地に墜ちた女王

    

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アルコールと獣の皮、そして幾許かの血の匂いが、辺りに充満していた。
飛竜の甲殻で作られた重厚な装備に身を包む屈強そうな男達が、危険な冒険に挑む前に命を預け合う仲間と安らぎの一時を過ごしている。
普段強面のハンター達との会話に慣れているはずの酒場の娘も、そんな一見収拾がつかないのではないかとも思えるような喧騒に溜息をついた。
「マスター、次の依頼です」
騒音に揺れる耳に微かに聞こえた声を頼りに娘が顔を横へ向けると、隣で半分寝ぼけていたギルドマスターのもとへ若い男からある依頼の書かれた羊皮紙が届けられている。
「フム・・・これは・・・間違いないのじゃな?」
「はぁ・・・確かにそのように仰せつかりました」
「そうか・・・よかろう。ご苦労じゃった」
なんとなく腑に落ちないような顔でマスターが頷いたのを見届けると、男はそそくさと酒場を出ていった。

あの若い男は、各地から寄せられるハンターへの依頼を取りまとめて持ってきてくれる情報屋の1人だ。
その彼が、今回だけは様子がおかしかった。
依頼の内容に不思議な所でもあったのだろうか?
そんなことを考えながらマスターの動きを待っていると、ようやくその羊皮紙が私のもとへ渡される。
そこには、あのわがままな第三王女からのいつも通りの無茶な要求が書かれていた。

わらわは、あの飛竜をペットにしたいのじゃ。よいか、決して殺してはならぬ!
雌飛竜を生きたまま、わらわのもとへ連れてくるのじゃ!

「め、雌・・・?」
この際はっきり言えば、このイカれた王女が飛竜をペットにしたいなどとのたまうのは別に珍しいことではない。
これまでにも何度か雄飛竜を連れてこいなどという依頼を出しては、ハンター達の嘲笑の的になっていたものだ。
だが雌の飛竜を要求する依頼は、少なくとも私の知る限りは今まで1度としてなかったはず・・・
以前捕えたリオレウスを首尾よく飼い慣らして、今度は番いにでもしようということなのだろうか?
突如舞い込んできた不思議な依頼に首を捻りながらも、私はそれを夥しい数の紙が貼られた掲示板に鋲で止めてみた。
すかさず、新たな依頼に興味を引かれた数人のハンター達が依頼の内容を確認しにくる。
「おい姉ちゃん、この王女の依頼だけどよ、本当にレイアで間違いねぇんだよな?」
「え、ええ・・・間違いない・・・はずよ」
「ふーん・・・今度はレイアねぇ・・・・・・なかなか面白そうじゃねぇか」
全身をリオレウスの甲殻でできた真っ赤な装備で固めているそのハンターはボソボソと何やら呟いたかと思うと、突然背後でビールを飲んでいた仲間達に向かって大声を上げた。
「おい!王女が今度はレイアが欲しいとよ!ちょっくら小銭を稼ぎに行こうぜ!」
「わっはっはははは!懲りないねぇ、あの王女も!そんじゃあ酔い覚ましに行ってくるか!」
「ようし、俺も付き合うぞ!」

数人の仲間達が呼応したのを確認すると、ハンターは依頼の紙を掲示板から毟り取って私のもとへと差し出した。
「随分余裕なのね。相手は陸の女王だってのに」
「実を言うとな、この前王女にレウスを届けてやったのは俺達なのさ。だから軽いもんよぉ」
自慢げにそう言いながら、新しく手に入れたのであろう新品の片手剣を愛しげに眺め回す。
「まあ、報酬金より余った飛竜の素材を売っ払った方が金になるってのはお笑い種だけどな」
「ふふ・・・確かにそうね。はい!じゃあ、気をつけていってきてね」
「なぁに、半日もあれば片がつくって。おい野郎共、とっとと行くぞ!」
ややあってそんな嵐のような怒号と荒々しい足音が酒場の外へと消えていくと、私はなんとなく疲れてふうっと溜息をついた。

