Fate/hollow atraxia風 クレタ家系過去話
              ~天空に愛された海と大地の娘~
                ~閉じ込められた聖牛~
                 ~星界の愛の猟人~



「うわ、デカッ! こわっ!! オレよりデカイ男なんて初めて見とう」
 建物と建物の隙間。
 小型車が通れるくらいの隙間道から顔を出して、慄いている美丈夫がいた。
 “俺よりデカイ男なんて初めて見とう――”。その言葉が示す通り、彼はかなりデカイ。
 巨体。巨躯。大柄。長躯――
 大きいからだという形容詞が、とても当て嵌まる無頼の美丈夫だった。
 その身長は二二八センチメートル、体重一四一キログラム、脂肪を排斥した黄金の如き価値のある褐色の肉体だった。
 全ての格闘技に従事するものどもが、羨望と憧憬を持って見るような肉体。
 野性的な美貌。粗野で剥き出しの飾らない魅力。
 名は〈オリオン〉――最も有名な星座に輝く御名。ギリシャ神話にて最古の字名を持つ狩人。
 神のように赤い瞳、濃紺の海の様な髪を流し、大地の様な肌を砂色の脚絆とアロハシャツに包んだ彼の下でしゃがみこむ男もまたデカイ――


「………………………う」
 うん、デカイね。兎に角デカイね、と少ない語彙で言うのは、オリオンよりも横幅がデカイ男だった。
 産まれてから一度も日光も月光も浴びたことのないような、不健康に青白い肌。
 青白い肌の下には張り詰めた獣の筋肉と牛骨並みに太い骨格がある。
 その筋骨が二二〇センチメートルの巨躯と二五二キログラムの四足獣なみの体重を作り上げていた。
 誰かの手によって整えられ、目元を隠す伸びた白髪。隠された双眸は、無感動な赤褐色だ。
 しかし、巨体の男にあるような威圧感は微塵もない。
 何かに興味を持ち、対象を意識する時に見られる感情の針(しげき)が感じられない。
 じっと見つめられても何も感じられない。
 良くできた大男のぬいぐるみでも、何かを感じるだろう。
 大きいが故の圧迫感などを。
 しかしこの男からは何も感じない。敵意も興味も誰にも向けていない。
 もし、今この場で雄叫びを上げてもこの人形の様な男が叫んだと認知されるまで、それなりのタイムラグを要するだろう。
 そんな、非人間的なまでに無感動な男だった。
 名は〈アステリオス〉――英雄の為の反英雄(やられ役)。聖牛信仰の国で排他された牛頭人身の王子である。

 そして、特注の道着みたいな衣服を着こんだ大男。その武骨な、魔術整形された大雑把な作りの顔を挟む腿があった。


 巨人と人間――
 それだけの体格と身長差がある。女性の方は小さ過ぎるというわけではない。
 身長一六一センチメートル、体重五二キログラムと数字は平均的な体躯をしている。
「まあまあ~おっきいお人ですわねぇ~。巨人ちゃんよりはちぃちゃいですけども~」
 間延びした――それこそ長閑な昼下がりの草原で、草を食む牛よりもゆとりのある声と態度だ。
 顔の造型も鋭角的、威圧的という成分が無く、“緩い”、“曲線”といった部品で構成されている。
 だが美しい――
 完璧な配置とバランスに調律された眉目と鼻梁は、化粧気が無く自然な美しさを出している。その声の主は、少女的であり、母性的でもあった。
 矛盾する概念を無矛盾として感じさせる存在であった。
 この存在に対して、娘に対するような感情が想起されるし、母親に対するような感情が想起される。
 誰であっても“少女”という究極的な愛玩対象を想像させ、“母”という絶対的な安心対象を想起させる。
 そのような美貌の乙女であった。
 そのような地母神的肉体と豊穣を司る牛のような肉体の女であった。

 彼女はアステリオスに肩車されていた。だから、足首まで隠れるようなフリルをふんだんにあしらった豪奢なスカートに隠れている両の足が、スリットから曝け出されている。
 隠されていた白い脹脛は鎖骨に当てられ、瑞々しい肉感的な太股が武骨な頬を挟んでいる。
 身を乗り出している為、少女趣味な薄色と乳白色のドレスの下にある、牛のように大きな乳房が帽子のようにアステリオスの頭に乗っかっていた。
 はしたない――ともすれば淫蕩とも取れる行動だが、そこに妖艶さも淫らな感情もない。
 肩車されてても、子供の頭を抱き締めている母親という印象を否応なく想起させる。例え、剥き出しにした胸で顔を挟んでも、子供に母乳を与えている光景のように感じる。
 彼の英雄王は、例えどのような行動においてもそれが許される、それが許可される、認められると感じさせる究極的なカリスマを持っていたが、彼女の場合は、究極的な母性がそれであった。


 それが〈エウロペ〉――ミノア文明の鼻祖の母。英雄を産む神の精を受ける胎盤。
 欧州(だいち)の名を持つ広い面の大地(エウロポイヤ)に属する大地女神一派の一柱だった。
 肩に少しばかり掛かる位置で切り揃え、羊毛のように癖のついた茶のかった金の巻毛の下――
 大海と大地の慈しみに満ちた海色の瞳は、その光景を見ていた。


 掃除をする図抜けた巨漢――二七二センチメートルの巨体で掃除をする白髪の強面の巨漢であった。
 〈ロスタム〉――中東の大英雄である。
 品行方正かつ慈悲深く、誠実な人柄だが図抜けた巨躯がその内面を裏切っていた。
 彼は誠実かつ実直な男だが、男臭い強面が威圧感を放っていた。
 それは通りに通行人がいなくなる程であった。

 ――どうすっよ……これ……。いやいやいやいや駄目だって、食われっとうよ。
 空気と危機感を読まず、特攻するエウロペを止める。エウロペは何か悩む。
 オリオンの手には回覧板。強面の巨漢に渡さなければならないもの。しかし、自分よりも巨体の男という初めて見る存在に言いようのない拒否感を感じていた。
 それは自信家かつ勇猛な狩人が初めて感じる他人に対しての恐怖なのかもしれない。
 単純に顔が怖いだけなのだが……

 と、エウロペは両手を合わせた。
「いい方法を思いつきましたぁ~」
 オリオンに手を伸ばし、アステリオスの手を借りながらオリオンに体を移す。さながら止り木を移る小鳥のように、オリオンの胸に抱かれた。
 思わず長い腕が柔らかい体を支える。
 あどけない童女の笑みを湛え、海色の瞳に「聞いて聞いて」と言う光を携えている。
 シャツ越しに感じる丸い肉の感触。ゼウスが愛し、寵した熟れた果実。
 自分の好色な部分が反応するが、曾祖母の笑みにそれは抑え込まれる。

 碌でもないことになりようよ……
 オリオンは曾祖母に抱かれながら、天を仰いだ。
 アステリオスは祖母の熱が残る頭を掻いて、欠伸をしていた。
「通行人α、β、γ作戦ですぅ~」
 花咲く笑みで言うのだった。


 高々と聳える『子を貸し、腕貸し仕る』の背旗。
 腰に佩く日本刀と脇差(模造刀)。
 深い谷間を晒す黒の着流しとずれた編笠。
 蝸牛の速度で進むのは、信じられないほどの大きさの乳母車だ。
「(そんな乳のデカイ子連れ狼(通行人β)とデカイ大五郎(通行人γ)がおるかァァァアアアア!!! あらへんてェエエエ!!!
 見っとうよ! ロスタムめっちゃ見っとうよ! ヤベーよ!
 βァァ見られとうゥゥウウウ!! βァァァァアアアアアア!!)」
 オリオンの心の叫びが道に谺した。
 そんな曾孫の様子を無視して、エウロペは乳母車を進ませる。やはり蝸牛だ。
 身長体重出身地が似通っている親戚のメディア以下の力――ヘタしたら一〇代半ばの少女以下の力である。
 メディアは渡る世間は鬼ばかりを地で経験し、耐えたたくましい女性だが、エウロペは略奪愛以外不幸のなかった箱入りである。
 僅かに道が下り坂になっているから少しずつ進んでいるが、二〇〇キログラムを超えるアステリオスを押すには、エウロペは非力すぎた。
「……ああ、何たることで御座る……はぁはぁ……。父を亡くしてから……はぁはぁ……うちの息子が御座る……はひぃ」
「………………ちゃーん」
「しか言えなくなったので、あぁあぅぅぅ……御座る……はひぃ」
「………………ちゃーん」
「“ちゃん”とは父の意を指す……あはん……父が死んで悲しいのは分かるで御座るが……あっ、腰がいっちゃいますぅぅぅ……このまま直らなかったら、アン、どうしよう。
例えば……」
「………………ちゃちゃちゃッちゃちゃっちゃ~~ん」
「え? 何? もう一回言って。ラップ調じゃなくて」
 産まれたてのバンビの如く足腰を震わせ、編笠の下の顔は紅潮し、汗みずくになった着流しが体のラインを浮かび上がらせていた。
「このままでは生活がままならないで御座る……あ、やだ下着までグッショリ……それにちゃんちゃんしか言わないのも悲しすぎるで御座る……やだ、中身が……」
「(アンタァァァ、天下の往来で情事中みたいな声出すやへんンンン!!)」
 それ以前に他の通行人がいなかったことを感謝するべきである。もしもいたら二度とこの町を歩けなくなるところであった……オリオンが。
 そして子連れ狼は知る由もなかった。大五郎の口癖“ちゃん”とは、父の意ではなく、
「…………ちゃーん」
 子連れ狼の兄が良く子連れ狼に言っていた
『エウロペさぁ、もっとちゃーんと自分の魅力について知っといたほうがいいぞ。それに、夜中寝てる間に寝所に入らんでくれ。兄の自制力が限界なんだ』ということを知る由はなかった。
「(どうでもいいんやけどそんな裏設定ィィイイイ!!)」
「うっぅっぅぅぅ…………」
「(え、マジで泣いとう!? あんな妖しすぎる話に同情しとう!?)」
 目を覆い、男泣き――マジ泣きだった。
 と、兎に角もうこうなったら行くしかなぁ。通行人αとして回覧板を速やかに渡すしかなぁ。
 オリオンは決意した。
 最高の狩人の気位が燃え盛り、体を熱くする。
 エウロペは汗みずくで疲労しきり、アステリオスは大人しく役に徹している。
「いくぜっ! うぉおおおおおおおおお、回覧板デ~スゥウウあっ!?」
 獲物に対するように。
 狩人のように、円盤に見立てた回覧板をロスタムの額に投げ付けていた。
 つい思わずだった。

