FateMINASABA 23th 00ver


「――!」
 慎二は叫んだ。だがそれは声にならない。
 ただ、そのままの勢いで頭を掻き毟(むし)り、上体を跳ね起こす。
 喘ぎながら肩で大きく息をする。その呼吸音が部屋に響き、耳に届き始める。
 慎二は、ようやく自分の状態に気づき、冷静に自分自身を観察し始める。
 額から流れる汗が顎を伝い、滴(したた)り落ち、一つ、二つと服の布地に吸い込まれていく。
 体中が脂汗で湿っていた。
 部屋の冷気が痛い。
 風が窓を叩く。
 窓枠の中を、雲が川のよう流れていく。夜空に輝く星々は、雲の波がつくる飛沫のようだ。
 月は川底に沈む玉のように雲間に現れては消え、その度に、ひんやりした床が蒼白く浮かび上がった。


 ベットを出る気力はなかった。
 あれは脳に残された英霊の記憶情報のゴミなのだろうか。
 記憶情報に残るゴミは断片的なものであり、いずれ劣化し、忘却の海へと沈められていく。
 だがあれだけ鮮明なゴミが存在するのだろうか。
 慎二自身、割り切れない何かを感じていた。
 そしてあの夢を見た瞬間から、脳全体が何かに包まれたような感覚があった。これもあの夢のせいなのだろうか。
 慎二は自分自身に問い返す。
 ――、一体、僕は何を見たんだ?


 マスターの夢は実際に起きた英霊の記憶の再現だと爺は言っていた。
 そうであるなら、あれは実際に起きた出来事の一幕ということになるのではないか。
 しかし、英霊は空想から人間の意志によって昇華され。精霊に近い霊格とカタチを得る場合もある。
 もしこれが、擬似記憶であるとするならば、余りにもリアルすぎた。
 漂う空気の匂いも、体の震えも、隣にいた彼女の死も、
 そのすべてがエンターテインメントとして成立させようという意思はまるで感じられなかった。
 ただリアルなだけ――現実にあった出来事を再生しているとしか思えないのだ。
 ランサーが慎二に見せていた夢は、ただのリアルな出来事の再現記憶でしかないと言っていた。
 ランサーが実在の人物だとしても、やはり彼らを夢幻の幽霊などではないということだと認識を改めなければならない。
 しかし、問題はそこじゃない。
 いま現在、僕に影響を及ぼしているこの不思議な状態はなんなのか。
 ランサーが僕に意図的に精神攻撃を仕掛けているのだろうか?
 だがそれはあり得ない。
 慎二に対して、そのようなものを仕掛ける理由がない。
 今のところ、関係はそれほど悪いワケでもないし、戦況もこちらに不利な状況でもない。
 ましてや、家族間・衛宮たちとの問題も口うるさく忠言を挟んでくるが
 けして踏み込んで干渉してくることはなかった。
 ランサーも僕に対してある程度の忠節を見せているし、その点は僕も理解はしているので
 数々の無礼や行動の自由もかなり寛大に見ている。
 ランサーが仕組んでないとするならば、あの記憶そのものは無意識に感情や想念も含めて僕に流れていったものだということになる。
 だとすれば人が選ぶのではなく、夢が人を選ぶというのだろうか。そして見た者に、何かを伝えようとしているのだろうか。
 慎二は夢が伝える答えを渇望した。何か、知りたかった。そう強く望んだとき、夢の中の人影が意識の中に現れた。
 ランサーだ、と慎二は思った。
 姿はない。
 ただそこにいるということだけがわかっていた。懐かしさにも似た何かが意識の中を過(よぎ)る。
 どこか中性的な不思議な青年だ――不可視の姿であるのにそれが伝わってくる。
 記憶情報が混濁しているだけなのかもしれない。だがその存在感だけは、あの夢を見たときと同じように、リアルなものだった。
 慎二は声を出してみる。実際の空気を震動させる音声によるものではない。意識の、思念の声だ。
「お前は何なんだ?」
 青年はゆっくりと慎二を指差す。言葉はなかった。
「お前は僕なのか?」
 肯定も否定もない。何の揺れも感じられない。
「僕がお前なのか?」
 そのとき、意識が白い光へと浮上していく感覚が慎二を包み込む。
 慎二が目を開けた。
 目の前には、ランサーの顔があった。


