「くすくす、で?バーサーカーちゃんは此処に何をしに来たの?」
血のように赤く染まった目で、かつて間桐桜であった少女はバーサーカーを見つめた。
邪悪な視線に対し、バーサーカーは目をそらすこと無く真っ直ぐに見つめている。
「桜を、助けに来た」
その一言に、『サクラ』は哄笑した。嘲りを隠そうともしないその笑顔のままに、一言だけ言った。
「うるさい」
瞬間、影がバーサーカーに襲いかかる。水流も白霧も影に飲み込まれて消える。必死で影を回避するその動きを見て、『サクラ』はまた嗤った。
「あはは、馬鹿みたい。あなたなんかよりよっぽど強いアーチャーもセイバーも食べちゃった私に、もう怖い物なんか無いわ……だから、たっぷり苦しんで死んでね?」
ランサーよりもなお巨大な黒色の巨人が出現し、バーサーカーに向かった。
「たああああ!」
バーサーカーが剣を振るう度に巨人は雲散霧消するも、次から次へと出現するそれに、疲労は募る。
「桜、士郎も凛も慎二もキャスターもお前を助けるために」
「うるさいっ!」
漸く、嘲り以外の感情を露わにした少女は、両手で頭をかきむしりながら叫んだ。
「どうせ私を殺そうとしてるんでしょう、分かってるんだから、今まで誰も助けてくれなかった!お父様もお母様もおじさんも姉さんも兄さんも先輩も誰も!!ほっといてよ!完成すれば、痛みも熱さも消えるんだから!!」
周囲を取り囲んだ影の巨人を魔力放出で消し飛ばしながら、バーサーカーは苦しむ少女を見つめた。
「あなたには分からない。大勢の人達にちやほやされて、綺麗なままで死ねたあなたなんかに―――!!」
津波のように襲いかかってきた影を一刀で切り伏せたバーサーカーは口を開いた。
「私は今まで桜を救えなかった。だけど、今からならば、別の話だ」
バーサーカーの眼光は澄み切っていた。
「何を、言ってる、のよ」
肩で息をする『サクラ』に、バーサーカー、安徳天皇言仁は言葉を紡ぎ続ける。
「桜、お前はまだ間に合う。救う事はできる。できるのだ……信じろ」
そうして、安徳天皇は、黒い泥が溢れ出す聖杯を見上げ―――跳躍した。
「え……?」
そのまま泥の中に消えていく幼帝を呆然と見たまま、『サクラ』は暫くその場に硬直していた。


その場所には全ての悪があった。
殺生偸盗邪淫妄語飲酒殺生偸盗邪淫妄語両舌悪口綺語貪欲瞋恚邪見殺母殺父殺阿羅漢出仏身血破和合僧。
害悪がある。旧悪がある。凶悪がある。極悪がある。最悪があり、罪悪があり、邪悪があり、醜悪があった。
故に救いは無『もういい、いいのだ』く―――貴様は何者か。闇の中に光が灯った。
『時間が無い。もう、終わらせよう』悪が支配するこの場所における異物。追放せよ。
『始めるぞ』追放!追放!追放!追放!追放!追放!追放!追放!追放!追放!追放!追放!追放!追放!
『掛けまくも畏き伊邪那岐の大神、筑紫の日向の橘の小戸の』
やめさせろ!やめさせろ!やめさせねばならない!やめさせなければ!
『檍が原に禊ぎ祓え給いし時に、生りませる祓え戸の大神たち』
―――やめさせられない。泥は太陽を見上げることは出来ても、そこに行く事も、それを汚すことも出来ない。
呪いの声が何も出来ないうちに、全ては終わりゆく。悪も罪も全てが終わる。
『諸々の禍事罪穢有らむをば、祓給い清給えと申す事を聞食せと、恐み恐みも白す』
すべてが、おわる。おわってしまう。この場にある悪も罪も何もかも。
唱え終わった瞬間、光が爆発し、全ての泥を一瞬で蒸発させた。

安徳天皇は、在位中に入水したことから水天皇とも呼ばれる。
それはいつの日か仏教における天部の一人、水天と同一視された。しかし、水天のなりたちはそれだけではない。
水天は元々インド・イランにおけるヴァルナと呼ばれる最高神であり、それはやがてゾロアスター教に取り入れられ、アフラ・マズダとなった。正義と法の神であり、悪神アンリ・マユと戦い続け、終末の日に善なる者と悪しき者を裁く最高神である。

それは、清水の濁流に流される小枝のような物だった。
流され。
濯がれ。
清められる。
天皇は日本国で不可侵の尊き人であり、故に行う祭祀は日本国最高のものである。
唱えられる祓詞は、罪と汚れを清めるための物であり、罪と悪の塊であるアンリ・マユにとっては相性の悪すぎる相手。
しかも、それを行っている安徳天皇の神性は最高のAランク。
只の、この世全ての悪など、物の数では無い。

全てが無色そのものとなるまで、祓い清められたその場所に、安徳天皇はいた。
今、この状態こそかつて御三家が追い求めた真なる聖杯、無色の大魔力だ。
世界を変える奇跡の塊に目もくれず、安徳天皇は歩き出した。
どれだけ歩いたのか、それとも僅かしか歩いていないのか、安徳天皇は蹲る人物の前に立っていた。
拷問で四肢を切り落とされ、目を潰され、全身の皮を剥がされた『彼』の前に立っている。
舌を抜かれた『彼』に呪いの言葉など吐けるはずも無い。今までの呪いは全て邪悪であれと願った『彼』の周りの人々全ての声だったのだ。安徳天皇は、口を開いた。
「―――お前は、こんな所で苦しまずとも良い。眠れ」
その言葉が引き金だったのか、『彼』の身体が光の粒子となって消える。
そして、何もかもが無色に染め戻された。


