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空からきた少年

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rogan064

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興奮にときめく胸を押さえながら、僕は見上げるような巨大な飛行機に乗り込んだ。
生まれて初めての海外旅行。
チケットの半券を握り締めながら自分の席を探して、広い通路を早足で歩く。
「あった!」
23Aの席・・・その席のすぐ横には、遥かな世界を見渡すことのできる小さな四角い窓がついていた。
そして飛び乗るように自分の席に座り、慣れない手つきでシートベルトをはめる。
ペロンと伸びたベルトの片側を力一杯引っ張ると、体が座席にギュッと固定された。
ちょっときつく締めすぎた気もしたが、そんなことはどうでもいい。
だがさっそく魅惑の小窓にかじりついてはみたものの、残念なことに窓の外には幅の広い大きな飛行機の翼が伸びていて下はほとんど見えなかった。
「ちぇっ、全然下が見えないじゃんか」
ちょっとがっかりしたそんな僕の様子を、隣に座ったパパがおかしそうに笑っていた。

やがて通路を歩く人が誰もいなくなると、飛行機がゆっくりと動き始めた。
広大なアスファルトの広場の上をグルッと回り込み、飛行機が離陸用の滑走路に進入する。
グゥゥゥゥゥグオオオオオォォォォォォ・・・
どこにこんなパワーがあったのかと思うほど、飛行機が勢いよく加速を始める。
そしてゴオオオオオという激しい音と振動に耐えていると、突然体がグンと下に沈み込むような感覚の後、巨大な鉄の塊が大地を離れた。
「うわぁ・・・」
翼の端から微かに見える世界が、見る見るうちに小さくなっていく。
僕は空を飛ぶ気持ちよさを想像しながら、雲を突っ切って上昇を続ける不思議な光景に見とれていた。
ややあって突然視界が開けると、延々と先まで続く雲海に太陽がオレンジ色の光を投げかけている。
なんて綺麗なんだろう・・・
小さな低気圧の渦のお陰で、太陽の周りを厚い雲が回っているという珍しい光景が目の前に広がっている。
そんな大自然の美しさをたっぷりと堪能した僕は、やがて座席を後ろに倒して眠りについた。
楽しい旅行になればいいな・・・

気持ち良く眠っていたはずなのに、不思議な予感に僕は何故かふっと目を覚ましていた。
先程まで明るかった空はすでに真っ暗になっている。
窓の外に目を凝らして見たが、すぐそばにあるはずの翼を見ることもできそうにない。
ドオン!
その時、突然大きな爆発音と激しい振動が飛行機を襲った。
正に僕の見ているその目の前で、翼についていたエンジンが真っ赤な炎を吹き上げる。
「うわぁぁ!」
「なんだ!?何があったんだ!」
にわかに騒々しくなる機内を添乗員達が駆け回り、騒ぎを鎮めようと躍起になっていた。
だが数人の客が窓の外に見える惨劇の予兆に気付き、大きな悲鳴を上げる。
「エンジンから火が出てるぞ!」
誰かが叫んだその一言に、凄まじい恐怖と不安が機内にいる全員に波紋のように広がった。
ドドオン!
それに追い打ちをかけるように新たな爆発音が2つ、ほとんど同時に響き渡る。
その音に、今度は僕とは反対側の窓際に座っていた人達が騒ぎ出していた。
「こっちもだ!2つともやられてるぞ!」
そう聞こえたかと思った瞬間、翼をもがれた鉄の鳥がゆっくりと下降を始める。
胸が締めつけられるような恐怖にパパの方を見ると、その顔にも周りの人達と同じ表情が貼り付けられていた。

内臓が持ち上げられるような浮遊感が、猛烈な勢いの落下を物語っていた。
グルングルンときりもみ回転でもしているのか、横に振り回される感覚もある。
「こ、こわいよパパ・・・」
「だ、大丈夫だよ。心配いらない」
ちっとも大丈夫そうに思えない気休めに、いよいよ恐怖が膨らんできた。
懸命に冷静さを保とうとしていた添乗員達も、今や座席に掴まったまま通路にしゃがみ込み、運を天にまかせている。
上空8000メートルからの落下は、乗客達の許容量を遥かに超える恐怖を生み出すのには十分過ぎるものだった。
大地が発する存在感のようなものが刻々と近づいてくるのを感じて、機内が激しいパニックと阿鼻叫喚の渦に巻き込まれていく。
「うわああああ!」
「いやああぁ!」
やがて唐突にドッという衝撃があったかと思うと、突然目の前の景色が全て吹き飛んだ。
そして、それが僕がこの世で見た最後の光景となった。