ランサー「あ、目え開いた」
 
 慎二が天井を見る。
 横を見ようと、首を捻ろうとしたが、頭が動かなかった。
 何かで固定されているような感じがしていた。
 触ろうと、手を伸ばそうとするが、その手も動きはしなかった。
 身体すべてが鎖で縛られているような、そんな感じがしていた。そして、息苦しくもあった。
 すべてが重かった。
 重力が三倍、四倍になってしまったんじゃないのか。そう思いたくなるような気分だ。
 
慎二「あ――」

 そう言葉に出そうとしたのだが声にならない。実際に出たのは音ですらない吐息だった。
 ――何だ、これは。
 そう慎二が感じたとき、ランサーの顔が再び頭上に現れた。ただ、それは暗く、色もどこか褪(あ)せて見えた。

ランサー「変な時間に爆睡した後に、二度寝するから金縛りにあってるみたいだな
     ふん、どれ――」

 その声も遠くに聞こえている。
 僕の身体をを押し上げて、水の入ったコップを差し出す
 寝ぼけ眼で、ゆっくり水を口に含み、ようやく一息つくと
 慎二はようやく自分がどこにいるのかを認識していた。状況はまだわかっていない。

 カーテンと共に窓が開け放たれ、新鮮な空気が飛び込んで来ていた。
 少し肌寒くもあったが、僕は寒いぐらいが好みだから、特に煩(うるさ)くは言わなかった。
 閉めろと言っても揉めるのが目に見えているし、それは時間の無駄でしかない。

ランサー「調子が戻ったか?」

 なんとも情けない話だが、疲れていた僕は教会から家に戻って夜まで熟睡していたようだ。
 険しい表情の僕に向かって、ランサーが怪訝な顔を見せた。

ランサー「どうかしたか? 何か問題が?」
慎二  「いや、いい。それより何か変わったことあったのか?」
ランサー「まあな。お前が起き次第話して、茶でも飲みながら状況報告でもと思っていたところだ」
慎二  「そうかよ、じゃあ、とりあえず僕にも茶をくれ。喉が焼けるくらい熱い奴がいい」
ランサー「それでは風味が台無しではないか」
慎二  「じゃあ熱湯でもいい。気分転換だよランサー。味は二の次だ。
     嫌がらせをしたいなら沸かした小便でも構わないよ。分かったな? さあとっとと用意してくれ」
 
 つまらなそうに言うと、ランサーは渋々といった様子で返事をした。

ランサー「分かった。少し待っていろ」

 言うなりランサーはキッチンへと向かった。
 程なく茶が運ばれてきた。一口飲むと、苦さと甘さを孕んだ液体が喉を焼いていく。
 痺れにも似た快感を感じつつ、胃に落ちたところで、

ランサー「話していいか?」
 
 ランサーはキッと態度を改めて
 完全に僕とは蚊帳の外で、もう日が暮れる前に完結した、ある事件を口にした。




───────Interlude emiya side ───────




 整備された国道から離れること数分。
 初見にして見覚えのある森の入り口は、日中だというのに朝靄(あさもや)のように白ばんでいた。
 立ち込める霧と木々に遮られた陽光が、森から時間の感覚を奪っている。

士郎  「……はあ。まさか留守だったなんて、その上、お茶までご馳走になっちまうなんて……」
 
セイバー「―――泣き言は失礼だ少年。彼女たちは、聖杯を得るために競いあう敵たる我々にこうして賓客として
     迎い入れてくれたのだ。我々も誠意と貞節を持たなければ」

 ふう、と嘆息して俺を嗜めるセイバー。
 時刻は三時を過ぎたあたり。
 イリヤの“眼”から見た時、城まではざっと四時間ほどだった。
 タクシーに乗って移動した後、俺と遠坂はそれぞれセイバーとキャスターに背負われて森の中を駆け抜け
 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンの居城へと辿りついたというわけである。