 あ……
 三人の声は重々しく重なった。
 エウロペは思った。
 お父様が怒る三秒前のような空気ね~。
 父と母と兄の姿を思い出し、首元の首飾りを握り締めた。力尽きた。


 フェニキア――それは紀元前二〇世紀から一五世紀の間に成立した地域の名である。
 エジプトやバビロニアの間にある地中海の地域であり、両者の影響を受けて独自に文明化していった。
 信仰対象もアシュタルトやポセイドンといったバビロニアの豊穣女神とギリシャ海神であり、独自に取り入れている。
 フェニキアはフェニキア文字というオリエント文明発展のための文字を生み出した。
 その文字体系は、現在の少なくない後継文字体系の始祖である。つまりフェニキア文字は、全ての文字の基礎の一つに当たるのである。
 その文化的頂点に立つフェニキアに王家は存在した。
 〈テュロス〉――その王家唯一の女子。
 名は〈エウロペ〉といった。


 エウロペは、英雄的な家系の子である。
 先祖を辿るとエジプト神話の地母神・魔術女神〈イシス〉と同一視されるヘラ崇拝神殿の巫女〈イオ〉がいる。
 このイオはゼウスの愛人であり、ヘラの目を逃れるため牝牛に変貌させられ、百眼巨人アルゴスに見張られ、虻に集られ、〈牝牛の渡し(ボスボラス)〉海峡の名の元になっている。
 イオは散々な目にあったが、結局ゼウスの子を産むことにはなった。
 エジプトに渡りそこでエパフォスを産んだのだ。
 このエパフォスはエジプト王となり娘、リュビエが授かることになる。
 そして、リュビエとポセイドンから産まれたのがエウロペの父となるアゲノルである。
 アゲノルは、ベロスと双子の兄弟であり、フェニキアのテュロスの王で、テレパッサ、アルギオペ、あるいはベロスの娘アンティオペとの間に、
〈カドモス〉、〈キリクス〉、〈ポイニクス〉、〈タソス〉、そして〈エウロペ〉を儲けた。
 子供は五人の子沢山。四男一女の子供たち。
 エウロペは唯一の女子であり、四人の兄と父と母から愛され育った。
 おきゃんやお転婆ともされるぐらい元気に育ったのである。


 家族の愛情を受けて、エウロペはすくすくと可愛く、美しく成長した。
 神の血を引くものは美しい――
 人間の想念によって作られる神は、人間の理想の具現である。
 それには非人間的という形容動詞が適合し、神秘的という形容動詞すらも過剰ではない。
 だが女の子が美しく成長するということは、事ギリシャにおいてある危険を孕んでいる。
 好色かつ絶倫の主神――ゼウスの存在である。
 ゼウスはオリュンポスの宮からエウロペの姿を見染めると一目惚れ――数えるのも面倒だが、一目惚れのときめきを覚えたのであった。
 だが、イオの前例がある。
 正妻の目を誤魔化すため、女を口説くためと妻への言い訳と天命の立法を同時並行で考える脳を回転させ、一計を案じた。


 ある日、彼女は花畑で遊んでいた。煌びやかな宮殿より草花のある自然の方が好きだった。軍事国家の娘だが、戦いの御話は好きだがやはり自然の方が好きであった。

 長閑な日和である。花々も生き生きと生い茂り、太陽は燦々と照っている。
 何時ものようにエウロペは長閑に、静かに時の流れを楽しんでいた。
 ――自然のままに、在りのままに。

 と、そこへ現れたのは一匹の牡牛――足跡のない淡い新雪のような毛皮を持ち、透き通る玉枝のような小振りの角を生やし、優しい柔和な瞳をしている。
 見たこともない程美しい白い牡牛であった。
 ――雷霆を転がす者(ケルピケラウノス)、ゼウス大神の変身である。
 狙われた美しい乙女、エウロペは好奇心に押されるように、摘んだ花を差し出した。
 牡牛は誘われるままにその手に接吻をし、愛しげに鼻っ面を擦り付けた。
 エウロペはほぼ無理やり花を口に捻じ込み、座ったまま頭を撫でる。
 牡牛は苦い花を無理やり飲み込み、その大きな鼻孔を持って馨しい乙女の胸元を嗅ぐ。乙女の乳房は押されるままに形を変え、エウロペは擽ったそうに顔を綻ばせた。
「貴方はどこからきたのかしら、牡牛ちゃん」
 からかう様に尋ねる。無論、天の宮からとは口が裂けても言わなかった。口一杯の草を頬張るのが大変だったからではない。
 
 それから小一時間、角に花輪を付けて上げたり、飼い牛のように尻を引っぱたいて連れ回したり、尻尾を引っ張ったり、髭を毟ったり、と楽しい時間をエウロペは過ごした。
 やがて女中の一人が、
「兄上様が馬に乗られるように、その牛に乗って見られては如何でしょう」
 はらはらと見守っていた女中は、牛を安全と判断し、そのような遊びを案じた。
 ゼウスは絶好の機会が来たことを喜び、水溜りの水を必死に飲みほした後、腰を下ろす。
 懸垂などした事無い非力な姫を後ろから女中が支え、しっかりと牛の背に乗せる。
 ――――途端、稲光の如く牛は猛然と走りだした。

 驚く女中。
 しがみ付く姫。
 鬱憤を払うかのように走る主神。
 ゼウスは考えながらあちこちを巡り――それこそ欧州と呼ばれる前の大地中を巡り走る。
 エウロペの曾祖母が通ったボスポラス海峡を渡る。
 エウロペとゼウスは、海の精霊達の歓迎を受けながら目指すのは大きな島。
 ゼウスは考えた末に、クレタ島へと上陸することになった。

 水平線へと消えていく故郷。
 それが、彼女が目にした故郷の最後の姿だった。


 クレタ島イデ山アイガイオンの洞――
 アイガイオンとは、山羊山(アイギオン)にも通じ、ゼウスの山羊である。ゼウスは山羊とも関連が深い。盾や角などで。
 基督教に例えるならマリアが泊った馬小屋。
 つまり此処は、レアがゼウスを産み、その地の王家のニンフ(むすめ)やクレーテスに養育を頼み、育った場所である。
 この伝説はクレタ島先史文化に関係が深い。
 とても昔の時代に、この地で地母神から預かった幼神を育てるという伝説が残っているのだ。

 ゼウスの産まれ、育った洞は、宮殿のように広々としていて、また飾り立ててあった。外には信仰の証として、祭儀場のようになっている。
 ゼウスの娘達であるエウノミア(調和)、ディケ(正義)、エレイネ(平和)と呼ばれる〈時の女神〉が織り上げた綴織りの見事な壁掛け。
 床には花が飾られ、自然の絨毯のように飾られている。
 中心には極上の絹で織り上げた褥具があった。
「きゃあ!」
 身震いと共に、寝具の上に落とされる。柔らかく小さな乙女の体を受け止め、撓む布地。エウロペは、何よりも先に、
「――牛ちゃん、お家に帰して…………!!」
 そこにいたのは誘拐牛ではない。雷光の如き威光を背負い、神の如き黄金の御髪と髭を垂らした巨漢の美丈夫。
 二メートルを越える生けるギリシャ彫刻そのものの美体。
 まさしく神々の父に相応しい威風堂々とした御姿であった。
 自分の血と兄妹の血を引いている為、また洞に細工をしてあったため雷神の威容を直視できるエウロペは、眼を見開き、
「―――――――――――――ポセイドンお爺さま……!!」
 人(神)違いをした。
 

 数多くいるゼウスの愛人。
 その中で一番特別なのがエウロペである。
 例えば、ペルセウスという英雄がいる。
 彼は、神々より数々の贈り物と加護を与えられ、怪物退治に出かけ、遂には偉大なるヘラクレスの御名を連ねる系譜の始祖になった。
 エウロペも彼と同種だった。
 彼女は、英雄を産む英雄母であった。英雄が英雄となる前の段階、英雄を育てるという養育を担うケイロンのような教育係だった。
 そして贈り物を――彼と同じく数多くの贈り物を授けられた。

 鍛冶神製の青銅守護巨神〈タロス〉。
 ゼウスの命により鍛冶神(ヘファイストス)によって造られた、青銅と神の食物を混ぜた疑似的な神の体と灼熱の神血(イーコル)を一本血管に流す造神である。
 その軍事力、拠点防衛力は、英雄に相当し、宮殿に濠や壁が必要ないくらいである。
 必ず獲物を捕らえる最優の猟犬〈ラエラプス〉。
 テバイの絶対に捕まらないテウメッソスの雌狐を追いかけるまで、矛盾を主神が片付けるまでその謳い文句は事実であった。
 必中不尽の無銘の投槍。
 人に譲ったぐらいの逸話しかないが、おそらくは防壁の必要ないクレタ王家において個人が扱い得る優れた武装である。
 他にも持ち主に抗いたい魅力を与える、アフロディテの腰帯の様な黄金の首飾り。
 イデ山のアイガイオンの洞にあったモノも洞自体も与えられたし、見たこともない地方の土産や睦言での天界の話など……様々なモノを贈られた。
 女性崇拝のクレタ島では、アステリオンからも愛され様々な物を贈られたのである。
 クレタでは女性は崇拝し、尊敬する対象である。美しく穏やかで優しげな女性なら尚更である。
 