「う・・・うーん」
僕は何が起こったのかもよくわからないまま、暗闇の中で目が覚めた。
だが腹に感じる強烈な圧迫感が、飛行機の座席に座っていたことを思い出させる。
焦げ臭い匂いに辺りを見回そうとしたが、なぜか目を開けることができなかった。
「え?え?」
慌てて顔に手を当てると、ぬるっとした液体が顔についている。
そして、閉じた瞼を触ったとたんに目に激痛が走った。
「いたっ!」
冷静にその事実を反芻して、僕は深い絶望に襲われた。
そんな・・・目が・・・目が見えない・・・
依然として辺りに立ち込める不吉な匂いと気配に、僕は泣き出した。
閉じられたままの瞼の間から、痛みを伴った涙が流れ落ちる。
どうしてよいかもわからないまま、僕はひたすらに泣きじゃくり続けていた。

ドオオオオオン!
キーンという風を切り裂くような甲高い音がしたかと思うと、闇に包まれたジャングルに巨大な轟音が鳴り響いた。
ただならぬその事態に、反射的に音がした方を振り向く。
「何事だ・・・?」
真っ黒な空のキャンバスに、真っ赤な火の手が上がっているのが見える。
辺りを警戒しながらその場所へ向かうと、巨大な鉄の残骸があちらこちらに散乱していて、爆発に吹き飛ばされた人間が至るところに転がっていた。
「一体何が起こったというのだ」
もうもうと黒煙を吹き上げる物、メラメラと燃え盛る物、無残な姿で横たわる者・・・
生存者などいるはずもなかった。だが・・・
「?」
様々なものが焼けるムッとする匂いの中から、誰かの泣き声が聞こえてきた。
消え入りそうなその声に耳を傾けながら、むせるような煙の中を掻き分けていく。
そして、ワシは座席に固定されたまま木の枝の上に引っかかっていた人間の子供を見つけた。

「生き残った者がいたのか・・・」
樹上で泣き喚く人間の子供を見上げながら、ワシはどうしたものかと考え込んだ。
降ろしてやるにも木を揺らすのは危険だし、なによりワシの姿を見たら・・・

木々の色に溶け込むような茶色の体に白いあごひげを生やしたドラゴンは、己の体をまじまじと見つめて溜息をついた。
硬い鱗が体中を覆っていて、背後に伸びた尻尾が地面をズリズリと引きずっている。
少年が見れば恐ろしがるのは火を見るより明らかだった。

ズリッ・・・
そんなことを考えていると、頭上から妙な音がした。
見上げてみると、少年の座った座席が木の枝からずり落ちそうになっている。
ズリリッ
あっと思う間もなく、大きな座席が上から落ちてきた。もはや是非もない。
ワシは思い切り仰け反ると、大きく両手を広げてそれをガシッと受け止めた。
「ひっ!」
闇の中で再び味わった浮遊感に、少年が一瞬小さく悲鳴を上げる。
ゆっくりと地面に降ろした少年を見ると、その顔からは血が流れ、傷ついた目を開かぬ瞼が覆っていた。
「うっ、うっ・・・うぐっ・・・」
すでに泣き疲れ、痛む目を触らぬように涙を拭っている。
どうすべきか・・・
幼くして視力と家族を失った憐れな人間の子をすぐそばで見つめながら、ワシはどうしてよいかわからずにその場に立ち尽くしていた。
泣き止むまでそっとしておこうかとも考えたが、その心中が恐怖と不安と孤独感で一杯に満たされているだろうことはワシにすら想像に難くなかった。

「大丈夫か・・・?」
ワシは思わず声をかけてから、ハッとして少年の様子をうかがった。
「え・・・誰?」
どこからともなく声をかけられ、少年の顔にいささかの安堵感が見え隠れする。
ワシは意を決して、言葉で答える代わりに少年の手を掴み、自分の鼻先に当てた。
少年の小さな手がスルスルと顔をなで、あごひげを摩っていく。
そして口の下から広がるザラザラの鱗に手が当たると、少年がビクッと手を引っ込めていた。
「えっ?」
ワシの正体が人間ではないことを悟ったのか、少年が声も出せずにただただひたすらに震えている。
目の見えない相手を安心させることほど難しいことはない。
しかも、ワシは人間ではないのだ。
一体何をもってこの少年に接してやればよいのか。
種族の違いという高い壁に阻まれ、ワシと少年は無言のまましばらくお互いの気配を感じあった。

やがて痺れを切らしたのか、それとも幾許かの勇気が湧いてきたのか、少年は再び小さな手を恐る恐るこちらへと伸ばしてきた。
そして何かを探るようにフラフラと揺れるその手がワシの顔に触れると、少年がゴクリと唾を飲み込んでその正体を探り始める。

