それは、五年前の冬のお話。

 月のきれいな夜だった。
 私達は何をするでもなく、主人であるパラケルススと月見をしていた。
 夜だというのに、気温はそう低くはなかった。
 石段の冷たさも感じない、月を肴にするにはいい夜だった。

 この頃、主は外に出てこなくなっていた。
 あたし達とも顔を会わせず、
大空洞にこもって一人で最後の調整をしている事が多くなった。

 ……今でも、思い出せば後悔する。
 それがあまのじゃくな主の最後の意地っ張りだったことに、
どうして気が付かなかったのか。

「ガキの頃、俺は英雄ってのに憧れてた」
 ふと。
 ボク等から見たら英雄そのものの主は、懐かしむように、そんな事を呟いた。

「なんだよそれ。」
「憧れてたって、諦めちゃったの」
 むっとして言い返す。
 主は小馬鹿にしたように笑って、遠い月を仰いだ。

「馬~鹿、んなわけねぇだろ。
俺はな、有名になりたかったんだ。歴史に名を残したかったんだよ。
だがな、そんなもんは期間限定でな、
時が経って誰からも忘れられれば、英雄だろうと全て無為になるんだ。
そんなコト、もっと早くに気が付きゃ良かったのにな」
 言われて納得した。
 なんでそうなのかは分からなかったが、主の言うことだから間違いないと思ったんだ。

「そっか、それじゃしょうがないね」
「――全くだ。本当にしょうがねぇ」
 相づちをうつ主。
 だから当然、ワシ達の台詞なんて決まっていた。



「うん、しょうがないから私達が代わりに憶えているよ」
「主は還ってしまうからもう無理だけど」
「ボク達なら大丈夫だろ」
「まかせときなさい、主の夢は」


“――あたし達がいる限り、消えることはないから――”


 そう、言い切る前に、主は微笑った。
 続きなんて聞くまでもないっていう顔だった。
 主人――、『父親』はそうか、と長く息を吸って、

「は―――一生言ってろ」

 最後まで意地を張り通して、風に吹かれてその姿を散らせていった。


 それが、朝になれば帰ってくるような穏やかさだったから、
私達は騒ぎ立てなかった。
 脆弱で、他より死に近い体である事もあったのだろう。
 何をするでもなく、冬の月と、再び長い眠りに入った、父親だった人を見上げていた。

 山には虫の声もなく、あたりは静かだった。
 明るい夜の中、両目だけが熱かったのを覚えている。
 泣き声もあげず。
 悲しいと思う事もない。
 四人肩を並べながら。
 ただ、涙だけが止まらなかった。




 それが、五年前の冬の話。

 冬木の管理者である遠坂に段取りしてもらって、
主が新たに造り上げた大聖杯のある大空洞に住むようになった。
 主がいなくなっても変わらない。
 私達は生き続けなければ。
 あたし達の存在こそが、主の生きた証なんだから。


 ―――そう。
 口にはしなかったけど、ちゃんと覚えていたんだ。
 生前、閉じられた楽園に生まれ落ちたあたし達を
外へと救い出してくれた男の姿を。
 脆弱で、ホムンクルスとして見れば失敗作でしかなかったボク達を抱き上げて、
「……全く、面倒な連中だよ、お前等」
 流す涙を皮肉で隠し、外に連れ出してくれた人。
 その時から、彼は私達の主になった。

 箱庭の中は狭かった。
 箱庭の外は恐かった。
 生きてく事が辛かった。
 死んでしまうのは厭だった。
 その中で彼は。
 生命を謳歌できるように。
 生涯を送られるように。
たった一人で助けてくれた。

 ――だから、この人は紛れもない英雄だと思ったんだ。

 彼こそは私達の正義の味方。
 なのにそれが照れ臭くて、素直になれない天邪鬼。

 その彼こそが“そういうモノ”に成りたかったと遺して、
あたし達の前で穏やかに幕を閉じた。



“は―――一生言ってろ”

 あぁ―――本当に主らしい。
 結局、主は最後の最後になって、ようやく素直になれる子供だった。
 言われるまでもない。
 私達は生涯果てるまで、彼の事を忘れはしない。
 ……だってそうだろう?
 ボク達が主を忘れぬ限り、主はボク等の中に在る。
 私達が生き続ける限り、主は消えることはないのだから。


 空に輝く億千の星。
 虫も鳴かない静かな夜。
 いつもと変わらぬ柳洞の森で。
 妖精達は今宵も歌う。


 中にあるのは思い出でした。
 外にあるのは未来でした。
 生きてく事は楽しすぎて。
 死ぬ事なんて考えられない。


 それは主の贈り物。
 だから今日も詞を紡ぐ。

 ――主、貴方も見ていますか。

 ――今日も昨日もこれからも。

 ――最後に見上げたあの日と同じ。

 ――月のきれいな夜でした。