その前に: 食事を共にする事で得られる「一致」
人間の体は数十兆の細胞によって作られている。
その細胞の寿命はその種類によって数十時間から十数年と幅はあるものの、常に古い細胞は死に、新しい細胞が生まれ、人間の体を形成している。
この細胞は栄養によって作られるが、人間は栄養を自分自身で作る事ができないため、食事からその栄養を得る必要がある。
例えば、今、ここに一切れのパンがある。
これを私が食べると、そのパンから得られる栄養は、新しい細胞を作る事に使われ、文字通り「私の血となり肉となる」
つまり、そのパンが「私」を形づくる。
このパンを裂いて、誰かと一緒に食べるとする。
「私となるはずだったパン」は、今度は、その人の「血となり肉となる」
「食事を共にする」という事は、一致を実現する一つの方法である。
本題:
食事を共にする事で人は一致に近づく事ができる。
しかし、それだけで万事が解決するかと言うとそうではない。
人間は弱く、罪を犯したり、誘惑に陥ったりしてしまう。
そんな弱い人間が何人一致しようとも、必ずしも、正しい事ができる訳ではない。
しかし、食べるものが「ただのパン」ではなく「神の霊が宿ったキリストのからだ(
ご聖体)」としたら、人間は神と一致する事ができる。
神は愛であり、また、愛は、
- 寛容で、
- 慈悲深く、
- ねたまず、
- 高ぶらず、
- 誇らない、
- 見苦しいふるまいをせず、
- 自分の利益を求めず、
- 怒らず、
- 人の悪事を数えたてず、
- 不正を喜ばず、
- 真理を喜び、
- すべてをこらえ、
- すべてを信じ、
- すべてを望み、
- すべてを耐え忍ぶ。
(一コリント13:4-7)
神と人間が一致する事で、キリスト者として正しい行動ができるのである。
キリストのからだとして
ご聖体拝領によって神と一致した人間は「キリストを頭とするキリストのからだ」として、世において福音を実践する力を頂くのである。
最終更新:2007年12月29日 16:10