人間の悪口を言われるのが気に入らない……。
 困惑する私をおばあさまの黒瞳がやさしく、それでいて心の底まで射抜くように見つめて来る。

 【フフフ。そんな気になるかい?】

 【え? あ、いえ! すみません。……まだ落ち着いていないんです。きっと】


 【ムッフッフッフ。落ち着かないねぇ。まあそりゃそうだろうさ】

 おばあさまの意地の悪い笑みがますます大きくなる。何か間違った事でも言ってしまったのだろうか。ますます狼狽する私にとんでもない一言が放たれた。

 【欲しいのかい? あの人間が】

 瞬間。全身が朱に染まるのを感じる。

 【そ、そんなはしたない事! お、思ってないです! その……確かにお節介かもしれませんけど、善意でしてくれた事ですしお礼をしたいというか】

 考えが、言葉が繋がらない。もう完全におばあさまの術中だ。

 【どうしてなんでしょう? なんでこんなに気になるのか……あ! お、雄として見てる訳じゃないんです! そんなの変態ですよね。でも……】

 【あー、はいはい。そこまでにしときな。もう十分わかったからさ】

 呆れかえった様子でおばあさまが私を遮った。

 【全く……ここまで素直だと将来が心配だねぇ。よりによって異種族に惚れるなんて、頭の固いエルダーの連中が聞いたら一騒動だよ】

 しょうのない仔だ、といいながらも彼女は翼で包み込む様に抱きしめてくれた。
不安に震える私を首を擦り付けてあやしてくれる。


 一族の古老達で、おばあさまをよく思わない者がいるのは知っている。今の私は間違いなく攻撃の材料にされるだろう。でも今のやりとりで自分の気持ちがはっきりしてしまった。もう隠す事はできない。

 【申し訳ありません。私はあの人間の事が、まだ顔も名前も知らないのに……】

 【玩具にしてみたい、と。悪趣味だけどまあ竜としては問題ないさね。そういう事にしておきな】

 穏やかで、それでいて有無を言わさぬ圧力がこもった囁きに反論は封じられてしまう。
隠し事の下手な私に対する心遣いだろう。素直に頷く事にした。

 【さてと。話を纏めるとお前はたまたま目にした人間を、慰みモノにしたいと思って
るんだね?】

 声色は真剣だが、その瞳は悪戯っぽい輝きに満ちている。おばあさまの問いに何故か
私は浮き浮きしながら答えた。

 【はいっ! 私はあの哀れな人間を捕らえていろいろ弄んでみたいで、すぅッ……】

 迂闊にも言葉通りの自分を想像してしまい、ものすごく恥ずかしくなってしまった。
 よ、よりによって、まだ見た事の無いあの人の――を指と舌で――! 

 ……本当にどうかしている。今ならお母様の様に火が吹けそうだと思った。

【ほらほら、地面が焦げてるよスーフィ】

 実際体温はそれぐらい上がっていたらしい。足元から立ち上る焦げ臭さに私は現実に引き戻された。慌てて胸の中で何度も繰り返す。私は人間を玩具としか思っていない、思っていない……よし。もう大丈夫だ。



 【では、かわいい孫の為にこのおばあさまが秘伝を教えるとするかね。いいかい? まず人間てのは捕まえる分には意外と手強い。力押しで行っても逃げられるか、死んでしまうさね。そこでこれだ】

 前触れも無くおばあさまの巨体が収束。人間の雌へと変化する。
 見事な変身……頭以外体毛の無い肌色の表皮と、竜と比べ豊かな乳房を備えたたおやかな肢体が印象的だ。

 【す、凄い……】

 【人間の雄ってのはバカだからね。コレを見せてやるだけですぐ呆けちまうのさ。そうなったらもう無防備だ】

 人間は体に布を纏っている者が多いが、そんな理由があったのかと感心してしまう。確かに相手を見る度に発情していては、社会的にいろいろと問題が出るだろう。

 【簡単に捕まえられる、と言いたい所だけど、その前にいろいろとやる事があったりしてね】

 指を一振りするとおばあさまの体を衣服が覆う。野性的な悪戯っぽい笑みは本来の姿
と変わらず、同性の私から見ても魅力的だ。

 【露骨に交尾を迫ると警戒される事があるから気を付けるんだ。まずは信頼させて、向こうから求めて来るようにするんだよ。それには……】

 この日から数年間にわたる、私とおばあさまの秘密の修行が始まったのだった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 『はーっくしゅん!』

