キィ――、
 キィ――キィ――。
 キィ――キィ――キィ――。
 車椅子の車輪が擦れて、耳障りな音を立てる。アスファルトに噛み付くタイヤが、時速二〇キロメートルで回転している。
 乗っているのは一人の男だった。
 椅子に乗っているから分かりづらいがそれなりに背は高い。上半身は力強く、一つ一つの部品の付き方が良い――優良な筋肉と骨格で構成されている。
 しかし、捻れた異形の右足が鍛えられた上半身と相反していて、悲壮感が漂う。
 ”何故こんな無惨な姿なのだろう。”と他人は聞くかも知れない。
 顔立ちも平凡だ。やや強面の印象を受けるが、至って普通の容貌である。だが、その炉の炎のように赤々と燃える赤眼は、不屈の闘志を供えた猛者か、民を導く王者の風格を宿していた。
 ギィッ。車輪が急停止する。アスファルトに白煙を昇らせ、ゴムの焼ける臭いが立ちこめた。
 彼の視線の先に一つの白い影があった。
 ゆらゆらと風にはためくロングコートの如き白衣。
 やや日に焼けているが、それでも西洋人特有の白さを失ってない肌。
 後退気味の額をさらけ出すように、後ろに撫で付けられた白銀の髪。
 碩学そのものと言った風貌の男だった。
 小柄で、至って普通の体付きも相まって科学者か医師のような印象を受ける。
 無論、このような時間帯に人通りがまったくないよう細工をした者がただの医者であるわけはない。
 二人の男は黙って対峙している。否、白衣の男は黙っても対峙もしていなかった。
 ブーツを鳴らして、車椅子の男に近づいていく。そして――、
「オラァ!」右拳を振り上げ、いきなりぶん殴った。
 車椅子の男は『のろい――』と感じた。実際彼のような戦闘者の眼には、スローモーで見えている。戦闘者にとってこの程度の拳速は、蝶々の飛ぶ速度のようなものである。
 だから、鼻っ面を狙った拳を受け止めるのは、至極簡単だった。
「ヌオッ!?」首を高速で傾ける。
 ――唾である。
 白衣の男は、拳が受け止められると同時に唾を吐きかけたのであった。
 吐き飛ばした唾は、アスファルトに中ると同時に灼ける音を立てて、溶かした。
「!」
 車椅子の男の脳裏に、出身地の誉れ高き大英雄の最後が甦った。
 彼の大英雄は、ある幻想種の体液により、自ら命を絶つまでのたうち、苦しんだ――と。
「チッ!」
 拳を握り潰そうと思ったがやめておいた。万が一、毒の体液持ちだった場合自殺行為だからだ。そんな彼の思惑を余所に、アスファルトに転がった濃硝酸を入れていたカプセルは溶け消えた。
 文字通り汚い行為である。だが、彼にとってこれくらい何ともない。決闘の際落とし穴掘って、中に牛糞でも敷き詰めておこうと考えるくらいはする男だからである。
 高速でバック。一気に距離を取るが、自分の間合いから出ないようにする。だから、五メートルで停止した。
 白衣の男は、手の平型の青あざの浮いた自らの拳を診察している。異常なしと判断し、車椅子の男を睨み付ける。