 エウロペは愛された。
 彼(ペルセウス)と同じく、神々の加護と祝福を与えられた。戦への加護ではなく、愛としてである。
 だが、寵愛は神にだけに留まらず、王女になってからも自然に愛された。
 自然信仰の家に産まれ、自然のままに――あるがままにゼウスもクレタも子供も国民も受け入れ、愛したエウロペは、自然の誰彼も愛した。
 二度と故郷に帰れず、家族に会えないのを決定されたのに、何も言わず子供を愛するその姿――
 地母神そのもの、
 自然の彼等は、愛募の情をエウロペに感じ、それを愛として与えていた。
 ゼウス様との結婚を祝ってよかったと。私たちの御傍に来てくれてよかったと自然たちは思った。


 そしてエウロペの代名詞である〈ヨーロッパ〉。
 牡牛が走り回った大地に名を残す名誉。未開の地で子供たちがそこで繁栄できるという権利。兄弟と同じくEponymous Hero――開祖英雄の一人。
 彼女の先祖リビュエがリビアという地名になったように、〈Europe(エウロペ)〉の名は〈ヨーロッパ〉の名となった。
 そもそも考えてほしい――
 名を残すということの意味を考えて欲しい。
 リビュエ、降雨を意味する名の女は、砂漠地帯のリビアで絶対的な信仰を受け、女神となっている。
 今ではギリシャ神話の大系の中に組み込まれているが、ゼウスもヘラもヘファイストスも別地域、別民族の神である。混ざり合った結果我々の知る神話体系となった。
 火男(ひょっとこ)のような顔をしたヘファイストスはアジア系である、という風に。
 ギリシャ神話は同一視、同属性化の傾向が強い。ヘリオス=アボロンやクロノス=クロノスのように名や役割が似ていれば自然と同一視されるのだ。
 クレタ島で信仰されていた地母神はレアである。レアは地母神キュベレと同一視された。またキュベレ自体、ガイアやデメテルといった大地属性の女神と同一視された。
 彼女等は皆、〈大地〉に名を残し、豊穣・繁殖・生産の大地の擬神化であるのだ。
 エウロペもそうなった。神の血を引き、神と結ばれ、神の子を産んだ彼女は、女神たる資格は十二分にあり、その為名を残す名誉を与えられたのだ。
 人たる彼女は何時か死ぬが、神たる彼女は欧州が在る限り死なないのだ。
 これが一番愛した愛妾に対するゼウスの愛でもあった。

 ちなみにアジアの語源のティタン、〈アシアー〉と〈リュビエ〉と〈エウロペ〉は姉妹とする説がある。


 エウロペはそれからの生活を保障してもらうため、ゼウスによってクレタ王〈アステリオン〉の元へと連れられた。
 エウロペはそれによってアステリオンへ嫁ぐ事になり、クレタ島王女へと相成った。
 アステリオンは凡庸な王――王子が偉大過ぎるのだが――
 王として子供の養育係を務めた。エウロペとの間に結局子供はできなかったが、ゼウスと一緒にエウロペを愛した。
 
 神話によればゼウスとの間にできた子は三人――
 〈ミノス〉、〈ラダマンテュス〉、〈サルペドン〉の三兄弟。
 彼等は皆、英雄であった。
 半神を意味するHeros――英語のHero (英雄)の語源でもある言葉通り、彼等は半神半人の英雄である。血筋で言えばヘラクレスにも劣らない。
 長兄と次兄はシャルルマーニュと同種の文化系英雄であり、末弟はトロイア戦争で武勇を残した武の英雄である。

 クレタ島のミノア文明と言えば、考古学、人類文化学の観点からいえば、中世以降の近代に届くかと思われる文化と技術と思想を持っていた。
 賢明なるミノスによる政治は、極めて高度に洗礼された政治組織を作り出し、国民から圧倒的な支持とあり得ないほどの平和的統治を作り出していた。
 しかし武装と軍事力を持っていないわけではなく、それは核兵器と同じ最終手段である。
 正義と善政。
 武威によらないで近隣諸国を来貢させたのは、余りにも近代的だ。
 それは無論、エウロペの贈り物の助力も大きいだろうが、死後冥界の大法官(裁判官)に選ばれる聡明さと公平性は、特筆すべきである。
 その聡明さの基準は、今もってなお解読できない線文字Aのミノア文字がある。
 近代資本主義のように、優れた技術力を持つ職人の価値を早くから知り、彼等を各地から呼び、国家の技術力を向上させた。
 また、肥沃な土壌の作物と豊穣な海域の産物は、経済貿易を格段に有利にした。
 経済力と技術力――及び土壌的価値の高い土地と宗教的意義のある土地
 古代でも現代でもそれ等を握った国家が、繁栄してきたのは言うまでもない。
 前衛的な彩色を施された壁画やフレスコ画。開放的な作りの宮殿は、太い円柱の柱に支えられた荘厳な姿である。それは後期ギリシャ文明と関連が深い。
 上下水道や水洗式トイレ、浴場までも造られ、二階建ての建物が並ぶ様は、現代のギリシャの街並みと見比べても遜色は無い。
 ファイストスの円盤の押印式活字印や水晶レンズ等のオーパーツが発見されるぐらいの超技術力を持っていた。
 また、中世の貴婦人のドレス――その原型。
 貴婦人が纏う腰を細く見せるコルセットや足首まで隠し、フリルや飾り糸縫いをふんだんにあしらったドレススカート……。
 それはクレタにあった。


 クレタは女性信仰の社会であり、女性を強調する服飾をする。
 コルセットと同じ原理のコーセットに装飾過多な島国らしい編草とフリルのスカートは、まさしく貴婦人のそれであった。
 けだし、インドやエジプト圏と同じく乳房をむき出しにした自然宗教的ファッションではあるが、文化的に頂上にあったのがクレタであるのは間違いない。
 エウロペは、女性崇拝の社会構成のクレタでは、政治技術を持っているわけではないが、最高権力が与えられ、天皇の様に象徴として扱われ、
 愛にも似た、神と等しい信仰を受けていたのだ。


 波間に船が揺れる。
 小船というには大きく、また大型船というには小さい中型の船だ。
 一人、女性が甲板に立っている。
 王族だけが纏えるデザインのクレタ島伝統衣装のエウロペだ。
 大人の女の齢になったが、その愛らしい乙女的美貌に陰りは無い。大きな眼差しはただ一点、地平線すら見えない故郷を追っている。
「まま~」
 まま――お母さんとエウロペを呼ぶ幼子の声。〈ミノス〉だ。当時五歳。
 女の臍位置ぐらいの矮躯が駆け寄る。振り返ったエウロペは屈み、抱き止める。幼児の頭より大きい乳房に挟まれる形で、抱き止められた。苦しい。
「あらあら、ミぃくんどうしたの~。ラエラプスと遊んでいたんじゃなかったのぉ」
 視線の先には最優の猟犬がいる。毛を引っ張られて禿が出来ていた。「ままのほうこそどうしたの。いつもいつもあっちのほーみて」
 あっちのほー……故郷の方角。顔も見たこともないミノスの祖父のいる国。そして、エウロペが二度と戻れない家。
「…………あの海の向こう。ままのね、ぱぱとままとお兄ちゃん達がいるのよ」
「……おにぃちゃん?」
「みぃくんが数ヶ月前になった事よぅ。ミぃくんは、もうお兄ちゃんになったのぉ~」
 ラダマンテュスは、産着に包まれ、城の乳母にて養育されている。幼子(ミノス)は理解した。
「いかないの? おふねならあるよ。ぱぱのおふねはせかいいちだってぱぱがいってたよ」
 教師(ぱぱ)が言っていた事を自慢するかのように言う。エウロペは困ったように眦を下げる。
「行けないのよ。ままは今、幸せだから会いに行けないのよぅ。
 あなた達に会えた幸福(しあわせ)は、会えない不幸の為にあるのだから」

 幸せと不幸は、プラマイゼロ。
 兄と父と国民と敵対国が危険な目に遭う不幸と安寧に委ねられた妹と母と国民の幸福。
 我が子と自国の民を愛する幸福と二度と守ってくれた人に会えないという不幸。
 主神の寵姫と名付けの名誉と家族の、兄弟の離散という厄。
「しあわせ~?」
「うゆ、ままは本当に幸せ」
 タロスと加護に守られた箱庭の平和と安寧。今日もまた、国民を守るため不審船が鎮められる。
「じゃあ~~ぼくがままをもっとしあわせにしてあげるっ! ままがしあわせなまま、もっとしあわせにしてあげる。
 ままのぱぱもままのままもままのおにぃちゃんたちもしあわせにしてあげる!!」
 
 エウロペは――
 エウロペは黙って我が子を抱き締めた。この人を思いやる気持ちを知っている子供をただ抱き締めた。
 聡明なるミノスは養父の王を補助し、数々の国家と平和的交渉を行う。その国家にはテバイやキリキア人、ポイニキア人の国家名があった。
 エウロペは、死ぬまでに一度も戦火も嘆きも、聡明な子供の手によって聞く事は無かった。
 裏はあるが今もってなお世界平和は実現されていないから、箱庭の平和を作り上げただけでも快挙である。
 そして――
「……お願いがあります……」
 何時にないエウロペの緊張を帯びた言葉。褥の上に広がる熟れた肉体。その背を見つめるゼウス。
「どうしたのかな可愛いエウロペよ。何でも言ってごらんなさい」
 穏やかに言い、近づき、耳朶に触れる。愛撫だ。大きな手が小さな耳を擽る。
「贈り物をしたいのです。結婚式の贈り物を――アレス様の御息女の為の贈り物をしたいのです」
 戦神アレス――その娘、〈ハルモニア〉。
 その新婦の愛する新郎の名は――――――ゼウスには分かり切っている。


