クリフトとアリーナの想いは @ wiki

2008.01.12

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kuriari

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クリフトとアリーナの想いはPart8
長編11/12 1へ2006.03.09
294 :1/8 (506):2008/01/12(土) 03:28:17 ID:N3C10Mhy0

 遠いとおい、遥かな記憶。
 優しく響く少し低めの声。
 穏やかな表情を作り出す瞳。
 どんどん伸びていく背丈。
 いつも、いつでも、すぐそばに。
 それは疑いもしない本当に当たり前のことで。


 心地の良い朝のまどろみの中にアリーナはいた。温かい毛布に包まれ夢を見ていたような気がする。とても懐かしいような、それでいてつい昨日のことのような、そんな不思議な時間の経過を感じる夢。
 昨日から続いていた雨は夜になっても止まず激しさを増していたが、明け方には上がっていた。灰色の雲も風に流れて、もうアッテムトの上空からはその姿を消している。降り続いた雨が空気中の塵や埃を洗い流して、ピカピカと光るまぶしい朝の訪れ。
 カーテンの隙間から差し込む光に、まだベッドに横たわったままのアリーナの閉じられた瞼がぴくりと動く。伏せられていた長い睫毛を上向かせると、視界に飛び込むのは覚えのない天井だった。ここがどこなのかわからずにしばらくぼんやりと天井を眺めて過ごした後、徐々に記憶が繋がっていく。
「…そうだ、わたし……」
 そんな風に呟きながらアリーナは、シーツの上に波打つように広がっている自分の髪に手をやった。さらりとした滑らかさを感じ取ることはできず、自分でも驚いてしまうほどにごわごわとした堅い質感を指先は捉えた。
ハバリアからの街道をアッテムトへと向かい歩いてくる中で、吹き付ける砂の混じった風を浴びたためだろう。アリーナはため息と共に軋む髪に埋めていた手をベッドの上に力なく這わせた。

『あなたのとの間に、関係はもうないのです』
 生まれて初めて受けた誰かからの拒絶。生まれながらにして与えられたその高貴な身分をもってしてならば、その願いその訴えを拒むものは身近なごく少数の人間に過ぎない。それも自分よりも更に高貴なる身分や地位にいる者だ。サントハイム国の姫君にして唯一の王位継承者であるアリーナの望むことならば、そのほとんどが叶えられるはずなのだ。
 耳の奥にはっきりと残っているクリフトの言葉は、アリーナがほんのひとかけらも想像していないものだった。本当に何の疑いも持っていなかったのだ。アッテムトに辿り着けば、この遥かな旅路の果てにはあの優しい笑みが待っている。少し低めの穏やかな声で、ここまでやってきた自分を労ってくれると信じていた。もちろん、少しの驚きとお説教も加えて。それは予想だとか期待だとか言う曖昧さを含まない、アリーナにとって確かな事実同然とも言える未来だった。
 しかし、やっと再会が叶い必死で追い求めたクリフトから放たれたのは冷たく温もりのない言葉だった。サントハイムで生活をしていたときにされたお説教でも、こんなにもアリーナを拒むような言い方はしなかったクリフトが、笑みのひとつも浮かべぬままに全身でアリーナを拒絶したのだ。
「クリフト……」
 疲れ果てた身体に容赦なく降り注いだ激しい雨はアリーナの体力を更に消耗させたが、それ以上に心が疲弊してしまっていた。身体が沼に飲み込まれているかのように身体が重く、ごそごそとベッドの中で身じろぎをするので精一杯なほど、とにかく動くのがだるかった。
不意に扉を叩くノックが聞こえた。とても起き上がるような気にはなれない。返事をするのも億劫だ。
「姫様。…入ってもよろしいか?」
「……ブライ…?」

 聞きなれた声にアリーナは重い身体をゆっくりと起こした。扉が開き部屋の中へと入ってきたのは、長年アリーナに使えているサントハイムの老師ブライだった。
「お加減はいかがですかな?」
「どうして、ブライがここにいるの?」
「姫様がご心配でしたので、…ずっと後をついてここまで参りましたのじゃ。陛下に命ぜられまして…黙っていて申し訳ありませぬ」
「…全然、気がつかなかったわ」
「連れの兵士共々、変装にも抜かりなく気を遣いましたゆえ」
「ずっと、見てたのね…」
 そこまで言うとアリーナは再びベッドへ身体を横たえた。懐かしい顔を見て少し胸が熱くなったが、毛布を手繰り寄せて頬まで顔を隠した。ベッドの脇にまで歩み寄ったブライに、顔を見られるのが少し恥ずかしく感じたからだ。
「体調が戻られましたら、サントハイムへ戻りますぞ」
「………」
「しばらくはここに滞在すると、クリフトには伝えておりますからのう」
「……ねぇ、ブライ」
「いかがされました?」
「クリフトはもう…わたしのクリフトじゃないのね」
「………」
「わたしの、なんて変だけど…わたしが小さい頃からサントハイムにいてくれていた、あのときのクリフトじゃないのね」
「姫様……」
 涙すら出なかった。アリーナは本当の意味での権力と言うものと、それに付随していなければならない清い心の持ち様を、ベッドにもぐったまま、まだ少しぼうっとしてしまう中考えていた。