「よぉ、どうした臆病騎乗者(チキンライダー)。小物見てぇにビクついて後退りしてよぉ」
 ニヤニヤと金の双眸を歪め、挑発する。その姿は、陰険な上司のようであった。
「武を競い、誇りをぶつけて、命を奪い合う相手に向かって唾を吐くとは、品性を疑うな。それとも何かな? 唾を撒き散らさなければ言葉が紡げないのか? 唾吐く者(スピットキャスター)」
 挑発には、挑発で返す。言葉では言葉で返す。舌戦も闘争の内である。
「言うねぇライダー。流石は、神の血を引く半神の者。言うことが一味違う。どんな味かというと便所の底のようなテメーの不細工な面の皮膚組織の味だ」
 ”半神”という言葉に、眉を顰めかけたが堪えた。
「私が便所の底の糞なら、貴様は差し詰め腐った戦死者の太鼓腹の味か。破裂した戦死者の腹のように顔面組織が崩壊しているぞ」
 肩を竦めて、大人の態度で返す。ちなみに二人とも容姿は平凡そのものである。
「はっ! 俺が腐った腹の蛆・蠅・禿鷹まっしぐら顔面ねぇ。テメーの糞親父神もそうなんじゃねぇの」
 キャスターは、正体の探りを入れた。神の血を引く者に多くある赤眼。蛇に締め付けられたかのように捻れた右足を見ての探りだった。
「………………………!」
 自制も効かず、目が吊り上がる。呼気に怒気が混じる。赤眼が燃え上がり、殺意を滾らせる。気付いた時にはもう行為をしていた。
「はっむかついたらすぐに手を出す。これが武勲高い英雄様のやることかぁ~!」
 キャスターの喉元には長大な騎乗槍が突き付けられていた。車上で運用することを考えてのこの長さである。ライダーの強靱な膂力は、震え一つ起こさず静止画のように突き付けている。
「撤回せよ。我が父に対する侮辱を撤回せよっ!!」
 キャスターは、命を刈り取る銀の切っ先を無いもののような態度でいる。ニヤニヤと笑みを浮かべ、蔑んだ眼でライダーを見下している。
 舌戦は手を出したライダーの負けであった。そもそもキャスターに対して舌戦をしてしまったのが、敗因であるが。
「我が父は侮辱されるような者ではない。誉れ高き大神の一柱である。撤回しろ!!」
 さらに、騎乗槍を押し込む、喉から一滴血が滴り落ちた。
 それでもキャスターはニヤニヤ笑っていた。
「へぇ、親父が多神概念を持つ地域の神ねぇ………もういいや、ぶっ飛べや”御者座のエリクトニオス”さんよぉ~!!」
 ライダー――戦車の発明者にして御者座の英雄・エリクトニオスは、驚愕に眼を見開いた。動かない右足という目立つ特徴を持っている英雄はそういない。下半身不随や隻腕で英雄になる事は至難の業なのだ。
 魔術師の英霊であり、深い知性と魔術の冴えを持つキャスター。その中で突出して”人を怒らせる逸話”が多いパラケルススならではの正体看破法であった。
 ライダーは、右腕を動かそうとした。聖杯戦争で正体を知られる事は、そのまま死に繋がる場合が多い。知られたからには消す――それしかないのだ。
 だがしかし、ライダーは右腕を動かさず、左手で車輪を回し、後退した。その寸前、アスファルトが柔い土のように波打ち、三角錐状に盛り上がった。
 土と石の三角錐。活きよいよく飛び出したそれは、車椅子の尖端を引っかけ、騎乗の英雄を天高く跳ね上げた。
「くっ!」
 自作の車椅子はとても頑丈だった。天高く跳ね上げられても形を保っている。ライダーは、騎乗槍を電信柱に突き立て、さらに身を跳ね上げる。
空中で身を捻り、遠心力を利用して車椅子をキャスターに向かってぶん投げた。
 乗り物を捨てるという行為にキャスターは、眉を顰めた。
 派手じゃない乗り物(車椅子)を捨てると言うことは、奴の騎乗宝具は、それほど派手ではないのか?
 アイツは、戦車の発明者だぞ? それが凄くなくて派手じゃない?