リズ  「気にしないで、シロウ。イリヤもシロウに会うの、とても楽しみにしてたから」
 
 入口の門を叩き、俺は、いざ正念場だと緊張を圧し留めて気持ちを引き締めた。
 すると、白くアンティークで個性的な姿をしたメイドさんが出てきて

リズ  「シロウ?ぐーてんだーく、こんにちはシロウ、トオサカ、あとみなさん」
士郎  「ぐ、ぐーてんだーく・・・?」
 
 いきなり出鼻を挫かれてしまったのだった。



リズ  「お茶のおかわりはいる?」
凛   「ええ、いただきますわ」
リズ  「シロウは?」
士郎  「え!?・・・あ、ああ俺ももらおうかな、えと……」
リズ  「リズ。わたしの名前はリズ」
士郎  「ああ、リズっていうのか。うん、とてもいい名前だ」
 
 くすっと名前を呼ばれたリズは微笑み、空いたティーカップにお茶を手馴れた手つきで淹れていく。
 俺たちはサロンに案内され、用意された席に座った。
 いかに戦意がないといってもここは敵地だが
 先のセイバーの言葉のように、こちらは彼女に助力を願い出る身の上だ。
 相手の誠意には失礼があってはならない。

セラ「彼女の名前はリーゼリットですエミヤ様。節操なく略称を使わないでください」

 すると、扉からお茶菓子を持ってもう一人のメイドさんが、刺すような眼で辛辣に俺に口を挟んだ。

士郎  「あっ、えと、ごめんなさい……。」
リズ  「シロウ、気にしないでいい。セラは仲間ハズレにされて寂しいだけ。
     あと、自分は愛称つけられないからひがんでる」
セラ  「黙りなさいリーゼリット。……エミヤ様。
     今のはリーゼリットの戯言です。あまり真剣に受け取らぬように」
士郎  「はあ、わかりました」
 
 彼女たちとは初対面のはずだが、どうにもあちらさんには自分のことをイリヤから
 聞き及んでいるのか随分と忌憚なく言葉を交わしてくる。
 しかし、二人は見た目は似ているが性格は正反対のようだ。
 あと、ボリュームとか。

士郎  「あの、じゃあセラさんって呼んだ方がいいかな?そっちのが愛称らしいし」
セラ  「お黙りくださいエミヤ様。
     セ、セラさんなどと、そのように愛称などで気安く呼ばれる関係などではありません!」
 
 怒られた。
「セラ」と呼び捨てにするより「セラさん」と呼べた方がこっちは気が楽なのだが。
 横では遠坂がジト眼で睨んでいるし、少し当てが外れた反動で気が少し弛んでいるようだ。

セラ  「……コホン。失礼いたしましたエミヤ様。トオサカ様。
     なにぶん立て込んでいたもので、満足にお出迎えもできませんで。
     ―――それで、どういった御用向きでしょうか?
     お嬢様から留守中にエミヤ様が訊ねられた場合、丁重にお迎えするようにと仰せつかっておりますので
     火急の用事であれば、私からお嬢様にご連絡差し上げますが―――」
凛   「ええ、至急イリヤスフィールさんに取次ぎ願います。
     現在冬木市内で起きている事件について監督役と
     私、管理人(セカンドオーナー)から停戦及び協力の要請にこちらへ参りました。」
セラ  「かしこまりました。しばらくお待ちください」

 そう告げるとセラは奥の扉へと消えていった。

 秒針の音がやけに大きく感じて、壁にかけられた時計を見上げた。
 時刻は三時過ぎ。
 学校はそろそろ終わっている頃合いだ。
「………………」
「………………」
 沈黙が痛い………。
 無理もないか………
 全身に圧し掛かる重圧と疲労感、連戦が続いている現状下だ。
 のろのろと辺りを見渡した。何かを耐えるように目を瞑る遠坂。
 セイバーとキャスターも外見は平常に見えるが、傷もまだ癒えていないはずだ。

 5分ほど経ったあたり、セラは戻ってきた。

「お待たせしました。エミヤ様。トオサカ様。
 お嬢様は少し小用を済ませてからお帰りになるそうです。
 お急ぎのところ申し訳ありませんが、ご用件のほどは直接お話になりたいそうなので
 今しばらくご留意願いたいとのことです」