 日課を終え、小屋の中でくつろいでいたヴィストは、久方ぶりにぶり返したくしゃみに少々悩まされていた。念の為にと処方した薬茶も半刻前に飲んだばかりだというのに。

 『んーこりゃアレだ。噂をすればなんとやらってヤツか?』

 と己が言葉に苦笑いする。噂をされるくしゃみをするという迷信を思い出したワケだが、そもそも自分を気にかけてくれる者などこの世にそうはいない。
 一応貴族のはしくれ、ケスキー家の次男ではあるものの、両親は他界し長男が順当にその跡をついだ。従って望めるのはお家の為にどこぞのいきおくれにでも婿に出される、せいぜいそのぐらいが関の山。

 (冗談じゃないぜ、全く。まあかといって跡を継ぐのも面倒なんだが)

 世間一般には幸運に、いくつか縁談はあった。しかしヴィストには不運な事に、貴族独特のしきたりに満ちた生活は、うっとうしい以外の何物でもなかったのだ。
 話を断る理由として騎士修行の道を選んだものの、そこでも彼は形骸化した騎士道のしがらみに馴染めなかった。八百長当たり前の御前試合に、歯がむずがゆくなる様な貴婦人への奉仕の数々。


 致命的な軋轢が生じる前にとヴィストは自ら出世の道を外れた。実質閑職の任務、幻獣の森との境界線に詰めるレンジャーへと志願したのだ。
 表向きはかつての敵対者、幻想種の侵攻を監視する名誉ある職だが、今は停戦協定が結ばれてから既に数百年の太平の世。赴任してから数年、当たり前ではあるが事も無く務めている。

 (まあ、暇な仕事ってだけじゃここには来なかったけどな)

 大抵の事に無関心なヴィストの執心する数少ないモノが、この森には満ち溢れていた。
仕事にかこつけて幻想種を間近に見れるのはここしかない。
 別に世の中に出す気は無いが、いまだ知られざる彼らの生態を書き連ねた書物は物置の3分の1を占めるまでになっていた。
 そのせいで時折物好きな学者連中の護衛と案内をさせられる以外は、概ね満足できる生活だ。これ以上何を望むのというのだろうか。

 (――だが、足りない)

 異性としてのそれも含め付き合いをうざったく感じるのは間違いない。一人の方が気楽でいい。いい筈だ。何度も繰り返した確認をヴィストは反芻する。

 (――欠けている)


 なのに。この胸に穴が開いたような物悲しい感情は何なのだ。

 『いや、分かっているんだけどな。……認めたくねぇが』

 一人は、寂しい。

 ごくごく当たり前の、覚悟していた事だ。無論不能ではないからそれなりにもよおす事も多いが、自力で処理できるので問題は無いと思っていた。

 『……ちくしょう。しょうがないか。俺も男だしな』

 ため息をつきながら、彼は一服しようとベッドの下にあるものに手を伸ばし――。

 (――!)

 突如、強烈な違和感に襲われた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 その違和感は、僅かとは言え見逃せないものだった。

 (――!)