人間以外の動物がそばにいるという事実に僕は心臓の鼓動を早めながらも、指先に優しく触れたその硬い皮膚をさすった。
大きく前後に伸びた頭の先に、ぴょこんと突き出た鼻のようなものがあるのを感じる。
一体これは何なのだろう・・・でもさっき僕にかけられた声は確かに人間の言葉だったはず・・・
ザラザラした鱗のような感触に躊躇いながらもさらに手を滑らせていくと、僕は突然その何者かに手を掴まれた。
そしてその大きな手に腕が持ち上げられたかと思うと、ペロッという音とともに手の平にくすぐったい感触が走る。
「ひゃぁっ」
舐められたという恐ろしさに思わず手を引っ込めて逃げ出そうとしたが、僕はその時になって初めて体がシートベルトに締めつけられていたことを思い出した。
ガチャガチャとベルトを手探りで外して座席から飛び出したが、服の端を掴んで引き止められる。
「大丈夫、落ちつくのだ」
しわがれたおじいちゃんのような声が聞こえたが、それが人間の声でないことはすぐにわかった。
その証拠に、声とともに唸るような空気の震えが伝わってくる。
だが必死でその場から逃げようとしてみても、謎の声の主は決して僕を離してはくれなかった。
仕方なくその場に座り込むと、背後から大きな何かに体をギュッと抱き締められる。
「心配しなくてもよい。ワシは人間ではないが、お主を襲ったりはせぬ」
それを聞いて、僕はようやく心を落ち着けていた。
目が見えないことに焦り、冷静に物事を考えることができなくなっていたのだ。
そしてその瞬間、ふと隣に座っていたはずのパパを思い出す。
「パパ・・・パパは・・・?」

その言葉に、ワシは暗い気持ちになっていた。
辺りをいくら見回してみても、この少年以外に生き残っている者は誰一人として見当たらない。
「残念だが・・・お主の他には誰も生きてはおらぬのだ」
ワシの言葉の意味を理解するのに時間がかかったのか、少年がしばらく固まった後がっくりと体の力を抜いて項垂れる。
「そんな・・・パパ、パパー!」
一時は引いていた涙が、再び少年の目から溢れていた。
声にならない悲しい喘ぎが、静寂に包まれた森の中に消えていく。
「とにかく・・・ここは危険だ。ワシのねぐらへ行こう」
「ねぐ・・・ねぐら?」
初めて耳にする言葉というように、少年が泣きじゃくったまま聞き返す。
「ワシの、家のようなものだ」
ワシはそう言って少年の体を持ち上げると、ゴツゴツした鱗で覆われた自分の背中にそっと乗せてやった。
「目が見えなくては辛いだろうが、しっかり掴まっておるのだぞ」
「う、うん」
少年が両手をついて背中に掴まったのを確認すると、ワシはねぐらに向かってゆっくりと歩き始めた。
ノシ・・・ノシ・・・
足をつく度に響く小さな振動を感じながら、少年は涙でぐしゃぐしゃになった顔に少しだけ笑顔を浮かべていた。

4足歩行が生み出す気持ちのよい振動が止むと、僕はゆっくりと硬い地面に降ろされた。
僕を乗せて運んでくれたそれは、とても大きな生物らしい。
そばでフンフンという息遣いが聞こえ、僕はその方向に向かって話しかけた。
「ここがねぐら?」
「そうだよ。森の奥にある洞窟だ」
人間の言葉を話す人間じゃない生物。僕はそんな不思議な生物を見たことがなかった。
僕を掴んだ大きな手、手の平を舐めた大きな舌、そして僕を乗せて運んだ大きな体・・・
目が見えなくても、その存在感がヒシヒシと伝わってくる。
「おじいちゃんは誰なの?」
また、聞いてみた。不安に押し潰されそうだった僕を支えてくれた・・・いや、もしかしたらあの時どこか高い所から落ちた僕を受け止めてくれたこの生物のことを、よく知りたかったからだ。
「ワシは・・・」
そこまで言ったものの、おじいちゃんはその先を続けてはくれなかった。
きっと、本当のことを言えば僕が恐がると思ってるんだ。