「……あい分かった。どのような贈り物がしたいのかね? 何でも用意してあげよう」
 切ない何かを飲み込むような声。ゼウスは自分が何故こんな声を出しているのか分からない。
 コクリ、と首肯し、差し出したのは首飾り。かつてゼウスが贈った黄金の首飾りである。
「……? これを? いやこれは君のモノだが」
「これは素晴らしい首飾りです。私が子供の頃欲しかった大人の首飾りです。
 私の持ち物で唯一、女の人に価値を理解していただけるモノです。
 ――それに私は子供達(あの子達)が幸せになればいいのです。
 タロスもラエラプスも槍もあの子たちのモノになります。
 領土もあの子達のモノになります。――ですが男の子ですから女の子が喜ぶ首飾りはいらないでしょう。私にはコレがあればいい――」
 首元を探る手が触れるのは、磨いた木の実の首飾り――それを見つめるゼウスの目は優しげだ。
 口元に好々爺然した笑みが浮かび、湧き上がる愛しい衝動と共に肩を抱いた。
「――ああ、いいともいいとも、君にあげたモノは君の自由だ。捨てようと上げようと神(わたし)は、一切咎めないし口にも出さない。
 ――さあ、綺麗な飾り箱を用意しよう。祝儀の手紙も書こう。おめでたい結婚式だ。幸多からん事を!」 
 道化のように笑うゼウス。
 振り返り顔を綻ばせるエウロペ。
 二人は重なりあった。

「――――大好きですぅゼウス様…………………!」
 
ゼウスは、この日を記念して空に星のシャンデリアを――おうし座を掛けた。
そして、この十月十日後、サルペドンという男の子が産まれた。首飾りなんていらないやんちゃな男の子だった。
 
 贈物の首飾りは、箱を作ってもらおうとゼウスが、アフロディテに一端贈った。何の抵抗もなく。
 アフロディテのお願いするままに、不倫の子の結婚式に青筋を立てていたヘファイストスが飾り箱の作成と首飾りの清掃及び調律を行った。

 新郎は、新婦に贈られた黄金の首飾りをその手で優しく付けた。
 それはかつての子供時代に手作りの首飾りで、妹にした動作と酷似していた。


 じゃっかじゃっかと牛頭の槌矛が磨かれる。
 正座するオリオンとアステリオス。着乱れた姿で五体倒置するエウロペ。
「……めっさやべーとよ、ごっさやべーとよ。何で俺ん国の怪物譚か極東の昔話みてーになっとうよ」
「…………た」訳:食べ物? 食べ物でるの?
「……………」ぐったりしている。
「いやあすいませんねぇ、わざわざ回覧板を届けて下さいまして。待ってて下さい今、軽く摘まめる物を作りますので」
 牛頭の槌矛を誇らしげに掲げ、悪意の無い笑みを浮かべるロスタム。
 長年の勘で『つ、摘ままれよう! このままでは確実に摘ままれよう!』と戦慄する。
 アステリオスは、床の木目を数える。
 エウロペは、襟を全開にして、扇風機に当たる。
「あ、あのロスタムさん? いやロスタム将軍?」
「ロスタムでいいですよオリオンさん」
「さっきはすまんとよ、回覧板投げって。つい思わず昔の事を思い出しって」
「いえいえ、事故ですよ事故。昔の事を思い出してやんちゃになれるっていいですねぇ。私などねぇ……災厄しかないですよ」
 狩人の勘が『良からぬ事をしようとしよう……災厄を起こそうとしよう!』と予感していた。
 アステリオスは、天上の木目を数えだした。
 エウロペは、アステリオスの裏で着替えだした。
「あの、ロスタム、ロスタム卿」
「ロスタムでいいですよ」
「いや、あの……さっき穴があったら入りとう齢で股間が停止している親父から、穴から抜けんくなってって連絡があったからすぐに行かなデンネ……切断しに」
「なんですってどうしてすぐに言ってくれないのですかっ! あの心配なんで私も着いていって良いですか?」
 徹底的に引き攣った笑みを湛え、『切断するつもりとう! 俺達の生命線を切断するまで地獄の底まで着いて来るつもりよう!!』と想像する。
 アステリオスは、腹減ったと考えた。
 エウロペは、茶を啜った。
 オリオンは、徐に手を伸ばす。伸ばした先は、エウロペの腰とアステリオスの右手首。
 瞬間――獣を追い立てる健脚が、床を穿つ。


 合計三〇〇キログラム以上の重量を両手で支え、一直線に窓を目指す。扉など回ってられない。
 ロスタムの視線があるものを捕らえ――槌矛を投げた。
 投擲――高射砲の速度に匹敵する弾丸(つちほこ)は、進路上の壁を穿つ。と、いうより爆散させた。
 鼻先一寸先を死が通過。戯画の様に冷や汗を流し、彫刻の様にオリオンの肉体は停止していた。
 エウロペは、オリオンの手指に潰されている乳房を気にすることなく茶を啜る。
 アステリオスは、無くなった壁から抜ける青空を見ていた。
 綺麗だなぁ、と与えられた知識による形容詞を含んだ言葉を思った。
「いやぁ危ない危ない。危うく画鋲を踏みつけるところでした。御怪我は御座いませんか?」
 

 養父は亡くなり、母も亡くなった。自然のままに生きた母は、自然のままに死んだ。
 アドニスの死を悼むように、自然たちもエウロペを悼んだ。
 だが、嘆き悲しんだ三兄弟はしばらくすればさっぱりと泣きやんだ。
 王は――男の子は、むやみやたらと泣いてはいけない。
 泣いた後はさっぱりと笑い合うのだ。
 彼等はそれを教えられていた。愛する者から教えられていた。
 だからこれからの事を話し合うのだった。

 エウロペとアステリオンとの間には、子供がいなかった。その為、ミノス・ラダマンテュス・サルペドンの三兄弟は話し合いで、次期王を選定することにした。
 彼等は壮年――中年と言ってもいい年頃であったし、エウロペにとっての孫もそれなりの年頃だった。年齢に不足はない。
 誰が王でも、王たる資格は十二分にあったのだ。特にミノスは、前王補佐として素晴らしい立法・政治で、数十年の戦争の無い平和を築き上げた。
 しかし、些か暴力的なサルペドンでも直接的に暴力的解決や権力争いは全くしなかった。
 双子座の兄弟並みに仲の良い三兄弟であった。

 長男ミノスは突如、主張する――
「我こそが神寵を受けし、王に相応しき者――」
 その言葉に眉を顰める弟達。そんな弟達を兄の威厳を込めた笑みで応える。
「これよりその証明の儀を行う。――パシパエよ」
 呼び出されたのは彼の妻。太陽神ヘリオスの娘。“全てに輝く”の意を持つ魔女である。
 美しい妻は夫と共に証明の儀を――クレタ特有の儀式を行うことにした。


 古代において、王は最高の司祭であり、王妃は巫女である。
 クレタにおいて信仰対象は海、牛、女、エウロペ、大地等である。
 その方法は独特だ。
 信仰の象徴として祭司は儀式用の双斧ラビュリスを持ち、牛の仮面を被るのだ。そして巫女はそれを補助する役目を仰せつかっている。
 いや、女性崇拝の地で巫女は、さらに神の訓示を受ける重要な役割を持っているから、補助だけではない。

 ――古代宗教らしい荒々しくも躍動感に溢れた自然の儀式。
 牛の仮面と双斧を持った〈牛頭なる人〉の高貴なる姿で、舞う祭司。
 祝詞を謡う巫女もまた、牛の祭具を。
 国民の崇拝に応え得る高貴なる聖牛の姿だった。

 ちょうどポセイドンを祭る時期だったので、ポセイドンに神が犠牲の為の獣を、海底より遣わしてくれるよう祈り、求めた。
 その通り海底より神々しい牡牛が――聖牛や神牛と見紛うほど美しい牡牛が現れたのだ。

 誰一人として異議を唱える事無く、満場一致でミノスは次期クレタ王へと選ばれた。
 
 しかし、ミノスはこの立派な牡牛を犠牲にすることが惜しくなり、また殺すのは忍びないと思い、牧場に隠し、他の牡牛を薬で眠らせて生贄として海に鎮めた。

 公正を重んじる男が、神を欺いた罰。
 たった一つの欲から生まれた罪。
 神の怒りによる神罰は、彼でなく妻が受け取ることとなった。


 ポセイドン自身は、夫婦間に不和ができる程度だと思っていた。牛ばかり可愛がる妻は、子供にも夫にも目も向けず、牧場に入り浸るだけだと思っていた。
 しかし思いも募れば、魔法使いに近い魔女の思いは千磐破(ちはやぶる)――
 彼女の視界に映る、夫の保護した名工ダイダロス。
 幼い娘たちに、空中で回る独楽や自動で巻き取る糸玉を造っては笑顔になる名工。
 一瞬天地が反転した視界には、怯え切ったダイダロス。
 騎士にすがる姫君のように名工の手を取り、青黒い手を目の前に持ってきて頼んだ(めいじた)。
「―――――お願いを聞いてくれるわね―――――?」
 答えを聞くまでもない。
 ダイダロスは、自らの不運を嘆きながら後の息子を失う運命に向かって歩き出す。


 牝牛の模型は、精緻に木を組み合わせ、中に牛革を張り小部屋を造り、外には牛皮を張り付けた。
 そして輝く黄色の偽眼。象牙の角。音楽的に鳴く仕組み。
 名工による生きていると見紛う牝牛の模型だった。
 足に車輪を付け、牧場に運ばせ、件の白い聖牛は牝牛かと思いこみ、覆いかぶさった。
 ――パシパエはついに思いを遂げたのだった。
 魔術に優れたキルケの姉妹であるパシパエは、異種姦するエキドナのように交わった。
 しばらくして、牡牛は狂い、手がつけらない程邪悪化した。