ライダーの宝具は体外派手である。大きな騎乗物で、進路上の物を全て蹂躙するのが、ライダーの宝具である。こんな所で使えば家の一件や二件簡単に吹き飛ばされる。

 アスファルトが泥のように流動し、キャスターの眼前で壁を形成する。車椅子はアスファルトの壁に阻まれ、キャスターに届かない。軋みを上げて転がった。
 壁の構成を解き、泥に戻す。キャスターはライダーを捜す。
 ライダーは――電信柱の上にいた。左手一本で水平に体を支えていた。逆立ちではない。腕立て伏せの姿勢で、足裏をピンと天に向け、腰を真っ直ぐに伸ばした姿勢が、今のライダーの体勢だった。
 右手には何も握られていない。空の手――にぎにぎと動かし、電線を掴んだ。電線は一本掴むだけなら感電はしない。
「ガッ―ああああああああああああああ!!」左手を置いた地点に放射状にひびが入る。芋を引き抜くように、繋がれた電信柱が中程から折れ、引っこ抜かれた。
「いっ!?」
 その余りにも無茶苦茶な行為に、声が零れる。
「ア――あああああああああああ!!」
 真横からキャスターにぶつかるように右腕を振り回す。紫電混じりのその大槌はまさに、主神の投槍のよう。
「壁だ――!!」地面に潜っている娘に指示を飛ばす。瞬時に熱さ三十センチメートルの壁が形成される。
 しかし、電信柱の質量+腕力+遠心力=破壊を行う。
「おおおお!?」寸前に伏せて電信柱を回避する。瓦礫が雨のように背に降り注ぎ、死へ誘う柱は暴風と共に通り過ぎていった。
「しゃ――あああああ!!」
 ライダーは、左腕一本で身を跳躍させた。すでに騎乗槍を装備している右腕を弦を引き絞るように引いている。
「運べ!」鋭い一喝。その指示に従い、アスファルトが川のように流れ、ベルトコンベアーのように、キャスターの体を運んでいく。
 寸前の所を落雷のように槍が突き立った。クレーター形成。
 ライダーの体は、腕力と背筋で槍と共に地面から垂直に伸びている。瞬時に騎乗槍を消し、地面に降り立つ。
 降り立つのは無論両腕から。手の平・肘・肩・腰を順に付け、衝撃を分散する。そのまま坂道を転がるボールのように、滑らかに転がりながらキャスターに接近する。
「キモいぜテメー!」
 墨色の刀身・象牙の螺鈿彫りの柄・柄尻に赤玉――豪奢な短剣を抜刀する。後付で取り付けられた水銀環の魔術礼装に魔力を通す。
 水銀環には、【射出】という概念が刻まれている。その概念により、取り出された鉄製の槍が十。――時速五〇〇キロメートル以上で高速射出される。
「ハ――ああっ!!」
 棒高跳び。それはまさに棒高跳びだった。騎乗槍を地面に打ち付け、そのしなりで身を高く上げる。
 放物線を描き、キャスターの制空権を支配する。だがキャスターもただ眺めているだけではない。
「見下ろすんじゃねぇクソッタレがっ!!」
 水銀環が光り、くすねたテトラポットが取り出され、真上に射出される。
 質量五トンに及ぶテトラポットは、時速三キロメートルで射出され、すぐに失速した。そこをアスファルトと槌の腕が受け止め、ライダーに向かって伸びていく。
「甘い!」その歪な体が、振り子のように流れた。
 電信柱に打ち立てられた騎乗槍。慣性すら力学すら無視する戦闘職英霊の腕力。それらが統合し、空中での回避を可能にしたのだ。
「なめんなぁああああああ!!」
 地面に潜む者は、テトラポットを偽物の腕で、粉砕した。さらにそれを全方位にぶちまける、 ――――鉄筋コンクリートの散弾瀑布!
 自分には中らないよう指示を出し、キャスターは初めて宝具を光りの届くところに出す。
「戻れムムー」
 地面に潜らせている自分の宝具にして娘の一人を呼び出す。アスファルトが波打ちそこからシンクロナイズドスイミングのように華麗に中へ飛び出す。まるで海豚のショーのよう。
 純白のナース服を着た一四八センチメートルの小柄な少女。前髪を切りそろえた黄玉を溶かし込んだかのようなロングおかっぱも白すぎる肌もナース服も汚れ一つ無い。
 箱庭の四大精霊が一体――土のムムーである。
 ムムーは、くるりと反転するとキャスターの肩に着地する。肩車だ。