 脱力感にも似た戦慄にわたしは一瞬緊張した。が竜独特の感覚がその正体をすぐに悟る。

 (侵入者用の、結界)

 私達とは違い、人間は日常生活など驚くほど細かい所まで魔法を常用する。身体的な弱さをそれで補っているのだとおばあさまは言っていた。余り思い出したくは無いが、私の両親を殺したのも魔法の力だと聞いている。

 (存在を悟られた? でも)

 元よりこの程度は承知の上だ。今の私は人間にとって年頃の娘に見える様にしてある。
道に迷ったなど適当に理由をつけてごまかせばいい。結界には簡単な探査の効果もあるが、未熟な私の変身はともかく強大なおばあさまの幻術はこの程度で破れはしない。
 確信はしていても、なんとなしに足が鈍ってしまうのは私の気の弱さのせいだろう。

 (数年間……あれだけ、あれだけ我慢したのに。ここで引き返してどうするの)

 あの出会いから数年。春を迎える度襲われる情欲の飢えを必死に耐えてきた。同族の雄の匂いを嗅いだだけで、飛び出していきそうになったのも一度や二度では無い。おばあさまに自分で凌ぐ術を教えてもらっていなかったら……どうなっていた事か。

 (全ては、全てはあの人に会う為に!)

 私は自分を叱りつけると、目前の橋、その先に見える小屋目指して足を進めていった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ――橋を渡った。

 魔術により拡大された擬似知覚が、ヴィストに警鐘を鳴らしてくる。有事など滅多に無いとはいえ、人間を超えた能力を持つ異形の巣窟を相手にするのだ。当然住処にもそれなりの備えはしてあった。

 人間の世界と幻想種の森を繋ぐ、数少ないルートである彼の詰め所。その周辺には侵入者を感知する結界が張り巡らせてある。それが伝えてきた侵入者の概要は心底震え上がるものだった。

 (り、竜だって? オイオイオイオイ! 何かの冗談だろう?)

 そうだと言ってくれと祈るような気持ちで、再度情報を要求したが結果は同じ。よりによってこのタイミングでとんだお客様だ。

 (いや、ナニしてる最中でなくてよかったか)

 少なくとも痴態を晒したまま死ぬ事は無い。と緊急時に似合わぬ下世話な発想ができるのはまだ余裕がある証拠だった。ヴィストは苦笑いしながらも唯一の得物――戦杖を握り締める。

 (生半可な魔術では止められない。備え付けの防御でちまちまやるだけ無駄か)


 怒らせて強制的に戦闘になってはたまらない。内心の恐慌を理性で押さえつけると、彼は敷地内の魔術防御を全て眠らせた。こちらに敵意が無い事を暗示する為だが、十分引き付けて同時に発動、いざとしての目くらましとする算段も含んでいる。

 ザシュッ……ズリズリ……。

 (来たか。だが妙だな)

 研ぎ澄まされたヴィストの聴覚が小屋の中からでも侵入者の足音、いやこの場合は尻尾も引きずる音をも捕らえた。奇妙な事にブレスの射程内にも関わらず止まる様子もなく接近を続けている。普通ならここで具体的な動きがある筈なのだが。

 (まさか! 律儀に玄関からこんにちわじゃないだろうな?)

 一瞬浮かんだありえない光景を楽観的過ぎると振り払う。しかし竜は知恵と理性も備えた生き物だ。ここまで来て攻撃が無いのは、話し合いの余地がある用向きかもしれない。
 そう思っても扉を開ける決心はなかなかつかなかった。その内強大な気配が扉のすぐ向こうに肉薄するのが感じ取れる。

 ――コンコン。

 『あ、あー。あのぉー。こ、こんにちわぁ? いらっしゃいますよね?』


 (ぬ! ぬわんだってぇええええ!)

 扉を叩く音と、うわずってはいたが挨拶の声にヴィストは内心の驚愕を必死に抑える。
響きが歳若い娘のソレだったのにも拍子抜けした。死をも覚悟して盛り上がっていた自分がとてつもなく間抜けに思えて来る。
 がすぐに気を引き締めた。まだ騙し討ちの可能性が消えたわけではない。わけではないのだが……。

(どんなヤツか、確かめて見るのも悪くないか?)