 十月十日後――悲劇、開幕。
 産婆は悲鳴を上げ、パシパエは牡牛の男根の味をもう一度味わえると感慨に耽り、我が子を楽しみにしていたミノスは視界が暗黒に染まった。
 子供達は卒倒し、兵士は立ちすくみ、女中は卒倒した王女達を世話した。
 件の赤子は、弱弱しく産まれたての子牛のように這いずり、少しだけ啼いた。
 
 それは、ミノスにとって聞き違える事のない――――聖なる白い牡牛の声に良く似ていた。
 ああ、化物だ――
 牛でも人でもない本当の化物だ。

 ――ミノスの顔は、娘を失った朗報を聞いた祖父(アゲノル)の顔に良く似ていた。


 クノッソス宮殿の広大な庭園。
 そこには莫大な容積と面積を持つ地下牢獄が造られた。
 地上部分の宮殿には、野生動物や支流を内包する林と合体した自然的宮殿と塔があり、地下部分の牢獄は絶対脱出不可能な迷宮となっている。
 名工とその息子以外には、絶対に抜け出せない奈落の道辻。
 経験に富んだ老いた野生の鹿や伝書鳩ですら、絶対に抜け出せない。
 これは名工ダイダロスが、王命により全力で作り上げたモノだ。彼でもある道具を使わなければ抜け出せない事を、主眼に置いて建築された代物であった。

 地上部分に狂ったパシパエを精神病棟のように閉じ込める。
 反省の意味を込めてダイダロスと息子イカロスを軟禁。それなりの自由な権限は与えられた。
 地下には牛の忌子を幽閉した。
 忌子でも殺せなかった。乱暴者の三男坊でも、不貞の妻でも身内は絶対に殺せない。 
 そして、そのほとんど時期を同じくして、ミノスの息子アイゲオウスが、アテナイの競技に参加中死亡した。
 偉大な王にも欠点はある。好色と激情だ。
 身内に理不尽な不幸があると聡明も公平性も失い、アレスなみにキレるのだ。

 悲劇、続行――
 神と自然に愛されたエウロペが死んだ途端、悲劇続きだった。
 聡明なるミノスは自分の所為という事が分かっていたが、それ故に分裂気味になった。
 何故あの時、私は牡牛を愛したのだ。あの美しい牛の瞳が母に似ていたからか? 子供時代に見た、再び牛に変身した神父(ゼウス大神)の瞳に似ていたからか?

 巨大な財産力とタロスという絶対の拠点防衛力と必中不尽の投槍という優秀な個人武器が、アテナイを瞬く間に占領した。
 初めて戦場に参加する新兵でも熟練の老兵でも手に投槍を持ち、絶対に命中する弾幕を張った。
 船で密航し、王を暗殺しようとしてもタロスの目は不審者を逃さず、ラエラプスは必ず捕まえる。
 
 アテナイの王、アイゲウスは苦渋と悲嘆に暮れながらも九年ごとに結婚していないうら若い少年少女一四人を生贄として差し出すことを了承した。
 その非道振りは、公正明大な王の姿とは見えなかった。
 まず、一回目。これは迷宮が完成するまでの猶予を与えて、アイゲウスに決定権を与えた。
 選ぶ度に、アイゲウスは寿命が縮むような痛苦を。期間が迫る度に半死人の様になっていった。
 そして三回目の生贄――一八年後に英雄が舞い戻る。


 何もない。
 彼には何もない。
 親。兄弟。自然。新鮮な空気。太陽。月。友達。流転――
 時が停止したかのように何もない。
 猫の目でも見渡す事の出来ない迷宮を歩く。
 彼の眼は、それでも見られるように発達した。
 犬の鼻でも嗅ぎ分けられない臭気が漂う。
 彼の鼻は、それでも嗅ぎ分けられるように鼻が発達した。
 自らの呼吸音と水音以外に無い、耳が痛くなる静寂。
 彼の耳は、それでも無音音以外の音を捕らえるために発達した。
 
 生きていた。――生きているのか?
 とにかく生きていた。――在るだけなのでは?
 夢も希望も何もなく、喜怒哀楽を一度も感じず、機械のようにホルモンバランスの欲求に従って食い物を口に入れ、眠る。
 勃起は一度もない。
 無感動に、無情動に動作する。
 ギリシャ神話のカスパー・ハウザーは、唯在る――


 恐怖が身を支配する。
 壁に寄り掛かった途端、隠し扉によって仲間と分断されてしまった少女。
 孤独の恐怖に震えながら、松明を片手に歩き続ける。
 灯に照らされる迷宮の壁。煉瓦敷きの床は、一部の隙もなく敷き詰められている。両脇には排水の溝があった。
 壁には通気用の穴がある。作業員と此処にいる存在の為のモノだ。
 と、少女の目に部屋が見えた。この迷宮に部屋は、幾度も見てきたがこれは毛色が違う。
「――――詰所?」
 首を傾げながら、父親の職場を思い出す。大きな机に多数の椅子。そしてコップや皿類。
 詰所だった。
 ならば壁に備え付けられた二つの扉は、掃除用具入れと便所か。
「――もしかしたら!」
 生気の無かった顔に光が灯る。もしかしたら作業員用の地図があるのかもしれない。そしたら――――

 希望は無残にも打ち砕かれた。地図など欠片もない。唯在るのは男所帯の汚い便所と汚い掃除用具だけだった。
「……そうだよね……」
 都合のいい事など無いのだ。仮に出られても兵士や住民に見つからず、家に帰る手段など有りはしないのだ。選ばれた時点で墓場はここなのだ。寝台ではないのだ。
 無言で部屋を出る。落ち込みと不安が体を震わせる。
「……やだ」生理現象だ。丸一日近く歩き詰めなのだから当たり前である。
 密閉空間で生理現象を処理するには労力を要するが、誰も来ないところである。詰所の入っただけで窒息しそうな腐海の便所は入りたくない。
 幸い排水路も排水溝もある。そこらの茂みで平気で用を足す時代の少女だ。排水設備がある所で用を足すだけ文明的である。
 喉が渇いても尿は出る。何処かしらの水音に向かって進んでいたが、一向につかない。
 作業員が使った水飲み場くらい見つかりそうなものなのだが、見つからなかった。
 からからになった喉を潤す父の顔を思い浮かべる。排水溝に近づき、跪いて、松明を置いた途端――――一つの影を落とした。
 振り返る少女の目に映ったのは、噂通りの―――――――――――――――――――
「……………イヤァァァァアアアアアアアア――――!!!」


 暗闇の中を直走る。走る。走る。逃げる為に――でもどこへ?
 真っ暗闇の中走って何度も壁にぶつかった。歯が欠けて、鼻が熱い。
 イヤイヤイヤイヤイヤァ――――
 既に両腿は濡れ光り、独特の臭気に塗れている。そんなことも気にならない。
 何度も転び、その度に立ち上がる。
 七転び八起き。
 八回目に起きたら今度は目の前に、階段があった。
 面白いくらい毬の様に弾み、転がり落ちる。軽い体は煉瓦に叩きつけられる事無く、水に受け止められた。
 波紋と水柱を現す水面。過呼吸の肺に水が殺到する。痙攣の様に暴れる手足が体を浮かび上がらせる。
 どうやら此処が目指していた作業員の為の水飲み場らしい。少女は必要以上に飲んだ水を吐き出しながら、煉瓦敷きに横たわる。
「ぜひゅーぜひゅーぜひゅーぜひゅー」少女の可憐さなど欠片もない仕草で酸素をむさぼる。乱れた裾から延びる足は痙攣し、根元を晒している。
 …………いない? もうこない?
 涙に滲んだ視界には、光ファイバーの原理で外の光を僅かに取り込んだ水による明りがある。明りと言っても猫でもなければ視界は確保できないが。
「うぐ……ぐすぅ……」涙を拭いて上半身を上げる。今更ながら擦り剥いた手足やぶつけた顔に痛みが走っていた。
 強く目を擦った手が触られた。まるで、温度を確かめるように触れられたのだ。
「―――――え?」
 幽霊のように牛頭人身の化物がいた。さっきまでいなかったのに今はいた。見えないのが一層の恐怖を助長させた。
「――――イヤァァアアアアアアアア!!」
 悲鳴が上る。牛の瞳は一揺らぎもせず、少女を見つめる。
 ――ヤメテヤメテヤメテヤメテ。
 べたべたと知らないモノを触れるように、温度を確かめていく。瑞々しい腿に触れた時点で脱糞された。裾が茶色に汚れる。
 ――コナイデコナイデコナイデ。
 心臓は一定のリズムで鼓動。瞳は、女陰すら映しているのに体温すら上がらない。砕いても潰してもいないのに、腹に触れたら反吐を出された。
 ――オネガイオネガイオネガイ。
 瞳には不可解も怪訝の色もない。ただ胎児記憶でしか知らない人肌の温もりを確かめる様に顔に触れる。噛まれた。
「死ニタクナイィィィィ!! ドボヂデアンタナンカニィイイィ!!」
 骨のように硬い指を噛む度に歯が砕けて、さらに醜い形相になる。歯茎から出血が、舌が千切れて血が噴き出す。
 自らの体液と肉に溺れて少女は息を引き取った。もう、恐怖する事はない。忘却(レダ)の河で水を飲み、全てを忘れ去るだけだ。
 動かなくなった少女を持ち上げる。揺り動かす。グラグラと首が動くのを見て、髪に手を伸ばす。
 自分の頭に生えているものと一緒……という感想を辛うじて抱いた。手と足を見て形が一緒という感想を微かに抱いた。
 階段を上り下りする為に学習した二本足で立つ、という動作をする。
 彼は人間を食うか、食わないか分からない。
 自分の体と同じ形をしたものを食うという事は、自分の手足を食うという事にも繋がりかねない。それが彼には在り得る。
 とりあえず彼は、水や壁より温かいもの――嫌な匂いのしないものは口に入れる。
 胃は生理反応で胃液を分泌し、消化する。
 水に顔を突っ込む。飲む。魚を齧る。葉っぱを齧る。草を齧る。果物を齧る。泥を齧る。
 食っていない。食うという活動ではない。
 深海魚や家畜の食事風景でももう少し温かみと生きている感じがするモノだが、彼には微塵もそれが感じられない。
 補給だった。繰り返す補給だった。外から流れてくる柔らかいモノを齧って、寝る(意識を落とす)。
 それの繰り返しだった。
 少女の死体を食うか分からない。そもそも出会う事すら稀だ。この広い二万平方メートルの宮殿地下の迷宮では、餓死する確率の方が高い。
 少年達は、迷宮に食われるのだ。食われて骨に成り、大気に溶けるのだ。
 あと九年――あと九年で彼は、英雄と出会う。


