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発明家


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フィロテウス・ノラーヌス(候補名)
フィロテス・ノラヌス(候補名)

参考資料

[モデル]
ジョルダノ・ブルーノ(Giordano Bruno、1548年 - グレゴリオ暦1600年2月17日)は、イタリアの宗教家、哲学者。

元ドミニコ会修道士(カトリック教徒)。しかし、修道院で異端とされかかり1576年に脱走。諸国を遍歴しながら、自説を説いたり、学問を教えたりした。ラテン語・ギリシャ語に通じ、博覧強記であった。その人間観は新プラトン主義のフィチーノやピコらの影響を受けており、魔術や占星術にも強い関心を持っていたという。

1591年、ヴェネツィア共和国(現在のイタリアの一部)で捕らえられ、8年間の牢獄生活の後、ローマ教皇庁異端審問所から異端の疑いで有罪とされ、ローマ市で公開の火炙り刑となる。死刑になる際の、杭にくくり付けられる私よりも、くくりつけようとしているあなたたち(死刑執行人のこと)のほうが恐怖に怯えている、という内容の発言は有名。

ブルーノの発言や説のうち、最も異端とされた部分は、その世界観と宇宙観であった。宇宙観についてのみ述べると、宇宙は無限に広がっており、太陽はその中に浮かぶ1つの恒星であること、夜空に浮かぶ星たちもまた、太陽と同じ種類の恒星であるという、無限宇宙論を唱えた。もちろんこの説は今では信じられているが、当時はそう思ってはいても、はっきりとそう主張する者はいなかった。

ブルーノの無限宇宙論は、地動説とは直接は関係ないことに注意する必要がある。当時唱えられていた地動説では、宇宙の中心には太陽があり、恒星は天球という球にはりついた模様であった。

ブルーノの火刑はイタリア・ルネサンスの、自由な文化活動の時代の終わりを象徴するものといわれる。(プロテスタント側から見ればカトリックの横暴を示す格好の事例でもあった)



彼は、理性と感覚の無限界に基いて、空間の無限化を説く。即ち、第一天球の外側が無であるとすれば、第一天球の存在も認められないので、宇宙は無限であるとする。世界は無限であるから、無限大の天球に中心はなく、地球が世界の中心であるのと同様に、太陽も、月も、第八天球上の恒星もまた世界の中心である権利を有する。

これは端的に、神は無限であるから、その被造物もまた無限であり、無限の創造物を配置する為には無限の空間を擁すると説かれる。即ち、神がこの空間に地球を創造し得たのであるから、他の場所にも創造し得たし、空間が一様であるならば、地球をこの場所には創造するが、別の場所には創造しないと云う権利を神から剥奪する。従って、地球のような世界は至る所に存在する筈であり、神の無限性を擁護するならば存在せねばならず、従って存在する。

地球と似た星は無限に存在し、世界は豊穣であり、充満している。無限性に関しては、物体的な感覚の有限性に対して、知性的な認識には、世界の無限化を妨げる要素は無いと説く。この二つの点は、後のライプニッツの充足理由の原理と、デカルトの大陸合理論とに継承されて行く。しかしながら、彼の無限宇宙の豊穣性は、各恒星ごとに太陽系のような階層的なコスモス的世界=「閉じた世界」が孤立して存在しているものであり、世界の等方化、均質化に導くようなものではなかったと考えられる。

以上見てきた通り、ブルーノの無限宇宙は甚だ神秘主義的なものであり、神の栄光を盲信的に称える形而上学的な教説に過ぎない。彼においては、惑星は生命的な存在(モナド説)であり、己の意思で運行する。しかしながら、アリストテレス宇宙論を正面から否定したことによって、十七世紀物理学の思想的原動力になったと云われている。

因みに、ブルーノは異端審問に掛けられ、 1600 年頃に火あぶりになっている。


1548年、南イタリアのナポリ近郊に生まれたジョルダノ・ブルーノは、十七才で修道院に入り、トマス・アクィナスに傾倒、正統派教義を信奉するが、やがて、異端派に転向し、当時の教条的なカトリシズムの支配下ではどの国にも安住はできなくなった。ブルーノは、ヨーロッパ中を放浪しながら著述活動を行い、1591年に帰国、八年間の獄中生活の後、1600年、ローマの花の広場で火刑に処された。

 ブルーノが、1584年、ロンドンで執筆した主著『無限・宇宙と諸世界について』は、コペルニクスの地動説を支持した内容であるとともに、宇宙が無限であり、世界は複数あるという宇宙観を展開している。ブルーノは、デモクリトスやルクレティウスの影響を受けて、「原子均衡宇宙論」といったものを考えていたようだ。同著には、「新しい原子の群れは不断にわれわれのうちに流れ込み、以前に集まった原子たちはわれわれから旅立ってゆくのです。……こうして流れ入る原子が流れ出る原子より多いときには、物体が形成され、生長し、この両者の均衡がとれている間、その物体は持続し、流出が流入を上回ると、ついに衰減するに至ります」(ヤ)とある。

 ブルーノの「原子」は、単なる機械論の単位ではなく、それ自身のうちに霊魂を有していた。また、新たに精気としての「エーテル」の存在を語ったのも、ブルーノであった。万物を包み込み、また、万物に浸透する存在原理である「エーテルはそれ本来の本性そのものとしては、何ら限定された性質を持たないが、近くの物体から差し出されたものは何でも受け取って、これを自分の運動とともに、その活動原理のぎりぎりまで運び去る」(ヤ)とあり、また、「ある仕方でわれわれの一部となり、われわれの合成に参加して、肺や動脈やその他の腔、気孔などのなかに見出されるときには精気(スピリトス)と呼ばれる」(ヤ)とある。

 

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