「え、あ―――うそ」
熱さも痛みも苦しさも全てが消えている。そして、『サクラ』だった『桜』は、全てを思い出した。
「うわあ……ああ、嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌、やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだ!!」
自分の正体は、笑いながら人を食い殺した人面獣、そんなものが生きていていい筈も無かった。
自分自身で首を絞める。
両腕がまるで自分のもので無くなったかのように、自分の首を絞め続けた。
故に、両手を離したのは桜の意思では無く、いつの間にか現世に戻った幼帝の手によるものだった。
「桜、もうよいのだ」
「嫌、やだ、いいわけない!私、人を殺したんですよ!?笑いながら!!最低、汚い、死んじゃえば……」
「桜!!」
安徳天皇は、初めて見せた厳しい表情で桜の自虐を遮った。
「言っただろう。皆がお前を救うために戦ったのだ。士郎が私を喚び、凛が喚んだキャスターが協力し、この世全ての悪を清める策を考えたのは、慎二だ。既に散華したライダーもまた、お前を思っていた。
全てが終わったのに、お前が自分を責めてどうする……桜は、優しく笑うのが一番いい」
「ううぅぅぅぅぅ、わあぁ!!」
泣きじゃくる桜を抱きしめ、安徳天皇は聖杯を見た。汚れは全て清められ、神々しい輝きを発している。
だが、安徳天皇はずっとそれを渋い表情で見ていた。


追いついてきた凛に桜を任せ、安徳天皇と士郎は聖杯の前に立っていた。
「これが、聖杯か」
「士郎」
ポツリと呟く安徳天皇に、士郎は顔を見る。幼帝の表情は、真剣なものだった。
「私は、士郎がどんな選択をしても、責めたりはしない。この聖杯なら変なことにもならないだろう」
「……言仁は、安徳天皇はそれでいいのか?自分で手に入れた何かが欲しかったんじゃないのか」
「わたしはもういい。色々なものを皆から貰った。だから、いいのだ」
その言葉で、士郎は決意を固めた。聖杯に手を伸ばす。
失われた過去を思う。失われた命を思う。失われた全てを思う。
士郎は、聖杯を掴み、叫んだ。


「聖杯、消えて無くなれ!!」


「―――ああ、ここだ。私達がいた場所は」
山口県、下関市みもすそ川公園、そこから望む海が、平家終焉の地、壇ノ浦だ。
現代風の衣服に身を包んだ安徳天皇は、外見こそ普通の子供だが、その周囲だけ空気が違うように清浄な気配を身に纏っている。そのまま小さく手を合わせ、目を閉じた。


―――アンリ・マユを浄化した安徳天皇は、そのまま受肉した。この世に再び生を受けたのだ。
最初は戸惑っていたこともあったが、この世界で生きていくことにも前向きなのが、皆にとっては喜ばしい。
最初に始めようと思い立ったのが、源平の合戦の跡地を訪れ、敵味方関係なく弔うことだった。
この旅行に出かけたのは、士郎と安徳天皇の二人だけだった。
慎二は旅に出た。エアメールによると大戦の古戦場跡に行っているらしい。あの男の軌跡を辿っているのだろう。
キャスターは自分で契約を切って消滅した。凛に『借金よろしくな』と言い残し、素敵な笑顔で消えた。
凛は倫敦で頑張っている。遠坂家再興のために協会の仕事をしているらしい。無理をしなければいいと思う。
桜は凛と共に倫敦に留学した。自身の力と心をコントロールできるようになって、もうあんな事が起きないように、力を尽くす決心をしているようだ。
イリヤと虎は二人で道場を始めようとしているらしい。止めなくてはならないと思うのは気のせいだろうか。
旅に出たのは、急に広くなった家に、自分でも落ち着かなかったからなのだろうと思う。
そんなことを士郎は、壇ノ浦の海面を見ながら思った。
ふと気がつくと、安徳天皇は、売店にいる親子連れを見ている。傍目に見ても、本当に幸せそうな人達だ。
「士郎」
「どうした?」
「朕(わたし)は、あの者達を守ったのだな」
「……ああ、守った。俺達は世界中の人達の笑顔を守ったよ」
「朕(わたし)は、自分で何かを得られれば、すぐに『座』へ戻ってもいいと思っていた」
「……」
安徳天皇は、涙を流していた。かつて共にいた者達のために。
「だけど、今はもっと多くの綺麗な物や、愛おしいものを、見たいと思っているのだ……かつてわたしと一緒にいた皆は、もうそれを見れないのに……見たいけれど……だけど皆は……」
士郎には分かっている。かつて自分と一緒にいた人達は皆死んで、受肉した自分だけがこんなに幸せでいいのか、と不安がっているのであろう事が。もやもやとした不安が、かつての自分達が最期を迎えた地に赴いたことで、表に出たのだろう。
そこで士郎は、不器用に笑った。
「言仁は、泣くより笑っていた方がいいと思うぞ。天国の皆だって、きっと笑っていて欲しいと思っているさ」
「……そうなのかな」
「そうに決まっているさ。だから、これからもよろしく頼む」
士郎の言葉を聞き、涙をごしごしと拭いた安徳天皇の顔を、潮風が撫でる。海の方へ向き、呟いた。

「……わたしは元気だ。皆心配しなくていい。いつか、お土産の話を楽しみにしていてくれ」

海が頷くように波が止み、静かな姿を見せた。