 齧る。飲む。齧る。飲む。齧る。飲む。後八年。齧る。飲む。齧る。飲む。齧る。後七年。飲む。齧る。飲む。齧る。飲む。後六年。
齧る。飲む。齧る。飲む。後五年。齧る。飲む。齧る。飲む。齧る。後四年。眠る。齧る。飲む。齧る。後三年。飲む。齧る。飲む。
齧る。飲む。後二年。齧る。飲む。齧る。飲む。後一年。齧る。眠る。齧る。眠る。来た――


 慎重に迷宮を進む一四人の少年少女。皆が皆不安を顔に張り付けている中、一人だけ堂々と先頭を進む少年がいた。
 背の低い少年である。年の頃は、一五、六くらい。短躯だがたくましい体付きをしている。英雄となる前のテセウスである。
 腰には剣を佩いていた。あり得ない事である。王は贄となる少年達に武器の携帯を許可していないのだから。
 これは、少年の倍は年を食った王女から譲られたものの一つだ。無銘の名剣であった。
 あの、おばさん……同情してくれたンかな。そィとも……
 アリアドネーが聞いたら激怒しそうな代名詞を使う少年であった。剣に視線を落とし、続いて最後尾の友達が持つ糸玉を見る。
 まだ余裕がある。視線を前に戻した時、彼の直感が囁いた。街道の外道どもと相対した時にも囁いた直感が、だ。
「止まれェや」
 囁くように命ずる。少年達は、不安に震えながら止まる。
 テセウスは、松明を床に置き、宣言する。
「――オレがあいつを殺す。お前らは下がっとれ、ほいで絶対に声ェ出すなや」
 そうだ。オレはあの怪物を殺すんや。国(うち)の民を食いやがった下劣で、凶悪な怪物を――!


 テセウスは父王から聞かされていた。
 その怪物は、牛と人の禁断の交わりで産まれ、産まれてすぐに迷宮が建造され、幽閉されたのだと。
 下劣だと。最低だと。凶悪だと。悪逆非道の化物だと、そう思っていた。
 二八人の人間を食い殺しくさった化物だと。
 こんな所に幽閉されて、鷲の啄みと無限岩運びの如き責苦を受けて、当たり前の存在だと、思っていた。

「…………………………………っっっ!!!」
 松明を転がす骨の様に硬く、筋張った人間の手。握れば本当に骨の様になるだろう。肌は余すことなく埃と垢に汚れ、青白い肌を覆い隠している。
 まるで元から茶色だったように見える肌の下には、信じられないほど発達した筋肉の隆起が全身を覆っていた。
 人の骨格でありながら牛骨の太さを兼ね備え、筋肉の鎧と筋肉の重装甲を纏った重騎士のような体格。背も図抜けて高い。
 同じように汚れ塗れの顔は牛そのものだ。そそり立つ角は、雄々しい三日月。頭頂部から放射状に、長大な白髪が伸びている。それだけが白い。
 異形の化物。
 だが、街道の外道どもを屠った半神半人が、悲鳴を上げそうになったのはそこではない。
 眼だ――
 何も映していない。何も感じていない。何の色も湛えていない。何も行っていない。何もしていない。何も――抱いていない眼(虚無)だった。
 殺意も悪意も害意も敵意も好意も善意も無い。
 虚のように墜ちていく赤褐色の色。闇に空いた硝痕。


 街道の外道どもは、分かりやすい邪悪だったが、彼は違う。
 水鏡よりも透明で、夜よりなお昏い、白無垢の心。――無の黒白。
 テセウスは元よりこの時代の人間でも神でも知らない一人の少年。
 その少年の名を肖った症候群――〈カスパー・ハウザー症候群〉
 人間の尊厳を徹底的に辱めた際に成る病。自己も自我も感情も枯れた無明の荒野。
 
 少年の心に、吐き気と怒りが湧き上がった。――コイツは悪うない。
 そもそも産まれてすぐに幽閉されるなんて――――どういう冗談や!
 彼に何の罪もない。清廉潔白の無色透明。聖人+仙人+赤子=ミノタウロス。
 ――――外道がっ!! 何故殺してやらへんかった!! 自分の罰の結果に蓋して、満足かっ!?
 蔑む眼で少年達を見ていたミノスを心の中で、百辺殺す。
 彼は、哀れな忌子は、悲しみと怒りを湛えるテセウスに視線を移す動作をする。
 迷宮完成前に行った、自分と同じ形の体をした温かい物体に手を伸ばす――乳児期の反射行動染みた動作を行う。
 ゆっくりと伸ばされる巨大な手。抜刀している人間に恐怖を抱かない。恐怖とは何なのか分からない。
 腹は括った。テセウスの体が霞のように消え――
 撞球の様に壁と天井を跳ね、完全な視覚に移動する。
 ――暗殺とは、見られてからでも行える。不意を打ち、弱者が強者を倒す技術の事だ。
 首筋を狙って袈裟に剣が降る。
 ――苦しみもなく、気付かせることなく終わらせる。それが暗殺だ。
 全体重を込めた鋭い刃は、左頸動脈、頸静脈、食道を切断し、頸骨に止められた。頸骨と刀身に罅が入る。
 首の筋肉が、怪物の怪力を持つ筋張った頚筋が反射的に剣を噛み締めたのだ。
「―――――!」
 信じられない顔をするテセウス。
 弱い、弱い悪人。弱いからこそ人は悪に走る。弱いからこそ半神半人でも発展途上の少年に屠られる。
 だが、彼は怪物だ。そう望まれた。だから最初から強い。一流の怪力家だ。
 切断できなくても頸動脈を切れば大量出血は免れない。鉄砲水の様に血液が噴出し、巨体と迷宮を濡らす。
 自らを濡らす自らの雨にも彼は無感動だった。ただ、産まれて初めてする――他人に声を投げる、という動作をする。
「……………………あ」言葉を知らない。習った事は無い。他人の声を聞いただけだ。
「………………うぉおおあああああああああああ!!!」
 鬨の声が迷宮に響き渡る。
 テセウスは天井に着地。床に向けて――理念は落下速度と跳躍力を加えた頸骨折。
 それに一切の抵抗と反応の動作を見せず、初めて感じる激痛とそれを消す体内物質信号の暴走にも意識を奪われる事もなく、
 ただ動かしにくい首を動かして上を見た。
 
 視線の交差があった。
 お互いの感情を理解する事は永遠に無かった。
 頸椎が粉砕される音と脊髄が分断される音だけが、無明の迷宮に消えるだけだった。 


 堂々たる体躯の王が、一人墳墓の前に立っている。
 公平なる統治と善政を行ったミノス王だ。だが、六尺を軽く超える肉体が童の様に小さく見える。
 墓石に手を添える。テセウスが脱出した後の事を、王として行った自らの手だ。
「…………母上……」声を絞り出す。その表情は伏せている為、読みとれない。ただ声を絞り出す。
「母上。私はどうすれば良かったのですか。あの日あの時どうすれば良かったのですか」
 母。地母神となった母。聞いてください。
 父に似た好色。叔父に似た激情。それらをしっかりと自覚する聡明さ。
 感情の向くままに幽閉と贄を決定した。王の言葉は誰彼にも絶対だ。自分も縛られる。
 王の言葉に誰も答えなかった。


 葬送の鐘も無く、葬列の人々もいない。
 誰も彼も彼を化物として扱い、罪の有無を見ようともしない。
 忘却の河水を飲む必要もない、何も無かった人生。
 大地の化身である牛の頭には、思い出など――憶えていたい記憶など無い。
 大地の底の底――
 深き昏闇の冥府を抱擁するエウロポイヤに抱かれ、彼は何もしなかった。
 世界には、大地には――〈アステリオス〉と名が刻まれた。


「私はねぇ……償いたいんですよ」
 訥々とロスタムは語りだす。
「こんな図体の無駄にでかくて、顔の厳つい大人に育ちましてね。私に惚れてくれた人だって最初怯えてましたよ」
「ですがねそんな幸せの芽も自分で摘み取ってしまいましたよ。本当に自分の手で摘み取ってしまった…………だからその償いがしたいのですよ」
 ロスタムは、貰泣きするやくざの様に眼を覆う。
「何をすればいいのか分かりません。ですがあの子に、父親の事を恥ずかしい人間だと思って欲しくないんですよ。
 立派で優しく、それでいて勇敢な父親だとねぇ……はは、すいませんお恥ずかしい……こんな厳つい男の話す事じゃあありませんでしたね」
 オリオンは、
 ……すんません。めっちゃげっちゃ怖ェーとよ。
 獲物を目の前にした獅子の様なロスタムの顔を見て、正直に思った。
 そして――ロスタムの――イラン叙事詩シャー・ナーメ最大の英雄の物語が始まる。
「(違うだろォオオオオオ!! 流れ的に俺の過去編だっとよォオオオオ! 何でいきなしロスタムの話が進むとォォオ!!)」
 だって、アンタの逸話と星を関連する作業めっちゃ大変なんだもん。それに神戸弁なんて一度も聞いた事無い方言を使う設定もむずいし。
「(自分で決めたんだろうようゥゥウ!! えーから始めんかいぃぃいいいい!!)」
 語尾ャーにすれば良かったと思う……始まり始まり。
「(グダグダとよォォオオオオオオ!!!)」