「ねぇお父様~、あの人とても滑稽ですのね~。ごろごろ這いずって芋虫みたいですの~」
 のんびりした口調で、毒の含んだ台詞である。一五〇もない短躯にしてはやや立派な胸をキャスターの後頭部に押しつける。黄玉の瞳は笑みに歪んでいる。
 溜息を吐き、腰を掴んで目の前に猫のようにぶら下げた。
「や~~ん、お父様のイケズ~、カイショーナシですの~」
「喧しい遊んでねぇで、さっさと地脈からライダーを探れ」今だ濛々たる粉塵が舞っている。
「は~~い」
 地面に降ろされる。今度は背中をキャスターに預ける形をとる。ミニスカートに立派すぎる臀部が浮かび上がり、それがキャスターの腰に押しつけられていた。
 静かに瞑想し、地脈との調和/調律/探索を開始する。キャスターは何も言わず、煙草を吹かせている。
 キャスターはライダーのことを考えていた。

 御者座のエリクトニオス。ギリシャ神話で戦車を発明(女神アテナに送られてと言う説もある)し、それに騎乗し、数々の戦場で武勲を打ち立てた英雄である。
 母は、女神アテナともアッテッナ姫だとも言われているが、父は共通して鍛冶神ヘパイストスである。ヘパイストスは数々の神々の武装や英雄の武装を作りだした神の一柱である。
この神は、足が不自由で醜男であったとされる。しかし、超美形が基本の神々の視点から醜男であるから至って平凡な顔立ちの男であるのだろう。
 この男神は、捨てられたのち海のニンフに拾われ、テティスなどによって育てられ、のちに一流の腕を持つ鍛冶神として有名になる。
 またこの男神は、神々の中で至ってまともな性格をしていて、他人に迷惑を掛けたことはほとんど無い。
(父親への侮辱は許さないねぇ……)
 その後紆余曲折ののちに、母(ヘラ)に認められ、オリンポス十二神に名を連ねることとなる。
 ライダーの右足が不自由なのは、父親からの遺伝みたいな呪いだろう。どの逸話を見ても下半身がまともであるという話は聞いたことがない。
 生まれつき足を不自由しているのが、エリクトニオスの最大の特徴だ。

「だからなのか? 生まれつきだから、武勲の多い英雄だから、足を使わないで」――――――――空気が凍り付いた。圧迫感が激増した。戦場の空気がさらに捻れた。
「ムムー!」
「きゃあ!!」腰を掴んで、吹っ飛んできた電信柱を共に回避した。轟音を立てて背後の壁に電信柱がめり込む。
 豪風が吹き荒れ、粉塵を押し流す。
 そこに蠍がいた。
 足裏を天に向け、腕立て伏せの姿勢で敵を爛々と睨む、地獄の蠍がいた。
 地面は握力で既にひび割れ、両腕は張り詰めたエネルギーで張っている。
(そういうことか、成る程ねクソッタレ!)
 ライダーは足を使わない行為の妙手であった。
 上半身だけで戦車を駆り立て、腕だけで槍を振るう。もしもの時は、地面を大急ぎで這い、転がり、生き延びる。
 上半身活用の専門家であったのだ。
 機動力が売りの騎兵の英霊。右足付随のハンディキャップをものともしない上半身の力と戦場経験。
 エリクトニオスは、上半身だけで他の英霊に負けない機動力を持つ英霊であったのだ。

「どうした腰が抜けたか魔術師。私に見下ろされているぞ」
 その笑みは得物を眼にした蛇のように凶悪だ。その言葉は、侮蔑が含有されている。
 キャスターはカチンと来た。
「へっ、言ってろ蠍ヤロー。どれだけ顔を上げても見下せねぇよ虫のように潰して地面に埋めてやらあぁぁああ!!」
 さらに唇を吊り上げ、高笑する。
「は――はははははははははっはあっはっはっはっっははっはっっっはっははあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
 足を上げたまま、両腕を高速で動かし突撃してきた。
「来いやオラァあああああああああああああああ!!!」
 二人の鬨の声がぶつかり、それぞれの信じる技と術がぶつかり合った。

 To Be Continude (嘘続かない)