◆◆◆



 離陸してから一時間、『天星船(アマノツツフネ)』は上昇を終え水平飛行に入った。

桜  「せめて窓があればなぁ……」

 桜は何もない壁に目をやり、つぶやいた。
 構造上の問題で、客室にも窓がついていないのであった。。
 身だしなみをととのえて客室を出ると、廊下は人の姿もなく静まりかえっていた。
 間もなく、血に塗れた晩餐会(ばんさんかい)がはじまるのだ。
 聖杯戦争と魔力補給のための食事、もう自分は止まることはできない。
 ジャンパーを羽織って甲板に出た。
 空は霧のため、半分も見えなかった。
 船首の近くまで行って、船壁に触れてみる。
 冷たい。
 冷たい風。
 それこそ、地上とは比べものにならないくらいの冬の風が、そこにはあった。
 凍った空気が渦を巻いていた。
 むき出しの顔を、耳を、ジャンパーの裾(すそ)を、切るような突風が吹き抜けていく。


桜  「寒い……」


 思わずうわずった声が口をついて出てしまうような、そんな寒さだった。
 無意識のうちに、真っ赤になっているに違いない両耳を覆った。
 時折気まぐれで風が弱くなるが、それでも寒いことには変わりない。
 そしてまたすぐに、屋上を駆け抜ける風が、遠慮なしに私の周りを吹き抜けては、どこかに去っていく。
 私は、風に流されるように船上を歩いた。


アーチャー「やあサクラ!ご機嫌はいかがかな?」


 軽薄な調子で顔色を覗う北欧の王。
 朗々と親しみを込めて金髪の好青年はこちらへ歩を進める。
 
 私はこのサーヴァントと共闘の道を選ぶことになった。
 胸に巣くう祖父。
 身体を刻一刻と蝕むこの世全ての悪(アンリマユ)の呪い。
 救いも助けもなく、ただ死を待つだけの自分の下へ彼はやってきた。
 そしてもたらされる救いの手。
 無論、はいそうですかと信じられるものではなかった。
 …………だが他に頼る者もいないのだ。
 苦渋ではあるが、私はこうして藁をも縋る思いで彼の提案に乗った。
 だがやはり、今一度この男の思惑を確認しておかなければ。
 彼はサーヴァントの中では好戦的な部類に入る男だ。
 戦えるならなんでもいい、と喜んで今の状況に適応しかねない

アーチャー「うん?そうだよその通りさ!闘争は人に様々な恩恵をもたらしてくれるからね。
      そうそう、さっき見た魔法少女まとか☆マギナなんだけど、すごいなアレは!
      いや~パッケージに騙されてしまったよ。ひだまり系かと思ったらまさかあんな猟奇的魔法少女なんてさ!
      ………あーいやいや、冗談だよ。姫君(プリンセス)。
      ―――それじゃあ、そろそろ本題に入ろうか」

 社交界の王子様のように、優雅に一礼して私の手を取り、彼の相棒である北欧の主神オーディンから授かった弩。
 大空を羽ばたく『大神翼弩(ラヴナグズ・クロスボウ)』 に乗るよう誘いかける。
 ………いちいちまどろっこしいが、話が進みそうにないし、断る理由もないので渋々アーチャーの手をとり
 共に翼弩に乗る。
 

 私たちは、『天星船(アマノツツフネ)』に併空するようにゆっくりと飛び、少しずつ距離を離しながら
 大空を羽ばたく。


アーチャー「敵に捕捉されないように雲の中を潜っていたからね。
      ここは視界が悪いし、ロマンチックじゃない。少し上昇するよ?」




 翼弩の羽音がハーモニィになって心地良い。
 さらにそのサウンドが風切り音に攪拌(かくはん)され、途切れ途切れに聞こえる。
 雲の中を抜ける。
 広がる蒼穹の空。
 澄み切った空。
 リラックスして、力を抜いて、
 間桐の家も、聖杯戦争も、怖い人たちも。
 じっと、静かにして。
 音もなく、望みもなく、光もなく、目的もなく。
 ただ、どこまでも拡がる蒼天の世界。 
 外側にいる自分を、私の背中が感じた。
 
