2/The Tower, La Maison de Dieu backnight Ⅱ Helleborus



 凍てついた夜だった。
 外にいると、違う世界に投げ出された気がする。
 霧に乗って獣の息づかいが聞こえてくる。
 ……町からは人間の気配が一切しない。
 この状況を作りだしたのが何者かは知らないが、ついに尻尾を出してきた。

アヴェンジャー「人がいない……これじゃ、ホントに」

 何もかも死に絶えた世界だ。
 目に映る民家はことごとく荒らされている。
 壊された玄関。
 割られた窓。
 血塗られた庭。
 中を覗(み)れば、
 解体現場そのものだ。
 何もかもおかしい。
 特におかしいのは、バラされた肉片もコロされた命も見あたらないというコト。
 だが、ここで何が行われたのかは明白だ。

アヴェンジャー「――――――」

 未知の感情が脳を刺激している。
 歓喜と嫌悪がバランスよく混ざり合っている。
 僕は、まだ見ぬ殺戮者を憎悪している。
 
 
前アーチャー「はーん?随分とおもしろ百面相をしているなお嬢ちゃん。
         そいつもお得意の芝居の練習か?こんなときも鍛錬を怠らぬプロ根性は買うが
         そういうのは一人きりでやってくんねーかなー、見てて怖えーよそれ」

 自分の感情がよくわからない。
 アーチャーに口を挟まれるほどに、僕の感情は大きく揺さぶられているのだ。

アヴェンジャー「――――失礼、まだ調子が悪いようで。
          それでアーチャー、あれは一体なんですか?」

 
 ……アレはなんなのか。
 世界の隙をつく形で何処かに出ようとすると出現する腐食。
 そして、あの腐食はこの街を覆い尽くそうとしているように思える。


前アーチャー「さあな。わかってるのは、
         俺たちと同じサーヴァントであることと、”新顔”だってことだけだ」

アヴェンジャー「新顔?」

前アーチャー「ガキが造った今回参加者とは違ってるってーのと今までの聖杯戦争参加者とも
         異なるってことだ。さっきやりあってわかったと思うが、しかもなぜかモノホン」

 そうだ。
 あの鎧武者は正真正銘、本物のサーヴァントであった。
 だが、ありえない。
 英霊という存在を、一個体として複数召喚するなど魔法使いですら叶わぬ奇跡。
 聖杯という規格外の願望器を持ってして初めて現実となるものだ。
 それが、このたった一人の少女の小さな箱庭の中で無秩序に複数現れ
 破壊活動を起こしているなど、まるで意味がわからない。


アヴェンジャー「――――彼女は聖杯戦争の参加者と先ほど言ってましたが……」


前アーチャー「ああ、前のマスターに聞いたことがあるんだが、あのガキは聖杯戦争創設の御三家
         代々聖杯の器となる受け皿と、ホムンクルスとかいう生き人形の製造を生業とした
         カビ臭い一族の末裔だ。んで、今回の参加マスターの一人で――――――――」


 
 第四次聖杯戦争……この箱庭のモデルであり、再び戦禍に荒らされるであろう冬木市、
 その地に惨劇と大火災を引き起こした戦い。
 今から約10年近く前、前回の聖杯戦争に彼はアーチャーのクラスとして闘いに臨み
 死傷者が千人規模も数えた前代未聞の闘いは混乱のまま幕を閉じた。

 その時、怪物揃いの中でも特に抜きん出ていたのが
 アインツベルンに雇われたフリーランスの魔術師と最優の位階(クラス)セイバーのコンビだった。
 名を衛宮切嗣(えみやきりつぐ)と『救世主』ヴィシュヌ、第十番目の化身カルキ。
 その力は絶大の一言であり、両者は単独で行動していながら、手段と犠牲を厭わない様々な方法で
 アーチャーとそのマスターを除く参加者を悉く退けてきた最強のコンビだった。

