7.


 ――――パレス・ミナサバが完全な静寂に包まれるまで、物の一時間とかからなかった。
 血でべったりと濡れた絨毯。廊下には無数の手形がつき、周囲には人の気配が欠片も無い。
 一つの階層だけではない。最上階より下は、全て同様の惨たらしい光景へと転じている。
 しかしながら、其処には衣服の切れ端一つ、髪の毛一つほども、従業員や宿泊客の痕跡は残っていなかった。
 洞察力の鋭い人物ならば、或いはかつて某ホテルで発生した失踪事件を知っている者ならば、
 このような状況を聞いただけで、ここで何が起きたかを理解する事ができただろう。
 つまり、皆喰われたのだ。
 逃げることもできず、抵抗することもできず。たとえ肉片一つと言えども残される事はなく。
 無論、彼らが予期せぬ事態に巻き込まれ、何も知らずに命を落した事には間違いない。
 それは確実に不幸な出来事だと言えたろうが――――加えて、もう一つばかり不幸な事がある。
 前述した某ホテルでの惨劇において、人々を襲ったのは巨大な猛獣であると類推されており、
 恐らくは被害にあった人間のほとんどが、ただの一噛で命を落したと思われている。恐怖に怯える暇もなく。
 が、しかし、パレス・ミナサバを襲撃したのは、あろうことか鉄の牙持つ鼠の大群であった。
 この建物にいた人々は、身体の端々から無数の獣に齧り付かれて、生きたまま貪り尽くされたのだ。
 恐怖を感じないという、ただそれだけの救いすら、彼らには与えられなかった。そういう事だ。

「ふむ、惨いものだ。彼らの御魂に御仏の導きがあれば良いのだが」

 そして恐るべき鼠に埋め尽くされたホテルの廊下を、悠々と歩く者が一人いた。
 南無と数珠を下げた手を合わせるのは、誰であろう、あの無道である。
 この凄惨な光景に顔色一つ変えない破戒僧は、その周囲に集った鼠ども動揺、噎せ返るほどの血の臭いを纏っている。
 もはや疑う余地などあるまい。この僧侶と、それに付き従う鉄鼠の群れが、このホテルの人間の悉くを喰らい尽くしたのだ。
 しかし、だからと言って無道が殺戮を好むような人間だ、というわけではない。勿論、後悔しているわけでもない。
 その胸のうちにあるのは諸行無常。生きるものはいつか死ぬ。そういう事だ。避けられない事柄だ。
 加えて、多数の人々を喰らい尽くした鼠の群れは、その力を増し、より主である無道から魔力を搾り取っている。
 にも関わらず、無道はこの狂戦士どもを一分の揺らぎなく、見事に掌握してのけた。
 また一歩、高みへ至る為の階段を上ることができた事を実感した無道は、心の底からの哀れみをもって両手を合わせていた。

「まったくもってして、在り難い事よ」

 つまり無道は己の行いと、それによって彼らが迎えた末路を全て理解した上で、これを是と認めたのだ。
 常人では耐え難い罪の重さ、狂戦士という枷、それらを背負って突き進む事を決意できる超人的な精神力。
 世が世なら、間違いなく高僧として歴史に名が残っただろう傑物である。
 その脚が、廊下の半ばまで行った所でふと止まった。

「――――解せぬな」

 周囲の鼠は、未だに上層に向かって突き進んでいる。つまり、まだ獲物がいるという事か。
 しかして鼠の数は八万と四千余り。それが際限なく、上層に向かっている。
 ―――――――既に群れの先陣が最上階へ辿り着いたにも関わらず、だ。
 元よりバーサーカーの腹ごしらえという意図でこのホテルを襲ったが、
 そのバーサーカーの群れすら食い止める"何者か"が、この上に存在するという事か。

 無道の顔に、鮫のような笑みが浮かんだ。







 ―――――――はっきり言えば、ファーティマ・アブド・アル・ムイードは劣勢に追い込まれていた。

 あまりにも予想外の自体が、立て続けに起きたのが原因の一端であろう。
 工房構築の為に張り巡らしておいた結界が、至極あっさりと食い破られた挙句、
 出現したのがどう見ても『鼠の群れ』以外の何者でもなく――あまつさえマスターに与えられる情報解析力が、
 あろうことか、その『鼠の群れ』をサーヴァントだと認識していたのだから。

「……本当、嫌になっちゃう。せっかく持ってきた家具が台無しじゃないの」

 加えて、彼女の礼装が死体であったというのも理由の一つだ。
 詰まるところ、鼠とは壊滅的なまでに相性が悪かった。
 如何に一流の魔術師の骸を、一流の魔術師たる彼女が施術したとはいえ、その本質は死体なのだ。
 正しく怒涛の如く押し寄せてくる鼠たちに対し、二体の死体と一人の魔術師、そして一騎の英霊では分が悪過ぎる。
 加えて何より、敬愛している父、美しかった母の身体が、鼠を退けるにつれて無残にも食い荒らされていくのは、我慢ができない。
 だからと言って彼らを下がらせれば、今度は自分が喰われてしまうだろう。