 私は、私から抜け出して、

 私は、この冬木市から抜け出して、

 私は、社会からも、地球からも、抜け出して、

 ずっとずっと遠くに浮かんでいるのだった。

 そんな幻想が、私の背筋を寒くする。
 私の肩に、誰かの手が軽く触れて、
 優しい口調で囁いた。


アーチャー「さあて、どうだい?」
 

 その息遣いが耳もとに感じられたときだった。
 

アーチャー「きみは、自由だ。
      見てごらん?眼下に君と苦楽を共にした街が見えるよ」


 下に視線を向けると、私がこれまで暮らしてきた冬木の街並みが一望できた。
 



 雑多な風景。
 私を縛った箱庭。
 ―――ああ、ここはなんて




桜  「眩しい……
    なんて眩しい光なんだろう……

    あんまりにも眩しすぎて、
    何もかも真っ黒に見えちゃうなあ……

    ほんと、
    誰も彼ものっぺらぼうな影絵みたい……

    くすくす……薄っぺらでカンタンで、
    ふらふら揺れるだけの紙人形

    そんなの、
    いてもいなくても同じだよね?
    どうせ紙クズなんだもの

    目障りだから、ひと思いに
    握りつぶしてあげちゃおうかなあ?」



 ―――綺麗でキレイで小さいんだろうか。

 


アーチャー「私は戦いが大好きなんだ」

 空を舞う王は語る。

アーチャー「別に戦狂いのバルバロイ(蛮族)なわけではないさ。
      ただ、人間の持ちうる無限の可能性に魅かれていてね」
桜    「それが……私に力を貸してくれる理由?」
アーチャー「「他者との競争」。これこそが人間をより強く遥かな高みへと導く最も効率的な手段でね。
      聖杯はあくまで過程(プロセス)を短縮する手段にすぎない。
      競争があるからこそ、より良いもの、より優れたものが選別され将来に受け継がれていくのさ」
桜    「わ……私は、」
アーチャー「うん。縛られたり操られるのがイヤなんだろ?
      そんなことはしないさ。君は、君の望むがままに動けばいい。
      私は、きみが幸せを勝ち取るために。君を縛る鎖と檻を引く大鷲となろう」

 私が言おうとすることを優しく先んじる。


アーチャー「かつて私が信仰する戦の神オーディンは、グラズヘイムにあるヴァルハラという宮殿に、
      戦死した勇者(エインヘリャル)をワルキューレによって集めラグナロク(神々の黄昏)に備えた。
      ―――それは、戦いは万物の父であり万物の王である。
      それはある者を 神々として、ある者を人間として示し、ある者を自由人に、ある者を奴隷とする。
      熾烈な生存競争に揉まれた人間の強靭な意志と力にこそ、真の叡智と力を得る可能性が出来るのだと考えていたからだ」


 公的存在に高められるべき存在性、これは実存性を有しないからであり
 逆に言えば、「闘争本能」や「生存本能」といったもにに由来する「他者との競争」がなければ、
 人類は発展もできず、生存も危ぶまれる。
 競争があるからこそ、より良いもの、より優れたものが選別され将来に受け継がれていくのだ。

 現在でも、企業間の闘争や、個人での出世や、見栄、エゴといったものは確実に存在し、
 それらの全くない人間はまず存在し得ない。
 実際に「血」を流すかどうかはさておき、競争自体はなくなることはないのだ。


アーチャー「神々は、迫る巨人族との戦争に脆弱な我ら人間族の力を強く求めた。
      神は単一で完成された至高の絶対的な存在であるが、
      それ故に確約された運命を克服しうることができないんだよ。
      なればこそ、希望は少なかれど―――
      儚くも強く運命に立ち向かい生き足掻く、英雄英傑の魂を集ったのさ。
      ―――まあ、結果は君も知っての通りなんだけどね」



 北欧神話の最大の特徴は、ラグナロクという最終戦争によって神々が世界もろとも滅び去ることにある。

 …バルドルの死によって世界は光を失い、3年もの間冬が続いた。
 太陽と月はフェンリルの子の狼に飲み込まれ、あらゆる封印は吹き飛び
 解き放たれたロキは巨人族を、ヘルは冥界の亡者を、スルトが炎の巨人たちを率い、
 フェンリルとヨルムンガンドもアースガルドに押しよせたのだ。
 そしてヘイムダルの吹く角笛によって敵襲を知った神々とヴァルハラの戦士たちは、
 アースガルドの前にひろがるウィグリドの野に出撃し、最後の戦いがはじまる。

