【元ネタ】史実
【CLASS】セイバー
【マスター】Extra主人公
【真名】ネロ・クラウディウス
【性別】女性
【身長・体重】150cm・42kg
【属性】混沌・善
【ステータス】筋力D 耐久D 敏捷A 魔力B 幸運A 宝具B
【クラス別スキル】
 対魔力:C
  二工程以下の詠唱による魔術を無効化する。
  大魔術、儀礼呪法等、大がかりな魔術は防げない。
  彼女自身に対魔力が皆無なため、セイバーのクラスにあるまじき低さを誇る。

【固有スキル】
 皇帝特権:EX
  本来持ち得ないスキルも、本人が主張する事で短期間だけ獲得できる。
  該当するスキルは騎乗、剣術、芸術、カリスマ、軍略、等。
  ランクがA以上の場合、肉体面での負荷(神性など)すら獲得する。

 頭痛持ち:B
  生前の出自から受け継いだ呪い。
  慢性的な頭痛持ちのため、精神スキルの成功率を著しく低下させてしまう。
  せっかくの芸術の才能も、このスキルがあるため十全には発揮されにくい。


【宝具】
『招き蕩う黄金劇場(アエストゥス・ドムス・アウレア)』
 ランク:B 種別:対陣宝具 レンジ:30,60,90 最大捕捉:100人、500人、1000人
 生前、彼女がローマに建設した劇場を、魔力によって形成・再現したもの。
 彼女が自ら設計した劇場はドムス・アウレアと名付けられた。

 しかし。この劇場を開いた時、一度目は多くの観客が途中で去ってしまった。
 それに憤慨した彼女は、二度目の公演時に出入り口をすべて封鎖し、舞台の幕が
 下りるまで一人たりとも外に出さなかったという。

 皇帝である前に自分を「楽神アポロンに匹敵する芸術家」「太陽神ソルに匹敵する戦車御者」
 と信じて疑わなかった彼女のみがなせる、固有結界とは似て非なる大魔術。
 自己の願望を達成させる絶対皇帝圏。


【備考】
 『隕鉄の鞴「原初の火(アエストゥス エストゥス)」』
  セイバーが持つ深紅の大剣。
  彼女がクラス・セイバーとして召還される時に持ち込む、お手製の武器……らしい。
  銘には
  regnum caelorum et gehenna(レグナム カエロラム エト ジェヘナ)
  と刻まれている。

【ローマの大火】
 西暦64年7月19日、
 ローマを焼き払うほどの大火災が発生。
 ネロは為政者として迅速かつ適切に対応し、
 犠牲者を最小限に留め、
 後の保証を徹底して市民の絶大な人気を博した。
 この施策は彼女を批判する多くの歴史家たちでさえ
 「人智の限りをつくした有効な施策」
 と絶賛したほどである。
 市民にとっての為政者であった彼女ならではの逸話である。


【人物背景】
 西暦50~60年代のローマにおいて、
 あらゆる宗教勢力とローマ元老院を弾圧した皇帝。
 ローマ時代は元老院に対する姿勢から、
 以降はキリスト教徒に行った弾圧が原因で暴君と呼ばれる。

 一説にはこの弾圧に対する反発として
 「ヨハネ黙示録」が書かれたとも。
 彼女を皇帝(カエサル)としたヘブライ発音NRVN QSRを
 「666の獣」とし、悪魔と同一視された。

 ちなみに、この666の獣にまたがる
 “バビロンの~”とはローマのことであり、
 彼女個人にあてられた異名ではない。

【『暴君 ネロ』】
 本名、ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス。
 帝政ローマの第5代皇帝。
 生涯を謀略と毒とに彩られた悪名高き暴君。

 父は第4代皇帝クラウディウスのいとこである、
 淫蕩なグナエウス・ドミティウス・アヘノバルブス。
 母は暴帝カリギュラの妹であるユリア・アウグスタ・アグリッピナ。
 出自を考えると皇帝になるのは非常に難しいが、
 母アグリッピナが第4代皇帝クラウディウスと再婚。
 母の奸計によって、54年のクラウディウスの死後、
 ネロは義父からの相続として皇帝となった。

 もっとも、皇帝になる前からその才能を発揮し、非常に有能な裁判官として慕われていた。
 その公正さ、有能さから、重要な訴訟をいくつも持ち込まれていたという。
 (まだ若いため、重要な訴訟の持ち込みを
 義父クラウディウスが禁じていたにもかかわらず、である。)

             ◆

 ネロは17歳にして皇帝に即位し、
 その気前の良い政策で市民からは絶大な人気を誇った。
 外交にも気を使い、イギリス(ブリタニア)における
 後年のローマに対する人気は彼女の政策に起因する。
 ある意味では、アーサー王伝説を誕生させたきっかけを作った人物ですらある。
 加えてペルシャはネロを絶賛することおびただしく、
 ペルシャはネロの死後も
 「ネロの国だったので」
 とローマに大きく配慮したという。

 59年(60年説も)には、ギリシャのオリンピックに
 あやかって5年に一度開かれる競技会「ネロ祭」を設立。
 音楽、体育、騎馬と三つの部門を開き、

 そのいくつかには自分も出場している。

 69年に起きた反乱で皇帝の座を追われ、ローマから逃亡。
 その最中で逃げ切れないと悟り、自決を決意した。
 ……が、その最期は潔いものではなかったらしい。
 「この世から何と素晴らしい芸術家が消えることか」
 と何度も泣きこぼしては手を止めたものの、
 最後には短剣で自らの喉を突いたという。