「しかし参ったな、マスター。これでは私も手の打ちようが無いぞ」
「ええ、何とかして体制を立て直したい所なのだけれど――――こんな忙しい時に来客なんて、困っちゃうわね」
「ああ、こいつは失敬。ふむ、美しい女人の家を訪れるにしては、約束も無しにというのは些か無作法であったな。許されよ」

 そして――原因の三つ目が、この男である。
 灰色の鼠の海を割り、まるで古の預言者か何かのように現れたこの人物。
 あちこちが破れた着物は、確か仏教の法衣だったと思うが、とても聖職者には思えなかった。
 まるで野獣のような様相に加え、身に纏った死の臭いがあまりにも強烈である。
 加えて、恐るべきはその数珠であり、それを振るった際の身体能力。
 とても生身の人間とは思えぬ動きで、剣、槍、杖、弓など目まぐるしく形を変える数珠を振るい、
 ファーティマの最高傑作と自負していた父と母とを、軽々と打ちのめしてしまったのだ。
 こうして軽口を叩いてはいるが、内心で彼女は歯噛みする。そして、どうやって事態を打開すべきかを思考する。

「……まったくよ。貴方、お名前は?」
「如何にも。無道と言うが、其方の名前も聞かせてもらえるかな?」
「折角だけれど、お断りさせて頂くわ」

 そう言って露骨に彼女は顔を顰めて見せた。
 自分の身体に自信を持っているし、舞踏を行うときは肌も露にするのだが、
 だからと言って獣染みた男から舐め回すような目で見られては、良い気もしない。

「それにしても、さすがに『鼠の群れ』がサーヴァントというのは予想外だったわね。
 召還宝具はライダーかキャスターの専売特許でしょうけれど、鼠の群れになった魔術師なんていたかしら」
「さてな。或いは鼠に転じる魔剣、聖剣の類やもしれぬぞ?」
「冗談を言わないで頂戴な。それで、どうするおつもり?」
「うむ。男ならば殺すだけだが、その身体を味わえぬのは実に惜しい。拙僧が頂こうと思っておるのだが」

 呵呵と笑う破戒僧から目を背け、思い切り顔を顰めながら視線を向けるのは、部屋の片隅に転がされた父と母――その死体。
 彼女自身の手で人形へと転じたとはいえ、其処に愛情が無かったというわけではない。
 否、むしろ愛していたからこそ、だ。
 両親を、家族を、心から大切に思っていたからこそ、ファーティマは皆を人形へと作り変えた。
 それも全てはムイード家を想うが故。であるならば、こうなった以上、取るべき手段は一つしかない。
 知らず、ファーティマの口元に寂しげな微笑が浮かんだ。

「観念したのかね?」
「お生憎様。出会ったばかりの殿方に身体を許すほど、わたしは軽い女じゃなくってよ。
 それに――――敵を叩き潰すなら、全力を出すのがムイードの流儀。そうでしょう、父様、母様?」
「そうだね、ファーティマ」
「その通りね、ファーティマ」

 次の瞬間、ぼこりと音を立てて死体が『膨らんだ』。

「ぬっ、貴様、よもや父母の身体を……ッ!」
「………頼めるかしら、ライダー」
「問題は無い。この程度、慌てる必要も無いだろう。
 ああ、ところで。鼠の弱点を知っているかね?」

 本能的な直感にしたがって、飛び下がる無道。即座に配下の鼠に指示を出し、肉の壁を構築する。
 それに対し、今まで沈黙を守っていた騎兵はにやりと笑みを浮かべて、床へと腰を下ろした。
 こうしている間にも、ファーティマの父と母の肉体は膨れ上がり、べきべきと音を立てて四肢が折りたたまれていく。
 だが、もはやその娘も、ライダーも、気にも留めなかった。彼女の顔には、ある種の決意があった。
 元より、ムイード家を支えるのは自分だと覚悟を固めていたのだ。その為に戦いに臨んだのだ。
 この程度の事で、踏みとどまってなどいられない。主の心に従い、騎兵の英霊が肩から吊るしていた手綱を振り上げる。

「鼠は空を飛べんのさ」

 ライダーが手綱を床に叩き付けた次の瞬間、金色の輝きが室内を埋め尽くす。
 同時に、夫妻の肉体に貯蓄されていた魔力が臨界を超えて暴走し、その身体と回路を破壊しながら大気中に溢れ出て――