 オーディンはフェンリルに飲み込まれたが、息子ヴィダルがフェンリルの口を引き裂いてかたきを討つ。
 また、トールはヨルムンガンドを撃ち殺したが、その吐き出した毒を受けて倒れた。
 チュールは地獄の番犬ガルムと、ヘイムダルはロキと相討ちになり、宝剣を失っていたフレイはスルトに倒され
 そしてスルトが投げつけた炎の剣によって世界は火の海につつまれ、海の底に沈んでいった。

 しかしその後、新しい陸地が浮上し、新たな太陽が生まれ、バルドルもよみがえった。
 ヴィダルなど数名の神は生き残り、アースガルドの跡地に住まいを建て直し
 また男女1組の人間が森の中で生きのび、彼らの子孫が地を満たしたのだという。


アーチャー「だが主が認めた人間の最も重要で究極である個のポテンシャルは、既に世俗化されてしまったこの現代社会では
      著しく低下してしまっている……。
      神々が現世を離れ、人間たちは新しい環境を手に入れても、生物としての業を払拭できず
      自らの新天地たる大地さえも私欲の道具に使った成れの果てがこのザマさ」

 訥(とつ)々と語る言葉は、歴史の真実を紐解くものだった。
 
アーチャー「其の英雄英傑は特殊な種類の存在を前提としている。
      生命なきもの、価値乏しきもの、無価値なもの、低劣なものは 代表されえず
      不透明な時代を乗り切るには、先見性を身につけていかねばならない。
      そして、その先見性は、外に求めても得られず
      自分の技術、自分の経験など、
      自分の周辺にあらゆる可能性を追い求めていくのが人間族の最も優れた長所だ。
      時代がどう変われ、自分の足下を見つめ、
      自己の持てる可能性を限りなく追求していくことが、革新に至る王道であり
      絶望と困難に満ちた運命を切り開く剣なのだ。
      ―――主神オーディンの遺した言葉だよ」

 返答はない。
 やはり、彼女は闘いを望まないか弱い乙女なのかな?
 汲みきれない微かな後悔を抱いて頭を下げたアーチャーに、桜はひどくやさしい微笑を返した。
 
桜    「あなたにはある?全部投げ捨ててもう一度やり直したい
      生まれ変わりたい。……そんな時が」

 と尋ねた穏やかな声は、目前の少女を十歳も大人びたものに見せた。

アーチャー「……今のお嬢さんは、そう見えるよ」

 アーチャーは思った通りに答えた。
 意外なものを見つけたというふうな顔をした後、もとの微笑みを取り戻した桜は、こちらに背を向けて宙に向き直った。

桜    「考えていたんです。お爺様のこと……」

 夕陽が緩く波打つ白髪を輝かせ、長い影を壁に映した。
 恋を失った女の背中、という表現が不意に立ち上がり、アーチャーは知らぬ間に一歩彼女の側に踏み出していた。

桜    「お爺様は、蟲の技術で何百年もの時を超えて生きてきたんだそうです。
      でもそれは、なにもない時間の積み重ね……。生きているのか死んでいるのかわからない、
      無意味な年月だったと思うんです」
 
 その重さを知り、虚しさを全身に受け止めた人の声と聞こえた。
 
桜    「お爺様は、きっと永遠を欲しがったのでしょう。
      いつか腐敗した肉体を棄てて、もういちど不自由なく大地の上で暮らせるようになるまでには、
      膨大な時間が必要だとわかっていたから。それを待つには、人の一生はあまりにも短い。
      永遠を手に入れられると信じなけれぱ、十年、百年の単位で語られる時の重みに、
      押し潰されてしまうと知っていたから……」

 奈落に引きずり込まれそうな体を支えるように、桜は翼弩の縁に両手をついた。
 陽光を微かに反射した表面は曇っており、その表情を映すことはなかった。

アーチャー「広大無辺な宙(そら)を前にすれば、人は塵以下の存在に等しい。
      そう、主は諦めなかった。
      自分の寿命で足らなければ、後の生命に想いを託してまで世界の安寧を案じたんだよ。
      無為に五百年以上の時を超えてなお生き足掻く蟲の王と、連綿と続く命の繋がりに望みを繋いだ主神オーディン。
      そのどちらが、生命の在りようとして正しいのかな……?」