 彼には〈最古〉という形容詞が付く。それは彼が遥か昔から――火を起こす術を知らなかった時代からいたからだ。
 いた――あったのである、彼は。彼の姿は天空に、七つの星の図として――
 その星座が、狩人の姿として見られていたのは、ギリシャ文化で、である。
 シュメールでは羊。古代エジプトではオシリスの光。日本では毛利家の家紋。
 中心に三つ星。四方を囲む四つ星。そして、周囲を取り巻く星々と星雲。
 美神に祝福されたが如く美しく、優麗な星の幾何学。
 幾人もの詩人がその星の事を謡った。
 幾人もの船乗りがその星の事を目印にした。
 幾人もの占星術師がその星の事を詠んだ。
 数え切れない人々に慕われ、アッカド語で〈アンナ(天の光)〉、古代ギリシア語で〈尿(ウーロン)〉の名の由来を持つその狩人は受肉した。
 星を詠む、星を語る、星の動きに由来する逸話と伝説を揺籃とし、天文学によって彼は伝説を刻むのだ。
 それが――星界の猟人〈オリオン〉である。


 オリオンは、逸話と同じくらい父と母とするモノが多い。ギリシャの多民族性と文化混合性の弊害である。
 尿・雨(オウリア)の名の起源を取るなら、ある日牡牛の皮にゼウスとヘルメス、ポセイドンが尿及び精液を掛けて、
それを大地に埋めたところ――そこから赤子が産まれたという逸話だ。
 ガイア母説。ティタン族一柱説である。
 ゼウスを父とするのは天を行くから、好色だからであり、ヘルメスを父とするのは旅人になり、多数の地方に足を運び愛を楽しんでいるからであり、
 ポセイドンを父とするのは、荒れる冬の天空に何も変わらず天の海を行くその姿から考え出された。また、それが水上歩行能力の起源である。
 水星、木星、海王星とオリオン座が重なるのを何らかの手段で知り得た古代人の想像から生まれたのかもしれない。

 ポセイドンを父とし、ミノス王とニンフとの間に産まれた庶子エウリュアレーを母とする説もある。また、アマゾン女王を母とする説もある。
 ミノス孫説。アマゾン王子説である。
 先程の尿説で牡牛の皮を使ったところにミノス王の関連がある。ミノス王は牛頭人身(牛仮面)の雄々しい姿で祭儀を成す。
 牛はミノス王の子供といっても差し支えないのである。だからミノス王の子供=牛であるのだ。また、オリオン座はおうし座と向かい合っている。
 アマゾンについてはオリオンの野性性やその逞しさに惚れ込んだアマゾンの詩人の創作であろう。
 そのように数々の父と母が造られたオリオンは、ボイオティアで全く話に残らないで育った。まったく幼年・少年時代の話は無い。赤ん坊の姿すら無いのであった。
 と、いうよりモデルとなった人物すら分からないし、いないのである。
 エウロペは、怨恨からクレタの人々に誘拐された女性がモデルであるし、アステリオスについては、捕虜を虐待した将軍がモデルだとされる。
 だが、オリオンにはそういったモデルとなる人物が無いのであった。
 聖ジョージのような完全創作英雄なのかも知れない。
 星空という自然の書物で、吟遊詩人に謡われる為だけの主人公なのかも知れなかった。


 繰り返すが出身地は三神の場合もミノス王の場合でも出身地は、ボイオティア(牡牛の国)というカドモスがアポロンに信託を受けて興した国である。
 カドモスが繋がれていない牛の後を辿ってそこに国を興すように命ぜられたのだ。
 そして後に彼はカドメイア(後のテバイ)を興し、数々の不幸と災厄に見舞われることとなる。

 オリオンは、顔も知らない曾祖母の兄の土地で育った。早くから早熟かつ好色だと言われ、性質は父によく似ていた。
 また、顔立ちはこの上なく美しく、雄々しく粗野な魅力に溢れ、体躯は大きく雄大な力を有していた。
 巨人の様に怪力を発揮して、イタリアとシチリア島の間、ザンクレー(メッシーナ)の港に大岩を引き摺って建てた堤防がある。
 オリオンは、この海峡の入口にペペロンの岬を築き上げ、ポセイドンの社を設けた。
 そのような怪力かつ父思いで早熟な若者は、狩人を職としていた。
 多くの詩人が謡う様に、その業前はヘラクレスやパリスに匹敵する領域にあった。

 好色な者が考えることはただ一つ――美しい妻を娶る事である。自分が浮気しないかは問題にしない。
 鹿狩りに来た彼が目に付けたのは、イオニアのキオス島の王家。その姫〈メロペー〉であった。
 姫であるから当然の如く美しく、またディオニュソス(十二神)の血を引いているからさらに神々しい。
「――惚れた。オレの妻に成れよう」田舎者丸出しである。
 王の血を引いてても庶子である為、権力など微塵もない、木の如くデカイ男など父王(オイノビオン)は歯牙にもかけない。
 しかし逞しさは気に入ったし、巨人に対する恐れもあった。
「条件を飲んだのなら考えてやろう」“考えてやるだけ”のことはしたのだ。
 そしてヘラクレスみたくライオン退治にする事に成ったのだった。
 結果は一撃で決まった。
 オリオンの拳一つで、ライオンは空高く舞い、父王と娘は呆けた顔でそれを眺めていた。
 皮を剥ぎ、それを王に献上。その皮は以後、オリオンの手に飾られている。
 “考えておくだけ”で、何とかなあなあで済まそうと思い、また折角の客人なので酒宴を開き、酒を振る舞うことになった。
 ――これが失敗であった。
 酒の神の裔は、酒をいくら飲んでも気持ち良く酔える。だから加減というものをしらなかった。オリオンも知らなかった。
 悪酔いし、前後不覚となったオリオンは寝所に忍び込み、メロペーの(或いは他の娘か王妃か父王)を姦通してしまったのだ。
 可愛い娘の暴行に怒り狂ったオイノビオンは一計を案じ、滝の様に酒を――それもディオニュソス謹製の特別酒を振る舞い、飲ませ完全に酔い潰させた。
 そして野性的な魅力に溢れた両の眼を潰したのだ。
 これが天空でオリオンがいなくなる季節――春から夏に光を失う事の比喩だと言われている。星辰者の消失である。


 お告げがあった。信託である。
『上る暁の光(サフラン)を目に浴びせれば再び光を取り戻すだろう――』
 その言葉を受けオリオンは、一縷目指す。
 光を浴びに、再び光を取り戻すために。


 盲したオリオンは地面を這いずり回り、レムノス島のヘファイストス鍛冶場の音を聞き止めるとそれを目指した。
 そこで工人のケダリオンの小さな体を従えて、東の国への案内をさせたのだ。
 東の国に進むという事は、東を向いているという事。
 オリオン座が払暁するように、東へ向かい、曙の光を目に当てて視力を回復したのだ。
 
 その様子を見ていたのがサフラン色の衣を纏い、薔薇色の指先をした女神〈エオス〉である。
 類稀なオリオンの美貌に、恋多きその女神は惚れ込んだのだ。
 サフラン色、つまりアヤメ科多年草の泪夫藍の事である。
 曙色――黄みを帯びた淡紅色とは、赤・朱・紅――薔薇の様なアカイ色である。
 その色は、サフランの花柱の色に酷似している。
 そこから天体の可視光線と止血剤や化粧品にもなるサフランと対応させて、この逸話が生まれたのである。
“曙は傷を癒す験光である――”と。

 そんな花の様に可憐で、太陽神(ヘリオス)の先駆者として空を行く女神は――胸をときめかせた。
 その入れ込みようは半端ではなく、エオスが早くオリオンに会いたいが為、また払暁するオリオンに会う為に仕事を早く切り上げてしまうほどだった。
 その為オリオン座の出る季節になると日が早く沈むのである。これはその故事である。


 晴れてオリオンは、エオスの愛人(ジゴロ)になった。だがこのジゴロ――大人しくなどしていない。
 まず復讐を考えていたが、したたかなオイノビオンは地下室に隠れてしまって手が出せなかった。
 また、強姦したから罰も悪く、その為これ以上キオス島には居られなかったのだった。
 オリオンは気持ちをスッカリ仕切りなおして、愛の狩人としてナンパをする事にした。
 “強姦は駄目、ナンパはOK”という自分哲学を掲げて、鼻歌交じりに女を求めて彷徨い歩く。
 鳥が美味い虫を啄む為に木の穴に嘴を突っ込むように、彼の股間の嘴は獲物を求めて右往左往していた。
 嘴が指示したのは七人の乙女。
 プレイアデス。昴。アトラスの娘達。
〈アルキュオネ〉〈メロペー〉、〈ケライノー〉、〈エレクトラ〉、〈ステロペ〉、〈タユゲテ〉、〈マイア〉の七人姉妹。
 彼女等は、星の動きと位置によって星空の伝説に登場するに至る。
 その様はオリオンが彼女等を追っている様に見える天球図からその伝説は知れる。
 
 繰り返すが好色だが、強姦は嫌いなオリオンは、美貌を輝かせてナンパをするのだった。
「おーい、お嬢さん方ちょっと遊ばないかよう」
 逃げられた。
「つれない事言わんといてよー」
 しつこい男であった。一年もエオスと愛人生活というかヒモ生活をしながら追いかけたのだ。エオスは無論気付いていない。
 そこで自分の事を棚に上げたゼウスが娘達を哀れに思い、天空のシャンデリアに掲げたのであった。
 オリオンも星に変えられそうになったが、拒否し一応席を取っておくことで問題は解決した。
 ゼウスは、自分と同じくナンパ好きの彼に共感を覚え、プレゼントを贈ることにした。
 彼の足もとに御座す白銀の星。猟人にとって伴侶よりも深く繋がる立場にある存在。猟犬である。名はギリシャ語で〈セイリオス〉。シリウスである。
 次に可愛い娘を奪った謝罪として可愛い“兎”を与えた。とても愛らしく可愛らしい兎である。
 げっちゃ可愛ぇえとよ。思い、また女の子にもっとモテルだろうと思った。兎を出汁に使うつもりである。
 そしてオリオンは地上で悠々自適にジゴロ生活を続けるのであった。