 ――――――つまり、爆発した。





 ホテルで繰り広げられていた惨劇が嘘であるかのように、水佐波の空は澄み切った青空であった。
 その下をファーティマは、ライダーの操るある物に乗って移動していた。
 恐らくは、どんな人物であっても一度は思い描いた事があるだろう。
 だが、もしもこの場に居合わせたならば、誰もが驚き、信じる事はできなかったに違いない。
 それは所詮幻想なのだ。到底、現実に起きるはずもない。
 しかし、彼こそは英霊。最も優れた騎兵の一人であり、その手に握るは貴い幻想である。
 なればこそ、この程度の幻想を再現する事など、児戯に等しい。

 つまり―――――絨毯が宙に浮かぶ程度のことは。

「……ああ、そうね。絨毯だものね。そりゃ飛ぶわよね」
「そういう事だ。うん、天馬ほどではないが、悪くは無いな」

 屍人形を爆発させる瞬間、ライダーがその宝具『黄金の手綱』を絨毯に行使した結果がこれである。
 あまりにも馬鹿げた光景に一瞬眩暈を感じたファーティマであったが、戸惑っていられる程の余裕は存在しない。
 鼠を率いていたマスター……無道とかいう男。あの程度で死ぬわけもあるまい。
 加えて、白昼堂々とホテルの住民を襲い、戦闘を仕掛けてくるような人物だ。
 恐らくはこのまま此方を追撃してくるだろうし、先ほどの爆発は少々派手にやりすぎた。お陰でこうして移動する時間は稼げているのだが。
 察しの良いマスターならば、確実に聖杯戦争によるものだと見当をつけるだろう。
「父様、母様…………」
 そして、あの二人を犠牲にしたからには――絶対に勝たねばならない。絶対にだ。
 いつでも移動できるように予め纏めておいた荷物の中から、香炉を取り出しながらファーティマは決意する。
 否、この戦いに参加すると決めた時に固めていた覚悟を、より強固に塗り固めていく。
「……さて、それでどうするんだ、マスター。工房は失ったとはいえ、まだ手は残っているのだろう?」
「ええ、勿論。街の上を通ってから、動物園に向かって頂戴。兄様も待っている筈だから」
 香炉に火を灯し、不可思議な匂いの煙を生み出しながら、彼女は小さく呟いた。

「其方がそう来るのならば、此方も数でお相手しましょうかしら、ね」





*******あとがき****************
良いお年をと言ったのに、割とポンポンポーンと書けてしまったので、連日投下。
……いやあ、hand in hand の人といい、Rebirthの人といい、書くの早くて羨ましいなぁ。
とまれバーサーカーVSライダー戦であります。といっても、其処まで戦闘してないですが。
ホテルでのバーサーカーの暴れっぷりは教授のガクブル動物ランドを参照のこと、と。
実際問題、鉄鼠とまともにやりあえる英霊って、そんなに多くないんじゃないかなぁ。
戦場で一騎当千だったような連中ならともかく、普通は八万四千匹の鼠なんて相手にしてられないし。
周囲の損害を無視して、エクスカリバー辺りで薙ぎ払うくらいしか手は無いような感。
ああ、でもホロウのアヴェンジャーも似たようなもんかなぁ……ふむ、謎。
ともかく、つまり「一匹の強力な魔獣キラー」である所のベレロフォンとは、とんでもなく相性が悪いのでは無いかなーと。
まあ、彼の宝具はすさまじく汎用性が高いので、こういう感じに活用させて頂きましたが。
なるべく皆に見せ場を作りたいのですが、さすがに全員にスポットライトを当てるのは難しいですね。
アルトリアが片端から勝負挑んで一度負けてしまうのは、物語構成上の必然なわけで。うーむ。
多分、シグルド&ヒルデガルド組でやれば、全員に戦いを挑んで、劣勢に追い込まれて、しかし逆転勝利!ってのも楽なんでしょうが、
冷静に考えるとやっぱり最強コンビなわけで、ラスボス級か、或いはアーチャーと遠坂凛みたいな、弱体化して主人公のサポートって所ですよね。
やっぱりローランとかにすれば良かったろうか……ああ、でも、奴は奴で、力技で全部ぶっ潰して勝っちゃいそうだしなぁ(笑)
――――――――やっぱり取り捨て選択って必要だよね、うん!
まあ、俺の書いてる「夏海主人公ルート」ではこういう形、という事で。どうかご勘弁を。
handの人の方は、みこっちゃんが主人公ですしね。差別化差別化。そっちの夏海は頑張れー。
Rebirthの人も続きが楽しみですよー。まさか茨木童子とルイスが出てくるとは思わなかった。

では、改めて。良いお年をー。