 許されて当然、受け入れられて当たり前、そんな環境の中育ったことは決してアリーナが悪いわけではない。もちろん、王室と言う独特の環境が問題と言う訳でもない。正しいことと間違っていることはきちんと教えられ、悪いことをしたときにはもちろん叱られた。叱られて諭されて何がいけなかったのかと言うことを知らされた。
 それでも、皆が自分を姫だと認め捉えて、恭しく接してくれる。そんな中にほんの僅かでも奢りの心がなかっただろうか。アリーナはクリフトの拒絶を認めきれないでいる。信じることもできず、受け入れられない。しかし、この心のざわつきはあってはならない、ひとりの民の自由を生まれながらにして与えられた権力で縛ることに他ならないのだ。久しぶりに対面したブライの顔を見て、適当にしか勉強をしていなかった帝王学の教科書をおぼろげながらも思い出す。今の状況を照らし合わせるようにしてその真実を、悲しくも身をもって理解することになってしまった。
「……姫様…悪いのは、ワシなのですじゃ」
 毛布に半分ほど隠されていてもわかる、まだ顔色の冴えないアリーナを見てブライは呟くようにそう言った。
「ううん、そうじゃないわ。きっと誰も悪くないのよ」
「…姫……」
「ありがとう、ブライ。ここまでついてきてくれて。……なんだかまだ身体が重いの…もう少し、寝かせて…」
 そう言うとアリーナは寝返りを打ち、ブライに背を向けて目を閉じた。
 クリフトはアリーナに恋をした。身分違いの秘めた恋は明るみとなり、皆に罪と見なされた。あんなにそばにいたのに、あんなに一緒に過ごしてきたのに。悲しくも自覚のないまま散ろうとしている恋に、もうアリーナのなす術はない。

 そんな彼女にかけられる言葉を見つけられず、ブライはしばらくアリーナの姿を見つめた後、静かに部屋を出て行った。閉めた扉に寄りかかり、自分にはどうすることもできない歯がゆさにブライは溜息もつけぬまま、ただ項垂れるしかなかった。


 そうしてまた丸一日をベッドの中で過ごしたアリーナは、翌日にはすっかり回復していた。食事も十分に取ることができ、鉱山近くに湧き出したという温泉にも入りに行った。身体を芯から温めて髪も洗い流し、旅の間満足に湯浴みもできないでいた身体の汚れを徹底的に落とすことができた。さっぱりと身も心も軽くなったような感覚に、アリーナの表情にも明るさが戻っていた。
 クリフトが出かけていていない間には、教会の子供たちと遊びまわって過ごした。鬼ごっこにかくれんぼ、木登りまでした。教会の裏にある小さな畑を老神父に代わり耕したり、ハンナの仕事である掃除の手伝いを買って出た。クリフトは本当に日々忙しいらしくアリーナがそのようにして過ごす間ほとんど教会にはいなかった。まともに顔を合わせて何か話すという機会もないことが、まだ複雑な気持ちを抱えているアリーナにはむしろ好都合だった。
 子供たちと話をしていると、いかにクリフトが彼らから慕われているかがわかる。老神父もハンナもとても優しく接してくれて、クリフトはとても恵まれた環境の中で生活していることが知れ、アリーナは複雑ながらも安堵する感情を覚えていた。
 そうしてまた数日が過ぎ、アリーナは自らブライに切り出した。祖国サントハイムへ戻ろう、と。あの日、夜の城壁でのクリフトの告白とそれに揺らいだ自分の心を確かめるための衝動的な旅は、答えに辿り着けぬまま終わるのだ。