全く、あの王女の悪戯好きというのか、常識の無さには敬意すら覚えたくなる。
僕は急遽広大な庭園の隅に作られた"ペット用"の小屋を眺めながら、周囲の衛兵達に見咎められない程度に小さく溜息をついた。
尤も、僕の心境を知っている衛兵達から見ればそれは同情の対象にはなり得ても、決して侮蔑の対象にはならないことだろう。
王宮内の誰もが、もちろんあの王ですら、第三王女の御転婆振りにはほとほと手を焼いているからだ。
まだ若いとはいえあの第二王子ですらハンターに憧れて飛竜討伐に名乗りを上げることがあるというのに、(もちろんその度に王に止められて泣く泣くハンター達に頼ることになるのだが)あの王女の無法さときたら・・・
もう1度、今度は隠しもせずに大きく溜息をつくと、僕は疎らに白雲の浮かんだ空を見上げた。
僕はこれでも、数ヶ月前まではハンターの端くれだった。
僕1人ではとても無理な話だが、仲間達と大きなイャンクックを狩り出した時の感動は今でも覚えている。
だがその後調子に乗って出発した初めての単独での採集任務で、僕はヤツに出会ってしまった。
鍛え抜かれた屈強な脚で大地を走り回り、天をも覆い隠すかのような巨大な翼を広げて火球を吐き出す飛竜・・・
巣から盗み出された卵を奪い返そうと眼を血走らせて猛然と追走してくる陸の女王を前に、僕は肝を潰して卵をその場に置き捨てるとベースキャンプまで必死で逃げ帰ったものだった。

ハンター稼業から足を洗って王宮住み付きの雑用係という今の職についた後も、時折あの時の恐ろしさを思い出して1人で震えることがある。
王女にペットの世話を任されたとき、僕は正直言って楽な仕事だと思っていた。
そのペットというのが、他でもないリオレイアだと聞かされるまでは。
「レイアか・・・」
ハンターとしては半人前だったとはいえ、飛竜の恐ろしさは誰もが知っていることだ。
丘やジャングルの上をあちらこちらへ飛び回っているだけでも街や村の人々は大層不安に駆られるというのに、それと実際に相対して体の芯にまで刻みつけられた恐怖は容易に拭い落とせるものではない。
リオレイアを捕獲したという知らせが城へ届いてから、もうすぐ半日になる。
そろそろ、あの恐ろしい巨竜がこの小屋へと運ばれてくるはずだ。
灼熱の火球や巨体を生かした体当たりにも耐えうる頑丈な石と鉱物でできた厚い壁、これまた稀少な鉱石で強化された天井を覆う格子状の鉄柵・・・
その原料の多くがハンター達の必死の冒険の末に手に入れられた物だということにまで考えが及ぶと、つくづく金の力の恐ろしさが実感できるというものだろう。

「レイアが来たぞー!」
その時、固く閉ざされていた外門の方から誰かの大声が聞こえてきた。
途端に周囲が慌しくなり、大きく開けられた門戸の中へくすんだ緑色の塊が運び入れられ始める。
一体どうやってあの上に乗せたというのか、車輪のついた台車で4頭のアプトノス達に引かれているそれは、紛れも無く陸の女王、雌火竜リオレイアそのものだった。
相当に手練のハンター達が狩り出したらしく、リオレイアの特徴的な顎の刺から翼爪、脚の爪、それに牙までもが無残に叩き折られ、元来刺々しいはずの顔のシルエットが一見して丸みを帯びているようにすら見える。
薄っすらと女王たる威厳を残したその顔にも、大剣を振り下ろされたと見える大きな傷がついていた。
更に驚くべきことに、リオレイアの自慢の尾が真ん中からすっぱりと切断され、その切断面から真っ赤な血とともに鍛え上げられた筋肉の束が痛々しく顔を覗かせている。
「可哀想に・・・」
まるで死んでいるのかのようにぐったりと動かないまま小屋の中へと運ばれていくリオレイアを見送りながら、僕は不意に口をついて出たその言葉を噛み締めていた。

翌朝、僕は城の端にある自室でそっと目を覚ました。
「う・・・もう朝か・・・」
豪奢なカーテンのかけられた窓から眩い朝日が部屋の中へと差し込み、辺りに心の落ちつく光を投げかけている。
昨日は捕えてきたリオレイアの拘束やら何やらで、肝心の世話役の僕が小屋の中に入ることはできなかった。
まぁ、僕としても入らなくて済むのならそれに越したことはない。
ハンター達に打ちのめされて弱った挙句に頑丈な鎖で幾重にも拘束されているとはいえ、リオレイアと会うに当たって最も大きく僕の心の内を占めている感情は・・・恐怖だったからだ。
だが、今日はあの小屋へ行かなくてはならない。
女王からまるで奴隷か何かのような身分へと墜とされた彼女にしてみれば、人間達を・・・とりわけハンター達を、心の底から憎んでいることだろう。