 奇しくも、彼の勝利と悲願を妨げたのは、志を同じくした聖杯の守り手であった。
 前回の聖杯であったアイリスフィールは言峰の姦計などにより
 内部分裂を起こし、最後は夫の盾となって聖槍に刺し穿たれ
 最後は『原罪』に満たされた聖杯を巡り、生き残った四組の参加者たちは死闘を繰り広げ
 街を呪波と火の海で満たした。
 
 ここで大事なのは、アイリスフィールという生きた聖杯という存在である。
 魔力というのは魔術を起動させる為の燃料にすぎず、ソレ単体で効果を発揮する事はない。
 だが特例として、魔力そのものが魔術に近い特性を持っている場合にかぎり、カタチとして残る事がある。
 たとえば―――前述のアインツベルンは、聖杯に人格を与えたという。
 その人格が魔力を持つのなら、ソレは生まれながらにして『願いを叶える』という魔術特性を持つに至る。
 生命活動と聖杯の機能が直結しているであろうソレなら、
 魔力を放出するだけで『魔術』めいた奇跡をカタチにするだろう。
 もっとも、アイリスフィール当人は自身の魔術特性を行使しうる機能までは所持していなかったのだが


アヴェンジャー「――――新たに参加をする彼女なら、もしかしたら可能かもしれませんね……」


前アーチャー「まあ、Verアップしている可能性はあるわな」




 
 地平の先まで行けば世界が終わっていそうな日没。
 所々穴の空いている世界。
 零れないようにと密閉されている自分。
 既知感に支配されたあやふやな一日。
 過去のない世界は、それこそ自由に描き変えられる。



 此処は、虚ろな楽園。
 増殖し続ける悪意の束。
 ……影の笑いは消え去らない。





アヴェンジャー「他にも聞きたいことがありますが、そろそろ時間のようなので
          最後に一つだけ聞かせてください。貴方は――――」

「………………」
 気は乗らないが、一度は聞かねばならない話だ。
 アーチャーが再び始まった聖杯戦争をどう思っているのか。
 出来うるかぎり感情的にならないよう自分を戒めて、声をかけた。

前アーチャー「今の状況をどう思っているか、だと?」

アヴェンジャー「ええ。束縛を嫌う貴方がこの状況に甘んじている理由について。一度は聞いておこうと思って」


 しばしの沈黙。
 アーチャーは深く考えない程度に、自分の意見をまとめているようだ。

「……………………」

 わずかな期待と不安が生じる。
 僕が気づけない事を、アーチャーは口に出来るのだろうかと。

前アーチャー「……別に、ただの暇つぶしだ。
         はじめはむかついたんで、引っ張り込んだ奴を絞めてやろうともしたが
         ちんまいガキが血生臭い殺し合いにブルってままごとで現実逃避してるだけだったからな。
         いい大人が目くじら立てるほどじゃねえと思うし、拍子抜けしてぶち壊す気も失せた。
         あのむさいモジャ男の小言にも付き合いたくねーし、
         お呼びがかかるまで此処でアバンチュールしてるだけだぁ」

アヴェンジャー「……まあ、いいでしょう。
          ――――なぜ聖杯戦争が再開されたのか僕には分かりません。
          ですが、戦いが再び始まったのなら勝利しなければならない。僕の相棒に敗北は許しませんから」

前アーチャー「げ。なんか懐かしいウザイ台詞だな、それ」

アヴェンジャー「貴方が必ず困難に勝利できるよう、願をかけてみました」

 いや、今のは願掛けっていうよりハッパ掛けっていうか、第三者から見たら脅迫に他ならないのでは。

アヴェンジャー「僕の今の考えはそれだけです。
          騒ぎが起きないうちはこうして過ごし、何者かが牙を剥くのならこれを討つ。
          彼ら謎の敵サーヴァント自体が災いであるのなら、その災いを以て敵に思い知らせるのです。
          貴方が言ってくれた通り、当然のように彼女を守る力である為に」