 気配を殺して扉の覗き窓を覗くと同時に、彼はふたたび心の中で絶叫した。

(り、竜だって? オイオイオイオイ! 何かの冗談だろう?)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 『あ、ああ、あのぉ。道に迷ってしまったのでお尋ねしたいんですけど?』

 緊張のせいか上手く舌が回ってくれないのが恨めしい。いくら可愛い娘の姿でも、これでは挙動不審で警戒心を抱いてしまうだろう。実際小屋内の気配は扉の向こうで動かないままだ。

 こんな最初からしくじってしまうなんて。竜としてはいささか躊躇われる行為だがこうなったら仕方が無い。あの方法でいくとしよう。


★★★★★★★★★★★★★★【おばあさま口伝】★★★★★★★★★★★★★★★★★

       "人間の雄は弱い雌が大好き。弱みを見せて頼れば食い付く"

           ※発情させない様やり過ぎに注意する事。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


 私は教わったとおり、地面に腰を落とすとしおらしく顔を覆う。そして――。

  『お願いです。助けて下さい。さっき竜がうろついているのを見たんです。私怖くって怖くって……もう、もうどうしたら……』

 と半分本気で声に泣きの成分を混ぜてみる。案の定効果はあっ……。

 『だぁあああーっ! そういうオマエは何だぁああああーっ!』

 勢い良く扉を蹴り飛ばして一人の人間が食い付いてきた! 
 あの時と同じ、後ろに束ねた黒髪とやや痩身ではあるが筋肉のついた体。間違いなく
あの人だ。策が効き過ぎたのかかなり興奮気味にまくしたてて……何かがおかしい。


 『り、竜が怖いだと? そんなたわけた事言うのはこの口ですか? 角ですか?、尻尾ですかぁああああ!』

(え? あががが。そこはそんなにさわっちゃ……駄目ですっ! あああああ)

 何が何だか分からないが、とても興奮し、少し安堵し、そしてものすごく怒っている。
そんな彼に圧倒され、私はされるがままに体をこねくりまわされていた。

 『第一何か? どこの世界にエプロン付けてリボンを飾った竜がいるっつーんだ! 
あーダメダメもう禁止! イメージが壊れるから竜はエプロン禁止!』

 『 よ、よく分かりませんが、申し訳ありませんすみませんごめんなさいっ! とにかくお、おち、落ち着いて……』

 我を失いかけている人間の血走った眼。それに向かって私は必死に懇願する。その前に決定的な何かをしでかしてしまった気もするのだが、今となってはどうでも良い事だった。

 『さんざん脅かされた挙句がこれで落ち着いていられるか!……ってアレ? な、何だが気持ちい、イ……イク。ぽけっ……』

 今までの勢いはどこへやら。急に幸せそうに呆けてしまった彼に私は己が失態を悟った。

 (わ、私とした事がなんという……! お、おばあさまどうしましょう?)

 魔眼の力に放心状態に陥った人間を抱えて、私はおろおろするばかりだった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 『う……げぼぇっ……ぐっ』

 心地良い意識の混濁が醒めていく。それは悪酔いした時の目覚めを何百倍にも濃縮したかの如く強烈だった。
 中のものが胃ごと吐き出せそうな激痛。のたうつヴィストの体を柔らかい感触が支えてくれている。

 『あ! あのぉ……しっかり』

 つるつるとした感触と沈み込むような柔らかさが額を撫でる。貴族時代の豪勢な寝具より上質な感触に彼の苦痛は癒されていった。

 (俺は、いったい……たしか夕食前に)

 ナニをしようとしたか、と緩慢な追憶が一気に急加速、時の流れに追いつく。

 『うぐはっ……! り、竜がっ!』

 『きゃああっ!』

 臨戦態勢を取る体が拘束を振りほどくと同時にかわいらしい声。どすん、という音――
軽いか重いかはあえて考えない方がいい気がする――がヴィストの耳朶を打つ。

 『!……俺は』

 体に遅れて意識が現状を把握する。小屋の玄関。意識を取り戻した自分と、突き飛ばされて倒れている、朱鷺色の竜。


 横に張り出した一対の角と藍色の鬣。俯いている為顔は見えないが恐らく若い雌だ。が彼の知識と何か違和感がある。

 (二足歩行種にしては妙な体型だな)