 顔も知らない祖父の故郷、クレタ島での事である。
 クレタ島は、クレタ王家は窮していた。偉大すぎるミノスが死に、タロスはメディアの姦計に倒され、ラエラプスは石に成ったからだ。
 盛者必衰であった。
 偶々そこにオリオンはいた。狩りにである。
 獲物を探し求めていたオリオンの眼にある女の姿が映った。
 
 流れる月光のような銀の御髪。それを飾る月桂冠。
 銀嶺の鼻梁に、三日月を描く眉。蕾の様に麗しい唇は、一度も汚された事はない。
 狩人の毛皮服は、瑞々しい腿を晒し、柔らかな脹脛を具足で覆っている。
 月光の女神――〈アルテミス〉であった。
 セイリオスは愛しい獣の女神の匂いに興奮し、兎は平伏した。
 相手は女神である。ただ頭を伏して、了解を取るまで動かないのが礼儀。
 だがこのオリオン。この女神の裸を見たアクタイオンを素直に羨ましいと思い、男として感無量だと勝手に思い、
何故記憶共有の呪いが出来ないのだと血涙を流す益荒男である。
 
 セイリオスの手綱を握り、兎を肩に乗せオリオンはアルテミスに近づく。
 気がついたアルテミスは、振り返る。肩に掛けた矢筒から矢を取りだし、弓に番える。
「――止まりなさい。気配を消して近づくのは誰ですか?」
 警告。静かに近づいてきた大男に檄を飛ばす。そんなアルテミスにオリオンは穏やかな笑みを浮かべる。
「こんにちは、女神さま。私――オリオンと申します」
 その美貌。巨人と相反する穏やかさ。逞しさに、処女神の胸が高鳴るのを小鳥は聞いた。
 オリオンのナンパは大成功。誰一人として靡かなかった女神の心を掴むという名誉を手に入れる事となった。


 永遠の処女をいきなり抱こうとは思わない。
 彼が好きなのはナンパ。だから女性との語らいを楽しむのであった。
 海を歩きながら隣を馬車で行くアルテミスと会話を楽しむ。
「今何が欲しーとよ」「白い毛皮の服です」
 バタフライで逃げ出す兎を瞬時に捕まえ、「お前じゃ彼女の帽子ぐらいにしかならねえよう。愛玩兼非常食なんだから大人しゅー空気読めよう」
空気を読んで死んだ魚の眼をしだした兎をほっといて、会話を楽しむ。
 と、そこで聞いてはならない事をアルテミスは聞いてしまった。
 考えようによっては当たり前の事であるが、ナンパ中の男に聞いてはならない事であった。
「――貴方の業前はどのくらいですか?」
 
 男オリオン。女性を前に大人しい事を言うつもりは毛頭ない。
「この世で射とめられない獣はいやしませんよ――」
 決定した。
 彼の運命は決定した。
 モイライが綴り織に、死の運命を刻み込む。
 傲慢な一言を聞いて憤ったガイアであったが、愛息の事だから一度くらい多めに見てやろうと思った時だった。
 肩を叩かれる。
 振り返るガイア。そこには、アポロン。見知らぬ男と妹が仲良くしているのが激しく気に入らないアポロンがいた。
 アポロンは、その美貌を使いガイアに姦計を吹き込んだ。


 アルテミスと別れて数日後の事である。
 キオス島でデートという名の狩を楽しんだ数日後の事である。
 大地より大蠍が現れた。
 新芽が大地から芽吹くように鋏が現れ、甲殻の鎧に包まれた禍々しい外骨格が現れた。
 反り返る尻尾の先端には、凶悪な臭気を放つ毒針。
 紛う事無き大蠍である。
 一八〇度違う位置にいるオリオン座とさそり座の肉薄であった。

「!」狩人の感に従い、大きく後退しながら十連射。一番危険な尻尾の継ぎ目を狙う。
 その全てが弾かれた。「ィィイ!?」
 牛と同じく、大地の化身である大蠍は鋏を振り上げ、高速移動を行える節足動物の足を動かす。
 その速さは昆虫の反応速度そのもの。あっという間に距離を詰められる。
 鋏と斧がぶつかり合う。地に足を付けていなかったオリオンが吹き飛ばされる。反転し、岩に足から着地。大急ぎで離脱した岩に毒針が突き立つ。
 ――溶けやがったァ!! 岩が本当に溶けていたのだ。信じられない光景に顔を青くする。
 また迫る毒針。獅子皮を広げ、セイリオスの体当たりによって毒針の振り下ろしの軌道を反らす。間一髪、顔の横を通り抜けた。
「逃げとれアホンダラァ!!」
 渾身の力で眼球に剣を突き立てて、柄頭に棍棒を打ち付ける。――杭打ち!
 剣と棍棒の方が砕けた。オリオンは悟った。
 ――コイツにオレの武器じゃあ勝てん。
 オリオンは騎士でもなければ戦士でもない。獣と命をチップにした駆け引きと勝負をする猟人である。
 一目散に逃げ出した。海に向かって走り出し、鋏が足を掴む寸前に海に飛び込む。
 海上を走れるが、もしものことを考えて暫く海底を走る。海底の泥を掻き乱し、巨体を一心不乱に振って、息の続くまで走り抜けた。
 目指すは東。暁の方。払暁の情景。
困った時の神頼み。ジゴロは困った時の女頼み。
 アイツに勝てる武器を貰わなアカン。あんな剛い化物を放っておいたらキオス島の人間が食い殺されるよう!
 海面を飛び出し、体全部を出す間も惜しんで暁を目指す。
 頭だけ出す姿は、海底に足を付けて行進する大巨人の様に見えた。
 黄金の光に照らされたオリオンの美貌は、一個の黄金の様に見えた。


 アルテミスはアポロンと一緒にいた。構図は悪い男に引っかかった妹を窘める兄の図である。何時もは悪い女に引っかかった兄を窘める妹の図である。
「一体彼の何処がいけないのです。確かに頭悪そうですが。実際悪いですが、あんなに悪く言う必要は無いでしょう」
「確かに頭悪そうだが、そういう事を言ってるんじゃない。お前は処女の誓いを忘れたのかと聞いてるんだ」
 口が軽い=頭悪いの方程式で、オリオンを評価していた。
「それは……忘れたわけではありませんが……」顔を赤らめる。
「………………」顔に不愉快な青筋を立てる。
 意見は平行線。兄妹はすれ違う。兄の視線が自然を装い、海の輝きに移動する。
「……何だあれば? 妹よあれが何か分かるか」
「…………? 黄金でしょうか?」
 煌めく海とそれ以上に煌めく何かの塊。移動しているぐらいしかわからなかった。
「……そうだ! 妹よ、おまえの処女神として、狩猟女神アルテミスの実力を見せてくれ。処女神と狩猟女神で等しい存在であるお前の実力を」
「……分かりました。それが私の処女神としての業前の証明になるのでしたら幾らでも」
 銀の弓に銀の矢を番える。
 見えにくい。光が反射して狙いにくい。余ほどの業前の人でも難しいだろう。
 だが彼女は弓の女神。
 三日月を弓とし、月光を矢とする女神。
 放たれる銀の矢。金の光に飛び込み、正確にオリオンの米神を貫いた。


「………………………………………………オリオン……!」
 

 アスクレピオスの治療も大神ゼウスによって拒否され、アルテミスは泣き暮れる。
 思えば彼女が一人の男性の為にこれほど泣くのは初めてであった。
 彼女の泪が新たな神話を創造するくらい泣き、アルテミスは伏せた顔を上げて言った。
「……彼を星に。私の傍に。空の天井に。月と寄り添えるよう星界の住人に。星辰者へとして下さい」
 その願いは叶えられ、彼は星辰者へと相成り、相棒と愛玩も一緒に天へと掲げられた。
 蠍は女神達の手によって遠くに引き離された。蠍は夏。狩人は冬。
 星の海を行く狩人は、雄々しく楽しく歩き、犬と兎を連れて昴に色目を使い、月光に叱咤されながら暁の家へと帰っていく。
 以上で、古代人が星辰に思い描いた書物の物語の一つが終わる――


 夕焼けに染まる町を三つの陰が歩く。
「良い話が聞けましたねぇ~」
「…………うん」
「オレは疲れたとよ」
 三者三様の表情を浮かべ、街を歩く。
 アステリオスは肩に祖母を乗せ、オリオンは曾祖母の話に適当に相槌を打つ。
 夕焼けに染まった月が彼等を見下ろし、遥か彼方の木星には大陸の名を冠する衛星が踊っている。
 入り組んだ迷路のような道を曲がり、家路に着く。屋根は曙に染まっていた。

      FIN


 あとがきという名の駄文
 過去編があるので、あくまでホロウ風です。そう言い張る。後でオリジナルのステータスと次の話しだします。
 エウロペ:身長体重変更なし。スリーサイズ:B107W59H88。役割:天然(ボケ役)。
体型イメージ:SQUEEZの柊涼子等SQUEEZキャラ
 アステリオス:身長体重好みにより変更。役割:乗り物。マスコット。体型イメージ:バキ外伝のレックス。
 オリオン:体重変更。役割:ツッコミ役。体型イメージ:荒川アングラのシスター。神州世界対応論により神戸弁=神戸牛。他のギリシャ勢もあの論で、方言使わせよーかな。
 ※参考文献 “バーナード・エヴスリン ギリシア神話小事典”“呉茂一 ギリシア神話”他エウロペ、ミノタウロス、アステリオス。
テセウス、オリオン、シリウス、タロス、ミノス等を検索した結果。