正体を聞かれ、ワシは言葉に詰まった。
本当のことを言ってもいいものだろうか・・・?
この少年の中でドラゴンという生物がどのように捉えられているのかがわからず、恐がらせはしないかと不安になる。
「お願い、恐がらないから本当のことを言ってよ」
心の中を見透かされたようで、ワシは一瞬ドキリとした。
そこまで言われては、答えてやるしかなかろう・・・
「ワシは・・・ドラゴンだ。もう何百年もここに住んでいるのだよ」
「ドラ・・・ゴン?」
幸いというべきか、少年にはそれが何なのかわからなかったようだ。
だがだからこそ、この少年に恐ろしいイメージを与えることはできない。
ワシは次の質問を予期して身構えたが、少年はすくっと立ち上がるとワシに近寄り、また体を触り始めた。
目が見えない者にとっては、手で触れることが最も理解を助けるのだろう。
鱗の上を這う微細な刺激に、ワシは心地よく身をまかせた。
少年の手が背中を滑り、徐々に細くなる尻尾の先まで撫で上がる。
腰から伸びた太い足を両手で抱き締めるようにして、その小さな頭の中にワシの姿を作り上げていく。
触診の対象が上半身に移ると、少年は3度ワシの顔を撫で始めた。
シワのある鼻先をスッと撫でると、閉じていたワシの口を両手で大きくこじ開ける。
「うわぁ、大きな口だね」
少年の頭に描かれていく自身の姿を想像しながら、ワシは口の中にまで侵入を始めた少年の手に驚いた。
口の中に横たわる分厚い舌を両手で掴むと、それを捻ったり引っ張ったりして弄ぶ。
やがて外側に生え揃った巨大な牙に手が触れると、少年の動きが止まった。
まずい・・・恐がらせただろうか・・・?
大きく口を開けた体勢のままワシは内心焦っていたが、しばらくすると再び少年の手が動き始めた。
そしてワシの全身をすっかり撫で回した少年は、瞼の閉じられた顔に興奮の色を浮かべながら一言だけ呟いた。
「ドラゴン、か・・・」
すっかり落ち付いた少年の様子に、ワシはようやくホッと胸を撫で下ろした。

「それで・・・これからどうするつもりだね?」
想像で作り出された逞しいドラゴンの姿に見とれていた僕は、その言葉にハッと我に返った。
「これから・・・?」
「近くの人間の町までは送って行ってあげよう」
そうは言うものの、僕は家族も光も失ってしまったのだ。
今更どこの国かもわからない町へ行ったところで、盲目の子供が生きていけるはずもない。

少年は、ワシの提案にも特にこれといった反応を示さなかった。
迷っているというよりも、それはどうしても受け入れられないという拒絶感が漂っている。
「どうしたのだ?」
「だめだよ・・・不安でしかたがないんだ。僕、ドラゴンさんと一緒にいる」
俯いたまま少年が呟いたその言葉に、ワシは一瞬耳を疑った。
ドラゴンのこのワシと一緒にいたい・・・この少年はそう言ったのだろうか?
「ワシと一緒に?だがワシは・・・」
言いかけた言葉を制して、少年が先を続けた。
「人間じゃないっていうんでしょ?・・・いいんだ。僕、そんなこと気にしないよ」
顔を上げた少年の顔に、再び笑顔が浮かんでいた。

そうだな・・・ワシも長く生きてきたが、人間とともに暮らしたことは1度もなかった。
たまには、それもいいかも知れぬ。
それに、ワシの正体を知ってもなお一緒にいたいと言ってくれた少年の心を無碍にする訳にはいかなかった。
「わかった・・・これからは、ワシがお主の目となろう。気を落とさずに生きるのだぞ」
「大丈夫だよ。ドラゴンさんがそばにいてくれれば・・・寂しくなんかない」
力強く言い切った少年を見て、ワシはなぜだか暖かい気持ちになった。
ワシも、本当は心のどこかで孤独を感じていたのかもしれない。
やがて少年は手探りでワシの体を探り当てると、背中によじ登り始めた。
そしてゴツゴツしたワシの背中に跨り、元気よく声を張り上げる。
「じゃあ、早速散歩にでも行こうよ!」
「ハハッ・・・」
思わず、ワシは笑い声を漏らしてしまった。
今までいらぬ心配事などをしていたのが急に馬鹿らしくなる。
「今度は走るが、お主は大丈夫か?」
「うん、平気だよ!」
つい1時間ほど前まで悲しみと絶望に打ちひしがれていたとは思えない少年の明るい様子に、ワシは洞窟を勢いよく飛び出した。
尻尾で少年が振り落とされないように優しく支えながら、鬱蒼と木々の生い茂ったジャングルの中を思い切り駆け抜ける。
「あはは、はははははっ」
「フフ、フハハハ・・・」
顔を叩く風を感じながら、少年が甲高い笑い声を上げる。
それにつられて、ワシも一緒に大声で笑い出した。

きっと、うまくいく。
不安も悲しみも全てが洗い流され、夕焼けに染まり始めたジャングルに幼い少年と年老いたドラゴンの明るい笑い声がいつまでも響き渡っていた。



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