軽い朝食もそこそこにして素早く着替えると、僕はなるべく人目につかないように城の回廊を通り抜けて庭園の一角に佇む"ペット"の小屋へと走っていった。
そして小さな車輪のついた分厚い扉を左右へ開き、恐る恐る中を覗き込む。
だが次の瞬間目に飛び込んできた光景に、僕はつい先程まで抱いていたはずの恐怖や不安も忘れて呆然とその場に立ち尽くしていた。
ジャラ・・・ジャララ・・・
明らかに特注品の太い鎖が十数本、小屋の奥の壁に突き出た突起にかけられている。
その黒い鎖の束の先に、彼女はいた。
止むことのない激痛にでも苛まれているのか、苦しげに顔を歪めた1匹のリオレイア・・・
恐らく、キングサイズという奴だろう。
いつしか僕が出遭ったあのリオレイアより2回りも3回りも大きい個体であることが、体を丸めて蹲った姿勢をしているにも関わらずはっきりと手に取るように判る。
扉を開けた僕の気配に気がついたのか、リオレイアは鎖の巻かれた頭をそっと持ち上げて僕を睨みつけた。

「ああ・・・」
何という酷いことをするのだろう。
傷だらけの口の周りには固い金属の輪がはめられていて、半分程度しか顎を開けられないようになっている。
これでは何とか餌を食うことはできても、火球を吐くことはできないだろう。
怒りと殺意を孕んだ彼女の瞳には、それ以上に強い無念の色が滲んでいた。
とにかく早く餌を食べさせてやらなくては、死にはしないまでも更に激しく衰弱してしまうのは目に見えている。
僕は小屋の隅にすでに用意されていた大量のアプトノスの生肉を見つけると(昨日の運搬係だろうか?)、骨のついた部位を2つばかり手に持ってそろそろとリオレイアに近づいていった。
「お、落ち着け・・・彼女は・・・鎖で繋がれてるじゃないか・・・」
必死で自分にそう言い聞かせながら、1歩、また1歩と怒れる雌火竜との距離を縮めていく。
だが後数歩でリオレイアの口元に手が届くという所まできた瞬間、彼女が突然僕に向かって飛びかかってきた。

「グオアアアアアアアアーッ!!」
ガシャーン!ガチャガチャッ!
「う、うわああああああ!」
半分折れてしまっているとはいえ巨大な脚の爪が僕に向かって勢いよく振り下ろされたが、壁に繋がれた幾本もの鎖が彼女の体を引き留める。
ブンという空気を切り裂く音とともに僕の眼前を凶悪な爪先が通り過ぎ、僕は恐ろしさと驚きのあまりその場にペタンと尻餅をついていた。
「グアッゴアアアッ!」
ガシャッガチャガチャガチャッ
全力を込めた必殺の一撃を外してしまい、彼女がなおも猛り狂って体を暴れさせている。
「ハァ・・・ハァ・・・」
危なかった・・・もしリオレイアが飛びかかってくるのが後1秒遅かったら、僕は今頃無残な肉塊と化してその辺の地面に転がっていたことだろう。
数ヶ月前にも味わった飛竜の恐怖をまざまざと思い出してしまい、僕は荒くなった息と跳ね上がった心臓の鼓動が収まるまで眼前で暴れる彼女の様子をじっと見守っていた。

ガシャッ・・・ガチャッ・・・
しばらく暴れ回った末にようやく僕には手を出せないことを悟ったのか、彼女はどことなく悔しさを滲ませた眼で僕を見つめながらその場に蹲った。
獲物の耳を劈くような大きな咆哮を上げることも敵を焼き尽くす火球を吐き出すこともできず、誇り高い雌火竜がフゥフゥと荒い息をつきながら目の前のちっぽけな人間にひたすら敵意を燃やしている。
「グルル・・・」
そんな彼女を見てようやく落ち着きを取り戻すと、僕は地面に取り落とした生肉を拾ってそっと立ち上がった。
これ以上、彼女に近づくのはよそう。
僕はそう心に決めると、不用意な刺激を与えないように手にした生肉を静かに彼女の足元に放り投げた。
ドサッという湿った音がして、今しがた僕を蹴り殺そうとした巨大な脚のそばに生肉が転がる。
だが彼女はそれを一瞥もすることなく、僕に対して相変わらず怒りのこもった視線を投げかけ続けていた。