 警戒しつつも持ち前の探究心が観察と分析を始める。まるで無理矢理人間の体型に合わせた様に見えるのは、人間の衣服を身に着ける為だろうか。

 (しかしエプロンってのは……人間に化けるにしたってどうかと思うがな)

 さきほど愚かにも取り乱してしまった原因、竜の身につけているエプロンとリボンにヴィストは苦笑する。この格好で乙女の様に振舞われるのは非常にシュールな光景だ。
 おそらく自分でなくてもツッコミを入れたくなるだろう。

 『あ、あの、そんなに見ないで下さい……恥ずかしいです』

 羞恥に困りきった声とちらちらと向けられる視線。まるで下着を隠そうとするかの如くエプロンの裾を引っ張る雌竜に、彼はとうとう我慢ができなくなった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 『あの、な。見えてるんだが』

 (え? えっと)

 唐突な人間の指摘。下着が見えてると言いたいらしい。ある筈のそれを私は必死で隠すフリをした。


 『すみません。はしたない真似をしてしまって……』

 と詫びるが、彼の表情はますます険しくなる。まさか……まさかふしだらな娘だと軽蔑されてしまったのだろうか。

 『すす、すみませんっ』

 『いや、だからもう見えてるんだって』

 ますます苛立ちを帯びる声。私は跳ねる様に立ち上がり姿勢を正した。眼を伏せながらも人間の様子を伺う。ここは何とか彼の不興を宥めねばならない。

 『失礼しました。あ、あの……』

 『ヴィスト=ケスキー、ヴィストでいい。ここの管理人みたいな仕事をしている……って知っているか。それよりだ』

 空気が鳴りそうな勢いで彼が私を指差す。

 『その人間の格好は何のつもりだ?』

 (え? えええええええええ!)

 指摘の意味する所に私は驚愕した。ウソだうそだ嘘だありえない。
おばあさまの幻術が人間如きの結界に破られたという事実。そして何よりそれに気が付かず醜態を演じ続けた自分に頭の中が真っ白になる。


 『み、見えてるんですか? その……』

 『角も、かわいい尻尾も全部だ。盛り上がっているトコ申し訳ないんだが……どうみても人間以外の何かにしか見えん』

 心底あきれ返った声に私の頭の中が一転真っ暗になる。

 (お、終わりだ……おばあさまあああああっ)

 最悪の展開。絶望に竜としての矜持すら崩れていく。恥も外聞も無く私は荒れ狂う感情に身を委ねていった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 『うっ……ウウッ……』

 (ま、まずいっ! 怒らせたかっ)

 感情の赴くままに失態を犯した自分にヴィストは愕然とした。よりによって竜族相手の交渉にあるまじき粗相だ。卑屈になる必要は無いとはいえ、それなりに敬意を持って接するべきだったのだがもう遅い。

 完膚なきまでにプライドを叩き潰され身を震わせる竜。その荒れ狂う感情が咆哮と共に彼に向かって吹き出した。


 グァオオオオオ! オウウウゥーン!……。

 (お、終わりだ! 避けられな……あれ?)

 予想していた痛撃の無さに構えを解いたその先には。

 グウウウ……オウウ……オウウウン……。

 地面に崩れ落ちまるで人間の様に泣きじゃくる、竜の姿が。

 (これが竜だって? オイオイオイオイ! 何かの冗談だろう?)

 本日三回目となる心中の叫びをよそに、なんとなく罪悪感がこみ上げてくる。その、何かとてつもなく気まずい雰囲気だ。とにかくよくない。よろしくない。
 コイツは竜だ。人間とは違うが、でも。

 (まてよ……この雌竜は)

 頭の中をよぎった強烈なデジャヴ。ヴィストの中で一つの記憶が再生される。それに後押しされる様に自然に体が動いていた。

 ――あの時と同じ様に。あの声が、涙が振り切れなくて。

 『す、すまん。悪かった……その、泣かないでくれ』

 身の危険を顧みず、彼は雌竜をやさしく抱き起こしていた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

――数分後。

 『……というワケで、ただお礼をしたかっただけなんです。お騒がせして申し訳ありませんでした』

 『あ、あ……そうなのか、そうだったのか。いやこちらも取り乱してすまなかった』

 日も沈みかけ、いつまでも玄関口にいるワケにもいかないとヴィストは泣きじゃくる雌竜をなんとか宥め、小屋の中に招き入れた。
そしてとりあえずテーブルを挟んで事情を聞いていたりするのだが。