 答えられなかったし、その資格があるとも思えなかった。
 これはアーチャーらしい悔恨なのだろうと理解して、桜は紅いマントに包まれた細い肩の線を見つめた。

アーチャー「終わりがあるからこそ、生が輝く。
      それを一人でも多くの人にわかってもらうために、
      主は多くの英雄の魂を集い、ラグナロク(神々の黄昏)へと臨んだのかもしれない。
      我が望みは太陽がその寿命をまっとうして、この星系が虚無に引き戻される前に、
      我々の叡知(えいち)を恒久的に正しく使う方法を手に入れさせることだ」

 独白のようなアーチャーの声が、広大な大空の中に吸い込まれていった。
 アーチャーはもう振り返りはしなかった。

アーチャー「さすれば、永遠を手に入れられずとも、後世の知的生命体に我々の存在を知らしめる術も見つかろう。
      それが今日までの礎(いしずえ)となった全ての英霊たちも、また報(むく)われる。
      そう、外世界に飛び出していった神たちと決別し、発祥の地に残った我々人間族の、それが使命というものだ」
  
 死の床につきながら、なお生を希求してやまなかった老人を想起させる繰り言。
 そうでもしなければ、ただ発生し、ただ滅んでゆくだけの人はあまりにも寂しいと訴えるアーチャーの声は、桜の頭を素通りした。
 
アーチャー「人は何かを捨てなくては前に進めない。泥に飲まれ、暴力に酔う君もまた間桐桜だ。
      異なる人格を用意し、間桐桜は悪くない、などと言い訳をする必要はない。
      君は君の欲するがままに喰らえばいい。
      もう、後戻りする気はないのだろう?」

 微笑に歪(ゆが)められた唇が、返答だった。
 赤い瞳を隠し、
 黒い顔貌(がんぼう)を天に向けた桜の真意を測るのを中断して、アーチャーは眼下の街に目を戻した。
 お互いの利害を観察する二人には、それぞれの思想も思惑も興味はないからだ。
  
 膨らみ始めた闘争の喜悦が、冷えきった身体に熱い血を注ぎ込んでゆくのを感じて、アーチャーは幾千年ぶりに武者震いをした。





 ―――これが、地上で行う最初の私の聖杯戦争になる。
 テンノサカヅキに至れとアーチャーは言った。
 アインツベルンの秘宝、第三魔法・天の杯(ヘブンズ フィール)。
 その名を冠する冬の娘は、初めから全てのカラクリを知っていた筈だ。
 正規の聖杯である彼女を触媒とし、かつて祖父が企んだ高次生命体への肉体に乗り換える。
 

 ―――同時刻。
 冬木市新都。スクランブル交差点中央。
 通常は、多くの人々が行き来する活気のある街並みも
 現在は対峙する五人のみの伽藍とした静けさが満ちている。

桜  「イリヤスフィール」
 
 声をかける。
 恐れと諦観から、今の自分は感情が欠如している。
「………………」
 返答はない。
 もう少し近寄ろうと足をあげる。

イリヤ「大丈夫、聞こえてるからそこにいて。
    こんにちはマキリの紛い物さん。わざわざ会いに来てくれたの?」

「――――――」
 足を止める。
 どうやら、事は手早く済みそうだ。

桜  「ええ、哀れなお人形さん。
    本当はもう少し待ってから戴こうと思っていたのですけど
    あまりに、お気楽なあなたを見て我慢できなくなっちゃいまして
    ふふっ、ほんと小さぁい…踏み潰しちゃおうかな?」
イリヤ「蛆虫から誘いにくるなんて珍しいね。
    それで、どんな話かしら? できれば明るい話にしてほしいけど。
    せっかくのパーティーなんだもの。どうせなら楽しまなくっちゃ勿体ないでしょ?」

 癇に障る。
 私のことを彼我にもかけないその余裕な態度が鼻につく。


桜 「っ……わたし、貴方の そういうところ、大嫌いです。
   それと、私は蛆虫なんかじゃありません
   単にわたしも、
   貴方の事が邪魔で邪魔で しょうがないだけなんですから!」