「なあ、頼むよ・・・食べてくれよ」
そう言いながらもう1つの肉も彼女の足元に投げてみたが、やはり反応を示す様子はない。
だが1歩でも彼女に近づこうとすると、途端にその眼に危険な光が宿るのが見て取れた。
「グル・・・ルル・・・」
今度こそ確実に僕を仕留めようと、慎重に間合いを計っているのだろうか。
仕方ない・・・もう少し彼女が落ち着いてから、改めて出直すとしよう。
そう思って踵を返した僕の背中に、逃げようとする獲物を視殺するかのような鋭い視線が終始浴びせられていた。
そもそも、飛竜が人間に懐くことなどあるのだろうか?
重い小屋の扉を閉めながら、ふとそんなことを考えてしまう。
まあいい・・・昼食を摂ったら、もう1度彼女の様子を見にくるとしよう。
昼時の時間を告げる高く昇った太陽を見上げながら、僕は来た時と同じように城へ向かって走っていった。

「ふぅ・・・少しは落ち着いてくれたかな・・・」
リオレイアの世話を始めた初日からいきなり大きな壁にぶつかってしまい、僕は膨れたお腹を抱えたまま小屋へと向かった。
朝っぱらからいきなり殺されかけたというのに、例の王女は早くリオレイアを手懐けろとの一点張り。
こんな状況であの凶暴な飛竜が人間の言いなりになるなんてとても考えられないが、命令とあらば仕方がない。
衛兵達の前でも暗い面持ちを隠せぬまま、僕は彼女の待つ小屋の中へと入っていった。
朝に見た時と同じく、彼女が鎖に繋がれたまま地面の上へと蹲っている。
だがよく目を凝らすと、彼女の足元に落ちているはずの2つの生肉が消えていた。
僕がいない間に手をつけてくれたのだろうか?
彼女の心情がどうであれ餌を食べてくれたという事実が、僕の内に燻り続けていた不安の炎を多少は弱めてくれたような気がした。

「やぁ・・・」
僕は小屋の隅に置かれていた別の生肉を手にすると、努めて明るい笑顔を作りながら控え目に彼女に声をかけた。
だが肝心の彼女の方はどうせ僕が手の届く所までは近づいてこないと諦めているのか、フンと小さく鼻息をついたままそっぽを向いている。
「さっきの肉、美味しかったかい?」
朝と同じようにギリギリまで火竜に近づくと、僕は手にした生肉を軽く振って彼女の興味を引こうと試みた。
「グルルッ・・・」
その動作の何かが癇に障ったのか、煩い奴だとでもいうように彼女が苛立った唸り声を上げる。
だが彼女は流石に朝に食べた2切れの生肉だけでは満腹には程遠かったらしく、一応は僕の持っている生肉に興味を示しているように見えた。
その証拠に、瞳の動きだけでは肉を追いきれないのか彼女が時折遠慮がちに首を動かしている。
「ほら・・・ちゃんと食べなよ」
彼女の口元から無意識の内にトロリと唾液が溢れたのを目にすると、僕は蹲った彼女の口元目掛けてそっと肉を放り投げてやった。
トサッ・・・
突然口元に転がった生肉に驚いたのか、彼女が大きく目を見開いて僕を見つめる。
だがやがてその視線の先が目の前の肉へと移動すると、僕はホッと小さく安堵の息をついた。

足元に落ちた生肉に対するリオレイアの反応は、かつてハンターだった僕でなくとも興味深いものだった。
くんくんと匂いを嗅ぐようにして鼻先を近づけ、小さく開けた口の中から舌を出して肉の塊を転がしている。
この警戒のしようは、きっと彼女を狩り出したハンター達に罠の仕込まれた肉でも食わされたのだろう。
だが僕の真意をはかりかねるかのようにチラチラとこちらへ視線を向けながらも、やがて空腹に負けたのか彼女が遠慮がちに肉を咥えた。
そしてそのまま顎を上げ、上手く開かない口の中に器用に肉の塊を滑り込ませていく。
ムシャ・・・ムシャ・・・ゴクッ・・・
ややあって餌を飲み込むくぐもった嚥下の音が聞こえてくると、僕は大きく顔を綻ばせた。

