楠本保


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1試合平均16奪三振の「世紀の剛球投手」、あと一歩で優勝に届かなかった。

「奪三振ナンバーワン」と言われたのが明石中の楠本だ。身体もがっちりとたくましく、あの野茂英雄のように体をクルリと半回転させる大きなモーションから重い球をビシビシと投げ込んだ。

2年生の春から4年連続センバツに出場。中でも光ったのが4年生の春。決勝まで進み、当たりそこねのフライがヒットとなって松山商に0-1で惜敗したが、奪三振49、許した安打19、失点3という快投で最優秀選手賞を獲得した。

同年夏も北海中戦のノーヒットノーランを含めて3試合シャットアウト。準決勝で再び松山商と相対し、17三振を奪う力投も味方の打力が振るわず不運の敗戦を喫している。1試合平均16奪三振は今でも破られない記録である。

翌8年の春も強豪をなで切り、準決勝で打倒・中京を果たしたが、決勝の岐阜商戦で致命的なエラーが出て、スクイズによる決勝点。楠本は計52奪三振の力投を見せながら、またまた優勝まであと一歩のところで悲運に泣いたのだ。

その年の最後の夏の大会では心臓脚気が出て、準決勝で球史に残る中京商との25回の熱闘を迎えるのだが、中田武雄にマウンドを譲って右翼手で出場。0-1で涙を飲む。バックの援護のないチームを背負って力投、常に優勝圏内へチームを引き上げた楠本の功績は輝かしいものがあった。

春夏通算で224奪三振は史上最高。慶大に進み、戦死。27歳だった。

<参考資料:高校野球 忘れじのヒーロー>
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