 紹介は簡潔に済んだ。
 イリヤは名乗る必要がなく、桜は少女の名前に関心がなく、
 イリヤは桜の背後に付き従う二人の英霊の名前はおろか素性、能力まで把握していたからだ。


アーチャー「ふむ……。ようやく因習と規範に縛られた、
      なにひとつ面白味のないパーティーから脱却できそうだ」

 アーチャーは戦闘態勢を整えつつ、ライダーにだけ聞こえる声で言った。
 
ライダー 「長い間、守り抜かれてきた伝統には、それなりの意義があるとお考えにはなりませんか?」

 と、黒く汚濁してなお凛と美しく佇む彼女はあえて反対の論陣を張ってみた。

ライダー 「エチケットと呼ばわるものは生活の仕方ですから、
      これは生きる上で参考になりますし、遵守(じゅんしゅ)されるべきです。
      しかし因習や規範という言葉には、これを教義化して人を狭くする性質がひそんでいるように思いますが?」

 辛辣な言葉も嫌味に聞こえないのは、育ちの良さがなせる業(わざ)なのだろう。
 影が躍る。
 間桐桜の足元から、夥しいまでの黒色が周囲を蹂躙していく。
 咄嗟に危機を察知した敵サーヴァントは顕現と同時にイリヤを抱え距離をとる。


アーチャー「人々が規範にこだわる理由を知っているかい?
      そうでもしなければ、社会的な存在など消えてなくなってしまうとわかっているからだ。
      脆弱(ぜいじゃく)なんだよ、基本的に僕ら人間はね」
ライダー 「…………」
アーチャー「私は、新しい時代を生きる者だと自負している。
      自らの保身・虚栄心を優先する余り実問題を後回しにしてきた責任は私が清算し
      聖杯の力によって社会システムを統括させ、一時的に全人類の進化を促す
      私の願いは君の望みとは相反することになるが、これも敗者の勤めだということで納得してくれ」
ライダー 「同一の意思で構成されたシステムは、どこかに致命的な欠陥を持つことになるわ
      国も人間も同じ
      特殊化の果てにあるのは、ゆるやかな死……それだけですよ?」


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――!!!」

 桜から離れることおよそ150メートル。
 二人の少女の間で猛け吼えるサーヴァント。
 その禍々しい兇暴な容貌と剥き出しの殺意の波動。
 間違いなく狂乱の位階(クラス)、バーサーカーに間違いなかった。

イリヤ 「――――英霊の魂で満ち足りた聖杯。
     それを以って門を開くのが彼らが目指した奇跡だけど
     ……まさか、開けてもいないのに中に棲んでしまうモノがでるなんて」
 
 滑稽ね、とイリヤは呟く。
 こうなってはアインツベルンの悲願も何もない。
 またも彼らは失敗する。
 これから起きること、これから生まれるものは彼らが望んだものとはかけ離れた“災厄”である。


アーチャー「よくわかってるね。そう、既に歴史と成熟した暦学がそれを証明してしまっているんだよ。
      なればこそ、願わくば成長した彼らが、
      将来個のポテンシャルを上げて我々の出せない答えを見つけ出してくれることを祈るばかりだ…」
ライダー 「……私も、代わり映えのしない学問をするよりは、実社会で学ぶべき時代になったと存じております」
 
 アーチャーの言葉に思うところがあるのか熱くなり、ライダーはらしくもなく声が上ずるのを自覚した。
 

イリヤ「それじゃあ行くわ。
    さあ、見せ場よバーサーカー!
    遠慮はなし、立ち塞がるのはみんな壊して、貴方の強さを見せつけなさい!」

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――!!!」
 
 主人の言葉と同時にバーサーカーの凄まじい魔力の波動が物理的な衝撃と錯覚するほどの
 旋風となって三人を巻き込む。

 狂王は少女の導くまま、黒い雪原を突き進む。
 向かうは源泉。
 辿り着く保証もなく、偽りの聖杯を破壊するため
 そして、少女は危なっかしい弟を彼女から護るために。
 ……たとえ、その目的が果たせずとも。
 自分たちの行動が、今度こそ飛沫ではなく、波紋となって大局を揺るがすようにと。