やっと僕の目の前で餌を食べてくれたのだ。
彼女にしてみれば腹が減って仕方なくということなのかも知れないが、これは大きな前進だと言えるだろう。
試しにもう1つ肉を投げてみると、今度はすぐに食いついてくれた。
パクッ・・・ムシャ・・・ムシャッ・・・
「ははっ・・・やった・・・」
最早僕の方へは顔すら向けずにひたすら餌の生肉を咀嚼する彼女を見ていると、不思議と心が和んでくる。
案外、凶悪だと思われている飛竜達とも心を通わせられる時が来るのかもしれないな・・・
差し出した分だけ餌を食べてくれるのが嬉しくて、僕はいつしか小屋の隅に蓄えられていた大量の生肉を全て彼女に食べさせていた。

次の日、僕はまだ衛兵以外の誰もが寝静まっている早朝のうちから起き出して彼女の様子を見にいった。
小屋に足を踏み入れた僕を見つめる彼女の眼には相変わらず油断の色は見えなかったが、そうかといって昨日ほど敵意を剥き出しにはしていないようだ。
だがそれを喜んだのも束の間、僕は既に彼女の餌が枯渇していることに気がついて肩を落とした。
「ああ・・・昨日全部食べさせちゃったんだっけ・・・」
仕方ない・・・地元の領主に頼んで、パーティ用だっていう名目で生肉を調達してもらうとしよう。
こんな王女の道楽の為にハンター達に働いてもらうのは元同業者としては気が引けたが、既に悲惨な目に遭っている眼前の憐れな飛竜には少しでも報いてやらなくてはならないだろう。

外の衛兵にその用件を伝えて戻ってくると、餌を貰えることを期待しているのか彼女が顔を上げた。
だが生憎手持ちがないことを伝えるように両手を広げて近づいていくと、彼女が興味を失ったかのように再び地面の上へと身を横たえる。
僕は早くも定位置と化した彼女から数メートル離れた所の地面の上に座り込むと、眠りにつこうと目を閉じた彼女の仕草をじっと眺めていた。
「グル・・・グルル・・・」
その巨体に見合った長い呼吸とともに低い唸りが聞こえ、到る所に鎖を巻かれた山のような体が静かに上下する。
時折尻尾の方を気にして身を捩るのは、何か違和感でもあるのだろうか?
試しにそっと彼女の陰を覗き込んでみると、切断されて痛々しい傷口を覗かせていた尾の先が目に入った。
あの生々しかった傷の上には早くも薄っすらと白い皮膜が張っていて、自然治癒が始まっているように見える。
だが痛みか、それとも治り始めた傷が痒いのか、頻りに尾を振ろうとしては巻きつけられた鎖に阻まれてガチャガチャと耳障りな音を立てていた。
せめてあの尾に巻きついた鎖だけでも、外してやることはできないだろうか・・・
頑固に目を閉じたまま不快感を堪えている彼女を見るに見かねると、僕はそっと音を立てないようにして立ち上がっていた。

原始的な方法だがリオレイアの眼前で手を振って完全に目が閉じられていることを確認し、彼女が起きないように静かに足を・・・そこまでいった瞬間、僕はハッと現実に引き戻された。
一体、何をしようとしていたんだ?あの鎖を外してやりたいだって・・・?
「はは・・・やっぱり、無理だよな・・・」
先程と変わらず地に頭を横たえて眠る彼女を見上げながら、僕はふっと自虐的な溜息をついた。
何という馬鹿なことを考えていたのだろうか。
あの鎖は、1本1本が僕の腕よりも太い特注品なのだ。
重量だって相当なものだし(現に腕っ節の強い衛兵達が1日がかりで巻きつけたのだから)、彼女の尻尾だって地面に垂れているとはいえ僕の身長と同じ位の高さがある。
ましてや鎖に触れる程にまで近づいている時に彼女が目を覚ましたら、今度こそ僕の命はないだろう。
あの王女は僕が完全にリオレイアを手懐けたらまた同じようにして鎖を外してやるつもりなのかもしれないが、僕にはそれが途方もなく愚かで、そして現実味のない話に思えた。
仮に僕に懐いたとしてもまた麻酔弾をたっぷり撃ち込んでしまうのでは、信頼も何もあったものではないだろう。
ここはやはり時間をおいて、彼女の協力を得ながら少しずつ鎖を外してやる方が得策だ。
尤も、彼女とコミュニケーションを取る為にはまず生肉がないと始まらないっていうのが問題なんだけど・・・