 それが僕の考えだった。
 彼女とは対極、日常を守る為の立ち位置。
 それは文句なしに嬉しいのだが、やはり、根本的な疑問が抜け落ちている。

前アーチャー「はーん、まあ勝手にしな。
         けどなアヴェンジャー。今の状況、正しいと思うか?」

アヴェンジャー「くす、貴方も随分世話好きな人なんですね、正直意外でした」
 
 悪態をつきながら、そっぽをむくアーチャー。
 正直意外だった。
 歴史上最大の叙事詩、インドのサンスクリット語の韻を踏んだ32音節の対句10万あまりからなる
『マハーバーラタ』にて禁忌とされた『獄炎秘めし災厄の矢(アグネア)』 を放った復讐の阿修羅。
 勇猛なバラモンの戦士であったという彼に、こんな優しい一面もあったとは少し驚きだ。
 

アヴェンジャー「この日々は偽りです。
           ですが彼女の儚い日常は、最後まで正しく続かせてあげたい。
           僕もせっかくの貴重な余暇ですし、楽しませてもらいますよ」


「――――――」

 安堵は誰のものだったか。
 たぶんオレのものじゃない。
 でもいい。
 この女の言葉は偽りのない、絶対の真実だった。
 あやうく居眠りこきそうな意識が、ひょっこりと生気を取り戻す。


前アーチャー「そうかい、なら好きにしな。これを恙無(つつがな)く続けてえなら、
         後はこのバッタもんの聖杯戦争をなんとかするだけだな。
         ―――それで。
         アンタは、聖杯戦争の再現とは本当に関わりはねえんだな?」






 黒衣の魔女は男の問いから解放される。
 軽い目眩に目を滲ませて、仄暗(ほのぐら)い夜明け空を見上げる。

アヴェンジャー「できっこない事を言われてもね。
          羽なんて、初めから在りはしなかったのに」

 けれど、あの男には最後までそう見えていたのだろう。
 地に落ちていようと羽は軽く。
 いつか、泥を弾いて空に帰るのだと。


アヴェンジャー「……本当、気の回らない人だ。
          立ち寄った場所を気に入って、空を忘れる渡り鳥だっているでしょうに。
          そんな都合のいい事を、思いもしないだなんて」


 独り言にはわずかな微笑。
 魔女はゆっくりと、眠るように目蓋を閉じる。
 束の間の夢に埋没するように。
 いずれ醒めるこの時間を、名残深く噛みしめた。 ―――これもまた、一つの欠片。
 過ぎ去りし断片は裡(むね)に淀み、束の間だけ留まっては、抗えず流れていく。
 
 憎んだものは何もかも消え去った。
 名を失い体を失い、魂さえ見失って。
 最後に、憎しみにすら置き去りにされた。
 なのに、まだ此処に繋がれている。
 幾星霜。
 人が滅び世界が滅び、自身の肉体が死んだ後も、彼女は此処から動けない。
 
 焼き付いた憎しみは不変にして不滅。
 人の世が続くかぎり永遠に在り続ける。
 今はただ、この何もない荒野で。
 ずっと、世界の終わりを眺めている―――
 
 ―――そうして。私はようやく、暗く濁った目蓋を開けた。



 こうして泡沫の夜が終わる。
 楽園は故障(バグ)によって緩やかな崩壊を。
 平穏は幕を下ろし、呼ばれなかった亡霊の群れが生き血を求めて夜を彷徨い
 在り得なかったモノは在り得なかったモノとして、元の空白へ返っていく。

「――――――」
 時計はあと三十秒ほどで零時にさしかかる。
 日付が変われば悪魔たちは完全に死に絶える。
 過ぎ去った時間は、日付を越える事で完全にロストする。
 これでおしまい。
 目が覚めれば、いつも通りの日常に戻っているだろう。
 今日の聖杯戦争は終わった。
 戦いは勝者を生むことなく、
 異常は解明されることなく、
 虚ろな楽園は、今もこうして回っている。