「…これでよしっ、と」
 アッテムトでの最後の夕食を皆と取った後、早々と与えられた部屋に戻ったアリーナは荷物をまとめていた。明日の朝にはブライと一緒にサントハイムに戻る。アリーナが2ヶ月かけて辿り着いたアッテムトから、一瞬にしてサントハイムに戻るのだ。
 クリフトは急な用事で昼前にアッテムトを経ちハバリアに赴いた。ハンナの話によると戻るのは明日の昼だと言う。まともに話をすることもなくアリーナは祖国へと戻ることになってしまったが、してきた苦労がまるで報われないことに対しての後悔など少しもなかった。むしろ、これでよかったと思えるほどだ。一目でも顔を見れば、また余計な感情が溢れ出すだろう。アリーナの中に残る最後のクリフトの記憶が、あの冷たく突き放した表情であればあるほどいい。アリーナの覚悟が更に強いものへと変わる。
 静かな夜だった。ベッドに横たわるも目が冴えて眠れない。アリーナはそのまま身体だけを休め、眠れぬまま夜が明けるのを待った。


 翌朝、まとめた荷物を持ってアリーナはブライと護衛についてきたふたりの兵士と共に教会の前で別れのときを迎えていた。身分を明かさぬままただの旅人としてこの教会で過ごした中で触れた優しさと好意に、ただただ感謝の気持ちを伝えた。
 別れを告げ、街を後にしたアリーナたちは少し南下し、開けた草原に場所を移した。魔法を使うところを見られてしまえば、流石にただの旅人と言う嘘など通りはしない。
 空は澄み、晴れ渡っている。爽快な気分の中に残る一抹の寂しさを、ブライに悟られないようアリーナは努めて明るく振舞った。

「姫さま!」
 背中にその声を受け、アリーナははっとして振り返った。そこにはハバリアからの街道を必死で駆けてくるクリフトの姿が見えた。
「……クリフト…」
「はぁ、はぁ……もう、…お戻りになられるのですね…?」
「……うん」
「馬車で…アッテムトまで送ってもらう予定でした。…そうしたら、姫さまたちのお姿が見えたので…」
 アリーナ一行のそばに息を切らして辿り着いたクリフトは、弾んだ呼吸を収めることもしないままに言葉を連ねた。
「もう神父さまたちにご挨拶は済ませたの」
「そう、ですか…」
「…あの…クリフト……」
「…はい……」
「……ごめんね」
 ブライはひとつ咳払いをすると、連れの兵士ふたりと共に少しふたりのそばから離れた。そんなブライの様子を見て、アリーナは小さく笑う。そしてその笑顔をクリフトに向けた。
「迷惑かけて、ごめんね」
「姫さま、そんなことは決して…」
「だって、もうわたしはあなたの姫さまじゃないんだもの。わたし、大事なこと全然わかってなかった」
「………」
「わたし…きっと、クリフトに恋してたのね。ずっとずっと一緒にいてそれが当たり前だったからわからなかったけど……」
「姫さま、私は……」
「やだな、泣けてきちゃう…」

 熱くこみ上げてくるものがアリーナの瞳を揺らめかす。涙をこぼしてしまうのが恥ずかしくて、また泣きべそをかいているところなどをクリフトには見られなくなくて、アリーナは懸命に笑顔を作った。俯けば確実に涙が頬を伝い落ちてしまう。顔を上げてまっすぐにクリフトを見つめながら、アリーナはただただ笑った。
「ありがとう、クリフト」
「姫さま、…私は……」
「元気でね。本当に、たくさんありがとう!」
 クリフトが何か言おうとしているのを遮るようにして言葉をぶつけると、アリーナはクリフトに背を向けてブライのほうへと駆け寄った。
「さよなら……」
 また会いましょうとは言えなかった。けれども、こうしてお別れが言えてよかったとアリーナは思う。自分が王族などに生まれなければよかったのか。しかしそうでなければきっとクリフトには出会うことすらなかったかもしれない。すべては必然の運命。王妃の亡き後遊び相手として出会い、ずっとクリフトに手をひかれて育った。この想いが叶うことはなくとも、自分は間違いなく幸せだったのだ。クリフトが居てくれたから、寂しい思いをせずに済んだ。毎日笑って過ごせるようになった。
 ブライが額に手を掲げ、移動呪文の詠唱に入った。柔らかな淡い光が球体となりアリーナたちの身体を包んでゆく。
「お待ちください、姫さま。私は…!」
 クリフトは再び地を蹴りアリーナの元へと駆け出した。淡い光の球の中へと懸命に手を伸ばす。指先に不思議な感覚を捉えたと思った瞬間、それぞれの身体が宙へと浮かびひとつの大きな光の筋となり、遥か上空へと舞い上がっていった。



                       END.

2007.10.13   続き2008.03.11

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