コンコン・・・
その時、誰かが小屋の扉を小さく叩いた。
密度の高い壁で覆われた小屋の中にはそんな音でもよく反響して聞こえてくるせいで、彼女が目を覚ます。
何事かと思って外に出てみると、数人の衛兵達が調達された生肉の山を台車に乗せて小屋の前に集まっていた。
「そら、依頼の生肉だぞ」
「あんなに用意してあったのに、レイアはもう全部平らげたのか?」
「ああ・・・少なくともしばらくは、餌を絶やさないでおいてくれ」
そう言って大きく扉を開け、台車を押す衛兵達を小屋の中へと入れてやる。
「グオアッ!グルオオオオーッ!」
ガシャッ!ガチャーン!
その途端自分に屈辱的な縛めを施した衛兵達を目にして彼女が激しく暴れたが、やがて小屋の中に僕と大量の餌だけが残されるとその喧騒も静かになっていた。

「ほら、お待ちかねの肉だぞ」
僕は台車の上から両手で抱えられるだけの生肉を持つと、ゆっくりと彼女に近づいていった。
こちらを不思議そうに見つめる彼女の視線が、僕と餌を交互に行き来している。
「グル・・・グゥ・・・」
そしてドサリという音とともに例の場所へ肉を積み上げると、僕はその内の1つをポイッと彼女に放り投げた。
その音もなく宙を舞う生肉を、彼女が空中でキャッチする。
パクッ
「おおっ!凄い!」
多少は僕のことを信頼してくれたのか、飛竜への餌やりは昨日以上にスムーズに進んでいった。
やがて堆く積まれていた10個程の生肉の山が、あっという間に彼女の腹の中へと収まってしまう。

「満足したかい?」
「グルゥ・・・」
今の唸り声は、彼女の返事なのだろうか?
試しにそっと立ち上がり、大分負の感情を洗い流した彼女の眼に訴えかけてみる。
「あんたのそばに行っても・・・いいかな?」
返事はない。だが僕が1歩彼女に近づいてみても、前のように彼女の瞳に変化は見られなかった。
更にもう1歩、震える片足を前に踏み出してみる。
僕を殺そうと思えば、もうその牙も爪も十分に届く位置だ。
慎重に僕の動向を探るような彼女の視線に、心臓の鼓動が否応なく早くなっていく。
だめだ・・・恐れちゃだめだ。信頼するんだ・・・彼女を・・・
だがゴクリと唾を飲み込んで3歩目を踏み出したその時、彼女が不意にその傷だらけの顔を持ち上げていた。

「うっ・・・」
突然視界を覆い尽くした巨大な雌火竜の頭・・・口輪のせいで半分ほどしか開けられないとはいえ、人間を咥え込んで噛み砕く程度なら簡単にできそうな巨口が僕の眼前でゆらゆらと揺れた。
「グルルルル・・・」
口内に並んだ恐ろしい牙の森と血のように深紅に映える大きな舌が顔を覗かせ、僕の足を恐怖で縛り付けていく。
最早いつでも僕を殺せると思っているのか昨日のように激しく襲い掛かってくることはなかったものの、彼女の眼はじっと僕の恐怖に歪んだ顔に焦点を合わせていた。
だがそれ以上は動こうとしないところを見ると、まだ僕を殺すつもりではないらしい。
もう後には退けない・・・既に何度か味わったリオレイアの迫力に負けじと勇気を奮い起こすと、僕はカチカチに凍りついていた足を何とか前に進めた。
高々と持ち上げられた彼女の口の下を通り過ぎ、恐る恐る極太の尻尾の付け根にまで到達する。
すぐそばで地面を踏み締めている彼女の脚は僕の体よりも2回りも大きく、陸の女王たる所以のこの健脚で踏み潰されたらとても原形など留めていられそうにない。

そんないつでも僕の命を奪い得る様々な凶器を目にしながら彼女の尾に絡まった鎖へと手を伸ばすと、僕はそれを極力彼女を刺激しないよう慎重に引っ張っていった。
ジャラ・・・ジャラ・・・
凄い重さだ・・・こんな重い鎖を体中に巻きつけられてもなおあれだけ暴れることができるのだから、飛竜が持つ力の強大さが窺い知れるというものだろう。
ほとんど全力を込めるようにして鱗や甲殻の突起に引っかかった鎖を外していく僕の様子を、彼女が持ち上げた大きく首を曲げたままじっと監視していた。