 (しかし、外見はともかく振る舞いは人間の女の子そのものだな……)

 純情で世間知らずなお嬢様タイプか。仮に人間の姿にして見ると……うん、かわいい。
分析が妄想に変わりつつある事に気づき、彼は内心苦笑しながら思考を修正する。
 とにかくこれは尊大で近寄りがたいとされる竜族像に、紛れも無い変革をもたらす貴重な一例、その観察だ。邪険に扱って竜族から恨みを買うのを防ぐという計算もある。それ以上の意味は、無い。無いのだが。

 (思ったよりすべすべして、柔らかい体だった)

 彼女(?)を抱き起こした際の感触をヴィストは手の平で追認する。全身で抱きついたらさぞかし心地良い……いかん。そもそもこれは学術的な……。


 『あの……手を傷めてしまわれたのですか? それとも私の力がまだ抜けて……! ど、どうしましょう!……ウウッ』

 心底彼を案ずる雌竜の声。思考の循環に入りかけた彼は慌てて意識を目前に戻した。

 『い、いやいやいや! 違うんだ。これは、その薪割りで疲れたんだろう』

 魔眼の弊害を避ける為か、顔を背けている雌竜の目尻に光るものを見つけたヴィストは、ふたたび彼女を宥めるのに必死になった。

 (本当に傷つきやすい性格だ。見てられないぜ……とはいっても)

 頭を撫でるなど馴れ馴れしくするのは命取りになりかねない。年若くても性格が人間の娘でも、竜は竜、最強の幻獣なのだから。
 その判断はどこまでも理性的で正しい。だが感情的には彼女に触れたくて仕方が無いのもまた、間違いでは無かった。
 場と自分を誤魔化す為にヴィストは会話を継ぎ足していく。

 『そういえば失礼にも名前を聞いていなかったな。ええと……』

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 『スーフィリューン、です。親しい方々はスーフィと呼んでくださいます』

 あなたにはむしろそちらで呼んで欲しいんです。と言葉の裏に想いを込めて私は目の前の人間――ヴィストさんに名前を告げた。

 (やっと……やっと言えた。予定とは違いますが上手く行きましたよ!)


 心の中でおばあさまに語りかける。正体がばれた時は地竜に犯されかけた時以上に絶望したけれど、また彼が助けてくれた。言葉使いは乱暴でも、その振る舞いはとても優しくて……その差がまたたまらなく魅力的に思えてくる。

 (それに思ったよりもたくましくて……いい匂いの体だった)

 取り乱した私を抱き起こしてくれた時は、別の意味で我を失うところだった。
このまま彼を押し倒して無理矢理に……! 迂闊にもその光景を想像してしまい、全身がカッと熱くなる。

(――いけない!)

 木造の椅子を焦がしたら一大事。私は慌てて立ち上がると被害が無いかどうかを確かめる。どうやら粗相をせずに済んだようだ。

 『おっ、すまない。その椅子は人間用にしか作っていないんでな』

 『いえ! 私が未熟なので上手く体型を作れなくて……申し訳ありません』

 ありがたい事に、ヴィストさんは椅子が合わなかったと誤解してくれた。
 それにしても体型はともかく、おばあさまみたいに完全に人間へ化けられれば、自然に視線を交わす事ぐらいはできる筈なのに。いけない事とはわかっていても両親から受け継いだ己の魔力が恨めしかった。

 『え、えっとそれでですね。お礼の事なんですけど』


 来訪の目的は、数年前の暴行から助けてくれた件、そのお礼という事にしてある。私は後ろ向きになりかけた自分を押しのけて思考を切り替えた。そろそろ次の策を実行に移すとしよう。


★★★★★★★★★★★★★★【おばあさま口伝】★★★★★★★★★★★★★★★★★

      "人間の雄は家庭的な雌が大好き。エプロン一つで相手はイチコロ"

           ※まだ発情させない様やり過ぎに注意する事。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


 『――ふつつかものではありますが、身の回りのお世話をさせて頂きたく思います』

 なんとなく身に着けていたエプロンの紐をぎゅっと締めなおし――少しキツイけど我慢して周囲を見渡す。……あった。

 『お食事、まだですか? 台所をお借りしますね』

 『あ、いやそのちょっと……し、食材取ってくるから待っててくれ』

 気迫に押されたのか、逃げる様に床の貯蔵庫を探り始めたヴィストさんを尻目に私は浮き浮きと準備を始めた。半ば強引な始め方が少々不安ではあるものの、作戦が成功すれば帳消しになる筈。それぐらい絶大な効果が期待できるとおばあさまのお墨付きなのだ。

 ――はじめての手料理は。


 『っと。すまん。自作の畑と保存食ばかりでロクなモンがないんだが……』

 彼の言葉とは裏腹に見事な色艶の野菜と、薬草の類が運ばれてきた。塩付け肉や干し魚もあるし、これなら滋養のあるモノが作れそうだ。
 私は数年間必死に覚えた知識を総ざらいして献立を組み立てた……これならいける。確信に満ちた高揚感に包まれ、ますます楽しい気分になってくる。

 『ありがとうございます! おいしいモノ作りますからそこで待っててくださいね!』

 息荒くヴィストさんをテーブルへと追い立て、私は鼻歌交じりに調理を始めた。

 グルルルッ~キュンキュン♪グルルルキュ~ン♪

 何故か異様なまでに楽しげに。強引に料理を作り始めた雌竜――スーフィリューンの奇妙だが可愛らしい鳴き声が響く。

 (俺は、今凄い体験をしているのか?)

 ヴィストは夢を見ているのではないかと何度も頬をつねった。が目前の珍事は消えてくれない。竜というより亜人に近い朱鷺色の体躯に、無理矢理まとった感のあるエプロン。
藍色の鬣と尻尾がリズムを持って左右に揺れている。

 (今まで苦労して集めた竜族の資料が……これじゃ大幅修正だな)

 いやむしろ一から書き直したほうが手っ取り早いかもしれない。その、目の前の好例が許してくれれば、是非色々と研究を。
 何せ家事をこなし、唄って踊る竜など、人類は未だ出会ったためしは無いのだから。

 (知識は学習によるものだとしても。人間的すぎるふるまいは変身の影響か?)

 彼は胸躍らせながらあれこれと推測を楽しむ。そういえば雌竜の格好はどこかで見たような気がしなくもない。どうでもいい事のはずだが何か引っ掛かる。

 瞬間、ある単語が脳裏に閃いた。

 (マジかよ! い、いやそんなふしだらな……だが確かに)


 条件は、当て嵌まる。

 ――それは貴族時代、何度か下町の悪友に見せてもらった艶本にある、古き良き風習。

 (確かに、それ以外は何も着ていない)

 ――つまるところの、裸エプロン。

 (うわわわ! ナニ、いや何考えてるんだ!)

 健全な男子としてはその、分からなくも無いが分別ある大人いや人間としては倫理的にというより異種族に欲情する方が精神的に大問題というかその。

 (俺の大馬鹿野郎! 下手したら今度こそ殺されるぞ!)

 ヴィストは背筋に無理矢理理性の冷水を流し込み、何とか混乱から立ち直る事ができた。
気の迷いとは言え、今の考えを少しでも悟られたら……いたたまれない気分だったが、それがかえって有難かった。

 ……だがしかし。一度覚えた感情はそう簡単に忘れる事はできない。そして偶然の悪戯は時として連鎖するもの。

 ゴクッ!

 唾と共に飲み込んだ、危うい緊張がヴィストの全身に広がっていく。特に体の一部に集中するコレはかなり。


 (や、ヤバイ。みみみ見えた。見てしまった)

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