ジャララララッ!
やがて尾の周辺に絡まっていた1本の鎖がようやく外れると、とっかかりを失った黒い鎖が盛大な音を立てて壁際に垂れ下がっていった。
その騒音が彼女を怒らせるきっかけになりはしないかと思って、ビクッと身を強張らせる。
だが彼女の方はというと、相変わらず油断のない瞳で僕を睨みながら無言で他の鎖も外すように要求していた。
「グルルッ・・・」
その証拠に、彼女から離れようとして後退さるとそれを牽制するかのように小さな唸り声が上げられる。
「あ、ああ・・・わかったよ」
とりあえず殺される心配はなさそうなことに安心して、僕は山のような巨大な体に巻きついた鎖を手に取った。

「なあ、ちょっとだけ体を持ち上げてくれ」
僕の言葉が通じたのか、それとも僕の意図をその賢い頭で読み取ったのか、彼女がほんの少しだけ体を浮かせる。
それと同時に引っ張られてギチギチに張り詰めていた鎖が撓み、カチャカチャと金属質な音が辺りに響き渡った。
そして15分程リオレイアの周りを行ったり来たりしながら何とか2本目の鎖を取り外すと、大分楽になったのか彼女が小さく折り畳まれた翼や尾を軽く揺り動かす。
ガシャッジャララッガチャガチャガチャ・・・
その振動であちこちに引っかかっていた鎖が次々と外れ、あっという間に彼女の拘束が解かれていった。
「ああ・・・」
だが首の周りに何重にも巻きつけられた最後の鎖だけは自力では外せなかったようで、彼女が自由になった体を僕の方へと向けながら低い唸り声を上げる。
「グルルル・・・」
これも外せということなのだろう。
だが、果たして彼女を完全に自由にしてしまってもいいものだろうか?
僕を見つめる彼女の視線に殺気はなかったものの、その代わりに有無を言わせぬ強い光が宿っていた。
仕方ない・・・乗りかかった船だ、外してやるとしよう。
その後の命の保証は全くないものの、彼女の方も鎖を外さずに僕をその場から離れさせてくれる雰囲気ではない。
しばらく彼女と見つめ合ってようやく覚悟を決めると、僕はそっと彼女の首に巻きついた僕の命綱に手をかけた。

カチャ・・・チャラ・・・
幾重にも首の周りに巻きついていた鎖が1巻き、2巻きと外れていく度に、僕は彼女の顔に何とも言えない微かな笑みが広がっていくのが見て取れた。
ようやく自由の身になれることに対する喜びか、それとも彼女をこんな目に遭わせた憎きハンターに対する復讐の力を蓄えられる喜びなのか・・・
何れにしても彼女の吊り上がった巨大な口の端とスッと細められた双眸には、どこか危険な雰囲気が漂っている。
ガチャガチャ・・・ジャラララッ!
疲れた腕で最後の1巻きを引き上げると、やがて彼女の体を絡め取っていた束縛の鎖が全て外れた。
そして軽くなった体をブルンと大きく震わせ、彼女が全身で睨め下ろすようにして僕に鋭い視線を向ける。
彼女は唯一その自由を奪っている口輪の存在をうっとおしげに首を振ると、おもむろに僕の眼前に頭を垂れた。
「グルッ・・・!」
その冥府の底から突き上げるような短い唸り声は決して先程までのような要求などという生温いものではなく、寧ろ無力な獲物と化した目の前のちっぽけな存在に対する女王の命令だった。

その迫力に圧倒されて数歩後退さった僕を、女王が首を伸ばすだけで追い詰める。
だがリオレイアの口にはめられた拘束環は頑丈な鍵で固定されていて、今の僕にはどうすることもできない。
「う・・・そ、それは僕では外せないんだ・・・か、鍵が必要なんだよ・・・」
無論そんな説明などリオレイアには理解できるはずもなく、ただ拒絶の意思だけが彼女に伝わったようだった。
「グオアアッ!」
「うわあっ!」
怒りとともに上げられた大きな唸り声に驚き、僕は腰を抜かしてドサリとその場にへたり込んでいた。
そんな僕の上に、あの巨大過ぎるリオレイアの脚が容赦なく振り上げられる。

ドスッ!
次の瞬間、僕は彼女に踏みつけられてくぐもった悲鳴を上げていた。
「ぐあっ!」
メシ・・・ミシミシ・・・
ゆっくりと際限なく増していく圧迫感に体中の骨が軋み、彼女の爪の間から顔だけを出したまま喘ぎ声を上げる。
「う、うあっ・・・うああっ・・・!」
その巨躯が誇る凄まじい体重を考えれば彼女が相当に手加減しているのは明らかだが、それでも肺の空気が押し出されて呼吸ができず、息が苦しい。
何とか脚の下から逃れようと地面に押しつけられた体に必死に力を入れてみるが、そんな抵抗の兆しを見つける度、彼女が獲物を踏み躙るかのように脚を左右にグリグリと捻った。
「ぐあああ・・・た、助けて・・・くれぇ・・・」
もがくこともできずに命乞いする僕の目の前に彼女が再度顔を突き出し、口輪を外せと最後の命令を下す。
「む、無理なんだよ・・・その鍵は・・・王女が持ってるんだ・・・だ、だから・・・が・・・ぁ・・・」
無言のままメキッという音とともに更に強く踏みつけられ、その一撃に全く声が出せなくなる。
く、苦しい・・・どうせ殺すのなら、いっそ一思いに踏み潰してくれ・・・
僕はしばらくの間声にならない喘ぎを上げながら悶えていたものの、やがて酸欠になった頭が僕の意識を真っ白にフェードアウトさせていった。

「グゥ・・・ルルル・・・」
私は脚の下で気を失った人間を見つめながら、その処遇をどうするかじっと考えあぐねていた。
こやつをこのまま踏み潰すのは容易いことだが、私にこんな屈辱を味わわせたハンター達は別にしても、終始私のことを気にかけてくれたこの人間は殺すべきではないように思える。
その証拠にこやつは私が殺そうとしたにも関わらず大量の糧を私に捧げ、この身を絡め取っていた忌々しい縛めをも取り去ってくれたではないか。
死の淵に立たされながらもこの顎にはめられた縛めを解かなかったのは私に対する裏切りなどではなく、そうしたくてもできない何かしらの理由があったのだろう。
息苦しさと死の恐怖に憔悴した人間の顔をしばらく眺めると、私は彼を踏みつけていた脚をそっとどけてやった。
「グルル・・・」
この人間は、もう少し生かしておいてやってもいいだろう。
目の前に現れた人間を生かしておくなどという決断を下したのは初めてだが、私は大きくは開けられぬ口からそっと舌を伸ばすと人間の顔をペロリと舐め上げてやった。

ペロ・・・ペロ・・・
「う・・・ん・・・」
暗い死の闇から現実へと意識を引き戻され、僕は目を閉じたまま周囲の気配を探っていた。
顔の上を何か湿った肉塊が這い回り、同時に生暖かい風が吹きつけられている。
更にはグルルという喉を鳴らすような唸り声が聞こえ、僕はようやく自分の身に起こったことを思い出していた。
気を失う直前僕はあの巨大な脚に踏みつけられていたはずだが、今はなぜか自由の身になっている。
「う、うわあああっ!」
僕は目を開けて顔を舐め回していた雌火竜の舌を反射的に払いのけると、よたよたとその場から後退さった。
そんな僕を追いかけるでもなく、彼女がじっと僕の顔を見つめている。
「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・」
助かった・・・いや、助けてくれたのだろうか?
心臓が激しく暴れ回る僕を落ち着かせようとしてなのか、彼女が静かにその場に巨体を沈み込ませる。
それを見て、僕はようやく安堵の息をついた。
なぜ命が助かったのかはわからないが、彼女に理由を聞いても答えてはくれないだろう。
だがその眼から彼女が餌を欲していることを読み取ると、僕は軋む体を持ち上げて餌置き場へと取って返した。

とにかく、僕に懐いてくれたのかどうかは別として、彼女は鎖に繋がなくても大人しくしていてくれるらしい。
多少は巨大な女王と心を通じ合わせることができたのだろうかと1人で勝手に納得すると、僕は先程と同じように両手一杯に生肉を抱えてそれを彼女の元へと運んでいった。
もう、彼女から離れて肉を放り投げてやる必要はない。
手にした肉の塊を持ち上げて彼女の口元に差し出すと、僕の手を噛まないように彼女がそれをそっと咥える。
よかった・・・
その様子に心の底からホッとすると、僕はその日、日が暮れるまで彼女と小屋の中で過ごしていた。

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